中日新聞の読者投稿欄に「実家の豚 切ない思い出」というタイトルで、72歳の女性が投稿されていました。
その昔、愛知県蒲郡市にある実家は農業を営み、ニワトリや綿羊、豚を飼っていました。
中でも私がかわいがったのが豚で、小学校から下校すると豚がいる小屋に通いました。
大きな体なのにおとなしくて、眠っているときにおなかをなでたら気持ち良さげな表情になって。
その豚は突然いなくなりました。
母に聞けば法事の資金にするために売ったとか。
私は強いショックを覚えました。
落ち込みました。
そうこうするうちにわが家の家畜は次々といなくなりました。
高度経済成長期前の貧しい時代でした。
実家も生計が苦しく、そろばんを習っている友人がうらやましかったです。
幼き日の切ない思い出・・・。
以上です。
>その豚は突然いなくなりました。
母に聞けば法事の資金にするために売ったとか。
私は強いショックを覚えました。
落ち込みました。
可愛がっていた豚が突然いなくなり法事の資金にするために売られたと聞けば、やむ得ないとは思っても切ないですよね。
子供心に強いショックを受けられたのは理解できます。
>そうこうするうちにわが家の家畜は次々といなくなりました。
高度経済成長期前の貧しい時代でした。
実家も生計が苦しく、そろばんを習っている友人がうらやましかったです。
当時そろばんを習うのがブームでした。
それなのに投稿者さんは、そろばんを習えなかったんだ。
高度経済成長期前は、農家のほとんどが貧しかったんですね。
『東京は恋する:舟木一夫さん』真:心に残る歌の記憶チャンネル
投稿者さんと年齢が近く、あの時代の農家さんの貧しさが親近感を持って読みました。
我が家も、負けず劣らず貧しかったです。
私も、算盤を習っている友人がとても羨ましかったです😥😥
>投稿者さんと年齢が近く、あの時代の農家さんの貧しさが親近感を持って読みました。
我が家も、負けず劣らず貧しかったです。
私も、算盤を習っている友人がとても羨ましかったです😥😥
ねこママさんのご実家も、農家で貧しかったようですね。
ねこママさんは頭が良かったから奨学金をいただいて高校に通われたんですよね。
ねこママさんもそろばんを習いにいけなかったとは、知りませんでした。
どんな家庭に生まれるかは選択できない現実ですね。
貧しくても 温かい家庭で育った方だと思うことにします。
>切ない投稿ですね(>_<)
どんな家庭に生まれるかは選択できない現実ですね。
貧しくても 温かい家庭で育った方だと思うことにします。
当時の農家の方は貧しかったようです。
子供はどこに生まれるかは選択出来ませんよね。
生まれたところで精一杯生きるしかないですよね。
お母様は生きる為に全ての家畜を売られたようです。
お子様たちが生きる為に大事な家畜をやむなく売られたと思います。
Cinnamonさんが書かれたように、温かいご家庭だったと思います。
ボクも戦後兎を飼っており、
毎日餌をやるのがボクの仕事でした。
ある日、父親の兄がやってきて、
歓待したかったのでしょう、
酒の肴に豚汁ならぬ兎汁を出しました。
叔父さんが帰って夕飯時に、その兎汁が出たのです。
食べたことのない肉に違和感を感じて、
これ何の肉?と聞いたら、
お前が飼っていた兎の肉だよと返事。
以後、兎汁はのどを通りませんでした。
小4の時の話、食糧難の時でした。
>叔父さんが帰って夕飯時に、その兎汁が出たのです。
食べたことのない肉に違和感を感じて、
これ何の肉?と聞いたら、
お前が飼っていた兎の肉だよと返事。
以後、兎汁はのどを通りませんでした。
小4の時の話、食糧難の時でした。
食糧難の時、叔父さんを歓待するためにhide-sanさんが毎日世話をしていたウサギでウサギ汁をされたんだ。
それはショックで、それ以降ウサギ汁を食べれなくなるのは分かります。苦笑
病院で入院していた時、同じ病室にいた患者さんが飼っていた鶏をつぶして食べたら、それ以降鶏の肉を食べれなくなったと言われた事を思い出します。