川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

彼らが憧れるのは宇宙飛行士ではなくイーロン・マスクだ。

2016-05-23 21:54:26 | 日記

メルマガ・個人メディアである「川端裕人の秘密基地からハッシン!」16号の紹介。

毎回宇宙関係のことをつらつら書いている宇宙通信のコーナーでは、サンディエゴ州立大学のロケットチームの話。

ぼくが訪ねると、小型ロケットエンジンLR101を使って、ジンバル機構での飛行制御をやろうとしてました。

とりあえずはLR101の形を3Dプリンタで作って、それっぽい形で実験を準備しているところ。

エンジン1本だけなので、ロールの制御は首振りだけではできないので、そこだけはガスジェットを使って。

そのガスジェットのタンクは、チームの誰かの親類が勤めている病院からもらってきたものだとか。もう手作り感がありありですね。

で、本題はそこではなくて、今の学部学生にとって、宇宙開発といったらアポロではないし、スペースシャトルですらないわけですよ。

むしろ、スペースXやブルーオリジンなんです。

アームストロングに憧れるみたいなのよりも、イローン・マスクに憧れるんです。

宇宙飛行士になりたい!とかつて思ったような連中が、ロケットや宇宙船を自分でつくって、あわよくば自分で行こう、みたいに思っているわけです。

たしかに、NASAの宇宙飛行士って、ひたすら「選ばれる」ばかりの仕事だし、なれたとしてもアサインされないと「飛べない豚は……」的な世界だし、一生に何度も飛べるわけではないし。

たぶん、「宇宙兄弟」みたいな形の宇宙飛行士像って、あの作品がちょうど最後の時期になるんでしょうね。考えてみたら、オリオンロケットで月に行っているあの物語は、すでに今の我々とは違う時間線になってしまっているんだとも。

いろいろ感慨深し。

 

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400年間、人々を欺いてきたドードーの絵!

2016-05-22 20:33:25 | 日記

(写真は、生きたドードーを見て描いた可能性が高い、わずかばかりのスケッチ。つまり「欺いてない」やつ)

メルマガ「川端裕人の秘密基地からハッシン!」16号のドードー連載は、堂々めぐりしながら、螺旋状に進んでおります。

今回は、「出島ドードー」の震源地、ロンドン自然史博物館を訪ねるシリーズ。

旧来の絶滅鳥類の展示スペースのほかに、「ダーウィンセンター」と呼ばれるセクションにもドードーの新しい展示があって、そっちは最新のドードー研究の集積地という雰囲気です。

そして、この展示を企画して実現させたのが、ジュリアン・ヒュームさんで、彼が「出島ドードー」の発見者で、実は絵かきでもあり……といろいろな縁が彼のところでぴっとつながるわけです。

絵かき、それって大事なんです。

これまでのドードーの研究って、実物も標本もほとんどない中で、絵に描かれたドードーから研究されている部分が大きかったから、そこを批判的にみることができる、サイエンティストで絵かきのジュリアンは、まさに適任だったわけですね。

そして、彼は、400年間にわたって、ドードーのイメージを形作ってきた、一番有名なドードーの絵「エドワードのドードー」が、実は実物を見て描かれたものではないと看破します。

最初の復元をしたリチャード・オーウェンの間違いを誘発し、不思議の国のアリスのドードーの造形に影響し、400年間続いた古いドードー復元は、最近やっと、あちこちで修正されつつあって、日本の動物関係の絵かきさんも、そのへんは敏感に取り入れているみたいですね。

解剖学、特に美術解剖学を学んだ人なんかにしてみると、もともとおかしな復元だったのだそうです。

しっかし、「エドワードのドードー」の作者は、ルドルフ二世の宮廷画家だった人でもあって、そりゃあ、実物見ていたんじゃないかって思いますよね! 

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8年越しの重版出来。「PTA再活用論」はもうちょっと生き残る

2016-05-21 20:41:34 | 日記

「PTA再活用論」(川端裕人・中公新書ラクレ)が2008年の出版以来、毎年入学シーズン、総会シーズン、次年度本部役員決めシーズンなどに、ちまちまと売れ続け、8年目にして初版がやっとはけました。

ごくごく僅少なのですが、重版出来。同時に、新装版になりました。それは、数年前に中公新書ラクレ自体の装丁が変わったからなんですが。

出版後、いろいろありました。

「再活用論」って、「PTAの運営をまともなものにしようよ(悲劇の温床になるのはもうたくさん!)」というのと「PTAが、健全なコミュニティとして機能すればすばらしいよね!」というのを同時に扱っていたわけです。

自分が現役で役員をしていて、インサイダーとして活動しながら書いているから、どうしても、夢見がちなところもありました。

その後、ぼくは、自称負け組になってしまい、PTAから身を引きます。

はい、こういうことに勝ちも負けない、ですよね。でもね、ぼくの中に強烈に猛烈に敗北感か残っています。たぶん勝った人はだれもいません。なのに、ぼくは負けました。

そのへんは大変トラウマティックな体験で、いまだに強い挫折感を持っています。なにかきっかけがあると、フラッシュバックしてきます。

そして、自分だけならはまだしも、「再活用論」を読んで、「まともな運営」にせよ「健全なコミュニティづくり」にせよ、その両方にせよ、実現しようとチャレンジした人たちが、ばたばたと倒れていくのも目の当たりにするんですよね。

だから、実は3年くらい前に、「「PTA再活用論」がもしも売り切れても重版はせずに絶版にしてほしい」と出版社に申し入れていた時期があったんですよ。

そのかわりに、もうちょっと夢見がちではない立場で「PTA進化論」を書いてウェブ公開したり。これは新聞連載を集録したもので、キーメッセージは「イヤイヤやるくらいなら、逃げ切る方が誠実」「やりたい人かいない委員会とか休止で、いいじゃない?」というものですね。

また、PTAで起きる悲劇にもしも歯止めがかけられる人がいるとすれば校長先生だよなと思い、「校長先生のためのPTA入門」(学事出版の「月刊プリンシプル」に2年ほど連載)を書いて、これも無料公開したり。

印刷代だけで、紙の本にできるサービスがあったので、そこにもアップして、実際に百数十冊かは印刷されたようです。誰かがどこかで使ってくれたのでしょう。

さらに、PTAサークル化計画! というブログ記事をまとめたり。(このあたりが、今の考えに一番近いです。まだ、ちょっと夢見がちなところが残っているにしても)

これだけのものを用意すれば、「再活用論」の方はフェイドアウトでいいや、という判断になっていったわけです。

でも、その後、PTAを「変える」ことに成功した人たちが徐々に出てくるようになりました。

ほっとしました。状況がよくなったというふうな楽観視できるふうでもないけれど、とにかく、突破口を開く人たちが出てきた。

そして、出版でも「基本を押さえた」本が少し出はじめて、「再活用論」も、ワンノブゼムみたいになってきました。

正直、肩の荷が下りというか。じゃあ、「再活用論」も、昔、とある物書きが、リアルに体験し考えた記録と考察として、人の手の届くこところに置いておいてもいいかなあ、と思うようになったわけです。

だから、これからは、この本は「余生」みたいな提示の仕方をすることになります。

これは、ちょっと古い、本です。

たとえば、「PTAは入退会自由」ということが、ネットを検索しても見当たらなかった時代に、「それ、あたりまえ!」と語り、人を勇気づけたり顰蹙を買ったり、今からみると「なぜ?」というような反応を引き起こしたりしつつ、地味ーに読まれてきました。

世田谷区のすべての区立小学校PTAのほか、百冊くらい全国のPTA連合会に送ったけど、なーんにもレスポンスがなかった反面、自ら見つけた読者から連絡を受けて、あちこちで講演を頼まれたりもしました。

百年読まれる本であるとは、毛頭思いません。でも、あと少しは読まれる価値もあるのかもしれません。

経年により現状とあわなくなってきていることを割り引いた上で、それでも今なにか、引き出せるものがあったならぜひ活用してやってください。

それが本書の第二の人生、というか、書生、本生。ん? それじゃ違う意味ですね(笑)。第二の書籍生みたいなものになると思っています。

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「動物園にできること」再読タスクフォース結成!掲載開始!

2016-05-20 22:49:45 | 日記

(写真はアマゾンマナティ@イキトスですが、記事とは関係ありません)

メルマガ・個人メディアである「川端裕人の秘密基地からハッシン!」の新企画のお知らせ。

「動物園にできること」が絶版になってかなりたつわけですが、それを若き動物園関係者と再読していこうという企画が立ち上がりました。

取材をしていたのは20年近く前だし、文庫版が出てからもたぶん15年くらい。

とっくに賞味期限が切れているはずの書籍ですが、未だに読んでくれる人たちがいます。

そして、「新しい(日本の)動物園にできること」を待望してくれる人も。

でも、なかなかそういう想いに答えられないのは、端的にいって、書く場所がないから、です。

取材して書き下ろすのを自分でやるというのは、それこそ、フィールドワーク系の研究者が博士課程やポスドクの時代に、一生分の半分以上のフィールドワークをやって足腰を固めるのに似たところがあって、ぼくにとって「動物園にできること」はそういう位置づけのものでした。

だれのスポンサーも受けず(取材費という意味では)、原稿料もなく、ただ、1年間、貯金を切り崩して書いたものがあれです。買ってくれる出版社がいたからよかったものの、まったくリスキーですよね。

その後、プロの書き手としての仕事の幅が広がり、「勝手に書きおろし」は選択肢の中で優先度が低いものになっていました。

動物園について何かまとめて書く時に、ある程度の取材費と一次的な発表の場(雑誌連載とか)をくれる媒体には、ついに出会えず、動物園について何かを書く、ということ自体、優先順位が低くなっていました。依頼もなかったし。

これ、生き物ネタ全体としてそうで、ぼくはこの十年、生き物関係の著作を出していないと思います。小説の中で登場させる以外には(「12月の夏休み」とか)。

でも、やっぱり生き物関係やりたいし、好きなネタを好きな時に書きたいよなあと思って始めたのがメルマガ。

だから、好きなこと書いているわけですよ。ドードーなんて、好きなだけ堂々めぐりしてますからね。

じゃあ、動物園の話、またやってもいいんじゃない? という考えががふつふつと湧いてきたという流れですね。

もちろん、水族館のイルカの話とか近傍のネタは書いてきたけれど、動物園ずばりの話もやったっていいんじゃない? と。

そんな時にいろいろありまして、今、動物園界とその近傍で働く現役の論客たちが、一緒に「動物園にできること」を再読してくれることになりました。

それぞれ、学生時代やそれに近い頃に「動物園にできること」に出会い、味読してきてくれた人たちです。

彼らと意見交換しつつ読む「動物園にできること」は自著ながら、刺激的なものになるはず。そもそも、何書いたか忘れてる!ってところもあるし(笑)。

そして、この企画をぐるりと最後までまわせたら、その先のビジョンも見えてくるかも。

ぼくにとって新しい本の方向性とか、彼らにとってはこれからの動物園のこととか。

そんなふうに考え、わくわくしているところ。

 

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