ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

カラオケスナックその2

2017年09月29日 | 沖縄05観光・飲み食い遊び

 2005年12月6日付沖縄の生活記事『カラオケスナック』で、既にカラオケスナックについては紹介済みであるが、そのカラオケスナックは少々色っぽい雰囲気を持ったスナックで、その後、先輩のGさんやIさんに誘われ、色気のほとんど無い、歌が中心のカラオケスナックへ行っている。行くたんびに私は「カラオケは嫌いです」と先輩方に申し上げていて、そのたんびに、このブログでカラオケへの不満を書いてきている。
 私は20代の頃までは友人達との付き合いでカラオケスナックへ行き、マイクを握って得意げに歌も唄っていたが、30代頃から嫌になり、40代以降になるとほとんど行っていない。月に1回開かれる模合(モアイ、正当な理由のある飲み会)でも、ほとんどカラオケスナックとなる2次会には参加せず、さっさと帰っていた。
 ここ10年だとカラオケスナックへ行ったのは片手で数える程しかないはず。日記を調べると、最近では2011年2月にGさんと、同年3月と5月にAさんとカラオケスナックへ行っている。Aさんは「飲みに行きましょう」と誘うので、最初はカラオケスナックとは知らず、現場に着いてから「カラオケじゃねーか」と気付く。そういうことがそれまでに何度もあって、「カラオケは嫌いです」と言っている私をしつこく誘うAさんに少々腹を立て、5月の時は「つまらないので帰ります」と捨て台詞を残してさっさと帰った。以後、Aさんからカラオケスナックに誘われることは無くなった。

 先週土曜日(2017年9月23日)、Gさんに誘われ飲みに行く。連れて行って貰った店は久々のカラオケスナック。色気のほとんど無い、歌が中心のカラオケスナック。色気のほとんど無いと書いたが、チイママは30代半ばの美人、彼女が色っぽいことをすることは無いが、彼女自身には十分の色気があった。・・・美人の話では無かった。
 店には先客が2人、60代半ばのオジサンが2人いて、既にガンガンとカラオケ三昧していた。我々が店に入った後すぐに年配の男女が4人、年配とは、もう爺様と呼んでも良い80歳位の男性と、それより少し下の男性1人、女性2人。彼らも歌った。
 もちろんGさんも歌い、店のママさんもチイママも歌った。我々が店に入ってから1時間ほども過ぎた頃、美人が2人入ってきた。この頁は美人の話では無いので大雑把に言うと、1人は北海道から旅行に来たという50代、もう1人はその友人で沖縄在住の30代の美人。彼女たちも大いに歌った。私は聞きたくない音楽をさんざん聞かされた。
 これが6年前なら「つまらないので帰ります」となったのだが、今回はカラオケスナックの雰囲気にこれまでとちょっと違った気分を感じた。ので、耐えられた。

 年配のグループの80歳の爺様が、歌い終わった後すごく幸せそうな顔をした。その隣に座っている彼より何歳かは年下らしい彼の奥さんもまた、幸せそうな顔して歌った。その2人を見ていて、「いいなぁ、老夫婦でカラオケ歌って幸せなんだ」と感じ、「俺にもこんな女房がいたらいいなぁ」と思ったのだ。「これまでとちょっと違った気分」というのはそんな幸せ気分。よく見ると、他の年配の客たちも幸せ雰囲気であった。
 これまで毛嫌いしていたカラオケであったが、歳取ると好きになるかもしれない。昔懐かしのフォークソングを歌いに行くかもしれない。その時は古い友人たちと一緒か、古い女友達の誰かと1日老夫婦の契約で行くかもしれない。なんか楽しそうだ。
     
     

 その翌日の日曜日、沖縄へ遊びに来ている埼玉の友人KRと、沖縄在住で今ではほとんどウチナーンチュと化している宮崎出身のKYと3人で飲みに行った。一次会は栄町の焼き肉居酒屋、二次会は同じ栄町の餃子の美味しい居酒屋、そして、三次会は桜坂へ行き、古いスナックへ入った。そこは婆様2人で切盛りしていて、色気のほぼ無いスナック。おそらく、カラオケが流行り出した頃はエイトトラックを使っていたのだろうが、今は前の日に行ったカラオケスナックと同じ最新型のカラオケシステムを使っていた。
 カウンターに先客が2人いた。我々よりはずっと若いと思われるオジサンとオバサン。その2人と友人2人が次々と歌った。そこでは、前の日の爺様の歌で感じた幸せ気分はあまり無かったが、オバサン(たぶんアラフォー)は上手で、煩くは感じなかった。
 カラオケがどうのというより、その店の雰囲気は私好みであった。婆様2人がニコニコ笑ってユンタク(おしゃべり)してくれる。私としては、カラオケを少し抑えて貰って、婆様たちとのユンタクをもっと楽しみたかったのだが、まあ、人の好みはそれぞれなのでそこは我慢。いつか、古い女友達と夫婦のふりして飲みに行こうかと思っている。
     

 ちなみに、スナックとはスナックバー(snack bar)の略で「手軽に食事もできるバー」(広辞苑)のこと。バーとは、ここでは「カウンターのある洋風酒場」(同)のこと。カラオケスナックという言葉は広辞苑にないが、「カラオケを遊びの主要にしたスナックバー」(ガジ丸)のことと認識している。そういえば、私が若い頃のスナックバーでは、カラオケもあるにはあったが、遊びの主要ではなかった。おしゃべりが主要だった。

 記:2017.9.26 ガジ丸 →沖縄の生活目次


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蕎麦屋

2015年05月29日 | 沖縄05観光・飲み食い遊び

 伝統の美味さ

 「こんどの日曜日、桜坂劇場で落語がある、チケットが1枚余っている、一緒にいかが?落語の後は飯でも食いに行かないか?」と友人Mからメールがあり、お言葉に甘えさせて貰った。演者は柳家三三(さんざ)、私は初めて聞く名前、Mによると「テレビにほとんど出ないので有名では無いが実力者」とのこと。その通りの巧の芸であった。
     
 その日の演目は「金明竹」、「粗忽の釘」、「文七元結」の3題、どの噺にも私は引き込まれた。「伝統の技」を深く感じた。久々の感動、友人Mに感謝する。そしてその日はまた、落語に感動した後、さらに感動する伝統の技に出会った。

 今住んでいるアパートの近く(徒歩5分ほど)に宜野湾市民図書館があり、よく利用させてもらっている。畑は西原町翁長という場所にありアパートから南南東の方向、図書館はアパートから南南西の方向なので、畑の往き帰りに図書館を通るということは、普通はない。でも、たまには畑からの帰りに図書館へ寄ることもある。
 畑から図書館へ行く時、普段は通らない裏道を通る。その裏道の通り沿いにはゴルフレンジ、自動車整備工場などもあるが多くは民家が建ち並ぶ住宅地。その民家の一つに、引っ越してきた当初から気になっていた一軒がある。その家の前には看板が立っており、看板には「日本蕎麦 家族庵」とある。「何でこんなところに蕎麦屋?」と不思議に思っていた。日本蕎麦は沖縄ではメジャーでは無い。沖縄ソバは大好きと言うウチナーンチュは多くいるが、日本蕎麦が好きという人は少ないと思う。需要が少なくても、人通りの多い場所であれば商売は成り立つ。しかし、家族庵は辺鄙な場所にある。

 想像力豊かな私は想像した。蕎麦処の信州かどこかで永く蕎麦屋を営んできた初老の夫婦が、老後は沖縄で暮らそうと沖縄へ移住してきた。「のんびり老後」を予定していたので、西原町の人通りの少ない閑静な住宅地の中古住宅を購入した。「のんびり老後」はしかし、暇だった。「お客さんが少なくてもいいからさ、ここで蕎麦屋をやろうよ」と女房が提案し、「そうだな、沖縄に蕎麦屋が少ないというのは俺も気になっていたよ、沖縄の人に本物の蕎麦の美味さを知って貰いたいという気持ちにもなっていたんだ。」と亭主も応え、腕に覚えのある蕎麦職人は老骨に鞭打ち、立ち上がった。
 ということで、沖縄では需要の少ない日本蕎麦屋が、人通りの少ない閑静な住宅地の普通の民家で開業した・・・のではないかと私は想像した。そうであれば、その店の蕎麦は美味いに違いない。倭国に旅すると、蕎麦を食うのを楽しみの一つとしているほど蕎麦好きの私としては、「この店、気になるなぁ」とずっと思っていた。ただ、見た目は普通の民家、入口らしき場所も普通の民家の玄関で、一人では入り辛い雰囲気であった。

 落語を観終わった後、Mが「車で来たから、食い場所はお互いの家が近い宜野湾にしよう」と言い、彼の案内する店へ行く。ところが、そこは満員で断念。で、私は閃いて、提案し、食い場所は兼ねてから気になっていた蕎麦屋「家族庵」となった。
 Mは天ざる、私はざるとビールを注文。蕎麦屋に日本酒が無いということに少々不満はあったが、蕎麦は美味かった。「これだよこれ、本物の蕎麦」と感激するほど。蕎麦作りにはきっと伝統の技があるのだろう、私がよく食べているスーパーの総菜の蕎麦や冷凍蕎麦などとは雲泥の差があった。その日私は、昼は日本伝統の上手さを味わい、夜は日本伝統の美味さを味わうことができた。落語と蕎麦と、友人Mに感謝。
     
 帰りがけ店の主人に、「蕎麦湯も出してくれるんですか?」と訊いたら、「あります、御注文頂ければいくらでもお出しします」とのこと。「やはり、そんな蕎麦だぜ」と私は納得。次に来た時、貧乏な私にはちょっと高め(蕎麦屋としては普通の値段)なのでそうは来れないが、蕎麦湯をたっぷり頂こうと思った。伝統の美味さを伝える名店家族庵、辺鄙な場所にあるが人気はあるはず。これ以上人気が上がって、混んで、食べたいと思った時に食べることができないなんてことになると嫌なんだが、美味さに対する感謝として宣伝しておきたい。頂いた名刺に住所と電話番号があるのでその画像を載せて置く。
 ちなみに、想像力豊かな私の想像は外れていた。店には客が多くいて、ご主人や女将さんとゆっくり話をする機会を得なかったが、家族庵の女将さんは初老と呼ぶにはまだ遠い人、主人と思われる蕎麦職人はさらに若く見えた。帰りがけ、ご主人に「ご出身はどちらですか?」と訪ねたら「大阪です」と答えた。大阪で蕎麦屋を営んでいたか?御主人は蕎麦職人だったのか?何故こんなところで?などについては次回訊いてみよう。
     

 記:2015.5.24 島乃ガジ丸 →沖縄の生活目次


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南風原黄金森公園

2013年08月23日 | 沖縄05観光・飲み食い遊び

 3年前に父が他界し、住む人のいなくなった実家を売却するために家財道具の整理処分をしていたら「戦利品」が見つかった。日本軍の銃剣と米軍の水筒とフライパン。生前の父から「戦争中にオジーが拾ってきたものだ」と聞かされていたもの。
 戦前から戦中、戦後、昭和30年頃まで、祖父とその一家は、南風原町に住んでいた。銃剣と水筒とフライパンは、畑に倒れていた兵士たちと一緒にあったものらしい。銃剣は父が手入れしていたようで、錆は少なく、殺傷能力もあると思われた。
 「銃刀法違反だなこりゃ。博物館へ寄贈だな」とすぐに判断した。沖縄県立博物館は実家から近い、歩いても10分少々の距離。だが、寄贈相手はそこでは無く、南風原文化センターとした。南風原で拾ったものは南風原に返そうという考えだ。
 南風原文化センターに電話し、「こういったものがあるが要りますか?」と聞いたら「ぜひ」という返事だったので、過日、そこを訪ね、上記の3品を寄贈した。
     
     

 南風原文化センターの建物は新しかった。訊けば2009年オープンとのこと。文化センターという名前からは「どういうところ?」とイメージが掴みにくいが、町の博物館といったようなもの。館内は南風原町(私が子供の頃は村だった)の歴史や文化に関わる資料が展示されている。見やすくて分かりやすい展示内容であった。
 黄金森公園には同センターの他、陸上競技場、野球場の運動施設があり、中央公民館があり、観光施設としては史跡であり戦跡である沖縄陸軍病院南風原壕群跡がある。平和教育のための施設として生徒たちの見学場所、修学旅行の見学場所に向くと思う。

 黄金森公園についての詳しいこと(面積や見取図等)の載っている資料は無かったが、私が散策した限りでいえば、散策場所としては・・・たまたま、私は炎天下の中を歩いて暑い思いをし、たっぷりの汗をかいてしまったが、涼しくなれば十分楽しいと思う。
  おそらく、南風原の原生林を残していると思われ、植物の種類も豊富で、ところどころに樹木札もあり、植物の勉強もできる。6月末の糞暑い時期、花の咲いている植物はクワズイモくらいしか無かったが、シマヤマヒハツにはたくさんの実が着いていた。
 もちろん、動物も多くいる。私が見た限りでいえばキジバト、メジロ、ヒヨドリ、イソヒヨドリなどが多くいた。私の知らない鳥も1種見つけたが、撮った写真はボケていて何者か不明。セミはサンサナー(クマゼミ)が煩く鳴いていた。チョウは私の畑でも見られるもの、シロオビアゲハ、アオスジアゲハ、ナガサキアゲハ、ミスジチョウなどがここでも多く飛んでいた。私の畑や住む周辺では見られないモンキアゲハもいた。私の目には止まらなかったが、おそらくカブトムシやクワガタムシも多くいると思われる。夏休み、虫取りの好きな子供達にとっては宝の山となるはずだ。
     
     

 南風原町立南風原文化センター →公式サイト
 住所:沖縄県島尻郡南風原町喜屋武257番地
 電話:090-889-7399 FAX:098-889-0529
 開館時間:午前9時~午後6時
 休館日:毎週水曜日、及び12月29日~1月3日
 展示内容:南風原・沖縄に関する生活文化歴史に関する資料、沖縄戦に関する資料。

 記:2013.8.4 ガジ丸 →沖縄の生活目次

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キャンプ

2013年04月12日 | 沖縄05観光・飲み食い遊び

 軍事目的では無い方

 キャンプというと、今、普天間代替施設で有名になったキャンプ・シュワブがあるが、他に私が知っているだけでもキャンプ・フォスター、キャンプ・バトラー、キャンプ・キンザーなどはそれらがどこにあるかも知っている。キャンプ・フォスターには数度、海兵隊司令部のあるキャンプ・バトラーには1度、中に入ったこともある。
 キャンプ(camp)を広辞苑で引くと4つの意味があり、1「野営。テントの仮小屋。また、テントを張って泊まること」、2「兵営」、3「抑留所。収容所」、4「スポーツ選手などの練習のための合宿」であるが、上述のキャンプはその2のこと。「兵営」とあるが、ウチナーンチュのほとんどは「米軍基地」と認識している。

 キャンプというとしかし、私の世代、だけでなく今の若い人も「浜辺や川辺でテントを張り、そこで1泊、2泊し、海遊びをし、川遊びをし、カレーを作ったり、バーベキューを楽しんだり、酒をたらふく飲んで酔っ払って、砂浜に寝転ぶ」などといった、広辞苑でいう1の意味を真っ先に思い浮かべる。キャンプは楽しいのである。
  15年ほど前まで私は、年に2回から3回はキャンプに行っていた。それ以降の数年間は少なくとも年に1回は行っていた。その後、記憶している限り、ここ10年ばかりは1回もキャンプに行っていない。何故、若い頃は大好きだったキャンプに長いこと行っていないのかというと、理由ははっきりしている。歳取ったからである。私もだが、キャンプ仲間の誰もが、キャンプを計画するのが面倒になったのである。
 計画するのは面倒になったのではあるが、キャンプそのものが嫌いになったわけでは無い。機会があれば、というか、誰かが計画してくれればそれに乗っかりたい。あるいは、時間と心に余裕(今は畑が心配、この先収入があるかも心配)があれば、一人でもキャンプへ行ってみたいと思っている。潮の匂いと波音を聴きながら酒が飲みたい。

 私のキャンプ初体験は高二の夏休み、クラスメートの数名と、その内の一人Kの実家のある久米島、キャンプ場では無くその実家から少し離れた浜辺。自然のもの以外は何もない浜辺なので、水はKの実家からポリ容器に入れて使い、雲子は藪の中に入って、ショベルで穴を掘って、ハブに尻を噛まれないよう気を付けながらやった。
 そのキャンプ、当時入っていた部活の合宿があって私は2泊で帰ったが、残りの仲間はたぶんもう2泊くらいした。後日、彼らの話を聞いて驚いたことがある。
 私が帰った後、Kの親から鶏を2羽貰い、それを高校2年の少年達は、殺して、血を抜いて、熱湯をかけ、羽をむしって、さばいて、焼いて、食ったとのこと。私がいたら私もやったかもしれないが、「すげぇ」と思った。逞しい沖縄の少年達であった。

 その後、久米島では2、3回キャンプをしている。それはいずれもキャンプ場で、トイレやシャワーなどの設備があった。その他、慶良間諸島で何回も、沖縄島では数えきれないほどやっている。トイレやシャワー設備の無い場所でやったのは最初の久米島と沖縄島北部にある比地川での2度しかない。トイレはあった方が良い。
     

  キャンプの場所はほとんど、おそらく90%くらいはヤンバル(山原と書く。沖縄島の北部地域を指す通称)であった。ヤンバル以外では前述の久米島や慶良間諸島などの離島で、ヤンバルにも離島にも施設の整ったキャンプ場がいくつもあった。
 沖縄島では、ビーチやキャンプ場は西海岸沿いに多く並ぶ。那覇から国道58号線(復帰前は1号線と呼んだ)を北へ向かい、一般道を一時間も走ると恩納村山田となる。そこからムーンビーチ、タイガービーチ、冨着ビーチ、瀬良垣ビーチ、いんぶビーチ、名護市民ビーチなど多くの海水浴場が並んだ。たいていはキャンプも可能であった。
 海水浴場やキャンプ場は東海岸(那覇以北。南部にはいくつかある)にも無いことはないが、私が利用したことのあるのは漢那ビーチの一ヶ所だけ。その漢那ビーチでのキャンプはとても楽しいものだった。高校卒業記念キャンプ、男女数人ずつ参加し、大きなテントで雑魚寝した。私の隣には可愛い同級生が寝た、横になると目の前に彼女の顔が、腕に彼女のおっぱいが、彼女の寝息が・・・その話はまたいつか。
     

 記:2013.3.31 ガジ丸 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


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古酒の店

2012年07月20日 | 沖縄05観光・飲み食い遊び

 今年3月の模合(もあい:正当な理由のある飲み会)はメンバーの1人Tが発掘した店で、泡盛をメインとした飲み屋。名前を「名もなき店」という。
 その飲み屋が、沖縄広しと言えど(広くはないか?)そうは無い店、たぶん、他に類を見ないのではないかと思われるような店。酒好きの私は、酒飲んで感動することがある。あるといってもまだ日本酒で2度、ウィスキーで1度、泡盛で2度、今思い出せるだけで言えばその5度だけ。しかしその日は一晩で3度も感動した。
 日本酒の2度はどちらも極上の吟醸酒で値段も高かった。ウィスキーの1度はスコッチの30年物、これも高かった。泡盛の2度はどちらもクース(古酒)、これもまた高価なもの。思えば、10年ほど前までは高価な酒もまれにだが飲む余裕があったのだ。今はもうビールをけちって発泡酒しか飲めない日々となっている。

 私の落ちぶれた話はさておき、「名もなき店」で一晩に3度も感動した酒はいずれも泡盛のクース、クースとは泡盛を3年以上寝かしたものを言うが、『沖縄大百科事典』の記事を借りると、「泡盛を長期間密閉容器に貯蔵した酒。ことばでは表現できないような芳香を発し、ほとんどアルコール味を感じさせないまろやかな甘味を呈する酒」とある。この記事を書いた人はこよなく泡盛を愛し、極上のクースを飲んだ人なのであろう。
 その辺のスーパーに行けば、クースは手に入る。安いものだと一升瓶で3千円位のものがあるが、四合瓶で数千円のものも含めて、その程度では「ことばでは表現できないような芳香を発し、ほとんどアルコール味を感じさせないまろやかな甘味」には至らない。四合瓶で1万円を超えるものだと、「うむ」と肯き、笑みも漏れる。

  さて、「名もなき店」で一晩に3度も感動した酒はいずれも「芳香を発し、ほとんどアルコール味を感じさせないまろやかな甘味」であった。「芳香」は、泡盛の持つアルコールの刺激臭が微塵も無く、上品に甘い。うっとりする甘さ。私が言葉にすれば「和装の吉永小百合がにっこり微笑んで出してくれた上品な和菓子の匂い」となる。
     

 「どこからこんな旨いクースを手に入れるのですか?」と店長に訊いた。
 「店じまいするマチヤグヮーをあちこち回って入手しました」との答え。

  マチヤグヮーとは小売店であり、今のコンビニのようなもので生活に必要ないろいろなものを置いてある店。倭国でいう雑貨屋に近いかもしれない。そこはまた、その横町の情報が集まる場所であり、横町の人々が情報交換をし、ただユンタク(おしゃべり)する場所であり、店主と客の数人がお茶を飲みながら時間を過ごす場所でもあった。
 マチヤグヮーはコンビニに押され、しだいに少なくなった。つまり、マチヤグヮーはどんどん店じまいしていった。マチヤグヮーのほとんどは酒も販売していて、泡盛も多く置いてあった。古いマチヤグヮーには当然、売れ残りの古い泡盛もあった。
 泡盛のクースは概ね甕に貯蔵して何年も寝かせるのだが、瓶の泡盛でも環境が良ければ旨いクースになるらしい。それを店長は狙って、買い入れたのだそうだ。他にも酒造元が何かの記念で出したビンテージ物を買い、それらも長く保管しているとのこと。
 泡盛をこよなく愛す店長のいる店、酒の好きな人は肴もおろそかにしない。クースがあまりに美味くて何を食ったか覚えていないが、肴もたぶん美味しかった。
     

 記:2012.7.8 ガジ丸 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『泡盛の文化誌』萩尾俊章著(有)ボーダーインク発行


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