団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

「自分で身を守ることができない子どもたちが死んでいく社会に、未来はないのです」

2021-11-02 03:54:28 | 日記

 子どもを軽んじる社会 深い病根、失うのは未来 三品信(文化芸能部)

 水越直哉記者が2011年に撮影した9歳の藤井聡太さん=愛知県瀬戸市で




 この一年、コロナ禍の厳しい話が続く中、久々の明るい話題だったと思う。将棋の藤井聡太さん(愛知県瀬戸市)が叡王のタイトルを獲得し、将棋界では最年少の十九歳一カ月で三冠となった。本紙の一報は九月十四日付朝刊、一面のトップだ。

 その翌日には社説を掲載し、写真を添えることにした。

 まだ藤井さんが幼い頃から私たちの同僚は記事を書いてきており、全国大会で優勝した九歳の時の写真を探したが、なぜか社内のデータベースに見当たらない。

 当時、瀬戸支局で取材を担当した水越直哉記者(現犬山通信局長)に相談すると、未掲載の秘蔵写真をすぐ送ってくれた。当日は見逃した読者のために、ここで再掲載したい。

 それにしても十年も前のことなのに、と私は水越記者の手際に驚く。当時彼が、聡太少年の現在の姿を予見できたわけではないだろう。

 だが子どもの話題だからといって軽視しないで、しっかり取材して優れた記事を書き、写真もたくさん撮って、きちんと保管していたのだ。

「くそな発表会」発言

 その点を特筆したい。決して「仲間ぼめ」ではない。

 この国には子どもを対象とした仕事や催しを、低く見なす悪弊があるからだ。

 思い当たる点は多いが今年の例を一つ挙げてみよう。政府が八月、有識者による規制改革推進会議の会合を開いて、議長にKADOKAWA社長の夏野剛氏を選んだことだ。

 インターネットのテレビ局の番組で七月、五輪の無観客開催について、子どもの発表会など一般の催しとの公平感を問う意見に対し「くそなピアノの発表会なんてどうでもいい、オリンピックに比べれば」と言った人だ。

  音楽が好きで、文化・芸術の報道に携わってきた私には、とうてい理解しがたい。こんな粗暴な物言いをする人を政府が「有識者」として、国の政策を左右する会議に迎えるとは。

 少し昔のことを振り返ろう。戦後、日本が大敗北の痛手から立ち直るにつれ、子どもたちにピアノを習わせる家が増えた。

 自らは、戦前・戦中の軍国的な世相の中で育ってきた親たちが「わが子には豊かな教養を身につけさせたい」と願ったのだ。

 折しも故中村紘子さんのようなスターも登場。華麗な活躍に魅せられ「ピアノのおけいこ」に打ち込む子がたくさんいた。

 それはピアノの幅広い普及と、ヤマハやカワイなど国産楽器の質の向上をもたらした。日本のピアノは、外国の一流の音楽家にも信頼されるまでになる。

 そうした子どもたちの晴れの舞台であるとともに、この国の音楽文化の充実や広がりなどを象徴する一つが「発表会」だ。品性を欠いた汚い言葉で非難をされる理由など、まるでない。

 「おまえは音楽が好きらしいからカッカとしているけれど、そんな大した問題じゃないよ」と思われる方もおいでだろう。

 いや違う。子どもたちを巡るものごとを低く見なすことは、子どもの幸せや権利を低く見ることでもある。そしてそれは、私たちの国に大きな「荒廃」をもたらしてはいないだろうか。

 深刻化する児童虐待
 それを考えるためにも、別のニュースを取り上げてみよう。

 厚生労働省の統計では、全国の児童相談所が二〇二〇年度に児童虐待として対応した件数が二十万五千二十九件となった。

 統計の開始から三十年も最多を更新し続け、この二〇年度にはついに二十万件を超えたというのだ(八月二十八日付朝刊)。これほど多くの子どもたちが、自分を守り育ててくれるはずの大人に泣かされ、傷つけられ、命までも絶たれている。

 専門家は、コロナ禍で在宅の時間が多くなるなどして家庭の環境が変わり、虐待の危険性が増える一方、支援も届きにくくなり「虐待の潜在化」が起きていると指摘する。統計の伝える件数以上に、虐待が起きている恐れがあるのだ。実に深刻だ。

 子どもの命-というと、私は以前に取材で会ったフランスの歴史人口学者、エマニュエル・トッドさんの警告を思い出す。旧ソ連が超大国だった頃、その崩壊をいちはやく予見した人。本物の有識者だ。

 彼は旧ソ連で乳児の死亡率が高かったことを私に告げて、こう述べた。
 「自分で身を守ることができない子どもたちが死んでいく社会に、未来はないのです」

 いま日本の未来を脅かすものというと、何が思い浮かぶか。コロナ禍? 中国の軍事力? 北朝鮮のミサイル? いずれも私たちでは制御しがたい大きな難題だ。

 だが旧ソ連のように、やがて国の崩壊に至りかねない子どもの命の問題=本来私たち自身で制御できるはずなのに、手をこまねいている問題=は、私たちの社会をその内側から、私たちが思っているよりも深く蝕(むしば)んでいるのではないか。

 子どもたちの誰もが藤井聡太さんや中村紘子さんのように、大活躍ができるわけではない。けれどすべての子どもはみな、いろんな分野で自分の力を発揮して幸せに生きる権利を持つ。それをつぶすな。

 児童虐待は、大人の心の荒廃の表れだ。その根絶を国の目標に掲げよう。

 水越記者の取材の折「名人になりたい」と答え、その目標に向けて歩み続ける少年の写真を見つつ、心からそう思う。




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コメント (2)
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