ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

台風

2011年09月30日 | 沖縄01自然風景季節

 私が子供の頃、台風銀座という言葉をよく耳にした。沖縄が台風銀座と呼ばれていた。台風が多いという意味だ。その通り、私が子供の頃、少なくとも高校生の頃までは沖縄島を襲う台風は多かった。1年に1、2個はやってきたと思う。
 その頃、というか、復帰前まで、台風には名前が付いていた。今でも1号、2号と呼んでいるが、そういう番号では無く、人の名前、しかも、キャサリンとかメアリーとかいった女性の名前。名付けているのは沖縄在留のアメリカ軍だったと思う。
 「今度の台風は随分と勢力が強いな。」
 「そうか、それならエルマーと名付けようぜ。」
 「ん、誰だそれ?」
 「俺の女房だよ。つえーんだよ。」
 なんて具合だったかもしれない。むろん、私の想像である。
 在留米軍では現在でも台風に女性の名前をつけているのかと思って調べると、ウィキペディアに「1979年に男女の名前を交互につける方法に改められた。」とあり、また、「2000年からは国際的な呼称としてアジア名が使用されている。」とあった。

 年中行事であった台風、家の中にはローソク、懐中電灯、トランジスタラジオがその準備怠りなく、家族の誰もが分かる場所に置かれてあった。
 台風が登校日にやってくるとなれば、沖縄の子供たちの概ねは大喜びだった。何しろ学校が休みになるのである。沖縄の概ねの子供たちは勉強嫌いだったと私は思う、なので大喜びする。勉強が大嫌いだった私はこれ以上の幸せは無いという位喜んだ。
 中学生になると映画館へ出かけたりした。台風の日、昨今はビデオ屋さんが大忙しとのことだが、その頃はビデオが普及しておらず、映画館が稼ぎ時であった。

 そんなこんなの懐かしい想い出のある台風だが、去年までの10年間で沖縄島を直撃した台風は、私が記憶している限りでは2個しか無い。アジア最大の米軍基地から戦闘機が飛べない状況になっては困ると、米軍の科学者たちが台風コントロール機なるものをこさえて、沖縄島に台風が来ないようにしているのではないかと疑った。台風はそれまでと変わらず発生しており、宮古八重山は襲われているのである。なので、そういうこともあるのかもしれないと思ったわけ。イラク戦争も始まっていたし。
  もう一つ、地球温暖化の影響で台風の発生位置が段々高緯度に移り、沖縄近海ではまだ発達途上で、九州辺りで最大勢力になる台風が増えつつあるのではないかとも想像している。さらに温暖化が進めば、台風は沖縄近海で発生し、沖縄にはまったく被害を与えること無く発達しながら北上し、関東で勢力を強めるかもしれない。

 今年はしかし、沖縄島も台風の当たり年となった。2個の台風に襲われた。お陰で、私の畑のゴーヤー、ナーベーラー、モーウイは全滅した。シークヮーサーもほとんどの実が落ちて、収穫できるのは数個となっている。それでも、だ。畑の芋(甘藷)は無事。芋は台風にやられることは無い。だから、昔の沖縄の主食であったわけ。
     

 記:2011.9.29 ガジ丸 →沖縄の生活目次


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大衆娯楽

2011年09月30日 | ガジ丸通信-音楽・映画

 島田紳介が引退したというニュースはインターネットのニュースサイトを見て知った。7月24日正午以降、私はテレビをほとんど観ていないので、それが私の生活に及ぼす影響はまったく無いのだが、地デジ化以前は彼の司会する番組をちょくちょく観ていた。話術の巧みな人だと感じ、大衆娯楽向きのユーモアセンスだと思った。
 ちなみに、私のお笑い嗜好遍歴を記すと、クレージーキャッツ、コント55号、赤塚不二夫、ドリフターズ、俺たちひょうきん族となっている。その間に、てんぷくトリオとかやすしきよしとかドンキーカルテットなどがちょこっと出てくる。
 この中で、赤塚不二夫がただ一人漫画家だが、彼の作品で涙が出て呼吸困難になるほど大笑いした経験が子供の頃にあり、その漫画と場面は今でも覚えていて、私のお笑い嗜好の上で赤塚不二夫は欠かせないのである。彼はギャグ漫画の天才だと思う。その時と同じ位大笑いしたのはコント55号のコントで1度あったかどうかくらいだ。

 俺たちひょうきん族以降は特に好きなお笑い番組、お笑い芸人はいない。ドラマよりはお笑いの方が好きなので飯食いながら観るのは主にバラエティー番組であったが、「これは観ないと損する」というほどの番組は無かったように思う。
 「日頃笑っていないのか?」と問われると、声を出して大笑いすることは無い。「声を出して大笑いしたくないのか?」と問われると、声を出して大笑いする必要をあまり感じていない。「いつも静かに笑って」はいたい。平和であれば良い。流行りものに騒ぐほど若くは無いということだろう。落ち着いた爺さんになることを目指している。
 「声を出して大笑い」まではしなくても、人生に喜びは必要だと思う。楽しい気分になって思わずニカっと顔が緩む。それはたぶん心の栄養になるのだと思う。したがって、楽しい気分は心の健康にとって欠かせないものであろう。職場で嫌なことがあって、気が塞いでいる時には楽しい気分にさせてくれるものが必要。例えば、気の合う仲間たちと飲みに行くとか、テレビのお笑い番組を観て、大笑いするとか。

  私が子供の頃、沖縄は貧乏だった。我が家も貧乏だった。テレビが我が家にやってきたのは確か私が小学校一年生の時だ。細い足が4本ついた(もちろんブラウン管で白黒)のテレビだったと記憶している。その日から我が家ではテレビが娯楽の王様となった。
 当時、我が家で、または多くのウチナーンチュたちにとって他に何が娯楽だったかというと、おそらく、芝居だったのではないか。○○座とか△△劇団とかいう名の沖縄芝居一座が多くあった。幼児の私に記憶は無いが、その後の祖父母や周りの大人たちの会話から推察すると、テレビがやってくる前までは芝居が娯楽の王様だったのではないか。

 子供の頃、実家の近くに「あけぼの劇場」という芝居小屋があった。祖父母に連れられて一度沖縄芝居を観たという記憶が微かに残っている。それから数十年が経った先日、9月14日、沖縄芝居を生で観た。『中城情話』と『棒しばり』の2本立て。すべてウチナーグチだったので同伴の倭人Rには理解不能だったようだが、私は楽しめた。ウチナーグチが多少解る分、セリフを噛む場面が多いことも判った。大衆娯楽なのだ。そういったことも御愛嬌で済ませるのだろう。年配の客が多い中、それも笑いとなっていた。
          

 記:2011.9.30 島乃ガジ丸


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ウチカビ

2011年09月23日 | 沖縄04行事祭り・生活風習・言葉

 あの世の沙汰もお金

 私が敬愛する詩人、山之口獏の作品に『告別式』という題の詩がある。「ある日、私は死んでしまう。あの世で小さい頃に亡くなった息子に会う。息子はむくれている。何を怒っているのだと訊く。」といった前半の概要で、以下は後半。

 お盆になっても家からの
 ごちそうがなかったとすねているのだ
 ぼくはぼくのこの長男の
 頭をなでてやったのだが
 仏になったものまでも
 金のかかることをほしがるのかとおもうと
 地球の上で生きるのとおなじみたいで
 あの世も
  この世もないみたいなのだ

 私が敬愛する唄歌い、高田渡がこれに曲をつけて歌っている。題は同じだが、歌詞は少し変えている。あの世で渡は息子では無く、親父に会う。あの世に行って息子に会うよりも親父に会う人がずっと多かろう、死んだ親父は普通だが、死んだ息子は可哀そうだ。

  沖縄ではお盆のウークイ(送り)の時、ウチカビを燃やす風習がある。ウチカビとは打ち紙と書き、銭型を刻印した紙のことでお金に見立てたもの。あの世へ帰って行くご先祖様たちが、あの世でお金に困らないようにと持たせる意味合いがある。ウチカビは供えるのでは無く、燃やす。燃やした煙があの世へ届くらしい。
 山之口獏も貧乏だったので「あの世もこの世もないみたいなのだ」と嘆くが、私もまた貧乏人なので、ウチカビを燃やしながら「あの世に行ってまでもお金が必要なのか」と溜息が出る。私には子供がいないのでお盆になっても御馳走もなければウチカビも無い。私のような者は、あの世でも働いて金を稼がなければならないのだろうか。
     

 記:2011.9.16 島乃ガジ丸 →沖縄の生活目次


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頑固ジジィは誰?

2011年09月23日 | ガジ丸通信-社会・生活

 友人のMがギャンブル好きの女好きでたくさんの借金を抱えた。私の3倍位の給料を貰いながら私からまでも借金したことについては、「オメェーよー、貧乏人の俺から金を借りるのか」と文句を言い、なかなか返さなかったので、しつこく催促もしたが、「ギャンブル好きの女好き」については、それが彼の生き方なので私は何の文句も無い。
 Mは仕事を辞めて、その退職金で全ての借金を返済した。退職金は給料に見合った大きな額で、借金を完済した後も多額が残り、彼は今、左団扇状態である。まともな人間なので遊んで暮らしているというわけではない。資格取得に現在励んでいる。

 大学の大先輩Aさんと時々飲みに行く。飲みに行くたんびに「人生は演技だ」などと自分の生き方を自慢され、「君も演技しなさい、一流の人間になりなさい、儲けることを考えなさい、結婚もしなさい」などとたっぷり説教される。前に一度、それらの一つ一つについて「お言葉を返すようですが」といちいち反論したのだが、それでもAさんはしつこく説教する。なので、それ以降私は反論はせず、黙って聞き流している。
 「畑耕して、芋植えて、芋掘って、芋食って生きてやる」という私の生き方が、Aさんはどうやら不服のようである。あるいは、そんな生き方が嫌いみたいである。一流メーカーの服を着て、車はベンツというAさんの生き方に私は何の文句も無い。文句は無いが、そんな生き方を目指しなさいと言っているのであれば、それは嫌である。

 先週木曜日から今週月曜までの4泊5日で八重山与那国周遊の旅に出かけた。「貧乏なのによく旅する金があるもんだ」と思われるかもしれないが、引っ越しのためにと何とか工面した金が十数万あった。ところが、引っ越しにかかる費用は最初の家賃も含め4万円ちょっとで済んだ。で、旅もできたわけ。なことはさておいて。

 今回の旅には同伴者がいた。同伴者は残念ながら男で、私と同年代のオッサン。大学時代からの友人Rで、埼玉に住み、東京の会社に勤めるサラリーマン。
  4泊5日のほとんどの時間をRと一緒に過ごした。それだけ一緒にいると互いの行動や思考に違いがあることが判る。Rはよく食う。朝飯はご飯を3杯食う。3杯食いながら食べ終わる時間は一杯の私と変わらない。Rは早食いでもあるのだ。夜の居酒屋でもRはよく飲みよく食べる。飲む量は私と同じくらいだが、食べる量は倍以上だ。満腹になるまで食うのが彼の幸せらしい。私は概ね腹六分で済ませる。
 店のメニューやガイドブックに載っている人気ナンバーワンというのも彼の好物であった。私は自分が食いたい物を食いたいので、他人の評価をあまり気にしない。
 Rはまた、速足でもある。周りの景色を見ずにスタスタ歩いて行く。私は周りの景色を眺めながらのんびり歩く。なので、Rと私との間に距離のできることが多かった。

 なんてことを書きながら、「頑固な奴だ」と思った。誰が?・・・ギャンブル好き女好きのMでは無く、生き方を押しつけるAさんでも無く、早足大食いのRでも無い。私は、人には人それぞれの生き方があるさと思っている分、他人の生き方に寛容だが、自分の生き方を他人に合わせようなどとは思わない。そう、私こそが頑固ジジィなのだ。
          

 記:2011.9.23 島乃ガジ丸


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お勧め民謡 国頭ジントーヨー

2011年09月09日 | 沖縄03音楽芸能・美術工芸・文学

 昨年(2010年)12月、十数年ぶりにカラオケ屋へ行き1曲歌った。十数年前にカラオケスナックのお嬢さんに、「オジサンがオジサン臭く無く、しかも、若者ぶっているようには見えず、なおかつ、若い女性に受ける歌は何か?」と訊いて、「スピッツの歌ならいいんじゃない」と言われたので、その日歌ったのは『空も飛べるはず』。
 『空も飛べるはず』は声を張り上げないと歌えない歌であった。それが失敗だった。たった1曲で翌日喉を痛め、そのついでに風邪もひいてしまった。ということで、スピッツは諦める。「若い女性に受けよう」などと不純な理由がそもそも良くない。歌うのであれば、自分が歌える歌、歌いたい歌を選ぶべきであったのだ。

 年が明けてから、聴く音楽の半分は沖縄民謡となった。残りの半分は概ねクラシックなので、覚えようと思って聴いているのは沖縄民謡だけとなる。目指すは嘉手苅林昌。
 嘉手苅林昌については、いずれまた別項で述べるとして、今回は唄の紹介。

 私は同世代の多くの友人たちが、沖縄物は田舎臭い、沖縄民謡なんてつまらないと言っている中、高校生の頃から民謡を聴いていて、その頃既にいくつかは歌うことができた。大学生の頃、添乗員のバイトで町田市のご老人方を案内した際、バスの中でカラオケ大会となり、ご老人達に請われて沖縄民謡を2曲、披露したこともある。
 その時披露したのは『西武門節(にしんじょうぶし)』と『白浜節』、『西武門節』は歌詞の内容も曲も好きだったから、『白浜節』は覚えやすかったからというそれぞれの理由で覚えていた。歌えた民謡は他にもあり、『白浜節』より好きなのもあったが、この2つが、倭国のご老人達に歌詞の意味を説明しやすかろうと思ってのこと。

 そらで歌えて、『西武門節』と並ぶほど好きな民謡がある。『国頭(くんじゃん)ジントーヨー』という唄。デュエット曲なので、一人ではなかなか歌えない。
 『正調琉球民謡工工四(くんくんしい、三線の楽譜)』第一巻から、その歌詞。

 アキト(あれまあ) ナマ(今も) ウンジョウ(あなたは)
 ガンジュ(頑丈) シチ(して) ウタミヨ(居たのネ)
 ぃやーん(お前も) カワランセ(変らないさ)
 ジントヨー(囃子言葉) ムトゥ(元)ヌ(の)シガタ(姿)

 以上が1番、前半を女が歌い、後半を男が歌う。簡単に和訳すると、

 あれまあ 今でもあなたは元気でいたのね。
 お前も変っていないさ 元の姿だよ。
 
となる。この後、「あなたを頼りにしていたから、三十過ぎても私はまだ結婚していないのよ」などと女が愚痴を言い、「戦争があったからしょうがないさ。爺さんとでも結婚すればいいじゃないか」などと男が返す。歌詞をみると女の恨み節のようでもあるが、曲調が明るいのでジメジメしていない。全体にユーモアあり、いかにも沖縄って感じ。
 なお、ジントヨーは、他の唄でもよく使われる囃子だが、「ほんとにそうだ」といった意味合いがある。「ホント、君は元のままだよ」と女性は言われたいだろうね。
     

 記:2011.3.8 ガジ丸 →沖縄の生活目次

参考文献
『正調琉球民謡工工四』喜名昌永監修、滝原康盛著編集発行

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