引越しした時には、名刺代わりに石鹸とか砂糖などを持って、
各家を挨拶して廻った。しかし最近マンション等においては、それもなくなり、
管理人さんに訊ねても、個人情報ということで教えてもらえないとのこと。
隣の人の名前も知らないのだから、寂しい限りである。
中国・昆山在住のY氏が、病院に行った時の写真である。
病院玄関で(なぜ玄関なのか知らない)、子供が点滴を受けている。
医師は患者の時計を使って、脈拍を計っている。
下は診察室内の写真である。順番待ちの患者も、廊下にいる人達も、
診察を受けている患者の周りで、その様子を見ることが出来る。
医師がレントゲン写真の結果を説明していると、
周りに皆集まって説明を熱心に聞いている。
個人情報なんてどこ吹く風。字引にも「個人情報」という字はないのであろう。
ちょっと怖い話である。
各家を挨拶して廻った。しかし最近マンション等においては、それもなくなり、
管理人さんに訊ねても、個人情報ということで教えてもらえないとのこと。
隣の人の名前も知らないのだから、寂しい限りである。
中国・昆山在住のY氏が、病院に行った時の写真である。
病院玄関で(なぜ玄関なのか知らない)、子供が点滴を受けている。
医師は患者の時計を使って、脈拍を計っている。
下は診察室内の写真である。順番待ちの患者も、廊下にいる人達も、
診察を受けている患者の周りで、その様子を見ることが出来る。
医師がレントゲン写真の結果を説明していると、
周りに皆集まって説明を熱心に聞いている。
個人情報なんてどこ吹く風。字引にも「個人情報」という字はないのであろう。
ちょっと怖い話である。
教員免許も10年ごとに更新するよう制度を変えるとのニュース。
この話題に巷の批評家達が飛びついた。
世の中資格だらけなのに、国会議員にはなぜ資格が要らないのだとの話になる。
「政治学」の講義を受けて資格証明書があるとか、
試験合格証を持っているとかの場合のみ、立候補が出来る制度にする。
すると、それを金で買う者が出てくるから意味がなくなるであろう。
保釈金5億円を払って、半自由の身になる人もいる世の中である。
貧富の格差は拡がりつつある。
お金持ちが日本を動かし、貧者は喘ぎながらわめくだけになる。
次期首相は誰を推薦するかと話も出て、
喧々諤々巷の批評家達の威勢のよいこと。このように活発な意見が出ると、
居眠りなどは出来ない。
今日の会合は、読書会と称しているが、新聞や週刊誌の読書会になった。
この話題に巷の批評家達が飛びついた。
世の中資格だらけなのに、国会議員にはなぜ資格が要らないのだとの話になる。
「政治学」の講義を受けて資格証明書があるとか、
試験合格証を持っているとかの場合のみ、立候補が出来る制度にする。
すると、それを金で買う者が出てくるから意味がなくなるであろう。
保釈金5億円を払って、半自由の身になる人もいる世の中である。
貧富の格差は拡がりつつある。
お金持ちが日本を動かし、貧者は喘ぎながらわめくだけになる。
次期首相は誰を推薦するかと話も出て、
喧々諤々巷の批評家達の威勢のよいこと。このように活発な意見が出ると、
居眠りなどは出来ない。
今日の会合は、読書会と称しているが、新聞や週刊誌の読書会になった。
藤原 正彦著 新潮新書
長期間ベストセラーを続けている本を、
一読もしていないでは話にならないので、借りて読む。
数学者が書かれた本なので、難解かとビクビクしながら読み始めた。
結構理解しやすく、納得できる内容である。市場原理主義、グローバル化へと
急速に進路を変えつつある日本人に大きな警鐘を鳴らしている。
論理は重要であるが、論理の正しさだけで社会の荒廃を止めることは出来ない。
数学においては全て論理で説明できるが、人間にとって
最も重要なことは、論理では説明できない。殺人がなぜいけないかは、
論理では説明できない。「問答無用」と言うことである。
論理には出発点がある。「AならばBである。BならばCである。………」
と言う出発点Aがある。基礎になるAが違っていると、最後の結論も当然違う。
論理そのものが正しいとしても、Aなる出発点が一番問題となる。
藤原氏は、出発点Aを「情緒」と「形」という言葉で表している。
総合力、美意識、人生哲学と置き換えてもよいのではないだろうか?
”その人がどういう親に育てられてか、どのような先生や友達に会ってきたか、
どのような小説や詩歌を読んで涙を流したか、どのような恋愛・失恋・片思いを
経験してきたか、どのような悲しい別れに出会ってきたか、
こういう諸々のことがすべてあわさって、その人の情緒力を形成し、
論理の出発点Aを選ばせているわけです”
国際人として、世界から尊敬される日本人になるために、
小学校から英語を学ぶというのは、主客転倒である。
情緒や形を育てる主力は、読書である。若い時には、古典的名作を読めと、
繰り返し繰り返し書かれている。
写真は、木立ベゴニア・リッチモンデンシスである。
長期間ベストセラーを続けている本を、
一読もしていないでは話にならないので、借りて読む。
数学者が書かれた本なので、難解かとビクビクしながら読み始めた。
結構理解しやすく、納得できる内容である。市場原理主義、グローバル化へと
急速に進路を変えつつある日本人に大きな警鐘を鳴らしている。
論理は重要であるが、論理の正しさだけで社会の荒廃を止めることは出来ない。
数学においては全て論理で説明できるが、人間にとって
最も重要なことは、論理では説明できない。殺人がなぜいけないかは、
論理では説明できない。「問答無用」と言うことである。
論理には出発点がある。「AならばBである。BならばCである。………」
と言う出発点Aがある。基礎になるAが違っていると、最後の結論も当然違う。
論理そのものが正しいとしても、Aなる出発点が一番問題となる。
藤原氏は、出発点Aを「情緒」と「形」という言葉で表している。
総合力、美意識、人生哲学と置き換えてもよいのではないだろうか?
”その人がどういう親に育てられてか、どのような先生や友達に会ってきたか、
どのような小説や詩歌を読んで涙を流したか、どのような恋愛・失恋・片思いを
経験してきたか、どのような悲しい別れに出会ってきたか、
こういう諸々のことがすべてあわさって、その人の情緒力を形成し、
論理の出発点Aを選ばせているわけです”
国際人として、世界から尊敬される日本人になるために、
小学校から英語を学ぶというのは、主客転倒である。
情緒や形を育てる主力は、読書である。若い時には、古典的名作を読めと、
繰り返し繰り返し書かれている。
写真は、木立ベゴニア・リッチモンデンシスである。
例会で写真の話が出た。E氏の意見。
「撮りたい物をクローズアップするだけでは面白くない。
背景にある雲の流れ、風のそよぎ、木々の囁きなどから、
写真全体が物語になるように撮ると、面白い写真になる」
解ったような解らないような難しい意見である。
それを頭に置きながら写真を撮ってみよう。
百合の咲く季節になった。
50年前には山のいたる所に、笹百合があった。
強い芳香を持つ、淡いピンクで、一本の茎には一個の花しかつけない。
野に咲くものを採って庭に植えても育たないので、
花だけを持ち帰るようにきつく言われた。
今では笹百合は見られなくなった。家庭では観賞用の百合が咲き始めた。
菖蒲写真原画(E氏提供)
GIMPで加工処理
「撮りたい物をクローズアップするだけでは面白くない。
背景にある雲の流れ、風のそよぎ、木々の囁きなどから、
写真全体が物語になるように撮ると、面白い写真になる」
解ったような解らないような難しい意見である。
それを頭に置きながら写真を撮ってみよう。
百合の咲く季節になった。
50年前には山のいたる所に、笹百合があった。
強い芳香を持つ、淡いピンクで、一本の茎には一個の花しかつけない。
野に咲くものを採って庭に植えても育たないので、
花だけを持ち帰るようにきつく言われた。
今では笹百合は見られなくなった。家庭では観賞用の百合が咲き始めた。
菖蒲写真原画(E氏提供)
GIMPで加工処理