ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

舞台の実力者

2013年12月27日 | ガジ丸通信-音楽・映画

 以前、『役者の力』というタイトルでこのガジ丸通信に拙文を書いている。調べると、2005年10月29日付けとなっている。8年前だ。「早ぇなぁ、時の過ぎるのは」と感慨に耽る。10年後生きているかどうか不明だが、生きていたとしても私は、草臥れた爺さんになっているだろう。そして、今書いている拙文を読み返す機会があった時にはまた、「早ぇなぁ、時の過ぎるのは」と感慨に耽るのだろう。10年って、すぐだ。

 などという話では無く、『役者の力』は映画『父と暮らせば』について書いたもの。どう評価したかについて少し引用すると、

 映画は私の心を鷲掴みにし、ぐいぐいと引き込んだ。宮沢りえも原田芳雄も、元より私の好きな役者なのではあるが、その演技は「見事!」という外無い。井上ひさしの原作の力もあろうが、黒木和雄監督の力もあろうが、この映画、二人の主役の言葉、表情、所作だけで十分に悲しみと愛情を含んだ空気を表現していた。良い映画であった。私が今年観た映画ではダントツの一位と評価したい。

 となっている。あまり人を褒めない私がべた褒めしている。
 映画の原作者が井上ひさしということから元は演劇かもしれないと想像できた。そしたら今年(2013年)1月、近所にある宜野湾市民図書館でビデオのコーナーを物色していたら『父と暮らせば』があった。こまつ座ビデオ劇場とビデオの表紙にあり、映画ではなく、舞台を撮影したものであることが判った。早速借りる。
 『父と暮らせば』は、映画もそうであったが出演は2人だけの物語、舞台での父は原田芳雄でなく、娘は宮沢りえではない。父はすまけい、この人は、何かのテレビドラマにも出ていたのだろう、私も知っている。娘は梅沢昌代、私のまったく知らない役者。

  すまけいは舞台役者として長年第一線で活躍してきたベテランだし、その演技はまったく言うこと無し。原田芳雄に劣らず、存在がもう既に登場人物の空気を出している。私のまったく知らない役者である梅沢昌代、この人もすごく良かった。
 宮沢りえは美女である。「こんな美女がこんな境遇で」と思うと男ならたいてい同情心が湧く。「あー、俺が助けてあげたい」などと思う。まぁ、私が助けなくても父が助けてくれて、幸せに向かっていくのであるが、梅沢昌代は、少なくとも宮沢りえに比べれば美女ではない。私(何様だお前!と思いつつ)好みでもない。だけれどもすごく魅力的、その場にいたなら抱きしめてやりたい(何様だお前!と思いつつ)と思った。
 映画やテレビドラマなら演技にちょっと失敗したとしても、「今のカット、撮り直し」と何度もやり直しができる。しかし、舞台ではそうはいかない。一発勝負だ。その緊張感を少しも表に出さず、舞台の造り出す空気に観客を引き込む。すごい技だと思った。 

 原田芳雄は二枚目であり、顔にも声にもその雰囲気にも魅力がある。すまけいは二枚目とは言えない。しかし私は、彼にも人間としての魅力を強く感じた。そのすまけい、今年12月9日に他界。私はつい数日前、ネットのニュースでそれを知った。合掌。
          

 記:2013.12.27 島乃ガジ丸


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知らしむべし

2013年12月20日 | ガジ丸通信-沖縄関連

 高校の漢文に、ことわざみたいなもの、または慣用句といったようなものがよく出てくる。その内のいくつかを私は今でも覚えている。「虎穴に入らずんば虎子を得ず」、「国破れて山河あり」、「背水の陣」、「朋有り、遠方より来たる」など。
  「朋有り、遠方より来たる」は「また楽しからずや」と続き、論語の1節。同じく論語からの1節に「民は之に由らしむべし、之を知らしむべからず」というのがある。これも高校の時に習って今でも覚えているものの一つだ。「人民を為政者の方策に従わせることはできるが、その理由を理解させることは難しい。俗に、人民はただ従わせればよく、理由や意図を説明する必要はない」(広辞苑)ということ。特定秘密法が話題になった時に「そういうことなんだろうな」と私の脳に思い浮かんだ1節。
          

 友人のKから先日、「こんな話知っていた?」と、「こんな話」の内容が載っているサイトを見るようにと勧めるメールがあった。翌日、ネットのできる場所へ出かけ、彼の勧めるサイトを見た。沖縄の、反戦平和の立場にある団体を非難するような内容であった。私もまた、個人として反戦平和を願う立場にいるが、その団体と付合いがあるわけでもない(そもそも私は、どの団体とも挨拶以上の付き合いは無い)ので、その団体がいかに非難されようとも、「そんなこともあるだろうな」くらいにしか思わない。
 右が左を非難する時に誇張表現があるように、左が右を非難する時にも同じく誇張表現がある。自分たちが有利になるような情報操作もあるであろう。よって、私はどちらの主張もそのまま鵜呑みにはしない。右の人も左の人も欲深き人間であることには変わりないので、その欲から発生するみっとも無い言動は、どちらにもあると思っている。

  沖縄戦当時の様子を記録した米軍のフィルムがあり、沖縄戦の悲惨さを伝えるためにそのフィルムを買い取り上映する「1フィート運動」なるものがある。以前にテレビでもその中のいくつかを放映していたので、私も少しは観ている。少し観た限りでいえば、「沖縄戦の悲惨→戦争の悲惨」を期待した私にとっては不満のある内容であった。私が観た限りでは、それは「沖縄戦の悲惨→沖縄の悲惨」に編集されているように感じた。
 「沖縄の悲惨」を伝えることによって「戦争を二度と繰り返してはならない」を言いたいのだと思う。それに対しては何の異論も無いが、その言葉の中に「沖縄では」という気分が隠されているような気がする。さらに勘繰れば、「だから沖縄に基地があってはならない」とか「だから沖縄には特段の配慮をせよ」などが含まれているかもしれない。そういったことが私は好きでない。我が主張を有利にするための意図的編集は気持ち悪い。
          

 「沖縄の悲惨」では無く「戦争の悲惨」を伝える。それによって、沖縄人も日本人もアメリカ人も等しく「悲惨」を味わったことを伝える。また、悲惨だけを伝えるのも片手落ちだ。アメリカ軍も日本軍も沖縄で互いに酷いことをしたかもしれないが、一方、アメリカ軍は日本軍の負傷兵を保護した。赤十字の精神である。日本軍の将校が「敵は負傷兵を手厚く保護しております。それを見ると攻撃の矛先が鈍ります」と上官に言ったとの記録があるらしい。人道主義のアメリカ軍も、日本の将校も人間の心を持っている。そういったフィルムがあれば、それらも沖縄の悲惨と同じように発表して欲しいと願う。

 記:2013.12.20 島乃ガジ丸

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『1フィート運動10周年記念誌』10周年記念誌編集委員会編集


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ウミネコ

2013年12月20日 | 沖縄の動物:鳥

 海の陸上動物

 古い歌謡曲・・・歌謡曲なんて今でも使うだろうか?もう死語になっているのだろうかなんてことはさておいて、歌謡曲の中でも演歌だったと思うが、歌詞の中にウミネコが出てくる歌があった。と思い出して、「何ていう歌だっけ?誰が歌っていたっけ?」とこの項を書き始める1時間も前から記憶を、脳味噌の中をいじくりまわしているが、どうしても出てこない。・・・怖い。認知症はこんなことが続いて、その内発症だろうか?
 あんまり考えると心にも悪影響を与えるので、歌のことはもう忘れて、話を「海の陸上動物について」に替えよう。海の陸上動物って何?言葉が矛盾しているがね。
 いえいえ、矛盾は無い。私が言う海の陸上動物とは、生身の動物のことでは無く、言葉としての動物、漢字表記の動物。陸上動物の漢字がついた海の生物のこと。

  今回紹介するウミネコはその一つ、ウミネコは鳥の一種で、漢字では海猫と表記する。陸上動物の漢字がついた海の生物は他に、私でも知っている有名どころで馬、豚、牛がある。海馬は「うみうま」と読み、タツノオトシゴの別称、海豚はイルカの漢字表記、海牛はウミウシ、ナマコに似た浅い海底に生息するムニャっとした奴。
 などと思い出しながら、もっとないだろうか?と広辞苑を開いた。あった。海馬はタツノオトシゴの別称でもあるが、アシカの漢字表記でもあった。他に、海鹿があり、これはアメフラシの別称とのこと。アメフラシとはウミウシに似たムニャっとした奴。海狸なんてのもあった。ウミダヌキと読み「ビーバーのこと」(広辞苑)とのこと。

 タツノオトシゴも、イルカも、ウミウシも、アシカも、アメフラシも、ウミダヌキもみな、おそらく見た目からその名、その漢字表記となっている。ウミネコは、その見た目がネコに似ている、わけでは無い。ネコに似た鳥がいたならちょっと驚くよね、ジブリアニメの世界ならいても可笑しくないが。・・・ウミネコは鳴き声がネコ。

 
 ウミネコ(海猫)
 チドリ目カモメ科の冬鳥 九州以北では留鳥 方言名:不詳
 名前の由来は『野鳥ガイド』に「ミャーオ、ミャーオと猫のような声で鳴くので」とあった。同じ意味で別名ネコドリ(猫鳥)ともある。
 沖縄では冬鳥で、見られる時期は10月から3月とのこと。日本各地に生息し、九州以北では留鳥。カモメの一種で、日本では最も普通のカモメとのこと。
 全長47センチほどで、海岸、河口、港などに生息する。『沖縄の野鳥』に「県内(沖縄)で見られるのはほとんどが若鳥で、全身褐色の地に、濃褐色斑が体中にあり・・・」とあった。私の写真は北海道稚内での成鳥、沖縄ではまだ成鳥も若鳥も見ていないか、あるいは、気付いていない。ミャーオ、ミャーオの鳴き声も生では聞いたことが無い。

 記:2013.12.15 ガジ丸 →沖縄の動物目次

 参考文献
 『ふる里の動物たち』(株)新報出版企画・編集、発行
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄の野鳥』沖縄野鳥研究会編、(株)新報出版発行
 『いちむし』アクアコーラル企画発行
 『検索入門 野鳥の図鑑』中村登流著、株式会社保育社発行
 『野鳥ガイド』唐沢孝一著、株式会社新星出版社発行
 『沖縄 宮古の野鳥』砂川栄喜著、(有)ボーダーインク発行


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NHKに物申す

2013年12月13日 | ガジ丸通信-社会・生活

 2011年7月24日の正午にテレビ放送が地デジとなって以来、私は私の住む家でテレビ番組を観ていない。実家に行った時、親戚友人の家に行った時など、そこでテレビがオンになっていたら観ていたが、自ら望んで観たいと思ったことは無い。
 テレビ番組を観てはいないが、「ハンザワナオキ」とかいう高い視聴率となったドラマがあったとか、「じぇじぇじぇ」とかいうNHKの朝ドラから生まれた流行語があることなどは知っている。それらは友人たちの話、またはラジオからの情報である。
 テレビ自体、私の住まいには今年6月頃までなかった。が、それ以降は置いてある。実家にあったものを親戚の家にあった小さいものと交換して置いてある。何に使っているかというと、図書館から借りたビデオを観るため。もともとは、実家にあった父や母の映っているビデオを、残した方が良いものかどうか調べるためのものであった。

 今週月曜日の夕方、パソコン作業(ブログ書いたりなど)しているとドアをノックする音が聞こえた。開けると若い男がいて「NHKです」と言う。受信料の集金人のようである。前に「テレビは無い!」と強く言っていたので久しぶりだ。前来た人とは違う。
 「テレビは観ていないです。モニターはあるけど、それはビデオ用でアンテナは繋いでいないです。そういうことなので・・・」と言ってドアを閉めようとすると、
 「ワンセグが観られる携帯電話をお持ちなら契約が必要となります。携帯電話を見せて貰えますか?」と来た。ワンセグ?・・・今年8月機種変更した時に、ドコモショップの店員が確か「ワンセグも観られます」なんてことを言っていた。「ワンセグって、テレビのこと?」と質問して、そうであることは知っていた。しかし、だ!
  携帯電話を購入する際、「ワンセグが観られるのでNHKとの受信料契約が必要となります」なんてことを私は聞いていない。そう注意喚起するための何のチラシもポスターもドコモショップには無かった。私にとって携帯電話は、電話とメールができれば良いものであり、その他の機能は必要ないし、今もずっと使っていない。当然、ワンセグも、買った当初どういうものか調べるために使ってみたが、それもほんの数秒、以降は使っていない。必要ないのだ。受信料を取られると知っていれば、そんな機能のついている機種に替えることを私はけしてしない。何しろ貧乏なのだ、そんな無駄金は使わない。

  国民の義務である税金でさえ、貧乏人は免除される。それなのにNHKは血も涙も無い高利貸しの借金取りみたいだ。そもそも、隣に焼き鳥屋があって毎日良い匂いをさせているとする。「あんた匂いを嗅いでいるね、その嗅ぎ代を払って貰おう」と言っているようなもの。実際に焼き鳥を食ったのならその代金を払うのに何の文句も無いが、私は食べていないのだ。匂いを嗅ぐつもりも無い。電波は勝手に飛んでいる。
 コラムにも書いたが、私が望む生活は金のかからない生活である。質素倹約し、貧乏ながらも健康で心穏やかな生活。毎日働いて、畑から得た作物を食べ、時には海へ釣りに行って、釣れた魚を当てに自作の酒を飲み、粗末な小屋で寝泊まりする。
 そんな生き方目指して、これまでいろんな生活費削減を行っている。テレビを観ないのもその一つ。家にインターネットを引かないのもその一つ。そんな私に、何の予告も無く受信料を支払えとは何たる横暴。周知義務を怠った責任があるぞ!NHK。
          
          

 記:2013.12.13 島乃ガジ丸


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シマキンパラ

2013年12月13日 | 沖縄の動物:鳥

 籠の鳥は嫌だ

 私の思い浮かぶ「籠の鳥」に喩えられるものとしては先ず、テレビドラマの誘拐された令嬢や拉致された重要人物、大人のビデオの監禁された女子大生など。「お前はもう籠の鳥だ、観念するんだな」なんてセリフを悪者たちが吐いている場面を思い出す。
 「籠の鳥」とは何ぞや?と改めて広辞苑を引く。「籠に入れられて飼われる鳥」が第一義で、次に「身の自由を束縛されている者。特に遊女」とあった。私が思い浮かんだ令嬢や重要人物、大人のビデオの女子大生などは身の自由を束縛されている者となる。
 何年か前、治安の少々悪い外国において、日本人が身代金目的で誘拐されるという事件がいくつかあった。オジサン(私のこと)は年取るにつれて時間の進み方がどんどん速くなっていっているので、何年か前ではなく十何年か前だったかもしれない。
  何年か前でも十何年か前でも、現在でもいいのだが、もしも私が拉致され・・・貧乏人の私でも拉致される可能性はある。日本は金持ちである。日本の中で貧乏だと言っても金持ちでない外国から見れば中流くらいになるかもしれない。話が逸れた。もしも私が拉致されて、もしも監禁されたとしたら、「身の自由を束縛されている者」となったら、私にとってそれは死ぬほどの苦痛となるに違いない。「籠の鳥」は私の最も嫌うもの、体だけでなく、心の自由を束縛されるのも大嫌い、いや、体よりそっちがずっと嫌い。

  今回紹介するシマキンパラは飼い鳥が籠から逃げて野生化した鳥で、そこから上述の籠の鳥の話となったわけだが、話があらぬ方向に膨れてしまって、当初書こうと思っていたこと、遊女や女子大生のことからすっかり離れてしまった。話が膨れてしまったのは、特定秘密保護法が最近ずっと頭にあって、これからこの国は、個人が自由に取材したり、意見を言ったり、国のやることに文句を言ったりすることができなくなるんじゃないかという心配があって、そうなると、国の監視による「籠の鳥」みたいだと思って・・・。

 私がもし鳥で、人に飼われる「籠の鳥」なら、食と住に不安の無い生活であったとしても、それは絶対嫌だと思い、シマキンパラ同様、籠から逃げるに違いない。

 
 シマキンパラ(縞金腹)
 スズメ目カエデチョウ科の留鳥 飼い鳥が野生化した帰化鳥 方言名:不詳
 名前の由来は資料が無く不明。キンパラという種があって、本種はそれと同属。キンパラは広辞苑にあり金腹と漢字表記がある。であれば、お腹の色が金色なのであろうと想像するが、文献の写真を見るとその腹は暗赤褐色。なので、名前の由来は想像不可。シマキンパラの腹は縦に縞模様がある。で、シマ(縞)と付くのだと思われる。
 キンパラの全長は11センチとあるが、シマキンパラについては記述が無く不明。私の記憶では同じくらい。よって、全長11センチとしておく。
 本種もキンパラも、その他同属のコジロキンパラ、ギンパラも飼い鳥が野生化した帰化鳥とのこと。雑木林や農耕地に生息し、年中見られるとのことだが、宮古諸島では多く見られるらしい。私は2012年9月にその宮古島で、2007年12月に那覇市の新都心公園で、2011年2月に那覇市の奥武山公園で見ている。
 
 シマキンパラ正面から
 オッサンが股を開いて、腕を後ろ手に組んで、パン喰い競争している姿に見える。

 記:2013.11.15 ガジ丸 →沖縄の動物目次

 参考文献
 『ふる里の動物たち』(株)新報出版企画・編集、発行
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄の野鳥』沖縄野鳥研究会編、(株)新報出版発行
 『いちむし』アクアコーラル企画発行
 『検索入門 野鳥の図鑑』中村登流著、株式会社保育社発行
 『野鳥ガイド』唐沢孝一著、株式会社新星出版社発行
 『沖縄 宮古の野鳥』砂川栄喜著、(有)ボーダーインク発行

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