川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

『「色のふしぎ」と不思議な社会──2020年代の「色覚」原論』(川端裕人 筑摩書房)を紹介します。

2020-11-06 21:32:33 | 自分の書いたもの

『「色のふしぎ」と不思議な社会──2020年代の「色覚」原論』(川端裕人 筑摩書房)を紹介します。

 まず、最初に、エクストリームな読書体験をお約束します。
 個人史上、一番、気合が入ったノンフィクションです。

 執筆中、自分はこれを書くために生まれてきたのでは、とはさすがに思いませんでしたが、このためにスキルを積み上げてきたのではないかとは常に感じていました。培った技術を十全に使って、この大きな問題の輪郭を捉え、ディテールに宿る大切なことをすくい上げようと努力しました。壮大に滑っているかもしれませんが、大切なことを壮大かつ的確に捉えているかもしれません。それはご判断ただければと思いますが、かりに全体がイビツであったとしても、それ自体、掘り出すことが必要だった多くのパーツから成っていると確信しています。

 具体的な内容はというと──
 21世紀になってからほとんどアップデートされなかった「色覚の科学」の最先端に追いついた上で、色ってなんだろう、色の見え方ってなんだろう、色覚異常ってなんだろう、ということを追いかけています。

 すると、色覚について考えることが、「ゲノムの時代の練習問題」「多様性の時代のはじめの一歩」というふうに見え始えてきたよ、という話です。

 まず章立てを紹介します。

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はじめに〜準備の章 先天色覚異常ってなんだろう

(第1部)"今"を知り、古きを温ねる
第1章 21世紀の眼科のリアリティ
第2章 20世紀の当事者と社会のリアリティ

(第2部)21世紀の色覚のサイエンス
第3章 色覚の進化と遺伝
第4章 目に入った光が色になるまで

(第3部)色覚の医学と科学をめぐって
第6章 多様な、そして、連続したもの
第7章 誰が誰をあぶり出すのか──色覚スクリーニングをめぐって

終章 残響を鎮める、新しい物語を始める
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 なんとなくイメージできますか?

 まだ書き上げたばかりのぼくは、頭がぼーっとしたままで、うまくまとめることができないので、冒頭の文章を採録しておきます。

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 はじめに

「色」という現象は、とても不思議だ。
 近代科学の父、アイザック・ニュートンが「光そのものには色はついていない」(『光学』、1704年)と看破した通り、色は自然界にあるものではなく、ヒトの感覚器の「仕様」によって脳内で塗り分けられてそのように見えている。しかし、個々人にとって圧倒的にリアルな感覚でもあって、多くの人は、普段、目の前の色が「実在かどうか」などと意識することはない。

 ただし、いわゆる色覚異常(先天色覚異常)が絡むと話は別だ。
 一般には区別できて当然の色の組み合わせが、ある人たちには区別できないというのは、これまで「色とは何か」深く考えたことがない人にとっては驚愕に値する。一方で、先天色覚異常の当事者たちは、検査ではじめてそう告げられた時、自分が見ている世界が他の人とは違うかもしれないと強い衝撃を受ける。いずれの立場でも「色という日常」に亀裂が入ることは間違いない。 

 そこから一歩進んで、それぞれに違う色世界について理解を深められればいいのだが、必ずしもそうはいかない。かつて、ぼくたちの社会では、色という主観を尊重するよりも、「正常と異常」とに区別することにひたすら執着するおかしな状況にあった。その不思議な社会では、今から考えると驚くべき多種多様な方面で、色覚を理由にした進学・就労の制限、遺伝的な差別があり、当事者と家族は社会的スティグマを負わされた。

 さすがに最近では緩和されており、このまま時間がたてばやがてかつての残響は消えていくのかもしれないと考えられたのだが、この5年ほどのうちに局面が動いた。詳しくは後述するが、どうやらこれは放置してよい問題ではなく、あらためて考え直さなければならないようだ。

 と同時に、その考察の作業を通じて、これからの社会に貢献できる部分が大いにあるように思えてきた。「多様性の時代」であり「ゲノム時代」とも言われる21世紀において、より健全な世界観を手に入れるための練習問題ですらあるかもしれない、と。
 
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 本当に、壮大に我々が思い込んできたこと、みずからはまってしまったピットフォールに、気づく時、ではないのかな、と、今思っています。

 エンジョイ!

 よろしくお願いいたします!


各章を紹介します。 『「色のふしぎ」と不思議な社会──2020年代の「色覚」原論』(川端裕人 筑摩書房)

2020-11-06 18:20:01 | ひとが書いたもの

『「色のふしぎ」と不思議な社会──2020年代の「色覚」原論』(筑摩書房)を紹介、その2です。

 前回は章立てを出しておきながら、内容的にはほとんど触れなかったので、今回は「本書のロードマップ」をかついまんで紹介します。

 まずは、章立てをあらためて。

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はじめに〜準備の章 先天色覚異常ってなんだろう

(第1部)"今"を知り、古きを温ねる
第1章 21世紀の眼科のリアリティ
第2章 20世紀の当事者と社会のリアリティ

(第2部)21世紀の色覚のサイエンス
第3章 色覚の進化と遺伝
第4章 目に入った光が色になるまで

(第3部)色覚の医学と科学をめぐって
第6章 多様な、そして、連続したもの
第7章 誰が誰をあぶり出すのか──色覚スクリーニングをめぐって

終章 残響を鎮める、新しい物語を始める
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 そして、各章の内容は、以下の通り。

 基本、第一部で問題設定して、第二部で背景となる科学的知識を仕入れ、第三部で本格検討するというような構成です。

●第一部は、現況の確認と20世紀の振り返りです。
 第1章「眼科のリアリティ」では、ぼくがこの問題にふたたび関心を持つようになった学校健診での色覚検査の「再開」をめぐる経緯をたどり、第2章「20世紀の当事者と社会のリアリティ」では、章題通り、20世紀をかえりみます。先天色覚異常の当事者が、就学や就労の制限を通じて、いかに社会から締め出されてきたのか、あらためて調べました。20世紀の証言で、「保健体育の先生から、「色盲は結婚するな」というような言葉を聞いたという証言があるんですが、それが実際に、保健の教科書に書いてある(色覚異常を代表とする遺伝的な欠陥を持った者は、結婚に対して慎重であらねばならないというような論調)話だったのだと再確認しました。しかし、本当にここまでのことだったとは……。

●第二部は、現代的なサイエンスから色覚を見ます
 この部分は、取材も執筆もとても楽しく、いったん書籍版の倍以上の原稿を書いた上で削りました。読者も大筋において「知的探求」として楽しんでいただけるとうれしい部分です。

 第3章「色覚の進化と遺伝」では、まず、東京大学の河村正二さんらの研究を中心に、霊長類進化、人類進化の中で、色覚の多様性がとどんな意味を持っていたのか考察します。日本遺伝学会が、先天色覚異常を今後、「異常」として扱わないと宣言した真意にも本章で迫ります。

 第4章「目に入った光が色になるまで」では、色覚の基礎研究で今、抜きん出た存在の一人である栗木一郎さん(東北大学電気通信研究所・准教授)にガイド役をお願いして、文字通り、眼球のレンズである水晶体を通って目に入った光が、網膜で電気的な信号に変わり、その信号が脳に伝えられて、色として感じられるまでを追いかけます。ほとんどすべてのトピックにおいて、色覚の多様性についての注記すべき点があり、つまり、人類が持っている色覚の多様性を示唆してやみません。

●ここまでで、21世紀の色覚の科学を俯瞰したなら、第三部では、その背景知識を持ったまま、ふたたび、ヒトの先天色覚異常の話題に戻ります。すると、これまでの狭い枠組みでは見えなかった様々なことが、まさに「色鮮やか」に見えてくるという目論見です。

 第5章「多様な、そして、連続したもの」では、前章までで見た「多様性」の具体的な事例を、今そこにあるものとして、見つめ直します。「多様性」だけでなく「連続性」についてもここで意識することになります。ぼくも久々に色覚検査を受けてみました。

 第6章「誰が誰をあぶり出すのか 色覚スクリーニングをめぐって」では、このような「多様性と連続性」を所与のものとした時、日本の学校健診で行われてきた検査が、まったく「科学的」ではなかったかもしれない驚くべき可能性に切り込みます。少なくとも21世紀の今は、新しい考えで検査を考え直さねばなりません。この部分は、ぼくが慎重に下した結論を、専門家のみなさんもぜひ検証し、発展的な議論をしたいところです。

 終章では、21世紀の色覚異常の問題をどう扱うべきか考えた上で、「色覚」から見える景観の広がりについて考え、少しばかりの他分野へと「リンクを張る」試みをします。なにしろ、ゲノムの世紀、多様性の世紀の練習問題とまで、ぼくは思っておりますので。


 以上です!

 これで、ちょっとは中身をイメージしていただけたでしょうか。

 なかなか、要約しにくくて、スミマセン。

 今はまだ中身に入り込みすぎていて、言いたいことがありすぎて……というような状況なのです。というわけで、そのうちに各章についての記事を別々に書くかもしれません。