ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

瓦版059 雨が酒なら

2008年05月23日 | ユクレー瓦版

 5月の爽やかな気候が続いている、はずの週末の夕方、ユクレー屋の一帯は大雨になっていた。「なんだ、どーしたんだ、博士の機械が壊れたか?」と思って、雨の前で立ち止まる。ユクレー屋の天気はシバイサー博士が操作している。人家の無い山や森の近辺はしょちゅう雨が降っているが、人が普段生活している一帯は、冬場は週に1回、夏場は週に2、3回、田畑や、草木を潤すための雨が夜中の数時間に降っているだけで、それ以外の日、時間にはほとんど雨は降らないようになっている。
 ということなので、傘なんてもちろん、私は持っていない。で、近くにあったクワズイモの大きな葉を一枚拝借して、それを傘代わりにし、ユクレー屋に向かう。
 門の前で、私と同じようにクワズイモの大きな葉を傘代わりにして、向こうから歩いてくる人影が見えた。人影じゃなくてマジムン影だ。ガジ丸だった。
 「おー、何でこの辺りだけ雨が降ってんだ。いや、そもそも、何でこの島にこんな時間に雨が降ってんだ?」と顔を合わすなり、ガジ丸が訊いてきた。
 「俺に訊かれても分らないよ。それより、とにかく中へ入ろうよ。」

 ドアを開けると、中はいつもの光景。カウンターの向こうにマナが立っていて、こちら側にケダマンが座っている。カウンターへ向かいながら、
 「やー、ひでぇ雨だな。・・・なんてセリフ、この島では初じゃ無いのか?いったい、何がどーなってんだ?」とガジ丸が誰にとも無く訊く。
 「温暖化の影響で、この島にも異常気象が来たってことさ。」と言うケダマンに、
 「いや、この島の天気は博士の管轄だ。博士の機械が故障したか、博士が操作ミスをしたかだな。あるいは、もしかしたら、博士の気まぐれで、今年はこの島もオキナワ並に梅雨にしてやろうってことかもしれないな?」と私が応じていると、
 「違うよ。私がそうするよう博士に頼んだのさ。」と、マナが真相を語ってくれた。
 「ケダマンがさ、1年以上も体を洗っていないって言うから汚いと思ってさ、また、体は雨に打たれながら洗うって言うからさ、雨を降らせて貰ったのさ。」
 「そうか、そういうことか。で、洗ったの?」と言って、私はケダマンを見る。
 「まだだよ。こいつ、洗うのを面倒臭がっているんだよ。」とマナが答える。それと同時にガジ丸が立ち上がって、ケダマンの首の辺りの毛を掴んでドアに向かう。
 「せっかくのマナの好意だぜ。ありがたく受け取ってやれ。」と言いながら、ドアを開けて、ケダマンを土砂降りの雨の中へ放り投げた。

 ケダマンが消えて静かになったユクレー屋、雨のせいもあって、何だかしっとりとした雰囲気になった。普通の話ができる雰囲気ということだ。で、マナに、
 「どうだい、オキナワの暮らしは?」と訊いてみた。
 「うん、楽しいよ。近所の人とも知り合いができてさ、一緒にお茶飲みに行ったりしてるよ。このあいだはさ、ガジ丸が遊びに来てくれたよ。」
 「へーえ、新婚生活にお邪魔したのか?ガジ丸が。」と、ガジ丸を見る。
 「このあいだ、ユイ姉を送った帰りに寄ったんだ。お邪魔ってほどでも無いぞ。ちょっと寄って、酒を付き合っただけだ。・・・おー、そういえば思い出した。今日ここに早く来たのはよ、唄を歌うためだったんだ。」と言って、ギターを取り、歌った。

 その唄、「雨が酒なら」と始まって何となく愉快、テンポは軽快で、メロディーも明るい。なのだが、歌詞には悲惨な感じのする箇所もある。歌い終わったガジ丸に、
 「何て唄だい?負け犬の唄みたいにも聞こえるけど。」
 「タイトルは『石ころの唄』、サブタイトルを『戦いに疲れたオジサンたちの唄』、あるいは、『負けっぱなしの人生でもさ』って言う。負け犬ってちゃあ負け犬だが、負けたっていいさ、のんびり生きていこうぜっていう負け犬達への応援歌だ。」
 「何でまた、そんな唄作ったの?」とマナが訊く。
 「このあいだ、ユイ姉を送ってからナハの街をちょっとブラブラしたんだ。そしたら、あちこちの公園に浮浪者風の人が多くいたんだ。ひと昔前から比べるとずいぶん増えていたんだな。ニホンも自由競争社会になって負け組みが増えたということだな。で、彼らを見ていたら、ちょっと励ましてやりたくなってな。この唄ができた。」
 「でもさ、雨が酒ならってさ、何か飲兵衛の唄みたいでもあるね。」(マナ)

 と、ここでドアが開いて、ケダマンが入ってきた。濡れた犬がその毛を乾かすように、入口で体をブルンブルンと数回揺らしてから、
 「雨が酒ならって、何て夢のある言葉なんだ!」と目を輝かせながら、
 「雨が酒なら、そりゃあもう、幸せになる人が多くいるぞ。」と続けた。
 「いや、雨が酒なら、飲めない人は嫌だろうし、飲める人だって、酒に溺れてアル中になる人が多くなるよ。不幸になる人が増えると思うな。」(私)
 「いやさ、いくら飲兵衛でも、毎度毎度の雨が酒じゃなくてもいいんだ。たまにでいいんだ。ある時はビール、ある時は泡盛、稀には大吟醸が降ったりするんだ。するとよ、今日は曇りのち雨、時々酒が降るでしょう、なんて天気予報になるぜ。」と言いながら、それを想像したのか、ケダマンはニタニタ笑いながら、口から大量の涎を滴らせた。
     

 記:ゑんちゅ小僧 2008.5.23 →音楽(石ころの唄)


タテタカコ、厳格な唄

2008年05月23日 | 通信-音楽・映画

 先週土曜日、久々にライブを聴きに行った。去年(2007年)8月のEPO以来、9ヶ月ぶり。会場は9ヶ月前と同じ桜坂劇場のCホール。
 桜坂劇場には3つのホールがあるが、Cホールはその中で最も広いホール。EPOは有名人なので、広いホールでも十分集客できるであろうが、今回の演者は、少なくとも私はテレビ、ラジオなどのマスコミからその名前を聞いたことが無い。たぶん、誰もが聞いたことのあるようなヒット曲も無いはず。それでも、広いCホール。
 演者はタテタカコ。シンガーソングライターでピアノ弾き語り。館田加子なのか、縦高子なのか漢字は不明だが、それにしても、早口言葉みたいな名前だ。「竹薮に竹立て掛けたのはタテタカコ」なんて、私は引っかかり無しに言うことはできない。
 タテタカコはしかし、まあまあ有名なようであった。広いCホールが7分の入りとなっていた。20代、30代の若者が多いが、それより上の中年層も少なくない。客の年齢層が幅広いということは、私が知らないだけで、テレビやラジオに出演しているのかもしれない。あるいは、多くの人が知っているヒット曲があるのかもしれない。

  私は知らなかったが、一部では有名であるらしいタテタカコが舞台に上がった。その姿を見て、私は「ほう」とちょっと驚いた。名前からして女性である。服装も女性である。驚いたのはその頭、髪の毛が短い。ほぼ丸刈りに近い。昔の仁侠映画の高倉健みたいな角刈りと言っても良い。何か罪を犯して、最近まで刑務所暮らしだったのか、脳の病気で最近手術でもしたのかと思ってしまう。もしかしたらお笑い芸人かもしれない、滑稽な唄を歌って人を楽しませるのかもしれないとも思ったが、顔は整っているので、そんなヘアースタイルでも笑える顔にはなっていない。「何て女だ」と興味が湧く。

 唄は、滑稽な唄とはまるっきり違っていた。たった1度聴いただけで彼女の唄を一言で表現するのは安易だと思うが、敢えて言うなら、彼女の唄は厳格な唄であった。
 厳格は「きびしくただしいこと。」(広辞苑)とある。確かに彼女の唄は、感性を表現する上で、その言葉にも曲にも厳しさが感じられた。表現したいことを正しく表現できているのだろうと感じられた。そして、表現したいことが明確なのであろう。
 タテタカコのピアノはクラシックであった。クラシックで自分の感性を表現している。ある曲なんかは、まるで、シューベルトの『魔笛』を聴いているようであった。時には強く、時には弱く、時には速く、時にはゆっくりと、言葉が曲に乗って語られた。
 私は、感情を込めて情熱的に歌う唄があまり好きでは無い。鬱陶しく感じる。その曲と詩を聴いて、何を感じるかは聴く方に任せてもらいたいと思っている。だから、演歌なんかも好きでない。なので、タテタカコの唄は、私の苦手なタイプである。ところが、しだいに私は彼女の世界へ引き込まれていった。厳格な唄には、人を引き込む強い力があるようだ。2時間ほどの演奏、私は十分に楽しむことができた。
 
 タテタカコは29歳とのこと。私より20歳ほども若い。私も唄を作っているが、私の唄は軽い。テキトーな所で妥協する暢気な唄となっている。暢気なオジサンは、彼女のように厳しくはなれないのだ。おそらく、人生に対する姿勢が違うのであろう。
          

 記:2008.5.23 島乃ガジ丸