ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

瓦版098 雑食の奢り

2009年10月30日 | ユクレー瓦版

 久しぶりにケダマンがユクレー島にやって来た。約五ヶ月ぶり。久しぶりなんだけど、特にみんなで歓迎パーティーをするということも無く、マナなんかは、
 「ケダ?久しぶりだね、だけど今、ちょっと忙しくてね、そっちには行けないさあ、よろしく言っといて。」ということで、顔を見に来ることもなかった。
 で、これまで概ねそうであったように、カウンターでケダと私と並んで、静かに飲む。ウフオバーも我々の相手はしない。「勝手にやっておいてね。」とだけ。なわけで、久しぶりのケダマンだが、ここで書くような出来事は何もなかった。で、今回は、先日、ケダマンとユイ姉の店に行った時の、話の続き。

 ユイ姉の店には予め連絡していて、ユイ姉からユーナにも声を掛けて貰い、ユーナも来てくれた。「ケダ?久しぶりだね、行くよ。」との返事だったらしい。マナよりユーナの方が優しい・・・というわけでは無い。子育てに忙しい人と暇のある人との違い。
 まだ二十歳になってから一年に満たないユーナだが、噂では飲兵衛とのこと。その噂が本当であるということは、飲み始めてから30分で確認できた。
 「オメエ、いい飲みっぷりだなあ。」とケダ。
 「強いのかどうかよく知らないけどさ、あんまり酔わないさあ。」
 「強いんだよ。勉強はそっちのけで飲んでばかりいるんじゃないか?」
 「何言ってるのさ、これでも優秀な方なんだよ。」
 「ほう、ところでお前、大学では何勉強してんだ?」
 「今は教育学科にいるんだけど、農業に移ろうかと思っている。」
 「農業か、将来は百姓になるつもりか?」
 「それもいいけどね、農業や農作物の研究家になりたいと思っている。」
 「ほう、それはまた、なかなか良い志だが、何でまた、そう思うんだ?」
 「地球温暖化でさ、将来、世界規模の環境変化が起きる可能性があるでしょ、環境変化が起きてもそれに素早く対応できる農業が必要だなと思ったわけ。」
 「それはそれは、真面目なこって。だがよ、今の、先進国の飽食を反省しない限り、科学の力であれこれやったって焼け石に水だと思うぜ。食い過ぎの上、大量の残飯を出している。それは勿体無いと気付いて、改めることが先だな。」
 「そうなんだよね、食べ過ぎて、捨て過ぎなんだよね。」

 そんな会話からケダマンが思い出して、語ってくれた話、その要約。

 ある星の話だ。その星にも地球と同じく、草食動物、肉食動物、雑食動物がいた。
 この中で、生きるのに有利なのは当然、何でも食える雑食動物だ。よって、雑食動物は繁栄した。そんな中でもより早く知性という武器を手に入れた一種が、他の全ての動物を押さえて、数を増やし、力を付け、世界を支配するようになった。
  その雑食動物は、栄養価が高く、美味い動物達をむさぼり食った。そうして、やがていくつかの種類の動物が絶滅した。その雑食動物は知らなかった。ある種の動物の絶滅が別の種の、小さな昆虫などに影響を及ぼし、それらを絶滅させ、その昆虫の絶滅がある種の植物を絶滅させ、その植物の絶滅がまた別の昆虫を絶滅させ、その昆虫の絶滅が別の動物を絶滅させ、・・・と続いていくことを。そして、ある種の動物や植物が絶滅することによって、今まで眠っていた病原菌が復活し、自分達を襲うってことを。
 というわけで、結局、その星を支配していた雑食動物も絶滅したってわけだ。俺達は何でも食えるから死ぬ心配は無いという、雑食の奢りだったんだな。
     

 ケダマンの話は概ね以上。場面は元に戻って、ユーナ、
 「ふーん、草食動物は肉食動物に襲われるし、肉食動物は草食動物がいないと困るし、だから、雑食動物が有利って訳だ。だけど、その雑食動物も、欲望のままにむさぼり食っていたら、やがて、その報いは我が身に及ぶってことだね。」
 「まあ、概ねはそういうことだが、草食がいないと肉食は滅びる、かというと、そうでもないぜ。パンダは元々肉食だったが、今は笹の葉を食っている。雑食性の人間なんかは草食動物がいなくても肉食動物を代わりにすればいいし、肉が無くても野菜だけで全然構わない。つまりだな、環境適応能力ってのも生きる力になるんだ。」
 「なら、人間は雑食だし、科学って、言い換えれば環境適応能力ってことでしょ。人間は両方備えているから強いってことになるね?」と今度はユイ姉が訊く。
 「基本的にはそうだが、あいにく人間は精神的発達が遅れている。さっきも言ったように片方では飢えに苦しみ、片方では大量の食糧を捨てている、それが変だと気付かない。弱肉強食は武力とは限らない、今の社会はお金の力による弱肉強食だ。」

 武力にしろお金の力にしろ、弱肉強食が当然だと思っている人間が多くいるから、この世に争いは絶えない。弱肉強食はあってもいいのだが、それだけでは実は、社会は成り立っていかないということに人間は気付いていない、と元ネズミの私は思った。

 記:ゑんちゅ小僧 2009.10.30


身を削ってこそ浮かぶ瀬も

2009年10月30日 | 通信-政治・経済

 毎日毎日、来る日も来る日も空は飽きないのだろうか、雨が続いた。10月の那覇、今日を入れて30日間のうち、17日間が雨であった。お陰で畑仕事ができない。
  将来、できれば数年以内には芋を主食にして生きて行こうという私の芋生活計画は、自分が食べる分の芋は自分で生産しようという自給自足計画であり、世の中がどんなに不況になっても食っては行けるという安心生活計画でもある。

 生きていけるという安心は、我が身一つであれば得やすいものだと思う。なので、私の芋生活計画はそれほど無謀なものでは無い。これが、家族持ちだと話は違う。自分と女房の老後の生活も考えながら、子供たちを育てなければならない。塾に行かせ、習い事にも通わせ、毎年たくさんの服を買い、遊びにも連れて行く。女房はブランド物を欲しがり、旅行をねだる。車も必要で、家も必要だ。芋生活なんてとんでもないのである。
 それでもまだ、真面目にコツコツと働いていれば日本国は安心である。ある日突然爆弾が落ちるなんてことは無い。平和は尊い。真面目にコツコツと年金を払っていれば、老後には支払いに見合った年金を受け取ることができる。大きな借金をしていなければ、女房と二人、安心の老後生活を送ることができる。借金をしていなければ・・・。
          

 国と地方は莫大な借金をしているらしい。テレビニュースからの情報だが、その借金は国民一人当たり650万円を超えるらしい。ここでいう国民とは全国民なので、借金を返せる能力のある人(働いている人)をその半数とすると、一人当たりの借金は1300万円を超えることになる。借金1300万円、私にはとうてい返せない。
  個人的には、私には借金が無い。ローンも無い。借金を抱えないで済むような、貧乏は貧乏なりの貧乏に見合った生活をしている。服は滅多に買わない、去年から今年にかけての約2年に限って言えば、パンツ4枚と靴下3足のみ。外食もほとんどやらない。月1回ある模合(相互扶助的飲み会)の他は、職場で2、3回、その他で2、3回、居酒屋などへ行く程度。飲みに行った際も二次会には参加しない。昼飯は家で食うか、自分で弁当を作って持って行く。デートでレストランなど10年以上行ってない。
 そんな慎ましい生活をしているのに、いつのまにか私は借金1300万円を背負わされている。まったく理不尽である。「バカか!お前は!」と国に言いたい。「収入に見合った生活は俺でもできるんだぞ!何で頭の良いお前らができないんだ!」と、政治家と官僚に言いたい。「そんな莫大な借金、いったい何に使ったんだ!」と問いたい。

 莫大な借金、国と地方を合わせて40兆円が人件費らしい。政治家や官僚は身を削る気は無いのだろうか?国のため国民のために給料4割カット位はして欲しいものだ。子供手当てがどーたらこーたら言う前に、先ずそれからやって欲しい。社長が身を削って働けば社員も付いて行く。為政者が身を削れば、国民も納得する。
 逆立ちしても返せないような借金を背負わされたら将来に希望は無い。借金は間違いなく返せる、将来は安定するという光が見えれば国民も安心する。将来に希望があれば国民は安心して十分に働ける。国民が十分に働けたら国も潤う。国が潤ったら為政者達の給料も増えるだろう。身を削ってこそ浮かぶ瀬もある、ってこと。
          

 記:2009.10.30 島乃ガジ丸


老化防止帽子

2009年10月23日 | 通信-科学・空想

 広辞苑で「初老」を引くと、1に「老境に入りかけた年ごろ」とあり、2に「40歳の異称」とある。「あっ、俺は初老をとうに超えている。」とショックを受けながら、「いや、まだ中年のはずだ。」と「中年」を引く。広辞苑には「青年と老年との中間の年頃。40歳前後の頃。」とあった。私は40歳をはるかに超えている。「そうか、俺は初老の晩年であり、中年の晩年でもあったか、もはや、老人と呼ばれるのは目前であるか!」とさらにショックを受ける。が、諦めの早い私は、「まっ、いいか」となる。
 自分で言うのも何だが、見た目の私は「老人に近い人」には見えない。周りの人に「若く見える」とよく言われるので、それはきっと確かだと思う。ではあるが、私の脳味噌はたぶん歳相応に老いている。記憶力がたぶん、歳相応に衰えている。
 これまでにこのHPで、既に600種以上の植物を紹介しているが、私はその三分の一も記憶していない。それは先日、自ら作成した紹介済み植物の索引を見て、そこにある名前を見て、その植物の姿を思い出せたのがその程度だったということで証明された。
          

 父の自伝が一応完成した。一応なので第一部としている。父次第なんだが、これから他に何か思い出すことがあったら、それを書いてもらって第二部にしようと考えている。
 父の自伝は、幼少の頃、学校のこと、両親のこと、兄姉のこと、戦争、戦後の暮らし、結婚のこと、仕事のこと、妻のこと、子供達のこと、家のことなど、全部で11章(分けたのは私だが)に分かれている。遊び、友人、恋愛、悩みなどということについてはあまり触れられていない。ということで、400字詰め原稿用紙にすると約30枚分に収まった。父の一生分にしては少ないが、しかし、まあ、よく頑張ったと思う。

  父の自伝、その幼少の頃の章を読んで驚いたことがある。父は小学校(当時は尋常小等学校)の担任の先生の名前をフルネームで全て覚えていた。しかも、その先生は背が低かった、優しかった、厳しかった、尻をよく叩かれたということまで覚えていた。
 私はというと、小学校一年の時の担任の名前をかろうじて覚えている程度。名前は覚えていても顔や、どんな人だったかなんて全く思い出せない。小学校二年から六年までは、数人の友達のことは思い出せても、担任については顔も名前も深い霧の中だ。

 父の記憶力の良さに驚き、自分の記憶力の悪さを痛感して、元々記憶力が弱い上に、これから年取ってさらに記憶力が衰えていくのかと思うと恐ろしい。私が父の歳になる頃、私は私自身さえも覚えているだろうか、と不安を感じる。
  そこで考えた。知人の発明家、シバイサー博士に頼んで、老化防止帽子なるものを作ってもらうことにした。老化防止帽子、その名の通りの効果がある機械で、その名の通り、見た目は帽子。ただ、見た目の老化防止では無く、脳の老化防止。
 将来、コンピューターはさらに高性能で、なおかつ、小型化されるであろう。それを帽子の一部に埋め込む。帽子は全体にくまなくセンサーが付いており、それで脳波を感じ取ることができ、逆に脳に電気信号を送ることができる。
 つまり、老化防止帽子は脳の一部になる。思ったり、考えたりはできない(技術的にはできるかもしれない)が、記憶の倉庫になる。記憶力の弱い私向きの機械。
          

 記:2009.10.23 島乃ガジ丸


瓦版097 みみずののみみず

2009年10月16日 | ユクレー瓦版

 先月、二週間ばかりユクレー島を留守にした。二週間、旅をしていた。旅と言っても近場、オキナワ島を北から南までブラブラしただけ。その終わり頃、ユイ姉の店に寄ってから帰ろうとナハへ向かっている途中、ケダマンに会った。

 「おや、まあ、こんな所にいたのか?」
 「地球を一周して、ちょうど戻ってきたところだ。」
 「そうか、一周したのか、で、どうだい、最近の世の中は?」
 「まっ、相変わらずだな。戦争はあるし、差別はあるし、貧富の差は広がるしだ。それにしてもよ、一方では食い物を大量に捨てていて、もう一方では食い物が全然足りないということが変だということに、何で人間は気付かないんだろうな。」
 「うーん、より強い者が弱いものからモノを奪ってるって図式だな。力の暴力だけじゃなくて、金の暴力もあるってことに気付かないんだろうね。」
 「おー、でよ、唄を作ったぜ。」
 「ほう、つまり、そういった内容の唄ってわけだな。」
 「まあな、とりあえずそうなんだが、先ずは、聞け。」と言って、ケダマンは歌った。大きな声で、聞き取りやすいように歌ってくれたが、しかし、何を歌っているのかほとんど意味不明。ミミズとかノミとかミズとかを繰り返しているだけ・・・のような。
 「分からん!何歌ってるんだ?」と、ケダマンが歌い終わってすぐ訊く。
 「えーっ、簡単だぜ、つまりだな、ミミズにはミミズの飲み水があって、ノミにはノミの飲み水がある。それは慣習として決められたことだが、それにも関わらず、自分の飲み水が干乾びたからといって他人の飲み水を奪う奴がいる、って意味の唄だ。つまりだな、それが野生の掟ってわけだ。強い者が勝つんだな。」
 「えっ?強い者が勝つってのを風刺しているわけじゃないのか?」
 「野生ではそうってことだ。でも、人間は野生では無い。」
 「あっ、そうか、野生から抜け切れない人間を風刺しているってことか。」
 「そうだ。ヘッ、ヘッ、ヘッ。」

 その後、二匹でユイ姉の店に行った。ちょっと店が空いたところで、ケダマンがさっきの唄を「俺の作詞作曲だ」と言って、ユイ姉に歌って聞かせて、
  「ピアノで伴奏できるか?」と訊いた。
 「そりゃあできるけど、演奏するのは嫌だね。」
 「何でだ?良い唄だとは思わねぇか?」
 「あんたさあ、俺の作曲だって威張って言ってたけど、そのメロディー、『おもちゃのチャチャチャ』じゃない。気付かなかったの?それに、そんな駄洒落の早口言葉みたいな歌詞も、私の趣味じゃないさあ。」
 「『おもちゃのチャチャチャ』?・・・って何だ?」とケダマンは言って、「のみのみず、のみのみず」と一節歌った。で、私は気付いた。そうだ、確かにそれは『おもちゃのチャチャチャ』のメロディーだった。
 「ケダ、ユイ姉の言う通りだよ、それは『おもちゃのチャチャチャ』だ。ということはさ、お前が作ったのはただの替え歌ってことだ。」
 「替え歌?ってか。うーん、ただの替え歌では惜しいな、そうだ、歌詞を書くから、お前、それをガジ丸のところへ持って行って、曲を付けて貰ってくれ。」

 ただの替え歌でも全然惜しいとは、私は思わなかったが、ケダマンがずいぶんと執心なので、その頼みを聞いてやった。後日、ガジ丸にその話をすると、意外にも、
 「あー、まあまあ面白ぇんじゃないか。」との感想で、「作曲してやりやしょう。」となり、で、先日、曲が出来上がった。軽めの曲だった。
     

 記:ゑんちゅ小僧 2009.10.16 →音楽(みみずののみみずのみのみず)


自由競争社会の迷惑

2009年10月16日 | 通信-社会・生活

 先週金曜日、午前中2時間半、夕方から1時間ばかり畑の草抜きをし、「今日はよー働いた。」と自分で自分を褒め、「今日はビール2缶飲んでもいいな。」と自分で自分の褒美を考えつつ、帰り、スーパーに寄り、肴を物色する。
 もちろん、ビール2缶だけで私の晩酌は終わらない。ビールの後は、「キュウリの糠漬けが1本残っているので今宵は日本酒」と決める。キュウリの糠漬けの他に、冬瓜と豚肉の煮物も多く残っている。これに加えるための厚揚げを買う。それと、料理する時間はあまり無いので、お惣菜のおから炒め(日本酒に合う)を1パック購入する。

 家に帰って、本日アップしたガジ丸HPに誤字脱字などが無かったか、写真のリンクミスが無かったなどの確認作業を終えて、糠漬けのキュウリを切って皿に盛り、厚揚げを加えた冬瓜の煮物を温めるなど飲む準備を整えて、シャワーを浴びる。
 テレビを点け、画面がちらつくTBS系の10チャンネルにして、ニュースを眺めながらビールを飲む。「あー、何という幸せ。」と人生の喜びに浸る。
 喜びに十分浸ったら、テレビを消し、ラジオを点けて、音楽を聞く。聴くのでは無く、聞く。聞きながら酒を飲む。そして、聞きながら酒を飲みながらパソコンを開いて、記事書きをする。ほろ酔い気分の状態で書いていると良いアイデアが浮かんだりする。良いアイデアが浮かぶとさらに気分が良くなり、酒が旨い。相乗効果だ。

  その夜もそんな良い状態にいた。ところが8時頃、小さなぐい呑みに2杯目の日本酒を注いだ頃、電話が鳴る。かけてきたのは知人の、設備工事会社の社長Gさん。
 「写真をUSBメモリーにコピーしたいんだが上手くいかない。来てくれないか。」
 「どうしても今日ですか?今ですか?」
 「明日、元請会社に届けなければならない。悪いけど・・・。」
 というわけで、ほろ酔いで良い気分にいた私だが、靴下を穿き、ズボンを穿き、上着をまとい、夜の外へ出る。Gさんの会社は徒歩10分ほどの場所にある。ただでさえ、夜外へ出るのは面倒だと思っている私なので、その足取りは重い。
 やっと(という気分)、Gさんの会社に着き、「嫌だなぁ」という思いが表情に出ないよう、入口で深呼吸をして、中に入った。

  「元請に、写真を整理して持って来いと言われている。写真の整理は今まで元請の方でやっていたんだが、今回から押し付けられている。」とのこと。言うことをきかなかったら、これから仕事を回さないぜ、ということのようだ。おそらく、「うちならそういうことも喜んでやります。」という設備会社はいくらでもあるのだろう。
 自由競争社会となって、元請、下請けの付き合いもドライになって、利益優先で、言う通りにしない下請けはあっさりと切られてしまう。情の差し挟む余地は無い。これが、数年前に濃い墨元総理が目指した自由競争社会だったようだ。
 Gさんは今60過ぎ。仕事上どうしても必要になったためパソコンを始めたが、それも50歳を過ぎてから。なので、なかなか上達しない。そんなことも元請の大会社は酌量しない。自由競争社会は冷たい社会のようだ。そんな社会で私は迷惑する。
          
          
          
          

 記:2009.10.16 島乃ガジ丸