川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

日本の動物園への期待~内と外の問題

2008-05-30 08:22:25 | 川のこと、水のこと、生き物のこと
2000年に「遺伝」という雑誌に書いた、動物園についての記事。

動物園にできること (文春文庫)動物園にできること (文春文庫)
価格:¥ 690(税込)
発売日:2006-03-10

↑これが、まだ文庫になっておらず、単行本版は品薄で……という時期に書かせていただいた。
今読み直すと隔世の感があり。
日本の動物園への期待~内と外の問題──2000年の「遺伝」に掲載

 周回遅れ?
 アメリカは動物園の先進国だと言われる。「進んでいる」かどうかは別として、少なくともここ数十年間、動物園の世界で「新しいこと」を始める際、推進役になってきたのは事実。「種の保存計画」のはしりであるSSPも、展示の革命「ランドスケープ・イマージョン」もアメリカの動物園界から出てきた。
 
 これに対して、日本の動物園は保守的だ。絶えず流入してくる新しいアイデアに対して、しばらくの間は静観を決め込む。そして、本家アメリカでブームが醒めた頃になって、周回遅れでおっとりと動き始める。
 
 例えば、「種の保存計画」。アメリカよりも7年遅れて89年にSSCJが始まり、90年代後半になってようやく機能し始めた感がある。展示手法の改革にしても、日本国内では、今、ちょうど各地に新しいものが出来始めている状況だ。さらに、90年代アメリカで最大の「ブーム」だった「飼育法の改革」──いわゆる環境エンリッチメント(以下、エンリッチメント)──については、ようやく「静観」の状態から、日本なりの解釈が試みられ始めたところだ。
 
 ここでは受容のプロセスが現在リアルタイムで進んでいる、このエンリッチメントについて考えてみよう。そして、その過程で見えてくる、日本の動物園の「課題」や「期待」について述べたい。

 エンリッチメントの展開
 そもそもエンリッチメントとはいったい何を意味するのか。
 まず、飼育下の動物の環境は貧しく(プア)であり、それをできるだけ豊か(リッチ)にしたい、という認識がある。つまり動物たちを「豊かにすること」がエンリッチメントなのだ。
 
 ただ、なにをもって「豊か」とするのかということが問題だ。これについては、「野生」を基準にするしかない。動物園の動物は、イライラして同じ場所を行ったり来たりする「常同行動」や、食べたものを頻繁に吐き戻したりするような「異常行動」を見せることが多い。これら野生では見られないような行動を抑え、野生での行動パターン(もちろん種によって違う)を、飼育下でも実現させるのが究極の目標となる。
 
 たとえばクマは、野生では「行ったり来たり」を繰り返すかわりに、起きている時間のほとんどを食べ物を探してすごす。それに少しでも近づけるため、飼育係が展示の中であちこちに餌を隠したり、一日に一度だけ与えていた餌を数回に分けたりといったことを行う。玩具を与えてみたり、臭いや音で刺激を与えたりすることもあるし、時には飼育係の接し方の変化すら動物たちの暮らしに変化を与えることになる。
 
 特筆すべきなのは、アメリカでは、こういったことが90年代になって、まず飼育担当者の草の根運動として始まったことだ。アニマルライツなど動物園に批判的な人々の存在がひとつの理由ではあるが、飼育者たちの内的な動機も高まっていた。80年代に始まった「種の保存計画」が成熟し(つまり、順調に繁殖が進み)、多くの種で、もう繁殖させる必要がない個体が増えていた。ところが繁殖は動物を飼う者にとって最大の楽しみであり、「繁殖させるな」と言われるとモチベーションを失ってしまう。そこで、情熱をエンリッチメントに振り向ける飼育者が現れたのだ。
 
 だから、初期のエンリッチメントは、飼育担当者の裁量の中で手軽に行うことが出来るものが多かった。園の経営側から認められるようになると、展示を刷新する際にエンリッチメントの要素を最初から組み込んだり、専門の要員を雇用したりということが起こるが、とにかく、「動物たちのプアな環境を少しでもリッチにするために、出来ることをする」というのがそもそもの精神だった。

 日本版エンリッチメントの始まり
 さて、ここからが日本の話。99年、日本の動物園の飼育担当者からなる「動物園飼育技術者研究会」が行ったエンリッチメント意識調査をみてみよう。この調査は、日本の動物園水族館協会に参加しているすべての園館の飼育関係者1800人にアンケートを送り、そのうちおよそ3分の2にあたる1243人から回答を得た。
 
 回答者のうち73パーセントが、エンリッチメントを動物にとって「よいこと」として捉えており、68パーセントがエンリッチメントに「関心がある」としていた。それなのに、実際に行っている者は、32パーセントに満たなかった。
 
 これはなぜなのか。本来なら「関心がある」者が、気軽に行うことが出来るのがエンリッチメントのはずなのだが……。
 
 「実施することができない理由」として挙げられたものの中で一番多いのが、「予算や設備がない」(20パーセント)だ。これにはエンリッチメントと、イマージョンのような最新の展示手法との混同が背後にあるようだ。ぼくは最近、日本の動物園人と話をする機会が多く、時としてこの「混同」を感じていた。その意味では、納得できる調査結果だ。ちなみに、イマージョン展示は、最初からエンリッチメントの要素を取り入れることが多いから、たいがいは動物にとって良いのかもしれない。しかし、「イマージョンにしないと、エンリッチメントはできない」という考えは、単なる誤解だ。
 
 また、「担当がいない」(17パーセント)、「人的問題」(13パーセント)といったことが問題になるあたり、飼育係が自発的に動き始めたアメリカとは違うのだと感じさせられる。ただ、今回、飼育担当者の「研究会」が意識調査を行ったことは、いわば「下からの突き上げ」に相当するとぼくは考えており、そういった意味で日本でのエンリッチメントはようやくスタートラインに立った感がある。 
 
 ここで、ひとつの「課題」が明らかになる。「日本の動物園は保守的」と書いたけれど、それ自体悪いことではない。動く前に熟慮することは、時には美徳だ。ただ、エンリッチメントの現状を見ていると、実は日本の動物園人は、この新しいアイデアについて、これまで熟慮してきたのではなく、単に不勉強だったのだ。
 
 エンリッチメントは、アメリカでは92年以来しきりと議論され、今や国際エンリッチメント会議が隔年で開かれている。簡便なニュースレターもあり、なにより日本からも参加者がいるCBSG(保全繁殖専門家集団)の国際会議でも毎年話し合われている。それなのにこの理解度は情けない。猛省すべきだし、「恥ずかしい」と思った方がよい。アメリカという先進国を無視することが、現在の動物園にとって事実上不可能である以上、「知った上で相対化することが」は常に必要になってくる。なのに、それができていない。

 イマージョンは動物にいい?
 ただ、日本で「イマージョンでないと、エンリッチメントできない」と誤解された遠因は、アメリカにある。さすがにアメリカで、「イマージョン=エンリッチメント」と思っている人に会ったことはないが、イマージョンが「見る側にも動物にとってもよいことだ」とは信じられている。イマージョン要点は「見せ方」であって、動物の側の住み心地は重視されてはいるものの、必ずしも最優先されるわけではない。それなのに無意識的に「動物のためのイマージョン」というような文脈で語られることがある。
 
 実はこのあたりのことに気付いて、動物の側の「住み心地」にこだわった展示が日本から生まれようとしている。もっとも、発端になったのは動物園ではない。愛知県犬山市にある霊長類研究所。ここのチンパンジー放飼場が、エンリッチメントとイマージョンとの間にある奇妙な癒合を断ち切ってくれる可能性があるのだ。
 
 もとより「見せる」ことを前提にしていない施設だから、見てくれは悪い。鉄骨を組んだだけの15メートルのタワーがまずあって、その脇にはそれよりも低いタワーが2つ。それぞれは何本ものロープでつながっている。各個体はとても頻繁にタワーを上り下りし(時にはロープをつたい)、生き生きと活動している。これは見た目の印象だけではなく、大学院生が博士論文のために取ったデータの裏付けがある。
 
 見た目は悪くても、そこらのイマージョン展示よりもずっとチンパンジーにとっては素晴らしい環境があり得るということだ。おまけに擬木や擬岩を駆使しするイマージョンよりもずっと低コストだ。もしも、ある動物園がチンパンジーの展示を刷新しようとしており、かつ、予算が限られていたとしたら、今、二つの選択肢があることになる。チンパンジーのためにできるだけ高いタワーを鉄骨で立てるか。それとも、見栄えを重視して、低い擬木(高くするとコストが上がる)にするか。ここにおいて、展示の演出面(イマージョン)と動物の福祉の面(エンリッチメント)は切り離して議論せざるをえない。
 
 霊長類研究所に隣接するモンキーセンターでは展示の中に15メートルタワーを取り入れた。また東京の多摩動物園も、札幌の円山動物園も、同様のタワーを中心にした新しいチンパンジー展示を建設中だ。こういった「割り切った」タイプの展示設計は、予算が必ずしも潤沢でない場合、選択肢として合理的なのだ。

 世界へのフィードバックを
 そして、「期待」が生まれる。例えば、チンパンジーの新展示がよい結果を得たとしたら、それを国際的な動物園共同体にフィードバックすべきではないか。なぜなら、これらは日本のオリジナルであり、また、現在、アメリカで信仰めいたブームになっているイマージョンを相対化するための格好のツールになる可能性すらあるのだから。
 
 今、アメリカでは「イマージョンでなければ展示にあらず」といった風潮があって、予算の少ない園はイマージョン的な見栄えにこだわるあまり、動物の福祉の部分(まさにエンリッチメントの要素)にしわ寄せがいく。例えば、アメリカの動物園に「高い鉄塔か低い擬木か」を選ばせたら、ほとんどの所が低い擬木を選ぶだろう。もちろん、裕福な園は、「高い擬木」を作ることで両立させるだろが、それを出来るのはほんの一部だけだ。
 
 この状況は、イマージョンという支配的な展示思想が極端に受け入れられた弊害だ。展示の目的、予算に応じて、柔軟に考えなければならないところが、その柔軟性を失ってしまっている。
 ここで強調したいのは、エンリッチメントや展示の改革といった、日本がいつも周回遅れでアメリカを追いかけているように見える分野でも、違った文化的背景、歴史的な文脈を持つ日本の動物園が持っている視点が、なにがしかの役に立つ可能性があることだ。
 
 ところが、このことについて、日本の動物園人の「自覚」はほとんどない。情報を取り込むという点においても(エンリッチメントの現時点での理解度がそのいい例だ)、情報を発信するという点においても、日本はあまりに閉じてきた。
 
 本人たちがどれだけ自覚しているかは疑問だが、日本の動物園の「国際参加」はつねに求められている。アメリカで動物園の取材をしていた時、「日本の動物園のことを知りたい」と何度言われたことか。ヨーロッパのある動物園の園長も、来日した際「日本の動物園が情報を公開しないのは、世界の動物園界にとって損失だ」と述べていた。
 
 現在ホットな話題になりつつあるエンリッチメントを具体例として話を進めたけれど(そして、エンリッチメントの受容はとても重要なテーマだけれど)、むしろ、ぼくには日本の動物園が「内と外」の間にひいてきた明確な線の問題が際だって見えてきたのだった。「日本だって貢献できる」という期待は、「外のことをちゃんと勉強して相対化すべし」ということと共に、実は「課題」でもあった。

*************
追記@2008
今はもうエンリッチメントという言葉にも市民権があって、それほど注釈なしに使える。
この頃は、こういうことを書かねばならなかったのだと、かなり、感慨をおぼえる。
そういえば、乃南アサさんが、
いのちの王国いのちの王国
価格:¥ 1,680(税込)
発売日:2007-12-21

↑こういうのを書いたのだなあ。
興味深い。

個人面談ウィーク、雨

2008-05-29 06:57:09 | 日々のわざ
R0017522R0017520晴れたり雨が降ったり入れ替わりの激しい日々。個人面談もあって学校に来る人も多く、普段会わない人にも会う。
同時進行で、和田中PTAまわりの取材。ひとつの単Pの話題がこれだけ大きくなってしまうのはどうよ、と思いつつ、やはり、そこには大事なテーマが埋まっている。



J-POPジャンキー

2008-05-27 21:58:03 | ソングライン、ぼくらの音楽のこと
これも2000年頃に、どういういきさつか「現代」に書いたエッセイ。
J-POPについて熱く語っています。

言及されるのは、こういうもの。
NOW AND THEN~失われた時を求めて
NOW AND THEN~失われた時を求めて
価格:¥ 1,020(税込)
発売日:1996-10-28

勝訴ストリップ勝訴ストリップ
価格:¥ 3,059(税込)
発売日:2000-03-31

J-POPジャンキー
 
 「歌の言葉」が気になって仕方がない。10代の頃聞いていたニューミュージックや和製ロックの言葉が、ある時、なんとも不自由だと感じるようになった。特定のモチーフを、特定の言葉の順列組み合わせで表現しているような貧しさ。サビの部分では、必ず意味の通らない英語が入って「格好良さ」の記号として機能する。それを聞いて陶酔する自分を冷笑しつつ、いつも違和感を抱いていた。
 
 当時、歌の言葉に自覚的だったミュージシャンといえば、まず挙げられるのが、The Blue Hearts 。彼らはほとんど外国語を使わなかったし、常套句を排し、徹底的に自分の言葉で歌おうと試みた。また、ぼく自身は熱中しなかったけれど、多くの同世代にとって尾崎豊もそうだったかもしれない。
 
 ただ、彼らは歌で使われる語彙を増やしたけれど、「歌われる内容」については、相変わらず不自由きわまりなかった。ブルハも尾崎も、「社会」「学校」「既存の価値観」といった制度を批判、相対化してみせる。そして、聴き手に対して、「自分らしくあれ」、「そのままの君でいいんだ」と語りかけるのが常套手段。しかし、この "be yourself"系のモチーフは、なんとも素朴で、時として欺瞞に満ちていることか。
 
 「自分らしくあれ」などと言われても、多くの若者にとって「自分らしさ」が何なのか分からない。「そのままでいい」という現状追認には、一瞬、安堵を覚えるかもしれないが、実は「そのまま」の状態が不安だったのだと、歌がもたらす陶酔が終わると気付かざるを得ない。彼らの歌は、表向きのメッセージ性とは別に、むしろ、現実から目を背けたい時に役に立つ、退行的なところがあった。近代的な制度は批判できても、近代的な個のあり方を疑ったりしない。やはり違和感を覚えつつも、相変わらず、和製ロックやポップスに耳を傾けた80年代だった。
 
 純粋に「歌の言葉」を楽しむことができるようになったのは、比較的、最近のことだ。ぼくがリアルタイムで聴いていた範囲内では、まず、Mr. Childrenが、あけすけな言葉で、「個」の問題を歌うことに成功した。彼らは、「自分らしさ」を見つける処方箋を提供しようとはしないし、「隠蔽」にも荷担しない。そして、My Little Loverが、"now and then" という曲の中で、「自分らしく生きることさえ、何の意味もない朝焼け」と歌った時、近代的な個の問題が、はじめて流行歌の言葉の中で相対化されたと感じた。
 
 以来、ぼくはJ-POPジャンキーである。「歌の言葉」は、以前に比べて本当に自由になった。新しい人たちが歌う、思いもよらないような言葉が楽しくて仕方ない。
 
 たとえば、Dragon Ashが、「父への尊敬、母への敬意、あやまちを繰り返さないための努力」と歌った時、ただ「大人」や「制度」に対して頑なになるしかなかったかつてのロック系の歌詞は無効化した。また、宇多田ヒカルの歌う言葉は、日本で流通する曲の中で英語が歌われる必然性をはじめて感じさせるものだとぼくには感じられた。歌えるところまでぎりぎり日本語で歌って、それでは歌いきれない思いを、英語に乗せる時、「一曲の中に複数の国の言葉がまざる」という、世界的にも希で、ある意味、不自然な形式が、逆に歌の言葉の新たな可能性として聞こえてきた。椎名林檎、aikoのような、いつの時代にいた「ちょっと壊れた女性シンガー」の言葉も、以前よりずっと研ぎ澄まされたものになっているように思う。日本人によって、日本人のために歌われるロック、ポップスがようやく、ぼくたちのリアリティに届いた。そういう気がしてならない。
 
 あとは、曲のタイトルやグループの名前が、横文字だらけっていうのを、どうにかしてほしいな、などと思いつつ、きょうもJ-POPを聴いている。このエッセイのBGMは「勝訴ストリップ」。

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追記@2008
今のBGMは、こちら。
HEART STATIONHEART STATION
価格:¥ 3,059(税込)
発売日:2008-03-19

宇多田ヒカルも、ずいぶん「オトナ」になったようなあ、と感じるのです。
まあ、それは悪くない。

 

ちょっとした風景

2008-05-26 20:42:58 | 日々のわざ
R0017540R0017542


R0017543これも近所。朝走るのは、半径3キロ、つまり、往復6キロ圏内で、そのなかにこんな情景。
21世紀に紛れ込んだ、昭和ってかんじでしょう。
ちなみに、工事中なのは、学生時代、友人の父親が経営していた営業所の跡地。
そのことをずっと忘れていて、取り壊される途中に思い出したり。

今季初!

2008-05-26 08:10:09 | 日々のわざ
また、この季節がやってきました。
ことし初のコウガイビル。
それもいきなり1メートル近いキングサイズのオオミスジ。
生々しさ軽減のために、白黒で撮影してみましたが……みたくない人はみないように(警告)。
R0017569R0017573いかがでしょうか。結構でっかいでしょ。
1メートルというのはオーバーで80センチくらいかな。
犬の散歩のみなさんがこの脇をするする通っていくんですが、気がつく人はいません。枝とか紐が落ちているようにしか見えない。
ほんと、目ができてしまうと、つい見えてしまうんですけどね。
これからしばらくはあちこちで頻繁に会うでしょう。
触ると、接着剤? と思うほどねちゃねちゃします(息子談)。

でもなあ、オオミスジばかりではなく、クロちゃんとかに出会いたいです。

孤独なボウリングと、アメリカのPTA事情少し

2008-05-25 18:39:39 | ひとが書いたもの
孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生
価格:¥ 7,140(税込)
発売日:2006-04
前から気になっていてやっと読めた。さすがにこれだけ大部になると、斜め読みのところも多いのだけれど、自分がやっていることについての背景情報として、押さえとかなきゃという部分はある。実はPTAについても、かなり言及がある本。


アメリカの社会でここ数十年、一貫して「市民参加」が減っているという。社会関係資本という、日本語としていまひとつピンとしない言葉で語られるのだけれど、この言葉をはじめて見る人は検索してみてください。結構ヒットします。ポイントは、我々の生活を支えるハードとしてのインフラ(電気、水道、ガスといったたぐい)ではなくて、人間関係、ゆるいつながりの集団、互助的な社会的なつながりを維持できる基盤をさす。ハードではなく、むしろソフト面。

英語でjoinerという言葉があるのだけれど、「参加したがり」である。このジョイナーが減っているということ。
ジョイナーは、職場でなにかインフォーマルな集まりがあると顔を出したがるし、地域でもそう。いろいろなところに顔を出して、「つながる」「参加する」ことを好む。PTAなんぞも、アメリカではそういうものとして捉えられている(日本の場合は「強制」の色があるから、どうかなあ)。

で、その原因として、非常に注意深く議論をしていて、たぶん背後には疫学っぽい発想もあって、因果パイのごときものを呈示する。
米国で社会関係資本が脆弱になってきた背景には、いろいろな要素があるけれど、そのうち、「時間、金銭面でプレッシャー」はそんなに効いておらず、居住環境(郊外化、スプロール現象)も、ちょぼちょぼ影響。
電子的な娯楽、特にテレビが娯楽を私事化したということはわりと重要で、しかし、それよりも最も重要なのは「世代変化」だそうだ。

実、米国の社会関係資本がもっと充実したのは、二度の大戦とその後の時代だそうな。
外敵があり、市民としての意識を養った世代が、今どんどん失われている、と。
とはいえ、社会関係資本のために、戦争しろ、とはいえないよね。

こういう話を聞いていると、日本でも同じ?
と思わなくはない。最近の若者が「公」に対する意識が低いと言われても(この場合、ぼくも「若者」の側)、そのような世代ではない。

そして、著者が言うように、時代はめぐり、社会関係資本資本が充実したり、それできつくなりすぎて、ほどけいったりする時期が交互にやってきて、今はまた、編み直す時期、というのも、同じなのかなあ、と。

PTAについての情報が、ところどころにあるので、まとめておく。
○20世紀の中盤、PTAはもっとも広まったコミュニティ組織だった。1960年代の初頭の調査で、非宗教的な組織の中で最大の会員数をほっこいてた。1960年前後には、子を持つ家庭の半分ほどが全国PTAに参加していた(アメリカのPTAはまず全国組織がある)。ところが、それをピークに激減し、1980年には二割くらいに落ち込んだ。
○組織率の低下は、全国組織に属さないPTO(Oは、オーガニゼーション)が各地に出来たことも多少は影響あるが、とういてこの落ち込みを説明できない。また、PTOの組織も脆弱化している。
○PTAのような教師と保護者が一緒に議論する組織が組織がある地域では、教育効果についてあきらかにメリットがある証拠がいくつもあがっている。

と書きかけて、まあ、こんなところかなあ、とやめておく。
PTAについて書かれた本ではないので、断片的な記述を拾って行ってもなんか散漫だ。

とにかく、強く興味をひかれたのは、アメリカのPTAの加入が二割程度で(90年代だけど)、むしろ、日本のPTAの方がはるかに加入が高いこと。
よく、子どもをアメリカの学校にかよわせた駐在員の話などを聞くと、PTA活動のことが出てくるけれど、それはむしろ全国組織としてのPTAではなくて、その学校固有の保護者組織であったり、学校支援組織であったり、PTOであったりすることの方が多いのだろう。

実際「PTAなんてなかったよ」なんて話はあまり聞かないので、PTAがなくても、保護者組織はあるところがほとんどなのだろうなあ、と想像しつつ、日本でよく誤解される「PTAがない=保護者組織がない」という「PTA=保護者組織の唯一無二のありよう」という幻想は、破ってほしいなあ。
って、もちろん、そういう主題の本ではないわけですが。

さらに逸脱するけれど、アメリカではPTA小説 やらコミック、少し書かれているみたいだ。「PTAランチ会殺人事件」とかおだやかじゃないなあ。ハーレクイン・ネクストってどんなレーベルなんでしょう。
Murder at the Pta LuncheonMurder at the Pta Luncheon
価格:¥ 840(税込)
発売日:1990-06
Secret Confessions of the Applewood PTASecret Confessions of the Applewood PTA
価格:¥ 2,523(税込)
発売日:2006-08
True Confessions of the Stratford Park Pta (Harlequin Next)True Confessions of the Stratford Park Pta (Harlequin Next)
価格:¥ 662(税込)
発売日:2006-10




個人史的な小文その4(2000年の「読書人」から)「フィクション? ノンフィクション?」

2008-05-25 14:34:18 | 雑誌原稿などを公開
2000年シリーズ。
読書人という読書新聞に書いた文章。えらそうに、自分の文章遍歴をつづっています。
4日連続で掲載の最終回。


 フィクション? ノンフィクション?

 今、仕事の軸足をノンフィクションから小説へとシフトさせつつある。
 
 より正確にいえば、ノンフィクションの取材をいま行っていないということ。すでに書き上がっている原稿もあるから、あとしばらくノンフィクションを出版することになるが、それらはぼくの中ではもう「済んだこと」だ。いずれ「第二期ノンフィクション時代」がやってくる気もしているが、それがいつかはその時にならないと分からない。
 
 こういったことは、もともと小説書きを目指していたぼくにとって、ごく自然なことだ。小説を世に問う前にノンフィクションをまとめて出版できる機会を得たことの方が、「予定外」の出来事だった。
 
 最初の本である「クジラを捕って、考えた」を書いた時それがノンフィクションというジャンルに分類されるということすら自覚していなかった。その後、たて続けに何冊か、興味のあることを調べ、現場にでかけ、感じ、考えるというプロセスを本にした。それらもすべて、ノンフィクションとして読まれた。
 
 しかし、それが常に居心地が悪かった。
 そもそも、ノンフィクションというのは何だろう。非フィクションという屈折した表現。「虚構ではない」と二重否定するくらいなら、「事実」だとか「本当の話」と名乗ればいいものを、わざわざ「非虚構」と言い張る。そんな不合理な言葉が、ひとつのジャンルの名前として定着しているのはどんな理由なのか、ぼくにはさっぱりわからない。
 
 そして、自分が書いたものが、「非虚構」かと問われると、実はとても困る。はっきり言って虚構だとぼくは思っていたから。もちろん、事実レヴェルでの嘘はない(ように努力している)。しかし、確定できない事実の解釈、事実を積み重ねて物語を紡ぎはじめた時に、書かれたものは、やはりフィクションへの漸近線をたどる。それに自覚的であればあるほど「非虚構」などと言い張れなくなるのだ。
 
 だから、一冊まるまる、ひとつのテーマで統合された大河ドラマのごときノンフィクションはぼくには書けない。その努力を、はなから放棄してしまっている。
 
 それでも、最初の本では、航海記の形をとることで分裂しがちな物語をかろうじて維持した。しかし、「イルカとぼくらの微妙な関係」「動物園にできること」「緑のマンハッタン」では、自分の取材したこと、体験したことを、総合し、一つながりの物語にすることをまったく考えなくなってしまった。
 
 そのかわりに、原稿用紙でせいぜい30枚から50枚程度で完結するような、小さな物語を本の中に詰め込む。グランドセオリーを紡ぎあげる虚構性よりも、小さな物語に終始することで、あまり、全体の流れに左右されず、自分が見て、感じ、考えたことを、ダイレクトに述べることができる。
 
 つまり、嘘が少ない。しかし、その嘘の少なさは、非虚構の物語を維持するために、ぎりぎりの努力を続けるノンフィクションの「正しい」在り方に逆行するものかもしれない。つまり、「非虚構なんてありえない」と最初から諦めてしまっているという意味で。
 
 本当に、自分が書いたものが、ノンフィクションを名乗ってよいものかどうかさっぱりわからなくなる。
 
 こういったことを、知人に話したら、「いっそのこと、『脱・フィクション』と名乗ればよいのではないか」と言われたことがある。これは明らかにうがちすぎた。ぼくの書くものは、フィクションを脱していない。
 
 しかし、この指摘で、自分なりに腑に落ちる説明を思いついた。
 
 つまり、未フィクションであり、前フィクションなのである。
 
 ぼくがこれまで書いてきたノンフィクションは、大きな物語に成長する前の前駆体のようなものを、書き散らしたものなではないか。だから、首尾一貫していないし、本来だったら統合の過程で失われるような夾雑物もたくさん残っている。
 
 別に、否定的な意味で言っているわけではない。「自分にはこれしか出来ない」というアプローチだ。事実と虚構との間で、一番、やりやすい場所を、身体感覚に従ってみつけた場所がたまたまここだっただけだ。それに、この未成熟な方法で書かれたものが、ちゃんと人に届くこともあったと信じているし。ただ、あまり発展性がある手法であるとも思えない。この先にあるものが、目下のところ想像できない。
 
 今、小説を書くことに熱中しているけれど、いつかまた、ノンフィクションとして世に問うべきテーマに出会うことはきっとある。そんな時、自分がどんな方法をとるのか。その時には、また、素朴な身体感覚に立ち戻ってやり直すしかないと思っている。
 
************

追記@2008
この時に念頭においていた自分のノンフィクションというのは、こんなあたり。
緑のマンハッタン―「環境」をめぐるニューヨーク生活(ライフ)緑のマンハッタン―「環境」をめぐるニューヨーク生活(ライフ)
価格:¥ 1,800(税込)
発売日:2000-03
イルカとぼくらの微妙な関係イルカとぼくらの微妙な関係
価格:¥ 1,680(税込)
発売日:1997-08
動物園にできること (文春文庫)動物園にできること (文春文庫)
価格:¥ 690(税込)
発売日:2006-03-10

今、ひとめぐりして、たとえばPTAについて、ノンフィクション的なものを書かねばならないなあと思っていたり、かつてと同じ位置ではないけれど、螺旋を描きながら前に進んでいるきょうこのごろ、ですね。

個人史的な小文その3(2000年の「読書人」から)「夏のロケット」が出るまで

2008-05-24 21:52:47 | 雑誌原稿などを公開
2000年に読書人という読書新聞に書いた文章。えらそうに、自分の文章遍歴をつづっています。
4日連続で掲載予定の2回目。今回は、えらそう、というか、情けないというか、いわゆる苦労話ですね。
言及されるのは、こちら。
夏のロケット (文春文庫)夏のロケット (文春文庫)
価格:¥ 670(税込)
発売日:2002-05



「夏のロケット」が出るまで

 社会人2年生の時、「夏のロケット」という小説を書いた。納得のいく出来映えだったので、「これでデビューしよう」と決めた。そして、それは実現した。ただし8年も後になって。そこまでの道を、思い出すと、これが結構、笑いあり、涙ありの物語だ。
 
 作品の簡単に内容を言うと、ロケット造りに夢をかける不良青年というか中年なりかけたちの物語である。いつか自分たちのロケットで火星に行きたいと願っている、クレイジーな連中のホラ話。作者は青春小説とした書いた。
 
 この作品には、ひとつ重大な欠陥があった。つまり、原稿用紙800枚と、新人賞に出すには長すぎるのだ。また、ジャンル不詳で、ぴったりの新人賞もない。そこで採用した営業方針とは、こんなふうだった。
 
 片っ端から出版社に電話する。「小説を書いたのですが、読んでいただけませんか。できましたらお会いしてお渡ししたいのですが」。ポイントは、手当たり次第に電話することと、できれば手渡すこと。そして、応対にいちいと落ち込まないこと。
 
 編集者は多忙だ。飛び込みの原稿なんて読んでいる暇はほとんどない。だから、その時の編集者の忙しさ、機嫌、会ったときの印象、などによって様々な対応があり得る。出版業界になんらコネはなかったので、ここは厚顔無恥になって、アポ取りの絨毯爆撃をするしかなかった。
 
 結局30社以上に電話をして、10人ほどの編集者に会い、その半分からは、「面接」の段階では、好感触を得た。
 
 1週間後、大手S社のMさんから電話。興奮して、「絶対に本にする」と言う。翌月から、ぼくは取材で船に乗り、半年ほど日本を離れることになっていた。従って、小説の手直しはできないのだが、彼女はものともしない。「航海記もうちから、是非」と言われて、天に昇る気分だった。
 
 さて、半年後、日本に帰ってくると、雲行きが怪しい。Mさんいわく、「最近、本づくりに疲れて、やる気がなくて……」。少々、ノイローゼ気味なのだという。「それにこの作品長すぎるわ。半分くらいのを別に書いてみない」
 
 悔しいので、400枚の作品を書いて送りつけたが、なしのつぶて。たぶん読んでもらえなかったのだろう。
 
 とにかくこれにて「夏ロケ」出版計画は振り出しに戻った。初心に帰って、出版社への絨毯爆撃を開始する。「おもしろい」と言ってくれる編集者には何人も出会った。しかし、長さがネックになって「うちで出しましょう」ということにはならない。
 
 次に「是非うちで」と言ってくれたのは、O社のFさん。この会社は、アグレッシヴな編集方針で知られ、小説も多くはないが出している。アグレッシヴに売ってもらえるなら願ってもない。
 
 そこから、およそ1年にわたって、大いなる改稿作業が始まる。途中、へこたれそうにもなったが、ようやく「次回の改稿で入稿しましょう」ということになった。ところが、そのFさんが、突如、リストラされてしまうのだ。企画はそのまま残り、Fさんの上司にあたる人物としばらく作業を続けたが、結局は、方針があわず断念。
 
 そこでFさんが移籍したJ社に行く。また、改稿をして、さあ、入稿という段になって、妙なところから横やりが入った。消費税が5パーセントに上がる。その時、料金表示をどうするか。大手の出版社が価格の表示方法を決めてから追従するという。カバー掛け替えの費用もバカにならないから、しばらく出版点数を絞る……と待っている内に、さらに困ったことになった。マニュアル本などを多く出しているJ社は、一般書の収益が悪いため、当面、一般書を出さないと決定したのである。これで再々度、「夏ロケ」は宙に浮いた。
 
 最終的に版元になった文藝春秋の編集者と出会い、光が射した。すでにノンフィクションは書き始めていたので、その関係で訪ねた雑誌編集者だった。事情を話すと読んでくれて、サントリーミステリー大賞への応募を薦めた。「審査にゆだねて賞がもらえれば、出版できるように掛け合う」と。なんとか枚数を切りつめ規定枚数におさめ、応募した。
 
 ミステリーではない。それでもなんとか最終に残った。98年1月、選考会の結果を、留学先のニューヨークで聞いた。「ミステリーではない」と批判されたが、「優秀作品賞」をもらうことができた。その年の10月、本になった。
 
 結局、新人賞を通ることで世に出たわけで、最初からそうしていれば、という気持ちはある。それでも、何人かの編集者との真剣なやりとりが、この本の最終形と、今の自分を作ったともいえる。
 
 まわり道をしたことが、良かったのか悪かったのかなんて、結局分からない。ただ、こうやって送り出した作品は、8年間いぢくりまわした分の、断層や傷跡が今もほのみえて、本人にとってはとても愛しい。
 
 
 *************
 追記@2008年
 短いのを書いてと言われていそいで書いたのは、ステラー海牛をさがしにいくUMAものでした。
 また、この時期、ずっと夏ロケばかり改稿していたわけではなく、時々、中断しては何か書いてましたね。
 たとえば、これ。
 
せちやん 星を聴く人 (講談社文庫)せちやん 星を聴く人 (講談社文庫)
価格:¥ 540(税込)
発売日:2006-10-14
この作品の原形も、夏ロケが世に出る前にはもうできていたのでした。

あと……さらに言うと、大手S社のMさんは、「夏のロケット」が出た時、心からうれしそうに「よかったじゃないー、おめでとー」と喜んでくれました。いい人です。



久々、奥多摩

2008-05-24 20:26:59 | 川のこと、水のこと、生き物のこと
Rimg0081今年はじめて奥多摩へ。白丸湖で、練習、練習!
駅の近くに、カヌースクールのデポみたいなスペースが出来ていて、格段に便利になった。

そうそう、去年よく教えてもらった竹下さんの娘さんが、北京オリンピックのスラロームに出るという話でひとしきり盛り上がる。
テレビで中継やってくれないかなあ。
ちなみに、北京のスラロームは、なにやら人工コースなのだそうで、最近、そういうのが多いのだとか。
オープンウォーター(?)でやってなんぼ、と素人ながら感じたりもするのですが、どうなんでしょう。




文庫版「銀河のワールドカップ」をあらためて紹介します。

2008-05-23 19:04:30 | 自分の書いたもの
Gkigabunko
銀河のワールドカップ (集英社文庫 か 49-1)
価格:¥ 780(税込)
発売日:2008-05-20

2年前、ワールドカップイヤーに出した「銀河のワールドカップ」が文庫になりました。
ちょっと早いですが、まあ、五輪サッカーもあるので……というタイミング。だから、なんだと言われると、困るのですが……(笑)。
今、大手の書店では平台において頂けているようです。
解説にはテレビ朝日の前田有紀さんに、熱い熱いメッセージ込みでいただきました。多謝。
内容は……少年サッカー小説です。
帯に「こんなサッカー見たことない!」と編集者さんは書いてくれているのですが、まさにそういうものを描きたかったのです。
もしもサッカー以外の競技なら、SFにでもしないかぎた不可能なこと、ぎりぎりのリアリティで実現させてます。

こういう「試し読み」のコーナーもありますので、ご参考までに。

さらに……もうリンクが切れているところもあるかもしれないけれど……単行本版が出て一ヵ月内くらいにレビューをしてくださったブロガーさんたちのエントリのリンクをコメント欄に張っておきます。
といいつつ、軽くブログ検索したら、それ以降のものもちょこちょこあったのでさらにくっつけます。
ネタばれなレビューもありますけど、ネタばれしてもぼくは気にしません(気にする方はみないでね、ということで)。



個人史的な小文その2(2000年の「読書人」から)「映像と文章」

2008-05-23 12:43:33 | 雑誌原稿などを公開
2000年に書いたもの発掘シリーズ。
読書人という読書新聞に書いた文章。えらそうに、自分の文章遍歴をつづっています。
4日連続で掲載予定の2回目。
言及されるのは、こちら。
クジラを捕って、考えた (徳間文庫)
価格:¥ 620(税込)
発売日:2004-10


この作品が成立した頃に、考え、悩んでいたことなど。


 映像と文章──映像は迷いを表現しづらいことなど。
 
 物書きとして独立するまで8年間テレビ局につとめた。
 入社して3年くらいで、一通りのことはできるようになって「変化」がほしくなった。そんな時に思いついたのが、船に乗る取材だった。
 
 翌年には国際捕鯨委員会の年次総会が、京都で開かれる予定だった。そこで、調査捕鯨の船に乗せてもらって報道番組をつくるのはどうか。新聞などで検索しても、捕鯨問題については、反対派と再開派がお互いに非難合戦を繰り返すだけで、メディアは独自の視点を持てずにきた。現時点で、捕鯨問題を新たに問い直すことは大いに意味がある、というような企画書をしたためた。
 
 この企画がなぜか、通った。同僚も驚いたし、本人も驚いた。とにかく、およそ半年間、通常の業務を離れて、捕鯨船に乗ることが認められたのである。92年の秋のことだった。
 
 母船の名前は日新丸という。これに3隻のつまり、キャッチャーボートがついて、船団を形成する。「調査」とはいっても、300頭前後のミンククジラを捕鯨砲で捕獲し、解体する。
 
 生物学的なデータを取るのは当然だが、肉も持ち帰って売る。「擬装商業捕鯨」と環境団体に非難される所以だ。それに対して水産庁側は、調査捕鯨の「科学性」を強調する。商業捕鯨を再開する時、より安全に(つまりクジラを減らさずに)、捕獲していくために必要なデータだと。捕ることを最初から前提している側と、捕ること自体がいけないと考える側との、噛み合うはずもない議論だった。
 
 ただ、船の上では事態が違った。現場で今も捕鯨に従事する人々たちは、硬直した水産庁の公式見解に反して、様々な思いの間で、揺れていた。
 
 まず、捕鯨員たち。キャッチャーボートでクジラを捕獲する生え抜きの彼らは、多くが伝統的にクジラを捕ってきた地域の出身だ。捕鯨を担ってきた誇りと共に、自分たちが社会的マイノリティに押しやられたここ四半世紀の歴史に鬱屈した思いを抱いている。
 
 一方、母船でクジラの解体処理や、肉の仕訳を行う作業員たちは、むしろ諦めムードだ。彼らはキャッチャーの連中とは違って、貧しさゆえに捕鯨船に乗った者が多い。高い給料に惹かれ、家族に楽をさせたかった、と。今はただ、自分が船を下りるまでの間、仕事があればよいと、本音を言う者もいる。
 
 老齢化する乗組員に、新風を吹き込んでいたのが、10名ほど乗船していた新卒の船員たちだった。「捕鯨の伝統を絶やすな」と若い情熱で語る彼らは、時代の流れにあえて逆行することを選んだ、強い意志の持ち主たちだった。捕鯨の伝統を持つ共同体の出身者はおらず、むしろ、都市に育った者が多かった。
 
 さらに「調査員」と呼ばれる「人種」がいる。日本鯨類研究所に所属する彼らは、ほとんどがまだ20代。生き物としてのクジラに興味を持って選んだ道だ。しかし、実際に行っている研究は、捕鯨再開のために役立つデータづくりである。「データをきちんと出すのが大切。データを見て、捕鯨ができるだけの条件が揃っているのか考えるのはまた別の判断」と割り切ってはいても、血気盛んな新人捕鯨者たちに「あんたたちは、敵なのか、味方なのか」と問われれば、たじたじになる。
 
 こういった多様の思いを包み込む閉じた共同体が船の上にあった。そこに投げ込まれた取材者の存在も事態を複雑にするから、正直、精神的に大変な半年間だった。
 
 半年間の思い入れをもって、ぼくは番組を作った。編集作業を進めるうち、指と指の隙間から砂がこぼれ落ちるような感覚を味わった。彼らが抱えている迷いを、葛藤を、振幅をできるだけすくいあげようとするのに、それらは一つの物語の上には乗らない。
 
 この時、強く思ったのは、「映像は迷いを表現できない」ということ。もちろん優れた映像作家は、それを可能にする。しかし、一般論として、映像は映った瞬間に「真実」となってしまい、その背後にあるはずの、もっと曖昧で、迷いに満ちた位相を表現することが困難だ。特にニュースの映像はそうだ。
 
 ぼくはそれを克服するだけの能力を持っていなかった。出来上がった作品を同僚が評した言葉、「結局、何が言いたかったの?」という言葉が全てをあらわしていた。
 
 航海記という形で、はじめてノンフィクションを書いた。映像では表現し得なかった、「迷い」を表現するために。それを買ってくれる編集者と出会い、はじめての本になった。本を書くことが、自分の中の一番大切な仕事になった。
 
 今も思う。はたして自分の文章は、文章でしか表現できない「迷い」を表現しえているだろうか。ノンフィクションを書き続けることになったそもそものモチベーションは、今も強い問題意識として残っている。

***********

追記@2008
この文章を書いた時点ですでに「懐かしい」話なのだけれど、今にしてみるとさらに懐かしい!
船に乗ったのは、1992-93のシーズンなので、16年前!
まいったな……というところです。

婦人公論のPTA連載、最後の二回! とにかくこれでおしまい!

2008-05-23 06:35:06 | 保育園、小学校、育児やら教育やら
22.「地域って何?」問題に いまのところの結論
23.「新人役員、1年目の総括!(最終回)

一年間婦人公論にて連載したPTAについてのエッセイの最後の二回です。
あえて言いますけど……ほめてください。
よくがんばりました。
とにかく最後まで行っただけでも花丸です。
うー、ぢがれだー。
ここから本にする作業がまた前途多難ですが、とにかく一段落!

PDF化の面倒をみてくださった、しのぶんありがとう!
さらに、ブログ化してくださった、Pさんありがとう!

心残りといえば、
結局、当初考えていた中で、PTA連合について考える回が持てなかったこと。
これは、世小Pの役員さんたちに話を聞きに行く取材が結局実現しなかったのが大きいです。何度も予定を出してもらったのだけれど、かみ合う瞬間がなく……。
ほんとP連役員さん、特に会長は超多忙なのですよ。
ぼくは去年、月間50時間「拘束時間」があった月があってひーひー言っていたけど、最近あった別の区のP連会長経験者(3年くらい前の経験)によると、月間70時間以上は外で「仕事」していたと言ってました。
別に世小Pにかぎらず「P連」のことは、本にする時には書かねばなりませんね。

それはそれとして、最近、PTAがメディアに取り上げられることが多く、日本テレビにニュースZEROでこんなのが……。

NEWS ZERO|特集「「PTA」不人気 仕事多すぎ押し付け合い」

世間から見ると、こういう水準のことが「話題」なわけですね。
とはいえ、よくがんばったと思います。この特集。
運営委員会を見せてくれるPTAなんてなかなかないですよ。「大変っていうけど、どれだけ?」というのは、なかなか分からないし。
でもね、一番の感想は……、
出演しているPTA会長さん、この忙しい総会前の時期に月間20時間ちょっとなら……楽だよなあ……。
でした。



破格なる者よ、いでよ!

2008-05-22 16:03:02 | サッカーとか、スポーツ一般
Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2008年 6/5号 [雑誌]Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2008年 6/5号 [雑誌]
価格:¥ 550(税込)
発売日:2008-05-22
今書店に並んだ、ナンバーに表題のごときエッセイを寄せています。特集に連動した特別寄稿みたいなカタチです。
中田ヒデの久々のインタビューがあったり、読み応えありますよ。なかなか異色のサッカー特集号です。
ちなみに、中田英寿のインタビューは読み応えあり。
現役の時よりずっと「いい顔」に見える理由も、透けてみえてきたり。
ボールは友だち、だよね。
「よい旅」を、彼がしているようだと感じられて、なぜかほっとしたり。
ま、おせっかいですね。

個人史的な小文その1(2000年の「読書人」から)「言葉の力を信じるに至るまで」

2008-05-22 14:58:09 | 雑誌原稿などを公開
2000年、読書人という読書新聞に書いた文章。えらそうに、自分の文章遍歴をつつづっています。
4日連続で掲載予定です。
第一回目で言及されるのは、こちら。

苦海浄土―わが水俣病 (講談社文庫)苦海浄土―わが水俣病 (講談社文庫)
価格:¥ 700(税込)
発売日:2004-07

 言葉の力を信じるに至るまで

 文章を書くのは嫌いだった。また、言葉が持つ力を信じてもいなかった。いったいいつ、何が変わって、書くことを生業にすることになったのか。
 
 もちろん、「その瞬間」というものが存在しているわけではないだろう。ただ、とりあえずのところ、もっともらしく感じられる出来事がひとつある。
 
 高校2年生の1学期、国語の時間。花粉症で鼻水が止まらず、おまけにハンカチを持っていなかったため、ワイシャツの袖を鼻にあてて栓をするような姿勢で、机の上に覆い被さっていた。
 
 もう四半世紀も同じことを教え続けて、喜怒哀楽も漂白されてしまったような教師の平坦な声がただ流れていた。退屈だった。あまりにも退屈なので、机の上の国語の教科書をぱらぱらめくっていた。
 
 最後の方のページを読み始めて、鼻水に涙が加わった。まわりの連中が気付いて、奇異の目で見るのも気にせず、何度も読み返して、そのたびに泣きじゃくった。顔はくしゃくしゃ、ばりばりである。まいった。生まれてはじめての強烈な体験だった。
 
 石牟礼道子さんの「苦界浄土」からの抜粋だ。「ゆき女聞き書き」という、それこそ水俣病患者の聞き書きだけで成立している一章である。
 
 言葉に力があった。「教科書、あなどるべからず」である。不意打ちをくらったぼくは、感情を揺さぶられ、これまで知らなかった世界に、強制的に連れて行かれたのである。
 
 水俣病についてのいきさつを知っていたわけではなかった。水俣という町のこともほとんど知らなかった。それなのに、その時、水俣の町並みや、そこで暮らす人々や、さらに、水俣病の被害者たちの姿が、心の中でしっかりと形をとった。一冊まるまる読んだ訳でもなく、ただ、その一部を読んだだけなのに。
 
 今、文庫版で同じはずの文章を読み返しても、どの部分でどう感じたのかを思い出すことは出来ない。なぜ、あの時、あれだけ強く感情を揺さぶられたのかも分からない。ただ、その時は、痛いほど心に突き刺さった。目の前の現実より、ずっとリアルだったと、たしかに言えた。
 
 ものを書きたいと思い始めたのは、たぶんそれからだ。かなり漠然とした気持ちではあるけれど。
 
 なにせ高校生なので、とりあえず、夏休みに「国語の教科書」の感想文を書いてみた。もちろん「宿題」の感想文である。書くに当たって、文庫の「苦界浄土」も読んではみたが、この本の感想ではなく、授業中という無味無臭な日常のさなか、教科書という超絶的退屈メディアの中から、突如、立ち現れた圧倒的リアリティについて、書きたかった。教室の日常に、ぽっかりと開いた異空間のことを。
 
 「話題作」として国語教師の間で回し読みされたらしい。ある国語教師には、「感想文ではない」と批評された。それでも、「そもそも感想文とはなんぞや」と切り返すことができた。ぼくとしては、はじめて、書きたいという意欲と、こう書こうという戦略を持って構築した文章だった。自信はあった。書かれた言葉が時として持つ力を、その時ぼくは、素朴に信じていた。
 
 そんな一種の興奮状態が続いたのは、せいぜい半年の間。やがてその熱意は薄れ、ふたたび文章を書くことが苦痛になった。
 
 しかし、ちょっとした事件がおきる。何もかも悟りきったような、穏やかな諦観を表情に浮かべつつ国語教育に携わるベテラン教師が、それも学年が終わる頃になって、ぼくのところにやってきた。声だけは相変わらず漂白されたようなトーンで、「おもしろかった」と、半年も前に読んだ文章について伝えに来てくれたのだった。
 
「センセにおもしろいって言われたってねえ」なんて表情をつくりながら、実のところうれしかった。「自分が書いたものが誰かの心に届く」と確信できる瞬間が、脳の快感回路をいたく刺激するものだということを、ここで発見してしまう。

 もっとも、プロの書き手になろうと本気で思うのはずっと後のことだし、実際にそれを生業にできる目処がついたのは、もっと最近だ。それでもこの時の体験が、ぼくの中で、「ポジティブ・フィードバックの最初の一蹴り」になったのではないかと思っている。
 
 小説もノンフィクションも書き、挿し絵のために動物写真まで撮る、無節操な書き手として、書くことに関して、自分の中で一貫したものを見いだすとしたら、「日常の中の中で突如あらわれる現実の亀裂を描きたい」というモチベーションであり、また、それを表現する手段として書き言葉への信任だ。とすると、あの花粉症の高校生を襲った出来事は、彼の関わるテーマと、表現の手段が、同時に開示された瞬間だったのかもしれない。
 
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追記@2008年
水俣病にはそれからも関心があって、こんな本をお勧めできます。
下下戦記 (文春文庫)下下戦記 (文春文庫)
価格:¥ 541(税込)
発売日:1991-09
「苦海浄土」とセットで読むべき、リアリティ指向の水俣ルポ。身もふたもないぶぶんまで。

著者の吉田さんとは、対談したことがあって、それはこちらに収録。
聖賎記―吉田司対談集聖賎記―吉田司対談集
価格:¥ 3,360(税込)
発売日:2003-04
もっとも、話し合っているのは、水俣病ではなくて、ヴァーチャルリアリティのこととかなんですが。

さらに、津田敏秀さんのこれ。何度も紹介していますが。
医学者は公害事件で何をしてきたのか医学者は公害事件で何をしてきたのか
価格:¥ 2,730(税込)
発売日:2004-07

水俣病の50年―今それぞれに思うこと水俣病の50年―今それぞれに思うこと
価格:¥ 3,360(税込)
発売日:2006-12