川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

PTAの「役員候補」に立候補する。

2006-09-10 18:58:09 | 保育園、小学校、育児やら教育やら
本日は、来年度の役員候補をクラスから出すための会合。

で、「事実上」立候補してきました。
役員への立候補じゃなくて、役員候補への立候補、というのがややこしいですが。
でも、事実上、役員への立候補であって、このあと、学年単位での会合がもう一度あって、さらに全校の互選会というのがあって、「おまえはやめとけ」と言われない限り、役員をやることになるでしょう。
とはいえ、「やめとけ」率、そこそこあると思うのですけどね(笑)。
「事実上の立候補」をするにあたって、いくつかこだわりのポイントがあって、まず大事なのは「やりたいのだけれど、きょう参加した皆さんは支持してくれますか」ということを問うたこと。
前の人がやっていたことを引き継ぎつつも、「走りながら、考える」(考えて、走る、じゃないよ)以上、さらに「変えていく」以上、それは、クラスの支持なしにはできないだろう、と。

じゃあ、どんなことを考えたいか、というと、「PTA、これからどうするよ」ってのに尽きるわけです。

前にも書いたけれど、PTAってかつて「専業主婦」がたくさんいたころの制度設計をマイナーチェンジしつつきょうまで続いている。事実上「専業主婦」があまりいなくなっている今日、もはや「もたない」ところまで来ているわけですね。

そのことは、役員選出委員会の人なんて、痛いほど分かっていて、毎年「このままじゃいかんよね」ということになります。
だから役員選出委員会は、役員の選出方法に工夫をこらするだけれどそれだけでは限界に当たるし、とはいえ、執行部全体が「新しいPTA」を模索する気分にならないと、抜本的なことはできにくいし。

本当に、真面目に突き詰めていったら、マイナーチェンジではすまずに、分野によってはかなりメスを入れなきゃならんところもあるでしょう。本来の目的はなになのか。そこから逸脱したり、変なところで肥大していないかきちんと議論すれば、本当に「暗部」はたくさんありそうな雰囲気があるんですよね(個人的には、対外的な関係を整理したり、とか必要なんじゃないかと思うのだけれど、これはまだよく分かっていないからそう思っているだけかも、なんですけどね)。

それにもまして、PTAの活動がもっと楽しくなるように(あるいは、楽しげに見えるように(笑))していく工夫かなあ。もっとリラックスして、ざっくばらんなフォーラムにできればいいのに。たとえば、保護者だけがみられる「役員ブログ」なんて作るのはどうかな、なんて。

価値基準は、やっている人たちや、子どもたちや、先生たちのスマイルが増えること(あるいは、PTAのせいで、憂鬱だったり、不幸だったりする人や、その度合いが少なくなること)。
そして、PTA、悪くないじゃん、と思う人が、たくさん増えること。

ひとつげた譲れないことがあって、これが意外に問題かも。
いわゆる「任意加入問題」。
今、建前上は任意加入で、事実上は強制加入であることをなんとかしたいわけです。
具体的には、入学時に保護者に参加の意思を問うこと。
やめたい人が、やめられること。
(しかし、そのことで子どもたちがなんら不利益をこむらないこと)

これはぼく自身、もしも、役員になったら「研究し、できれば実現したい」ことを公言して、なおかつ、もしも、ぼくがこの学校にかかわる9年間(そのうち2年半は、すでに過ぎてしまったのだけれど)で実現できなかったら、それまで応分以上の貢献をした上で、最後の1年間はPTAをやめます、というくらいの意思表明をしてしまいましたよ。その場合、その時の役員に負担をかけることになるので、是非、ぼくにやらせて、ってことでもあるのだけれど。

たぶん、「強制加入」のせいで、ぼくはかなりPTAにおいて不幸になっています。なにしろ、自分で選べないボランティアなんて、ボランティアじゃないですからね。自ら選べば誇りに思えることを、スポイルされるなんて耐え難い! 
それに、これはぼくだけじゃなくて、かなり多くの人が程度の差こそあれ疑問に思っていることだし(身の回りにかなりいる)、さらにもとをただせば、本来的には「任意加入」と明言されていることでもあるのですから。

でも、この考えって、ある人にとっては危険思想らしいのですよ。
だから、そういう考えの持ち主であることを説明した上で、背中を押して頂けますか、という問いかけをクラスの人たちにして、一応のところ承認を得た、というふう。

革命を起こす気?
なんて聞かれました。
でも、そんなのは起きません。
こういうのは地道な積み重ね。
かりに、革命と呼べるほどの変化が起こるのだとしても、来年度じゃなくて、その次、あるいはその次の次でしょう。
それでだめなら、もっと先でしょう。

さあ、どうなりますか。
「おまえは、やめとけ」ということになったら、笑ってやってください。
その時には、地道にしばらくは委員会活動でもしていますさね。

あと、今更なのだけれど、これまでPTAについて書いたエントリを、コメント欄に張っておきます。日付を見てもらうと分かるのだけれど、とにかく、昔のもの。自分自身のPTA体験が深まったり広がったりするにつれ、変わってきていることはもちろんあるのだけれど、とはいえ180度変わるようなこともないので。

倉沢のヒノキ@奥多摩

2006-09-10 09:44:30 | 川のこと、水のこと、生き物のこと
Img_7879_1奥多摩ネタ。
奥多摩駅近くから日原街道に入った日原エリアは、巨樹の里なんだそうな。
なんか、そそりません?

ちなみに、巨樹の定義は、 環境省のが1988年に調査した時に使ったものが、そのまま定着していて「地面から1・3メートルのところで幹回りが3メートル 以上の木」というもの。
ちなみに、日原地域だけで900本が確認されており、それは全国一だとか。

写真の倉沢のヒノキは、奥多摩から日原の村落に至る道の途中から斜面に入り、20分ほどのぼったところ。五歳児がしっかり登っていたから、たぶん難易度は低いです。

「川の名前」で奥多摩の森の中をオリエンテーリングするシーンを描いたけれど、ああいうのってこんなとこだったんじゃないかなあ。

それにしても、雰囲気、あるんですよね。
トトロの木じゃないけれど、「大きな木」には何かがある。
ぼくはわりと巨樹・巨木のたぐいは好きで、ニュージーランドのカウリとか、オーストラリアのジャラーとか、北米のジャイアントセコイアとか、屋久島の屋久杉とか、見に行ったことがあるけれど、その基準からみれば大したことない倉沢のヒノキも(樹高1.3メートルのところの周囲が6.3メートル)やはり、「森の王」然としてそこにおさまっている姿にはやはり独特の風格を感じるんです。
大きな樹木に人が感じる特別な感情、というのは、ぼくにとってはひとつの課題、かも。それがいったい何に根ざしているのか、という点を知りたかったり。

日原にはもっと険しいコースを歩いて、巨樹巡りをするツアーなぞもあって、子どもがもう少し大きくなったら連れて行きたいなと思うことしきり。