ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

ヨガという瞑想

2016年07月29日 | 通信-音楽・映画

 今年の沖縄は6月から糞暑い、夜も暑くてぐっすり睡眠ができていない。7月に入るとさらに暑くなって、夜も糞暑くて何度も目が覚めるグダグダ睡眠が続いている。
 時々、手首血圧計で血圧(脈拍数も)を計っているが、私は血圧が高い、元々高い、150超えが続いている。いつから150超えなんだろうと日記を調べてみた。2014年1月からだった。それ以前も高めだ、ほぼ140超えとなったのは2007年1月から、高血圧歴9年半というわけである。それ以前は130台と140台が半々であった。
 高血圧は脳や心臓疾患になるリスクが高いことも知っている。ではあるが、血圧が高いのは9年半の経験で慣れっこになっていて、今のところ、胸が苦しいとか眩暈がするとかも無いので、血圧の高さは気にしないことにしている。それよりも最近、脈拍数が多いのが気になっている。平常の私の脈拍数は60前後であるが、6月は65前後となり、7月に入ると、何と70前後になった。「これはきっと心臓の過重負荷だ」と心配。

 「そういえば最近、腹式深呼吸も瞑想もまともにやっていないなぁ」と思い出した。私の経験では20~30分程度の腹式深呼吸をやれば血圧は10ポイントほど下がる。同じく20~30分程度の瞑想をやれば心拍数も下がって行く。
 「そういえば最近」の最近は、はっきり覚えていないが、たぶん、1年くらいはご無沙汰しているはず。今年6月になって、暑苦しさで4時頃目を覚ました時があって、その時に「久々にやろう」と腹式深呼吸にトライした。10分もしない内に眠っていた。
 同じようなことが7月に入ってもあった。その時は腹式深呼吸ではなく瞑想。その時既に脈拍数が70前後となっていたので、「血圧を下げることよりは心拍数を落ち着かせることが先だ」と思ってのこと。その瞑想もまた10分と続かず私は眠っていた。

 脈拍数が多くなったのは6月から。つまり、暑くて寝苦しくてグダグダ睡眠となって、毎日が寝不足状態となってからだ。寝不足は健康に悪いはず。心臓にも負担がかかるので脈拍数が増えていると思われる。それでも、この糞暑い中、畑仕事は続けている。
 グダグダ睡眠が続いて、毎日のように寝坊して、畑への出勤が7時頃(夏農夫の予定では6時前出勤)となって、畑も暑くて11時頃にはフラフラとなって、グダグダ作業が続いて午後1時頃には家に帰って、家も暑くて、少し昼寝した後、ダラダラと引っ越し(予定、いつになるやら)準備と、そのついでのダンシャリ作業をしている。
 7月15日、「俺はたぶん疲れている」と思い、畑へはオクラ収獲のため30分ほど寄っただけで、畑仕事を久々に休んだ。そして、「健康のためには瞑想は大事だろう」と思っていて、たまたま、桜坂劇場でその類らしき映画をやっていたので観に行った。良い映画を観て、身体だけでなく心もリフレッシュしようという魂胆であった。

 その日観た映画は『永遠のヨギー』。ヨガの達人がアメリカ合衆国に渡って布教活動するというお話。ヨガに対する私の認識はずいぶん前から決まっていた。「瞑想の1種」という認識だ。しかし、『永遠のヨギー』を観て、その認識は少し変わった。主人公のヨギー(ヨガをする者)はヨガの目的は「神を感じる」ことであると語っていた。彼はまた、ヨガによる調和と愛も説いていた。ヨガは平和と愛を望む「宗教の1種」であった。
     
     

 記:2016.7.29 島乃ガジ丸


トウガン

2016年07月29日 | 飲食:食べ物(材料)

 染まる美味しさ

 今年(2016年)3月13日、1株のシブイ(トウガン)の苗を畑に植えた。肥料を与えない私の畑では成長はゆっくりである。蔓はゆっくりとだが順調に生育し、6月になると花が咲き、実も着けるようになったが、まだ長さ3~4センチにもならない内に虫に食われでもしたか、いくつもがいつのまにか消えてしまっていた。それが、6月23日になってやっと1個の実が、長さ5~6センチにまで成長していた。
     
 その実は、その後も順調に生育し、7月の始め頃には長さ10センチほどにまで成長した。「よし、20センチ超えたら収穫しよう、あと1週間か2週間後だろう」と期待していたのだが、7月10日、そのシブイの実を確認したら何者かに食われていた。
 シブイを食った犯人はすぐ傍にいた。犯行現場を見たわけではないが、その食い痕から犯人はこ奴だと判断できた。アフリカマイマイである。食い痕にはヤスデの類が着いていたが、シブイの堅い皮をヤスデは食い破れないはず。アフリカマイマイなら堅い皮も容易く齧るし、その齧りっぷりも「さすが大物」と思わせるもの。
     

 苗を植えてから4ヶ月が経ってもまだシブイを収穫できない。「チクショウ!アフリカマイマイめ!」と思うのだが、薬を使わない限り奴らの駆除は難しい。「あーぁ、この先もシブイの収穫は難しいだろうな」と半分諦めかける。ところが、
 7月23日、特に期待すろこともなくシブイを植えた畝を見回っていたら、葉の隙間から1個のシブイが尻を少し見せていた。葉を掻き分けると、何と、長さ20センチを超えるシブイが実っていた。さっそくその日の内に収穫し、その日の酒の肴となった。
 「なぜ、このシブイはアフリカマイマイの餌食にならなかったんだろう?」という疑問は、近所の先輩農夫Nさんに答えて貰った。「実が小さい内はまだ皮が軟らかいのでアフリカマイマイも齧ることができるが、大きくなって皮が硬くなるとアフリカマイマイでも齧ることができなくなる」とのこと。今回実ったシブイは、まだ小さい内の間、アフリカマイマイに見つかること無く、密かに育ち、アフリカマイマイが気付いた時には、もう奴らの歯が立たないほどに十分成長していたのだろうと想像される。
     

 シブイ、和名トウガンは沖縄でよく食される野菜の1つ。汁物のテビチ汁、ソーキ汁、肉汁などに入っていることが多い。煮物でもよく出される。生でも食えるらしいが、私はその経験が無い。焼いたり炒めたりすることもない、ほぼ全て煮て食っている。
 植物のトウガンを紹介しているページに「トウガンは奥床しいので、いろんな味に染まる。味に個性が無いといえばそうであるが、その食感には揺ぎ無い個性がある。口の中に入れ、軽く噛むとふにゃっと崩れ、染まった味がじわーっと広がる。美味いと思う。」と私は書いているが、そのページを書いてから9年経った今でも同じ感想。
     
     
     
         

 トウガン(冬瓜):果菜
 ウリ科の蔓性一年草 熱帯アジア原産 方言名:シブイ
 果実は品種によって球形、楕円形とあるらしいが、沖縄で見るものは楕円形がほとんどである。貯蔵期間の長さも特徴だが、その大きさもまた目立つ。近所のスーパーに並ぶ野菜の中では最も大きい果菜である。『沖縄園芸百科』には「長さ30センチ~130センチ、重さ3キロ~15キロ」とあった。

 記:2016.7.27 ガジ丸 →沖縄の飲食目次


ラジオの世界

2016年07月22日 | 通信-社会・生活

 2011年7月の地デジ化以降私はほとんどテレビを観ていない。他所の家に行って、そこのテレビが点いていて目の片隅に映ったことが数度あるが、数度全部足してもおそらく、2時間に満たないと思う。地デジ化以前も、オジサンと呼ばれる年齢になってからはテレビを観る時間は少なかった。なので、地デジになって、「よし、今日からテレビとはおさらばだ」という決心は、「よし、きょうから禁煙だ」という決心よりもはるかに緩い決心であり、左うちわの朝飯前の楽勝であった。ちなみに、「よし、きょうから禁煙だ」という決心をしたことが無いので、どの程度緩い決心だったかは正確には不明。

 テレビを観なくなって、世間の情勢を伝えるニュースはもっぱらラジオからとなる。地デジ以前もラジオはほぼ毎日聴いていた。ニュースは主にテレビからだったが、夜7時半から9時過ぎまではラジオを聴く(NHKFMの番組)ことが多かった。勤め人になって日中の時間を束縛される以前は、他のラジオ番組もよく聴いていた。
 高校時代浪人時代は深夜放送の「セイヤング」、「オールナイトニッポン」、「パックインミュージック」など、ただ、その中で覚えているのは愛川欽也のパックインミュージックだけ。女のあそこを何と言ったかは記憶にないが、男のあそこは「ポールタマタマ」と呼んでいたのを覚えている。Hな話に興奮したのも覚えている。
 沖縄のローカル放送で沖縄民謡を紹介する「民謡で今日うがなびら」も若いから聞いていた。平日の3時から4時までの放送で、大学を卒業して沖縄に帰ってからプー太郎だった頃、配送の仕事をしていた時などにはよく聴いていた。民謡が好きだからというよりも上原直彦、八木正夫、北島角子らのユンタク(おしゃべり)が好きだった。沖縄の文化を誇らしく思い、我が生まれ島沖縄を好きになるようなユンタクだった。
     

 大学を卒業して沖縄に帰ってからプー太郎だった頃、配送の仕事をしていた時など、ラジオを聴く時間の多かった頃には他にも好みのラジオ番組があった。
 記憶は正確ではないが、たぶん夕方にやっていた『小沢昭一の小沢昭一的こころ』、同じくたぶん夕方にやっていた『タモリの美女対談』、そして、これはたぶん午前中にやっていた『永六輔の誰かとどこかで』。タモリは元々タモリのファンだったので、小沢昭一はスケベな粋が好きで、永六輔はスケベで無い粋が好きでそれぞれ楽しんでいた。
 タモリはテレビの人という印象が強いが、小沢昭一と永六輔は、私にとってはテレビの人では無くラジオの人であった。小沢昭一は「明日の心だー」という締めの言葉が耳に残っている。永六輔は「知らない町を歩いてみたい・・・」の歌を思い出す。

 「ラジオの人」、先日、永六輔氏が他界したと聞いて、その言葉が思い浮んだ。ご本人がどう思っていたかは知らないが、私にとっては、氏は「ラジオの人」であった。
 5年前からテレビを観なくなった私には今「ラジオの人」がたくさんいる。ラジオにも有名人が多く出てくるが、5年以上前から有名人でテレビにも出ていた人は、「あー、あの人か」と顔を思い浮かべることができるが、そうでない人はどんな顔だか分からない。ラジオ局のアナウンサーなども顔が出てこない。出てこないけど、声としゃべり方を聴いてその顔を想像する。ラジオの世界は私の想像が多く占める世界となっている。
     

 記:2016.7.22 島乃ガジ丸


慮らない政治

2016年07月15日 | 通信-政治・経済

 参院選、新基地建設反対側の候補者を応援し、応援活動を朝早くから毎日やっていた従姉の夫T氏の努力が報われたか、彼の応援する候補者が当選した。めでたしめでたし。であるが私は、喜びも半分でしかなかった。その理由、1つは投票率、前回より増えたとはいえ50%を少し超える程度、私はせめて70%と望んでいた。もう1つは相手方との票差、そしてもう1つ、沖縄は良かったのだが、全国の結果を残念に思った。
 民主主義が正しく機能した上での選挙結果なので、残念ではあるが、しょうがないという気分でもある。ただ、国民がそう選んだのだ、この先の政治に対する責任は主権者の国民にある。国策で酷い目にあった福島の選挙結果を考えて欲しい。将来「憲法9条を失くしたのは失敗だった」ということになるかもしれぬ。後悔しても後の祭り。

 参議院選挙の前日、T氏の義姉Kさんから電話があり、あれこれ話をした後、
 「あなたは応援活動しないの?」
 「私は畑仕事しながら勝つように祈っています。」
 「祈るだけなの?」
 「ただ勝つというだけでなく、大差で勝つことを祈っています。」
 「私は、開票と同時に当確になることを祈っているわ。」
 などという会話になったが、Kさんの期待以上に、開票の1時間前には早々と応援している候補の当確が発表された。しかしながら、翌日結果を聞くと、私の期待していた大差ではなかった。10万票余の差があったようだが、私の期待は少なくともダブルスコア、できればトリプルスコアであった。若者が政治に関心を持って投票し、投票率が70%くらいあって、60万票対20万票くらいの差をつけて勝って欲しかった。
 「圧倒的勝利なら、政府も少しは考えるかもしれませんよ。」と言い電話を切った。
     

 慮るという言葉がある。劣等生ではあったが日本文学部出身の私は、その言葉は知っていて、その意味も理解もしているつもりで、たびたび使ってもいる。念のため広辞苑、
 「よくよく考える。考えはかる。思いめぐらす。」のこと。私の理解通りだ。ただ、発音に知らないことがあった。私は「オモンBAカル」と認識していたが、それでも間違いではないようだが、元は「オモンPAカル」らしい。勉強になった。

 参院選の翌日月曜日(11日)、高江のヘリパッド建設予定地に工事車両が搬入されたというニュースをラジオから聞いた。これまでのいくつかの選挙結果から沖縄県民が基地を嫌がっているということを政府はちっとも慮らないようだ、トリプルスコアくらいで圧勝しないと政府は沖縄県の選挙結果などちっとも気にしないようだ。
 政府の言いようがまた、私を笑わせてくれた。「ヘリパッドを新設することで、北部訓練場の大きな面積が返還される」とのこと。それが沖縄県民のためになるとホントに思っているのかどうか、あるいは、ウチナーンチュはバカだとバカにしているのか。
 沖縄県民の要求しているのは、基地返還であるが、それは1つの形であって、その心を慮れば「基地の無い安心安全な生活の希求」である。「基地の面積を小さくするけど基地機能は強力になる」ということであれば、それは全く、沖縄の心から離れている。
     

 記:2016.7.15 島乃ガジ丸


世界が平和になったら

2016年07月15日 | 通信-科学・空想

 世界が平和になったらなんて、空想妄想の話でしかないが、例えば、日本国憲法第9条が世界中の国々の憲法にもあったとしたらあり得ない話ではない。
 日本国憲法第9条が世界中の国々の憲法にもあるなんて、空想妄想の話でしかないが、例えば、国連で議題として提議され、各国が真剣に考え議論したとしたら、
 「軍を養う金が不要になるか、基地を維持する金が不要になるのか。」
 「そうなれば、軍関連予算を国民の生活予算に回せるな。いいかもな。」などとなるかもしれないので、将来において全くあり得ない話ではない。しかし、
 「兵隊はどうする?我が国だと何十万という失業者が出るぞ。」
 「あっ、そうか、それは大問題になるな、社会不安になるな。」
 「兵隊には荒くれ者が多いから、彼らに適した職も少ないぞ。」
 「農業ではだめか?」
 「そりゃあダメだろう、兵士と農民って全く正反対の性格だろう。」
 「どういう意味だそれ、何で農民と兵士が正反対なんだ?」
 「鍬を持って汗を流して土を耕し作物を育てるのを淡々とできる性格の者は多くいる。彼らのお陰でこの世に食べ物ができ、我々も生きることができる。一方、鍬を持って汗を流して土を耕し作物を育てるのを嫌う性格の者も少なからずいる。彼らは役人、医者、商人、大工、漁師など他の仕事に就くことになるが、それらにもなれない者がいる。仕事の無い彼らはどうする?・・・そう、彼らは他人から物を奪って生きていく。農民が生産したものを奪う者達だ、農民から見れば、自分たちと正反対の者達となる。」

 「防衛費は人殺しのための予算」と共産党の国会議員が言ったとラジオのニュースで聞いた。「高学歴で知識も教養もあると思われる国会議員が、何てバカなことを」と私は思い、「あっそうか、彼女たちも共産党かもしれない」と思い出した。
 数年前、新基地建設反対の辺野古テント村、ヘリパッド建設反対の高江テント村を訪ねた時、高江のテントに若い(といっても20代後半くらい)女性が数人いて、記憶は定かでは無いが、普天間基地が県外移設になるといいねなどという話になって、これははっきり覚えている、1人の女性が「軍事基地は世界中のどこにも必要ないんですよ」とオジサンを諭すようにキッパリ言った。「この小娘が!」と思いつつ、「そうですか」と私はニッコリ笑う。そして、手を繋いで一緒に運動できる人達では無いと判断した。
          
 
 生きることは他人との競争であると思っている人(私はそう思わないが)が多くいる。権力意志という言葉がある。「他を征服し同化し、一層強大になろうとする意欲」(広辞苑)のこと。それは人間(全てでは無いと思う)が本来持っている性質の1つらしい。
 仲間を作って仲間でない人達と戦い、それを征服し仲間を増やしていくということだ。権力意志を強く持った人が国のリーダーになると戦争は普通となる。権力意志を強く持った人はこの世に多くいると思われるので、そう容易く武力放棄はできないのだ。
 それでも、治安の良いと言われている日本のように世界の国々がなったとしたら、法令順守に世界の国々が努めたとしたら世界が平和になることも夢ではない。世界が平和になったら、「軍事基地は世界中のどこにも必要ないね」と私も小娘に言えるはず。
          

 記:2016.7.15 島乃ガジ丸