80歳の老女と、90歳の女医さんが、大学病院の待合室でお友達になり、
意気投合して食事を共にする約束をし、電話番号を交換して別れた。
電話をして、日時・場所を打ち合わせた。当日になり心弾ませて出かけた。
女医さんは、11時~12時30分まで立って待ったけど、相手は来なかった。
待ちくたびれ疲れて、独りで遅い昼食をとり帰宅する。
帰宅後電話をすると、相手も疲れて帰宅していたとのことである。
待ち合わせ場所が違うので、会えないのは当然!
老女お二人とも、相手が間違ったと思い込んでいる。
女医さん曰く。
「歳を取ると、思い込みがひどいから困るわ。もう行かない!」
今回の行き違いは、どちらが間違えたのかな?何とも滑稽な話である。
今日は人の身、明日は我が身。
約束したらすぐに手帳に書き込まないと、忘れたり他の約束と混同する。
22日17時過ぎから「笑点」を観た。桂歌丸師匠司会は、最後である。
楽屋では、車椅子で介護者が付いている様子である。
舞台ではそのような態度は微塵もなく、元気で明るく皆を笑わせる。
次回からの「笑点」司会者は、春風亭昇太さんとのことである。
始めがあれば必ず終わりがある。判ってはいるが一抹の寂しさを覚える。
NHK総合21時から、桂歌丸さんの司会で「人生の終い方」と題するドキュメントが放映された。
死にゆく時に、残すものは何であるかを問う重い問題である。
笑顔を残したり、言葉では言えなかったことを手紙に残したり、
幼い子供達に頑張った父親の姿を残したりと、各人によって色々である。
死にゆく人が、凛として人生を全うしている姿は、眩しかった。
残すものは、何もないのではないだろうかと考えている自分が、みじめに思える。
「死にたくない」とか「苦しい」とか、わめく自分ではないかと不安になる。