ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

余命1年

2017年09月22日 | ガジ丸のお話

 今年3月25日の深夜、午前1時過ぎに目が覚めた。いつものように小便。歳相応に私も頻尿になっている。であるが、小便で目が覚めるのはたいてい午前2~3時頃、「今日は早いな、昨夜水分(アルコール入り)を飲み過ぎたかな」と思いつつトイレ、ベッドに戻ってすぐに地震、ラジオを点けるとしばらくして情報があった。震度3とのこと。
 地震の前に目覚めるとは、小便のお陰ともいえるが、野生人を目指している私にもとうとう危険予知能力が付いたかと勝手に判断し、ニヤリと笑って、また夢の中。

 8月17日深夜、時計を見なかったので正確には知らないが、たぶん、午前1時か2時頃、ガラスの割れる大きな音に目が覚めた。眠いので横になったままま考えた。「何だ何が割れたんだ?部屋に割れるものはあるが、勝手に落ちるようなものは無いぞ、外か?庭に風鈴があるが、風鈴が割れるような小さな音ではないし、風鈴は今も鳴っているから割れてはいない、何だ何だ?あの世からのお知らせか?」と思いつつ、気にはなったが、起きて調べることはせず、眠いのでそのまま寝入ってしまった。
 ガラスの割れる大きな音の正体は翌朝、起きてから気付いた。食器棚のガラス戸が勝手に落ちていた。勝手に落ちた訳も判明した。何の不思議も無いことであった。
     
     

 危険予知能力が備わることはとても嬉しいことで、もしも、あの世からのお知らせがあったとして、それが「気をつけろ、もうすぐ大地震が起きるぞ」といったことならそれも嬉しいことで、「お前、そろそろ死ぬぞ」という知らせでも有難いと思っている。
 ところが、霊感なるものは私に無縁で、ユーリー(幽霊)、マジムン(魔物)の類に出会ったことはかつて一度もない。なので、そういう類の存在は信じていない。であるが、何かワサワサしているものがいる雰囲気を感じたことは過去に何度かあった。なので、そういう類の存在は「もしかしたらいるかも」といった程度には思っている。
 「もしかしたらいるかも」と思っているので、もしも母や父の霊が異次元のどこかにいて、この世のことをある程度感じることができるのであれば、と想像して、であれば、母や父、及び祖父母が喜ぶであろうと思い、時々位牌を訪ね供え物をしている。
 位牌は首里にある観音堂という寺に預けてある。年に何回位牌を拝みに行っているかを数えてみたら、正月(旧正)、旧盆は初日から最終日まで合わせて4回、祖父母、父母の命日4回、清明祭、春秋の彼岸、月見、冬至の計14回あった。平均月1回強だ、先祖も「まあまあ良くやっている」と喜んでくれているのではないかと思う。
     

 霊感なるものには無縁の私、と思っているが、かつて、若い頃から「ひょっとしたらそうではないか」といったようなことを何度か感じたことはある。
 母があの世へ行ってから今年は10年目、10月には満10年となる。じつは、母が逝く7ヶ月ほど前(2007年3月)から私の周りにワサワサ雰囲気があった。部屋の中で霊か何か判らないモノが運動会をしていて、煩くて(音を立てていたわけでは無い、雰囲気が何か煩く感じた)、夜中何度も目を覚まして、寝不足となる日が何日もあった。そのワサワサ感は三週間続いた。それから1ヶ月ほど経った4月20日、母が入院したと聞いて、病院へ行って担当医の話を聞く。母には膠原病という持病があり「余命1年」とのことだった。実際には、そう聞いた半年後の10月18日に母は亡くなった。
 それ以後、ワサワサ雰囲気をほとんど感じていない。あるいは、たとえ感じたことがあったとしても忘れている。オジサンとなってから霊を信じなくなっているので、多少のワサワサがあっても印象に残らず、すぐに忘れてしまう。例えば、父の死の前にもひょっとしたらワサワサ雰囲気があったかもしれないが、まったく忘れてしまっている。私の関心は母に対してはまあまああったが、父に対しては少なかったせいだと思われる。
     

 関心が濃いか薄いかでいえば、私は、父よりも母が好きであったことは確か。そして、同じ意味で言えば、母よりもなお、自分のことが好きである。これも確か。
 私は母より自分に関心がある。母の死の7ヶ月前にその予兆であるワサワサ雰囲気を感じたならば、より関心の深い私自身なら1年位前に予兆のワサワサ雰囲気はきっと現れるはず。つまり、私が次にワサワサ感を感じたら、その1年後が私のその日となる。
 ワサワサ感を感じて1年後ということは、今日ワサワサ感を感じたとしても私には残り1年の命があるということになる。1年あれば終活は余裕でできる。
 
 記:2017.9.14 島乃ガジ丸 →ガジ丸の生活目次


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環境良ければ

2017年09月15日 | ガジ丸のお話

 今年の夏の糞暑さに、週一日記やガジ丸通信など他の記事でも「暑いぜ!」と何度か書いているが、しかし実際に私が「暑いぜ!」と発していることはほとんど無い。私が暑さに腹を立てて口から発している言葉は、概ね「アチさよ!」である。アチは「暑」の沖縄語読みで、「アチさよ!」は「暑いぜ!」とほぼ同義となる。そして、「アチさよ!」に続く言葉も時には出てくる。額から顎からポタポタ汗を垂らしながら空を見上げ、「フリトゥどぅウミ!」などとブツブツ呟く。「気が振れているのか!」といった意。
 暑さのせいか作物の生育が悪い。ゴーヤーは実着きがとても悪く、やっと着いたとしても小さい内に黄色くなる。ヘチマに至っては全く実を着けない。オクラはまあまあ実を着けてくれ私の食卓に毎日上っているが、トマトは成長せず、キュウリは枯れた。
     
     

 そんな暑い8月が終わって、9月になれば少しは涼しくなるかと思ったら、今年は9月になっても真夏のように糞暑い。7月8月が糞暑かったことは私だけでなく、沖縄に住むほとんどの生きものたちも感じたはずだ。そしてまた、9月になったら少しは涼しくなるだろうとは、私だけではなく動物たちも思ったに違いない。
 「おかしいなぁ、何でこんなに暑いんだ!こんなに暑かったらここでは過ごせないぞ、しばらく避難するか」と思い、彼は北へ向かって飛んで行った。
 「暑ぃなぁ!沖縄だよな、いつから熱帯になったんだ?こんなに暑かったらここで子作りなんてできないぞ」と思い、彼らは木を降りて地中へ引っ込んだ。

 9月7日、クマゼミの声を聞いた。クマゼミはその日午前中の一時(20~30分)鳴いただけで、その後は全く聞こえなくなった。その数日前にはアカショウビンの声も聞こえた。アカショウビンも9月7日までは聞こえたが、その後は無い。
 クマゼミは真夏の蝉、アカショウビンは夏鳥だが、今年はどちらも8月には消えていた声だ。動物たちも今年の夏の暑さには勝てなくて、どこぞへ避暑にでも行っていたのだろう。そして、9月になって「もう大丈夫」と思っていたらこの暑さ、アカショウビンはまたも北へ向かい、クマゼミは「ダメだ、今年はもうお終い」となったかもしれない。
     

 私の両親が生前、たくさんの植物を自宅、屋上とかベランダで育てていた植物の内、そのいくつかを形見と思って畑で保存している。門前花壇にあった桜、玄関前にあった鉢植えのクチナシ、屋上にあった鉢植えのアデニューム、鉢植えのシキカン、ベランダにあった鉢植えのサクララン、鉢植えのサボテンなど。それらの内、鉢植えのアデニュームは大きな鉢ごと、シキカンは鉢から出して従姉の夫の土地に置いたり植えたりした。シキカンはゴマダラカミキリに食害され、今はほとんど枯れている。アデニュームは毎年花を咲かせ、今年春、枝を切り取り鉢植えを3鉢作って、今元気に育っている。
 シキカンとアデニューム以外の植物は現在私が借りている畑に植えた。サクラもクチナシもスクスク育ち、実家にあった頃よりサクラは5倍、クチナシは10倍位の大きさになっている。サクラランは枯れてしまった。サボテンも生育が悪かった。
 今年(2017年)7月1日、「サボテンまで枯らしたらあの世に行った時、オヤジにバカにされそうだな、そうだ、鉢上げしてみよう」と思い立った。
     

 地植えしているのを鉢上げする意味は、専門家では無いので「たぶん」となるが、管理がしやすいからだと思われる。その植物に合った気温、光の加減、風当たり、水遣りの加減などが調整しやすいからだと思われる。で、サボテンを鉢上げする。
 両親の形見のサクラランとは別に、友人から頂いたサクラランも畑に植えていた。植えた場所はどれも木陰となる場所で、土は畑の水捌けの悪い土。サボテンも、クチナシが大きく育ったおかげでほとんど木陰となり、土は同じく水捌けの悪い土。鉢上げの際は土に砂と堆肥を混ぜて水捌けを良くし、両方同じプランターに植え、日向に置いた。
     
 それから数日後、そのプランターを見ると、サクラランの葉の多くが枯れていた。「何だ、何が悪いんだ?」と改めて図鑑を開く。サクラランの生育環境は「林内」とあった。「そうか、日向が良く無いんだ」と解った。で、プランターを日陰に置く。
 その後、サクラランは成長もせず枯れもせずであったが、サボテンもまったく成長しない。よーく考えると、サボテンは砂漠に育つ日向大好き植物だ。というわけで、7月31日、サクラランとサボテンを別々の鉢に移して、サボテンは日向に置いた。
 その後、サクラランは変わり映えないが、サボテンはスクスク育った。サボテンを鉢に移して日向に置いてから約40日後の9月10日、サボテンは倍の高さになった。
     

 環境さえ合えば作物は育つ、自然はきっと作物が育つような環境を提供し、人間はその環境に合った作物を栽培すれば良いのだ。ところが、去年の環境と今年の環境が違ってしまえば、去年育った作物が育たないということも有りうる。私が農夫としては劣等生ということもあろうが、この夏、私の畑の作物は概ねが不作。しかし、周りの先輩たちに訊いても今年は作物の出来が悪いとのこと。環境が大きく変動すると農夫は困る。困るので私は、地球温暖化を憂慮し、地球環境に配慮した生活がイイねの立場にある。

 記:2017.9.12 ガジ丸 →沖縄の生活目次


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ろうかの足音

2016年10月07日 | ガジ丸のお話

 19年間住んでいた首里石嶺のアパートは2階建てで、2世帯ずつの計4世帯という小さなアパート。私の部屋は階段を上った2階の奥で、手前の部屋には、私が越してきた時には若夫婦が住んでおり、その後、2人の娘(中学生と小学生)連れの女性3人家族が長く住んでいて、彼らが去った後は女子大生が数年、その後も女子大生が住んでいた。
 最後の女子大生(たぶんその時既に卒業していた)は音大生で、丸い眼鏡をかけたメイドカフェにいそうな可愛い娘であった。私がそのアパートを去る1年半ほど前に彼女は去っていて、その1年半の間、アパートの2階には私しかいなかった。

 部屋の入口側に台所の窓とトイレの窓があり、普段台所の窓は数センチ、トイレの窓は開けっ放しにしている。なので、部屋の中にいても階段を上る足音、廊下を歩く足音がそこから聞こえる。丸い眼鏡の可愛い娘が隣に住んでいる頃、彼女は概ねスニーカーで、その足音はそうであるとだいたい判断できたので、階段から上がってくるその足音がいつか私の部屋の前までやってくるのをオジサンは密かに期待していた。ドアをノックする音が聞こえる。ドアを開けると彼女が立っている。「私を抱いて下さい」と彼女が言う。そんな妄想をオジサンは描いていた。「バッカみたい」な妄想であると自覚しております。
 現実には、階段から上がってくる足音が私の部屋の前までやってくるのは郵便配達人、NHKの集金人、新聞の勧誘員くらいだ。そういった人達の足音は重い、彼女とは違うので、まったく期待はしない。ドアを開け、事務的処理をするのみである。
 彼女が出て行ってからの1年半の間に、階段から上がってくる軽い足音が私の部屋の前で止まったことが1度ある。彼女が出て行って間もなくのことだ。「あなたのことが忘れられません」と彼女が言うのではないかと呑気なオジサンは妄想したが、ノックの音は聞こえなかった。彼女が出て行ったのは2010年4月、私の父が死んだのは同年5月、私の部屋の前で止まった足音は彼女では無く、あの世の使いだったかもしれない。
     

 さて、表題の「ろうかの足音」の「ろうか」、以上長々と書いたどうでもいい「廊下」のことでは無い。「roukanoasioto」と入力して、「廊下の足音」を想像し、以上のどうでもいい話を思い付いただけ。ここで言う「ろうか」は老化のこと。

 私は、歯は丈夫な方で私に金歯銀歯は1本も無い。20年ほど前に虫歯が1本、右下奥歯にできて、金でも銀でもない何かを詰めて貰う治療を2度(2度目は7~8年前)やっているが、それ以降虫歯の治療はやっていない。
 虫歯は無いが、2年ほど前から熱いもの冷たいものを食べると左下奥歯が少し、右下奥歯が激しく沁みて痛かったので去年の2月、歯医者へ行ったら歯周病と診断された。「定期的治療」を歯医者に勧められたが、「年相応、歯が弱るのはしょうがないこと、去る者追わずだ、抜ける者も追わずだ。」と私は思い、その後歯医者へ行っていない。
 小康状態だった右下奥歯の痛みが2ヶ月程前からぶり返した。1ヶ月程前からは口に何も入れなくても痛みを感じるようになった。あまりの痛さで目が覚める日もあった。「この痛さは虫歯か?詰め物が取れたか?」と思って、9月30日、鏡の前で口を開け右下奥歯を見てみた。虫歯である一番奥の歯が小さくなっていたが、詰め物は取れていないようであった。指を入れて触ってみた。「おっ!」と驚いた。歯がグラグラしたのだ。

 他の歯も調べると、右下奥歯の2本と左下奥歯の1本がグラグラした。特に、虫歯でもある右下一番奥の歯は、指で摘まんでグラグラさせて引っ張ればそのまま抜けるのではないかと思われるほど動いた。グラグラさせるだけでも痛いのに、抜いたら激しく痛いだろうなと思い、引っ張るのは止めて、少し浮いていた歯を押しこんだ。
 「そうか、こうやって歯が1本1本抜けていくんだな、そして、やがて入れ歯になるんだな、これが老化ということなんだな」と納得する。歯(正確には歯の根元の歯茎辺り)の痛み、歯がグラグラする、歯が抜けていくなどは老化の足音であると判断した。
 歯をグラグラさせたのは拙かったようで、その後ずっと右下奥歯辺りに違和感が残り、四六時中痛みを感じる。何もしなければ激しい痛みではないが、食べ物を右下奥歯で噛むと激しく痛い。冷たいもの熱いものも右下奥歯へは送れない。何もしなくても鈍痛はずっとある。グーで軽く連打されているような痛み。鬱陶しいことこの上ない。
 歯医者へ行かないのには「老化ならばしょうがない」という理由だからではない。痛みが鬱陶しいので少なくともその痛みを緩和するような治療はしたいと思っている。今住んでいるアパートのすぐ近くに歯医者はあるが、鬱陶しい痛みを我慢し続けている。
 何故我慢しているかと言うと、歯が抜けたら入れ歯になる、抜けるのにも入れ歯を作るのにも時間がかかるはず。歯医者とは長い付き合いになるはず。であれば、次の住まいとなるアパートへ越してから、そこから近くの歯医者へ行こうと思っているから。しかし、新居となるアパートはまだ見つかっていない。我慢はもうしばらく続くかも。
     

 実は、歯が痛みだしたのは2ヶ月ほど前からだが、1ヶ月ほど前に血圧を計ってみたらとても高くなっていた。それ以降ほぼ毎日のように計っているが、160超えが普通、170を超える日もあった。脈拍数も70近い数値、「歯痛は痛いだけでなく、身体全体の健康にも関わるんだ」と認識する。高血圧が原因で脳梗塞とか心筋梗塞で倒れる。高血圧の原因は歯痛である。「奴は歯痛が元で死んだ」と言われるかもしれない。
 うーん、そう言われるのはちょっと情けない気もする。すぐにでも近くの歯医者へ行こうかと思ってしまう。でも引っ越ししたい。どうしようかと今悩んでいるところ。

 記:2016.10.4 ガジ丸 →ガジ丸の生活目次


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しつこい幽霊

2016年10月07日 | ガジ丸のお話

 夏の夜に寝苦しくて目が覚めるというのはたびたびあるが、悪夢でうなされて目覚めるということは滅多にない。私の夢は概ねが楽しい夢である。身に余るほどの幸せな夢も多くあって、そんな時の夢の主人公は私ではなく、私の分身の真迦哉(マカヤ)ということにしている。分身ということにしないと、夢と現実の雲泥の差に悲しくなるからだ。
 夜涼しくてぐっすり睡眠のできた先月9月5日の未明、久々に悪夢にうなされて目覚めるということがあった。私は、若い頃はお化けとか幽霊を怖がったが、少なくともオジサンと呼ばれる歳になってからは幽霊を恐れなくなっている。「頂いた命だ、いつあの世に召されても文句は無い」と思っているので幽霊に呪われても怖くはない。そもそも、幽霊に呪われるようなことを私はやっていない。幽霊が目の前に現れて「うらめしや~」と言ったとしても、「私に?何で?人違いでしょ?」と追い払えると思っている。
 さて、久々の悪夢は幽霊が登場し、私はその幽霊にすごく怯えて目が覚めてしまった。真迦哉は何事にも動じないカッコいい男なので、この時の夢の主人公は私だ。
     

 場所は私が小学生の頃の実家、庭に面した掃き出しの窓を開けると縁側がある。小学生の頃の景色だが、そこにいる私は大人となっている。
 家の中には家族ではなく私の友人達が数名いる。飲んだり食ったりしている。夜も遅くなって女子の1人を男子の1人が家まで送ると言って出ていく。しかし、彼らはすぐに、顔面蒼白となって戻ってくる。「どうした、何があったんだ?」と訊いても、2人は口をアワアワさせるだけで言葉にならない。その時、もう1人の女子が「ギャーー!」と叫び声をあげて縁側を指差した。振り向いて縁側を見ると、そこには赤ん坊がいた。
 全体の形は赤ん坊だが、何か違う、この世のものではないということが判る。それが縁側をハイハイして、閉めていた網戸を開けて部屋の中へ入ろうとしている。私は持てる勇気の全てを搾り出して彼に近付き、「ここにお前が来る用事はなかろう」と言いながら、彼を押し戻し(冷たいが肉体の感触はあった)網戸を閉め、ガラス戸を閉めた。
 部屋の片隅に身体を寄せ合って震えている皆のもとに戻りかけると、女子の何人かがまたも「ギャーー!」と叫び声をあげて縁側を指差す。振り向くと、網戸がゆっくりと動いて、ガラス戸がゆっくりと開いた。そして、さっきの(かどうか、表情がさらに怖い)赤ん坊が顔を見せた。私はまたも彼を押し戻し、ガラス戸を閉め、鍵もおろした。
 縁側から私を睨んでいる赤ん坊がガラス越しに見える。その表情は怖さを増し、身体全体も大きくなっている。しばらく睨みあって、というか、私は彼の目を見て「しつこい奴だ、ここに恨まれるような人間はいない、さっさと去れ」とテレパシーを送っているつもり。そんな私のテレパシーが届かないのか、おろしていた鍵がゆっくりと動いて外れた。ガラス戸がゆっくりと開いた。そして、赤ん坊が入ってきた。彼はもう私の力では動かせないほどに体が大きくなっていた。オジサンという年齢になってからは経験の無い恐怖感が私を襲い、そこで目が覚めた。「わっ!」と声をあげていたかもしれない。

 幽霊に対しても「話せば解る」と思っていたのだが、赤ん坊には話が通じないのであった。解って貰えないと「人違いされたまま呪い殺されるかもしれない」と思って恐怖を感じたのだ。そしてまた、「そうか、相手が日本語の解らない外国人の幽霊の場合もそうなるか」と気付いた。そうなると、幽霊もなかなか手強いぞと思ってしまった。

 怖い話のお口直しに、もう1つ、ほんのちょっと怖い話。
 「柳野優でーす」。「柳野玲でーす」、「2人合わせて柳野ゆうれいでーす」という姉妹漫才コンビが舞台に登場する。
 「柳野ゆうれいですってさぁ、私たちが幽霊みたいに聞こえるね」
 「幽霊って、あのヒュードロドロうらめしや~の幽霊のことね」
 「そう、こんな可愛い2人なのにね、幽霊に見えるかしら?」
 「こんな可愛い2人だもの、幽霊には見えないかもね」
 「それはちょっと悔しいね、だったら、証拠を見せてやろうよ」
 「そうだね、そうしよう」
と言って2人はヒュードロドロとその場から消えてしまう。会場がざわつき、会場内の気温が一気に下がる。公演の内容を予め知っている舞台の裏方や主催者、そして、他の出演者たちは存在しない芸人の登場に、恐怖で既に腰を抜かしている。・・・お終い。 
     

 記:2016.10.6 ガジ丸 →ガジ丸の生活目次


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竜洞谷のエリカ

2016年06月17日 | ガジ丸のお話

 場面は、以前勤めていた職場の事務所、事務員が2人いる頃なので20年ほど前、私は同僚Oさんが現場監督をする工事の書類作りにパソコンとにらめっこしている。その時、事務員の1人K子が入ってきて、「S(私のこと)さん、お願いがある。」と言う。
 「何だ、今忙しいよー、デートの申し込みは後にしてくれ。」
 「デートは来年でも再来年でもいいさぁ、それより、M子が、息子が急に熱出して今日は休みますってさっき電話があった。」と困ったような顔で言う。M子はもう1人の事務員で、同僚のTさんが現場監督をしているもう1つの工事の書類作りを担当している。
 「Tさんの工事、明日提出する書類があるって、それを私にお願いって。」
 「お願いされたらやればいいじゃないか。」
 「数字を入れるだけなら私にもできるけど、その書類さぁ、数字が何でこうなったかって説明する文章もたくさん書かなければならないのよ、それは苦手なのよ。」
 「で、それを俺にやれってか?」
 「Sさん以外にできる人はいないんだから、しょうがないさぁ。」
 「今日は夕方、大事な約束があるんだ、明日ではダメか?」
 「M子が言うにはどうしても今日中なんだって、お願い。」
     

 宇崎竜童が友人のもう1人のミュージシャンと2人で私の実家に宿泊することになっていた。空港まで迎えに行く約束をしていたが、残業になりそうで迎えに行くのは難しくなった。竜童に電話(当時既に携帯電話を持っていた)し、その旨伝える。
 「タクシーで行くから大丈夫だよ、近くに飯食う所ある?」
 「有名な店があります。タクシーの運転手にその名を言えば知らない運転手はいないでしょう。その店から私の実家は徒歩30秒くらいです。」ということになり、やはり残業となった私は、遅れてその店へ向かう。私の車は近所のKさんに「2、3日1台分貸して下さい」と予め頼んであったので、数台分の広さがあるそこの駐車場に停める。
 その時、夜7時を過ぎていたが南国沖縄の夏はまだ薄明るい。Kさん家の娘と思われる5、6歳位の女の子が立っていてこっちを見ている。「こんにちは」と挨拶すると、女の子は満面に笑みを浮かべて「こんにちはじゃないよ、こんばんわだよ」と言う。
 「そうだね、こんばんわだね。お嬢さんはKさん家の子供?」
 「そうだよ、エリカっていうんだよ。」
 「そうか、エリカちゃんか。オジサンはガジ丸って言うんだ、よろしくね。」
 「うん、友達になろうね。」
 「うん、今日から友達だ。・・・エリカちゃん、オジサン、ちょっと用事があるから今日はこれでサヨナラしようね、また会おうね。」
 「うん、バイバイ。」
     

 その後、私は飲み屋へ入る。竜童一行は既にいて、店に入る私を見て「こっち」と手招きし、私が席につくと、「お疲れさん、急な残業だったんだって。」と、テレビで良く見る髭面のいかつい顔が、テレビでよく見る無邪気な笑顔になって言う。
 「遅れて済みません。私も少し飲んでいいですか?」
 「もちろん、どうぞどうぞ。生でいい?」と無邪気な笑顔は言って、ビールを注文してくれた。そのビールを飲んで、少しおしゃべりして、30分ほどで店を出る。
 「車どこ?荷物の多くは車に乗せておきたいんだけど。」
 「その方がいいですね、車はすぐそこです。」と私は2人を駐車場に案内する。荷物を車に乗せていると、駐車場のすぐ傍、Kさん家の窓からさっき友達になったばかりのエリカがこっちを見て手を振っている。私も手を振り返す。
 「可愛い子だね、知合い?」
 「この家の子供です。さっき知合いになりました。」
 「俺も知合いになろうっと、紹介して。」といういことになって、竜童をエリカに紹介した。竜童はエリカのことが気に入ったらしく、大いに語り合っていた。その経験から後のヒット曲『沖縄ベイブルース』が誕生した・・・ということは無い。

 竜童とエリカがおしゃべりしている間、私と竜童の連れの2人は駐車場で立ちっ放しであったが、その時、私の両足、足首からふくらはぎにかけて痒くなった。痒みは腿にまで上がり、それはすぐに異常な痒さとなった。その部分を見る。私は靴下を穿いている、その靴下の中が異常に痒い、靴下を脱ぐとそこに夥しい数のダニがたかっていた。
 そのおぞましい光景と、あまりの痒さで目が覚めた。
     
 
   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 以上は夢の中の話、2016年5月27日の未明に見た夢。8割方は夢、あとの2割は覚めてからの妄想を付け加え脚色している。元同僚のTさん、事務員のM子とK子、宇崎竜童の顔ははっきりと出てきた。女の子エリカは「エリカ」という名前ははっきり覚えているが顔はボケている。そして、もっと強烈に覚えているのは足の痒み。
 5月下旬、畑の、もうすぐ熟しそうであったバナナが何者かに食われ、それを防ぐために袋を被せたら、袋の中が最適空間だったのか、小さな虫の類が大量に発生し、24日、まだ半分は残っていたバナナの房を切り取って畑小屋の中に吊るした。竜童の夢を見たその前日の26日、吊るしていたバナナの実の上列の8本が熟しかけていたので収穫し、ビニール袋に入れ、家に持ち帰った。袋の口はバナナが蒸れないよう開けておいた。
 で、27日の未明、足のあまりの痒さを経験する。おそらく、バナナの実に着いていた虫がそのまま着いていて、私は虫着きのバナナを家の中に持ってきて、虫はバナナから離れて部屋の中に散らばり、寝ている私の足を齧ったに違いない。
 5月31日、部屋の中に見慣れぬ小さな虫を見つけた。まだ何者か判明していないが、ごく小さいので何者かの子虫かもしれない。その後、畑小屋の中のバナナを揺すって、虫らしきものが落ちるのを確認して、その写真も撮った。これもまだ何者か判明していないが、これは先の者よりさらに小さい。もしかしたらダニかもしれない。 
     
     
     
 『アルプスの少女ハイジ』とか『風の谷のナウシカ』とかいったカッコ良く、爽やかな面白い物語にしようと思って『竜洞谷のエリカ』を妄想したのだが、ダニが部屋で繁殖して、寝ている私の全身を襲うといったおぞましい妄想しかできなかった。
 『竜洞谷のエリカ』、宇崎竜童から竜洞、ダニから谷、エリカは夢に登場した可愛い少女の名前からですぐに思い付いた。なかなか良いタイトルと思ったのだが・・・。

 記:2016.6.10 ガジ丸 →ガジ丸の生活目次




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