川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

全地球凍結、について

2006-05-31 20:48:03 | ひとが書いたもの
新書レビュー。
「99.9パーセントは仮説」と続けて読んだのが、「全地球凍結」(川上紳一)。
「縞々学」の川上伸一氏の手になる本だから、きっと面白いと思って読んだら、やはり面白かった。
普通に読んでも面白いのに、直前に読んだ「99.9パーセント」のおかげで別の意味で倍は楽しめたかも。

内容はというと、最近よく聞く「スノーボールアース仮説」の研究の現場からのライヴなリポート。彼自身のフィールドについての話題もあるのだけれど、それ以上に、「7億年前、全地球の表面の水が凍結していた時代があった」という魅力的な仮説について、地球科学の研究者共同体がどのように受け入れ、あるいは、反発し、全体として、「真実」をたぐり寄せようとしているか、ということを、知的興奮がもたらす熱を持って語りかけてくれる。

スノーボールアースについてまとまった本を読んだことがない人は、それだけでも一読の価値がある。なにしろ、これまでの常識が覆る仮説が提示されているわけで、生命のカンブリア爆発や、他分野の地球史イベントも説明できてしまい、視界が広がる感覚がある。

それと、高校生に読んでほしいとおもう。これを読んで、たとえば、ナミビアの露頭を訪ねあるくフィールド生活に魅力を感じたり、あるいは、手にした様々な材料から仮説を構築し検証していく作業に興奮を覚える人は、是非とも「理系」へ。地球科学でなくても、こういった、わくわくさせられる分野はいくらだってあるし。

それはそれとして、「99.9パーセント」を読んだ後だから、感じたことをひとつ。

「スノーボールアース」は、実に仮説らしい仮説なのだ。
今、地球科学者は、「かなり脈あり」と信じて研究している人が多いようだが、数十年後になって見返すと、あの時はブームになったけど、結局、無理のある仮説だったね、と棄却されている可能性だってかなりある。

今、スノーボールアース仮説にとって、重要な証拠とされる「キャップカーボネイト」の存在も、まったく別の説明ですっきり説明されてしまうかもしれないし、やっぱり地球が全部凍るなんてありえないのに、当時の科学者がその説に入れ込んだのか理解に苦しむなんてことになっているかもしれない。

だから科学は信用ならないのか。
それとも、だから科学はエキサイティングなのか。

実は、研究者自身も、今追及している仮説がひょっとすると「真」ではないことは、常に意識している。
その中で、最良の説明を求め、時に袋小路に入りつつも、結果的に科学はより真実に近づくと、彼らは信じていて、ぼくはこの本を読んでいて、素朴にその熱を共有できた。
そして、科学することって、楽しいよなあ、うらやましいよなあ、と心底思ったのでした。

というわけで、これは、ぼくの評価ではアンチ「99.9パーセント」本。
「99.9パーセント」流の「すべては仮説」ということは折り込み済みで、それでも発露される、人間の「知りたい欲」と、あくなき探求の現場からの、ライヴなリポート。
実に楽しかった!
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これも玉虫色の試合っていうのだろうか。良かったことと悪かったこと、モザイク状態。

2006-05-31 07:29:53 | サッカーとか、スポーツ一般
対ドイツ戦。ワールドカップにむけて、ガチンコ勝負。
悪かったことナンバー1は、加地の負傷退場。足くびがぐにゃっとなっていて不安。ちゃんと戻ってこられるといいんだが。

良かったことは、ちゃんと本気の試合に持ち込めたこと。
この時期、怪我したくないから無理をしないテストマッチというのはあり得る。
無様な負け方をできないホスト国を必死にさせたのは、本当に素晴らしかった。

その反面、やっぱり、「高さ」だよなあ。
あればかりはどうにもならない。単調に外からポンポン放り込まれて、それでもやはり危険な香りが漂うのは十センチの身長差。実際、ドイツがパス回しで崩して、川口と一対一になるシーンなんて一度もなかったのだ。
失点のセットプレーも、特に一点目が象徴的だった。
クローゼに体を寄せていた宮本が、競り合う前に引き倒されている。特に引っ張られたわけでもなさそうだ。体の接触でバランスを失っている。
フィジカルというやつか。

でも、同点だ。
前半なんとか持ちこたえて、運動量で後半勝負というシナリオは、そこそこ有効であるということは示された。

ぼくのテーマは、「この心とこの体でどこまで戦えるか」ということなので、きょうのような試合はむしろ評価したい。
セットプレーに弱いのは当たり前。だめだったらだめだったで、工夫をすればいい。そして、自分たちの特徴を出して得点する。
ジーコが言いそうなことだけど、とりあえず、ぼくは本気でそう思っているので。

そうだ、良く最近報道されていた、ディフェンスラインと中盤の関係、あれは、この試合では改善されたのだろうか。
前半はかなりドン引きで、中田も抑え気味だったけれど、かなり間延びした中盤だった。
後半は中田が前に出た分、テンポのよいパスがまわり、高原の二点につながった。
この時、ディフェンスラインも前目に設定されるようだった。
このあたり、メリハリをつけるというのが落としどころなのか。

個別のコメントとしては。
駒野君がんばってました。彼のいいところは、リズムの作り方が加地とはちがって、むしろ、緩急が付く気がする。普段からみているわけじゃないので、よくわからないけれど。

俊輔は、前半、消えていたけれど、ボールを持った時の期待感はすごい。キープ力において圧倒的な進化をとげた気がする。かつての線の細さなんてもう感じられない。頼もしい。

ヒデの本日最高のお仕事は、中村から柳沢へでパスのスルー。そのあと高原にわたって、スーパーゴール。

坪井、切れが戻っているのではないか。
密着マークした時の速さは尋常じゃない。抜かれたと思ったらもうぴたっとついている。彼の速さは、トップスピードの速さだけじゃなくて、出だしも速い。すごく特殊な速さだと思う。これはきっちりワールドクラス。というか、世界的にも異能だと思う。
ただ、我々の身体性から出てきやすい異能だという気もして、つまり、好きです。

アレックス、守備の意識高し。でも、彼が守備をすると逆にハラハラだ。今も。

福西。たぶん今大会で、世界に名を轟かせるじゃないだろうか。あのバランス感覚。身体的バランスも、戦術的バランスも、すごくいい。

タマちゃん、オグリは不完全燃焼ね。

伸二……みたかったなあ。

で、なぜ玉虫色か、というと……。
ここで、二対〇とかで勝ってしまうと、なんだこれで行けそうじゃん、というムードがなんとなく漂ってしまって、嫌な気がしませんか。
だから、膿を出し切るというわけではないけれど、最後の最後までウイークポイントはウイークポイントとしてきちんと意識しつつ(たぶん、この弱点は完全克服などできない性質のものだ)、謙虚に闘ってほしいものだと強く思うわけです。
と同時に、「我々は闘えるんだ」というポジティヴな証明も、ここで成し遂げたわけで、マイナス要素とプラス要素のバランスがよかった、ということ。

いずれにしても、結果的にとてもよい試合になったと思う。
ドイツに行った時に、ヤーパンはアウトサイダー、みたいな言われ方はもうしないだろう。舐めてかかると足元をすくわれかねない、程度の認識はしてもらったはず。
これって、意外に重要な要素。ドイツ滞在中の居心地おいて、ということだけれど。

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サッカーの試合を待ちながら、河井智康氏が亡くなったことを知る

2006-05-31 06:57:04 | ひとが書いたもの
試合開始の前に差し挟まれたニュースで、知ることになろうとは。
河井智康氏は、「お魚」研究者。
面識ではないけれど、小さなセンスオブワンダーをもたらしてくれる語り口に、いつも舌を巻いていた。
「イワシと逢えなくなる日」や「死んだ魚を見ないわけ」は名著です。
水産学、海洋科学の分野において、サイエンスする楽しさ、というようなものを、河井氏の著作は伝えてくれました。


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月刊望星7月号と週刊プレイボーイ

2006-05-30 15:39:07 | 自分の書いたもの
まず望星には、「青春と出会い」というテーマのリレーエッセイ。昔のことを思い出して、書きました。

そして、週刊プレイボーイは、現物が届いていないのだけれど、今書店に並んでいるやつに出ているはず。ディスカバリーチャンネルが出した「地球脱出」というDVDのレヴュー。これは編集部からの持ち込みで、ほい、とばかりに観て書きました。

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選定!ワールドカップカメラ GRシリーズとの復縁をよろこぶ

2006-05-30 06:07:09 | きうらきら光ったりするもの
R0010222_1ワールドカップには一応のところ仕事でいきます。柔らかめだけど、あれこれ思索をめぐらす、サッカー旅リポートをナンバー誌に。そこでスナップを撮りたいわけだけれど、EOS5Dを持っていくのはNG。重たいから、機動性が損なわれるし、ああいう高価なものを持っているとなんとなく「守り」の気分になりがちだし、写真撮る時にもなかなかカジュアルの雰囲気を演出できないし、とにかく、いかんのです。
そこでコンパクトカメラ。今持っているIXYは、画質に不満があり。普通に使う分にはいいのだけれど、印刷原稿としてはどうよ、という意味で。
というわけで、某所から借りてきましたリコーのGR DIGITAL。おまけに師匠つき。
むかし使っていたGR28のデジタル版で、それゆえに期待が高まるわけです。

で、さっそく使ってみているのだけれど、なにはともあれ、レンズの前面から1.5センチまで寄れるウルトラマクロに、感動してしまって、あんまり現場で使いそうにないマクロで遊んでいるのでありました。
ちなみに、このザリガニは、息子が行っているサイエンスクラブの重鎮。

なにはともあれ、「使える」カメラです。
やっはりレンズの良さは折り紙つきだし、露出補正とかとても簡単にできるようになっているし、おまけにファインダーもつけられるし、印刷原稿にする前提なスナップデジカメとしては、とても使いやすい。

旅の共になってもらいます。

それにしても、GRシリーズとの復縁はうれしいなあ。

今は、フラッシュ撮影の時の露出のクセみたいなものを理解しておこうと努力中。
妙にアンダー目になることが時々あって。
個体差、なのかなしらん。
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上野の「クマ丘」は、朝が一番だと思うぞ

2006-05-29 20:57:31 | 川のこと、水のこと、生き物のこと
Img_69644月にオープンしたばかりの「クマたちの丘」。
上野動物園に出かける用事があり、是非もので観てきた。エゾヒグマ、ニホンツキノワグマ、マレーグマの三種の新しい展示プラスホッキョクグマの旧来の展示を加えた展示群。

最初に断っておかなければならないのは、ぼくは展示評論家でも、エンリッチメント評論家でもない。クマの展示や飼育について、しっかりとした軸をもって評価できるようなバックグラウンドはない(動物園本を書いたからといって、専門家だと思われても困るのです)。

「動物園にできること」の中でこだわったのは、クマの常同行動だけれど、たぶん、それだけに注目しすぎても、歪んだ理解になる気がする。
また、飼育についてとりたてて詳しいわけじゃないから、すごく重大なことを見落としている可能性はある。

だから、専門家未満の印象論として聞いて頂くとして(ちゃんと調べて書くときには、いろいろな専門家にインタビューするけど、これはしていない)、いや、単純に言ってしまえば楽しかった。

ツキノワグマはしっかりクマ棚に上っているし、ウッドチップの上をごろんごろんしたり、草をかじったりしていて、いろいろな動きを見せてくれる。まだ、それぞれの展示の中のクマたちが若くて、遊び盛りというのもあるのだろうけど、クマというのは元来「見て楽しい」動物なのだと気付かさせてくれる。

Img_6969それに、上から見下ろすだけの視点ではなく、グラウンドレベルでのヴューイングポイントも用意されており、これはかなり本質的に大事なことだと感じた。
やはり、こんなふうにアクリルを介して、近くに感じられるのはいい。多摩のチンパンジーを思い出す。
もちろん、シアトルのウッドランドパークみたいなものに比べたら、かなり狭いし、変化にも乏しいのだけれど、それでも、しっかり、ツボは押さえてある。

おまけに「野心」もある。
クマが冬眠中の姿を見られるようにする「冬眠ブース」。普通、動物園のクマは餌を与え続けて、冬眠させないところが多い。それをきちんと冬眠させようという試み。「冬の熊が冬眠してないのは変だろ」というもの。

あと、混合飼育。三種のクマの展示にはそれぞれ隣接して、タヌキ、キツネ、カワウソが飼われている。電柵で安全に仕切られており、夜、クマが寝室に戻ると、展示場にこれらの小動物(いずれも夜行性)を放つ。展示場をタイムシェアリングして使うことになり、小動物たちにしてみるとかなり画期的な行動面積の拡大だ。

こういったことが、目論見通り成功するかどうかは、今後の展開に注目。

そうそう。目下、クマ丘をみるベストな時間帯は開演直後だと思われる。
採食系のエンリッチメントを飼育員がしかけた後、それを楽しげに探したりするのは、やはり朝の数時間だけ。たぶん、一番みていて楽しいんじゃないだろうか。
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車好きではありませぬ

2006-05-29 08:08:52 | 自分の書いたもの
小谷野敦氏のエントリでひさびさに登場との知らせ……。
ぼくは「カーキチ」なんだそうな。
え? と思ったら、「新刊展望」での垣根涼介氏との対談を読んでの発言らしい。

なら、書いておかなきゃ。
カーキチじゃないです。

自家用車、持ってません。
もちろん、車を持っていないカーキチというのもいるのかもしれませんが、どうもぼくはそれでもないです。
駅の近くにすんで、自動車は持たない、というのが、自分にとっては心地よいので、交通の便利な都心に住んでいる限り、これからも持たないでしょう。

それにしても、「新刊展望」ってどこで手に入るのだろう。
その中で、ぼくは「もしも、ぼくが垣根さんだったら、車の小説を書く」(ちなみに、垣根氏は自他とも認める車好きであり、一方、ぼくは好きなものとか、どうしても気になるものについてしか書けないのです)というふうなことを述べているのだけれど、別にそれは「ぼくが車好き」という意味じゃないのです。
そんなふうに読めるのかなあ、読み直してみても、ぼくには読めない。発言者だから、客観的にはなりきれないわけだけれど、やはり、読めない。
というわけで、手に入る人、ぜひ読んでくださいませ。

しかし、小谷野氏のサイトって、トラバもコメントもできないんだもんなあ……。
喫煙や疫学をめぐって議論が合わないのは、すでに実証済み(?)だし、自動車の問題と喫煙の問題の関係についても深入りするつもりはないんだけど、こういうレベルでの事実誤認はつらいです。
車を持たない生活って、自分にとっては大事な自分の「属性」だと感じられているようなので、ここに述べておきます。
たまたま、次号のBe-Palの次号に掲載予定のインタビューでもそういう話をしております。

うーん、新刊展望、舌足らずなのかなあ。
自信なくなってきたぞ。
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中澤港君とPTAについて語り、堺三保さんともPTAについて語ってしまう(SFのことも織り交ぜつつ)

2006-05-28 20:18:32 | 日々のわざ
おしゃべり週間であった。
金曜日は群馬大の中澤君、土曜日は評論家・脚本家・翻訳家の堺さん。
中澤君とは五年ぶりくらいにあった。The S.O.U.P を書こうとしていた時に、うまいぐあいに(?)FTPのセキュリティホールをつかれてクラッカーに侵入されたというふうな事件が、当時東大にいた彼のところであって、そのログを見せてもらいがてら雑談しにいったのが最後。

その五年の間におたがい大きくライフステージが変わって、話題の中心はなんとPTA!
中澤君は、昨年度、小学校のPTA会長を務めたのだった。
ほんと、我々も遠くへきたものだと思う。

話していてわかったのは、PTAというのは実に地域性がある。
もちろん、共通の構造を持っており、良いところも問題点も似通った部分が多いのだが、やはり「配合比率」が違うし、運営の仕方でもかなり違う。

中澤君のところでは、毎年、副会長が男性と女性が一人ずつで、男性は翌年の会長になる不文律なのだそうだ。一方、女性の副会長は実質的に一人でPTAを仕切ることになり(副会長も会長もたいがいは勤め人)、男性の副会長は会議を仕切るくらいで実質、「会長養成期間」みたいなかんじになるとのこと。こういった、男女の役割分担は、会則に書いているわけではないのだけれど、簡単には帰られない「しきたり」になっているのだそうな。実際にそれでうまく回っているということでもあるのだろうけれど。

一方、ぼくのところは、副会長が五人いる。
五人いても忙しそうだ。一人って大変だろうなあ、と言ったら、中澤君は「へぇ、数を増やす手もあったか」と、なんとなくびっくりした雰囲気。
ぼくの方は、副会長一人が実質運営というのにびっくりしていたのだけれど。

たぶん、同じ地域のPTAは、お互いに真似し合うだろうから、きっとかなり似ているのではないだろうか。
だから、時々うんと離れた人たちと話をすると、「こんなんありなんですか」というような新しい発見があったりして、新鮮かもしれない。

ひとしきり話し終わって手を振った後で、今書いている(って延々と書いているのだが)疫学小説の中で、統計ソフトの"R"を使わせようと思っているのだけれど、中澤君はこのRのエヴァンジェリストみたいなことをやっている。草稿を読んでもらって、もっとRを機動的に有効活用するアイデアを出してもらい、Rの普及に一役買いつつ、いろいろな局面で彼の知恵も拝借できないか……と都合のいいことを考えた。

一方、堺さん。
堺さんと会うたびに、年齢は変わらないのに、属するコミュニティの違いに新鮮な感覚を抱く。頭をじゃぶじゃぶ洗濯して、今まで知らなかったモノの構造をすーっと理解できるようになったりもする。

SFファンの人たちのコミュニティから、ぼくはとっくの昔に脱落してしまっていて(東大SF研に登録だけして、あとは一度も顔を出さなかった)、そのあたりから、我々は違う道を歩み始めた模様。

お互いの共通分野の話をすることが多くなるのだが、堺さん世代のSFな人たちも、なんとなく新しいライフステージに入りつつあるらしい。
仲間内での最近の話題は、「マンションの管理組合の悩みと、PTAの悩み」だそうな。
おもしろい。みんな、同じ時代を生きている。

その他、SFファンダムの構造だとか、わりとディープ目の話題を明るく語る。おしゃべりんな堺さんは、どんどん喋る。
知らなかったことだらけ。おいら、世間知らず、を実感する。

そうそう、彼と話していて、ぼくがSF読みとしては、雑食であることをはじめて気付いた。
「ハードSF」と言われるものは一般論として好きだ。かといって、ニューウェイヴかかったやつも好きだったし、ファンタジーなSFも読んできた。
具体例をあげれば、「竜の卵」を読んだ後で「バーンの竜騎士」を違和感なく、竜つながりで読みつなげるようなやつ。
SFのプロパーな読者をリタイアして久しいので、そういうことにも気付いていなかった。

それにしても、リングワールドの最終話(?)が出たのだなあ。
読みたいような、読みたくないような……。

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「銀河のワールドカップ」一ヵ月

2006-05-28 05:55:50 | 自分の書いたもの
気付いたらもう一ヵ月たっていました。
今のところ書評などは低調。読売の夕刊に軽く出たくらい。
にもかかわらず、重版がかかったので、きっとどこか売れるところでは売れている、ということなのでしょう。


今までにない不思議なかんじです。
「いつもと違う人」が読んでくれているのかも。

コメント欄に、現時点で見つけられたネットでのレビューをはりつけておきます。
わりと好意的なレビューが多いです。
サッカーを知らない人でも、ある種の臨場感をもって楽しめる、というふうに言ってもらうと、それは狙いの一つなので大変うれしかったりします。

その一方で、サッカー大好きな人たちにとっても、なにがしかの発見がある、というふうなものであればよいと願っているのですが、ちゃんと楽しめるみたいですよ。

ちょうど同時に出た2ちゃんねる小説の「俺が近所の公園でリフティングしていたら」が「龍時」の後継だとしたら、こっちはやはり「キャプテン翼」なのかな、ってかんじがします。
マンガではなく、文章だからこそ表現しえるものがあって、それがこの作品のキモ、なのです。
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ワールドカップのチケットが来た!

2006-05-26 06:10:24 | サッカーとか、スポーツ一般
Img_69822_1日本サッカー協会割り当て分。カテ1なのにゴール裏のセクションになっていて(本来はタッチライン沿いのセクションのはず)なんだかよく分からないけれど、とにかく手元に来ると気分が盛り上がってきた。ちなみに、一番下のやつはベスト16に進出時のチケット引換券。いわゆるTSTチケットなわけですが、これは行使せずに帰ってくることになるわけで、後ろ髪ーってかんじになりそうですね(グループリーグを勝ち抜けたらですが)。
ああっ、わくわく。
と一瞬、気分が沸騰した上で、粛々と仕事。
出発準備は前日までしないからね。

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通信と距離、親族と友人

2006-05-25 16:06:01 | 日々のわざ
カリフォルニアに住み、アメリカ人になった従姉妹一家が、居抜きでお好み焼きやさんを買って、営業を始めるそうだ。それを母との電話で知る。

その従姉妹の母親、つまりぼくの伯母さんが、ほかの叔母らを引き連れて、ぼくの実家を訪ねている。認知症で、特別養護老人ホームに入っている父のお見舞い。

おそらく伯母にとって、父との今生別れになるのかもしれない。
そうそう、伯母も娘(ぼくの従姉妹)を頼って渡米し、今はアメリカ人。

一昔前だったら、「今なにしているのかなあ」とお互いに音信不通になるのだろうけど、今はインターネットや、ヘタをすると国内通話よりも安い国際通話サービスがある。それほどの努力をせずに繋がっていられる。

そんなわけで、ぼくは従姉妹の長女がカリフォルニア大学のサンタバーバラ校にかなり優秀な成績で入ったことや、次女が出演した「日本祭」(?)の話題なんぞも時々知っていたりする。

今週、ばたばたと普段は会わない人に会う。
群馬大の中澤君は大学時代の友人だけど、学生時代にめちゃくちゃ仲が良かったというわけでもない。インターネットのおかげで、社会人になってから、継続的にやりとりがある。

SF評論家で、映画産業への道を歩みつつある堺三保さんは、実はぼくの「はとこ」。ひょんなことでそれが分かって、んじゃ、会いましょうかというふうになったのが、一年前くらいだったか。それで、今回は第二回ミーティング。これもネットがなければ、繋がらなかった話。

やっぱり、通信はしばしば距離を超えるなあ、と実感する。
当たり前のことなのだけれど、自分が生きてきた時代の中で起きた変化だからこそ、強く意識するのだろう。

本来なら遠い人とつながっていくられる……この感動、というか、感傷というか、感慨、「若い人」には分からないでしょう?
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アメリカに住んでいるのか

2006-05-25 08:33:49 | 日々のわざ
上野動物園に行ってきた。「クマ丘」を観てきたので、その話はのちほど……なのだけれど、何人かの方に「今はどちらで仕事をしているんですか」と聞かれた。アメリカ在住、というふうに思われているらしい。
こういう現象というのはよくあって、例えばたまたま会った日本テレビの元同僚に「いつ帰ってきたの」などと言われることが、いまだにある。
アメリカにいたのはもう九年も前のことなのにね。
人の印象って、時々会ってアップデートしないと、最後に会った時のままなのだなあ。

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「99.9パーセントは仮説」について

2006-05-24 06:59:47 | ひとが書いたもの
新書レビューです。
「99.9パーセントは仮説」(竹内薫)と「全地球凍結」(川上伸一)は、まったく違ったテイストの科学本なのだけれど、続けて読んで妙に味わいがあった。

まず「99.9パーセントは仮説」。これは実は看板に偽りのある本。内容に忠実に沿えば「100パーセント仮説」とか、「たしかなものは何もない」といったタイトルになるべき。

実際に「科学はぜんぶ『仮説にすぎない』」(33ページ)をはじめ、類似の表現がたくさんされていて、つまり、一般には「正しいことを述べている」と思われがちな、科学を相対化する言説に満ちている。
科学的理論が、仮説であるということ自体、むしろ当たり前であって、それを必ず「仮説である」と認識するところが科学のキモだと、ぼくは感じているのだが(たとえば、宗教はみずからの主張を仮説とは言わない)、どうも世の中には「科学は正しい」という信仰があるらしく、それに対して「そうじゃないんだよ」と語りたかったのだろうと解釈する。

で、つかみにもってきてある「飛行機がなぜ飛ぶのかまだよく理解されていない」という部分、とても面白かった。飛行機がなぜ飛ぶのか。翼はどのような仕組みで揚力を発生しうるのか、ここ数年、かなり激しい論争があり、いまだ決着がついていないという話。これは知らなかったのでびっくりした。紹介されあるウェブサイトも見たけれど、いやはや、なんとも楽しい。

ほかにも具体例がてんこ盛りで、たぶん著者の意図した通り、「科学は間違わない」という信仰の持ち主の信仰を破壊するには十分な威力を持っているだろう。科学史としての史実の扱いにちょっと疑問を持つ部分があったり、科学哲学の説明がポパーで終わっていたり、インテリジェントデザイン(ID)などについて妙に甘かったり、個別の部分で気になるところはたくさんあるのだけれど、本書の基本的な意図と思われるものを達成するためには、それくらいでよかったのかなとも思う。

科学者は科学者になる前に科学史や科学哲学を学んでほしい、という部分は激しく合意、だ。

問題といえば、この本を読んで、にわか反科学論者、相対主義者が続出しているらしいこと(身の回りにいる)。著者は「やわらか頭」というのだけれど、単に「科学は信用ならない」と思うだけであれば、科学信仰が反科学にひっくり返っただけだ。頭はやわらかくなっていないだろう。

これを解決するには、「すべてが仮説」だとしても、確からしい仮説と、嘘っぽい仮説があるという「程度の問題」を導入するしかないように思うのだけれど、著者はそこを意識しているらしく、125ページ前後で、仮説のグラデーションという概念を導入している。
「個々の仮説が専門家にどのようなグレー度で受け入れられいてるか知ることは重要」とのこと。
もっとも、その専門家がいかに間違うか、ということを延々と述べてあるので、あまり有効な手だてではないようにも読めてしまう。

たぶん、この本であまりはっきりとは語られていないが、大事な問いかけとして、「にもかかわらず、なぜ科学は特別ぽく見えてしまうのか」ということがあると思う。
その部分をうまく掬い上げることができないと、ただの反科学本になってしまう。
科学の権威に攻撃を加えることには成功し、にもかかわらず、なぜ科学が「特別に見えるのか」説明することには成功していない本、というところか。
別の言い方をすれば……反科学万歳!の立場で書かれたのだとすると、とても成功している。

いつになるか分からないけれど、次はスノーボールアース。

追記
著者はファイヤアーベントを敬愛し、論旨も近いものがあると感じた。もっとも、ファイヤアーベントを読んだのは学生の頃だから、最近読み直さねばと感じているところ。

読み直さないで書くのもなんなのだが、ファイヤアーベントは彼流の「なんでもあり」の相対主義を掲げた時、もっと切実で苛烈な覚悟をもっていたような気がする。「なんでもあり」を述べるのは、権威破壊的で痛快なのだけれど、その刃は当然自分にも向けられる。その「諸刃」の部分をいかに受け止めるかというのは、相対主義者がいかに考え抜き、生きようとしているか、という部分でもある。
本書では、そこのあたりの追及はほどほどのところで切り上げて、議論の落としどころとして「やわらか頭」と言っているように感じられてならない。そこがもぞもぞと気持ち悪く感じる。

とりわけ、本書を読んで、知的ファッションレベルで、俗流相対主義を振りかざされたら、たまらんなあ、というのが正直なところ。
にもかかわらず、「科学はかならず正しい」と思っている人は一定数いて、そういう人には読め!とも言いたくなる、悩ましい本なのだった。

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「墓の中に生きている」

2006-05-23 06:21:21 | 自分の書いたもの
小説現代の6月号に、表記の短編が掲載されています。
いつかマダガスカル島に行った時に体験にインスパイアされたもので、「M島」を訪れた日本人の解剖学者が主人公。
小説現代では、9月号にもう一本書くことになったので、たぶん、ワールドカップがおわって最初にあたふたと書く短編は、同じシリーズになりそうです。


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お祭り気分

2006-05-21 07:02:30 | サッカーとか、スポーツ一般
ワールドカップも近づいてくると、だんだん世間がうわついてきて、やたらサッカーの報道が多くなったり、関連書籍がたくさん出たり、Jビレッジに二万人が応援にかけつけたり、「おいおい、そこまでやるかよ」というようなことが起こる。
つい斜に構えたくなるが、それは間違い。
なにしろ、今回は関連書籍まで出しているわけだから、言い訳きかないだろっ、ていうのではなく……。
つまり、前回の経験から、斜に構えていても、このお祭りには、どのみち「持って行かれる」のだとわかっているのだ。
それで、ぼくもお祭りな気持になろうと努力中。
しかし、あまり得意ではない。きっとぎりぎりまで無理だ。
少なくとも、斜に構えない努力中。

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