ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

危険物の置き場所

2013年11月29日 | ガジ丸通信-政治・経済

 先週、ラジオから聞こえてくる気になるニュースの話を書いたが、今週もまたさらに気になるニュースがあった。「中国が防空識別圏を設定し、その範囲には尖閣諸島上空も入っている」というニュース。相互の文化交流や経済の相互依存の度合いが低かった昔なら一触即発の状況ではないかと、呑気な私でも感じた。中国はやる気満々のようだ。

 「すみ!」
 「ぬーが、すみ!」
 「くるさりんどーひゃー」
 「しなさりんどーひゃー」
 などと言い合いがあって、私が若い頃(今でもそうかは、長いこと喧嘩の現場を見ていないので不明)のウチナーンチュは胸倉を掴んだり、殴り合ったりした。
 「やるか!」
 「何だとー、やるか!」
 「殺されるぞー」(クルスは懲らしめるという意もある。ヒャーは罵りの接尾語)
 「死なされるぞー」(殺されるのされるもそうだが、「俺に死なされる」という意)
 和訳するとこうなるが、「死なされる」という日本語は無いかもしれない。「死なされる」と「殺される」は同意で、実際に命を奪うということはほとんど無く、懲らしめるぞといった程度のもの。いずれも「ぶん殴るぞー、いいのか!」との喧嘩一歩手前。
 中国の防空識別圏の設定はそれに近い。「俺の縄張りに入ってきたら許さんぞー!」と言っており、「何言ってやがる、そこは俺の縄張りだ!」と日本が応じている。それが今の状況で、その次には喧嘩一歩手前の「入ってきたら戦うぞ、いいのか!」となる。

  「沖縄選挙区選出の自民党国会議員5人が普天間基地の辺野古移設容認」というニュースもあった。「辺野古移設反対、県外移設を求める」が彼らの選挙公約だったのに、「普天間基地の固定化阻止」を理由に県民との約束を反故にしてしまった。沖縄の自民党国会議員たち、だけでなく自民党沖縄県連も「辺野古移設を容認しないと普天間基地を固定化するぞ!」という国の、やくざみたいな脅しに屈服してしまったようだ。
 辺野古に建設される基地は普天間基地より大きく、滑走路だけでなく軍港も新設され、軍事的にはずっと強力な基地になる計画で ある。強力な基地を造る必要があるみたいである。諜報能力に優れたアメリカは、中国が脅威になることを知っていたに違いない。極東の基地強化が必要だと、市街地にある普天間基地の撤去を言い訳にして新たな強力基地の建設を考えたのであろう。それはでも、アメリカの意思だけとは思えない。
          
          

 中国の脅威はアメリカよりも日本に大きな影響を及ぼす。アメリカの「中国は危ない」情報が日本の一部の官僚や政治家にも伝えられ、危険を感じた彼らが特定秘密保護法の制定を急ぎ、辺野古の基地建設も強引に進めようとしているに違いない。
 でもさ、中国が脅威であれば基地は沖縄でなくてもいいんじゃないの?北京に近い場所に強力な基地を作った方が抑止力になるんじゃないの、と私は思う。臭いものは沖縄に置け、戦火となるのは沖縄だけにしとけ、とでも彼らは考えているのだろうか?

 記:2013.11.29 島乃ガジ丸


この記事をはてなブックマークに追加

お国のため法律

2013年11月22日 | ガジ丸通信-政治・経済

 私の周りの同級生達、20年ほど前はだいたい10人中7人が喫煙者であったが、現在(2013年)はだいたい10人中3人が喫煙者と変わっている。世界的な嫌煙運動は沖縄でもその効果が現れているようだ。ちなみに、私は3人の内の1人。
 煙草には中毒性があって、やめたくてもやめられない人がいるらしいが、私はたぶん、中毒とはなっていないと思う。吸う本数が一日7~8本と少ないし、年に2~3回は休肺日があり、その日も「辛い」などとは感じていない。
 テレビを観なくなって2年4ヶ月、テレビには中毒性がなさそうだ。少なくとも私は全然平気。テレビ番組の多くを占めている芸能スポーツには元々興味は無いが、政治や世界情勢などには多少の関心があるのでニュースは必要、それはラジオで済ませている。

 そんなラジオから聞こえてくるニュースの中で最近気になることがいくつかある。一つは「沖縄の竹富町の教科書問題」、沖縄戦の記述が不十分だからと竹富町は自ら選んだ教科書を使っているが、それは問題があるから、そういうことが今後起きないよう法整備を強めようということになりつつあるらしい。教育に関し国の関与を強めたいようだ。
  もう一つは、もう決まってしまったが「消費税率アップ」。歳出削減となる公務員や議員の給与減額、議員の定数削減などは棚上げしたまま歳入を増やすことになった。歳入を増やすのを「国民のお金から取ってやれ」ということのようだ。
 別の一つは、「辺野古移設を容認しなければ普天間基地固定化となる」という政府自民党の石橋蹴る幹事長の発言。これはまったく脅しだ、やくざと一緒だ。「てめぇら、言うこと聞かねぇと、いつ事故が起きるか分からない危険な基地を街中に置き続けるぞ、命が惜しかったら俺たちの言うことを大人しく聞くんだな!」という脅し。
 「辺野古移設は日本とアメリカの合意事項だから変更不可能」とも彼は言う。この男は頭がどうかしていると思った。あるいは、封建時代の考え方をお持ちなのかもしれない。「お前は奴と結婚しろ、親同士が合意したんだから嫌とは言わさぬ!」という封建時代の横暴。県外移設はその気になれば可能なこと。沖縄県知事は踏ん張って貰いたい。

 そして、これが最も気になっているのだが「特定秘密保護法」。ニュースで聴いた限りの私の認識で言うと、「国が何をやろうとしているのか国民には教えない法」のようだ。今は秘密であってもいずれその効力は失われるのだから、当然、情報公開法も伴なわなければならないと私は思う。つまり、あの時国のやったことは正しかったのかを国民が検証できなければいけない。間違っていたのであればその責任を問うことができるようにしなければならず、間違った理由を追求し、以降そのような間違いが生じないようにしなければならない。間違っても罰を受けないのであれば何でもやりたい放題となる。

 私は何の影響力も無い貧相な沖縄の初老おっさんであるが、先週、平和の権化(漫画家やなせたかし氏のこと)の話をして、「平和っていいな」と改めて強く思った。そして、最近のニュースには不安を感じている。現総理の荒心臓とその一味たちは、富国強兵を目指しているように感じられる。彼らはこれからどんどん、国民は国のために犠牲を払わなければならない「お国のため法律」を増やしていくんじゃないかと不安になる。
          
          

 記:2013.11.22 島乃ガジ丸


この記事をはてなブックマークに追加

エゾビタキ

2013年11月22日 | 沖縄の動物:鳥

 固定観念の無駄

 「女は損得に執着し、男は勝ち負けに執着する」と私は思っている。もちろん例外はあるので、その後に「という傾向が多い」と続けた方がより良い言い方かもしれない。
 固定観念を広辞苑で引くと「固着観念に同じ」とあった。「そうか、固着観念が元々の言い方なのか」と勉強になる。で、固着観念を引く、「絶えず意識を支配し、それによって主として行動が決定されるような観念」とのこと。私の「女は損得に執着し、男は勝ち負けに執着する」という考えは「私の意識を絶えず支配」はしていないし、それによって私の行動も決定されていない観念なので、固定観念とは言えない。

 私が参考にしている『沖縄の野鳥』をパラパラ捲っていると、エゾビタキという名が見えた。「エゾビタキは蝦夷ビタキであろう、北海道で多く見られるのであろう、したがって、沖縄には少ないのだろう、よって、私が出合える可能性は低い」と私は思った。これは固定観念と言える。それによって私の行動が一時決定されてしまった。

  2011年の八重山の旅で撮った写真を整理し、何者か判明していない鳥の類を1フォルダに集め、その写真を1枚1枚眺めながら図鑑と照らし合わせ、何者か判明させる作業を行っている時に、ある鳥をコサメビタキと判断し、そう名前を付けた。
 コサメビタキの前のページにはエゾビタキが載っていた。「エゾビタキは蝦夷ビタキであろう・・・私が出合える可能性は低い」という観念に私の脳は支配され、「エゾビタキにも似ているけど、まさかな」と私は思い、コサメビタキと判断したわけだが、両方の説明文を良く読み、他の図鑑も見て、「あっ、これはエゾビタキだ」となった。

 
 エゾビタキ(蝦夷鶲)
 スズメ目ヒタキ科の旅鳥、または冬鳥 方言名:不詳
 名前の由来、ヒタキはスズメ目ヒタキ科の鳥の総称で、広辞苑に「燧石を打つ音に似た「ひっひっ」という地鳴きをする鳥の意で、本来はツグミ科のジョウビタキを指したものか」とあった。ジョウビタキの鳴き声は確かに、図鑑にもヒッヒッとあり、ヒタキの仲間にはそのような鳴き声のものはいない。なので「ものか?」と疑問形だと思われる。
 エゾについては今回から参考文献に加わった『野鳥ガイド』にあった。「千島、サハリン、カムチャッカなどの北方で繁殖するのでエゾ(蝦夷)」とのこと。
 低地から山地の林、農耕地などに生息し、地鳴きはジッ、ツィーだが、あまり鳴かないとのこと。樹上性で、『沖縄の野鳥』に「目立つ枝に直立した姿勢で止まり、空中で虫を捕らえて元の枝に戻る習性がある」とあった。「空中で虫を捕らえ」るのは他の鳥もやっていることだが、他のいくつかの文献にも同様のことが記されていたので、「元の枝に戻る習性」が本種独特なのかもしれない。
 沖縄では、春は3月~4月、秋は9月~10月にやってきて、一部は越冬する。

 記:2013.11.12 ガジ丸 →沖縄の動物目次

 参考文献
 『ふる里の動物たち』(株)新報出版企画・編集、発行
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄の野鳥』沖縄野鳥研究会編、(株)新報出版発行
 『いちむし』アクアコーラル企画発行
 『検索入門 野鳥の図鑑』中村登流著、株式会社保育社発行
 『野鳥ガイド』唐沢孝一著、株式会社新星出版社発行


この記事をはてなブックマークに追加

平和の権化

2013年11月15日 | ガジ丸通信-社会・生活

 朝起きるとすぐにラジオをオンにする。私は沖縄民謡が好きなので、それをやっている放送局を以前は聴いていたが、今年の3月頃からNHKにしている。NHKはニュースが多い、天気予報も多い、農夫はその日の天気が大いに気になる。
 畑仕事で、除草したり耕したりしている時はラジオを聴くことは無いが、大工仕事など畑小屋近辺で作業をしている時は聴いている。早い時間はやはりHNKだが、7時前からは民放に周波数を替える。ローカル放送局が情報番組をやっている。NHKは全国の、または九州地区の天気予報だが、こちらは沖縄地方の天気予報だ。より詳しい。
 家に帰るとすぐにラジオをオンにする。家に着くのは概ね5時前、民放のローカル番組を聴いている。そのローカル番組に午後6時15分頃から始まる5分間、童謡を聴かせてくれるコーナーがある。先々週だったと記憶しているが、そのコーナーで『手のひらを太陽に』が流れた。私も子供の頃から知っている好きな歌だ。曲が流れる前にアナウンサーが語ったことで、漫画家のやなせたかし氏が亡くなったことを私は知った。

  『手のひらを太陽に』の作詞者はやなせたかし。歌は1961年の発表で、その後、童謡のスタンダードとなったようで、私はたぶん、小学校の音楽の授業で覚えたと思う。やなせたかしが漫画家であることもたぶん、その頃知っている。確か、私が時々読んでいた雑誌、小学館の『小学○年生』の何年生だったかは覚えていないが、漫画家としてのやなせたかしをそれで知り、観て、読んでいる。優しい画風の漫画だった。
 やなせたかしといえば、私にとっては『手のひらを太陽に』だが、一般にはアンパンマンであろう。アニメ『それいけ!アンパンマン』のテレビ放映が始まったのは1988年とのこと。その頃はもう私は大人で、社会人として数年が過ぎていた。それでも、『それいけ!アンパンマン』を観る機会はあった。アンパンマンは友人の子供たちが大好きで、そのお付き合いで私も観たと思う。「良い漫画だ、さすがやなせたかしだ」と思った。

 私が借りている300坪の畑ナッピバル、雑草を刈るのも、土を耕すのも手作業でやっている。耕す作業はしんどい。一度耕して作物を植えた箇所はまだ軟らかいが、新たに耕す箇所の土はとても堅い。鍬ではらちあかないのでショベルを使う。
  鍬を使うとあまり経験しないが、ショベルを使うと頻繁に経験することがある。土中に潜んでいるミミズを切ってしまうのだ。切られたミミズを見るとあの歌を思い出す。「ミミズだーてっ、オケラだーてっ、アメンボだーてー、みんなみんな生きているんだ、友達なーんーだー」、それをぼそぼそ歌い、申し訳ないと思いつつ作業を続ける。
 ちょっと自慢するが、私はゴキブリ、ハエ、カ以外の虫を殺そうと思って殺すことはない。害虫を見つけたら摘まんで、畑の外に捨てている。知らぬ間にカタツムリを踏み潰してしまうことがあるが、カタツムリもミミズも不慮の事故だと諦めている。
 ゴキブリ、ハエ、カについては、私は確信犯である。体にたかるカ、食べ物にたかるハエなどは叩き潰し、家の中に入ってきたゴキブリは即殺する。ゴキブリはバイキンの塊だと信じているからだが、そんな私と違い、やなせたかしはバイキンも殺さない。『手のひらを太陽に』には平和を感じるが、アンパンマンも平和だ。「ミミズもオケラもアメンボも、そしてバイキンも友達にする」やなせたかし、平和の権化だと思う。合掌。
          
          

 記:2013.11.15 島乃ガジ丸


この記事をはてなブックマークに追加

化学兵器禁止畑

2013年11月08日 | ガジ丸通信-環境・自然

 ナツヤと名付けている宜野湾の小さな畑、私が畑として使用しているのは30坪ばかりだが、敷地全体は約100坪ある。畑と畑の周辺は丹念に除草し、その他樹木の下などはたまにしか除草をやっていなかった。それをこの7月から100坪全部を同等に扱うことにした。全体を丹念に除草・・・ではなく、全体をたまに除草という扱い。
 何しろ、新しく借りた300坪の畑、その除草だけで目が回るほど。足して400坪を丹念に除草していたら、私のこの先の人生(残り少ないけど)は除草だけで終わってしまう。足して400坪は同等に、「たまに除草」で済ませようと思っている。
  これまでの30坪の畑でも無農薬有機でやってきたが、除草はこまめにやっていた。コウブシやカタバミ類の根絶はとうに諦めているが、ハイキビ、ススキ、センダングサ類は見つけたらすぐに除去し、今のところそれらはほとんど無い。
 それらはほとんど無いが、コウブシやカタバミ類の他、チドメグサ、オヒシバ、メヒシバ、ハイクサネム、マツバゼリ、オニタビラコ、タンポポ、ハイニシキソウなどがあちらこちらにあり、コウブシやカタバミ類、ハイニシキソウは作物の間にも多い。
 毎日何時間もかけて除草をこまめにやっていれば、そのうち雑草は無くなるのかというと、それはたぶん甘い考えだ。毎日数時間草抜きしたとしても次から次と雑草は芽生えてくるだろう。雑草の種は風に乗っていつでもいくらでもやってくる。

 ナッピバルの隣はTさんという先輩農夫の畑で、冬はキャベツ、夏は冬瓜やモーウイを栽培している。Tさんの農作業は何月に何を植え、いつ収穫するかがだいたい決まっている。もっと細かく言えば、収穫後に除草剤を撒き、乾燥させて燃やし、堆肥を敷き、トラクターを入れて耕し、耕運機を使って畝立てし、苗を植え、肥料を撒き、時々農薬で殺虫し、除草剤を撒いて周囲の雑草を枯らし、収穫に適した大きさになったものから収穫し、農協へ持って行く・・・などといったことをTさんは淡々と進め一年のサイクルとしている。
 Tさんのやり方、具体的に言うと化学肥料を使う、農薬や除草剤を使うといったことに対し、私は文句を言うつもりは少しも無い。それがTさんの農業であり、Tさんの生活だと思うからだ。法律に触れない限り自分がどう生きるかは個人の自由だ。

 私にも個人の自由は許されている。大先輩農夫のN爺様や先輩農夫のNさんに「肥料を使いなさい、使用料を守れば農薬もさほど危険では無いよ」などといった助言を貰うが、私は私の自由を守り、先輩方の意見を取り入れていない。取り入れるつもりも無い。
  私は私の考える自然農法を目指している。自然農法の定義は「耕さない、除草しない、水かけしない」だと聞いているが、私としては、土を耕したら作物が根を張りやすくなり喜ぶ、作物が水を欲しがっていると感じたら水をかけてやる、作物が雑草を嫌がっていると感じたら除草する、そういった農夫の労働も自然の内と思っているので、いずれも大雑把なやり方だが、耕して、水かけして、除草もしている。
 農夫の労働は自然の内だが、化学兵器は自然では無い。なので、農薬や除草剤は用いない。つまり、私の300坪の畑ナッピバルは化学兵器禁止畑というわけである。ただ、それが偉いことだと威張るつもりも無い。人は病気になれば薬を使う。薬は病気に対する化学兵器と言える。化学兵器は人の幸せに役立つことも私は承知している。
          
          

 記:2013.11.8 島乃ガジ丸


この記事をはてなブックマークに追加