川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

仔猫殺しについてのコメント・追記あり

2006-09-23 07:28:15 | 川のこと、水のこと、生き物のこと
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坂東さんが、毎日新聞に寄稿した釈明。

なんか今更というかんじもすのだけれど、常々、町での捨て猫問題に関心を持っていた者として、やっぱり読んでしまう。
で、いきなり、追記。
エントリを書いたあとで、検索してみたのだけれど、あまりにもつっこみどころが分かりやすく、問題点は議論されつくされているようだ。
ぼくが書いたことも、たいして新しい観点でもないし、さらにいうと、残念ながら切れ味鋭くもない。
というわけで、あんまり深追いはしません。

ただ一点だけ、付け加えることができるなら、この「仔猫殺し騒動」で大事なことって、たぶん、坂東さんが自覚的にやってきたことを、多くの人たちがカジュアルにやりつづけていることだろうなあ(捨て猫問題のことを言っています)。坂東批判よりも、むしろ、そっちを意識化することの方が重要な気がする。

で、以下、もともとの本文です。

引用。

 ……子猫を殺さないとすぐに成長して、また子猫を産む。家は猫だらけとなり、えさに困り、近所の台所も荒らす。でも、私は子猫全部を育てることもできない。
 「だったらなぜ避妊手術を施さないのだ」と言うだろう。現代社会でトラブルなく生き物を飼うには、避妊手術が必要だという考え方は、もっともだと思う。
 しかし、私にはできない。陰のうと子宮は、新たな命を生みだす源だ。それを断つことは、その生き物の持つ生命力、生きる意欲を断つことにもつながる。もし私が、他人から不妊手術をされたらどうだろう。経済力や能力に欠如しているからと言われ、納得するかもしれない。それでも、魂の底で「私は絶対に嫌だ」と絶叫するだろう。
 

 結局、坂東さんの過ちは単純だ。
 ここで彼女は、自らの飼う猫の福祉を重視する。 と同時に、生まれた直後に殺される猫の福祉は無視する。
つまり、ある猫にとって、生殖能力を奪われて生きる悲劇は、生まれてすぐの仔猫が殺されることの悲劇よりも大きいと価値判断を下していることなる。
 仔猫の命を絶つことと、飼い猫の生殖能力を奪うことのうち、なぜ後者の方が重いのか、という説明がない。
 たぶん、彼女にとって、この重みづけは自明のことなのだろう。
 けれど、多くの人にとっては決して自明ではない。
 
さらに引用
 もうひとつ、避妊手術には、高等な生物が、下等な生物の性を管理するという考え方がある。ナチスドイツは「同性愛者は劣っている」とみなして断種手術を行った。日本でもかつてハンセン病患者がその対象だった。
 他者による断種、不妊手術の強制を当然とみなす態度は、人による人への断種、不妊手術へと通じる。ペットに避妊手術を施して「これこそ正義」と、晴れ晴れした顔をしている人に私は疑問を呈する。
 

 というと、「飼いきれないからと仔猫をがけの下に落とす行為」は、ナチスがユダヤ人を生かすに値しないとしてガス室に送り込んだこと比較されてしまう。
 結局、坂東さんは、自分の行為が「管理」であることに、気づきそこなっているのだ。
 
 エッセーは、タヒチでも誤解されて伝わっている。ポリネシア政府が告発する姿勢を見せているが、虐待にあたるか精査してほしい。事実関係を知らないままの告発なら、言論弾圧になる。
 

 たぶん、誤解はされていない。この場合、事実関係とは、彼女が仔猫殺しをしたかどうかであって、それが法に触れるのであれば告発に値する。それは当然のことだ。なにしろ、そういう法律なのだから。

 その上で、彼女が自説を論じる場所が確保されることを、切に願う。だ、その場合も茨の道だろう。彼女が、仔猫の命を絶つことと、飼い猫の生殖能力を奪うことのうち、なぜ後者の方が重いのか説明できないなら、言論弾圧以前に、誰にも見向きもされない可能性すらある。
 
 できれば、告発に至らず、彼女が新たな作品を生み出す時間を得られますように。彼女の作品を常に「すごい」と感じてきた者として。
 
 しかし、告発され、追い込まれ、なおかつ、サバイバルした彼女が書く、さらに壮絶な小説を読みたいという気持も強い。ぼくは単なる残酷な読者だ。彼女の幸不幸は別に、すごい作品を届けてくれればそれでいい。
 
 たった一つ坂東さんが、将来にわたって、この管理の問題か解放される方法がある。
 それは単に……猫を飼うのをやめる、というとこだ。
 これはまじでそう思う。ぼくは常々、なぜ、人間により動物の利用を問題視するアニマルライツの人たちが「ペット廃止」を叫ばないのか不思議で仕方ない(ぼくは廃止論者、ではないよ。念のため)。

 いずれにしても、飼っている人たちは、程度こそちがえ、常にこの管理の問題に悩まされたり、考えさせられたりすることになる。それは宿命だ。
長年野良猫問題などで、活動してきた人たちにしてみれば、坂東さんの問題提起は、とっくの昔に悩み抜き、考え抜いて通り過ぎたことでもあって、今更この水準で不妊手術批判をされても、噴飯ものだろう。

しかし、考えない奴は常にいて、そういう連中が猫を捨てる。
自分で殺せないから、冬の寒さや飢えや病気に殺してもらう。
そういうやつは、あらためてこの坂東さんの文章を読めって気がする。