ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

宮古諸島オヤジ二人旅2012その4

2017年03月17日 | ガジ丸の旅日記

 付録:宮古諸島で出合った動植物
 たくさんの写真を撮って、まだ正体が判明していないものも多くあって、ここでの紹介はそんなたくさんの写真の一部だけ。
 
1、植物


オキナワウラボシ(沖縄裏星):下草
ウラボシ科の多年生シダ 琉球列島、小笠原諸島、熱帯亜熱帯に分布 方言名:不詳


サキシマハマボウ(先島黄槿):公園
アオイ科の常緑高木 原産分布は沖永良部以南、熱帯アジア 方言名:ヤマユーナ


アオガンピ(青雁皮):盆栽・添景・防潮風
ジンチョウゲ科の常緑低木 沖縄、台湾、他に分布 方言名:イシクルチャ、バウキ


ハマダイゲキ(浜大戟):海岸野草
トウダイグサ科の多年草 原産分布は不詳 方言名:不詳


ハスノハギリ(蓮の葉桐):景観、防潮風
ハスノハギリ科の常緑高木 奄美以南、東南アジア、他に分布 方言名:トゥカナチ


ハテルマギリ(波照間桐):景観、防潮風 
アカネ科の常緑中木 熱帯アジア原産で宮古諸島、八重山諸島に分布 方言名:イバガサ


クロバナツルアズキ(黒花蔓小豆):野草
マメ科の多年草 北アメリカ原産の帰化植物 方言名:なし


クロヨナ(くろよな):公園・街路
マメ科の常緑高木 原産分布は奄美以南、沖縄、台湾、他 方言名:ウカバ


ミズガンピ(水雁皮):盆栽・海浜緑化
ミソハギ科の常緑低木 奄美大島以南の琉球列島、他に分布 方言名:ハマシタン


コバノツルアズキ(小葉の蔓小豆):野草・蔓植物
マメ科の蔓性多年草 原産分布は不詳 方言名:不詳


ソナレムグラ(磯馴葎):海岸の野草
アカネ科の多年草 関東以南、南西諸島、台湾、朝鮮に分布 方言名:不詳


イボタクサギ(水蝋臭木):添景・防潮・防砂
クマツヅラ科の常緑低木 九州南部以南、南西諸島、他に分布 方言名:マンカホーギ


シロバナノアサガオ(白花野朝顔):野草・蔓植物
ヒルガオ科の多年草 紀伊半島以南、南西諸島、他に分布 方言名:ヤマカンダ


ハイキンゴジカ(這金午時花):グランドカバー
アオイ科の匍匐性低木 本州、九州、琉球列島に分布 方言名:チャンカニー


ハマゴウ(蔓荊):フェンス
クマツヅラ科の蔓性低木 原産分布は本州以南、南西諸島、他 方言名:ホーガーギー


ホウライカガミ(蓬莱鏡):フェンス・養蝶草
キョウチクトウ科の多年生蔓植物 沖縄、台湾、他に分布 方言名:ビンカジラー


ミツバコマツナギ(三つ葉駒繋ぎ):海岸野草
マメ科の多年草 原産分布は不詳 方言名:不詳


ナンゴククサスギカズラ(南国草杉蔓):海岸の岩の上に生息
ユリ科の蔓性多年草 九州以南に分布 方言名:ティンムン、バママツ


テンノウメ(天梅):盆栽
バラ科の常緑低木 屋久島以南、南西諸島、台湾などに分布方 言名:インポーギー


ツルモウリンカ(蔓茉莉花):フェンス
ガガイモ科の蔓性多年草 九州以南、南西諸島に分布 方言名:ウシヌハナフガサー



2、動物


ミヤコウマ(宮古馬):ウマ目の野生、または家畜 体高110~120センチ
ウマ科の哺乳類 ウマの原産はアジア・ヨーロッパ 方言名:ンマ


シマキンパラ(縞金腹) 全長11センチ
スズメ目カエデチョウ科の留鳥 飼い鳥が野生化した帰化鳥 方言名:不詳


マミジロツメナガセキレイ(眉白爪長鶺鴒) 全長16センチ
スズメ目セキレイ科の旅鳥、または冬鳥 方言名:不詳


ムナグロ(胸黒) 全長24センチ
チドリ目チドリ科の旅鳥、または冬鳥 方言名:ターチヂュヤー、ハルチヂュヤー


サキシマキノボリトカゲ(先島木登り蜥蜴) 全長15センチ
アガマ科 宮古諸島、八重山諸島に分布 方言名:ヤマションカネー


ヤシガニ(椰子蟹) 甲長10~15センチほどの大きなヤドカリ
オカヤドカリ科の甲殻類 与論島以南~インド太平洋に広く分布 方言名:アンマク


ウラナミシジミ(裏波蜆):鱗翅目の昆虫 前翅長15ミリ内外
シジミチョウ科 関東以南、沖縄、オーストラリア、他に分布 方言名:ハベル


オウゴマダラ(黄金斑):鱗翅目の昆虫 前翅長75ミリ内外
マダラチョウ科 分布:南西諸島、台湾、東南アジア 方言名:ハベル


スジグロカバマダラ(筋黒蒲斑):鱗翅目の昆虫 前翅長40ミリ内外
マダラチョウ科 分布は先島諸島、東南アジアなど 方言名:ハベル


リュウキュウアサギマダラ(琉球浅黄斑):鱗翅目の昆虫 前翅長45~50ミリ
マダラチョウ科 奄美大島以南、沖縄、先島、東南アジアなどに分布 方言名:ハベル

 記:2017.3.11 ガジ丸 →ガジ丸の日常目次


 

 


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宮古諸島オヤジ二人旅2012その3

2017年03月17日 | ガジ丸の旅日記

6、宮古島(5泊目)

 1)大神島(ウガンジマ)
 9月13日午前11時、11時島尻港発の船に乗って大神島へ渡る。大神島、前夜の宿の女将さんに聞くまでは「おおがみじま」と読んでいたが、「ウガンジマって言うのよ」と教えて貰った。そう言われたらその通り、大神島を敢えてウチナーグチ(沖縄語)読みすると「ウフガンジマ」となる。さもありなん、沖縄と宮古は兄弟だ。
 大神島ではさほど観るものもなく、のんびりと散歩する。途中、大神中学校の廃校跡を見る。島に残っている中学生は船に乗っての登下校となっているのだろうか。
 島の展望台に上り、360度の景色を眺め、港近くの海岸に浸食された岩が並んでいる景色を眺めなどしながら、午後1時発の船に乗って宮古島島尻港へ向かう。
     
     
     
     
     
     

 2)平良市の町並み
 島尻港からタクシーで平良市にある今夜の宿、宮古第一ホテルへ。チェックインしてホテルのロビーで同行のKとこの先どうするか会議。レンタカーは今日も混んでいて空きがないとのこと。なわけで、結局この後は各々のんびり過ごすことに決定。
 2時半、1人宿を出て宮古島平良市散策。途中、昭和シネマ茶屋というレトロな喫茶店を見つける。面白そうであったが中へは入らない。私の興味を引いたのは熱帯植物園、そこへ向かって歩く。ところが、炎天下は暑い、暑さに参って途中でギブアップ。
     

 3)路線バスの親切
 熱帯植物園を諦めて、バスに乗って東平安名へでも行くかとバスターミナルへ行き、そこの案内所で相談する。「東平安名も来間島もバス停から1時間以上歩くよ、それに、午後からは便数も少ないから止めた方がいいよ」と言う。
 バス会社の人が「バスを利用しなくていいよ」と言っている。それがあなたのためだという親切なアドバイスだ。ということで、バスに乗ってどこかへは中止。

 4)土産は八重山産
 バスターミナルからブラブラのんびり歩いて、スーパーなど寄りながら港へ行く。港の売店で土産物を物色しながら時間を過ごし、午後5時頃にはホテルへ戻ってビール飲みながら一服。港の売店で面白そうなお菓子を見つけ買った。ところがそれ、ホテルに帰ってよく見たら、宮古島産ではなく八重山産のお菓子であった。宮古島へ行って八重山土産を買ってきたなんて言ったらバカにされそうなので、それは土産にはせずそこで食った。
 その日の夜は「民謡ライブをやっている店を探し、夜はそこで過ごそう」と同行のKと相談し決めていた。シャワー浴びて午後7時頃、Kと2人出掛ける。
     

 5)失敗の島唄ライブ
 島唄ライブ、沖縄では民謡酒場という名前で親しまれているが、民謡を演奏するライブハウス兼飲み屋。島唄ライブ(宮古島観光冊子にそうあった)という名前で、ホテルのパソコンを借りて検索するが、結局は、それが確かだろうということでホテルの人に訊き、今回の旅を計画してくれた同行の友人Kと2人、ホテルが勧めた店へ行く。
 私は煩いのが苦手である。民謡は概ね煩くないので、ゆったり民謡を聴きながら旨い酒を飲み良い時間が過ごせるだろうと期待した。ところがしかし、7時半からライブは始まるが、アンプを通してのサンシンの音が煩いし、曲目は最近の沖縄のヒット曲ばかりで、唄も煩い。民謡ライブというよりポップスショーといった感じ。MCも煩かった。
 1回目のステージが終わったところで私は帰り仕度。同行のKが料理をたくさん注文していたのでそれを味見している内に2回目のステージが始まった。で、私は慌てて残っていたコップのビールを一気に飲みほして、Kを1人残して店を出た。
     

 6)大神島情報:大神島の総合観光情報サイトから抜粋
 宮古島本島北部に位置し、宮古島の北海岸に位置する島尻集落にある島尻漁港が、島に向かう唯一の交通機関・大神海運(ニューかりゆす)がある。 島までは約4キロ。島の周囲が2.7キロ。 標高は約75メートル・島の一番高いところまではロープを伝って上ることができる。 面積は0.27平方メートル。 平成19年5月現在、世帯数17戸・人口40人。


7、帰る日

 1)やっとレンタカー
 ライブハウスからスーパー寄って泡盛の小瓶などを買いホテルへ戻る。同行のK、1人酒場で飲んでいるのが嫌だったのか、彼もホテルに戻っていた。Kはレンタカー屋に片っ端から電話して、12~13件目でやっと見つけたとニコニコ顔で言う。
 「そうか、明日はずっと運転ということになりそうだな、ということは、今夜はあまり飲めないな」となり、購入した泡盛1合瓶は半分以上残した。持って帰ったけど。
 9月14日の金曜日、朝9時、レンタカー屋の車がホテルに到着。レンタカー屋の話によると、週末台風が接近するということで、レンタカーにもキャンセルが出て空車もあったとのこと。台風は困るが、そのお陰で車を借りることができたということになる。

 2)東平安名崎
 ホテルを9時過ぎに出て、先ずは東平安名崎へ向かう。カーナビのついていないレンタカー、助手席のKも方向音痴であてにならず、道に迷って迷って時間はかかったが、それでもなんとか東平安名崎到着。そこで私は、海岸植物の多くに出会えて収穫大。
     
     
     
     
 宮古民謡には不明の私なので、「マムヤのあやぐ」という唄も知らなかったのだが、東平安名崎に「マムヤの墓」という文化財があった。その説明文を要約すると、
 マムヤは女性の名前で絶世の美女、妻子ある男が彼女に惚れて恋仲になる。ところが男は、「将来のことを思えばマムヤよりは糞尿の匂いがしても妻の方が良い」と諭され、マムヤを見捨てる。それを知ってマムヤは自殺する。・・・というようなこと。
 マムヤは香草の芳しい香りがしたとのこと。それに比べ「糞尿の匂いがしても妻」という例えが面白い。申し訳ないが悲劇なのに可笑しさが先立った。もう1つ、「悲嘆にくれた母親は再びこの村に美人が生まれないようにと神に祈願した」とも説明文にあって、この世から美人がいなくなったら男は困るぜとこれまたふざけた思いで、印象に残った。
     
     

 3)来間島
 東平安名崎を11時過ぎには出て来間島へ。車を置いて近辺を散策する。その途中で「来間島憲法」とある立看板を見る。憲法とは大げさだが、内容を読むと、来間島を美しく保つためのお願いみたいなことが書かれてあった。自然が豊かに残っている島だ、そこを汚さないようにする、「憲法で良し」と思った。
 展望台に上って景色を眺め、遊歩道を散策し、パーラーでマンゴージュースを飲む。来間島に着いたのは12時過ぎ、1時間ほどいて、1時過ぎには出て空港へ向かう。
     
     
     

 4)来間島情報:来間島の総合観光情報サイトから抜粋
 宮古本島の下地側から海を挟んで前浜の沖1・5キロの海上に浮かぶ小さな島が来間島(くりまじま)。来間大橋の開通によって、大勢の行楽客や観光客が島を訪れるようになりました。面積2.75平方㎞・周囲10㎞・海抜40㎞にある島。
     
 5)酒の島
 旅の初日は宮古島泊り。宮古と言えばとオトーリが私の認識にある。オトーリとは宮古の酒宴での儀式の一つ、酒は旨いと思っている私は旨く飲める自分のペースで酒は飲みたいので、オトーリのような押し付けペースは好きで無い。そういう酒宴になったら嫌だなぁと思っていたら、「オトーリも今は特別な席で無いとあまりやらない」と一緒に酒を酌み交わした宮古の人何人かが語ってくれた。その情報通り、5泊6日の宮古諸島の旅で、民宿での宴会でも飲み屋でもオトーリの光景には出会わなかった。
 それでも、宮古諸島が酒の島であることは感じた。地元の人が利用するスーパーで、地元の人が普段何を食べているかを知るのは私の趣味で、倭国を旅する時にもそれはやっている。宮古諸島でも小さな商店も含め何ヶ所か店内を見て回った。酒の、特に泡盛の瓶の数が沖縄(私が住む宜野湾や時々通う那覇、浦添、西原などのスーパーや商店)のそれに比べ多いと感じた。資料はないが、酒の消費量、宮古島は多いのではないか。
     

 6)旅の終わり
 旅の出発の日、飛行機に乗る前に携帯電話を忘れていることに気付いた。取りに帰る時間などない。私は普段でも携帯電話をたまに忘れて外出する。特に誰かからの連絡待ちでもない限り、「まぁ、いいさ」と取りに帰ることはない。しかし、この時は5泊6日の長時間電話無しとなる。旅先からメールすることもできない、残念なことであった。
 その他、宮古民謡が生で聴けなかったこと、ヤシガニが食えなかったことが心残りであったが、写真をたくさん撮って、まだ見ぬ花や鳥にも出会えて収穫は多くあった。
 楽しいことはたくさんあった。多良間島の宿では土地の人、旅の夫婦と飲み食いユンタク(おしゃべり)でき、伊良部島の宿では女将さんと多くユンタクでき、池間島の宿ではたまたま開かれた宴会に招かれ、たくさんの人と飲み食いユンタクできた。
 全体としてみればとても楽しい旅となった。この旅に誘ってくれ、私が貧乏であることをよく知っていて旅費も負担してくれたKに感謝したい。そうそう、残念がもう1つ、池間島での宴会があまり楽しくてその時の写真を撮り忘れた、それが悔やまれる。

 9月14日、来間島を1時過ぎに出て、途中の食堂で宮古ソバを食って2時頃には空港へ着く。楽しかった旅の記録をノートに書きながら出発を待ち、15時00分宮古発15時45分那覇着の便に乗って家へ帰る。宮古諸島オヤジ二人旅2012の記録は以上。
     

 記:2017.3.11 ガジ丸 →ガジ丸の日常目次


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宮古諸島オヤジ二人旅2012その1

2017年03月10日 | ガジ丸の旅日記

1、序章 
 日本全国の都道府県のうち、私がまだ行ったことのない所は、私の記憶が正しければ青森、秋田、栃木、茨城、山梨、福井、三重、和歌山、徳島の9県となっている。それは2006年の秋以来変わっていない。それ以来他府県への旅をしていないからだ。いつかは全国制覇をしたいと思っているが、貧乏な今、それは当分無理だろうと諦めている。
 全国制覇とは別に、離島の多い沖縄県の、その島々(人が住んでいる)の全てを訪ねたいとも思っている。離島巡りは倭国の旅に比べ旅費が概ね安く済むので、ちょこちょこ行けている。数年前に南北大東島へ、去年秋に八重山諸島の内未踏だった波照間島と、そのついでの与那国島、今年春には伊是名島、伊平屋島、粟国島を訪ねた。

 「残すは宮古諸島だ、いつか行かねば」と思っていたら、埼玉在の友人Kからメールがあり、「9月に沖縄へ行きます、また厄介になります」とのこと。そして、「宮古諸島に行きましょう、旅費は負担します」ともあった。旅好きの私が、貧乏のせいで旅に出られないことを知って、Kがそれを哀れに思い、援助してくれると言う。前に八重山与那国の旅を一緒した時も、彼がだいぶ大目に負担してくれた。有難いことである。
 というわけで、9月9日宮古諸島の旅へ出かけた。9月9日はオスプレイ配備反対を主題とする県民総決起大会のある日だ。大会へ不参加となった私にせめて意思表示をと家向かいの婆様が赤いリボン(大会のシンボルカラー)をくれた。それをバッグに結び、宮古島の他、池間島、伊良部島、多良間島なども巡る5泊6日オヤジ二人旅の始まり。



2、宮古島(1泊目)

 1)海
 9月9日、10時45分那覇発11時30分宮古着の飛行機に乗る。初めての宮古島、飛行機が着陸のため降下する時に思ったのが「何とも平たい島だこと」であり、「何ともきれいな海だこと」という印象だった。どちらも行く前から知ってはいたが。
 平たい島なので猛毒蛇ハブがいない(海面上昇の際死滅したという説がある)、ハブがいなければ森の中、藪の中へどんどん入って行ける。私にとっては好都合。きれいな海なのでダイバー客が多い、ダイバー客が多いのは民宿に泊まった時に知った。宿の人たちと何人も話をしたが、「潜らないの?オッサン二人で宮古に何しに来たの?」だった。私は海より山に興味があり、友人のKは泳げないので海に興味が無い。
     

 2)人頭税石
 偶然だが、宮古諸島の旅へ出る1ヶ月ほど前に、沖縄産漫画『島燃ゆ』を図書館から借りて私は読んでいた。『島燃ゆ』は宮古島の人頭税廃止運動をテーマにした物語で、その感想を『島燃ゆ』というタイトルで書き、2012年8月24日にアップしている。その中で、人頭税について(私らしく)大雑把に説明している。そのまま引用すると、

 『沖縄大百科事典』に沖縄での人頭税(ニントウゼイと読む)が詳しく載っている。大雑把にまとめると、「起源は定かでないが、薩摩侵入(1607年)から20年ほど後ではないか、廃止年は1903年。13歳から50歳までの男女に課せられ、個人の能力、土地の能力、天災などを考慮しない税制」となる。
 怪我や病気で動けなくなっても、台風や干ばつで不作であってもお構い無しの過酷な税だ。「そのうえに在地役人のなかには・・・収奪をかさね」たこともあり、宮古では「赤子の圧殺、堕胎などの間引きをはじめ・・・」などとある。元々過酷な税制の上、在地役人(ウチナーンチュだ)に悪い奴らがいて、悲惨なことが起きたのである。

 その記事には添付写真として、前年旅した与那国島のクブラバリを載せている。その写真には「久部良バリは3mほどの幅がある深い岩の裂け目で、ここから落ちると死は免れない。(人頭税を免れるための)人減らしで妊婦にここを飛ばせた。飛び越えられても流産するものもあったようだ。」(()内の注釈は今回記述)と説明を添えてある。
 『島燃ゆ』の舞台となった宮古島には「人頭税石」なるものが存在することを旅の前に読んだガイドブックで知った。ガイドブックによると「この石の高さに達すると課税の対象になった」らしい。『島燃ゆ』を紹介したからにはぜひともその人頭税石を見て、写真を撮らねばと思い、訪れた。しかし、石の傍にあった説明文によると、「この石の高さに達すると課税の対象になった」は一説であり、事実かどうかは定かでないようだ。
     
     

 3)懐かしい景色 
 初日の宿は宮古島市平良(元の平良市)、中心街にある宮古第一ホテル。普通のよくあるビジネスホテル、可も無く不可も無いので部屋や朝食のバイキングについては特に感想は無い。ただ、チェックイン時間の2時間も前だったが「掃除終わってるから」と部屋を使わせてくれた。親切なのか南の島のテキトー気分なのか、いずれにせよ助かった。
 部屋に荷物を置いて、小さなバッグにノートやカメラを入れて、Kと一緒に平良市街の散歩に出る。途中、個人(宮古島出身の女流画家)の美術館があり、Kはそれに興味を持ったが、私は市場を見たかったのでそこでKと別行動となる。
 Kと別れた後、港近くの公設市場を覗くが、日曜日でほとんどが休みだった。港へ行って伊良部島への船便の時刻表を確認し、上記の人頭税石を見に行った。そこから、その他の史跡、文化財などを見て回ったが、それらについては特に感想は無い。

 ホテルの近くに個人経営の小さなスーパーがあり、今が旬の落花生など土地の産物が並んでいた。後で沖縄にもある大手のスーパーも覗いてみた。そこの品揃えは沖縄のそれとほとんど変わらずつまらなかったが、小さなスーパーは地域性があって良かった。
 人頭税石からその小さなスーパーへ行く途中に洋装店と鮮魚店を見つけた。私が高校生の頃まではどちらも家の近所にあったが、今はもう少なくとも私の生活する周辺では見られないもの。小さなスーパーと共に懐かしい景色であった。
     

 4)忙しい飲み屋
 夕方、Kと飲みに出る。民謡(特に宮古民謡)のライブがある酒場で飲む予定であり、そのような店も午後の散歩の時に見つけていた。店は平良(ひらら)の中心街にあり、上演開始時間は7時半、それまでまだ1時間余あったが、想定の範囲内。その前に別の店で軽く一杯と思って、予めホテルの人に「魚の美味しい店」を訊いていた。
 ホテルの従業員が「魚が美味しい」と勧めた店は『海王丸』という名。ホテルの従業員の舌は確かなようで、久々に美味い刺身を食った。写真を撮るのを忘れたが、マグロ、アカマチ、タマンなどいずれも宮古島近海で獲れたという新鮮なもの。
 Kが「ぜひ食べたい」と頼んだ魚のバター焼き、沖縄の海産物料理店ではお馴染みの人気メニュー。魚は日によって違うようだが、その日の魚はタマン、タマンは高級魚だ、刺身でも美味しい魚。それをバターで焼く。美味しかった。

 魚のバター焼き、注文してから出てくるまで長い時間がかかった(お陰で民謡ライブを諦めなければならなかった)。「バターの風味が中まで染み込むようにじっくり焼くから時間がかかる」と店の主人が言い訳したが、確かにそれもあって美味いバター焼きになっているのであろうが、遅くなったのはおそらくそれだけのせいではない。
 その店はビール頼んでも出てくるのが遅かった。そもそも何かを注文するのにもすぐにはできなかった。何故か、店内は40~50席あり、その時も30人ばかりの客がいたのだが、店のフロアー係はたったの一人だった。一人ではとても30人は捌けない。厨房も亭主と女将さんの二人だけ、亭主と女将さんも時々料理を運んでいた。
 会計の時、女将さんに訊いた。
 「こんなに人気のある店ならフロアーにあと2人は必要でしょう?」
 「バイト雇ってもあまりの忙しさに辞めてしまうのよ」と女将さんは言い、「私は中で焼き物など料理しながら、テーブルに料理を運んだり、こうやってレジもやる。忙しくて大変なのよ。」と愚痴をこぼした。確かに女将さんは疲れた顔をしていた。「頑張って、料理はとても美味しかったよ」と思わず激励してあげた。
     

 5)宮古島情報:沖縄県離島情報サイトから抜粋
 宮古島は沖縄本島から南西に約300km、東京から約2000km、北緯24~25度、統計125~126度に位置し、大小6つの島(宮古島、池間島、来間島、伊良部島、下地島、大神島)で構成されています。宮古島市の総面積は204平方km、人口約55000人で、人口の大部分は平良地区に集中しています。
     



3、多良間島(2泊目)

 1)緑豊かな島
 翌9月10日、宮古島空港9時25分発の飛行機に乗り、空路多良間島へ。
 多良間島は小さな島だ。飛行機も小さなプロペラ機である。私はジェット機よりこっちの方が好き。ジェット機は一所懸命飛んでいるように感じるが、プロペラ機は楽に飛んでいるように感じ、何か安心感がある。たとえ故障してプロペラが止まっても、グライダーのように飛んでくれ、ゆったりと無事に着陸できるような気がする。
 空から見る多良間島はほとんど緑の島であった。後で調べると畑と牧場がたくさんあって、集落は少しだけだった。畑のほとんどはサトウキビ畑とのこと。
     
     

 2)まもる君
 多良間空港に着いたのは午前10時頃、多良間は雨が降っていた。同行のKは村経営の有料マイクロバスに乗ってさっさと宿へ向かった。私は11時まで空港に足止め、雨が上がるのを待って歩く。海岸沿いの道を宿方面へ向かう。多良間島の風を感じる。
 空港を出てすぐの交差点で有名人を見る。写真では良く見ているが、実物は昨日の宮古島で初めて見た。それがこの多良間島でも住人の安全を見守っていた。名前を宮古島まもる君というのだが、多良間島を見守っているのは多良間島まもる君と言うのだろうか?宿へ着いたら訊いてみようと思ったのだが忘れて、不明のまま。
     
 途中、白い砂浜の広がる浜辺で一休み、展望台で一休みなどしてのんびり歩く。野原に放たれているヤギをたくさん見る。どうやら、多良間の人はヤギが好き(もちろん、食べ物として)なようである。村の主産業はサトウキビ生産と畜産業で肉牛の飼育も盛ん、ということで、牛とも何度か遭遇した。もう1つ、珍しいものにも出会った。ヤシガニ。野生のヤシガニを見たのは、私はたぶん初めて。小さいのでまだ子供だと思われた。
     
     
     
     

 3)八月踊り
 ぶらぶら歩いていると史跡らしき構造物に出会う。「土原ウガン」と名前がある。ウガンとは沖縄島でも同じ発音で「御願」と書き、神へ祈る場所の意。後で調べると、多良間の重要な行事「八月踊り」の舞台になるとのこと。「八月踊り」とは「旧8月8日に行われる伝統芸能、国の重要無形文化財に指定されている」とのこと。
     
     

 4)見つからない村花
 事前に読んだガイドブックで多良間村の村花がベニバナ(紅花)であることを知っていて、「紅花って有名な染料だ、サンフラワー油の原料だ」と思って、「ぜひ、実物にお会いしたい」と歩きながら探してみたが、見つからない。「村の花だ、役場へ行けば、そこの庭にはあるはず」と多良間村役場を訪ねた。何人かに訊いたが「分からない」、「たぶん、あの人なら分かるかもしれないが、今不在」などとなって、結局、ベニバナの在処は不明のまま、その後も歩きながら探してみたが会うことはできなかった。
 ちなみにベニバナは、「キク科の一年草。小アジア・エジプト原産の染料・油料用植物。高さ30~90センチメートル。夏、紅黄色のアザミに似た頭状花をつける。・・・古くは花冠を採集して染料や紅を作った」(広辞苑)のこと。紅って口紅の紅であろう。
 
 5)多良間シュンカニ
 宿に着いたのは4時頃、チェックインしてすぐにまた散歩に出る。宿へ着く前に「多良間シュンカニ大会」というポスターを見ていた。シュンカニは初めて目にする言葉だが、想像はつく。ウチナーグチ(沖縄語)でいうところのションガネーであろう。ションガネーは「しょうがない」という意味であることをラジオの民謡番組かなんかで聞いた覚えがある。であるが、沖縄語辞典に記載がないので正確には不明。
 ションガネーというと「与那国ションガネー」という民謡が有名。沖縄では「与那国ションガネー」と発音され、表記されるが、地元与那国では「与那国スンカニ」となる。歌詞の内容は「多良間シュンカニ」も含め、ウヤンマー(各離島に派遣される首里役人の現地妻のこと、各離島にいた)の悲しみを描いたもので、似たようなものだと思われる。詳しく書くと長くなるので民謡「ションガネー」については別項で。
 多良間では「多良間シュンカニ」と発音され、表記されているが、「多良間ションガネー」という題の沖縄芝居もあり、これもウヤンマーの悲哀を描いたもの。
     
     
     

 6)気さくな民宿
 宿に戻ったのは5時半頃、宿の庭にあった椅子に腰かけ夕涼みする。途中で買ったビールを飲みながら旅日記を書いていると、庭の奥、といっても私が座っている場所から10mと離れていないが、そこにテーブルがあって3人のオジサンと1人のオバサンがユンタクしていて、その内の1人から「一緒にどうか?」と声がかかった。人懐こい性格ではない私だが、人と話するのは嫌いじゃないので、すぐに合流する。
 互いに自己紹介する。4人は、70代と思われる男性がこの宿のご主人、60歳位の男性は近所の人でご主人の友人、50代と思われる夫婦は別の宿に宿泊していて、兵庫県からの旅行客。「別の宿の客が何故?」と訊くと、60歳位の男性が生業としているシュノーケリングツアーに参加し、彼の友人である御主人を紹介され、そんなこんなの繋がりで宴会となっているとのこと。60歳男性はまた、那覇から7年前に多良間島に移住して、海の案内の仕事をしているということも語ってくれた。
 楽しい話を聞いている途中、宿の女将さんから「夕食準備できたよ」と声がかかって、私は1人中座する。美味しい食事を全部食べて腹いっぱいになって、すぐにまた、庭のテーブルに戻る。部屋でボーっとしている同行のKに「外で一緒にどうだ?」と声をかけると、「何でもっと早く声をかけないんだ!」と怒る。「何言ってんだこいつ、参加したければ自分の意思で参加すりゃあいいだろうが」と思ったのだが、まあ、ともかく、その後はKも加わって6人で楽しい宴会となる。気さくな民宿であった。私は大満足。
     
     
     

 7)古き良き時代のカフェ
 ぐっすりたっぷり眠って9月11日、朝6時半頃起きる。ぐっすりたっぷり眠っているが、昨夜飲み過ぎたのだろうちょっと二日酔い。7時半に朝飯食って、8時過ぎに散歩へ出る。朝飯も美味しくて全部食べたので腹が重い、畑道を港に向かってのんびり歩く。9時過ぎには宿に戻って、準備して、バスに乗って空港へ。散歩しても消化が進まないのか腹は重いまま、元気が出ない。空港でコーヒーを飲んで、後はボーっと出発を待つ。
 コーヒーを飲んだのは空港内の喫茶店。名前が「ヘミングウェイ」とカッコいい。『老人と海』の作者であるあのヘミングウェー、喫茶店では無く珈琲屋とあった。マスターは初老の紳士、ハードボイルドとダンディズムという言葉が似合っていた。
 10時15分発、多良間島から宮古島への飛行機に乗る。
     
     

 8)多良間島情報:沖縄県離島情報サイトから抜粋
 多良間島は、宮古島と石垣島のほぼ中間に位置し、亜熱帯気候に属した楕円形の島で、約8km離れた水納島とともに多良間村に属します。
 北側に標高約30mの八重山遠見台があるものの、全体的には平坦な地形をなし、島のほとんどが耕作地として利用され、農作物や家屋を守るフクギ並木とともに豊かな緑をたたえています。

 ちなみに、今回訪れることはできなかったが、多良間島のすぐ近くにある水納島についても同サイトに紹介されている。

 水納島は、多良間島の北約8㎞の海上に浮かぶサツマイモ形をした亜熱帯気候の小さな島です。
 昔は集落があり、大勢の住民が漁業を中心に生活していましたが、人口の減少が進んだ結果、平成24年(2013年)3月現在、5人が暮らすのみとなっています。
 美しい自然が残る水納島へは定期船がありませんが、多良間島からチャーター船で渡ることができます。

 とのこと。
     

 記:2017.3.4 ガジ丸 →ガジ丸の日常目次


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なびぃへの旅2012 粟国島

2016年05月13日 | ガジ丸の旅日記

 1、序章

 沖縄県は概ね沖縄島から南西に向かって島々が連なっている。それらの島々へ行くには航路空路共に概ね那覇から出発する。北東の風が吹いている日にプカプカ雲のように空に浮かんで流れてみれば、先ず、慶良間諸島(那覇からも肉眼で良く見えるが)があり、次に渡名喜島、久米島、宮古諸島、多良間島、八重山諸島、与那国島と続く。
 那覇から東の方向に南北大東島、北部の海洋博公園がある本部町から北方向に伊是名、伊平屋島がある。それらの島々、及び南西方面の多くの島々は、私もその存在を若い頃から知っており、慶良間諸島、久米島は何度も、八重山も3度は行っている。

 私がもうオジサンと呼ばれる歳になってからだと記憶しているが、沖縄で画期的な塩が発明された。どう画期的なのかは後で述べるが、その名を『粟国の塩』と言った。粟国島という所で作られているとテレビのコマーシャルで知る。「粟国島ってどこ?」、「さぁどこだか、慶良間辺りかなぁ」などと、私も私の友人たちもその場所を知らなかった。
 10年ほど前になるか、『なびぃの恋』という沖縄映画が沖縄でヒット(全国的にヒットしたかもしれないが、詳細は不明)した。その映画の舞台が粟国島であった。私もその映画を観て、「面白い」と満足し、粟国島に興味を持って、ネットで調べ、その時にやっと粟国島の位置を確認した。粟国島は那覇から北西の方向、距離約60キロメートルに位置し、他のどの島からも離れて東シナ海にポツンと存在していた。

 周囲12キロ程の小さな島だが、他の島々と離れてポツンと存在する島は独特の空気が流れているかもしれない。塩やなびぃだけでなく他にも何か面白いものがあるかもしれない。いつかは行ってみたいと思い、そして、2012年4月、その機会を得た。
     


 2、恋でも故意でも無い美女と二人旅

 埼玉在の友人Kから「GWに沖縄へ遊びに行く」とメールがあったので、「粟国島へでも行くか?」と返信し、「行こう」となった。
 まだデビューの目途も付かないバンド、各自腕は確か(私は入っていない、腕が不確かなので作品の提供だけ)だが、忙しくてなかなか合同練習のできないバンドのボーカル、26歳の美女A嬢を誘った。「オッサン二人と一緒だけど、指一本触らせないのでその方面はご安心を」と言うと、思いの外気安く「OK」の返事があった。
 出発日を4月29日の1泊2日とし、その旨をA女に伝え、「OK、仕事の休みも取れた」と返事を得て、船便、宿泊場所の手配をしつつ、Kにも計画を伝える。
 「えーっ、俺が沖縄に着くのは30日だよ、29日に粟国は無理だよ」との返答。「GWに」ということから29日だと私が早とちりしたようだ。でももうしょうがない。
 「分かった、飛行機も飛んでいるので30日に粟国へ来たらいい、その日いっしょに遊べるだろう」と提案したが、結果は30日の飛行機にもKは間に合わなかった。
 ということで、粟国の旅はA嬢との2人旅となった。夫婦でも恋人同士でも無いのに申し訳ないという気分。言い訳するようだが、私に邪な下心はない。A嬢は私にとって娘のようなもの、彼女の幸せを願っており、傷付ける気は少しも無い。
     


 3、むんじゅるの島

 4月28日、9時55分那覇泊港発フェリー粟国に乗船。のんびり船旅をA嬢とたくさんユンタク(おしゃべり)しながら楽しんで12時00分粟国島到着。船に「がんばろう日本」とあるのは1年前の大震災後に書かれたもの、被害を受けた人々へのエール。
     
     
 港の看板に「むんじゅるの里」とある。「むんじゅるって何だ?」と気になる。
 宿にチェックインして、その後小雨の中を傘を差して、A嬢とユンタクしながらのんびりと粟国島を歩く。先ずは粟国村観光協会へ行って、そこにあった観光資料を参考に何を見るかどう歩くかを考えて、大正池、洞寺、むんじゅる節歌碑の順に見て歩く。
 「むんじゅるって何だ?」は観光協会にあった「むんじゅる節歌碑」の説明で知る。ムンジュルとは麦藁のことで、粟国島はムンジュル笠(麦藁帽子)の産地とのこと。あっそういえばと思い出した。民謡「スーキカンナー」に「ムンジュルカサグヮー、コウミソーラニ」という歌詞があった。「麦藁帽子、買いませんか?」という意味だったのだ。
     
     
     
 観光名所を観ながら畑中、町中も散策する。すれ違う小学生たちが「こんにちはー」と大きな声で挨拶する。オジサンは慌てて会釈する。今夜の寝酒を買おうとスーパーに寄ると、酒は久米仙しかない。店の人に訊くと「島人は久米仙が大好き」とのこと。
 久高島もそうだったが、粟国島にも未耕作の畑が多くあった。空き家と思われる家屋も多くあった。ここで自給自足生活ができるのではないかとオジサンは思った。
     

 小さな頃から知っているA嬢、骨の持病を持っていて、子供の頃まではそのため何度か手術したことも私は知っている。そのため歩くのは苦手であることも知っていたが、うっかり、オジサンの散歩に長く付き合わせてしまった。歩き始めて3時間が過ぎていた。A嬢の顔を見ると、微笑んではいたが、疲れていそうだと感じて5時には宿に戻った。
 「ゆっくり休む」と言うA嬢を残して一人で近くを散策、「海岸に遊歩道があって、観光名所だったけど、去年の台風で大破した」と宿の人から聞いたので海へ向かって歩く。宿の人が仰る通り、遊歩道は大破していて、残念ながら歩くことはできなかった。
     

 1時間余りブラブラして宿へ戻って、シャワーを浴びた後、A嬢と夕食。A嬢との初デートは彼女が高校2年生の時だったと覚えている。その頃から彼女は、そう多くでは無いが酒が飲めた。その日の夕食でも一緒に少し飲んで、9時頃にはお互いの部屋へ。
     


 4、なびぃの島

 4月29日、朝早く起きて宿の近くを1人で散策する。宿の近くに粟国小中学校があって、その運動場にたくさんの鳥が群れているのに気付いた。私は校庭に入って、ゆっくり近付きながらそっとカメラを構えた。その時、カメラを抱えたオッサンが校庭に入ってきて鳥の群れに近付いて行った。「待て!少し辛抱せぇ!」と私は怒鳴りたかったが、もう既に遅かった。鳥の群れは遠くに離れて行った。よって、私の写真も遠景となる。
     
 前日、A嬢が仔ヤギを見つけて、それを追いかけるのをオジサンはニコニコ笑って見守った。「あー、逃げた」と残念がるA嬢に、「追うから逃げる、待っていれば寄ってくるはず」とオジサンはニコニコ笑いながら助言した。粟国小中学校の運動場で鳥を追いかけたオッサンにも事前にその助言をしておけばよかったのだと思った。
 それはさておき、前日の(かどうか?)仔ヤギ、その日にも出会った。ゆっくり歩いて、静かにカメラを構え、シャッターを押す。その後、雄親ヤギに会い、仔ヤギに乳を与える母ヤギにも出会った。「野良ヤギ、多いなぁ、食べないのかなぁ」と思った。
     
     
     

 宿に戻って朝食を食べ、9時頃、A嬢と2人で散策に出る。今回の旅は「なびぃの家を見に行こう」の他に「これが見たい」という特別なものはなく、粟国の空気が感じられれば良しといった気分だったので、A嬢との散歩はその通り、のんびり散歩。
 「ヤギが見たい」と言うA嬢、3時間前1人で散歩している時に仔ヤギと出会った場所に向かう、仔ヤギはその近くにいた。「いたーっ!」と喜ぶA嬢に、人生経験が彼女の2倍はある老獪なオジサンは「静かにしてじっと待っているんだよ」と諭す。
     

 粟国島は、私が「面白い」と満足した映画『なびぃの恋』の舞台である。「なびぃの家を見に行こう」が今回の旅の目的の第一であった。宿の人にその場所を聞いて、そこへ向かった。似たような赤瓦の家はいくつもあったので、ここだと断定はできなかったが、たぶん、ここであろう家を2軒見つけて、家の前にA嬢を立たせて写真を撮った。
     
     


 5、雨の粟国島

 可愛いA嬢と二人でのんびり散策、それだけで私は十分幸せ。であったが、11時頃雨に振られ木の下で雨宿り、その後も雨宿りしながら12時頃宿に戻る。雨が断続的に降るので、外のベンチでボーっとしてる。ちょっと晴れたので買い物ついでに散策。
     
 1時45分頃、船に乗る。その時に大雨になって濡れてしまう。船から島の写真を撮ろうと上のデッキに上がった時、大波をかぶってもっとひどく濡れてしまった。
 雨と波で体を濡らしてしまうという災難もあったが、美女と二人一泊二日の旅は、オジサンには楽しい旅だった。「もしも襲われたらどうしよう」と不安を持ち、父親から護身術を教わってきたかもしれないA嬢だったが、その護身術は披露せずに済んだ。私もキンタマを蹴られずに済んだ。めでたしめでたしの旅だった。
     


 6、粟国島の動植物

 粟国島は沖縄島に近く、動植物の分布はほぼ同じで、粟国島で「初めまして」の動植物はほとんど無かった。動物では上述した2日目の朝、小中学校の校庭で見つけたアマサギと、初日の夕方、野原で見つけたアカガシラサギだけ。植物ではイソフサギとノビルの2種だけ。その他、沖縄の草木で紹介しているモチキビの写真は粟国島で撮ったもの。ただし、植物は不明のまま放置されている写真がなお十数枚ある。

     
     
     
     
     
     
     


 7、以下は粟国島のHPからの抜粋

 粟国島は、沖縄本島那覇市の北西約60kmに位置し、周囲12km程度の小さな島です。近くに島はなく、久米島やケラマ諸島とは、地図上で大きな 三角形を形作っているのが特徴です。島では牧畜が盛んで、島の西部には草原が広がり小さな牛小屋をいくつも目にすることができます。
 特産品:粟国の塩、ソテツ味噌、あぐにようかん、もちきびかりんとう、黒糖。

 追記(ガジ丸)
 粟国の塩はとても有名。発売当時、私も買って食している。塩そのものが酒の肴になるほど美味しい塩、値段が高いので貧乏になってからは縁遠い。
 初日の散策で、道端にソテツの実のガラが山積みされているのを見つけた。「食べるの?」と不思議に思ったのだが、ソテツ味噌という特産品があることを後で知った。
 粟国島にはウージ畑が多くあった、ウージが基幹産業のようである。製糖工場もある。
     
     
     
     

 記:2016.4.17 ガジ丸 →ガジ丸の旅日記目次


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最北端の旅2012 伊是名伊平屋

2016年05月06日 | ガジ丸の旅日記

 1、序章

 鹿児島の友人Nは大学の同級生で、たびたび沖縄にやってくる。仕事で来て、ついでに遊んで帰る。彼の遊びは琉球弧の島々を巡ること、慶良間諸島、宮古諸島、八重山諸島など多くの島を既に訪れている。彼にとって未踏の地、伊平屋島伊是名島は私にとっても未踏の地、「いつか一緒に行くか」とかねてから計画していた。
 琉球列島は北東から南西へ連なっている。その内、沖縄県は沖縄諸島から八重山列島(与那国島含む)となっていて、人の住む島ではその南端は波照間島、西端は与那国島、東端は北大東島、そして、北端が伊平屋島。それら全ての端を制覇したいと以前から思っていて、2009年には最東端の大東島を旅し、2011年には最西端の与那国島、最南端の波照間島を旅した。ちなみに、与那国島、波照間島はそれぞれ日本国の最西端、最南端でもある。日本国の最北端である北海道稚内は2006年に訪れている。最北端の碑なるものも見ている。いつか、日本国の最東端も踏破したい。何処?・・・後で調べる。
     
 鹿児島のNと相談しつつ、沖縄県最北端の旅は2012年3月16日の午後に那覇を出て沖縄島北部の大宜味村で1泊し、7日最北端の伊平屋島へ渡り、散策して、夕方にはお隣の伊是名島へ渡り、そこで一泊し、18日の午後には帰る旅程となった。


 2、美女と一緒

 今回の旅には美女が一人加わった。福島の原発事故後、神奈川から沖縄に移住してきたM女。彼女は汚染瓦礫が全国に拡散されることに反対し、沖縄に汚染瓦礫が運ばれるのを阻止する運動をしている。その心意気に感動して、私は彼女の運動を少々手伝った。車の運転ができない彼女のために、運転手としてほんのちょっと手伝った。そして、沖縄の為に頑張っている彼女に「たまには休んで・・・」のつもりで旅に誘ったのであった。
 私に下心は少しもない。彼女は美人だが、沖縄に美人はたくさんいる。多少美人だからといって、私の下半身は動かない。私としては、「よう頑張っているなぁ、たまにはのんびり遊べば?」と頑張る娘を労わるオジサンの気分である。とはいえ、Nと2人のオッサン2人旅よりは、美人が加わる方が遥かに楽しい旅となるはず。

 16日の午後、家を出て、目的地とは逆方向の那覇に住む彼女を拾い、那覇のホテルに宿泊しているNを拾い、そして、美女と野獣2匹で北へ。先ずは大宜味村の無農薬有機農家Iさんの家。伊是名伊平屋は沖縄島の北部にある。そこへ渡る船は沖縄島北部にある運天港から出ている。というわけで、運天港に近いIさん家で1泊することにしたわけ。Iさん家にはそれ以前にも数回お世話になっている。楽しい1夜を過ごす。
 Iさんには他にも世話になっている。今回の伊平屋伊是名、どちらかで1泊する予定であったが、Iさんの友人の実家が伊是名で民宿を営んでいるとのことで、そこを紹介してもらっていた。人格者(と私は見ている)Iさんの紹介であれば大安心。
     


 伊平屋島編

 1、最北端まで

 17日、Iさん家で朝食を取り、9時過ぎに出る。伊是名と伊平屋、沖縄島からは伊是名の方が近いのだが、宿泊が伊是名ということもあり、先ずは伊平屋へ渡る。
 大宜味村のIさん家から古宇利島経由で運転港へ向かう。道に迷って出港時間ギリギリに着く。運天港発11時の船に乗り、伊平屋着12時20分。
     
 この日の宿泊地は伊是名島、夕方には伊是名島に近い野甫港に着いていなければならない。よって、伊平屋観光は4~5時間ほどしかない。レンタカーを借りる。
 先ずは、沖縄島最北端であるところの、伊平屋島最北端を目指し車を走らせ、その途中にある名所旧跡なども巡る。念頭平松という立派な松を見、クマヤ洞窟という「天の岩戸伝説」の1つになっている洞窟を見、そして、最北端の伊平屋灯台を見る。
     
     
     
     


 2、最北端から

 そこから伊平屋島の南にある野甫港へ向かい、伊平屋らしき風景の写真を撮りつつ車を走らせる。伊平屋らしき風景といえば田園。沖縄島に田園風景は少ないが、伊平屋は、沖縄県では石垣島に次ぐ米の産地であると事前に調べ、知っていた。数年前までアパートの隣人であったAさんは伊平屋の出身で、何度か米を頂いたことがある。
     
 道路にヤギの親子が散歩していた。20年ほど前まで付き合いのあった木工家のSさんは伊是名の出身で、「伊是名伊平屋はヒージャー(ヤギのこと)どころ、村民はみんなヒージャーが(食料として)好き」と聞いていたので、ヤギは多くいるだろうと予想していたが、その通りであった。同じくSさんから「伊是名伊平屋には野良ネコは少ない、いたら捕まえて食べるから」と聞いていたが、その通りネコは見なかった。
     
 途中、小さな茅葺の四阿(あずまや:四方の柱だけで、壁がなく、屋根を四方に葺きおろした小屋 By広辞苑)を見つける。見ると「神アシャギ」と名があり、県指定の有形民俗文化財であった。「神々が祝女(ノロ)に乗り移り、降臨する場」とのこと。
     
 午後4時過ぎ野甫港へ着く。レンタカーはここで乗り捨て。4時間4千円プラス乗り捨て代500円であった。伊是名に渡るチャーター船は1人2100円であった。
     
 なお、写真の説明文の多くは沖縄県企画部地域・離島課のサイトから抜粋したもの。


 3、データ:沖縄県企画部地域・離島課のサイトから抜粋

 伊平屋(いへや)島は、沖縄本島北部本部半島から北へ約41kmに位置し、沖縄県最北端の有人島です。北東から南西方向へ延びる島の約6割を標高200~300mの山地が占める細長い島です。歴史的には、琉球を統一した第一尚氏の発祥地であり、その先祖の屋蔵大主の墓があります。
     
 第一尚氏については少々興味があるが、屋蔵大主の墓には関心が向かなかったので写真を撮っていない。屋蔵大主の墓について県のサイトに詳しい記載があった。

 琉球の第一尚王統の祖先、屋蔵大主ゆかりの地
屋蔵大主(やぐらうふぬし)は琉球国王英祖(えいそ)の五男として生まれ、今から約600年前、現在の我喜屋集落の上 里に住んでいたと伝えられています。 二男二女をもうけ、長男は鮫川大主、次男は上里按司、長女は我喜屋親祝女(のろ)、次女は、我喜屋祝女に就任させました。その長男鮫川大主が第一尚氏の元祖。

 とのこと。
 さて、チャーター船は野甫港を4時半頃出て、伊是名の内花港まで15分の船旅。




 伊是名編

 1、ぶらぶら散歩

 チャーター船はほぼ予定通り5時前(5分10分の遅れは気にしない)には伊是名島内花港へ到着。民宿の人が迎えに行きましょうかというのを断って、そこからオジサン2人美女1人の3人は景色を眺めながらのんびり歩いて民宿へ、1時間ほどで着く。
 夕食は7時からというので観光案内地図を片手にそのまま1人で散歩。目指していた公園の入口が見つからずその近辺をブラブラして、民宿へ戻る。
     

 2、感じの良い民宿

 3人で食事する。ビールを飲み、泡盛を少し飲む。8時には食堂を出る。夕食はまあまあ満足の内容。部屋に入ってシャワーを浴び、ベランダに出て、一人でビールを飲み、夜空を眺めながら煙草を吸う。旅の夜を遊びに出ずに、10時には寝る。
     
 18日、6時半には起きる。6時50分頃、散歩に出ようとしたら食堂に朝食が準備されていたので食べる。同行のNが7時に下りてくる。先に食べ終わった私はNを残して散歩。港に向かってのんびり歩く。伊是名も伊平屋と並んで米どころ、前日にその田園風景の写真を撮っているが、この日は害虫防除の看板に出会う。稲作も簡単ではない。
     
     
     
 港まで行って、帰りの船の確認をして、ブラブラ歩いて8時前にはホテルへ戻る。H嬢がまだ食事中であった。歯磨きして、帰る準備をして、チェックアウトする。
 宿の人が、車で展望台まで送るというので甘える。H嬢と2人展望台で降りる。Nはその車でそのまま港まで送って貰い、レンタカー屋でバイクを借り、1人で島内を巡るとのこと。ということで、そこからH嬢と2人でのんびり歩く。
     


 3、伊是名観光

 展望台から名所旧跡である銘刈家、伊是名城跡、名所旧跡ではないと思うが私の趣味で造り酒屋などを回る。その途中、私にとっては嬉しい光景があった。昔沖縄は、通りすがる人が利用できるよう家の縁側にお茶とお菓子を置いたのだそうだ。伊是名島の民家にその古き良き習慣が残っていた。古き良き沖縄を感じて幸せな気分になった。
     
 後日、その習慣について確認しようと思って、いくつかのサイトを覗き、図書館へ行って本を読んだりした、私が覗いたサイトの1つ、沖縄県企画部地域・離島課に、「イヒャジューテー」とその習慣について説明があった。
     
 幸せな気分に浸ってなおも歩く。私と並んで歩いている美女H嬢はしかし、そういったことにはあまり感動しないみたいで、「だから何?」という顔で歩いている。ウチナーンチュとヤマトゥンチュの感性の違いかなぁと思って、以後、私は彼女に気を使うこと無く自分の思うままにあちらへ行き写真を撮り、こちらへ行き写真を撮りつつ歩いた。
     
 1時頃には港へ着く。昼食を摂るという2人を置いて、伊是名島というとこれ、という場所へ私は1人で出かけた。港の近くなので写真を撮るくらいの時間はある。
 「伊是名島というとこれ」というのは尚円王、琉球の歴史では有名な人、真面目に勉強してこなかった私でも知っている人、琉球王朝時代の初期の人、第二尚氏の始祖である尚円王金丸。その生誕の地が港の近くあったのだ。それを見に行った。
     
 尚円王生誕の地から港へ戻って、港で土産を少し買って、1時半少し前に乗船する。ここで伊平屋伊是名の旅はお終い。美女H嬢と関係が深まるということはなかったが、良い空気を吸い、良い雰囲気を感じ、楽しい旅となった。
     
     
     

 2時半には運天港に着いて、そのまま真っ直ぐ那覇空港へ、その日帰るというNを空港で降ろして、H嬢を家まで送って、家に帰って、のんびり飲んで、寝た。


 4、データ:沖縄県企画部地域・離島課のサイトから抜粋

 伊是名島は、沖縄本島北部の今帰仁村より北西約27km、東シナ海に浮かぶ、周囲約16kmの島です。島の南東から北西にかけて山々が連なり、南側の伊是名山一体は、天然の盆栽を思わせる美しい琉球松の群立した絶景の地です。
 伊是名島は、琉球王朝第二尚氏を開祖した尚円王の生まれ島としても名高く、今なお往時の歴史を伝える文化財や遺跡などが島内に数多く残されています。
     


 5、伊平屋伊是名で出会った動植物たち

 伊平屋伊是名は沖縄島北部(ヤンバル)に近く、植生もほとんど一緒なので、伊平屋伊是名で初めて出会った動植物は少ない。以下のアオサギ、オキナワコアオハナムグリ、ギーマも既に沖縄のどこかで出会ったものだが、アオサギはあんまり近くにいたから、オキナワコアオハナムグリとギーマはあんまりたくさんいたからという理由でここに紹介しておく。残りの4種の植物は、伊平屋伊是名で初めて出会った植物たち。

     

     

     

     

     

     

     

 記:2016.4.29 ガジ丸 →ガジ丸の旅日記目次


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