川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

「不完全な世界で子どもを護る、ということ」(中央公論・3月号掲載)をブログで公開します

2011-04-22 23:25:04 | 雑誌原稿などを公開
中央公論 2011年 03月号 [雑誌]中央公論 2011年 03月号 [雑誌]
価格:¥ 900(税込)
発売日:2011-02-10
中央公論・3月号掲載の「不完全な世界で子どもを護る、ということ」という小論を、公開します。

公開するのは、校正前の原稿であれ、厳密には雑誌に掲載されたものとは違い、誤字脱字なども多く残っていることをご承知起きください。
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「不完全な世界で子どもを護る、ということ」

非実在青少年から非実在犯罪規制へ

「東京都青少年の健全な育成に関する条例」(以下、都条例)の改正が、2010年12月、都議会で可決され、本年7月より施行される。過激な性描写を含むマンガやアニメなどの事実上の表現規制として話題になり、メディアでも取り上げられたため、それほど関心のない方でも「なにかやってるぞ」と気づく機会はあったのではないだろうか。

 簡単におさらいをしておく。

 きっかけは、2009年、東京都青少年問題協議会から都知事に提出された答申「メディア社会が拡がる中での青少年の健全育成について」だ。この中で、18歳未満と認識される登場人物(のちに都条例改正案で「非実在青少年」とされる)が、性的な対象として描かれたマンガやアニメを問題視した。これを受け2010年2月に都議会に上程された改正案で、都は「性交又は性交類似行為に係わる非実在青少年の姿態を視覚により認識することが出来る方法でみだりに性的対象として肯定的に描写する」図書の流通を限定する事実上の表現規制に乗り出した。

 これに対して、里中満智子、永井豪、ちばてつや、竹宮惠子といったマンガ家らが、「憲法で保障された表現の自由を侵害する」といちはやく反対を表明したほか、日本図書館協会、出版倫理協議会、日本ペングラブ、東京弁護士会、日本弁護士会、といった諸団体(他にも多数)も同主旨の反対を表明した。組織の後ろ盾を持たない市民レベルでも、インターネットなどで情報を交換しあい、都議に対して手紙や電子メールでの意見表明を行うなど盛り上がりを見せ、6月、条例案は継続審議として差し戻されることになった。

 そして、11月22日、満を持して都は、新改正案を提出した。

 新改正案では、「非実在青少年」という言葉を排し、その代わりに「刑罰法規に触れ」たり「婚姻を禁止されている近親者間における」性交、若しくは類似行為を「不当に賛美し又は誇張」してはならないとの表記にかわった。

「青少年の性に関する健全な判断能力の形成を妨げ、青少年の健全な成長を阻害するおそれがある」というのが理由だ。

「非実在青少年」という言葉を引っ込める一方で、「刑罰法規に触れる」性行為すべてを対象にするわけで、むしろ規制範囲は広がったと取れる。多くの漫画家、諸団体、一般市民等が、再度、反対を表明したものの、時間の猶予がない中での審議であり、今回はするりと可決され条例改正は現実のものとなった。慎重運用を求める付帯決議も同時になされたが、「表現の萎縮」を懸念する声は今も大きい。

 以上が、大ざっぱな経緯だ。さらに興味のある方は、「東京都青少年健全育成条例」でネット検索していただければ、これでもかというくらいの情報を得られるだろう。


PTAの関与

 筆者がこの問題と出会ったきっかけは、2010年の3月、インターネットのツイッターで「都小P(東京都小学校PTA協議会)という団体について、川端裕人なら素性を知っているだろうか」という主旨のメッセージを受け取ったことだ。

 筆者は、現在、中1、小4(注・当時)の子どもを持ち世田谷区立の小中学校に通わせている。小学校のPTA役員(副会長)をつとめたこともあり、本業は小説家だが『PTA再活用論』(中公新書ラクレ)というノンフィクションの著書もある。ならば都小Pについて情報を持っているのではないか、とのこと。

 都小Pは、この条例改正と密接な関係があり、そもそものきっかけになった審議会にも、会長(新谷珠恵氏)が参加していたし、早期の採択を求めて請願書も提出していた。しかし、ネット検索しても、定款や構成員の情報がない「謎の団体」として、改正案に反対する人たちの間で話題になっていたそうだ。

 質問者の想像通り、筆者は多少なりとも都小Pのことを知っていたので、情報提供しつつ、条例案改正の動きについて調べた。そして、なんとも変なことが起きていることに気づいた。

 都小Pが提出した請願書ひとつとっても、現実の被害者がいる児童ポルノの検挙者数が過去最高(平成21年)になったことと、マンガやアニメなどに過激な性描写にあることを同列に論じ、条例改正案に反対する人を「子どもを守るよりも自分を守ることが大事だと言っている」と一面的に断罪していた。

「私たちは親としてこのような主張(「表現の自由」などをめぐっての条例案への反対・筆者注)を受け入れられない」と、東京都の保護者がこの件に非常に強い立場を共有していると誤解させる文言には、首をひねらざるを得なかった。

 誤解、とあえて書いた。

 都小Pは、字面の上では東京都の小学校PTAを代表しているように聞こえつつも、実は決してそんなことはない。それも、二重、三重もの意味で。

 理解していただくために、誰もが名前を知っているわりには、実態を知られていない「PTA」について一般論的に素描しよう。

 PTAは、戦後、GHQの発案、文部省の旗振りで、教育民主化のため、各学校ごと個別に結成された団体だ。保護者と教師が学びあい、とりわけ民主主義について理解を深め、成果を教育(学校教育はもちろん家庭教育も)の現場に還元するのを旨としていた。もっともこの理念は早々に忘れ去られた感があり、実質的に「保護者代表組織」として扱われるようになって久しい。学校単位のPTAが連合して、市区町村単位の連合をつくる場合が多く、筆者が住む世田谷区では、区内のすべての区立小学校の64PTAが、世小P(世田谷区立小学校PTA連合協議会)に加盟している。そして、世小Pをはじめとした他の市区町村の小学校PTAが連合してできたのが都小Pだ。

 ひとことでPTAと言っても、個々の学校のPTA、世小Pのような市区町村PTA、都小Pのような都道府県のPTA、さらには日P(日本PTA全国協議会)にいたるまで様々な階層がある。これらはメディアでもあまり区別されないことが多く、まずその点に留意。また、日P、都小P、世小Pといった組織は個々のPTAにとって上部組織というわけではなく、あくまで「連合組織」であることも、忘れられがちだが重要な点だ。

 いずれの階層のPTAも慢性的に抱えている問題は、参画意識の希薄さだといえる。

 保護者にとって一番身近なのは、学校単位のPTAだ。自分の子が通う学校で活動するものだから、いやがおうにも意識せざるを得ない。ただし、父親は、直接PTAにかかわることが少なく、自覚がない人も多いかもしれない。また、趣旨に賛同した者が入会する任意の団体であることを知らない保護者も多く(多くのPTAで、入会手続きを極端に簡略化し、自動加入・強制加入させている悩ましい現状がある)、割り振られる「役」をこなして「義務」を果たせばお役目ご免という風潮がまかり通ることも多々ある。

 ましてや、市区町村のPTA連合となると、自分が会員であることに気づいていない保護者の方が圧倒的多数だし、都道府県、日本全国レベルでは、その傾向はさらに強くなる。筆者がテレビ局に勤務していた時、担当する番組が日Pの「子どもに見せたくない番組」にランクインしたとを嘆く同僚や同業者がいた。実はその彼らもPTA会員であり、日Pの構成員でもあった。市区町村レベル以上の「PTA」は、保護者自体加入していると自覚していることが希な以上、意見表明したり、方針に賛意あるいは異議唱えたりすることはほとんどあり得ない。たまたま自覚的な人がいても、一会員が意見を執行部に届ける仕組み自体、整っていない。

 さらに東京都固有の問題。

 都小Pは全国的にみて極端に加入の市区町村PTAが少ない。23区のうち加入しているのは、世田谷、足立、目黒、文京、江東の5区だけであるようで、1311校ある公立(市区町村立)小学校のうち248校(全体の18・9%)のPTAが参加するのみだ。本来保護者代表組織として設計されておらず、ただでさえ参画意識が希薄になりがちな組織構造を持ち、実際に組織割合が極端に低い都小Pが、二重、三重の意味で「保護者代表」の資格がないことをご理解いただけるだろうか。

 ゆえに、東京都の区立校に子を通わせる保護者として、勝手に代表してくれるな!というのが第一の感想だったわけだ。


保護者は条例改正に賛成?

 歴史をひといてみると、たしかにPTAは表現規制と親和性が高い。1955年の悪書追放運動では、各地の校庭で焚書が行われたという。その中には、手塚治虫の『鉄腕アトム』なども含まれており、今の目で考えるとなぜこれが?と衝撃を感じる。1964年、都の健全育成条例制定(以降、幾度も改正され、今回のものに繋がっている)の際には、台東区のPTA連合会からの陳情がきっかけになった。焚書に関しては個々の学校のPTA会員や今よりずっとさかんだった「母の会」会員レベルの動きであろうし、台東区の連合会の陳情も小中学校の数が少ないこぢんまりした区であることを考え合わせると比較的保護者に近いところでなされたものだろう。

 けれど、今回は勝手が違う。都小Pが「代表」していると想定される、都内公立校に子どもを通わせるような「大多数」の人たちの、子育て、そして、教育の現場から、声が聞こえてこないし、行動も見えてこなかった。

 というわけで、自分にできるささやかなこととして、身の回りの保護者仲間に聞いてみた。

 都条例改正に賛成? 反対? それとも無関心?

 結論は、無関心がほとんど。改正案自体知らなかった人が大多数だった。

 そこで、概略を説明して、意見をあらためて聞くと、非常に興味深い「ねじれ」に遭遇した。

 改正される条例は青少年の「健全育成」を目的としたものだ。「性に関する健全な判断能力の形成を妨げ、青少年の健全な成長を阻害するおそれ」を問題にしている。にもかかわらず、筆者が身の回りで話を聞いた十数人の保護者(主に小学生の母親)は、この件を子どもが性的な被害を受ける可能性の問題として読み替えた。過激な表現のマンガ→認知の歪んだ性犯罪者予備軍の誕生→子どもの性犯罪被害、という都小Pの請願書にも垣間見られる連想の流れが、ごく自然に起きた思われる。その意味で都小Pの請願書は図らずも、表層的ながら「代表性」を持っていたかもしれない。もちろん、だからといって、無条件に代表されてしまうのは困ることに変わりないのだが。

 なにはともあれ、筆者は、対話する相手に、都条例改正案がはらむ数々の問題点を背景のレベルから説き起こすようにつとめた。そもそも児童ポルノ事件が増えたのは、我々の社会が(つまり警察が)つい最近になってこの問題に熱心に対処するようになった部分も考慮しなければならないこと、母親たちが心配する子どもの犯罪被害や性犯罪被害は、長いスパンで見ると画期的に減り続けていて、短期的にもここ7年ほど減少方向にあること、等々(「少年非行等の概要」〈警察庁生活安全局少年課〉)。

 説明に大いに納得して、「ああ、なるほど、こりゃやりすぎだ」と条例案を評する人もいた一方で、「だって、性犯罪は、たとえ減ったとしても、本来あってはならないものだよね」と主張する人もいた。その割には、自分の子どもが規制を受けるようなマンガと出会って認知が歪むことを心配している人はゼロだった。あくまで、被害を受ける側の立場として、どこかでだれかが有害マンガのために歪んだ認知を持つこともありうると、感じているようなのだった。

 青少年の健全育成を語っていたはずが、いつの間にか、防犯の文脈になってしまうわけで、筆者にとってこれは大きな発見だった。というのも、以前「PTA再活用論」において、今世紀になってからのPTAは、かつてのような環境浄化運動よりもむしろ、治安・防犯に関心を抱き、変貌を遂げたと結論づけたことがあるからだ。

 2000年の池田小事件は、学校という安全であるべき空間においてさえ、凄惨な悲劇が、外らかの危険な侵入者によって起こりうると印象づけた。以降、学校は警備員や防犯カメラに護られるべきものとなった。

 さらに、2002年と03年、各地で起こった小学1年生の連れ去り事件は、小学生の子を持つ親を恐慌に陥れ、全国各地でPTAによる防犯パトロールが続々と誕生した。筆者の住む世田谷区でも、この時期に64校すべてのPTA防犯パトロールが実現している(以前はパトロールを実施しないPTAも多かった)。その一方で、区内のある養護学校では、急激な「不審者」へのまなざしのの変化に戸惑い、「私たちの子らはしばしば不審な行動をすることがあるが、むしろ護られなければならない存在だ」という趣旨の緊急アピールを出さねばならなかった。

 筆者はこれらの一連の様相を今世紀になってからのPTAの顕著な特徴と感じ、「防犯PTA」と呼んだ。また90年代「開かれた学校」をキーワードに地域社会への開放を模索する流れがいったんせき止められた上で、今世紀には「学校・家庭・地域が連携して築く地域社会の安全安心」に横ずれしたとみた。

 今回の都条例改正で認識を新たにしたのは、「防犯PTA」を形作った保護者の心性は、やはり広い意味での環境浄化であり、健全育成と防犯の問題はかくも容易に合流するということだった。


過激な性的マンガを読むと健全育成は阻害されるのか

 では、都が問題にするようなマンガやアニメは、実際に健全育成を阻害するのか。

 実は証拠はない。しかし、条例の改正を望む人は証拠など別に必要と感じていないようだ。

 都小P会長の新谷珠恵氏は「マイノリティ(過激なコミックなどの愛好者・筆者注)に配慮しすぎたあげく、当たり前のこと(氏が不適切と感じるマンガなどの規制・筆者注)が否定されるのは納得できない」という立場だし、審議会委員のひとりで出産・子育てに関する論者、大葉ナナコ氏に至っては、その手のコミックを好む者を「認知障害を起している人たち」「エビデンス(証拠)を出す時間も必要もない」と述べている(両氏ともに審議会議事録より)。

 極端な意見であると、筆者には思える。

 ある問題について社会的コストをかけて対策を施そうするなら、当然、問題を引き起こしているされる「原因」との因果関係と、施策によって期待できる効果について証拠(エビデンス)があった方が望ましい。声の大きな人の意見が自動的に通ってしまうのでは困る。「証拠がなくても懸念され、対策を取るべき」場合というのはもちろんあるが、その際には、既存の知識と整合性がとれた充分に合理的な対策であるべきだろう。

 証拠と単純に書いたが、因果推論で最も信頼されるのは、疫学的な研究だ。そもそも、日本では「科学的な証拠」と訳されることが多いエビデンス(evidence)とは、主として疫学証拠のことだ。疫学について、ここで多くの紙幅を費やすことはできなのが残念だが、医学や公衆衛生分野の研究から始まり(例えば感染症や生活習慣病、あるいは治療法の効果などの研究)、「なにかの原因が、なにかの結果を引き起こす」という因果関係を推定するための手法として世界標準となっている。今では防犯も含むその他の多くの分野で活用されるようになった。

 残念ながら、日本での認識は浅い。日本は、たばこ会社が「喫煙とがんの因果関係は、まだ科学的に解明されていない」という立場を今もとり続けられる珍しい国であることに留意。これも疫学への社会的無理解から来ている。21世紀の社会を生きるためのリスクセンスを持つためには必須のものなので、ここではじめて「疫学」という言葉を知った読者は、入門書の一読をお奨めする(「市民のための疫学入門」(津田敏秀、 緑風出版)など)

 さて、疫学の入門書を1冊でも読んでみると、「子どもが過激なマンガを読んだら、認知が歪む」という仮説について、適切なグループを設定して、表に示したような各マスを埋めるような調査をしてみたくなる(これを単純に2X2表と呼ぶ)。
 
        過激なマンガ等を読んだ  読まなかった
認知が歪む
認知が歪まない

 これらの各マスの人数を比較してはじめて、過激なコミックが健全育成に与える影響の目星がつけられる。しかし、ぱっと見ただけでもこのような調査は難しい。そもそも、認知の歪みとは何だろう? 健全と不健全の境界は? 定義が困難だ。問い自体が充分に客観的ではないのだ。

 そこで、過去の悪書追放運動でやり玉にあがった『ハレンチ学園』や『鉄腕アトム』を子どもの頃に読んだ現在の大人が、どのように成長したか考えてみる。例えば性犯罪や粗暴な傷害・殺人事件を起こした大人のグループと、犯罪歴のない大人のグループを対照研究して、先ほどのような2X2表を作成した場合、『ハレンチ学園』や『鉄腕アトム』の犯罪への影響は測定できるだろうか。

 実際問題として、日本における性犯罪や暴力事件、とりわけ暗数が少ないとされる殺人事件は、1950年代の悪書追放運動の時代から、増加しているわけではなくむしろ劇的に減っているので、そもそも検証すべき仮説として提示することすら無理があるというのが正直なところではないだろうか。

 え? 日本では犯罪が増えて、治安が悪化しているのではないの? 
 青少年犯罪が増加、凶悪化しているのではないの? 
 と疑問を抱く人がいるかもしれない。

 実はこれらは、21世紀に入ってからそれぞれ一定の期間、力を持った言説だが、のちに統計の恣意的な解釈が指摘され、今ではおおっぴらに述べる論者はあまり見かけなくなった。


リスクはゼロになりえない、しかし……

 すべての施策にはそれなりのコストが伴う。だから根拠もなしに、対策をほどこすことは、様々な意味で得策ではない。

 現在、青少年による犯罪は目立って多いわけではなく、かつて青少年だった大人による性犯罪も多いとはいえない現状の中で(つまり健全育成の文脈でも、治安・防犯の文脈でも、今はそれほど酷いわけではない)、大きな「事実上の規制」をかけることは、病気の症状のない人に無理に副作用のきつい薬を飲ませるようなものだ。

 施策を推進するためには税金が使われる。規制するマンガのリストアップひとつとっても、書店をめぐり、置かれている棚を確認し、充分に読み込んだ上で判断しなければならないわけで、膨大な労力になるだろう。辛辣な規制反対派は、警察の権益拡大とポストづくりが目的と指摘する。

 その一方で、「子どもが被害にあうのは、本来あってはならない」という筆者が聞き取った保護者の意見もないがしろにできない。健全育成の議論と同時に語ろうとすると、さきほども見たようにおかしなことになってしまうわけだが、防犯・治安は常に重視されるべきだろう。

 気をつけなければならないのは、悲しいことではあるが、いかなる施策をもってしても、被害をゼロにはできないことだ。我々が住んでいるこの世界は実に不完全にできていて、こんな「当たり前」の願いすら達成するのは絶望的だ。

 1日24時間大人が交代で見守ったとしても、どこかで何かが起きる。なぜならいかなる大人も、「完全」ではありえないから。子どもたちが護られているべき学校でいくら外部からの侵入者を防いでも、教師が生徒・児童に対して性的な犯罪行為を働く事例は後を絶たない。表に出てこない暗数も少なくないだろう。しかし、いかに規制や厳罰化などを推進してもゼロにはならないし、ある領域より先は、むしろ「教育現場の萎縮」の方が問題になってくる。

 また、学校外に目を転じると、見ず知らずの他人に命を奪われる子どもより、保護者による虐待をはじめ、身近な者によって命を落とす子どもの方がはるかに多いという事実は本当に重たい。親による虐待は、胸をかきむしられるほど切ないが、かといって、親権の剥奪・停止をどの水準で行うべきか、唯一無二の正解などない。

 なお、ゼロリスクが望み、極端に推進したとき起きる弊害について、医学・疫学分野で言われる「感度と特異度は両立しない」ことを例に引くとよく理解してもらえる場合があるので、その概念を紹介しておく。防犯の施策は、集団を対象にする点で、公衆衛生施策と対比できることが多く、参考になることが多いと筆者は感じている。

 がん検診を例に考える。がんを見逃さないためには、感度のよい検査方法が望ましい。感度とは、検査を受けた人の中で、「本当にがんの人ががんと判定される割合」だ。これは100%に近い方がよいと考えるのが自然だが(見逃しがあったら困る!)、感度を上げると必ず「がんと判定されたが、本当はがんではない人」(疑陽性)も同時に増えてしまう。防犯に当てはめるなら、「感度のよい防犯体制は、真の犯人を取り逃さないと同時に、誤認逮捕を冤罪も増やす」ということになるかもしれない。さらに「本当は不審ではない不審者が増え、社会の体感治安が悪くなる」効果もあるかもしれない。

 がん検診では、感度のよい検査法の後で、今度は「がんではない人が、がんではないと判定される」(これを特異度が高い、という)タイプの検査を行いスクリーニングする。本当は一度の検査で済ませられればそれに越したことはないのだが、残念ながら感度と特異度は一般に両立しないことがわかっている。感度を100%に持っていこうとする意識が、防犯100%を目指すゼロリスク指向に対応するとすれば、その副作用は前述の通りのものになりそうだ、というわけ。いかがだろうか。ひとつの説明として成立していると思われるだろうか。

 いずれにしても、リスクはゼロにならないし、無理に目指しても副作用が噴出することを織り込んだうえで、いったいどこで折り合いをつけられるかというのが、我々のテーマだ。その際、「悪いこと」を少しでも減らせないかと考えるのは、ごく自然なことであり、そのためのベターな施策をあきらめずに模索したい。健全育成と防犯を混同した心性によって支持されるようにみえる都条例改正より、ずっと合理的で、コストも適正であり、「表現の自由」などにかかわる副作用も少ない、実効ある方法はないものか。


証拠にもとづいた防犯

 警察庁直属の機関、科学警察研究所(科警研)の研究を嚆矢とし、すでに証拠に基づいた防犯の試みが現実に始まっている。

 まず現状認識として、PTAや地域住民が闇雲にパトロールするだけでは、事態の改善は期待できない、と思った方がいい、ということ。それどころか、科警研では「ムリ・ムラ・極端なものであったならば、その防犯対策は資金や手間の面で非効率で持続しないばかりか、子どもの健全な発達を阻害する可能性すらある」「客観リスクに見合った良質の対策を追求すべき」と警鐘を鳴らしている(島田貴仁主任研究官、予防時報232、2008年)。

 つまり、ここでも、防犯と健全育成が密接にかかわっていることが示されている。しかし、今まで見てきたものとは逆で、防犯への過度の取り組みがむしろ健全育成の阻害要因になりうるという認識だ。たとえば、曖昧な不安感に駆られて、子どもに「外遊びは怖いから、家でゲームしてなさい」というのは、いかがなものか、ということ。筆者の観点では、防犯にからめて都条例改正を読み込み対策を推進することが、実は本来の目的の「健全育成」を阻害する可能性すらあると見る。

 では、客観リスクに見合った良質の対策はどうすればよいのか。

 具体例として、都条例と同じく東京都での取り組みを挙げよう。

 平成21年度、警視庁は科警研の協力を得て「さくらポリス」なる組織(子どもと女性の安全を守るために創設された庁内のチーム)を発足した。詳細は、科学技術振興機構・社会技術研究開発センターの研究領域「犯罪からの子どもの安全」のウェブサイトの記事(http://www.anzen-kodomo.jp/pdf/col17.pdf)などがよくまとまっているので参照されたい。

 思い切り単純にまとめてしまうと、疫学で重視される「時・場所・人」(どんな時に、どんな場所で、どんな人が加害者となりうるか)という情報を蓄積し、ピンポイントで犯罪防止をしようという考え方に基づいて捜査員の配置を行う。

 近年、発達がめざましい地理情報システム(GIS)を導入することで、犯罪が起きる場所や時間や人についての情報が、非常に分かり易く視覚化でき、また、統計処理も容易になったことか大きく寄与している。「今まではなかなか検挙や 警告までできなかったような事例」にも対処できるようになったそうだ(前掲記事)。発足した平成21年度中には、46人を検挙、16人に警告を与える「成果」を挙げている。

「時・場所・人」の情報を適切に集積する「記述疫学」を基本に、因果関係を推論する「分析疫学」を駆使することで、防犯も「証拠」に基づき効果をあげることができるとの例となるだろう。

 なお、さきほど挙げたURLの記事は、「さくらポリス」の「証拠」に基づいた活動を紹介しつつ、その創設の背景として「年々増加し続ける、子どもに対する性犯罪」があるとしている。平成14年以降の「都内における性犯罪と重要犯罪の推移」のグラフが掲げられているのだが、奇妙なことにこのグラフからは、そのような事実は読み取れない。

「性犯罪と重要犯罪」の総認知件数はこの期間一貫して減っており、その中で相対的に強姦・強制わいせつ・迷惑条例違反などの性犯罪は、都内では目立って減っていないので、全体の中でのパーセンテージが増えていると読める。「増えているから対策する」のではなく、「本来あってはならないことをできるだけ減らしたい」という願いに基づいた施策であると述べた方が素直であろう。


青少年が「健全」に育ち、犯罪被害リスクの少ない社会へ

 閑話休題。
 そして、都条例の問題に立ち戻って、結論を述べよう。

 この世界に、親が子に見せたくない!と願うようなマンガなどの描写は存在するし、また、それを子どもが目にする機会はゼロではない。出版社、書店によるゾーニングの徹底、そしてもちろん保護者をはじめとする大人の自覚は、これまで同様に必要だ。筆者は、この部分において、都小Pや前述の母親らと思いは同じくしているつもりだ。

 しかし、前に述べた理由から、それが我々の社会における児童ポルノ事件の増加に寄与しているとは思えないし、また青少年の健全育成を阻害しているとも考えられない。治安そのものではなく体感治安の悪化が、防犯推進の原動力となり、健全育成の条例にまで強い影響を与えているように思える現在、我々は一歩立ち止まって冷静に判断を下すべきだろう。

 結局のところ、我々の社会の課題は、リスクセンスを磨くこと、だ。

 鍵となるのは、因果推論の標準的手法としての疫学か。ながらく日本の社会で理解されてこなかった世界標準の手法を早急に自家薬籠中のものとしなければならない。

 もちろん、市民全員が疫学や統計学のスペシャリストになるべきというわけではない。それは無理だ。しかし、たとえばパソコンの扱いについての知識を想像してみればよい。10人に1人、「わりとよく知っている人」がいれば、他の9人をサポートできる。だから、知識、理解度の度合いを全体としてかさ上げしたい。

 そしてこの論考を最後までかじりついて読んでくれたあなたは、まさに、かさ上げに貢献してくれるかもしれない候補者だ。自分にはきつい、という人は、ほかの人に本稿をぜひ読んでもらってほしい。そして、もちろん、メディアにかかわる人はさらにきちんと勉強してほしい。筆者も勉強する。

 その上で、今、現役の保護者である者、あるいは各階層のPTAに携わる者は、パトロールに代表されるような防犯活動が、「ムリ・ムダ・極端」に陥らないため、冷静に考え直すべきだろう。

 漠然とした不安を理由に施策を求めるのではなく、客観リスクを常に問わなければならない。我々が敏感になればなるほど(防犯に対する感度が高くなればなるほど)、実際のリスクを遥かに超えて、体感治安がさらに悪化するスパイラルに自覚的でありたい。ゼロリスクがありえない世界の中で、どこで折り合いをつけるのか常に考えよう。

「子どもために」という、聞いたところ耳障りがよく反論しにくい言葉を乱発してはならないし(社会のリソースは有限であり、すべての労力を青少年育成と防犯に注ぐ社会などあり得ない)、誰かにうまく利用させてもならない。「子どものため」という印籠は、本当に子どものために使いたいものだ。

 以上のような教訓を引き出しうるなら、今回の都条例をめぐる一件のポジティヴな面がわずかながら見えてくる。

 識者のみならず「市民」が議論し、結局は押し切られてしまった感がある都条例改正の一連の流れは、その結果とは裏腹に、政治への市民の直接参加を強く印象づけるものだった。

 主な議論の場であったツイッターやブログ、SNSなどのネットメディアは、かつて民主主義の学校として発足し今では硬直してしまったように見えるPTAのような組織よりもはるかに、民主主義について、市民社会について、さらには、21世紀の社会で我々が依拠すべき「証拠」について、考え直すための学校であったのかもしれないし、今後ますますそうなるであろうと期待する。

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風の音を聴きながら、子どもたちは絵本を読み上げる(子どもと本のある風景~ニュージーランドでの暮らしか

2010-10-30 20:57:06 | 雑誌原稿などを公開
月刊「子どもの本」に6回にわたって連載した「子どもと本のある風景~ニュージーランドでの暮らしから」というエッセイを紹介します。時々、更新して、6回目まで公開する予定。


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1、風の音を聴きながら、子どもたちは絵本を読み上げる

 気まぐれを許される職業ゆえ、去年(2009年)の7月から今年(2010年)の1月まで、ニュージーランドのクライスチャーチ市で暮らした。フリーの物書きになって10年、ずいぶんかっちり仕事をしてきた。そろそろ大学研究者の「サバティカル休暇」のようなものを取りたい、と思ったのが単純な理由。それに付き合ってくれた9歳の娘と11歳の息子(当時)は、その間、現地の公立小学校に通って、英語に苦労しながらも、まずまず学校生活を楽しんでいた模様。

 今から考えると、日常生活の中で、絵本を読むことがとても多い日々だった。ぼくは日本でも、子どもの学校の読み聞かせ活動に参加しているのだけれど、彼の地にいる間、その倍も3倍も絵本漬け、だったかも。

 きっかけは、子どもたちが、英語を母語としない児童のための補習授業にも出席して、毎日のように簡単な絵本を家に持ち帰ってきたこと。「習うより慣れろ」方式? とにかく、どんどん読んで、状況に応じた語彙やフレーズを拾っていく。学習用に特化したものなので、ストリーといっても、単に家族で買い物に出かけたり、バーベキューパーティを開いたり、といった他愛のない内容。学習絵本というカテゴリーが確固として存在し、これでもかってくらい様々な種類があった。

 一応、ぼくは「休暇」なので、滞在中はそれほどたくさん仕事せず、放課後や休日は子どもたちと遊びたおした。だから、子どもたちの英語の勉強の時間を確保するのにも、工夫が必要だった。眠る前のひとときに必ず読むように習慣づけたり、近所の桟橋から釣りをしながらとか「待ち時間」がある遊びの中でもページを開くのがいつのまにか習慣になった。

 それにしても、子どもは吸収力は本当にすごい。会話文で頻出する"said" や"say"も「サイド」「サイ」と読んでいたのが、いつしか「セッド」「セイ」となると、ほかの似たような綴りにも自然と応用が利いていく。ただ……聞いたり、訂正したりしている側としては、やっぱり……退屈。だって、学習用絵本はやはり、学習用であって、読んだ後じっくり噛みしめたくなるような作品性が、絵にも文章にも薄いのだ。

 そこで、近所にある公立図書館の登場。窓の面積が大きな明るい建物で、十冊まで同時に借りられる。子どもが学校に行っている日中に訪れると、未就学児がお母さんの膝の上で読み聞かせる微笑ましいシーンがあちこちで見られた。何度も顔を見るうちに、お気に入りを教えてくれる人もいたっけ。

 本格的な(?)絵本は、やはり味わい深いものが多い。ばっちり「作品」であり、純粋に楽しい。その反面、文章が多少むずかしい。子どもが読むものなのに、ぼくたちが学校では習わない単語や言い回しが頻出する。俗語的な表現や、子どもの世界でだけよく使われる言葉だ。日本から持ってきた小さな辞書には出ていないし、ネット検索してやっと理解できることもあった。いちいち検索するのは面倒なので、分からないところはぼくも一緒になって想像した。その分、絵本の味わいをさらに深く感じるようになったかもしれない。

 中でも、お気に入りは、Melanie Wattの"Scaredy Squirrel"(思い切り臆病で用心深いリス君の小さな小さな冒険の話・邦訳あり)や、Rebecca S. Wheelerの"How Absurd"(女の子が想像の中で色々な動物をくっつけて新種を作っていく話)や、Kazuno Koharaの"The Haunted House"(まさにお化け屋敷!のお話・邦訳あり)など。最後のお化け屋敷本は、著者の名から日本語からの翻訳かと思いきや、もともと英語で書かれたもので、いわゆる逆輸入?

 帰国して「休暇」から復帰してしまった今、絵本とのかかわりは、また、学校での読み聞かせが中心だ。意識の前景からかなり遠のいて、あ、来週、自分の番だ、というときになってやっと何にしようかと物色し始める程度。絵本漬けだった「あの頃」が無性に懐かしい。ベッドの上で3人で同じページを目で追いあーだこーだと話し合ったり、釣り糸の先を気にしながら子どもたちがたどたどしく読み上げるのを風の音と一緒に聞いていたり。あー、平和だったなあ、しみじみシアワセだったなあ、と。

 日本にいて、わざわざ英語の絵本を読んだりはしない。今の暮らしの中で、その必然性がないし、息子も娘も、ぼくも、それぞれにこの社会の中で忙しい。やっぱり、子どもごと「休暇」を取って正解だった。そして、もうあんな時間はもう二度とないだろうなあと思うと、切なくも胸が苦しいのだった。

*********

 ここで紹介した絵本はリスもお化け屋敷も邦訳が出ています。
 でも、ここでは英語版をリンク。ペーパーバック版とはいえ、脅威の価格ですぜ。

Scaredy SquirrelScaredy Squirrel
価格:¥ 683(税込)
発売日:2008-04

How AbsurdHow Absurd
価格:¥ 1,652(税込)
発売日:2007-07-20
The Haunted HouseThe Haunted House
価格:¥ 825(税込)
発売日:2008-10-03


 ちなみに、Rebecca S. Wheelerは、絵本の他にもずいぶん仕事がある人なんだなあと発見。
 あるいはただの同姓同名?

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発掘原稿、「エピデミック」刊行時の「自己紹介」

2010-02-17 09:29:56 | 雑誌原稿などを公開
R0012677単行本版のエピデミックが出た時に、角川のPR誌に作品の自己紹介的文章を書いた。
ずっと忘れてた。

こういうのって、人に書いてもらうことの方が多くて、でも、この時はなにかの事情で自分で書くことになったのだった。

テーマは「フィールド疫学者」。エピデミックのモチベーションのところに、フィールド疫学者ってなんかすごくね?という素朴な感動があったので。

瀬名さんの「インフルエンザ21世紀」を読んで、そのことを思いだし、その文章のことも思い出したので、ハードディスクから発掘してみました。2007年の終わりくらいに出たものですね。

**********
涼やかな感染症バスターたち

国立感染症研究所をはじめて訪ね、一線のフィールド疫学者たちに出会った時、頭の中を涼やかな風が吹き抜けたような、独特の明澄感に包まれた。なんて素敵な人たち!少し話すだけで、もやもやした霧が晴れ、以前から取り組みたいと思っていた感染症小説の枠組みがはっきりと見えてきた。重症急性呼吸器症候群(SARS)の世界的な流行が終結した直後だから、かれこれ四年以上前のことだ。

簡単に用語説明しておくと、フィールド疫学者というのは「感染症の流行・集団発生時に現地で迅速に積極的疫学調査を行い、健康危機管理に対応する」専門家のことで、つまり、なにかの病気の集団感染が発生すると飛んでいって、解決をはかるトラブルバスターだ。日本ではまだ数少ないが、国立感染症研究所の実地疫学訓練プログラム(FETP-J)で、着実に養成されつつある。

日常業務としては、どこかで集団感染が発生すると(麻疹の地域流行、各種院内感染、老人ホームのノルウェイ疥癬、病原性大腸菌O157などなど……なんでもあり)、要請を受けて現地に入り、地元の保健所や病院、各施設と協力して制圧に力を注ぐ。そして、SARSや、今もっとも怖れられている新型インフルエンザがどこかで確認されれようものなら、まさに、陣頭に立つのが彼ら彼女らだ。

ダスティン・ホフマンが主役を演じた感染症映画「アウトブレイク」を思い出す人がいるかもしれない。エボラ出血熱に似た感染症に冒された町に、危険を顧みず飛び込んで、病原体を追究し、人々を救うウイルス学者の話。フィールド疫学者も、いざという時には同様に危険を顧みずに現場に飛び込んで、人々を救うのが仕事だから、たしかにあんなかんじ、といえなくもない。

ただ、ひとつ注釈が必要だ。「アウトブレイク」のウイルス学者の活躍は、映画的な演出であって、現実的にはあまりありそうにない。というのも、既知のウイルスならわざわざ現場に出ていくまでもないだろうし、未知なら未知でわずかな時間でウイルスを突き止め、抗血清やワクチンを作るなど無理だからだ。これとは対照的に、フィールド疫学者は日常的に感染症を制圧している。集団感染の現場のリアリティは、臨床家やフィールド疫学者の側にある。

そして、ぼくはある種のリアリティの中に埋め込まれている物語を掘り起こしたいタイプの書き手だ。だから、ウイルス学者が活躍する映画的な物語より、フィールド疫学者が活躍する小説の方が、ずっと好ましい。彼ら彼女らと話している時に感じるあの明澄感と、知的な興奮をなんとか掬い上げられないだろうか……。

しかし、それにしても、なぜそこまで心に響いたのか。フィールド疫学者の活動は、実は地味だ。顕微鏡をのぞくなど、素人がイメージするような「科学的」なことはせず、そのかわりに、足で稼ぎ、頭を使う。ぼくは、その地味さの中に潜む、究極の科学精神、合理主義に痺れたのだと思う。

集団感染を制圧するには、なにも病原体を特定する必要はない。それを待っていたら、どんどん被害は広がってしまう。だから、どういう感染ルートなのか、潜伏期間はどれくらいなのか、制圧のために必要な情報を手早く集める。言い換えると、目に見えない因果関係の糸をたどり、「今すぐ断ち切れる原因」を探す。緊急の時に「病原体が分からないから対策できません」では困るのだ。まだコレラ菌が発見されていない昔、ロンドンで流行したコレラを、特定の井戸からの水が感染源であると見抜いて制圧した疫学の父、ジョン・スノーからして、「できることをちゃっちゃっとやってしまえ」という精神の持ち主だった(とぼくは思っている)。

つまり、ぼくが素敵!とかんじたフィールド疫学者たちは、極端に実践的な知性の持ち主なのだっだ。彼ら彼女らの周辺では常に涼しい風が吹く。頭の回転が速くて、打てば響く。ざっくばらんで、コミュニケーションスキルが高い。まだ調査をはじめて日が浅く、頓珍漢な質問をしていたに違いないぼくの意を汲んで、一を聞けば十を返してくれたっけ。SARSの時に香港で大量の感染者を出した高層住宅アモイガーデンに調査に入った時の息詰まる体験などをきくと、「危険を顧みずに」というヒロイックな職業であることもひしひしと伝わってきたし、その時、足が震えてしまうような人間味(?)だってある。弱さまで織り込み済みで、率直に述べることができるのもある意味で「徳」だ。

というわけで、フィールド疫学小説、できました。

4年間にわたってたらたらと、書いたり書かなかったり……一時は、もう永遠に終わらないんじゃないだろうかと不安になったけれど、なんとか完成。日本全国にほんの少しはいるらしい待っていて下さった方々、やっとお届けできます。

本邦初、いや、世界初(たぶん)のフィールド疫学小説。21世紀の科学特捜隊、FET(フィールド疫学チーム)の活躍をお楽しみいただけたら、さいわいです。

**********

インフルエンザ21世紀 (文春新書)インフルエンザ21世紀 (文春新書)
価格:¥ 1,313(税込)
発売日:2009-12

エピデミック (角川文庫)エピデミック (角川文庫)
価格:¥ 860(税込)
発売日:2009-12-25

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エースがすごいことになっちゃったし、ワンピース関連のエッセイを紹介

2010-02-14 22:49:04 | 雑誌原稿などを公開
ONE PIECE 巻56 (ジャンプコミックス)ONE PIECE 巻56 (ジャンプコミックス)
価格:¥ 420(税込)
発売日:2009-12-04
なんだかショックがさめやらない今日この頃。
1年くらい前に読売新聞社に依頼され、「思い出のコミック」のお題とややズレつつも、書いた原稿をアップします。


***********
 支配するな、されるな!

 子ども時代に夢中になったコミックならいくらだってあるが、一番熱いのは「今」だ。息子や娘と一緒に読む「ワンピース」。

 舞台は「大海賊時代」の海洋世界。「海賊王になる!」と冒険の旅に出た我らがヒーロー、モンキー・D・ルフィは、「悪魔の実」を食べたゴム人間だ。なんとも力の抜けた設定。仲間を集め海賊団を旗揚げしても略奪行為には興味がない。本当に海賊?と突っ込みたくなるほど。

 事件に巻き込まれたり首を突っ込んだりする中、結果的に弱きを助く。「絶対の正義」とされる政府や海軍の非道を暴くこともしばしば。不当に連れ去られた仲間を取り戻すために難攻不落の裁判所に乗り込んだり、海賊の先輩である兄が囚われた大監獄に潜入して救出しようとしたり……いかなる権威が立ちはだかろうと信じるもののために突き進んでいく姿に胸がすく。

 かつて頂点を極めた元海賊団幹部から「この海が支配できるか」と問われた際の回答が最高。「支配なんかしねェよ。この海で一番自由な奴が海賊王だ!」

 このあたり息子と娘にしっかり伝えたい。支配するな、そして、支配されるな。きみたちは自由だ、と。

 もっとも、今のところ子どもたちの好きなシーンは「新しい技が出たとき」とか「○○が仲間になったとき」といったもの。親子の視線はずれている。それはそれでよし。自由奔放なルフィの物語は、彼らの胸の奥にしみこんで、長じた後じんわり語りかけてくれるはず。「支配するな、されるな。きみは自由だ」と。 
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「面倒くさいけど、楽しいこと」@PTA広報

2010-01-31 21:23:41 | 雑誌原稿などを公開
R0012986父が残したスクラップの功績は、自分でも書いたことを忘れていた原稿が残っていたこと。
出身高校のPTAに頼まれて、「後輩」むけにメッセージめいた文章を書いていたのだった。
会社をやめる直前のこと。
タイトルは、「面倒くさいけど、楽しいこと」。
今、spotlightで検索したら、あるじゃない。
ちゃんとファイルは残っている。

以下、再録。
自分としては、あんまり気分が変わっていないなあ。
会社をやめた13年前と。

**************

「面倒くさいけど、楽しいこと」

 ああ、人生は短い、とつくづく思う。こうもやりたいことが多くては、人生が二度あっても、三度あっても足りない。とはいえ、そんなに何度も面倒くさい人生をやり直したいなんて思わないから、結局のところ一回勝負だ。自分に残された時間の範囲内で、どれだけのことが出来るのか、焦るでもなく、気負うでもなく、やれるところまでやってみようと思う。

 なんて言いながら、「じゃあ、おまえは何をやりたいんだ」と改まって聞かれると困る。正直に答えると「世界と人間にかかわるすべての謎を解き明かしたい」なんて不遜なことを言わなければならない。それこそ100回生きたって、そんなこと不可能だ。

 そこで、もっと現実的に「今、やりたいこと」を整理してみる。年内にイルカに関わるノンフィクションを書き上げて、ハーバード大学のハイイロリスについてのモノグラフも出版する。そして、西オーストラリアの自然史、南米のペンギンのリサーチも年内か来年あたりに行ないたい。野良猫の観察日記をどこかの雑誌で連載させてもらえたら最高だ。

 これらはいずれも、「ネイチャーライティング」(自然についての書きもの)の仕事だが、それに加えて、懸案になっている未完成の青春小説も今年中に出版にこぎつけたい。そういえば、今年は「音楽評論をやるぞ!」と元旦の朝に誓ったっけ。

 そんなふうに考えたら、目眩がしてきた。やはり、時間がなさすぎる。僕は今32歳だから、体力も知力も充実した状態というのは後20年くらいしかないだろう。とすると、その間に出来ることといったら・・・チャールズ・ダーウィンの「ビーグル号の航海」をたどる大いなる旅に出たり、南極大陸でどこかの国の基地に半年逗留して本を作ったり、いろいろな小説を書いたり、読んだり、もちろん愛する家族と楽しい時間を過ごしたり・・・こりゃあ、どう考えても会社勤めをしている暇なんてありはしない。

 というわけで、とうとう会社もやめることになった。今年の4月末日をもって円満退社して、フリーの物書きになる。上記のごとき活動をしつつ、一度限り限定仕様の人生を楽しく豊かに生きたいと願う。

 こんな僕が、何か後輩に伝えられるアドバイスやメッセージなんてあるだろうか? 終身雇用制度の会社を最後まで勤め上げ、社会の礎となるような根性も甲斐性もない僕は、ある意味で社会のアウトサイダーだ。それは決して誉められたものではないだろう。

 だから、僕が伝えられるメッセージは言葉ではなくて、たぶん、僕の生きていくやり方だけだ。「はばたけ後輩たち」ではなく「僕はこんなふうにはばたいてみてます」とうメッセージ。

 ああ、人生って面倒くさいけど、つくづく楽しい。

*************

リスのモノグラフも、野良猫観察日記も、音楽評論も実現しなかったけれど、「未完成の青春小説」は、こういうのになりました。
夏のロケット (文春文庫)夏のロケット (文春文庫)
価格:¥ 670(税込)
発売日:2002-05

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自主的にボツにした、悪いエッセイを紹介します

2009-06-18 08:37:31 | 雑誌原稿などを公開
R0010999R0010993あるサイエンス系の雑誌にエッセイを頼まれて、書いたのだが、非常によろしくないエッセイ。
本質的な部分に到達することなく、レトリックで成り立たせてしまっている。
テーマは、PTAと水俣病を特異度という概念でつなぐ、ということのだけれど、イマイチなので、自主的にボツにした。

以下、悪いエッセイの例として掲載。

****************
 小学生の保護者として、間近に見るPTAのありように心痛めている。数十年にわたる前年踏襲の結果、負担感の多い活動になっている場合が多い。打開策として「一人一役」というスローガンが掲げられることがあるのだが、誰の目にも「できない」立場の人まで巻き込んで「強制」するのが当たり前とされる。


 突飛かもしれないが、ぼくはこのスローガンを聞くたびに、水俣病の認定基準を思い出す。キーワードは「特異度」。医学・疫学分野の概念で、感度とトレードオフの関係にある。「陰性のものを、正しく陰性と判断できる割合」、言い換えると「陰性のものを間違って陽性と判断しない割合」のことをさす。


 国による水俣病の認定基準は、この特異度がきわめて高くなるように設定された。疫学調査によって、水俣の漁村ではその他の地域より50倍、神経症状が多発していることが分かっていた以上、「水俣の魚を食べて、神経症状がある」を基準としてよかったはずなのに、神経症状はメチル水銀中毒に特異的ではない(ほかにも原因候補がある)という理由で、複合的な症状を要求するきわめて複雑で厳しいものになった。


 言い換えると、50人に1人はいるはずの陰性(水俣湾の魚が原因ではなく発症した人)を陽性と判断しないことを重視するあまり、特異度の設定が極端に高い認定基準になった、ということ。そのため、多くの「水俣湾の魚を食べたことが原因で発症した人」を切り捨てることになった。「陽性の人を陽性と判断する」という意味での精度に問題があり、つまり、「感度」が極端に低いということ。感度と特異度がトレードオフというのは、そういうことだ。


 その後の、水俣病の個々の未認定患者の悲劇、訴訟コストなどを考えると、結局この特異度重視、感度軽視の認定基準は、だれも幸せにしなかったことは明白だと思う。


 ここであらためて、PTAの話。実際は自由に入退会できる社会教育関係団体のはずなのに、全員参加が制度化され、「公平」が強調される。この場合、「公平」とは、形骸化したものを多く含む負担の多い業務を振り分ける際のこと。「できるのにやらないずるい人」を逃さないために(公平を徹底するために)、「どう考えてもできない人」にまで網をかける。「働いていることは理由にならない」「忙しいのは誰だって同じ」「だれにだって事情はある」等々……様々な「理由」を特異的ではないと断じ、「本当にできない人」にまで重圧をかけていく。そして、その結果、前例踏襲は温存され、だれだってハッピーではないのだ。


 ある磁場の中では、「陰性のものを間違って陽性と判断しないことを追究するあまり物事の本質を見失う」ことが頻繁に起きる。そのことについて自覚的でなければ、と思うのだ。

**************
 以上。
 なぜ、ボツにしたのかというと……

 たしかにPTAのありように、水俣病の認定基準や特異度について思い出すことは多い。
 けれど、あくまでざっくりした連想の域を出ない。
 それほど上等でもないレトリックを駆使して無理にまとめているだけでなく、「特異度重視の基準や検査は」いけないと言っているようにも読め、かなり、ミリスリーディングなエッセイとなったと思ったから。

 本当は目的によって、感度と特異度は調整すべきもの。
 あきらかな悪い意図をもって、行われる感度の高いスクリーニングというのも当然ありうるのだし。

 自戒と、話題(?)のため、あえて掲載する次第。あと、なにはともあれ、感度と特異度の関係って一応、軽く説明はできてるし。

 ちなみに、水俣病と疫学については、こちらが詳しいです。
医学者は公害事件で何をしてきたのか医学者は公害事件で何をしてきたのか
価格:¥ 2,730(税込)
発売日:2004-07

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森のペンギン、砂漠のペンギン

2008-07-04 21:09:12 | 雑誌原稿などを公開
2001年シリーズ。

月刊の文藝春秋の巻頭エッセイに書いたペンギンの話。言及されるのは、こちら。

ペンギン、日本人と出会うペンギン、日本人と出会う
価格:¥ 1,800(税込)
発売日:2001-03


たぶん、この本を上梓した直後にこの原稿を掲載していただいたのだと思われ。
*****************
森のペンギン、砂漠のペンギン(2001月刊文藝春秋に掲載)

 どうでもいいようなことなのだけど妙に気になって仕方ないことが、人間には時としてある。ぼくの場合、それが「日本人とペンギンの関係」だった。我々にとって、ペンギンというのは、なぜか特別な存在なのではないかとふと思って調べるうちに、ずるずると深み(?)にはまってしまったのである。

 発端は、今から7年ほど前、ニュージーランドを旅していて、森の中でペンギンに出会ったこと。
 耳を疑われそうだが、嘘じゃない。ペンギンがいるのは南極の氷の上だけではないのである。ちなみにぼくが会ったのはフィヨルドランドペンギンという種類だった。

 出会いの瞬間にはやはり衝撃をおぼえた。雨に濡れるシダの群落の間から、そいつがぬーっと顔を出して、こっちを伺っているシーン。目の前の現実なのに、なぜかそれが本物とは思えなかった。「ペンギン=南極」というイメージが、自分の中に刷りこまれていて、それとはあまりにかけ離れた光景を、脳が拒絶したのだ。

 もちろん人間、何ごとにも慣れるものだから、ものの一日で、ぼくは「森のペンギン」を受け入れた。すると、今度は自分の中のこれまでの「ペンギン観」がおかしくなった。

 例えば、ペンギンって「可愛い生き物」の代表格として人気があるのだと思う。でも、実物として見るペンギンは、全然可愛くない。それも、近づけば近づくほど!

 まず目つきが鋭い。魚食の「猛禽」なのだから当然か。クチバシは鋭く、つつかれたらただでは済みそうにないし、声もガーガーうるさい。すごく新鮮だった。こいつらクールだぞ、と思った。

 以降、野生生物としてのペンギンの魅力にはまってしまい、チリ、アルゼンチン、オーストラリア、フォークランド諸島などを渡り歩いた。そのたびに、「砂漠のペンギン」(チリ)、「牧場のペンギン」(フォークランド)、「羊の群れの中、逃げまどうペンギン」(フォークランド)など、奇妙な光景に出会った。もはや、ぼくの中で、「ペンギン=南極」の等式は崩れ、もうなんでもありの目つきの鋭い野生生物になって久しい。

 そうなると、今度は自分の感覚と、人の感覚とのズレが気になり始める。
 なぜか日本では、ペンギンは「南極の可愛い生き物」としてしか考えられていないので、「それは違う!」と叫ぼうにも、聞く耳は持ってもらえない。写真を見せると森や砂漠に佇む彼らの姿に驚かれはするが、かといって内的なイメージを変えるほどのインパクトはないらしい。

 一方、取材で訪れる野生の地では、「なんで日本人はそんなにペンギンが好きなんだ」と質問されることが多かった。実は国際的なペンギン研究者共同体の中では「日本人のペンギン好き」は有名なのだ。回答として、「だって可愛いから」と言っても相手は理解しない。「そんなに可愛いかな」と首を傾げる人もいるくらいだ。

 ホント、日本ではなぜ「可愛い」と「南極」なのだろう。どうして、我々はペンギンが好きなのだろう。いや、そもそも本当に好きなのだろうか。日本人とペンギンの本格的なつきあいは、白瀬隊による南極探険だから、その歴史は100年に満たない。その短い歴史の中で、我々のペンギン観が養われたわけで、これくらいなら丹念に調べればその歴史的展開を辿ることができるのではないかと思った。

 で、結論からいうと、「日本人のペンギン好き」は実は戦後問題なのである。自信喪失していた日本人にとって、格別なヒーローであった「捕鯨船のおじさん」が持ち帰ってきた南極土産。と同時に、世界的にも困難だった南極産ペンギンの飼育を成功させた日本の動物園・水族館の努力によって、戦後復興期の「よい子」にとってペンギンは親しい生き物になった。生きたペンギンを、動物園で遠巻きに見ると、そのヨチヨチ歩きから「可愛い」ことを発見することも容易だっただろう。世界的に希有な「ペンギン好き」の国民はこの頃に形成されたに違いない。

 といったことを調べている間にも、ぼくは野生のペンギンの写真を撮り続けていた。ある生き物をめぐって、我々が彼らに張り付けたイメージ(つまり動物観)を究明する仕事と、野生の彼らの姿を目の前で見つめる仕事を同時進行できたのは、得がたい体験だったと思っている。

 3月に『ペンギン、日本人と出会う』という本を上梓して、「日本人とペンギンの関係」の探究はとりあえず一段落した。たぶん、ほくが書かなければ誰も書かなかっただろうと自負する(逆にいえば、そんなことどうでもいいじゃん、と言われればそれまでのような)本である。

 その一方で、野生のペンギンに会う旅の方は、まだ続く気がしている。今この時点で、「森のペンギン」「砂漠のペンギン」「牧場のペンギン」などが登場する奇妙なランドスケープをまとめて、写文集のような形にした気持ちはあるけれど、ほかの仕事にかまけて重い腰が上がらずにいる。
**********************

追記@2008
文中で構想中だった写文集は、こういう形で世に出ました。
ペンギン大好き! (とんぼの本)ペンギン大好き! (とんぼの本)
価格:¥ 1,365(税込)
発売日:2002-08


また、「ペンギン、日本人と出会う」と似たテーマをさらにふかーく追究した本として、これがお勧めです。すべての日本のペンギン者は読むべきでしょう。
ペンギンは歴史にもクチバシをはさむペンギンは歴史にもクチバシをはさむ
価格:¥ 3,045(税込)
発売日:2006-02

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ピクニック・アット・ハンギングロック

2008-07-03 21:00:56 | 雑誌原稿などを公開
ピクニック at ハンギング・ロック ディレクターズ・カット版ピクニック at ハンギング・ロック ディレクターズ・カット版
価格:¥ 4,179(税込)
発売日:2005-01-28

めったにしない映画評などをしたことがあったらしい。自分でも書いたのを忘れている原稿。「週末の一本」というファイル名だったので、きっとそのような雑誌企画だったのでしょう。ファイルは2001年の日付。
*******************
ピクニック・アット・ハンギングロック
 舞台は1900年2月、真夏のオーストラリア。
 実際に起きた少女失踪事件が描かれる。別にどぎつい暴力やセックスのシーンがあるわけではない。ストーリーはあってなきがごとしだし、思わず血中アドレナリン濃度が上がってしまうような山場もなし。とにかくすべて「宙ぶらりん」で、常に何かが欠落している。その分、心に引っかかるというやっかいな映画だ。

 失踪するのはメルボルン郊外にある「アップルヤード女子学院」の女子学生3人と女性教師1人。遠足に出かけた女子学生たちは「ハンギングロック」と呼ばれる岩山を探索しに出かけ、そのまま姿を消す。その際、付き添いの数学教師もいなくなる。捜索の結果、少女のひとりは、意識を失い、また、記憶を失った状態で保護されるが、ほかの者たちの行方は杳として知れず、事件は迷宮入りとなる。

 真相について、映画なりの解釈は一切提供されない。ただ少女たちは、オーストラリア独特のゴツゴツした景観の中に溶け込んで、神隠しにあったかのように消えるだけだ。

 最近の作品でいうと、『ブレア・ウィッチ』に通じる何かがある。解決されない謎、まき散らされた事実の断片を、観る者がつなぎ合わせ、なおかつ、全体像は見えない。しかし、作品世界は確固とした世界観に貫かれており、我々が考える以上の何かが、その背後にあるのだと納得させられてしまう。

 ウェブを検索してみると、はたして、結構なカルト・ムービーとして語られていた。英米豪のサイトでは、「ハンギングロックの謎を解く」たぐいのものがいくつもある。「毒蛇説」「UFO説」「駆け落ち説」「レイプ説」などが乱れ飛んでいる。研究本まで出ているようだ。

 一方、日本ではキャラ萌えのあげく(失踪する女学生ミランダは『ボッティチェリのヴィーナス』を思わせる超美少女)コスプレに走るおかまちゃんたちのオフ会報告をみつけた。たしかに、ヴィクトリア朝の抑圧されたファッションに身を包んだ娘たちは、言外に性的な雰囲気をまき散らしており、それが映画全体に通底するトーンにもなっている。

 実は「失踪の謎」以上のミステリーがある。これもウェブで発見したのだが、この映画は「事実に基づいている」ことになっている(冒頭でその旨ナレーションが入る)にもかかわらず、実のところ1900年に本当にそんな事件があったのか確認できないらしい。「実際に起こった」と語ったのが確信犯なのだとすれば、映画の中身が中身だけに、意味深なのだ。
*****************
追記@2008
オーストラリアといえば、一応のところぼくも「関係者」というかマニアの一人で、こんな作品を書きました。そういえば、「ハンギングロック」というタイトルの章もあるのだった。
はじまりのうたをさがす旅  赤い風のソングラインはじまりのうたをさがす旅 赤い風のソングライン
価格:¥ 1,890(税込)
発売日:2004-09-11

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MGS3ブックレットに書いた宇宙開発ストーリー

2008-06-30 21:07:35 | 雑誌原稿などを公開
松浦晋也さんのこういった本をぱらぱらめくっていたら、かつて、メタルギアソリッド3の初回限定版につけられたブックレットに書いた文章を思い出した。
昭和のロケット屋さん―ロケットまつり@ロフトプラスワン (Talking Loftシリーズ)昭和のロケット屋さん―ロケットまつり@ロフトプラスワン (Talking Loftシリーズ)
価格:¥ 1,890(税込)
発売日:2007-12
スペースシャトルの落日~失われた24年間の真実~スペースシャトルの落日~失われた24年間の真実~
価格:¥ 1,365(税込)
発売日:2005-05-12

ぼくはこういうマニアックなネタは弱いので、ディテールにおいて、間違いはあるかもしれないけれど、「再録」しておきます。



夢はどこだろう?──1960年代の宇宙開発

 1960年代の宇宙開発、特に有人宇宙飛行の分野での到達点は、21世紀のわれわれがいまだに超えることが出来ない高みにある。

 通常、我々は科学技術は常に進歩しており半世紀近く前の技術よりも、今現在の技術の方が優れていると仮定しがちだ。だが、こと有人宇宙飛行の技術については、こういった仮定がかならずしも当てはまらないかもしれない。

 もちろん、ディテールにおいては、現在の技術の方が優れていると言い切れる。例えば情報処理技術は有人宇宙飛行の成功の鍵を握るほど重要だが、現在のディジタル・コンピュータは、60年代後半の未だ黎明期のものとは比べると、もはや「同じもの」とは思えないほどの進歩を遂げている。ロケットエンジンだって、当時は難しかった液体水素・液体酸素の組み合わせでのロケット・エンジン(化学燃料のエンジンとしては理論的には最高の性能を示す)が実現している。

 にもかかわらず、今この瞬間、1961年のケネディ大統領の大号令のように「○○年までに月に人を送り届け、無事に連れかえる」という目標が我々に与えられたとしても、それが実現出来るかというと、はなはだ疑問なのだ。

 巨大なロケットを新たに再設計し、作り上げ、打ち上げる。宇宙船を設計し、作り上げ、運用する。複雑なシステムを統合し、管理し、リスク・マネジメントを徹底する……。

 リクツとしては、やってできないことはないだろう。けれど、出来る気がしない。なにが違うかというと……それは、モチベーションだ。本気度、というか、やる気、というか。

 1960年代のやつらは、限りなく「本気」だった。どうやってその本気スイッチがオンになったかというと……ぼくの考えでは二つの要素がある。

 それは、「敵」と「夢」。

 まず、「敵」について語ろう。
 アメリカ対ソビエト。あるいは、西対東。いわゆる東西冷戦の時代だ。強大な「敵」の存在が、ロケット技術の発展の種を撒いた。いやそれどころか、初期の有人宇宙飛行の成功の決定要因になった、という話。

 有人宇宙飛行を実現したロケット技術は、第二次世界大戦でナチスドイツが開発した、史上初の液体燃料ミサイルV2号(報復兵器2号)だったということになっている。終戦時、アメリカはウェルナー・フォン・ブラウンをはじめとする主要な技術者たちの投降を受け入れ(「おみやげ」はV2号を100機!)、一方、ソビエトはV2号の開発研究および運用が行われていたペーネミュンデの研究所そのものを接収した。つまり、アメリカもソビエトも、スタート地点は同じだった、ということだ。

 アメリカもソビエトも、V2号から得た知見を、当然のごとくミサイル技術として発展させていった。アメリカ側ではのちに「ロケット移民」と呼ばれるようになるフォン・ブラウンのチームが中心になり、ソビエトではセルゲイ・コロリョフを中心とする自国の開発チームが、ドイツから連れてこられた技術者から知識を吸収する形でそれぞれV2号が発展させられていった。

 ミサイル開発により熱心だったのは、ソビエトの方だったらしい。このあたりは通常軍備で劣るが故にそちらに力を注いだということらしいが、とにかく、そのせいで、ソビエトは1957年、史上初の大陸間弾道ミサイル(西側からはSS6と呼ばれた)を完成させることになった。そして、ソビエト政府は、その技術がそのまま宇宙ロケットに転用できることに気づいた。

 大陸間を巨大な核弾頭を載せて飛行するミサイルならば、相対的に軽い人工衛星(スプートニク1号)やライカ犬の入ったカプセル(スプートニク2号)くらい、地球周回軌道に持ち上げることができる。つまり、「ロケット=ミサイル」なのであり、その違いはと言えば「何を載せるのか」ということにすぎない。世に言う「スプートニク・ショック」は、かくして実現された。

 一方、先を越されたアメリカが、どうしたかというと、やはり、既存のミサイルを活用することで「やりかえす」しかなかった。アイゼンハワー大統領の肝煎りのバンガード・ロケットが無惨にも失敗した後で、翌1958年になってやっと、フォン・ブラウンのチームが、エクスプローラー衛星の打ち上げに成功する。この時に使ったジュノー1型ロケットの一段目は、レッドストーンと呼ばれるミサイルだった。とにもかくにも、V2号という出発点から歩き始め、「敵」の存在によって磨き上げた技術によって、有人宇宙飛行への第一歩が、二つの国において、それぞれしるされたのだった。

 ミサイル技術の転用によるロケット開発競争。いよいよ60年代が始まる。

 その前半は、ソビエトが先んじ、アメリカが追うというスタイルが常態だった。
 これにははっきりした理由があって、つまり、当時、ミサイル技術においてソビエトがアメリカを圧倒していたからだ。エクスプローラーを打ち上げたレッドストーンは、大陸間を飛ぶことなどほど遠い射程300キロ程度の短距離ミサイルだった。搭載したエクスプローラーの重量もわずか14キロほどで、84キログラムのスプートニク1号や508キロのスプートニク2号に比べると、なんとも貧弱だった。この時点での二国のロケット技術の差は、まさにミサイル技術の差そのものだった。

 スプートニク・ショックに続く、もうひとつの事件が1961年4月に起きる。ソビエトは、二段式のSS-6の上にさらに三段目を取り付けたヴォストーク・ロケットを開発し、人類初の宇宙飛行士ユーリ・ガガーリンの周回飛行をあっさり成功させてしまったのだ。このインパクトはある意味でスプートニク以上のものがあり、当時のアメリカ大統領、ジョン・F・ケネディをして、「1960年代が終わる前に人間を月に送り届け、無事に連れ戻す」と目標設定させるに至った。

 とはいっても、すぐにアメリカが有人宇宙飛行を成功させられるわけでもなく、レッドストーンやアトラスなど液体燃料ミサイルをあれやこれやと試しつつ、なんとか有人弾道飛行に成功したのがガガーリンの周回飛行の翌月。周回飛行にいたっては62年2月まで待たなければならなかった。

 アメリカはこの後、タイタン、デルタといった弾道ミサイルを次々とロケットに転用していくのだけれど(これらはその後長い間、アメリカの主力使い捨てロケットとして使われ続けることになる)、先を行くソビエトとの距離は詰まったかと思えばまた突き放され、せいぜい肩を並べたところまでで精一杯、という時代か続いた。

 ざっと年表などで確認してみると、ソビエトによる「初」の成功事例は、有人宇宙飛行関連だけでも、テレシコワによる女性の宇宙飛行(63年6月)、ウォスホート1号での複座式宇宙船(3人乗り)の成功(64年10月)、レオーノフによる宇宙遊泳(65年3月)などなどがあり、アメリカ側はすべて「後追い」だ。大陸間弾道ミサイルを先んじてロケットに転用したソビエトの「スタートダッシュ」が60年代前半だったといえる。

 さて、最初に挙げた「夢」はどこにいったのか、という話に当然、なる。

 それは、60年代後半に突如、はっきりと形を取る(とぼくは信じる)。
「敵」の存在により、ミサイル技術として発展されられたロケット技術が、この時点で、純粋宇宙開発技術になっていく。それがアポロ計画であり、要となったサターン・ロケットだ。

 ちなみに、1964年生まれのぼくは、1960年代の宇宙開発競争の記憶をリアルタイムのものとしては持っていない。それは、最初からひとつの完結した物語としてぼくの前にあった。最後はアポロの輝かしい成功に終わる「夢」のような物語であり、つまりはぼくの世代の子供たちの「将来の夢」を軒並み「宇宙飛行士」にさせた、宇宙的サクセスストーリーなのだった。

 こういうことは後から再構成された物語であり、60年代の宇宙開発競争の時代を生きた人たちにとって(特に当事国の人々にとって)は、もっと生々しく「夢だけでは語れない」ものだったに違いない。

 にもかかわらず、60年代後半の「月へ向かって一直線」といった勢いには、「敵」がどうしたとか、「国威発揚」といった要素を超えて、人々をモチベートした「宇宙への夢」をぼくは感じざるを得ない。

 それが証拠に、フォン・ブラウンだって、何十年もミサイルを開発し続けながら、夢はロケットだったと公言してはばからなかったし(評伝にも書いてある)、ソビエト側の立役者であるセルゲイ・コロリョフにしても、最初の大陸間弾道ミサイルの開発段階から、すでにロケットへの転用を夢想していた、という。いや、そもそも、宇宙ロケットよりもミサイルを作りたくてその道にはいった技術者なんてきわめて少数派だろう。

 宇宙開発はとにかくカネがかかるがゆえに、「敵」の存在によって活性化された軍事技術からの転用としてのみ、これまで実現されてきた。ところが、60年代後半において、少なくともアメリカという国では、ハードウェア、ソフトウェアの両面で軍事から独立した宇宙開発がありえた。その時、国威発揚や、冷戦下の安全保障と同じくらい大きな声で、人々は「夢」を語り、それを力にすることができた。一方、ソビエトにはそれがなかった。結果、アメリカ人たちは、彼らの歴史の中でも一番大きなアメリカン・ドリームを手に入れた。

 そんなことが実現できたのは、古今東西を俯瞰しても、この時代のアメリカ合衆国だけであり、「敵」と「夢」が絶妙にブレンドした、60年代の真骨頂なのだとぼくは感じている。

 最後に、メタルギアソリッド3にも少し関係するトリビア。

 1962年のキューバ危機の際に、ソビエトがキューバに配備しようとした中距離ミサイル、通称「SS-4(サンダル)」は、ソビエト側ではV-5Vと呼ばれる、いわばV2号の直接的な後継ラインだった。これはライカ犬やガガーリンを打ち上げたSS-6や、エクスプローラーを打ち上げたレッドストーン、果てはサターンロケットにいたるまでの、一連のミサイル/ロケットの進化の中で、きわめて正統的な位置を占めるものでもある。

 つまり、すべてのミサイルがそうであるように、あのミサイルも「きわめてロケット」だったのです。

 夢、感じますか?


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最初の記憶

2008-06-25 19:11:38 | 雑誌原稿などを公開
R0018055たぶん、ずいぶん前に何か雑誌に書いたエッセイ。「最初の記憶」というタイトル。
短いですが、ご賞味のほど。

*********************
 最初の記憶
 
 夏の日、祖母の家の庭。水を張った盥に、魚の形の菓子をいくつも浮かべた。水をかき回すと、菓子の魚が渦に飲み込まれる。ぼくは菓子が本物の魚のようにやがて泳ぎ出すと信じ、じっと見つめる。
 
 これをずっと「最初の記憶」だと思っていた。ところが、それがかなり怪しいのだ。古いアルバムには、このシーンを撮影した白黒写真が張ってある。父母から、その時の様子を聞かされたこともある。とすると、この記憶は、写真や父母の話から後になって再構成したものではないか。
 
 身近な人たちに聞いてみても、こういう「再構成派」はいる。ぼくのつれあいの場合は傑作で、「お腹の中から、母親がオルガンをひく姿を見たのが最初の記憶」と思っていたそうだ。
 
 人は何故そのように「最初の記憶」を求めるのだろう。たぶん、不安だから、ではないか。自分がどこから来たのか知りたいという欲求は誰にもある。それが切実だった子供の頃、ぼくは利用できる様々な材料を駆使して、あのしあわせな夏の日の「記憶」を作り上げた。今、それが本物の記憶ではないことを確信し、ちょっと寂しくもある。幼年期を「損した」気分。
 
 今、2歳の息子がいる。彼を見ながら思うのは、直接の記憶が残らないとして、逆に彼は、どういったことをこの時期に心の中に取り込むのだろう。先日、緑豊かな近所の公園に遊びに行った時、ひとつの答えを見つけた。緑が見えたとたん彼は歓声をあげた。足下に蟻を見つけ、顔を地面につけるようにして追いかける。父親であるぼくと一緒に──つまり、そういうことなのだ。
 
 緑の中で、楽しい気持ち、大地に足を踏みしめて立つ感覚を、ぼくはその時抱いていた。これは「記憶」にはない幼年期に形作られた情動。そして同じ時空を共有した息子は、やがてこの「記憶」を昇華して、この世界とのつき合い方、感受性のありようを決めていく。そんな気がしたのだ。
 
 ぼくにとって最初の記憶は、ある特定の出来事ではない。自分が世界の中にあるという感覚、情動そのものに違いない。そんなふうに考えたらストンと腑に落ちた。ぼくは損なんてしていない。


*****************
追記@2008



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冒険小説のころ

2008-06-16 21:03:55 | 雑誌原稿などを公開
2003年頃に、「ハーソンズ」という雑誌があったと思うのだけれど、それに書いた読書エッセイ。
言及される作品はこんなところ。
地底世界ペルシダー―ペルシダー・シリーズ (1966年) (ハヤカワ・SF・シリーズ)
価格:¥ 242(税込)
発売日:1966

ロスト・ワールド (1963年) (ハヤカワ・SF・シリーズ)
価格:(税込)
発売日:1963

冒険者たち―ガンバと15ひきの仲間冒険者たち―ガンバと15ひきの仲間
価格:¥ 798(税込)
発売日:2000-06

***********************

冒険小説のころ(2003年、パーソンズ掲載)

 千葉市の内陸部にある分校すれすれの小さな小学校に通っていた。人付き合いが苦痛で、休み時間も本ばかり読んでいる、まことに内向的でくらーい少年だったと思う。その割には冒険小説なんぞが好きで、バローズの『地底世界』シリーズや、ドイルの『ロストワールド』あたりを皮切りに、手当たり次第に読んでいた。で、きわめつけが『冒険者たち』。あえて解説が必要がないほどの、名作中の名作である。この時期にこの作品に出会えたのは幸運だったと思う。
 
 ところが、冒険小説ブームたけなわの小学校五年生の春、突如、天敵が現れる。学生運動の夢やぶれて教育の現場に新天地を求める体育会系の熱血教師。彼は昼休みに本を読んでいるぼくの首根っこをひっつかんで校庭へと引きずり出した。彼の価値観では「昼休みに読書」は不健全であり、ドッジボールをするのが正しいのだ。ぼくはなすすべもなく、小学校の最後の二年間を「昼休みスポーツ少年」として過ごさざるを得なかった。
 
 まったく迷惑な話だ。いやそれどころか、重大な損失だ。たぶんこのことだけで、小学五六年生の読書量は半減した。ぼくが意識している同世代の作家って、大抵、この時期、目一杯好きな本を読んでいる。半端に終わってしまった「物語世界の冒険」は、やっぱり「行くとこまで行っておく」べきだったのだとつくづく思う。それって小説家の「引き出しの数」にも如実に影響する。
 
 読書面だけじゃない。このプチ独裁者の圧政を生き延びるために、ぼくは内向的な性格を外に開く努力をしなければならなかった。おまけにいったん「外の世界」に目を向けると、確かにそこには探究するに足る多くの物事があるのも事実で、ぼくは長じて、ニュースをつくる仕事に就き、「取材」という枠内で人から見れば「冒険」に近いことをする半端なリアル冒険者になってしまった。我ながらなんだかなあ、である(それって好ましい教育効果だって?)。
 
 まあ、そんなふうに大いに人生の軌跡を狂わされつつも、『冒険者たち』だけは、時々、プチ冒険の旅のスーツケースの中にしのばせている。元「昼休み読書少年」のアイデンティティは、まさにこの本に集約されているような気がしてならないのだ。
*******************
 
 追記@2008
 ここで言及される天敵先生は、本当にぼくの人生を変えるほどのインパクトがあった人で、以前、紹介した「滝山コミューン」に通じる小学校ライフをぼくにプレゼントしてくれました。おかげできょうのぼくがあるわけです。
滝山コミューン一九七四滝山コミューン一九七四
価格:¥ 1,785(税込)
発売日:2007-05-19


 関連物件で、これも。ぼくが幼児だった頃に高校生だった人はこんなんだったのね、という話。それにしても、四方田さん、よくもまあこんなディテールおぼえているようなあ、と思う。
実はこの世代の人が教職を取って普通に赴任してくると、ぼくの小学生時代と重なるのですね。
ハイスクール1968 (新潮文庫 よ 30-1)
価格:¥ 540(税込)
発売日:2008-03-28

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指輪物語とインターネット

2008-06-10 17:59:15 | 雑誌原稿などを公開
これは、2004年くらいに共同通信か時事通信に書いたエッセイ。

言及されるのは、指輪のDVDなど。
ロード・オブ・ザ・リング コレクターズ・エディション トリロジーBOXロード・オブ・ザ・リング コレクターズ・エディション トリロジーBOX
価格:¥ 7,875(税込)
発売日:2005-12-14

**************************
指輪物語とインターネット

 ファンタジーの大作「指輪物語」とインターネットが密接な関係にあると言うと多くの人は驚くだろう。でも事実である。いや「史実」といった方が正確か。
 
 実は北米で「指輪物語」が爆発的に読まれていた時期とインターネットの草創期は重なる。ベトナム反戦運動が盛んだった頃だ。「指輪」は超大国の強大になりすぎた「力」を捨てる物語に読み替えられ「ガンダルフを大統領に!」を合い言葉にデモに参加する者が続出した。
 
 その一方、大学の奥深く(?)で一部の研究者に独占されていたコンピュータを有効利用できるよう、ネットを繋げた初期ハッカーたちも「力」の独占に批判的なヒッピー的民主主義者だった。
 
 だから、当時のネットユーザの多くが「指輪」の熱心な読者だったことは、ごく自然なことなのだ。電子メールのアドレスや、ネットに繋がったコンピュータの「名前」に相当するドメイン名には、フロド、ガンダルフといった「指輪」由来ものが競ってつけられ、メーリングリストでは「指輪」について大いに議論されたという。
 
 こういった「史実」に加え、「指輪/ネット」の連合が、我が国のサブカルチャーに直接影響を及ぼした経緯もある。インターネットの「本質」である経路制御プログラムを開発したハッカーは「指輪」をモチーフにした卓上ゲームのファンで、それをコンピュータでプレイできるプログラムを書いた。これがパソコンゲームを経て、「ドラクエ」や「FF」など、「ロールプレイングゲーム」の原形となったのだ。
 
 ここ数年、オンラインRPGが流行している。複数のプレイヤーがインターネットを介して「もう一つの世界」に接続し、そこで冒険を楽しむ。「エバークエスト」など代表的なタイトルをプレイすると、確かにここには「指輪」を読んで「中つ国」にどっぷりと浸かり込むのと似た感覚がある。結局、ネットと「指輪」は、草創期の「史実」を超えて、今も親和性が高いのだと印象づけられた。
 
 さて、「指輪物語」の映画化作品「ロード・オブ・ザ・リング」は、北米では「ハリーをしのぐ」人気だそうだ。そこでぼくはインターネットとの関係がふたたび気になり始めている。
 
 反戦運動の中で「指輪/ネット」が結びついたように、今回は同時テロ後の愛国ブームにわく時代背景だ。そういえば、9月11日直後「愛国の言説」に支配されたアメリカで、唯一「報復の連鎖を断て」と正論を提示しえたのは、既存マスコミではなくインターネットの小メディアだったとぼくは認識している。
 
 これは何を意味するのか。「力を捨てる」指輪の物語が今、多くの人に観られることが、悲劇の無限連鎖をくい止めるための「気付き」となるためには、マスコミではなくやはりネットが鍵を握るということだ。「指輪」と「ネット」の関係は、今まさに我々の世界のとても本質的な部分にかかわろうとしている。
*************
追記@2008
まあこれも有る意味で、スープネタなですよね。
The S.O.U.P. (角川文庫)The S.O.U.P. (角川文庫)
価格:¥ 780(税込)
発売日:2004-05

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ソングラインのこと

2008-06-09 07:22:39 | 雑誌原稿などを公開
なんの脈絡もなく、昔書いたエッセイ。
言及されるのはこちら。
ソングラインソングライン
価格:¥ 2,730(税込)
発売日:1994-07

なにしろ、ソングラインという概念の「美しさ」に魅せられて、チャトウィンみたいに謎解きの旅をしたくて、その真似ごとをしてみていた頃のお話。
********************
 ソングラインのこと(2004年「本の話」に掲載)

 オーストラリアのアボリジニが古くから歌いつないできた「ソングライン」について知ったのは、たぶんに漏れずチャトウィンの名著『ソングライン』のおかげで、かれこれ十年くらい前になる。

 遠い過去、オーストラリア大陸をアボリジニ祖先たちが放浪した道筋を織り込んだ歌というだけで、すでに心惹かれるものがあるのだけれど、加えて、今もそれが砂漠の中の泉と泉をつなぐ実用的な地図としても機能しているという説明に愕然とした。歴史+地図、つまり、時間と空間をつなぐ不思議な歌。そんな美しいイメージが頭の中に定着して、いつか自分の耳で聞きたいと願った。
 
 野生生物の写真を撮って紀行文を書く仕事を多くこなしていた時期だった。その関係で、オーストラリアには何度も行ったことがあり、つてをたどってあるアボリジニの共同体に居候する約束をとりつけた。興味の中心は、海辺に位置するその共同体で行われているジュゴン漁だったのだけれど、漁はしょっちゅう行われるわけでもないから、ぼくはありあまる時間を「ソングライン探索」に費やした。
 
 ぼくの質問に誰もが口を濁す。ああ、そういうのがあるね。うん、そういうもんだ、と「歌」の存在については肯定するものの、じゃあ、歌ってよと言っても、ニヤリと笑って、立ち去ってしまう、といったふう。
 
 窮状を救ってくれたのが齢八十歳のケイティばあさんで、ぼくは日なが部屋でうつらうつらしている彼女を訪ねては「昔の歌」をせがんだ。しわがれた声で部族語で歌い、その後で英語に訳してくれるのは、やはり、祖先がどうやってここにやってきたのかを盛り込んだ、ソングラインの歌だった。くらくらするほど暑い午後の風通しの悪い部屋の中で、ぼくはたしかにアボリジニの歌の精髄に触れた(気がした)。
 
 でも、まだまだだ。ケイティばあさんの記憶の中のソングラインではなく、「今ここ」のソングラインを知りたい。聴きたい。
 
 チャンスが訪れたのは、それから数年後。オーストラリア最大の砂漠であるグレートサンディ砂漠の入り口までランドクルーザーで繰り出した。近くの町で知り合った、アボリジニの家族と一緒だ。祖先の地である砂漠に行きたかった彼らと、アボリジニと一緒に砂漠に行きたかったぼくの利害関係が完全に一致したということ。
 
 砂漠とはいっても地面が完全に砂地というわけではなく、スピニフェクス呼ばれる「イタタ草」(葉の先端が尖っていて触ると痛い)や数々の灌木に覆われている。
 
 アボリジニの家族は、食用になる植物をあちこちから採取してきて、おまけに灌木の皮を剥いで中から白いムチムチの幼虫をひっぱりだしてはパクパク食べていた。彼らにとって祖先に直接つながる「ブッシュ・フード」であって、今となっては極上の珍味と感じられるらしい。ぼくも幼虫は無理にしても、ブッシュバナナあたりは結構イケルのを発見して、ひたすら食べた。
 
 問題はソングライン。

 小高い丘に立てば、ぼくの目には見えないにしても、あちこちに泉と泉を結ぶ歌のネットワークが張り巡らせているはずだ。それを「その場」において聞きたい。ソングラインの歌が土地と結びつき、時間をも超える秘密を、まさに「今ここ」で実感したいとぼくは願った。
 
 例によって、曖昧な微笑みが帰ってくる。
 ひょっとして、この人たち、もうソングラインを忘れちゃった世代のかもと思うと、ふと口の中でむにょむにょと口ずさんだりして、実に思わせぶりだ。
 そして、「ソングラインは、ソングラインだ」みたいな堂々巡りの発言をして煙に巻く。
 
「この大陸はぜんぶソングラインに覆われてます。それは神秘です。大陸すべてが歌なのですよ」と言ったのは、白人のコーディネーター。「いいですか、耳を澄ませば歌が聞こえてきます。それがソングラインです。ソングラインによって、アボリジニは大地と、そして精霊たちとつながるのです。それがアボリジニの精神世界【スピリチュアル・ワールド】なのです」

 彼は複数のアボリジニ妻との間に十人以上の子供を設けた、アボリジニ文化にどっふりな男だから、基本的には彼の発言に重きを置いていたのだけれど、それにしてもこの能天気な言いぐさはないと思った。

 その夜は、砂丘の上にマットを敷いて、空を見上げて眠った。滴り落ちてきそうな銀河を感じながら聴く風の音は、砂漠の砂が擦れ合って立てる音楽のようでもあって、眠たい頭の中で幾重にもつながる砂丘の彼方へと導くソングラインの歌に変換れさた。ああ、なるほどと、コーディネーターの言葉に一応は納得。風の音は、耳を凝らせばソングラインそのものなのだ。
 
 でも、それだけのこと。
 ぼくには神秘家の素養はないので、別にそれでミステリアスなアボリジニの精神世界に届いたなんて全然思わないし、大地の精霊につながったとも思わない。朝の光の中では、むしろ、そう感じかけた自分が気恥ずかしくもあった。結局、ソングラインをめぐる旅は、チャトウィンに遠く及ばず(当たり前?)、ぼくの頭の中では、核心の部分がすっきり理解できないままだ。その概念の美しさに相変わらず魅了されていることも相変わらずで、時間と空間を吹き抜ける風というのは確かにあるのだ、ということだけは確信を持って言える。

************
追記@2008

これはたぶん、「はじまりのうたを探す旅」を書いた時に版元のPR誌に書いたものだったか。
よく覚えていない。
ちなみに、この時、ぼくを砂漠につれていってくれた男は、ジョンといって「郵便屋」(ポスティ)だった。
ケイティばあさんは、アウトステーション(人里離れたところにあるアボリジニの集落)から都市に引き上げてきており、まだ健在だった。
さすがに今は……だけれど。
なぜか胸が苦しいほど、懐かしい。

はじまりのうたをさがす旅  赤い風のソングラインはじまりのうたをさがす旅 赤い風のソングライン
価格:¥ 1,890(税込)
発売日:2004-09-11


そういえば、この小説の中でこっそり「引用」したBeckも終わったなあ。
最後の何回かは、予定調和のアマアマなかんじになったけれど、それでオーケイってかんじでした。
そして、音楽漫画の正統は、DMCへ……かな(笑)。
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個人史的な小文その4(2000年の「読書人」から)「フィクション? ノンフィクション?」

2008-05-25 14:34:18 | 雑誌原稿などを公開
2000年シリーズ。
読書人という読書新聞に書いた文章。えらそうに、自分の文章遍歴をつづっています。
4日連続で掲載の最終回。


 フィクション? ノンフィクション?

 今、仕事の軸足をノンフィクションから小説へとシフトさせつつある。
 
 より正確にいえば、ノンフィクションの取材をいま行っていないということ。すでに書き上がっている原稿もあるから、あとしばらくノンフィクションを出版することになるが、それらはぼくの中ではもう「済んだこと」だ。いずれ「第二期ノンフィクション時代」がやってくる気もしているが、それがいつかはその時にならないと分からない。
 
 こういったことは、もともと小説書きを目指していたぼくにとって、ごく自然なことだ。小説を世に問う前にノンフィクションをまとめて出版できる機会を得たことの方が、「予定外」の出来事だった。
 
 最初の本である「クジラを捕って、考えた」を書いた時それがノンフィクションというジャンルに分類されるということすら自覚していなかった。その後、たて続けに何冊か、興味のあることを調べ、現場にでかけ、感じ、考えるというプロセスを本にした。それらもすべて、ノンフィクションとして読まれた。
 
 しかし、それが常に居心地が悪かった。
 そもそも、ノンフィクションというのは何だろう。非フィクションという屈折した表現。「虚構ではない」と二重否定するくらいなら、「事実」だとか「本当の話」と名乗ればいいものを、わざわざ「非虚構」と言い張る。そんな不合理な言葉が、ひとつのジャンルの名前として定着しているのはどんな理由なのか、ぼくにはさっぱりわからない。
 
 そして、自分が書いたものが、「非虚構」かと問われると、実はとても困る。はっきり言って虚構だとぼくは思っていたから。もちろん、事実レヴェルでの嘘はない(ように努力している)。しかし、確定できない事実の解釈、事実を積み重ねて物語を紡ぎはじめた時に、書かれたものは、やはりフィクションへの漸近線をたどる。それに自覚的であればあるほど「非虚構」などと言い張れなくなるのだ。
 
 だから、一冊まるまる、ひとつのテーマで統合された大河ドラマのごときノンフィクションはぼくには書けない。その努力を、はなから放棄してしまっている。
 
 それでも、最初の本では、航海記の形をとることで分裂しがちな物語をかろうじて維持した。しかし、「イルカとぼくらの微妙な関係」「動物園にできること」「緑のマンハッタン」では、自分の取材したこと、体験したことを、総合し、一つながりの物語にすることをまったく考えなくなってしまった。
 
 そのかわりに、原稿用紙でせいぜい30枚から50枚程度で完結するような、小さな物語を本の中に詰め込む。グランドセオリーを紡ぎあげる虚構性よりも、小さな物語に終始することで、あまり、全体の流れに左右されず、自分が見て、感じ、考えたことを、ダイレクトに述べることができる。
 
 つまり、嘘が少ない。しかし、その嘘の少なさは、非虚構の物語を維持するために、ぎりぎりの努力を続けるノンフィクションの「正しい」在り方に逆行するものかもしれない。つまり、「非虚構なんてありえない」と最初から諦めてしまっているという意味で。
 
 本当に、自分が書いたものが、ノンフィクションを名乗ってよいものかどうかさっぱりわからなくなる。
 
 こういったことを、知人に話したら、「いっそのこと、『脱・フィクション』と名乗ればよいのではないか」と言われたことがある。これは明らかにうがちすぎた。ぼくの書くものは、フィクションを脱していない。
 
 しかし、この指摘で、自分なりに腑に落ちる説明を思いついた。
 
 つまり、未フィクションであり、前フィクションなのである。
 
 ぼくがこれまで書いてきたノンフィクションは、大きな物語に成長する前の前駆体のようなものを、書き散らしたものなではないか。だから、首尾一貫していないし、本来だったら統合の過程で失われるような夾雑物もたくさん残っている。
 
 別に、否定的な意味で言っているわけではない。「自分にはこれしか出来ない」というアプローチだ。事実と虚構との間で、一番、やりやすい場所を、身体感覚に従ってみつけた場所がたまたまここだっただけだ。それに、この未成熟な方法で書かれたものが、ちゃんと人に届くこともあったと信じているし。ただ、あまり発展性がある手法であるとも思えない。この先にあるものが、目下のところ想像できない。
 
 今、小説を書くことに熱中しているけれど、いつかまた、ノンフィクションとして世に問うべきテーマに出会うことはきっとある。そんな時、自分がどんな方法をとるのか。その時には、また、素朴な身体感覚に立ち戻ってやり直すしかないと思っている。
 
************

追記@2008
この時に念頭においていた自分のノンフィクションというのは、こんなあたり。
緑のマンハッタン―「環境」をめぐるニューヨーク生活(ライフ)緑のマンハッタン―「環境」をめぐるニューヨーク生活(ライフ)
価格:¥ 1,800(税込)
発売日:2000-03
イルカとぼくらの微妙な関係イルカとぼくらの微妙な関係
価格:¥ 1,680(税込)
発売日:1997-08
動物園にできること (文春文庫)動物園にできること (文春文庫)
価格:¥ 690(税込)
発売日:2006-03-10

今、ひとめぐりして、たとえばPTAについて、ノンフィクション的なものを書かねばならないなあと思っていたり、かつてと同じ位置ではないけれど、螺旋を描きながら前に進んでいるきょうこのごろ、ですね。
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個人史的な小文その3(2000年の「読書人」から)「夏のロケット」が出るまで

2008-05-24 21:52:47 | 雑誌原稿などを公開
2000年に読書人という読書新聞に書いた文章。えらそうに、自分の文章遍歴をつづっています。
4日連続で掲載予定の2回目。今回は、えらそう、というか、情けないというか、いわゆる苦労話ですね。
言及されるのは、こちら。
夏のロケット (文春文庫)夏のロケット (文春文庫)
価格:¥ 670(税込)
発売日:2002-05



「夏のロケット」が出るまで

 社会人2年生の時、「夏のロケット」という小説を書いた。納得のいく出来映えだったので、「これでデビューしよう」と決めた。そして、それは実現した。ただし8年も後になって。そこまでの道を、思い出すと、これが結構、笑いあり、涙ありの物語だ。
 
 作品の簡単に内容を言うと、ロケット造りに夢をかける不良青年というか中年なりかけたちの物語である。いつか自分たちのロケットで火星に行きたいと願っている、クレイジーな連中のホラ話。作者は青春小説とした書いた。
 
 この作品には、ひとつ重大な欠陥があった。つまり、原稿用紙800枚と、新人賞に出すには長すぎるのだ。また、ジャンル不詳で、ぴったりの新人賞もない。そこで採用した営業方針とは、こんなふうだった。
 
 片っ端から出版社に電話する。「小説を書いたのですが、読んでいただけませんか。できましたらお会いしてお渡ししたいのですが」。ポイントは、手当たり次第に電話することと、できれば手渡すこと。そして、応対にいちいと落ち込まないこと。
 
 編集者は多忙だ。飛び込みの原稿なんて読んでいる暇はほとんどない。だから、その時の編集者の忙しさ、機嫌、会ったときの印象、などによって様々な対応があり得る。出版業界になんらコネはなかったので、ここは厚顔無恥になって、アポ取りの絨毯爆撃をするしかなかった。
 
 結局30社以上に電話をして、10人ほどの編集者に会い、その半分からは、「面接」の段階では、好感触を得た。
 
 1週間後、大手S社のMさんから電話。興奮して、「絶対に本にする」と言う。翌月から、ぼくは取材で船に乗り、半年ほど日本を離れることになっていた。従って、小説の手直しはできないのだが、彼女はものともしない。「航海記もうちから、是非」と言われて、天に昇る気分だった。
 
 さて、半年後、日本に帰ってくると、雲行きが怪しい。Mさんいわく、「最近、本づくりに疲れて、やる気がなくて……」。少々、ノイローゼ気味なのだという。「それにこの作品長すぎるわ。半分くらいのを別に書いてみない」
 
 悔しいので、400枚の作品を書いて送りつけたが、なしのつぶて。たぶん読んでもらえなかったのだろう。
 
 とにかくこれにて「夏ロケ」出版計画は振り出しに戻った。初心に帰って、出版社への絨毯爆撃を開始する。「おもしろい」と言ってくれる編集者には何人も出会った。しかし、長さがネックになって「うちで出しましょう」ということにはならない。
 
 次に「是非うちで」と言ってくれたのは、O社のFさん。この会社は、アグレッシヴな編集方針で知られ、小説も多くはないが出している。アグレッシヴに売ってもらえるなら願ってもない。
 
 そこから、およそ1年にわたって、大いなる改稿作業が始まる。途中、へこたれそうにもなったが、ようやく「次回の改稿で入稿しましょう」ということになった。ところが、そのFさんが、突如、リストラされてしまうのだ。企画はそのまま残り、Fさんの上司にあたる人物としばらく作業を続けたが、結局は、方針があわず断念。
 
 そこでFさんが移籍したJ社に行く。また、改稿をして、さあ、入稿という段になって、妙なところから横やりが入った。消費税が5パーセントに上がる。その時、料金表示をどうするか。大手の出版社が価格の表示方法を決めてから追従するという。カバー掛け替えの費用もバカにならないから、しばらく出版点数を絞る……と待っている内に、さらに困ったことになった。マニュアル本などを多く出しているJ社は、一般書の収益が悪いため、当面、一般書を出さないと決定したのである。これで再々度、「夏ロケ」は宙に浮いた。
 
 最終的に版元になった文藝春秋の編集者と出会い、光が射した。すでにノンフィクションは書き始めていたので、その関係で訪ねた雑誌編集者だった。事情を話すと読んでくれて、サントリーミステリー大賞への応募を薦めた。「審査にゆだねて賞がもらえれば、出版できるように掛け合う」と。なんとか枚数を切りつめ規定枚数におさめ、応募した。
 
 ミステリーではない。それでもなんとか最終に残った。98年1月、選考会の結果を、留学先のニューヨークで聞いた。「ミステリーではない」と批判されたが、「優秀作品賞」をもらうことができた。その年の10月、本になった。
 
 結局、新人賞を通ることで世に出たわけで、最初からそうしていれば、という気持ちはある。それでも、何人かの編集者との真剣なやりとりが、この本の最終形と、今の自分を作ったともいえる。
 
 まわり道をしたことが、良かったのか悪かったのかなんて、結局分からない。ただ、こうやって送り出した作品は、8年間いぢくりまわした分の、断層や傷跡が今もほのみえて、本人にとってはとても愛しい。
 
 
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 追記@2008年
 短いのを書いてと言われていそいで書いたのは、ステラー海牛をさがしにいくUMAものでした。
 また、この時期、ずっと夏ロケばかり改稿していたわけではなく、時々、中断しては何か書いてましたね。
 たとえば、これ。
 
せちやん 星を聴く人 (講談社文庫)せちやん 星を聴く人 (講談社文庫)
価格:¥ 540(税込)
発売日:2006-10-14
この作品の原形も、夏ロケが世に出る前にはもうできていたのでした。

あと……さらに言うと、大手S社のMさんは、「夏のロケット」が出た時、心からうれしそうに「よかったじゃないー、おめでとー」と喜んでくれました。いい人です。


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