ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

愛の自由

2019年06月28日 | 通信-社会・生活

 過日、ラジオから面白い言葉とその話を聞いた。日本語じゃない聞き取りにくい言葉だったが、翌日、ネットで調べたので間違いない「ポリアモリー」という言葉。
 ラジオ番組で聴いた限りでも、「そういうことか」とある程度理解はできていたが、記憶力の弱い私のことなので正確さには欠ける。で、ネットで調べたことを記すと、
 ポリアモリー(複数愛)とは、複数の人と同時に、それぞれが合意の上で性愛関係を築くライフスタイルのことです。浮気でも不倫でも二股でもない「誠実で正直な複数恋愛」のこと。・・・とあった。さらに、
 「わたし、恋人が2人います」という本がポリアモリーというものを世に知らしめた。その著者はキノコという名前の女性。とのことであった。

 ラジオ番組からそれを知り、キノコさんという人の話を聞いて、私は大いに納得。私がまだ若い内にこんな人が近くにいたら、私はお付き合い願っただろう。もちろん、相手に私が気に入られたらの話だが。ポリアモリーを私の感覚で大雑把に言うと、
 恋人は1人じゃなくてもいいじゃないか。
 人を好きになるという感情は1時期に1人しか現れないということはない。
と思っているので、恋人は1人しか認めない社会は監獄の世界に感じる。自由に生きること、他人に迷惑をかけるような反社会的なことじゃない、ただ、愛する人を複数人持つというだけのこと、愛がいっぱいになるというのにそれを認めない。何故だ?
 結婚したことのない私が言うのもなんだが、国が国民を掌握するために必要な制度である「結婚」とそれに伴う「家」制度があるからではないかというのが1つ。これはでも、大きな理由ではない。結婚しなくても罰せられることはない、「罰せられないから」というだけでもないだろうが、実際に、結婚しない人は多くいる。
     

 「同時期に複数人と恋人関係にあることを許さない」という有言無言の圧力は、人間が社会生活を営む上で必要な掟なのだと思う。「この野郎、人の女房に手ぇ出しやがって」とか「この泥棒ネコ、許さないからね」とかいったことがいくつも起きて、村に争いが絶えなくなって、多くの人が不幸になって・・・なんてことにならないように自然発生的に生まれた掟なのではないかと思う。下半身のだらしない人は村八分になる。
 掟はやがて結婚という制度を生む。「この男とこの女は今から夫婦となった。誰も今後この二人の仲を裂くようなことをしてはならぬ」という制度。この制度によって、男はともかく、女は、相手の男が自分と子供の面倒をみてくれる能力を持ち、生活を見てくれるという保証がある限りでいえば、安心して子を産み育てることができる。
 安心して子を産み育てることができるということは、人間が社会生活を維持する、あるいは、彼が含まれている社会が社会として成り立つために必要なこと。社会を支える人材が次の世代、次の世代と繋がっていくために必要なこと。子供が生まれる、生まれた子供がちゃんと育ってくれる、そのために必要な結婚制度だと私は思う。逆に言えば、
 結婚しなくても十分幸せに生きていける、さらに言えば、結婚しなくても子供を産むことができる、結婚しなくても子供を育てることができる、女性が男性と平等に働けて、産休などの福利がきちんとできていれば、愛はいくらでも自由になれる、と思う。
     

 記:2019.6.28 島乃ガジ丸


クロトゲアリ

2019年06月26日 | 動物:昆虫-膜翅目(ハチ他)

 生きてるぜ!

 例年だと23日頃には梅雨明けとなるが、今年の沖縄は梅雨明けが遅い、週間天気予報では今週土金曜日まで雨マーク、梅雨明けは1週間遅れの30日になりそうだ。
 昨日25日、近所の公園からクマゼミの鳴き声が聞こえた。クマゼミは例年だと芒種から夏至の頃に鳴き出すので、まあ例年通り。アブラゼミも例年通り小満から芒種の頃に鳴き始めている。雨は鬱陶しいが、彼らの声を聞いていると「生きてるぜ!」を感じる。

 昔のことを思い出しては懐かしむ、という年齢に私もなってしまっている。いやいや、「なってしまっている」という言い方は失礼だ、「ならせていただいている」と言い換えよう。パソコンの中のこれまでに撮った写真を収めているフォルダを覗いていると、写真を撮った時のことが思い出され、懐かしさで涙が・・・。
 というのは少々大げさな言い様だが、先週、『オオシワアリ』を紹介したが、それも含め今回のクロトゲアリも畑仕事に精を出して元気だった頃の写真。その頃は自給自足芋生活は可能だと信じ、その夢に向かって真っすぐ歩いていた頃、私にとっては生きるに迷いの無かった幸せだった頃である、思い出せば、懐かしくて抱きしめたい感情もあり、腰に無理をさせていた後悔もあり、あれこれ思いが巡り、懐かしさで涙が・・・。

 であったが、クロトゲアリ、その名前を見ている内に元気が出てきた。「私、黒い棘があります。」と美女がニヤッと笑う、のを想像して元気を得た。彼女はおいでおいでと手招きする。「どうぞこちらへ」と私を呼び、近付くと私を捕まえ、一瞬にして私をノックアウトする。意識が薄れゆく中で「ようこそ、黒棘有の館へ」と彼女の声が聞こえた。
 まぁ、何というマゾ的妄想。しかし、そこから隠微な世界が、悦楽の世界が、浦島太郎の経験した竜宮の世界に甘いエロがたっぷり加わった世界、「生きてるぜ!」と思わず叫んでしまいそうになる妖艶の世界が広がっていく。そんな想像で楽しくなった。
 
 クロトゲアリ(黒刺蟻):膜翅目の昆虫
 アリ科 沖縄~八重山諸島、台湾、フィリピンなどに分布 方言名:アイ、アイコー
 名前の由来は『沖縄昆虫野外観察図鑑』に「働きアリは体が黒色」とあり、そこからクロ(黒)、「前胸に刺があり・・・後胸刺は・・・」からトゲ(刺)とつくものと思われる。前胸刺は前外方へ向かい、後胸刺は長く鋭く上外方へ向かうとのこと。
 小さいのでその刺には気付かず確認も難しいが、「腹部は球形で大型」という特徴から写真のものが本種であると判断する。「全身に剛毛と淡黄色の軟毛を密生する」、「雌は前胸刺を欠き、後胸刺は太く短い」などについても確認不能。
 「灌木林や背丈の高い草地に生息し、木の枝や雑草の茂みの中に40センチ径・・・巣を作る」については、畑の、高さ2mほどのパッションフルーツのツルと葉の茂る所に巣があったので、ほぼその通り。巣は製作途中だったのか、径は20センチほどだった。
 体長は働きアリが6ミリ内外、雌は8ミリ内外。日本では沖縄諸島、宮古諸島、八重山諸島に分布し、日本本土にはいない南方系のアリのようである。
 
 巣

 記:2019.6.23 ガジ丸 →沖縄の動物目次

 参考文献
 『ふる里の動物たち』(株)新報出版企画・編集、発行
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄昆虫野外観察図鑑』東清二編著、(有)沖縄出版発行
 『沖縄身近な生き物たち』知念盛俊著、沖縄時事出版発行
 『名前といわれ昆虫図鑑』偕成社発行
 『いちむし』アクアコーラル企画発行
 『学研生物図鑑』本間三郎編、株式会社学習研究社発行
 『昆虫の図鑑 採集と標本の作り方』福田春夫、他著、株式会社南方新社社発行
 『琉球列島の鳴く虫たち』大城安弘著、鳴く虫会発行
 『沖縄の生きものたち』沖縄生物教育研究会編著、発行


悲しみを乗り越えて

2019年06月24日 | ガジ丸のお話

 キヨは走った。南風原の親戚の家に行って、食料となる芋を分けて貰っての帰り道、首里の家までの上り坂を上っている途中で突然、激しい爆弾の音が鳴り響いた。噂に聞いていた艦砲射撃の音だ。見上げると、我が家のある辺りも煙に包まれていた。首里に近付くに連れて砲弾の音は大きくなっていく。多くの人々が逃げまどっている、多くの人がキヨの居るところに向かって走ってくる。キヨは立ち尽くす。
 逃げる人々の大きな流れには逆らえず、キヨも彼らと同じ方向へ流される。その時声を掛けられた。隣人の宮城のタンメー(爺様)だった。「ナマー、ウカーサン。ヤーカイヤムドゥララン、(今は危ない、家には戻れない)」と言い、キヨの肩を抱いて皆と同じ方向へ走る。砲弾の激しさにキヨも、もはや宮城のタンメーに逆らうことはなかった。 首里から南風原方面へ下っていた人々は、道が下り坂になった辺りの野原、崖下に潜んだ。キヨも同じようにした。砲弾はここまでは届かなかった。「夫は、子供たちは?」という想いが心を占め、キヨは家族の無事を祈りつつ、眠れない一夜を過ごした。
 空が白み始めた頃、何人かの人が動き出した。艦砲射撃の音はもう聞こえない。動き出した人々にキヨも付いていった。首里の街に入ると家屋は倒れ、燃えている家もあった。道には死体らしきものが多く転がっていた。それを見ながらキヨの心は乱れていく。

 家に着くと、家は半壊していた。キヨは半狂乱になって夫の名を呼ぶ、子供たちの名を呼ぶ。返事は無い。瓦礫を押し除けその下を探し回る。そこには見たくないものが転がっていた。キヨは半狂乱になりながら夫と子供たちの全ての死体を確認した。

 一人生き残ったキヨ、未だ現実を信じることのできない茫然自失のキヨは、なお銃撃戦の続く戦火の中を周りの人に促されるままあるガマ(壕)に隠れた。しかし、時間が経つにつれて現実が事実としてキヨの心にのしかかってくる。もはや自分が生きている意味が無いと絶望し、弾に撃たれて死のうと思いガマから出た。
 そこへ、泣き叫びながらフラフラ歩いて来る女の子と出会う。抱きとめて話を聞けば、家族が全員死んだと言う。自分と同じ境遇を哀れに思い、さらに話を聞く。
 「名前は何て言うの?」の問いに、
 「ツル子」と女の子はポツリと答える。キヨはハッとする。自分の長女と同じ名前だ。
 「歳はいくつ?」と訊くと、これまた偶然にも長女と同い年であった。「あー、これは神が引き合わせたのだ。我が子の生まれ変わりなのだ」と神に感謝し、この子を守りながら自分も生きていこうと決意した。そして、その後、2人は絆深い親子となった。
     

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆ 

 キヨの家族、昭和20年(1945)4月の時点で、夫は1912年生まれなので33歳、本人は1913年10月生まれなので31歳であった。
 2人は1929年に結婚し、翌年1930年に長男を授かり、以降、長男を含め2男4女を儲ける。1945年4月の時点で、長男は14才、長女は13才、次男は11才、次女は9才、三女は7才、、四女は5才となっていた。
 その家族、夫と子供たち7人が全員、戦禍に合う。絶望したキヨは自らも命を絶とうとし、死に場所を求めて壕の1つへ入る。そこで偶然出会った少女、「家族はみんな死んでしまった」と言う少女は偶然にもキヨの長女と同じ年齢、同じ名前だった。
 運命を感じたキヨは少女を抱きしめる。そして、2人は親子の絆を結び、その後も長く仲良く幸せに暮らしたそうである。その後、再婚して、子や孫にも恵まれたキヨは1992年に天国へ旅立ち、キヨを最後までみとった養女のツル子は今も健在。
     

 沖縄戦が終わって74年、74回目の慰霊の日が昨日だった。糸満市摩文仁の丘には沖縄戦で亡くなった人、沖縄の民間人、だけでなく日本兵も、アメリカ兵も、朝鮮人も中国人も、その他の国の人々も戦争で亡くなった人の名前が刻まれている。ここは「お国のために」と死んでいった人たちを慰霊するだけでなく、戦争の犠牲になった全ての御霊を慰める所となっている。昨日6月23日は、皆で御霊を慰め、平和を祈る日であった。
 そんなところに安倍総理がやってきた。ありがたいこと、であるが、相変わらずとぼけたもの言いをしたようだ。総理の挨拶がネットのニュースに載っていた。

 安倍首相は来賓あいさつで「沖縄の方々には、米軍基地の集中による大きな負担を担っていただいております。基地負担軽減に向けて、確実に結果を出していく決意であります。」と話したが、辺野古移設については直接触れなかった。
 とのこと。辺野古に触れないということは。「これからも負担してね」ということのようだ。「国のためだ、沖縄は犠牲になれ」ということかもしれない。
     

 記:2019.6.24 島乃ガジ丸 →ガジ丸の生活目次