ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

踊る納豆、踊る妄想

2007年01月26日 | ガジ丸通信-社会・生活

 年末からなんだかんだと用事が多い。ここ10年では最も忙しい12月から1月となっている。おかげで、畑仕事が犠牲となり、しばらくやっていない。
 クリスマス前の週末、三番目に別れた女房と新都心の公園で会い、まだ幼い2人の男の子の遊び相手をする。
 正月2日には、最初に別れた女房と22歳になった娘を我がボロアパートに招待し、そこで少し飲んで、その後、三人で居酒屋に行って飲む。
 翌3日には、二十年前の恋人とその亭主に会い、三人で仲良く居酒屋で飲む。 
 一月第一週の週末には、十年前の恋人に会う。彼女とその子供たち、共通の友人と彼らの家族など大勢集まって、楽しいホームパーティーで時間を過ごす。
 翌週の土曜日には楽しい模合(言い訳のきく飲み会)があり、昔の愛人と会う。
 その翌日には、二番目に別れた女房と、11歳になったばかりの娘に会い、三人で映画を観て、居酒屋に行って、たくさん食べて、たくさんおしゃべりする。
 次の土曜日には、高校一年のクラス会があった。昔好きだった女たちと会って、たくさん飲んで、たくさんおしゃべりして、楽しく過ごす。
 翌日の日曜日(21日)には、知人のKYさんとKRさんの三人で、米軍基地内にあるレストランへ出かける。将校用のレストランは静かで落ち着いていて、料理も豪華なものであった。男だけの食事会だったが、楽しく過ごす。基地内では面白いものを見聞きし、写真も撮った。それらについての詳しいことは、いずれ別項で述べる。

  などなどということがあって、私は週末の夜のテレビ番組をしばらく観ていなかった。基地内のレストランでの食事は昼食で、その後KYさんの家に寄り、そこでしばらく時間を過ごしはしたが、家に戻ったのはまだ午後5時前であった。今年初めて、日曜日の夜を家で過ごすこととなった。今年初めて、日曜の夜のテレビを観た。日曜の夜9時からはたいてい『発掘あるある大事典』を観ている。が、その日、番組はやっていなかった。
 ふらここのまりこさんのブログを読んで、前週の『発掘あるある大事典』のテーマが納豆であることを知った。納豆が店頭から消えたなんてことが書かれてあった。沖縄ではそのようなこと無かったと思う。私はいつも通りに納豆を買い、食べた。
 番組休止はその納豆の報道に問題があったらしい。視聴者が報道に踊らされ、生産者もついでに踊らされ、テレビ局は納豆に踊らされたようである。
 『発掘あるある大事典』をよく観る私であるが、自慢じゃないが、その内容に踊らされることは無い。情報を鵜呑みにしない知恵が私には、自慢じゃないが備わっている。しかし、情報には踊らないが、私の妄想は踊り癖がある。知恵のかけらも見られないほどに踊り狂ってしまう。従妹や友人の女房を自分の別れた女房だと妄想したり、デートしたことも無い女性と昔恋人だったなどと妄想してしまう、そんなことがよくある。 
          

 記:2007.1.26 ガジ丸


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映画黄金週間

2007年01月19日 | ガジ丸通信-音楽・映画

 中学高校と映画が好きで、よく観に行った。その頃なら二日連続映画なんてことも何度かあったはず。だが、大人になってからは、そんなこと記憶に無い。記憶に無いほど久しぶりのことを先週やった。土日連続で映画を観た。映画黄金週間となった。
 土曜日は、桜坂劇場で上映されている『海流』というタイトルの日本映画。昭和30年代の沖縄が舞台になっており、その頃の沖縄の風景がふんだんに出てくる。それらを懐かしく思う年配の方々に人気があるのか、確か3度目の上映。
 日本映画黄金時代の作品には良いものもあるが、駄作も多くあると私は感じている。スターを出せば客が入る頃に量産されたからだと思う。『海流』もその一つであろうと、去年だったか一昨年だったかに最初に上映された時も、二度目の時も、私はほとんど関心を持たなかった。しかし、桜坂劇場が三度も上映するのだ。ひょっとしたら面白いかもしれないと思い、出かけた。・・・映画は、私の感性にはやはり、合わなかった。
 客の多くは年配の人。時々、あちこちで声が上がる。昔懐かしき場所があったのであろう。ところが、そうやってふんだんに出てくる沖縄の風景も、あんまり古すぎて私の記憶に一致する場面が無い。ストーリーはまあまあとしても、人物描写があまりに典型的過ぎて、魅力的なキャラクターがいない。何より、音楽がいかにも劇場的で煩い。
 ただ一つ、琉球舞踊を踊る場面があって、そこは少し感動した。主演女優である岡田茉莉子が、あまり上手とは言えない彼女が踊りの中心にいて、ちょっと邪魔ではあったが、約40年前の琉球舞踊が今と変わらずそこにあった。伝統の文化が連綿と続いているのだと感じた。『黒島口説』の場面では少しウルウルしてしまうほどであった。

 日曜日はめったに観ないハリウッド映画、『モンスターハウス』というCGアニメ。若い女と一緒。とても可愛い娘だが、とても若い。前日11歳の誕生日を迎えたばかり。従妹の娘。その従妹も一緒。発展的離婚をした女房と、その娘に久々に会って映画を観る元夫みたいな気分。ほんわかした気分で仲良く時間を過ごす。
 CGアニメを私は初めて観た。慣れないせいなのか、特に、人物や動物の表現には違和感があった。どうにも人物や動物に見えないのである。人形みたいなのである。
 普通のセルアニメでは、髪の毛はさらさらと風になびく。CGアニメの髪の毛は、動きの無い塊。風景もまた、セルアニメの方が上手な水彩画のようで私は好き。立体感はCGの方が勝っているかもしれないが、それがそこに存在するという確かさは、セルアニメの方に私は軍配を挙げたい。まあ、それは人それぞれの好みであろうが。

  従妹の娘、11歳になったばかりのHは、絵が上手である。彼女が赤ちゃんの頃には何度か会っているが、以来久しく会わず、去年の暮れに8年か9年ぶりくらいに会った。その時、彼女は私に絵を描いてくれた。可愛い猫の絵だった。私はその猫にリランという名前をつけて短い絵本を作り、彼女へのクリスマスプレゼントとした。
 絵の上手な子は、もっと絵が上手になって、いつか面白い漫画を描いて、私を楽しませて欲しい。そんな願いをちょっと込めた。
          

 記:2007.1.19 ガジ丸


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ローリングペーパー

2007年01月12日 | ガジ丸通信-社会・生活

 トイレに入って雲子をした後、トイレットペーパーが無いことに気付く。私の部屋のトイレはヲシュレットでは無い。ペーパーは絶対必需品。一人暮らしを始めてから12年になるが、一人という油断があるのか、そういったことはこれまでに数回ある。
 私の部屋のトイレは和式である。雲子座りから中腰になって、そのままドアを開け、棚にあるトイレットペーパーを取る。幸いにも、中腰のまま届く場所にある。しかし、そのみっともない格好、他人には見せられない。

  トイレットペーパー、初めの頃はその大きさ、見た目なかなか変わらない。その形状からして当然と言えば当然なのだが、使っていくにつれてその小さくなるスピードが速くなる。そろそろ無くなるかなあと思ってからは、あっという間に、と思うほど速い。
 コロコロ音を立てて巻き取られていくローリングペーパー、一巻き一巻きが時間みたいである。終わりに近づくにつれて時間は速く進む。そして、まったく、人生はトイレットペーパーみたいなのである。生まれてから20年位はとても長く感じ、それからはしだいに時間の進み方が速くなる。中年になってからの10年は、青春の頃の1年位に感じる。でも、だからこそ、1年1年を大事にしなきゃあなどと思うオジサンなのであった。
          

  地球の環境汚染もおそらく、ローリングペーパーのようにそのスピードはどんどん増していくのだろう。人類の叡智がそれを止めてくれることを期待する。
 地球温暖化で北極南極の氷が溶け、陸地が少なくなり、その少なくなった陸地を金持ちや権力者に独占され、私のような平民は、沖縄島と共に海中に沈んでしまう、というような状況にならない限り、そして、それに加えて、少なくとも私の周囲(世界平和まで考えないところが平民らしい)が平和でありさえすりゃ、私は何とか生きていける。神頼みなど普段はやらないが、「どうぞ今年も平和でありますように」と、新年になるとたいてい酒を飲みながら、テレビを観ながら、鼻毛を抜きながら、屁をこきながら思う。
          

 記:2007.1.12 ガジ丸


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硫黄島からの手紙

2007年01月05日 | ガジ丸通信-音楽・映画

 私は平和主義者であるが、防衛庁が防衛省になったからといって、別に不満に思うことは無い。まあ、50歩譲ったくらいの気分である。私は手を繋いで歩くことは嫌いであるが、女性が望めばそうすることが多い。50歩譲ったくらいの気分である。
 私の両親は悲惨な沖縄戦の頃、十代であった。死の恐怖を抱きながら少年少女は逃げ回っていたらしい。その両親からだけでなく、周囲の年寄りの多くから、その他、沖縄のテレビ番組、書籍などからも沖縄戦の悲惨を私は見聞きしている。そういった中から「軍隊は、時に狂気に振る舞い、しばしば民の敵になる」ということも知っている。というわけで私は、自衛隊が軍になることについては強い抵抗がある。それについては、万歩譲るくらいの気分となってしまう。万歩譲るは、諦めるに等しい。

 12月の初め頃に映画『蟻の兵隊』を観たが、年末には『硫黄島からの手紙』を観た。戦争関連の映画が続いた。60年も経った今、改めて平和について考える時代ということなのか。12月にはフジテレビで、硫黄島関連の特番をやっていた。あの時代に、市丸さんという偉い親分がいたのだということを知った。
  映画『硫黄島からの手紙』にも市丸さんは登場したが、チラッと出ただけで、その映画の中では重要な役ではなかった。硫黄島の日本軍は渡辺健扮する栗林忠道陸軍大将がトップにいて、市丸海軍少将はその下にあり、一小隊を率いた。負けが必至の戦場にいて、それでも兵たちの命を大切に思った偉い人なのであった。市丸海軍少将は、アメリカ大統領ルーズベルトに宛てた『ルーズベルトニ与フル書』を書いたことで有名になっている。
          
 
 映画を観る限りでは、栗林陸軍大将もまた立派な人であった。彼我(アメリカ人も日本人も)ともに同じ人間であることをよく承知しており、戦争に憂いを抱く人であった。また、市丸少将と同じく、兵隊の命を大切に思う大将なのであった。
 太平洋戦争の初期、海軍総司令官であった山本五十六は、アメリカと戦争することに強く反対した人であった。彼の言葉で強く印象に残っているものがある。
 「百年兵を養うは、ただ平和を守るためである」
軍隊は、戦争するためにあるのでは無く、平和を守るためにあるということであろう。

 山本五十六や、栗林忠道、市丸利之助などのように、戦争を憂い、人の命を大切に思う人間が、そういった人間だけが常に軍隊のトップにいるというのであれば、自衛隊が軍になることについて大きな抵抗を持たない。そういった人間”だけ”が”常に”軍のトップにいることはきっとありえないこと。「日本人の多くが正義の心を持っている」ということについては私も期待していて、概ねそうであると思っている。であるが、「日本人の多くが悪の心を持っている」ということにも気付いている。だから、自衛隊が、「時に狂気に振る舞い、しばしば民の敵になる」であろう軍になることには、強い抵抗を持つ。

 映画鑑賞の際、私は最後、館内が明るくなるまで動かない。エンドロールを見ながら映画の余韻に浸るのが好きだからだ。『硫黄島からの手紙』の時もそうしていた。
 私が座っている列にはカップルが1組、真ん中辺りに座っていた。そのカップル、エンドロールが始まるとすぐに立った。カップルの右側には誰もいない。が、出口はカップルの左側にある。左側には風采の上がらないオジサン(私のこと)が座っている。当然、ちょっと遠回り(といってもほんの5、6m)になるが、余韻に浸っているオジサンの邪魔をせぬよう右側から帰るのかと思ったら、二人は私の前を通って行った。
 余韻に浸っているオジサンのために5、6m余分に歩く損はしたくないということであろうか。こういった些細な損得に拘泥する人は、栗林や市丸にはなれないぜ!・・・などと、若者のちょっとした振る舞いに腹を立てる私も、栗林や市丸にはなれないぜ!

 記:2007.1.5 ガジ丸


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