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レッサーパンダを『見せ物』にしないでね.
千葉の風太君から始まった、レッサーパンダの立ち姿ブームについて、今をときめく旭山動物園からの緊急メッセージ。
主旨は、「レッサーパンダを『見せ物』にするな」。
読んでみて、かなり強い違和感を抱く。
たぶん、ここで問題にされていることは、多くの心ある動物園人が感じていることでもあろうし、ぼくもレッサーパンダが立ったくらいでなんでああなるのという感覚が強いので、動物園としてわざわざ「緊急」メッセージを出したことには、拍手。こういうブームって、無自覚・無批判に拡大するとろくなことがない。
その上で、思うのだ。
動物園って、動物を見せる、とこじゃなかったっけ?
「見せ物」にするなというけれど、「立つレッサーパンダを見せ物にする」ことと、たとえば旭山なアザラシ展示でチューブの中のアザラシを見せるのって、どこが違うのだろう。
両方とも見せ物じゃないの?
だって、「見せ」なきゃ、動物園じゃないもの。
つまりは、この文章の書き手が、「見せ物」と括弧で囲んだ、その括弧の部分がなになのかという問題。
以下引用
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野生のレッサーパンダが普遍的に何十秒も直立する,あるいは立って歩く習性があって,これまで飼育下ではその行動を引き出してあげられていなかったのであれば「凄い!」ことです。しかし,よく考えてみて下さい。そうではないですよね。あの取り上げかたは「芸」です。「見せ物」です。というかレッサーパンダは解剖学的にも2本足で立つことは当たり前にできます。むしろ立つことができない個体がいるとしたらその方が問題です。「芸」以下ですね。
レッサーパンダは外を覗きたい,エサをもらえるかもと立ち上がっているだけで,その行為だけを抜き取って「凄いこと」として取り上げています。「ここのレッサーパンダ立たないんだって。つまんない」これがレッサーパンダブームが招いたレッサーパンダの見方です。
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引用終わり
ポイントは二点あって、まず、あの「取り上げ方」が「芸」的であるということ。行動の背景を抜き落として、立ち姿のみを取り上げていること。
そして、ブームの帰結として、「立たないレッサーパンダはつまらない」という見方が出てくること。
ふむふむ……。
しかし、どんなものであろうか。
「芸」であるかどうかは、「芸」の定義によるのだけれど、ぼくには「芸」とは思えない。芸って、調教して、仕込んで、パフォーマンスとして見せる物でしょう? でも、これは違う。園長も言うとおり、ごくごく普通のレッサーパンダならできることを普通にやっているわけで、それを動物園の側が積極的に演出するのでなければ、芸ではないと感じる(*注、どこぞの動物園で「特訓中」という報道があったそうだけど……それが一般論というわけでもなかろう)。
むしろ、これまで「レッサーパンダが立つ」ことを知らなかった人が、あの立ち姿に強烈なインパクトを受けた(実際、風太君のたち姿ってドキッとしませんか。背筋が伸びて、きりっとしてて)こと自体かブームのきっかけであって、それ自体否定するのは、人間が生き物に対して本能的に持っている共感だとか、びっくりだとか、ポジティヴ方向の感情をも否定することになりかねない。
それに、千葉市動物園をはじめ、多くの動物園では、レッサーパンダは普通に立つってことを、入園者にも、マスコミにも伝えている。裏を取ったわけじゃないけれど、確信する。ぼくが知る動物園人たちは、そういうことに関してはきちんと伝えたがる人たちだから。むしろ、マスコミが「立つ」ことだけを抜き出して取り上げることに、忸怩たる思いを抱いている人が多いはず。
ということは、ひょっとして、このメッセージって、ねじくれた形ではあるけれど、実はマスコミに向けたものなのかもって気がしてきた。
もちろん同業者の「説明不足」を批判しているわけで、みずからは「緊急」メッセージを出して、「説明」をマスコミに試みつつ、やはり、同業者がんばれ、と叱咤しているのか、と。
あとね、「立たないレッサーパンダはつまらない」という来園者の意見。いいじゃないかな。当然、その疑問は活用する、でしょ? どんなものであれ「?」は、正しい理解への第一歩なのだから。
というわけで、この「緊急メッセージ」自体、たぶん、とてもいいこと。単に、議論の腑分けがうまくできていないだけの話だ。あるいは、戦略的にわざと「ねじれた」声明にしている可能性もある。
にもかかわらず、違和感。そこに立ち戻る。
やはり、「見せ物」というのはどうも……。
というのは、ぼくは動物園は「見せ物」だと思っているから。
旭山動物園がオフィシャルな場面で、「見せ物」にするなと言った時、実は自分たちがやっていることも「見せ物」なのかもしれないという視点が欠落している。
たとえば、アニマルライツの立場でみると、風太君ブームも、動物園のほかの展示も、同じくらい「見せ物」であり、おなじくらいダメダメなのだ。いや、アニマルライツの活動家でなくても、「風太君が見せ物なら、動物園のほかの動物だってそうでしょ」って感覚、それほど特殊ではないと思う。
それをあえて、レッサーパンダを「見せ物」にしないで、という。
見せ物か、見せ物ではないか。
なにを見せるべきなのか、どう伝えるべきなのか。
風太君を、「見せ物」と断じる時、こういったことをワンセットで論じないと、あまりに素朴で、ひとりよがりですらあると感じるのだ。
逆にこういうメッセージを発信することで、旭山動物園も自ら問いかけざるをえない場所に自分を追い込んでいるわけでもあり、また同業者たちを議論に巻き込むことにもなり……。
それを戦略的・自覚的に意図しているのだとしたら、正直、脱帽。