ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

少吸う派

2014年05月30日 | ガジ丸通信-社会・生活

 消費税が上がる前の3月末日に15箱を買い溜めしたタバコは5月11日に全て消費した。家と畑小屋とバッグの中に残っていた分を足して2箱あったとして、私のタバコ消費量は40日で17箱ということが判明した。1日8~9本となる。朝1~2本、10時、12時、2時、4時、晩酌しながら3~4本なので、だいたいそんなもんだ。
  同じく3ケースを買い溜めした発泡酒、これは今週5月26日で2ケースを消費した。56日で48缶となる。休肝日があったので、これもだいたい計算通り。
 「計算通りに生きて何が楽しいんだ?」と波乱万丈を好む人は思うかもしれないが、私がそうしたいと思ってやっていること。「そうしなければいけない」などとはちっとも思っていない。大きな病気に罹るとか働けないほどの怪我を負うとか、大きな恋煩いに罹るとかでも無い限り、私の日常はこれからもそのように進んでいくだろう。

 大学生の頃、今でも付き合いがあり、たびたび来沖する埼玉の友人Kと、去年、今年の年末年始を沖縄で過ごした小豆島の友人Oの2人は確か、当時からタバコを吸わなかったが、他の友人たちは、その多くがヘビースモーカーであった。アパートの部屋でマージャンなんかやっていると、タバコの煙で部屋中が煙くなったくらいだ。
 大学を卒業して沖縄に住むようになった宮崎出身のKは、今の職場に就職して間もない頃だったから30年くらい前になるだろうか、強いタバコであるショッポ(ショートピース)愛好家だったのにきっぱり禁煙した。鹿児島の友人Nはもっと前に辞めたと思う。ただ一人、宮崎の友人Iだけが今も吸い続け、ヘビーであり続けている。私はもう30年ほども前からニコチンの弱いタバコになっているが、彼は今でもショッポだ。
          

 私は今収入がほとんど無いのでお休みしているが、一昨年まで参加していた模合(モアイ:正当な理由のある飲み会)、その仲間には過去に脱会した人を含めだいたい15名の男子がいた。その中でタバコをやっていなかったのは2人、たしなむ程度に吸っていたのが2人で、後はヘビースモーカーだった。しかし、それらのヘビーも一人辞め二人辞めして、ついには私を含め愛煙家は4名だけとなってしまった。少数派となった。
  少数派は職場でも肩身が狭くなり、前いた会社ではもう20年くらい前から事務所内禁煙となっていたし、金曜日だけ通っている職場もそれと同じ位前から室内禁煙となった。酒飲みながらタバコを吸うのが楽しみである飲み屋でも、禁煙の店が出てきた。
 私も、禁煙の飲み屋さんではもちろん吸わないが、そうでない飲み屋でも一緒している友人たちがタバコを吸わない人達だけの場合は、なるべく遠慮している。もちろん、人の家に行って、そこが吸わない家であれば、吸うことは無い。
 私は、1日、2日の間タバコを吸わなかったからといって禁断症状が出るわけでもないし、精神的にも吸えない事がそうきついとは感じない。ただ、自由は欲しい。私の日常では、私はタバコ吸い放題である。家の中で吸い、畑で吸っている。「これから一生、一本たりともタバコを吸うな!」と命令されたら、それは大きな心の負担となる。

 自分の生活する場所で、労働で疲れた体と心を労わって、何の遠慮もなく煙を吐く。嫌煙社会でもその程度の自由は許されていいはず。1日8~9本の少吸う派はそう思う。
          

 記:2014.5.30 島乃ガジ丸


この記事をはてなブックマークに追加

若夏

2014年05月30日 | 沖縄01自然風景季節

 沖縄の、今年の梅雨はいかにも梅雨で、雨の日が多い。雨の日は、不快指数の高い蒸し暑い日も稀にあり、少し肌寒いと感じる日も稀にあるが、平均すると概ねは過ごし易い。肌寒いと感じる日になるともう、私にとっては天国にいる(行ったこと無いけど)ような気分。気持ち良く寝られて、ぐっすり眠って、すっきり目覚めることができる。
 平均すると概ね過ごし易い梅雨時、晴れた日中も「少々暑くなったなぁ」といった程度で、畑で肉体労働をしても汗が少々滲む程度である。梅雨時はまだ、暑さが“少々”で済むのである。“少々”の付かない暑さは6 月下旬の梅雨明けからとなる。梅雨明け後には“非常に”とか“死ぬほど”とかの形容詞が付く暑さがやってくる。

 旧暦4月から5月(今年は4月29日が旧暦4月1日)頃のことを沖縄では若夏と言う。若夏の頃は梅雨でもあるが、梅雨の合間の晴れた日はとても過ごしやすい。その前、旧暦2月から3月を”うりづん”と呼び、うりづんから若夏にかけては、晴れていればとても爽やかな気候となる。東村ではツツジ祭りがあり、伊江島ではユリ祭りがあるなど花の季節でもある。人は何だか楽しい気分になり、動 物たちは恋の季節だ。
 その頃の花については『折々の花その1(春)』で紹介したトベラ、サンゴジュ、ネズミモチ、ゲットウ、ピンクダチュラ、テッポウユリ、カイエンナットなどの他、うりづんの頃はバンマツリ、キワタノキ、クチナシ、ミカン類、ミッキーマウスノキ、ウコンラッパバナ、カエンボクなどがあり、若夏の頃はブッソウゲ、ゲッキツ、キントラノオ、アリアケカズラ類、ゴールデンシャワー、オオムラサキシキブなどがある。
 今(5月下旬)は若夏の頃、私の畑なっぴばるでも野菜や果物の花が咲いている。も ちろん、タンポポやカタバミなど雑草の花も咲いている。畑の近所ではテッポウユリやゲットウの花が満開になり、向かいの森の中へ入っていくと、ギョクシンカの花がひっそりと咲いていた。畑の果物、グヮバやパパイヤ、バナナなどは実も着けだした。
     
     
     
     

 動物たちの恋の季節については、先週の『蟲の季節』で書いた通り、そこで紹介したいくつもの交尾写真で証明した通り、若夏の頃はいろんな種類の虫たちがあちらこちらで愛を交わしている。ガジ丸HPでは『子作りの季節』でキオビエダシャクやオビキンバエの交 尾、オウゴマダラの産卵など、『子育ての季節』ではヒヨドリ、メジロ、ズアカアオバトなどの巣を紹介している。いずれも今、若夏の頃の写真である。
 動物の内である人間もまた、若夏の頃には恋をしたくなるはずなんだが、私の友人たちはもう老年に近いオッサンだからか、そんな話はとんと聞かない。ただ一人、東京の友人I氏が、この5月に結婚した。彼が恋をして、その結果の結婚だったのか、老い先の寂しさに不安を感じての結婚なのかは、確認していないので不明。
 かく言う私は、老年に近いオッサンにも関 わらず春夏秋冬関係なく恋をしている。恋の季節がほぼ決まっている虫たちに比べると心はふしだらなのである。恋が成就した試はないので、体はふしだらとはなっていない。威張って言えることではないが・・・。
     
     

 若夏、雨が多くて鬱陶しい日々が多いが、晴れた日はウキウキ楽しい日々。若夏の季節が終わる頃になると、梅雨が明けて灼熱の日々となるので、今それを想像するだけで気が滅入ってしまうほどだ。若夏が終わる頃、沖縄戦が終わった。その日は梅雨らしく雨だったようだが、人々の気持ちは泣きたいほどホッとしたに違いない。

 記:2014.5.27 ガジ丸 →沖縄の生活目次


この記事をはてなブックマークに追加

ハイイロテントウ

2014年05月30日 | 沖縄の動物:昆虫-甲虫目

 色白も農夫の味方

 すっかり忘れていたが、去年(2013年)11月に世紀の大発見をし、それが確かに世紀の大発見かちゃんと確認してから発表しようと思っていた。何と、白いアフリカマイマイを発見したのだ。ただのアルビノかもしれないが。
 ※アルビノ:広辞苑による。
 人間や動植物でメラニン・葉緑素などの色素を欠き、多くは白色となった個体

  今(4~5月)、私の畑は虫たちで賑やかになっている。北側境界に並べられているグヮバの木を眺めただけでもハイイロクチブトゾウムシがわんさかいて、ハチ、ハエの類も少しいて、テントウムシの類がハイイロクチブトゾウムシに負けない位わんさかいる。
 テントウムシの類ではダンダラテントウが多いが、その次に目立つのがハイイロテントウ。4月の終わり頃、グヮバの葉上で白いハイイロテントウを発見した。
 白い灰色とは、四角い三角定規みたいな矛盾した言い方だが、三角定規を定義したのは人間なので、それが四角いとなると矛盾となるが、虫に名前を付けたのは人間だが、虫の存在は自然界の成せる技、「俺は灰色と決まったわけでは無い」と虫が主張したとしてもおかしくないし、白い灰色がいても自然界ではちっとも矛盾では無い。
  などと、面倒臭いことを考えながら白いハイイロテントウを写真に撮った。「これもアルビノかな?」と普通の脳味噌に戻って考え直し、「もしかしたら、羽化直後は色が薄くて、白色に見えるのかもな」と、まともになった脳味噌は判断した。

 家に帰ってハイイロテントウを改めて調べてみると、「羽化直後は黄色をしている」と文献にあった。「ということはやはりアルビノかな?」と思い、「まー、どっちでもいいや、灰色でも黄色でも白でもこいつらは益虫だ、放っておけ」となった。その時はもう、ビールを1缶飲みほしていたので、私はいつものだらけた脳味噌に戻っていた。

 
 ハイイロテントウ(灰色天道虫):甲虫目の昆虫
 テントウムシ科 琉球列島、ハワイ諸島、他に分布 方言名:グスーマヤグヮ
 テントウムシの由来は資料が無く不明。テントウムシは広辞苑にあり、天道虫・瓢虫・紅娘などの漢字が充てられ、「テントウムシ科の甲虫の総称」とあり、「店頭虫とする説がある」と名前の由来らしき記述もあった。本種は体が灰色なのでハイイロと付く。
 沖縄島では1987年に発見されたとのこと。元々アメリカ大陸にあって、ハワイやグアムに農作物のアブラムシ駆除に導入され、そこから沖縄へ持ち込まれたのではないかとのこと。体の斑紋には変異が多いらしいが、沖縄で見られるものは基本形のみらしい。
 成虫、幼虫共にギンネムに発生するキジラミ類を捕食する他、アブラムシ等も食べるため益虫となる。羽化直後は黄色をしている。体長6ミリ内外。成虫の出現は周年。
 
 脱皮
 
 色白

 記:2006.7.22 ガジ丸 →沖縄の動物目次
 訂正加筆:2014.5.22

 参考文献
 『ふる里の動物たち』(株)新報出版企画・編集、発行
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄昆虫野外観察図鑑』東清二編著、(有)沖縄出版発行
 『沖縄身近な生き物たち』知念盛俊著、沖縄時事出版発行
 『名前といわれ昆虫図鑑』偕成社発行
 『いちむし』アクアコーラル企画発行
 『学研生物図鑑』本間三郎編、株式会社学習研究社発行


この記事をはてなブックマークに追加

ハードルの高い人並み生活

2014年05月23日 | ガジ丸通信-社会・生活

 私の畑ナッピバルの南隣はTさんのキャベツ畑となっている。5月に入ってTさんはキャベツを収穫し始め、出荷していた。そして、今週月曜日、残り(全体の約半分)を全て刈り取っていた。「こんだけ一遍に収穫したら車3~4台分になるな、今日一日で行ったり来たりするつもりかな」と思っていたら、Tさんに声を掛けられ、キャベツを5玉頂いた。「今日で全部採るつもりですか?」と訊いたら、
  「今日で終わりだ、長雨で多くが腐ってしまった」と言う。見ると、刈り取ったキャベツの多くは畑に残されており、車に載せられたのはその内の三分の一程度だった。残されたキャベツは全て包丁で縦横に切られてもいた。「厳しいなぁ」と思った。

 Tさんからはその2週間前にもキャベツ2玉を頂いていた。Tさんのキャベツは大きいのでその時のキャベツもまだ1玉と少し残っていた。そこへさらに5玉、独り者ではとうてい消費できない。よって、その翌日、近所の先輩農夫のNさんが来たので彼へ1玉、従姉 の亭主Tに会ったので彼に1玉をそれぞれおすそ分けした。あと2玉を別の従姉Hと友人Oに持って行こうかと思ったが、ちょっと閃きがあって、それは考え直した。
 「キャベツを保存食としよう」と閃いた。沖縄の夏場はあんまり暑くて葉野菜が育たず不足する。キャベツを茹でて冷凍しておく、あるいは酢漬けにしておいて、それを夏場に食うことにしようと思った。それで、夏場の野菜不足が補える。
          
          

 今、野菜はほとんど自家生産で間に合っているので、私の食費(食べ物)は肉や豆腐などだいたい2日で500円くらい、月にすると7500円程度で済んでいる。夏場を冷凍キャベツで乗り切れば、年間を通じてこの金額でやっていける。
 飲み物はどうだろう?と考えた。会社を辞めて貧乏になってからビールが発泡酒に、ワインも安物となった。ひと月で、発泡酒は25缶2500円ほど、ワインは1800ミリリットル入りボックス880円のもの、日本酒は四合瓶約1500円程度と高いが、たまにしか飲まないので、これもひと月分である。飲む機会の多い泡盛は値段が安いので、ひと月に換算するとだいたい1000円くらい。よって、私がひと月に消費する家飲みアルコール代は約6000円となる。飲食費は計12500円、まあまあ質素。

  思えば、会社勤めをしていた頃、私は贅沢であった。むろん金持ちでは無かった。会社は零細企業なので給料も安い、私の年収は多い時でも300万円ほどしかなかった。「しかなかった」というのは、世間一般から見た限りのことで、今の私から見れば「おー、俺はそんなに貰っていたのか、金持ちだったんだ」と思えるような金額だ。
 その頃の贅沢、「発泡酒なんて飲めるかい!」だったし、ワインは四合瓶で1000円程度のものだったし、大好きな日本酒も、吟醸酒とか大吟醸などといった値段の高いものをよく飲んでいた。美味しいと評判の山城牛のステーキもたまに食っていたし、鯛やヒラメ、マグロの刺身もしばしば食っていたし、いやー、贅沢だった。
 そんな贅沢、農夫でいる限り、もう復活することはないだろう。そんな贅沢、それが人並み生活であるというのなら、農夫にとって人並み生活はハードルが高い。そして、干ばつで泣き、長雨で泣き、病虫害にも泣く。農夫の歩く道にはそんなハードルもある。
          

 記:2014.5.23 島乃ガジ丸


この記事をはてなブックマークに追加

蟲の季節

2014年05月23日 | 沖縄01自然風景季節

  今はもう他人のものとなってしまった那覇市泊にある実家、そこから徒歩7~8分、今は廃れているが、かつては男の歓楽街であったらしいジッカンジ(十貫瀬)の一角に蟲と看板に書かれた飲み屋があった。もう30年程も前、誰か(誰だったか忘れた)に誘われて行き、その後2、3度誰か(誰だったか忘れた)を誘って行っっている。
 蟲、何と発音したかはっきり覚えていない。「うじむん」だったか、意味は確か「たくさんの虫達が蠢いている様子」だと、そこの亭主から聞いた覚えがある。そんな変な名前の店、肴はサバ缶などの缶詰やスルメなどの乾き もんのみであった。また、那覇市のほぼ中心部だというのにトイレは昔ながらのポットン便所(汲み取り)だった。

 蟲、和語で発音すると「むし」、広辞苑によると「蟲は、虫を三つ合わせ、たくさんに寄り集まる小動物を示す会意文字。虫は、その略字として古くから用いられたもの」で、意味としては「獣・鳥・魚以外の下等動物。むし。特に、昆虫」とのこと。
 ちなみに、蠢は「虫がごそごそ動く」(広辞苑)で、「うごめ(く)」と読んで、「はっきりとでなく、全体がわずかに絶えず動く。もぐもぐ動 く」(同)のこと。春の日差しの下で虫たちがごそごそ動いている様が容易にイメージできる。
 上述の飲み屋「蟲」は、春夏秋冬関係なく、夜な夜な集まって酒を飲んでいる客のことを「ごそごそ動く虫」に喩えたのかもしれない。亭主のユーモアだったと思う。カウンターに7、8席しか無い小さな店で、店内はゴキブリがごそごそ這い回っても気付かないほど暗かった。そんな小さな暗い場所で客達は確かに、ごそごそ酒を飲んでいた。

 「蠢く」は「はっきりとでなく、全体がわずか に絶えず動く」であるが、それはおそらく倭国に於いてでの話で、沖縄の春は違う。少なくとも新暦の3月ともなれば、もう虫たちは活発に動いている。繁殖活動も盛んに行っている。
 3月以降、いろんな種が夥しくいて、それぞれが盛んにセックスしている。5月11日(2014年)、私は畑でたくさんの命を奪った。正確な数字は12匹、今まさに子作りの最中であった恋人同士をも無理やり引き裂いて、二匹ともあの世に送った。じつは、子作りの最中であったことが私に直接的な殺意を抱かせたのだ。
  愛し合う2匹を独り者のオッサンが妬んで・・・というのでは無い。虫に嫉妬する程私はスットコドッコイでは無い。2匹がいた傍にシークヮーサーがある。ゴマダラカミキリの幼虫はシークヮーサーの幹の中に入り、枯らしてしまう。大敵だ、畑のあちこちを探すと彼らは12匹もいた。子作りをさせてはいけない。で、皆殺しとなった。

 ヒメゴマフコヤガ、ツマグロキンバエ、キスジセアカカギバラバチ、マダラアシナガヤセバチ、キスジノミハムシ、ダイコンハムシ、ツツサルハムシ、ハイイロクチブトゾウムシ、ア  シビロヘリカメムシ、イワサキクサゼミ、以上が今年春、写真を撮って何者か判明した昆虫たち。何者か判明していない者はこれの4倍位はある。
 上記の内、ツツサルハムシ、ハイイロクチブトゾウムシ、イワサキクサゼミは交尾の写真も撮れている。既に判明したもの、あるいは、判明してガジ丸HPで紹介済みのものでも、ダンダラテントウ、ヒメナガメ、ウルマクロハムシダマシ、ゴマダラカミキリ、シオカラトンボなどその交尾写真をこの春で撮ることができた。
     
     
     
     
     
     
     
     

  沖縄の虫たちが蠢く季節は当然去年もあったはずだが、去年はほとんど昆虫の写真を撮っていない。畑仕事に集中していたからだと思う。実家の処分に関わるあれこれで忙しくしていたせいもある。今は梅雨、雨で畑仕事も休みの時が多い。畑仕事も今はそう忙しくない。植付けも収穫もほとんど無い。やることといえば草刈だけだ。
 蠢の季節、3月からこれまでに多くの写真を撮っている。何者か判明していない写真はこの間だけでも40種以上ある。そして、去年は無かった時間の余裕が今年はある。梅雨の間、何者か判明させる時間も多く取れ る。これから昆虫の紹介が続くと思う。

 記:2014.5.18 ガジ丸 →沖縄の生活目次

トラックバック (1)
この記事をはてなブックマークに追加