令和元年最後の日である。しなければいけないことは山積みであるが、
寒さにかこつけてストーブの番をしながら、田中治郎著 「歴史と人物でわかる仏教」を読んでいる。
今から60年も前のこと、近松の道行文「曽根崎心中」を互いに口ずさんだ人がいる。
「この世のなごり 夜もなごり ・・・・・あれ数うれば暁の 七つの時が六つ鳴りて
残る一つが今生の 鐘の響きの聞きおさめ 寂滅為楽とひびくなり・・・・」
”寂滅為楽”の意味も知らずに、いつか調べようと思いながらずるずると生きてきた。
今日仏教の解説書を読んでいたら、釈尊の入滅の時に、天界の神帝釈天が、「無常偈」と呼ばれる詩を唱えた。
それが次の偈である。「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽」。
この意味を、知らずに子供の時から口ずさんでいるのは、次の言葉である。
いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのをくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせすん
との内容を、80歳にして今日初めて知る。年越しの日にして、一つだけ賢くなったかな??