ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

瓦版058 酒豪のネコ

2008年05月09日 | ユクレー瓦版

 先週、クガ兄の作『フロムホットボックス』をユイ姉が歌った。ちょっと聴いた感じでは、おネェちゃんが隣に座ってくれる飲み屋で、彼女らは商売上の優しさなのに、それに惚れてしまいそうになる男が、「これはいかん、帰ろう。」という内容であった。
 「その唄、クガ兄の実体験なの?」と訊いた。
 「うん、そうだね。あの人、そういう店好きだったから。お金も無いくせに。」
 ユイ姉は今週も島にいる。久しぶりだからのんびりしたいとのことで、先週の金曜日に来ているから今日で八日目、店は信頼できる従業員に任せているとのこと。確定申告なんてのも済んで、忙しさは過ぎたとのこと。明後日には帰る予定になっている。

 「まあ、人間の男はバカだよな。コロッと騙されて、無い金もつぎ込んでしまうくらいになるからね。ここにも一人いるけど。」と言って、私はケダマンを見る。そう言われて彼は、「うん、いかにも、俺こそがコロッと騙されるバカだ。」と思っているのか、強く頷いて、胸を張る。どうも、それを自慢すべきことだと思っているらしい。
 「ホントさあ。ウフソーさあ。見てて腹立つよ。何で私が稼いだお金を他所の女に使うんだよ!ってね。まったく。それが離婚の原因にもなったわけさあ。」
 「ふん、ふん、ふん。だけど、その場限りの擬似恋愛なんてのも楽しいぜ。」とケダマンが言う。なるほど、その場限りの恋愛は男の勲章ってことみたいだ。
 「そうかねぇ。独身だったらまだ許されるかもしれないけど、女房がいて、女房のお金で浮気するんだよ。私はサイテーと思うさあ。あっ、そういえばさあ、似たような唄、もう一つあるよ。『ホットボックス』は踏み止まるけど、この唄は手練手管にコロッといっちゃうって唄でさ、私からすればとても腹の立つ唄さあ。そんな唄作って、女房の前で歌う奴だったんだよ。まったく。」とユイ姉は言って、ピアノに向かった。

 その唄の題は『酔っ払ったネコ』で、それを歌い終わってから、
 「昔のことだから今は歌えるけど、思い出したらやっぱ、ちょっと腹立つね。気分変えようっと。」と言い、その後、スタンダードの曲をいくつか続けた。
 演奏が終わって、カウンターに戻ってきたユイ姉に、
 「酔っ払ったネコって、ネコも酔っ払うのか?」なんて、ケダマンが的外れなことを訊く。その質問はまったくどうでもいいのだが、そこから、ガジ丸が酔わないという話になり、大酒飲みの話になり、誰が一番酒に強いかっていう話題で盛り上がった。

 「酒豪と言えばマミナだけど、たくさん飲むには飲むが、飲んだら酔うし、酔ったらすぐ寝てしまうし、彼女が一番ということは無いな。」(私)
  「長いこと飲み屋のママをしているユイ姉はどうなんだ?」(ケダ)
 「私?私は強くは無いね。ビールをジョッキに4杯くらいかね、限度は。」
 「マナはどうなの?」(私)
 「私は弱いと思う。飲み屋で働いていた時も、飲んでいる振りをしてたよ。」
 「ジラースーは、最近はあまり多くは飲まないけど、若い頃は強かったね。」(私)
 ケダマンと私もよく飲むが、よく飲むの”よく”は回数であって、量では無い。少々飲んで、ほとんど毎回酔っている。シバイサー博士は四六時中飲んでいて強いようだが、いつも目がとろーんとしているので、常にいくらか酔っていると思われる。 
 「おそらく、ガジ丸とモク魔王が1、2を争うだろうな。あいつらいくら飲んでも酔わないもんな。ネコ2匹が大酒豪だな。」という結論に、だいたい達した。
     

 記:ゑんちゅ小僧 2008.5.9 →音楽(酔っ払った猫)


決定権は我にあり

2008年05月09日 | 通信-社会・生活

 前に、ウフソーについて語ったが、その中で、「『沖縄大百科事典』によると、ウフは大きい、ソーは性根、思慮で、思慮が大まかで細かいことに気が回らない人をいう。」ってことを書いた。その時じつは、大きな性根ならば、肝っ玉の据わった人、つまり、泰然自若の人とも言えるんじゃないかと思った。で、広辞苑を引く。
 『泰然自若』は「ゆったりと落ち着いて平常と変らないさま。」とあって、鷹揚とか寛容とかいうイメージだ。どうも、大雑把とは違うみたいである。

 さて、大雑把である上に泰然自若の風貌、というか、容姿をした女友達が二人いる。二人とも常々、「痩せなきゃ」とか「痩せたいなぁ」とか仰っているが、その希望はここ何十年も叶えられていない。「痩せたい」というのは口先だけのことだと私は見ている。二人とも、痩せる努力をしているのを見たことが無いからだ。
 その内の一人、三重顎K子がいつだったか、模合(理由ある飲み会、K子もメンバーの一人)の席で、ビールガブガブ飲みながら、肴ガツガツ食いながら、
 「お腹空くとイライラしてくる」と言った。そうか、なるほど、イライラは精神衛生上良くない。健康に生きるためにはお腹を空かせてはいけない。ということは、彼女にとって痩せることは健康でない。よって、彼女が痩せることは金輪際無理となる。
 ※金輪際:底の底まで。どこまでも。とことんまで。断じて。(広辞苑)

 私に美しい映画『中国の植物学者の娘たち』を勧めてくれた友人のSは、一日一食という食生活を続けている。「現代人は食い過ぎ」という彼の見解には私も賛成である。
 先月のある日、泰然自若の容姿をした女友達のもう一人、三段腹E子と「Sは一日一食を続けている」という話になった。そこから、「俺は、平日の晩飯はたいてい豆腐と野菜だけで、週末の三日間は昼飯を食べない。」と、私の食生活を語ると、三段腹は、
 「お腹空いたら我慢できないでしょう」と言った。そうか、なるほど、「我慢できないから食べる」は容認しても、「食べるから太る」は容認していないわけだ。だから、ちょっとお腹が空くと間食をする。よって、彼女が痩せることは金輪際無理となる。

 E子の「お腹空いたら我慢できないでしょう?」との問いに、私はこう答えた。
 「お腹が空くというのはお腹の問題だが、ものを食べるというのは俺の問題だ。食べるかどうかはお腹が決めるんじゃなくて、俺が決めることだ。」と。

  先日、そのE子に会ったので、「今度HPにあんたとK子の話を書くつもりだ」と言って、上記の話をした。すると、「痩せようとは思うのよ」とE子は言う。
 「痩せようと思って、食事の量を減らそうと決心したことは何度もあるさあ。明日からそうしようと思うわけさ。そしたら、今日が最後だからと、その日にたくさん食べるわけさあ。そんなことを繰り返している内に胃袋が大きくなったのさ。で、量がどんどん増えていったのよ。大きな胃がたくさん食べたいと望むんだよね。」とのこと。どうやら、食べものをどれだけ摂るかという決定権は彼女では無く、彼女の胃袋にあるようだ。
 「痩せようと思うたびに食事の量が増えるんだよね。太りたくない人は痩せようとするなって私は言いたいさあ。」とも彼女は言った。食事の量が増えて、その結果として体重が増えたのは彼女のせいでは無く、胃袋のせいみたいである。
          

 記:2008.4.25 島乃ガジ丸