ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

一本どこ?の唄

2014年10月31日 | ガジ丸通信-社会・生活

 旅で私は長時間歩く。長時間歩くと痔になることを以前の旅で私は知った。9月26日からの東京から岐阜流れ旅でもたっぷり歩いて、そのせいで、家に帰ったら痔になっていた。たぶん痔、症状は脱肛。脱肛の肛が引っ込んだのはやっと先週月曜日(10月20日)になってからだ、約3週間もかかってしまった。涼しくなって、動きやすくなって、畑も概ね9時間労働となっている。畝立てして種を播く作業もあるが、草刈も毎日数時間やっている。その草刈の姿勢(雲子座り)が治りを遅くしたものと思われる。
 旅でたくさん歩いたお陰の結果はもう一つ、旅から帰って1週間ほど経って、久々に体重計に乗ってみたら、体重は55キロ、体脂肪率は何と記録更新の8%。旅から帰ってすぐに計ったら6%位だったかもしれない。ウォーキングは脂肪燃焼するようだ。

 先週火曜日(21日)、映画を観に桜坂劇場へ行った。何を観るか決めていなくて、着いた時間から最も早く始まる映画を選んだ。それでも上映開始時間まで40分ほど待たなければならなかった。「歩くか」とも思ったが、「とりあえず一服」と、劇場傍の公園のベンチに腰掛けた。腰掛けると、タバコも出さずボーっとした。
  30分ほども経ってタバコを出し火を点ける。その時、ガジュマルの大木の向こう側に座っていた婆様に「お兄さん」と声を掛けられた。「お兄さん」、彼女から見ると私はまだヒヨッコなのだ。「これ食べない?」と串団子3本入りをくれた。その後、出身地や「仕事何してる?」などのユンタク(おしゃべり)を少しして、私は映画館へ。
 婆様から見ると、私はどういう人間に見えたのだろうか?その時、決して貧相な格好はしていない。決して浮浪者には見えないはず。しかし、ほとんど脂肪の無い私のやせ細った体つきを見て、「ごはんちゃんと食べているの?」とは思ったかもしれない。
          

 桜坂劇場傍の公園のベンチで一服したのだが、そこに灰皿は無かった。いつも所持している携帯灰皿を私は使った。「灰皿が無い」は東京岐阜流れ旅5泊6日では強くそう感じた。出発の日、那覇空港で一服して、その後、羽田空港から吉祥寺駅、井之頭公園でもタバコは吸えなかった。ホテルにチェックインして、部屋でやっと一服。その夜は従兄と飲みに行ったが、彼はタバコを吸わないのでそこでは遠慮し、ホテルに帰って一服。
  翌日、府中駅から高尾へ、駅に灰皿は無く、高尾山登山を終えて、お休みどころの一角にやっと灰皿を発見、そこで一服。その後は叔父の家でも、結婚披露パーティー会場でも吸えず、ホテルに帰ってからやっと一服。3日目は東京から静岡へ、その間、駅にはもちろん、駿府城公園、掛川城公園でも灰皿を見つけられず、夕方、磐田のホテルにチェックインし、やっと吸えると思ったら、間違って禁煙ルームを予約していた。
 4日目、浜松城公園にやっと灰皿を発見。その日のホテルは喫煙可ルーム。5日目の昼間は灰皿を見つけられず、この日もホテルの部屋で一服。元々ヘビースモーカーでは無いので我慢は出来たのだが、5泊6日の旅で私が吸った量は1箱いかなかった。

 灰皿の無い街を歩きながら昔の歌謡曲、水前寺清子の『一本どっこの唄』、そのタイトルだけを思い出した。「1本どこ?」と連想したわけだ。嫌煙包囲網が強まる中、タバコはさらに値上がりするだろう。貧乏人にはタバコ1本がとても貴重になるはず。
          

 記:2014.10.31 島乃ガジ丸


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城巡りの旅2014東海

2014年10月31日 | ガジ丸の旅日記

 1、序章
 母が死に、父が死んだ後、二人が苦労の末残した家屋敷を不詳の息子は失くした。父方の伯母1人と母方の叔父2人がまだ存命で、沖縄在の叔父の一人はそのいきさつを知っているが、伯母ともう一人の叔父にちゃんと説明しようと、先月、二人を訪ねた。
 叔父Tは東京、伯母Tは岐阜に住んでいる。東京在の友人Iが9月27日に国立で結婚披露パーティーを開くというので、それにもついでに参加するとして、府中に住んでいる伯母Tの息子(私の従兄)Hにも会うことにし、東京から岐阜の流れ旅。

 旅こそ人生と思うくらい旅好きな私が、今回は「2006年秋北海道の旅」以来約8年ぶりの県外脱出。久しぶりのことなので、用件だけの旅でなく、他にも何かテーマを設けてたっぷり旅を楽しもうと考え、計画した。東京から岐阜、何がある?
 中央線で行くか、東海道線で行くか考えていたら、ふと思いついた。「そうだ、つわものどもが夢の跡を偲ぶ旅にしよう」と。つわものどもが夢の跡、城巡りだ。
 中央線なら長野に国宝松本城、真田幸村の上田城などあるが、松本城は昔、25年ほど前だったかに行った覚えがある。東海道線を見ると、そこはさすがに戦国の世の中心地らしく、たくさんの名城があった。で、東海道にしようと計画を立てた。

 東京在中は従兄Hの住む府中に宿を取っていた。府中本町駅から関ヶ原までの乗車券を購入し、途中下車しながら、駿府城、掛川城、浜松城、岡崎城、岐阜城、犬山城、名古屋城などを訪ね、人は何故殺し合いを望んだのか?もついでに考えてみようと出発。

 2、駿府城
 9月28日、朝8時頃、府中本町駅を出て乗換乗換(鉄道に慣れないウチナーンチュには面倒な作業)しながら、静岡駅に着いたのはお昼前。駅にある観光案内所へ行き、駿府城の場所を訊く。「駿府城は県庁の傍です。県庁舎の隣に展望室のある建物があるので、そこへも上がってみるといいです」と助言を頂いた。
 駅から静岡県庁は徒歩圏内、旅の荷物を背負ったまま歩いて行く。周りの景色を眺めながらほどなく県庁へ着く。県庁の扉が面白い。戦国の城門のよう、写真を撮る。
 観光案内所のお勧めであった展望室へも 上る。そこから駿府城公園が見渡せた。城(本丸とか天守閣とか)は無かった。駿府城と言えば徳川家康の居城という知識は持っていたが、詳細は知らない。駿府城公園の説明文によると、豊臣秀吉によって関東に移封される前と将軍職を秀忠に譲って隠居した後、家康は駿府城を居城としたようである。
          

 駿府城公園、広くゆったりとした雰囲気の公園で、季節に咲く花を眺めたり、のんびり風を感じたりするには良い公園だと思ったが、私の興味を引くものは特に無かった。公園の中央辺りに徳川家康の銅像があった。家康、徳川300年太平の世を築いた偉い人。自らは節制して粗食だったらしいが、銅像は「ホントに粗食?」の体型をしていた。
          

 3、掛川城
 駿府城公園をぶらぶらして1時過ぎにはそこを出て、静岡駅から掛川駅へ、掛川城も駅から徒歩圏内、しかも1本道、旅の荷物を担いで歩いて行く。
 掛川城について私は何の知識もない。掛川城公園の説明文によると、元は今川氏の管轄で、それが徳川になり、豊臣となる。豊臣の頃、城主は山内一豊だったそうだ。
 山内一豊といえば『山内一豊の妻』がすぐに思い浮かぶ。山内一豊は信長、秀吉、家康に仕えているが、徳川家康の時代になってから土佐の領主になる。そういえば、2006年春の旅で高知を訪れた際、高知城 を私は見学している。その頃、NHKの大河ドラマも一豊夫婦の話だったように記憶している。掛川城の城内に入り、天守閣を眺めながら「そうか、秀吉の時代は、一豊夫婦はここにいたのか」と思った。感想はそれだけ。
          

 9月28日は運悪く(なんて、旅の計画を立てた当初から分かっていたこと)日曜日にあたっていた。駅から掛川城へ向かう道の途中から車道は歩行者天国になっており、何かの祭りがあるということに気付いていたが、掛川城公園がそのメイン会場となっているみたいで、公園には人がわんさかいた。人ゴミを私は苦手にしているので、公園散策は諦める。掛川城はその天守閣を見て、山内一豊を思い出しただけで終わった。
          

 4、浜松城
 掛川駅から電車に乗り磐田駅で降りた。磐田に何か観るもの、城とか古跡とかがあったわけじゃない。旅の計画を立てている時、磐田に住む才媛K子に「会える?」メールを送った。その中に「松本も考えたけど、静岡にも名城があるではないかと思い直し東海道の旅にした・・・静岡には名嬢もいるし」と書いた。私はそういうことを平気で言える(書ける)。美人には美人と言う、本当のことだからしょうがないという気分。ただし、そうでない女性に「そうでない」と言う ことは無い。話が浜松城から逸れているが、名嬢K子から「会えますよ」と返事があったので、そういうわけで磐田泊。
          

 9月29日、それまで溜まった洗濯物などを駅前のコンビニで貰った段ボール箱に詰めて、それをコンビニから宅配で自宅宛に送って、少しのんびりして、磐田駅から電車に乗って浜松駅で下りる。浜松城も駅から徒歩圏内、軽くなった旅の荷物を背負って歩く。
 浜松城公園へ着いたのは9時半頃。木の上からツクツクボウシの鳴き声が聞こえ、 ギャッといった獣の鳴き声も聞こえた。声の方向を見るとリスであった。リスはたくさんいて枝から枝を飛び、地面を走り回り、木の幹を登っていた。沖縄にはいない哺乳類、じっと立って、近付くのを待って写真を撮った。そんなんで私は時間を費やす。
 駿府城にあったものと似た徳川家康の銅像があった、これは若き日の家康で精悍な体つき。天守閣も見た。風情のある造りのトイレに感心する。公園内のベンチの傍に灰皿が備えられているのにも感心する。倭国の禁煙包囲網は強力になっており、ホテルの喫煙可の部屋以外でタバコを吸える場所がなかなか見つからなかっただけに、一安心。感想はこれだけ、浜松城公園はそう広く無くて、1時間で散策を終えた。
          

 5、岐阜城
 浜松駅から伯母の住む関ヶ原へ向かう。11時過ぎには浜松駅を出たと思うが、電車に慣れないウチナーンチュは乗換を間違えたりして、関ヶ原に着いたのは2時過ぎ。
 伯母の家で、伯母と、伯母の面倒を見ている従姉の歓待を受け、幸せ気分になってその夜は岐阜駅近くのホテル泊。従姉が持たせてくれた愛情弁当を肴に部屋飲みする。

 9月30日、ホテルを7時半にはチェックアウトし、岐阜城までのアクセスをホテルの人に聞いて、その助言通り駅前からバスに乗る。ところが、沖縄でもバスを利用することはほとんど無く、バスに慣れない私は乗るバスを間違えて、目的地の途中で降りなければならず、そこから歩いた。距離としては駅から目的地までの中間くらいであった。
  地図を見ながら、なるべく小さな道を歩く。小さな道には大通りには無いその土地に暮らす人々の、生活の匂いのする街並みがある。庭の植物にも私は興味がある。
 しばらく歩くと寺が見えた。神社も見えた。さらに寺、さらに神社、神社仏閣は山(金華山)の麓にいくつもあった。「何でこんないっぱい?」と考える。戦国時代、死者を多く出した場所だからだろうか?元々この辺りの人は信心深い人が多いのだろうか?後でホテルの人か観光案内所で尋ねよう、と思ったが、それは忘れてしまった。
          

  金華山という名の山は宮城県にもあるらしいが、私としては岐阜県の金華山が有名。別称の稲葉山は戦国時代を舞台にし、織田信長が出てくる時代小説やテレビドラマに出てきて有名。私がよく覚えているのは司馬遼太郎の『国盗り物語』、油売りから一国の主となった斎藤道三、その娘のお市、お市の亭主となる織田信長など、若い頃に読んだせいか、お市が美女であった、稲葉山の領主となった道三は家督を譲った息子に殺される。その後に稲葉山を奪い取ったのが信長、などといったことを記憶している。
          

  金華山の標高は329mとのこと。その途中までロープウェーで登り、そこから頂上へ向かう。歩いている間、多くの人に出会う。多くの人のほとんどはご年配の方々で、概ね皆ハイキングスタイル(ジャージなど)で、健康ウォーキングだと思われた。すれ違うたびに「おはようございます」と挨拶される。私も挨拶を返す。
 頂上に着くと、20~30名ばかりの人がベンチなどに座って歓談していた。岐阜城はというと、あるにはあった。でも、思いの外小さくて、そこから斎藤道三、織田信長の姿はイメージできなかった。頂上の傍に茶屋があり、そこの展望台で岐阜の景色を眺める。数日前に噴火した御岳山の方向は岐阜城に隠れて見えなかった。
 一人静かに山道散策もできそうに無いので早々に引き上げ、岐阜駅から犬山へ。
          

 6、犬山城
 名鉄犬山公園駅へ降り立ったのは12時過ぎ、荷物を背負って歩いて犬山城へ向かう。途中から長良川の川沿いの道となる。長良川は鵜飼いで有名、有名なカワウを見つけ写真を撮る。そのカワウはアユではなく、カメの尻尾を突っついていた。
  カワウだけでなく、他の動物の写真、植物の写真を撮りながらのんびり歩いて、犬山城公園へ着いたのは午後1時頃。公園入口から既に犬山城が見える。それまで4つの城を見てきたが、初めて「良い雰囲気を持っている、きれいな城だ」と感じた。
          

 犬山城、実は私は、今回の旅の計画を練る前まではその名前さえ知らなかった。名前も知らなかったので国宝であることも知らなかった。国宝に指定されている城は犬山城の他に松本城、彦根城、姫路城の4城があり、その中でも最も古い城ということである。
  城門をくぐるとすぐに天守が見える。その景色ですぐに「美しい、凛としている、威風堂々、風情がある、見事!さすが国宝。」などと感じる。「その中でも最も古い城」は中に入っても良い雰囲気を持っており、ボーっとしていることの好きな私であれば、ここで半日はボーっとしていられそうな良い気を感じた。周りに人が少なければそうしたかもしれないが、あいにく客は多くいて、そう長くはいられなかった。
 犬山城の説明文を読むと、特に有名な武将が城主になったということは無く、歴史的には、秀吉と家康が闘った小牧長久手合戦 で、秀吉がこの城に陣を置いたということがあるくらいで、そういうわけで歴史小説などでもあまり名前が出てこないのだろう。
          

 犬山城を見学し終わって、そこから犬山駅まで歩く。その城下町の雰囲気もまあまあ良かった。そのような街造りをしているのであろうが、いかにも江戸時代の城下町といった雰囲気、八重山の竹富島も景観に制限を設け、いかにも昔の沖縄の雰囲気を演出しているが、犬山の城下町もそのようにして景観造りをしているのかもしれない。
          

 7、名古屋城
 10月1日、沖縄へ帰る日、飛行機は12時40分発、11時半に名古屋国際空港へ着くように電車の時間など計算して、朝早くホテルで朝食を摂り、チェックアウトして、名鉄駅の近くのコインロッカーに荷物の大方を預け、小さなバッグにカメラなどを入れて名古屋城へ向かう。ホテルの人に教わった通り地下鉄に乗って。

  名古屋城へは8時半頃着く。城内への入場は9時からということだったので、先に隣接する名城公園を散策することにした。名古屋城と名城公園との間には川が流れており、その川沿いをのんびりと歩いた。川にはカルガモが数羽見えた、アオサギが数羽見えた。知らない大きな鳥(後日調べてコブハクチョウと判明)が1羽見えた。それぞれの写真を撮り、川の向こうにそびえ立つ名古屋城の写真も撮る。
 名古屋城といえば有名な金のシャチホコ、屋根の上に乗っかっているのが遠くからでも見えたが、金色かどうかについては判断できなかった。家康が天下を獲った後、その命によって造られた城だけに、遠景からでもその外観は立派できれいだと感じた。
          

  川沿いの、名古屋城が見えるベンチに腰掛けてしばし休憩。その時、カラスの大群が近くで騒いだ。何事かと見ると、爺さん(またはオッサン)がカラスに餌をあげていた。ただでさえ煩いカラスに「何で餌をあげるの?」と理解できず、しばらくその爺さん(またはオッサン)の行動を見ていたが、彼は餌を投げ終えると自転車に乗ってさっとその場を離れた。野良猫に餌をあげる人と同じような心境なんだろうか?
 そんなこんなもありながら、動植物の写真をあれこれ撮りながら名城公園を散策している内に11時になる。ここから空港への時間を考えると、もう空港へ向かわなければならない時間を過ぎている。目的だった名古屋城見学は諦めて地下鉄の駅へ向かった。
          

 8、付録
 駿府城、掛川城、浜松城、岡崎城、岐阜城、犬山城、名古屋城を訪ねる予定が、時間の都合で岡崎城は行けなかった。東京から岐阜の間にはその他、神奈川県の小田原城、愛知県の清州城、岐阜県の郡上八幡城、大垣城などがあり、もう少し西へ進むと滋賀県の長浜城、清州城、三重県には津城、伊賀上野城がある。「群雄割拠していたんだなぁ」とつくづく思う。時間的経済的余裕があれば、それらも訪ねたいと思ったのだが・・・。

 中東のテロ組織に参加する外国人がいるらしい。日本人にもそういう人がいるらしい。戦争がしたいと思っている人が世の中には少なからずいるようだ。「殺し合い」、平和大好きの私としては何が何でも避けたいこと。しかし、戦争はあったし、今もある。
 城巡りをして、ついでに{何故、人は殺し合いをしたがるのか?」も考察してみようと思ったが、考えはまとまらない。戦うことが人の本能に含まれている、生きるか死ぬかという状況が好き、人を殺すのが好きといった本能もあるかもしれない。
 それはともかく、日本の城は見た目に美しい。そこから戦争は、私はあまりイメージできなかった。城は軍事基地だったかもしれないが、役所でもあったし。

 今回訪ねた各城の、それぞれの公園案内板の写真を撮ったので以下に付録とする。ただし、岐阜城は金華山ハイキングコース、犬山城は犬山市の観光マップ。

          
          
          
          
          
          

  記:2014.10.29 ガジ丸 →ガジ丸の旅日記目次


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キスジホソヘリカメムシ

2014年10月31日 | 沖縄の動物:昆虫-カメムシ・セミ

 二卵性?

 友人Fの息子は双子である。現在中学一年生、彼らが生まれた時から何度も会っているが、二人を区別できるようになったのは、やっと去年になってからだ。よく見れば顔の造りが違う。全体から受ける雰囲気も違う。たぶんもう、名前を間違えない。
 友人Kの娘は双子である。現在高校一年生、ここ数年会っていないので今どんな顔になっているか判らないが、生まれた時から小学生の頃まではたびたび会っていた。その時、私は2人を区別できなかった。会うたんびに「君はどっち?」と名前を訊いていた。2人の顔の造作に違いを感ぜず、全体から受ける雰囲気も似ていた。この2人はきっと一卵性双生児に違いない。前述の双子の男の子は二卵性双生児かもしれない。
 
 キスジホソヘリカメムシはホソヘリカメムシによく似ている。似ているけれど両者は何となく違う。素人の私でもすぐに「違うみたいだ」と気付くほどだ。今回別頁で紹介しているタイワンホソヘリカメムシもホソヘリカメムシとよく似ていて、この両者はすぐには違いが判らず、「何か違うかも」と何となく感じただけであった。
 友人の双子2組のように、タイワンホソヘリカメムシとホソヘリカメムシは一卵性で、キスジホソヘリカメムシとホソヘリカメムシは二卵性みたいな感じ。

 
 キスジホソヘリカメムシ(黄筋細縁亀虫):半翅目の昆虫
 ホソヘリカメムシ科 奄美以南の琉球列島に分布 方言名:フー
 名前の由来は『沖縄昆虫野外観察図鑑』に「頭胸部側面から腹部側縁にかけて連続する顕著な黄色帯がある」とあり、そこからキスジ、胴の横の部分に平たい縁(ヘリ)がついているのでヘリ。ホソは体が他のヘリカメムシに比べて細いからと思われる。カメムシは広辞苑にあり、「頭部の突き出た形がカメに似ていることから」。
 「体の色は黒褐色から赤褐色まで変異がある」、「雄は頭部と胸部の側面に黒く縁取りされた黄色の不連続紋がある」、「成虫は飛ぶ時ハチに似て、幼虫は姿や行動がアリに似ている」などといったことが『沖縄昆虫野外観察図鑑』にあった。
 体長は11~14ミリ。出現時期は3~6月せ、寄主はマメ科植物。
 見た目でホソヘリカメムシに似て、ホソヘリカメムシ科は「成虫がハチのように飛ぶことや幼虫の形態、行動がアリに似ている」という同じ特徴を持っていてさらに似る。
 『沖縄昆虫野外観察図鑑』によるそれぞれの特徴は、
 ホソヘリカメムシ
 後ろ足の大腿の部分が太い。
 キスジホソヘリカメムシ
 頭胸部側面から腹部側縁にかけて連続する顕著な黄色帯がある。
 タイワンホソヘリカメムシ
 後脚は暗褐色で、腿節に黄白色帯があり、膨大し、5~6個の歯状突起がある。

 記:2014.10.11 ガジ丸 →沖縄の動物目次

 参考文献
 『ふる里の動物たち』(株)新報出版企画・編集、発行
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄昆虫野外観察図鑑』東清二編著、(有)沖縄出版発行
 『沖縄身近な生き物たち』知念盛俊著、沖縄時事出版発行
 『名前といわれ昆虫図鑑』偕成社発行
 『いちむし』アクアコーラル企画発行
 『学研生物図鑑』本間三郎編、株式会社学習研究社発行
 『昆虫の図鑑 採集と標本の作り方』福田春夫、他著、株式会社南方新社社発行
 『琉球列島の鳴く虫たち』大城安弘著、鳴く虫会発行


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タイワンホソヘリカメムシ

2014年10月31日 | 沖縄の動物:昆虫-カメムシ・セミ

 瓜二つの台湾

 子供の頃読んだSF小説で、タイトルは忘れたが、もしも自分がそうなったらどうしようとまで考え、「そんなの嫌だ!」と、とても怖い思いをしたものがある。宇宙人に体が乗っ取られるという話。自分の意思で自分が動かせないという恐怖。
  自分が・・・というだけではない。父が、母が、その中身は宇宙人となったらと想像して、さらに強い恐怖を感じた。「いつか、寝ているところを殺されるかもしれない」などと純真な(と自分で言う)少年は想像して怖かったのだ。
 もしも父や母が、その中身が宇宙人になったとしたら、自分はそれに気付くだろうか?何かちょっと違うぞと感じるだろうか?・・・たぶん気付かないし、感じない。でも、それが純真な少年の頃では無く、汚れきったオジサンの今なら、ひょっとしたら気付くかもしれない。「この2人、何か別人見たいだぞ」と感じるかもしれない。

  春、私の畑にホソヘリカメムシがたくさんいて、エダマメについていた。エダマメを収穫してマメ科植物がなくなると、ホソヘリカメムシもほとんど見なくなった。ところが6月の下旬、畑小屋の前に見つけ、「まだいたか」と写真を撮ったが、ちょっと引っかかる所があった。全体から受ける雰囲気が「何か違うかも」と私に疑いを抱かせた。 
 タイワンホソヘリカメムシはホソヘリカメムシによく似ている。瓜二つと言っていい。両者を間違えたとしても素人としては何ら恥にはならないと思う。しかし、汚れきったオジサンの私は「何か違う」と気付いたのだ。素人に毛が生えたかもしれない。

 
 タイワンホソヘリカメムシ(台湾細縁亀虫):半翅目の昆虫
 ホソヘリカメムシ科 琉球列島、台湾に分布 方言名:フー(カメムシの総称)
 名前の由来は資料がなく正確には不明。胴の横の部分に平たい縁(ヘリ)がついているのでヘリ。ホソは体が他のヘリカメムシに比べて細いからであろう。タイワンは「南方系の」という意か、または、台湾で学術的発見がなされたからだと思われる。
 体長は14~17ミリ。寄主はイネ科植物、マメ科植物で、それらの花や実に多く集まるとのこと。私の畑ではバケツの水に溺れていた。出現時期は5月から12月。
 てっきりホソヘリカメムシだと思ってしまうほどよく似ている。ホソヘリカメムシ科は「成虫がハチのように飛ぶことや幼虫の形態、行動がアリに似ている」という同じ特徴を持っているので、さらに判別しにくい。『沖縄昆虫野外観察図鑑』によると、
 ホソヘリカメムシ
 後ろ足の大腿の部分が太い。
 キスジホソヘリカメムシ
 頭胸部側面から腹部側縁にかけて連続する顕著な黄色帯がある。
 タイワンホソヘリカメムシ
 後脚は暗褐色で、腿節に黄白色帯があり、膨大し、5~6個の歯状突起がある。
 
 斜めから

 記:2014.10.19 ガジ丸 →沖縄の動物目次

 参考文献
 『ふる里の動物たち』(株)新報出版企画・編集、発行
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄昆虫野外観察図鑑』東清二編著、(有)沖縄出版発行
 『沖縄身近な生き物たち』知念盛俊著、沖縄時事出版発行
 『名前といわれ昆虫図鑑』偕成社発行
 『いちむし』アクアコーラル企画発行
 『学研生物図鑑』本間三郎編、株式会社学習研究社発行
 『昆虫の図鑑 採集と標本の作り方』福田春夫、他著、株式会社南方新社社発行
 『琉球列島の鳴く虫たち』大城安弘著、鳴く虫会発行


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アンチアンチエイジング

2014年10月24日 | ガジ丸通信-社会・生活

 友人E子の母上K女、女性に歳を訊くのは失礼だと思って訊いていないが、見た目では80と少し。何年も前から何度も会っていて、話もしていて、顔を見れば「あー、E子のお母さん」と認識できるほど知っているが、この数ヶ月で彼女の話をじっくり聴く機会が2、3度あった。以前からそう思ってはいたが、明るい人だなぁと再認識した。
 明るい人は今、ご高齢者用の施設に入っていて、そこで人気者になっているらしい。彼女のもとに人が集まるらしい。一人の男性高齢者からプロポーズもされたらしい。彼女の明るさが魅力となっているのだと私は思う。見た目は80代だが、よく笑うその笑顔が可愛い、彼女と会話していると楽しい、幸せな気分になる、そんな魅力。

 アンチエイジングが女性(一部の男性も?)に流行っているようだが、アンチエイジングが見た目、例えば顔の皺とかシミとかを無くし若く見られるようにするといった意味である場合、私はそれに少し違和感を感じていた。「えーーーっ!とても50歳には見えなーい!」といった広告などを見ると、アンチエイジングは概ね見た目を言っている。
 であれば、女性は女性自身で婆さんを否定している。婆さんは良くないものと言っている。歳取ることは悪いことといった風に聞こえる。それに私は違和感を覚える。
  若くあることは見た目だけでは無いと、E子の母上を見ていて私は思う。「この婆さんとお茶飲みながらユンタク(おしゃべり)していたい」と思う。たぶん、心が若い。
 「見た目若いことに価値がある」のは恋愛を意識してのことではないか。「私はまだ若いのよ、生理もあるのよ、子供が産めるのよ、女として価値があるのよ」といったことではないかと、下種の勘繰りかもしれないが、私は感じてしまう。そういえば、爺さんの顔の皺は「人生の深みだね」などと好意的に捉えられているじゃないか。 
 「皺があってもいいじゃないか、長年苦労して、努力して、頑張って生き抜いて来た成果じゃねーか、それが人としての魅力となるんじゃねーか」と私は言いたい。

 9月26日から5泊6日の旅をした。県外脱出の旅は8年ぶり、用事は3日で済むが、久しぶりの旅なので、この先またいつ旅ができるか知れないので、今回は後の生活の苦しさも顧みず思い切って5泊6日とし、のんびり、ぶらぶらしようと決めた。
  東京の叔父と岐阜の伯母に会う用事があるので、東京から岐阜の旅となる。その間には名城がいくつもある。古城巡りもスケジュールに入れて旅を楽しむことにした。
 その間の名城、静岡にもいくつかあり、それらも訪ねる。静岡にはまた、旧知の美嬢もいる。彼女にも会って一緒に飲み食いできれば、旅はもっと楽しくなる。で、その旨メールすると、OKとの返事。そして、旅の3日目の夜は美嬢と過ごすことができた。
 美嬢K女史は、彼女の友人M女史も呼んでくれ、3人で飲み食い、おしゃべりの数時間となった。そのおしゃべりの中にアンチエイジングの話題も出た。
 K女史もM女史も中期オバサン、もうすぐ後期オバサンという年齢である。K女史は歳を隠さない。自分の歳をはっきり言い、「最近はもう、眼鏡が無いとメニューも読めなくなった」などとぼやく。「その歳には見えねーよ」と言うと、「よく見れば、肌のシミとか多いんですよ」と答える。いやいやそれでもだ、その見た目も感性も魅力的だと私は思い、そして、「歳が何だ!人としての魅力が大事」という話になったわけ。
          
          

 記:2014.10.24 島乃ガジ丸


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