川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

バルバレスのシミュレーションに感謝

2006-02-28 23:34:34 | サッカーとか、スポーツ一般
ボスニア・ヘルツェゴビナ戦。
先制して、だらだら守ってなんとか逃げ切りというゲームプランだってありえたなかで、バルバレスの見事なシミュレーション(スロー再生判断)で、学習コンテンツ満載の試合になった。
本当に感謝。


ねむたいので、簡単に留めるけれど……キックの強さと精度って大事だと思う。

日本だと「うまい」というのは、ボールを足下に置いた時のうまさを言うことが多い。
でも、サッカーはパスゲームなので、キックが強く正確でないと、いまひとつうまくいかない。

日本の選手は、そこそこ正確なパスを蹴るけれど、強くは蹴れない。
強くて正確、というのは困難なようだ。
そこがボスニア・ヘルツェゴビナのみならず、欧州のチームと戦うときの大きな違いに思えることが多い。

あ、一般論ではなく、この試合については、ロスタイムの同点劇というのは、たいへんよろしかったか、と。
やっぱり、人間って、「成功体験」によって、成長する部分がある。
ロスタイムに追いついたり、勝ち越したりする経験というのは、 確実にチームの勝負マインドを底上げする。
本当によい「強化」になったのではないかな。

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算法少女!

2006-02-28 08:37:00 | 自分の書いたもの
遠藤寛子作。1979年の作品。
図書館でずっと気になっていたのを借りた。
児童書のコーナーで、誰に借りられるわけでもなく行くたびにそこにあり……いつかいつかと思いつつ、何年かが過ぎ……やっと読んだ。


面白かった!
ほんとこういうのを書きたいものだと思う。つい和算関係の本を検索して、アマゾンで注文してしまったくらい。

さてさてどんな話かというと、関孝和よりも少し後の時代、和算の得意な神田の少女が、算数好きの武家の目に留まって流派あらそいに巻き込まれたり、最後は算法を広めていくために寺小屋形式の塾を運営するようになったり、というストーリー。

復刊ドットコムでも、復刊願いが出てる。
それに値する。

ちなみに、「算法少女」というのは、遠藤氏の作品のタイトルであると同時に、実在する江戸時代の和算書のタイトルでもある。それがすごくいい。この和算書には、無限級数を使って円周率を求めるやり方なんぞも書いてあるらしい。

さらに詳しくは、こちらのサイトなど。

リンク: 算法少女.
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岡田尊司氏の「脳内汚染」について(3月2日追記)

2006-02-27 11:09:49 | ひとが書いたもの
「ゲーム脳」の森昭雄氏が、脳のハードが壊れると言うのに対して、岡田氏はソフトが壊れるという。
つまり、「弱い」ゲーム脳理論といえる。
主張が弱くなっている分、議論は「ゲーム脳の恐怖」よりずっと洗練されているし、素人がみて気付く明らかな飛躍も少ないのではないか、と思う。
素人であるぼくでも、1ページごとに「あれれっ」と思っていた森氏の著作とは大違いだ。

森氏の著作が、専門領域以前の「科学的思考」の部分で論外だったのに対して、岡田氏の著作は専門家による精読が必要なものであると思う。まずは問題提起として、精神医学に携わる方や、その関連領域の方は、この著作を「たたいて」いただきたと思う(たとえば引用されている研究の妥当性や、言及されていないが実は重要な他研究(単に知らない)などもふくめ、ぼくには判断能力なし、である。都合の良い研究のつまみ食いの可能性は、こういう「単純な結論」を導く一般書の場合、常に警戒しなきゃならないことなので……追記です)。

にもかかわらず、ぼくが引っかかりを覚えるいくつかの疑問点があって、それについてコメントする。

まず、岡田氏の現状認識としての、少年の「信じられないような」犯罪が増えているというが、本当なのか。
岡田氏は、近年メディアを賑わしたさまざまな少年犯罪を列挙するわけだが、我々は自分が生きた時代のこと、とりわけ「最近」のことはよく覚えており、昔のことはよく知らない。
だから、「信じられないような」犯罪を列挙されても、それが昔に比べて増えていることにはならないだろう。たとえば、ウェブ上で閲覧できる「少年犯罪データベース」の異常犯罪についてまとめたサイト(http://kangaeru.s59.xrea.com/ijou.htm)同じく、大量殺人についてのまとめ(http://kangaeru.s59.xrea.com/fukusudouitu.htm)などを見ていると、「信じられないような」犯罪は、昭和から平成のそれぞれの時期で、やはり起こっている。

この最初の現実認識が違えば、のちの論理展開も違ってくる訳で、こういう部分は重要。

一方、少年の傷害事件などが、各国で増えているというのは重要な指摘だと思う。さらにその一方、日本の少年って、ほかの国(データの示されているアメリカ、イギリス、オーストラリア)に比べて、「凶暴」じゃないのね、という印象も持つ。

この現実認識から先、岡田氏は「寝屋川調査」なるものに依存して論を進めるわけだが、これは大元の調査結果の方が閲覧できないので、よく分からない。講談社から出版されるそうだから、それまで待つべし、なのかもしれない。

ただひとつ言えるのは、疫学的には洗練されていない、ということ。
まず、症例対照研究的な発想をすべきところで、その発想が見えない。
さらに致命的にみえるのは、「交絡」という概念が存在していない(ように読める)ことだ。
岡田氏は、「統計的な検定はしている」(サンデー毎日)とのことだけれど、検定だけでは交絡はコントロールできない。

たとえは岡田氏は、寝屋川調査で、「過保護、愛情不足、相互の理解不足を、ゲームやネット依存を助長する要因だと示された」という主旨のことを言うけれど、これらのことは、ゲームと関係なく、「少年」を犯罪に向かわせる要因になりえるのではないか。もしも、そうだとしたら、ゲーム、過保護、愛情不足、相互の理解不足のうち、どれが一番「効いている」のか。なんてことが、当然、疑問として湧いてくる。それに答えることができるのは、交絡をきちんとコントロールした疫学研究だけだ。

理想を言えば、調査の前から、疫学的な発想を持って質問票を考えるべきだったろう(ひょっとして、それがなされていれば素晴らしいのだが)。もしも、それがなかっととしても、分析には疫学者が噛むべきだろう。岡田氏も京都大学で研究歴があるなら、医療統計学の佐藤俊哉氏(「しまりす」の著者ですね)周辺に、疫学に明るい人材がいることを知っていてもよさそうなものだけれど。

さらに、終盤で、岡田氏は、「おそろしい仮説」について述べる。それは、「これまでの精神医学の常識は、根底から覆る可能性がある」ようなものであり、岡田氏自身も「すべて正しい仮説でないと信じたい」というほどのものだ。

具体的にいえば……つまり、ゲームやネットは、諸悪の根元、らしいのである。
不登校、引きこもり、家庭内暴力、ニート、学級崩壊、ADHD、発達障害、境界性人格障害、DV、虐待、性犯罪、自傷、自殺。
岡田氏は、このようなことを具体的に論じているのが、実際にはこれだけでなく我々の社会に今起きているさまざまな「異常現象」の原因を、ゲーム・ネットが作っていると読める。

すごい大風呂敷で、首をひねらざるを得ない。
岡田氏は、「大変なことが起きているかしれないという客観的な可能性について、現場の臨床医として、またこ問題について研究する中で、それを知るに到った者が口を閉ざしていることは、やはり不誠実だと思う」として、これらのことについて述べるのだが、もちろん、誠実に述べてくれるのは大歓迎だ。

ただし、こういった一般書にいきなり書くよりも前に、専門家共同体の中での検討を経るべきではないか。岡田氏は、これを仮説と言うけれど、現状では仮説の上に立てられた仮説、でしかない。
警鐘を鳴らしているつもりであろうが、もしもほかに大きな原因がある場合には、「目くらまし」にすらなりかねない。
本人にはリアリティを持って感じられたとしても、それが本当にそうなのかは、研究者共同体の検討を経てはじめて「一歩前進」となるものだ。
それを経ずに、研究者としての「権威」や「客観性」だけを活用し、物をいうのはフェアではないと思う。

実はこれは、寝屋川調査の発表の仕方についても同じことを思う。
岡田氏が寝屋川調査の結果を、いきなり一般書ではなく、研究論文という形で、しっかりした査読つきのジャーナルに投稿していたら、当然、交絡のコントロールについての指摘がなされて、岡田氏自身、自説を再検証せざるを得なかっただろう。

それを、いきなり一般書で、あたかも科学的に承認されたことのように流通させるのは、いかがなものか、という気がするのだ。
今後かりに岡田氏自身が、交絡の重要性に気付いたとしても、一度、流通し広まった「耳目に入りやすい」情報はなかなか修正できないものだ。

もっとも、このあたたり、研究者・専門家が、「論文以前」の問題を、大きな声で述べたくなった場合、どうすればいいか、という問題でもあり、実はなかなか難しい。
もちろん、「言うな」なんて誰にも言えないのだ。

岡田氏だって、本人が大きなリアリティをもって「今すぐ」伝えるべき仮説だと確信したからこういう本を書いているわけだろう。それを止めるわけにはいかない。
そして、ぼく自身も、「ゲームのやりすぎは要注意」という気持を新たにもした。ゲームの麻薬性についても留意すべきと思ったし、だからといってゲームを一切させないというのは、逆に心配だ、などと思いめぐらせるほどのインパクトは受けた。

しかし、その際に、議論が「論文にすらなっておらず、研究者共同体の目に触れていないこと」は、やはり明示してほしいのだ。研究者が書いたら、「権威」があり、「客観的」である、と自動的に思われることが多いわけだけれど、その「権威」と「客観性」を維持するための手続きをとりあえずはしょっていることを、明示して欲しい。もちろん著者は、そんなこと明示してあると言うかもしれないけれど、ぼくにはかなり「断定的」に読める部分が多かった。

なおかつ、できるだけ早く投稿だ。手っ取り早く、共同体の反応を知るためには、学会発表もすべきかもしれない。
岡田氏には、これを切に期待する。

追記
新潮45にて、柳田邦夫氏が、小泉総理大臣への手紙という形をとって、「脳内汚染」の内容を紹介し、「学校からパソコンをなくせ」と主張している。さっそく、こういう議論が出てきたことに衝撃を受ける。岡田氏にとってこれは本意、だろうか。

追記2
同じ疫学研究でも、食中毒やら感染症やらの疫学では、専門誌への投稿を待っていられないケースが多々ある。逆に、こういう時の機動力が疫学の力でもある、ということも忘れてはならない。
ちなみに、岡田氏は、疫学の力をまったく活用していないので、どのみち、この限りにあらず、なのだが。

追記(3月2日)
評論家・松沢呉一氏や精神科医・風野春樹氏の「脳内汚染批判」を読む。
http://www.pot.co.jp/matsukuro/archives/2005/12/18/109726
http://psychodoc.eek.jp/diary/?date=20060202#p02
ぼくは読み飛ばしてしまったけれど、ごもっともだ。
ゲームの麻薬性を論じるさいに引かれたネイチャー誌論文の「ゲームをするとドーパミンが出る」というのは、「そりゃあ、あたりまえ」レベルの話ですね。
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飛ぶペンギン。背景は空。

2006-02-27 07:04:17 | 保育園、小学校、育児やら教育やら
Penずいぶん時間が空いたけれど、旭山シリーズその2。
ぺんぎん館での衝撃。
これも、いくら「映像」をみていても、実際に目の前にするとまったく別次元の体験だった。
水槽の「中に入って」、見上げると、ペンギンが「飛ぶ」のがよくわかるのだ。
おまけに背景は青空!
こんなシーンを自分の目で見ることは、この展示がなければ一生なかっただろう。
ぼくは知る人ぞひるペンギン作家(?)なので、野生のペンギンを見てきた歴は、日本国内水準でいえばかなり上の方だし、ひょっとするとペンギンと一緒に泳ぐ、なんて体験を将来しないともかぎらない。ガラパゴスあたりにいってシュノーケリングすれば、遠巻きにであれ、ペンギンを見ることはできるそうだし。
でも、この近さは無理だろう。あるいは、このアングルは無理だろう。
彼らがいかに「飛び回るか」、自分の「息」の心配をせずにじっくり見るのは無理だろう。
そういう意味で、すごい展示だ。
堪能しました。

ひとつだけ気になることがあって……それは、この展示について、多くの旭山本が語る際の、定型的な言い回し。
なにやら、このアクリルチューブ、「屋外」にあるわけで、アクリルが温度によって伸び縮みする性質から、最初は業者が嫌がったそうなのだ。それを動物園側が「すべての責任は取る」ということで、前向きに進み始めた、みたいな話。
もちろん、結果として、伸び縮みを吸収する緩衝材を入れたりして、「安全」なものに仕上がったのだろう。
でも、「責任は取る」って、意気込みを示す言葉としてはともかく、美談(?)としては扱ってほしくない気がするのだ。

だって、何かが起きた時、誰にも責任なんてとれないから。
「責任を取る」という発言の多くは、実は問題が実際に起きた時には、無責任な発言だったと分かる。

ぼく自身、この展示の成立について取材したわけではないので、ここで気になっているのは「事実がどうだったか」よりも、むしろ、「伝えられ方」なのだけれど……。

もっとも、これは動物園の話、ではない。
むしろ、すぐに「責任を取る」と言いたがる、我々の文化の話。
責任というのは、本来取るべき立場の人以外には取れないのだ。
そして、取ればいいってものではないのだ。
なんてことを、最近、まったく別件で感じることが多いがゆえ。
(かといって、取らなくて良い、ってもんでは、断固としてないわけだが)

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雨だし日曜日だし、Alden

2006-02-26 09:35:00 | きうらきら光ったりするもの
Aldenなんかダルな日曜日。息子もスキーに行ってしまったし、ヒマネタでも。
というのが、先週、はじめて購入したAldenのコードヴァンのプレイントゥ。アメリカの靴屋さんに注文を出して、サイズを特注してもらった。しっかり関税も取られたけれど、日本で買う2割引きくらいの価格にはなったから、まあ、いいか。

で、具合はというと……

まだ履きこんでいないからなんとも言えないけれど、やはり良い感じでフィットする。
有名なモディファイドラストではなく、バリーラストでも、踏まずのフィット感は良好。その点では満足満足。モディファイドも履いてみたくなる。

それにしても、作りが荒い!
たぶん、イギリスの靴なら、リジェクト品になるんじゃないかってほど。ステッチワークにせよ、ディテールが雑なのだ。
でも、それが逆に味になるのが、このメーカーのすごいところなのだろう。

あと、コードウァンの艶々かげん、とてもいい。

ちなみに、ぼくのサイズは6ハーフのCワイズ。もちろんアメリカサイズ。
センチ表示なら25.5/26あたりの靴がだいたい合う。
身長にくらべてかなり足が小さい。
ロングノーズならともかく、こういうオーソドックスなラウンドタイプでは、足下のバランスが悪くなりがち。
ひょっとしてら、7Cくらいにして中敷き調整って手もあったかな、と思っているけれど、「ふまず」のフィットを考えたら、やはり中敷きなしでのジャストサイズを優先なんだろうなあ、と。

ちなみに、バリーラストはDワイズからのスタートなので、Cは特注なのでした。
でも、なんか、細くてALDENぽくないよね。

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斎藤環氏が朝日新聞に書いていたこと

2006-02-26 07:16:43 | 保育園、小学校、育児やら教育やら
昨日(2月25日土曜日)の朝日新聞「わたしの視点・ウイークエンド」は、「子どもの安全と社会」というテーマで、斎藤環氏の「意見」が掲載されている。長浜の幼稚園児刺殺事件とからめて「子どもの安全」を問いなおす、というような企画。斎藤氏の「意見」は、とてもバランスのよい、また、ポジティヴな提言を持ったものだと思う。注目。

論旨はというと……
斎藤氏は長浜事件は、二つの点で示唆的だとする。
ひとつは、子どもの治安対策の鍵とされる「治安のための地域共同体の再構築」そのものが新たな犯意の温床になる構造。これは非常に重たい問題である。「他者や異物を排除することが、内なる他者を呼び覚ましてしまうよく知られた逆説」。斎藤氏は、兆候的な事件、という。

もうひとつは、昨年11月の広島での事件と同様「外国人」による犯行だったということ。これについて斎藤氏は、メディアの「「外国人の犯罪」する無関心さは尋常ではない」とする。
もちろん、こういうことは容易に外国人の差別へとつながりかねないので慎重になるべきであることは言うまでもないのだが、にもかかわらず、外国人が犯意を持つにいたる構造とはどうなっているのか。どうサポートできるのか、というふうな議論すら起こってこないことはどうなのだろうとたしかにぼくも思う。たくさんの「外国人」が実際にこの国にいるわけで、一過性の事件だなどと考えるのは間違いだなんじゃないだろうか。

斎藤氏は、こういったことの原因を、「世間の興味や関心の度合いに従って物事の優先順位が決まるから」、と説明する。「統計上は減少傾向にある最少年による殺人や、存在するかどうかすら怪しい「おたくの犯罪」ないし「有害メディアの影響」がこれほど議論されるのも、世間(=メディア)がいつでも「青少年の心の闇」や「有害メディア」には興味津々であるため」、だと。

こういった風潮の中、精神科医は、つい「原因探し」「犯罪の予測」などを求められるわけだが、斎藤氏はこれについて警鐘を鳴らす。そんな「占い師」みたいなことは、不可能だ、と。

本来的には、精神科医のやるべきことは、「占い師」の仕事ではなく、「いじめや被害的感情につながりにくい共同体をどう構築するか」、「外国人の異文化不適応問題に対処するか」という方だと、正論を述べる。

なんか、論旨とぼくの感想が混じってしまったので、興味のある方は直接紙面を確認のこと。

それにしても、同じく「占い師」の役割を担っている、一部の脳科学者たちは、この文脈でいえば、本来どんな仕事をすべきなのだろう。

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留守番のススメに思うこと

2006-02-25 18:26:26 | 保育園、小学校、育児やら教育やら
Gakudo学童の保護者会があって、来年度、学童に入る子の保護者にくばっているというパンフレットを一部もらってきた。なかなかよくできていて、全国の自治体から参考にさせてくれとひっぱりだと、なものらしい。ふむふむ、どんなことが書いてあるのか……。

Gakudou2要するに、これまでは保護者に送り迎えされていた環境から、一人で学校に行って帰ってくるこれからの環境への移行をどうするか、という話。特に「留守家庭」にフォーカスしているので、いかに子どもが「自分でできる」ようにさせるかという話が多い。鍵の管理とか、登校時間とか帰宅時間のこととか。
そして、「留守番の練習をしよう」という項目があって、たしかに、それは必要なんだけれど、それが我が国の現実なのだなあ、とため息をついた。

アメリカにちょっと住んだことがあるけれど、子どもを一人家において買い物にでかけようものなら、それは犯罪になってしまうような文化だ。子どもが自動車免許を自分で取るようになるまでは、どこにいくにも親の送迎は当たり前。その分、放課後の「学童」的なるものも充実している。従姉がすんでいるロスアンジェルスでは、最近は教育熱心のコリアンが経営する「学習指導」型の学童が流行っているとか。塾と学童保育がくっついたとみたいなものだろう。

それはそれとして、我が国では、というか、ぼくの知る限りの身近なところでは、子どもが一人で家に帰って、2時間も3時間も親の帰りを待っている、というような「留守家庭」が結構ある。これは暗い夜道を一人で帰らせたくないから日のあるうちに帰って待っていなさい、ということなのだけれど、「暗い夜道」か「3時間留守番」のどちらを取るかって結構、究極の選択のような気がする。3年生くらいになればともかく、それこそゲームなんぞでもしながら時間を潰すかもしれないが、一年生は怖がるだろう。

Gakudou3で、パンフレットは、「ひとりで家にいられる怖さを解消するアイデア」をいくつか挙げてくれている。
「何かして気を紛らわす作戦」。テレビをみたり、おやつをみたり、好きなことをしたり。
「音・光り作戦」。音の出るものをつける。明かりをつけたままにしておく。
「電話・手紙作戦」。保護者へ電話。保護者も電話したり、おやつと手紙を用意したり。
「イメージ作り作戦」。見通しをつける。お守りになるものを持たせる。普段の会話で、一人の時間も悪くないと強調する(文句を言われずに、好きなことできるでしょ、とか。)

むー。読んでいて、逆に切実になってきた。
慣れないと、やはり心細いんだろうなあ。

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「動物園にできること」の文庫版見本が届く

2006-02-25 09:59:31 | 川のこと、水のこと、生き物のこと
Zoo「動物園にできるこ」の文庫版見本が届いた。3月10日の配本なのに……。2週間も前に刷り上がっているのはすごい……。
というわけで、関係者にお送りする見本も来週あたりまでにはばたばたと届く予定です。


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ぶれない軸

2006-02-24 06:02:09 | サッカーとか、スポーツ一般
横浜の戸塚に、F・マリノスの岡田武史監督に会いに行く。

「銀河のワールドカップ」のプロモーションのための対談という形式だが、実態はかぎりなくインタビュー。

サッカー監督である、ということはいかなることなのか、というのが興味の中心なのだが、実に刺激的だった。
岡田監督はたぶん、カテゴリーとして「頭のいい人」であり、「考え抜いている人」だ。
頭のいい人が考え抜いて、それを実践の中で確認しまたも考え抜いていくと、どこかで質的な飛躍を遂げて、単なる論理性を超えたパーソナリティを身につけるにいたる。

軸のぶれないパーソナリティ。
サッカー監督はパーソナリティである、ということを誰かが言っていた。
そして、破綻したパーソナリティでもってチームを強くする監督もいたりするのがサッカー監督という仕事の深さなのだが、岡田監督は軸のぶれないパーソナリティで勝負している。
そんなかんじ。

岡田監督が、フランスワールドカップに臨んだ時の年齢は、42歳。
ちょうど今の自分と一緒なのだと気づき、驚愕する。

内容は……小説すばるの4月売りの号に掲載予定。

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「ゲーム脳講演」について、世田谷区からの再回答

2006-02-23 07:09:03 | トンデモな人やコト
世田谷区の健康づくり課長から直接電話がかかってくる。

二度目の「中止申し入れ」に対する回答。

結局、以前聞いていた通りの形で講演会は開催。
講師に対しては、これまでに世田谷区に寄せられた多くの「意見」やネット上での批判などを見せた上で、あくまでの一つの考えとして提示するというスタンスでお願いした、という(すでに打ち合わせ済み、とのこと)。

講師が質問に答える時間も多く設ける。講演中に回収した質問票を元にしたものになる予定。ただ、それだけでは一方的なものになってしまうおそれがあるため、質問に答えた講師に対して、再質問する時間もとる。ただ時間的にはそれほど長くはないだろう。
「是非手を挙げてください」と言われ、「そりゃあ、挙げますよ」と答えておく。

いずれにしても、「開催」は想定内なので、当日いってまいります。
お時間のある方は是非。

なお、文書での回答を求めていたのだけれど、口頭でよいか、との申し出。
了承する。
深追いしても仕方在るまい、という気分。
当日のリポートを待て、ということで。

ここからはある種、撤退戦的な話になっていくけれど、実は撤退戦でもなんでもない。
これを機に、ポジティヴな方向へ持っていきたいものだ。
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なぜ症例対照研究をしないのか(ゲーム脳をめぐる謎、および提言)

2006-02-22 06:23:38 | トンデモな人やコト
事態が「様子見」の今のうちに、大事なことをひとつ。

ゲームで「ゲーム脳」(前頭前野がダメージ受ける)になるかならないかにかかわらず、「ゲームをたくさんする」→「キレる」「凶悪犯罪をおかす」といった疑念は今の世の中には満ち満ちている。たとえば「脳内汚染」は、森氏が言うような物理的なダメージを脳に想定しているわけではないが「ソフト」が書き換わることによって、凶悪犯罪が増えているのではないか、としている。

その可能性はないわけじゃない。
確認するための方法は、唯一、「疫学」だ。
最初に断っておくべきは、ゲームによってかりに凶悪犯罪をおかしがちな「少年」が増えるのだとしても、それは、戦後20年、30年間くらいゲームのなかった世の中ほどではない、ということ。昔の方が、「少年の凶悪犯罪」は多いのだ。(http://kangaeru.s59.xrea.com/G-Satujin.htm)
現時点の少年の凶悪犯罪(ここでは殺人)の10万人あたり発生率は、たとえば森昭雄氏が十代だった頃の率の数分の一だ。
当時の「理由」はなにだろう。貧困であったり、すさんだ世相であったり、さまざまな複合的な理由が想定されるが、決定的な理由は分からない。
とにかく、もしも、現時点での少年の凶悪犯罪の原因が「ゲーム」だったとしても、それは今から数十年前の日本に匹敵するほどには「率」を上げる効果はないことは確認しておかねばらない。

これは、喫煙とがんの関係にも似ている。
かつて、感染症や栄養の問題で人がどんどん死んでいた時代、ヘヴィスモーカーであっても、肺がんになるだけ長生きしなかった。今でもアフリカの最貧国の中には、喫煙の害よりも先に、栄養不良や感染症で命を落とす人の方が多い国があると聞く。
ましてや、受動喫煙など、そういう国・時代では問題にもならないだろう。

ゲームと少年の凶悪犯罪の関係がとりざたされるのも、ある意味では昔よりも「安全」な世の中になったからだ。
わずか数十年前、ゲームのない世の中で、ゲームとは別の理由で、少年の凶悪犯罪(殺人)が多発していたことは、議論のベースとして忘れてはならない。

さてさて、本論。
ゲームをしすぎると、キレるようになるか。
ゲームをしすぎると、凶悪犯罪に走るか。

どちらでもゲームとの因果関係を疫学の方法で追及することはできる。

現在文部科学省が予定しているのは1万人規模の追跡調査だという。
コホート研究という、疫学研究の一種だ。
集団を何年にもわたって追跡し、その中で病気(この場合は「キレる」や「凶悪犯罪」)が出るのを観察して原因をさぐっていく。

実はこれに関してはかなり心配している。

まず現時点において、疫学者が噛んでいないこと。
また、1万人という数が少ないこと。

たとえば、追跡調査の結果、「キレる子」がどれだけでてくるだろう。あるいは、凶悪犯罪をおかす子がどれだけ出てくるだろう。

「キレる子」に関しては、まず明確な定義が必要。
「キレる」に具体的な定義をほどこして、やればよいのだが、普通につかわれる「キレる」はかなり融通無碍だ。「キレる」をクリアに定義できないと、研究も「切れ味」が悪くなる。

一方、凶悪犯罪の方は定義が楽だ。
たとえば、殺人事件で検挙された少年、とすれば、それで済むのではないか。
もっとも、今度は数の少なさが問題になる。
目下、一年間に殺人事件で検挙される少年は、10万人あたり、0.5人あたりを前後している。
とすると、かりに10年間追跡したとしても、一万人あたりの「期待値」は1以下なのだ(0.5人前後ということになる)。これでは研究にならない。

結局、コホート研究で大事になるのは、「キレる」ことの定義か。
うまいやり方もあるだろう。だから悲観することもないのだけれど、少なくとも疫学者を最初から巻き込んでその「うまいやり方」を考えないとだめだ。

実は、疫学には別の有効な武器がある。
不思議なことに、この件について、だれも指摘しているのを見たことがない。
つまり……症例対照研究はできないものだろうか。

症例対照研究は、日本ではなぜか精度が悪いと思われているのだが、実は発生頻度が少ない場合はむしろ有利だ。コホート研究は集団を追跡することでなんとなく信頼がおけるイメージがもたれがちなのだが、実際には脱落の問題が必ず起きるし、また、発生頻度が少ない病気については実際には不可能なくらい大きなコホート(追跡する集団)が必要になって、効率も精度も悪くなる。

だから、症例対照研究。

症例対照研究とは、簡単に言うと、すでに病気(この場合は凶悪犯罪をおかすということ)になっている人と、病気になっていな人を比較することで原因をさぐる手法。

つまり……毎年数十人の少年が殺人をおかしたとして検挙されているわけで、彼らについてデータをとり、犯罪をおかさなかったほかの群と比較できればよい。

この場合、ゲームは「曝露」だ。
疫学の言葉だけれど、たとえば、たばこの煙に晒されていることを、たばこの煙に曝露している、という。アスベスト工場の周辺の人たちはアスベストに曝露しているし、携帯電話を使うひとは電磁波に曝露している。
ゲームと凶悪犯罪についての関係を知りたければ、ゲームへの曝露についての質問票を作って、情報を集めることになる。

具体的には、「一日にどれだけゲームで遊んできたか」というのが最初に思いつく質問。
さらに、「カバンの中にいつもゲームを持ち歩いているか」、「ゲームの種類」、「親のゲームの買い与え方」、「親のゲームに対する考え方」など、ゲーム関連の関係ありそうなことも聞いておくとよい。

ただ、ゲームだけの情報では、「因果関係」は追及できない。
見かけでは原因のようにみえて、実は背後に別の原因があった、ということはよくあることなのだ(交絡という)。

たとえば、うちの近所に、鼻炎の原因はエアコンだと信じている耳鼻科の医師がいる。彼はエアコンが普及しはじめた頃から、急に鼻炎が増えたと感じており、実際にデータも取っている(すべての患者にエアコンを使っているかどうか聞いている。そして、ほとんど患者は使っている。なぜなら現在の生活で、職場や自宅や通勤を含めて、エアコンに触れずに一日を過ごすのは逆に困難だ)。
しかし、エアコンが増えた時期には、同時に花粉やら、排気ガスやらが増えたり(たぶん)、生活習慣も替わったりしているわけで、それだけで、鼻炎の原因がエアコンだとはいえない。彼は疫学を知らないのだ(と指摘したら、えらく怒られた)。ほかの原因候補(あるいは、交絡要因の候補)を想定せずに、鼻炎になる人はエアコンを使っている、ということでのみ自説を主張している。
ひょっとすると彼の主張は正しいのかもしれないのだが、目下のところ、科学的な説得力はない。

ゲームの研究でも当然、交絡を考慮して、ほかの原因となりうることを質問票に盛り込んでおかねばならない。
どんなことが、交絡の候補になるだろうか。凶悪犯罪をおかすところまで少年が「追い込まれる」ためには、どんな原因候補が考えられるだろうか。
家庭環境はもちろんだけれど、学校での環境、人間関係、テレビやビデオの視聴、なども聞かなければならないだろう。ほかにもまだ聞くべきことがあるだろう。

結果は、オッズ比、という形で出てくる。
これは、凶悪犯罪のように発生率が小さい場合には、相対危険度の近似値だ。
たとえは、ゲームをすると、しない場合にくらべて、凶悪犯罪の発生が○○パーセント上がる(下がる)、といふうに解釈できる数値。

繰り返すけれど、その際、やはり交絡には要注意。

かりに見かけ上、ゲームによってリスクがあがっているように見えても、「ゲームに子守をさせる」ような家庭環境に真の原因が隠れているかもしれない。ゲームへの曝露といっしょに増減する別の要因があるかもしれない。
そのあたりの交絡のコントロールはしっかりしなければならない。

というわけで……ゲームと凶悪犯罪の関係を調べたければ、症例対照研究をすればいい。
何年も待つ必要はないのだ。
周到な質問票と、せいぜい百人や二百人くらいの話を聞き取ることができればそれで足りるのだ。

逆にできない理由って、何かあるのだろうか。
プライバシーや、人権? ひょっとしたら「少年法の壁」というのが、ここにもあるのだろうか。ただ、切実な問題だと考えるなら、クリアする方法もきっとある。
省庁をまたいだ大研究にならざるをえない、など、そういう「やりにくさ」もあるのかもしれないと想像する。
これは、省庁に身を置いたことのないものにはなかなか分からないことだが、たしかに「ある」らしい。

いずれにしても、コホート研究をして、10年間結果を待つよりも、症例対照研究の方が「時間がかからず」「凶悪犯罪とゲームの関係については唯一」といってよい方法なのだと強調しておきたい。

ちなみに、疫学については、このエントリでは、充分に説明できていないので……
「ロスマンの疫学??科学的思考への誘い」(篠原出版新社 )か、「市民のための疫学入門??医学ニュースから環境裁判まで」(津田敏秀、緑風出版)を参照のこと。後者の方が読みやすい。
疫学はリスクコミュニケーションの基本中の基本だから、これについてしっかり知っておくことは、実は「サバイバル・スキル」さえあると思う。損は絶対しない。

さてさて、最後に。
いろいろ書いたけれど、にもかかわらず、ぼくはゲームと凶悪犯罪の関係を調べる疫学研究は、「別にいらないんじゃないか」と思っている。
なぜなら……だって、少年の凶悪犯罪、増えていないもの。
増えている、異常事態だ、と思っている人は、是非やってみるといい、というお話。
その割には、ちょっと気合いが入ってしまったけれど……。
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「おかちゃん」と会う

2006-02-22 05:28:15 | サッカーとか、スポーツ一般
急な話だけれど、「おかちゃん」と会うことになった。
サッカーでおかちゃんといえば、あの岡田監督だ。

日本で唯一、「ワールドカップに行った監督」。
いろいろ聞きたいことはあるが、四方山話になっても仕方ないので、焦点を絞っていかねば。
ああだこうだと思い悩む……。

ある種の「監督論」?
サッカーの本質って、岡田監督にとってなんですか。という変な問いとか。

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絵本の読み聞かせリスト1

2006-02-21 11:02:49 | 保育園、小学校、育児やら教育やら
「おおさむこさむ」 こいでやすこ 
「あみものおつきさま」 しばはら・ち 
「森になったライオン」 松原裕子 
「ぼく、グジグジ」 チェン・チーユエン 
「エルマー!エルマー!」 デイヴィッド・マッキー 
「むかしの子供」 五味太郎 
「もうふくん」 山脇恭・西巻茅子
「ゆきがしんしんしん」(あーあー森のはりねずみ一家) 土田義晴
「ぼくきょうりゅう」 高畠純 越野民雄
「ねぼすけクンちゃん」 のらり&くらり
「おひさまどうぶつえんのひみつのともだち」 斉藤栄美 岡本順

娘のお気に入りは、「あみものお月さま」。
ぽくのお気に入りは、「森になったライオン」

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今更ながら、理論としての「ゲーム脳」の問題点を指摘すると……

2006-02-20 20:54:52 | トンデモな人やコト
 本当に今更だ。でも、自分なりの整理があってもいいかなと思い、書き留めておく。メモなので、乱筆ご容赦(って、いつもだが)。
 自分の学会の会報に発表された森論考(論文とは書かないことにする)を見る限り、「ゲーム脳」理論は、三つのパートからなる。つまり、本来、最低三つにわけて、別々に論証しなければならないことがごっちゃになっている。

(1)新しい機器であるブレイモニタを実験に使うことの妥当性。
(2)(1)が妥当であるとして、得られたデータから、「ゲームをしている子は、ゲーム脳と呼ばれる状態になっていること(前頭前野にダメージを受けている)」を導くこと。
(3)(2)が示されたとして、「ゲーム脳」の子は、キレやすく、凶悪犯罪を引き起こしがちであることを示すこと。

このうち、(1)はとても分かりやすい「つっこみどころ」。古くは斎藤環氏、最近ではサンデー毎日の記事で久保田競氏の批判もある。

(3)については、ぼくが知る限り明言した人はないけれど、これもはっきり言える部分。「ゲーム脳の子がキレる、凶悪犯罪に走る」ということを論証するための方法は、「疫学」しかない。そして、森氏はそれをせずに、印象論で片づけている。やるべき研究をやっていないのだから、「ダメ」と明確に言える。

問題は(2)。
ゲームに費やす時間が長いと「アルファ波優位」になるなら、これが前頭前野の「細胞の脱落」であるとか、物理的ダメージを受けたと言えるのか。もちろん、素人としても、「単にゲームに慣れている人の方が操作に慣れているからだろう」というくらいのことは言えるのだが、森氏がごちゃごちゃとそれらしいことを「論考」でも、著書でも、 「データらしきもの」を出した上で述べているがゆえにややこしくなる。素人が「それは嘘です」と言ったとしても、「ほかの素人」「さらなる素人」には通じにくい。この部分についてこそ、専門の研究者のつっこみが必要な部分。
目下、我々素人分析ではなく、脳科学の専門領域からの反論(?)としては、"Regional glucose metabolic changes after learning a complex visuospatial/motor task: a positron emission tomographic study."(http://www.ncbi.nlm.nih.gov/entrez/query.fcgi?cmd=Retrieve&db=PubMed&list_uids=1617405&dopt=Abstract)という先行研究があると指摘できるのみ、か。
Brain research(査読付き)に掲載されたこの論文によれば、被験者たちはテトリスを4週間から8週間毎日プレイし、その間の脳波の変化をモニタすると、「慣れれば慣れるほど、脳の活動は低くなる」という結果を得た。この時、論文の著者は、ゲームによって脳が破壊されたとは結論せず、単に習熟によって、脳をフル稼働せずに済むようになった、と解釈している。森氏だったら、ここでいきなり「ゲーム脳だ」と言ったに違いない。

そんなこんな。

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久々に走ってみるが……

2006-02-20 06:36:00 | 日々のわざ
12月にフットサルで膝を痛めてから、ずっと走っていない。
もう日常生活には支障がないし、自転車だってぐんぐん漕げる。だから、そろそろ走ってみようと思ったら大間違い。
痛い。
自転車を漕ぐときのような伸ばしたり縮めたりする動きはともかく、「ねじり」に弱い。走るときって、意外にねじっているのだなと知る。特に地面を蹴る時とか。
当分まともにスポーツできないなあ。
プールで上半身だけで泳いだりしてこよう。

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