ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

勝っても負けても

2006年11月24日 | 通信-政治・経済

 先週土曜日、前日の『めざましテレビ』の週末占いで、私の星座は1位だったのにも係わらず、その日はまったくついていなかった。計画が裏目裏目に出た。庭仕事や畑仕事を計画したが、雨だったので延期した。ところが、午後からはさっぱり晴れやがった。その晴れた午後、何していたかと言うと、映画を観るつもりで街に出た。が、映画はやっていない。で、排気ガスを吸いながら、那覇の街を2時間ほどブラブラしただけだった。
 そのブラブラにはおまけがついた。選挙の煩い騒音だった。宣伝カーの他、国際通りには候補者たちの運動員による呼びかけ、ビラ配り、旗振りなど、目にも耳にも煩いものが溢れていた。「ついてねぇな」と思い、「明日が投票日か」と気付く。

  翌日、沖縄県知事選挙の投票日。夕方5時過ぎに投票所である近所の小学校へ行く。その前に図書館へ寄ったが、図書館から小学校までの道で、両陣営のポスターをいくつか見た。告示後のポスターは禁止というルールをどちらも守っていない。告示前に貼ってあったポスターとは違う種類のものも発見した。告示後に作って貼ったわけである。「ルールなんて守ってられるか!」ということなんだろうか。下品なことだと思う。
 よく覚えているスポーツのシーンがある。一昨年の夏のオリンピックでも今年の冬のオリンピックでも無く、去年の世界柔道の棟田選手の態度。勝っても負けても、試合と対戦相手に対する尊敬の念が感じられ、美しいと思った。あれこそが日本人の品格だと私は思う。彼の背中こそ、子供たちに見て欲しい背中だと思う。あいにく、沖縄県の知事選では、勝った人も負けた人も、その品格は棟田さんの足元にも及ばなかった。

 まあ、あんまり厳しいことを言っても、南の島の風土には似合わない。実は私は、大人の背中がいくらか歪んでいるのはしょうがないことだとも思っているのである。私もまた自分の背中に自信があるわけでは無いから、ということもあるが、むしろ、多少のモラル違反はあってもいいんじゃないかとも思っているくらいである。多少のことは大目にみようぜという寛容さが無いと、世の中は住み辛いと思うのである。
 「他人を追い込まない。自分も追い込まない。」ということを、このホームページのテーマの一つにしているが、さほど厳しく生きなくても良かろう。さほど清廉潔白でなくても良かろう。目くそ耳くそは溜まるだろう。鼻くそもほじるだろう。雲子は臭かろう。それでも、「そんなあなたが好き、そんな私も好き」という心を互いに持っていれば、世の中は平和で、心も豊かであろうと思うのである。
 平和で心豊かであれば、もうそれだけで幸せは保証されたもの。たまについてないことがあったとしても、何ほどのことでもない。テーゲー(概ね)は幸せなんだから。

 お互い歪んだ背中だが、沖縄を思う気持ちは同じに違いない。勝っても負けても、「平和で心豊かな沖縄」という異床同夢を見ているはず。勝った人は県民の代表として、負けた人は一人の政治家として、これからも頑張ってもらいたい。
          

 記:2006.11.24 ガジ丸


涙少々

2006年11月17日 | 通信-音楽・映画

 先週土曜日(11日)、近くのドコモショップで9月分の代金を支払い、携帯電話を使えるようにして、その後、映画を観に行った。私の好きな桜坂劇場では無く、那覇新都心にある大きなシネコンへ。そこでしかやっていなかったので、致し方なく。
 その数日前、職場の若い同僚Y君と10時休みにちょこっと話をした。
 「観た?」と訊くと、
 「観ました。」と答える。
 「泣いた?」と訊くと、
 「泣きました。」と答える。で、観に行こうと私も決心したのであった。最近ほとんど泣いたことがないもんだから、目に潤いが欲しくなっていたのであった。

 若い俳優、歌手などをあまり知らない私だが、長澤まさみはよく知っている。「ケーキが好きじゃない」ということをテレビのインタビューかなんかで聞いた覚えがある。「おーっ、若い女にもケーキ嫌いがいるのであるか。オジサンの仲間ではないか。しかも、とびっきりのべっぴんではないか。」と私は感動し、それで覚えてしまった。その前にも、確か一昨年だったと思うが、映画『深呼吸の必要』で、彼女は心に傷のある(自閉症だったか)少女を好演していた。名前は覚えなかったが、その存在は記憶に残っていた。

 その日観た映画は『涙そうそう』。沖縄が舞台ということも、私が観に行きたいと思った理由の一つ。画面には私の知っている景色が多く映った。それが逆に、私の鑑賞の邪魔をした。那覇の街からコザ(現沖縄市)の街まで瞬間移動しやがった。那覇の高校に通う長澤まさみが、遠い恩納村のホテルでバイトしていた。「どーなってるんだ!」と始め思ったが、「あっ、そうか、映画だったんだ。」と気付く。だが、そういったことで現実に引き戻されたりして、なかなか映画にのめり込むことができなかった。
   涙をボロボロ(ウチナーグチではソウソウ)流すつもりであったのだが、涙は少々も出なかった。「あっ、ここで泣かそうとしているな。」という作り手の意図も見え過ぎて、少し冷めてしまったせいもある。でも、ウルウルはした。沖縄訛りの使い方がすごく上手で、それには感心した。長澤まさみも可愛いし、まあ、観て損では無い映画。

 終わり頃、長澤まさみとオバーが話をするシーンがあるが、その時オバーの口から、
 「ニーニーはあんたのことが大好きだったからね、オバーはね、ホントはね、あんたたち二人が結婚したらいいさあ、と思ってたよー。」なんていうセリフがあれば、ニーニーに恋心を抱いていた妹は、
 「なんで離れたんだろう。なんでずっと一緒にいなかったんだろう。ずっと一緒にいれば、ニーニーは死なずに済んだのに。」などと、後悔がさらに深まって、愛する者を失った悲しみはさらに強くなって、涙はもっと多く流れたに違いない。
          

 記:2006.11.17 ガジ丸


ドーモコーモドコモ

2006年11月17日 | 通信-その他・雑感

 先週水曜日、用があって馴染みの喫茶店に電話した。2時間の間に6回電話したが、ずっと話し中であった。金曜日にその喫茶店に行き、「いったい2時間も誰と何の電話していたんじゃい!」と文句を言った。喫茶店のママさんはキョトンとした顔をした。
 土曜日、友人Hの店へ行くと、女房のE子が、「あんた電話しても通じないよ。Sからも電話があって、あんたに電話しても通じないって。電話代払っていないからじゃないだろうか、もしかして、お金に困っているんじゃないかって言ってたよ。」とのこと。
 「いやいや、俺は薄給だけれど、電話代くらいは払えるぞ。」と応じつつ、はっと思い出した。一ヶ月ほど前、NTTから葉書が来ていた。銀行口座の残高不足で引き落としができないという内容であった。電気屋からもガス屋からも同様の葉書が来ていた。
 数日後、銀行へお金を入れて、これで一件落着、と私は思った。ところが、そうではなかった。電気屋、ガス屋は落着したが、NTTは違ったようである。
 Hの店からすぐにドコモへ電話する。かくかくしかじかであると伝えると、
 「9月分が支払われていません。通知が来たはずです。それで、コンビニなどから振り込めます。」と電話の向こうの、若い女性が応じた。
 「10月分は引き落とされていますが?」
 「期限が過ぎると自動引き落としができないのです。」
 「電気やガスは10月分と一緒に9月分も引き落とされていますが、NTTは、そういうことができないのですか?」
 「申し訳ありません。そういうシステムです。」
 「そうは言いますが、この先ずっと引き落としはされるんですよね。お金を取っておきながら電話はずっと使えない状態にするってことですか?」
 「申し訳ありません。お手数ですが近くのドコモショップで・・・。」
 彼女の声がホントに申し訳なさそうだったので、これ以上文句を言うのは可哀想だと思い、ここで電話を切って、彼女の言う通り、支払いに行くことにした。

  家から歩いて20分ほどのところにドコモショップがある。そこへ向かう。「前月分を当月で引き落とすことがガスや電気はできるのに、ITに強いNTTができないなんて可笑しいんじゃないの?」とか、「一ヶ月分未納だからといって、その後の代金はちゃんと取っている。お金を取っているのに電話は使わさない。それって詐欺じゃないの?」とかの文句を、歩きながら考える。少しは愚痴を言わないと気が済まないのだ。
 そのドコモショップには、母の携帯を契約するために半年ほど前にもお邪魔している。その時応対してくれた若い女性がすごく親切で、しかも美人だった。もしもまた、彼女が相手だったら文句は言えないだろうな、と私は予想していたが、結果、彼女が今回も応対してくれて、そして、予想通り、私は何の文句も言えなかった。
 どーもこーもドコモは、そのシステムは不親切なんだが、店員の女性が優しくて美人だったお陰で、私に文句を言われずに済んだわけである。まあ、私がいくら文句を言ったところで、ドコモにとっては痛くも痒くも無いだろうけどね。
          

 記:2006.11.17 ガジ丸


役に立つ人間作り

2006年11月10日 | 通信-社会・生活

 日曜日、テレビのニュース番組を見ていたら、教育基本法改正案が今、国会で審議されていて、その案が今国会で可決されそうだという。教育基本法改正案の審議については前から聞いており、そう驚くことではないが、可決されそうということには驚く。
 先週も書いた「高校を卒業するための必修科目を履修していない」問題、いじめ問題、自殺問題等々、新たに審議に加えるべき事項はいくらもあるはず。それにも関わらず、当初案をそのまま審議しているのだろうか。そのまま可決しようとしているのだろうか。であれば、私は政治家たちの感性と脳味噌を疑ってしまう。
 現在の教育の問題の多くが、愛国心を中心とする修身教育で解決すると思っているのだろうか。子供たちに矯正下着を着けさせさえすれば、その心が真っ直ぐ育つと思っているのだろうか。自分たちの歪んだ背中は棚に上げて、ということだろうか。
 その数日後のニュースでは、東京都の足立区が、学力テストによって学校の予算に差をつけるというのをやっていた。区の教育委員会の言い分は「頑張った学校を支援する」ということらしい。つまり、「テストの成績が良かったらお金をあげるよ」とのこと。そうかい、子供たちの価値は勉強ができるかどうかだけで判断するというわけかい。
 学校の勉強は苦手だけど、昆虫を観察するのが大好きな子供や、歌うのが大好きな子供や、絵を描くのが大好きな子供や、おしゃれが大好きな子供たちなどには、区の予算を配分する価値は無いということだろうか。あるいは、「成績が悪いのは勉強を怠けているだけである。この世に勉強の苦手な子供はいない。」などと思っているのだろうか。

 「国家の役に立つ人間作り」というものを政治家など、権力を持った人々は考えているのかもしれない。有能で、国に大きな利益をもたらし、なおかつ、国のために尽くす心を持った人間、というだけなのであれば、私は何の文句も無い。ただ、それに加えて、お上の言うことやることに楯突かない人間、という事項があるのなら、大いに反対する。自分たちの言うことをきく有能な人間は自分たちに富をもたらすという考えから、子供たちの心を矯正するという教育改革なのであれば、私は諸手を横に挙げて反対する。

 今朝早く起きてこの文を書いて、ここまで進んだところで、フジテレビの番組『トクダネ』の声に注意が向いた。「日本の品格」と聞こえた。番組を観る。
 藤原正彦さんという人が出ていた。「日本の品格」では無く『国家の品格』という本の著者とのことであった。仕事関係、動物植物関係以外の本をほとんど読まない私なので、大ベストセラーというその本のことも知らなかったのだが、その時の藤原正彦さんの話には興味を持った。深く合点する内容の話であった。
 現在の教育に対する藤原正彦さんの考えを述べていたが、いくつかあった中で、「子供中心主義が日本の品格を落としている。」という言葉が私の耳に残った。おそらく、「子供はまだ人間としての品格を持っていない。厳しく躾けて品格を持たせるべき。」ということなのだと理解する。確かにその通りだと思う。が、しかし、躾ける方の大人が今、どの程度の品格を持っているのかと疑問を持つ。ガツガツ食って、だらしなく生活して、ブクブク太った親が、「食べ過ぎるな!不健康だ!」と言っても、子供は・・・。
 何週間か前に、学校の給食費を払わない親が増えているというテレビ番組を見た。「払えない」のでは無く、「払わない」のである。「払わない」母親へのインタビューがあった。「欲しいものが他にあるので、給食費は払いたくない」とのことであった。自分の欲を満たすためにインチキしているわけである。そんな母親は、どのように子供を躾けているのだろうか。自分の歪んだ背中は見せないようにしているのだろうか。そんな母親に育てられた子供はどんな大人になるのであろうか。そんな子供が親となったら、子供をどのように育てるのであろうか。「自分が得するためにはインチキしてもいい」というような人たちが増えたら、いったい日本はどのような社会になるのであろうか。
 藤原正彦さんのおっしゃる通り、日本の品格は廃れつつあるようである。

 記:2006.11.10 ガジ丸


大人の背中が歪んでいる

2006年11月03日 | 通信-政治・経済

 今、世間を騒がしている「高校を卒業するための必修科目を履修していない」問題、私の予想に反し(知識人たちの予想通りではあったようだが)て、数校の、数百人の話では無かったみたいだ。数百人程度なら、全体の数から見れば誤差の範囲内だし、どーってことなかろうと思ったのだが、あんまり多いと、真面目に必修科目を履修しつつ受験勉強にも励んできた高校生に、不公平感が生じるのではないかと想像される。
 
 ニュースで、インタビューに答える高校生の映像があった。その一人が「生活に世界史は必要ない」と言う。「あー、そういうわけか」と合点する。彼の言う「生活」は、目指す大学に入って、然るべき仕事に就いて、などという「生活」であったのだ。つまり、彼にとっては、「金を儲けるためには世界史を勉強する必要は無い」のであろう。「幸せになりたい」というごく普通の感性である。ナンパする男子の感性と同じなのである。

 というわけで、今回の「高校を卒業するための必修科目を履修していない」問題においては、履修しなかった高校生たちには何の責任も無いと私は結論を持った。真面目に履修して「不公平だ」と感じている受験生も、「今さら余分な」補修授業を受けつつ、なお受験勉強にも励まなければならない受験生も、みんな夢に向かって頑張ってね。

 さて、高校生たちに責任が無いとすると、今回の問題の責任は「致し方なく」そうしたという学校側にあるのか?・・・ある。「我が校を優秀な学校にしよう」という欲から、ちょっとインチキをしてしまったのである。学校のため、職場のためといっても、ルールは守らなければならないだろう。彼らがやったことは、「金を儲けるためにはインチキしてもいいよ」というメッセージを子供たちに与えている。親の背中を見て子は育つと言うが、どうやら今の大人たちは、その背中が歪んでしまっているようだ。

 近く、沖縄知事選挙が行われる。保革一騎打ちの争いとなっている。10月の初め頃から両陣営のポスター(一方は自分の娘と並んで、慕われている父親を演出している気持ち悪い写真。もう一方は友人と訳の分からないポーズをとっている気持ち悪い写真)が街のあちこちに貼られていた。告示後のポスターは選挙違反になる。ポスターは貼った候補者側に撤去する義務があるのだが、告示日近くになって、それらのポスターの一部を県の職員が撤去しているのをテレビのニュースで見た。撤去に税金が使われている。
 昨日が告示日だった。ポスターは街のあちこちにまだ多く残っている。県の職員だけでは間に合わないほど大量にあるというわけだ。さらになお、今回、候補者の選に漏れた男が、これがチャンス(次を狙って)とばかりに、二人のポスターを合わせたのと同じくらいの数、自分の宣伝ポスターを貼っている。セコイというか意地汚いというか。ルール違反である両候補者のポスターと意地汚いポスターで、今、街の景観が汚れている。
 「なんだいあいつら、税金の無駄遣いは辞めましょうなんて言いながら、自分たちが無駄遣いさせているんじゃないか。告示後のポスターは公職選挙法違反じゃないか。勝つためにはルール違反してもいいんだよってメッセージを子供たちに与えているじゃないか。それで県知事になろうとしているのかい!」と私は憤る。大人の背中が歪んでいる。

  高倉健のような背中に私は憧れている。真っ直ぐな後姿だ。あんな背中になりたいと私は願う。大人たちの背中が、その多くが健さんのような背中であったなら、子供たちがそんな背中を見て育ったなら、誰かを苛めようという心も少なくなり、苛められて自殺してしまう子供の数も減るだろう。大人の歪んだ背中が、子供の心を歪めている。

 ※公職選挙法(第二百一条の十四)には、告示前ポスターについて、「ポスターにその氏名又はその氏名が類推されるような事項を記載された者が候補者となったときは、候補者となつた日のうちに、当該ポスターを撤去しなければならない。」(簡略)とある。
          

 記:2006.11.3 ガジ丸