ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

瓦版047 アンダンテでアンダグチ

2007年12月28日 | ユクレー瓦版

 12月だというのに暖かい日が続いている。この島には神も仏もいないので、クリスマスなんていう行事も無い。だから、よけいに年末の雰囲気がしない。もうすぐ大晦日、そして正月だけれど、その慌しさもあまり無い。大掃除をするくらいだ。
 ウフオバーとマナもこのあいだユクレー屋の大掃除をしていた。ケダマンと私も手伝わされたが、普段からオバーがきちんと掃除をしているので、そう時間はかからなかった。その大掃除も終わったので、今日はいつものようにのんびりとした週末だ。夕方、暗くなってからユクレー屋を訪ねた。

 「おっ、ゑんちゅ、やっと来たか。」とケダマンが私を見るなり言う。
 「ん?何か用でもあったか?」と訊いたが、それには応えず、
 「マナ、さっきのあれ、出してくれ。」とマナに言った。すると、
 「ゑん、天麩羅いかが?」とマナが皿を寄こした。
 「やー、そりゃ嬉しいね。じゃあ、遠慮なく。」と私は皿の天麩羅を一つ手で摘まんで口に入れた。しかし、その天麩羅は不味かった。油がギトギトついていた。
 「うっ、マナ、これ、悪いけど、食えたものじゃないよ。すごく油っこいよ。」
 「へっ、へっ、へっ、じつは、それよー、失敗作なんだとよ。俺もさっき、マナに騙されて食わされて、手も口の周りも油だらけになっちまったよ。おめぇもほら、俺と同じように手と口の周りが油だらけになってるぜ。はっ、はっ、はっ。」とケダが笑う。その通り、私の右手と口の周りは油がべっとり付いていた。
 「アンダテ(油手)にアンダグチ(油口)か、何か、妖怪みたいだ。」
 「ん?アンダテでアンダグチ?・・・アンダンテでアンダグチか、歩く早さでアンダグチってか、何か、唄になりそうだな。」(ケダ)
  「アンダグチって何?唄になるの?」とマナが訊く。
 「油のことをウチナーグチでアンダと言う。アンダグチとは油口で、なめらかな言いようということからお世辞という意味のウチナーグチなんだ。」と私が答える。
 「そういうこった。」と言って、ケダはフロアーを歩きながら、「マナ、相変わらず美人だな。色っぽいし、稀に見るイイ女だぜ。」と続ける。
 「何よ、それ?」
 「歩く早さでお世辞を言っているのさ。ハッ、ハッ、ハッ、ザマーミロ。」(ケダ)
 「お世辞の唄ってことか。いいんじゃないの。作ろうよ。」(私)
 「まあ、悪くは無いと思うけど、それ誰が作るの?あんたたち、作れるの?」(マナ)
     

 ということで、この話はおしまいとなった。ケダマンと私では、気の利いた歌詞など作れそうもなかったからだ。
 その後しばらくして、外出していたらしいウフオバーが帰ってきた。マナの作った天麩羅が不味かったという話になって、それから数日間は、マナの沖縄料理修行となる。マナも料理のセンスは良い方なので、すぐに上手くなった。天麩羅も上手に揚がるようになった。今度の御節はマナが担当することが決まった。
 なお、アンダンテでアンダグチの唄の作成は、後日、ガジ丸に依頼したのだが、
 「くだらねぇ、アンダグチが塞がらないぜ。」と一蹴された。

 記:ゑんちゅ小僧 2007.12.28


白昼夢は予兆か病気か

2007年12月28日 | 通信-科学・空想

 ほとんど毎日、その日あったことを書いて、パソコンに記録している。特に何も無かった日でも、「一日内勤、帰ってガジ丸記事を少々」などと、20字程度は書いてある。何かあった時には200字を超えたりする。今週の火曜日のメモも200字を超えた。

 2007年12月25日
 会社から帰る頃から、また、例の意識が飛ぶ症状がでる。体も何かフワフワした感じになることを今日は気付いた。いろんな場面が出てきたが、今回もはっきりとは覚えていない。今調べたら、去年の11月1日以来のこと。
  家に帰って2時間ばかりのこと、脳の大部分はHP用の文章を普通に書きながら、脳の一部が飛んだ。いつものSF的な世界へ飛んだ。またしても、はっきりとは記憶が残っていない。ただ、いつものように戦いの場にいて、いつものように私は平和を求めている。今回は気分が悪いということは無かったが、しばらく煙草が吸えなかった。
          

 「煙草が吸えなかった」のは、煙草を吸うと少々気分が悪くなったからだ。というわけで、これは何か病気の予兆かもしれないと考える。脳内出血して、脳の記憶の一部、または想像を司る箇所が刺激されて、幻想を見ているのかもしれない。 
 このようなことは過去に何度もある。記録に残っているものは以下、

 2006年11月1日のメモ
 例の意識が飛ぶ症状が出る。3時頃、会社でパソコン作業しながらいろんな場面が浮かぶ。いろいろあって、ほとんど覚えていない。外出て、一服して、体操している時も続いた。今までと違って、ほんの少しだが、気分悪かった。

 2005年12月31日のメモ
 例の意識が飛ぶ現象が起きる。ひょっとしたら昨日使ったカビ取り洗剤のせいかもしれない。揮発成分をたくさん吸って、脳に何らかの影響を与えたのかもしれない。
 意識が飛んでいる間、いろんなことを想像したが、今はあまり覚えていない。前回と同じで戦いの場、概ねSFみたいなことだったと思う。

  2004年7月20日のメモ
 また、白昼夢を見る。会社にいるときから帰宅して、その後7時過ぎまで、いろんな夢を見る。やはり、時代は戦争。どうやら俺は小学校の先生、戦いの現場にはあまりいないようだが、生徒たちをなんとか守っているようす。
 普通に活動しながら脳の一部が白昼夢を見るなんてことは前にも何度かあった。脳内出血かなんかで脳細胞の深いところが刺激されているせいかもしれない。

 以上のようなことが、もしも予兆であれば、私は正義の味方ということになる。嬉しい事である。しかし、もしも脳内出血のせいならば、私は正義の味方になりたいと願っているノーテンキなオジサンで、近いうちに半身不随となる運命だ。残念である。
          

 記:2007.12.28 島乃ガジ丸


注意し甲斐の無い奴

2007年12月21日 | 通信-その他・雑感

 右手中指の爪が割れた。根元が割れた。根元以外の8割方はくっついている。しかし、根元が割れればいずれ爪全体が剥げるであろうと想像できる。
  過去に足の爪が剥げたことを私は数回経験している。窮屈な靴を履いて肉体労働をした時のことである。爪先内側に負荷を感じつつ数日経ると、親指の根元が紫色に変色し、しだいに全体が紫色になり、紫色が茶色に変わり、数ヵ月後には剥げた。窮屈な靴のせいで指先に血が行かなくなり、壊疽を起こしたのだと思われる。
 しかし、今回の、右手中指の爪が割れたのは何故なのか原因不明。朝、目が覚めたら割れていた。酔っ払ってドアに指を挟んだのに気付かなかったのかと考えたが、記憶を失くすほど飲んでないし、そんな覚えは全く無い。
  じつは、右手中指の爪が割れたのは母の告別式の日から数日後のことである。霊とか何とかをあまり信じていない私だが、これは母からの注意信号かもと思った。
          

 思い返せば、今年は不思議体験がいくつかあった。2月に不思議な光を見て、そのすぐ後に夜の鳥に会い、その夜遅くから喉の痛みに襲わた。その頃、母も喉に異常があったことは後日知った。母が膠原病の一種である強皮症であることはもっと後になって知ったのだが、母の喉の異常は強皮症の症状の一つであった。
 3月には尋常では無い肩の重みに襲われ、また、部屋の中に目に見えないモノたちの気配を感じたりした。2月の喉の痛みもこれらも、「大切な人が危険な状態にあるぞ、今、助けが必要だぞ。」という注意信号だったかもしれない。母が不治の病であることを知ったのは4月になってからであった。

 もしも2月、3月の不思議体験が霊からの注意信号だったとしたら、それに対し、私は深く思いを巡らさず、「何のこっちゃい」と右から左へ受け流し、その後すっかり忘れてしまった。「せっかく注意したのに、助け甲斐の無い奴だ。」と親切な靈たちも思ったに違いない。今回の割れた爪がまた、霊からの注意信号だったとしても、それが何の注意信号なのか、私は全く見当つかないでいる。注意し甲斐の無い奴なのである。
          

 →病を運ぶ夜の鳥 →夜は部屋で運動会

 記:2007.12.21 島乃ガジ丸


瓦版046 シニカバカの夜

2007年12月14日 | ユクレー瓦版

 週末の夕方、いつものようにユクレー屋に行く。いつものようにカウンターに座り、いつものようにマナがいたのだが、その日はしかし、ケダマンがいない。
 「ケダマン、いないの?」と訊く。
 「うん、昼間、散歩してくるっていって、まだ帰ってきてないね。」(マナ)
などと話をしていたら、噂をすれば影である。ドアが開いて、ケダマンが帰ってきた。

 「どこ行ってたんだ?」と訊く。
 「歯に染み透る秋の夜って、この島じゃあ今がその季節かなと思ってな、今夜は日本酒が飲みたいと思ってな、新鮮な刺身を肴にしたいと思ってな、で、シバイサー博士のところへ釣道具を借りに行ったのさ。」
 「ほう、そりゃあ良い考えだ。で、獲物は?」
 「いや、それが、博士のところへ行ったらゴリコの遊び相手をさせられて、その後、ガジ丸がやってきて、ちょっとユンタクしてたらこの時間になってしまった。」
 「それじゃあ、新鮮な刺身は御預けってことだ。残念。」
 「いや、新鮮な刺身はあとでガジ丸が持ってくるそうだ。今頃、釣っているころだと思うぜ。マナ、今日は日本酒にするぜ。でも、その前にとりあえずビール。」

 ビールを三口四口、グビグビと流し込んだ後、
 「シニカバカ、シニカバカ、シニカバカの夜は更けて」と、ケダマンが突然歌う。
 「何よそれ、何の唄なのよ?」(マナ)
 「あー、ガジ丸の作った唄だ。つい最近できた新作だそうだ。前に歌ったシバイサー博士の『寝たりん節』はどうでもいい唄だが、これは現代の心弱い男の悲哀が表現されていて、なかなか面白いぜ。何でもほどほどにしないと良く無いって唄だ。」
 「ふーん、ちょっと興味あるね。何て唄なんだ?」(私)
 「『シニカバカの夜は更けて』って題。」(ケダ)
 「心弱い男の悲哀って、具体的にはどんな内容なの?」(私)
 「日雇い労働者が一日の稼ぎをその日の内にスロットマシンで摩ってしまう。これではいけないと頑張って零細企業に就職するが毎日忙しい。その憂さ晴らしにキャバレー通いして、借金が溜まる。しかしまた、そこから踏ん張って中小企業に就職する。そこで、真面目に働くが、不況のせいでリストラに会う。で、無職になって、自暴自棄になって、酒飲んで暴れて、警察の厄介になるという悲惨な物語の唄だ。」
 「ほーう、それは何だか面白そうだね。全部歌える?」(私)
 「あー、歌えるぜ。マナ、これ、ピアノで伴奏できるか?」
 「そんな、楽譜も無いのに伴奏なんてできないよ。それほど音楽の才能は無いよ。」
 「楽譜はあるよ。ほら、これ。ガジ丸に書いてもらった。」
 「えー、ちょっと待ってね。」とマナは言って、楽譜を見る。
 「うん、そう難しくはなさそうね。ちょっと練習すればできると思うけど。でもさあ、現代人の悲哀ってのは分るけどさ、このシニカバカってどういう意味?」
  「あー、シニカバカか。シニカバカはウチナーグチだ。バカは和語と同じでバカ、シニカがウチナーグチで、死ぬほどってことで、死ぬほどバカって意味だ。」(ケダ)
 「あー、なるほどね。働いて稼いだお金をギャンブルや酒に注ぎ込む男は、死に値するくらいバカって唄だね。・・・って、あんたのことじゃない?」(マナ)
 「あほっ、俺は怠け者ではあるが、もしかしたらちょっとはバカかもしれないが、シニカバカでは断じて無い。シニカバカをやっている者達の多くは怠け者では無く、精神の弱い者なんだぜ。欲望に溺れているだけだ。俺はそいつらとは違う。俺は俺の揺ぎ無い固い意志でもって怠け者をやってるんだ。どうじゃい!」とケダはふんぞり返る。
 「怠け者を自慢するなんて、それこそバカみたい。」(マナ)
     

 それからしばらくして、ピアノを鳴らしていたマナが我々に声をかける。
 「できそうだよー、みんなで歌ってみる?」
 「おー、歌おう、歌おう。」とケダが言い、私も一緒にピアノの傍へ行って、『シニカバカの夜は更けて』を三人で歌った。易しい曲なので、すぐに歌えた。
 「なかなか良い歌だね。ヒットするんじゃないの?」とマナ、
 「最後のジャジャジャジャーンはベートーベンの『運命』だよね。そういう運命なんだって意味なんだろうね。面白いよ。」と私の評価。そんな褒め言葉が聞こえたのか、外で大きなくしゃみが一つし、ガジ丸が手に魚を持って入ってきた。
 「よー、ガジ丸、今、お前の唄を褒めてたところだ。」とケダが言う。
 「『シニカバカの夜は更けて』だろ?外からも歌ってるのが聞こえてたよ。どれ、作った本家本元が歌ってみせよう。」
 ということで、この夜は新鮮な刺身を肴に旨い日本酒を飲みながら、『シニカバカの夜は更けて』を繰り返し歌いつつ、夜は更けていった。

 記:ゑんちゅ小僧 2007.12.14 →音楽(シニカバカの夜は更けて)


他人の振り見た玉子

2007年12月14日 | 通信-社会・生活

 食品の賞味期限改ざんが世間を騒がせている。賞味期限が過ぎたからと言って、そう大した問題では無い。私はそういったものをたびたび口にしているが、まだ、元気に生きている。最近、テレビなどで何度も解説されているので、今さらここで述べるほどのことでも無いのだが、簡単に言えば、「賞味期限が過ぎると品質が落ちます」、「消費期限が過ぎると食べるのに適さなくなります」ということになる。
 「賞味期限が過ぎると品質が落ちます」と言っても、製造日から一ヶ月を賞味期限としているお菓子が、期限から一週間過ぎたからといって、その品質に大きな変化があるとは思えない。少なくとも私は、両者の味の違いに気付かないと思う。
 「消費期限が過ぎると食べるのに適さなくなります」となると話は別である。食べるのに適さないということは、食べると体に不具合を起こす可能性があるということだ。賞味期限を過ぎたものはあまり気にならない私も、消費期限は気にする。消費期限を賞味期限と間違えて食べて、体に不具合を起こした経験が何度かあるからだ。

 消費期限が過ぎたものは危ないが、賞味期限が多少過ぎたものについてはさほど危険は無いということで、賞味期限については多少期限を延ばしても、安全ならばいいじゃないかという考え方ができる。賞味が落ちたら、落ちた分だけ安く売ればいいのだ。
 ところが、問題は別にある。「嘘をついている」ということである。我々消費者は「嘘をつかれて騙されている」ということである。これがおそらく、消費者の癇に障るのだと思う。「おのれー、騙しやがったな!」などと、気分悪くなるのだと思う。

  鶏卵を、平均して2日に1個から2個を私は食べている。したがって、週に1回か、2週に1回は玉子1パックを買っている。AスーパーではA玉子、BスーパーではB玉子を主に買っているが、どちらも自然とか安全とか書かれているものだ。
 玉子については、私は賞味期限を多少気にしている。生や半熟で食べる機会が多いからだ。で、なるべく新しいものを買うようにしている。AスーパーのA玉子には賞味期限だけでなく、産卵日も書かれてあるので、なお安心する。2日前とか3日前くらいの新鮮なものが手に入る。・・・のだが、じつは、その記載がずっと信用できないでいた。
 新鮮な玉子はモッコリしている。黄身とその周りが球形に近い形をしていて、モッコリと浮き上がっている。ところが、AスーパーのA玉子は、BスーパーのB玉子も同じようなものだが、割って中身を出すとたいていベチャとしているのだ。「嘘ついているな」と思いつつ、生で食べる予定を卵焼きに変えたりするのであった。

 たまには1パックの中に1、2個モッコリに出会うこともあったが、ほとんどがベチャであったAスーパーのA玉子、ところが、四週間ほど前に買ったそれは、1パック全てがモッコリ玉子に変わっていた。食品の賞味期限改ざんが世間を騒がせたことが、「他人の振り見て」となったのだと思う。久々に玉子かけご飯を食った。 
          

 記:2007.12.14 島乃ガジ丸