ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

ワンシーンが意味するもの

2012年09月28日 | 通信-音楽・映画

  『ボンジュール☆ケベック!シネマウィークin沖縄』なる催し物が9月15、16、17日の予定で那覇で開かれた。沖縄を舞台にした映画『カラカラ』の完成イベントということで、『カラカラ』の監督クロード・ガニオン氏を招いて、概ね氏の過去の映画を上映する三日間、氏がカナダのケベック出身なので「ケベック」とタイトルにある。

 埼玉の友人Kが沖縄へ遊びに来たのは7日、帰ったのは18日。Kが沖縄にいる11泊12日のうち、私が付き合ったのは旅の間の5泊6日と、14日と15日の夜飲んだとので昼間6日、夜8日だけ。Kは空港への送り迎えも断った。私が始めたばかりの300坪の畑仕事に忙しかろうと、気を使ってくれたのだ。優しい男である。 
 宮古諸島の旅6日を除く6日間の昼間、Kは何をしていたかというと、2日間は別の友人Yが付き合ってくれたが、残る4日間は一人で過ごした。優しい男は当初から、私の時間をあまり奪わないようにと沖縄にいる間の3日間を一人で過ごす予定を組んでいた。一人でも退屈しないようにと、彼は映画の3日間パスを購入していたのであった。
 『ボンジュール☆ケベック!シネマウィークin沖縄』の初日と三日目は予定通り開催されたが、二日目は台風16号の襲来で次週に延期となる。次週にKは沖縄にいない。であるが、Kの購入した3日間パスは次週になっても有効である。
  「パスを使ってください。・・・3つとも良い作品です」というKの書き置きと共にそのパスが残されていた。ということで、23日、映画を観に行った。

 午前11時に1本目、午後2時に2本目、午後5時に3本目(ショートフィルム8~9本)があり、終了予定時刻は夜7時、「畑を放って、丸一日を映画に費やすほどの価値がある作品なのかどうか?」と疑問を持ちながら出かけた。
 1本目については特に感想は無い、どんな内容だったかもあまり覚えていない。2本目は監督クロード・ガニオンの作品、これについては少し感想がある。大雑把にいえば、ふてくされた青年を人生経験豊かな叔父さんが立ち直らせるといった内容。
 叔父さんは備前焼の名のある陶工という設定、ふてくされた青年はそこの弟子となる。青年は、焼き物の美に気付きかける。美を知るということは生きる喜びとなり、生きる力にもなる。それが映画の主要テーマかと思いきや、違った。この作品が主張する生きる喜びはもう一つあり、それはセックス。まるでフリーセックスのようにこの男とあの女、あの男とこの女がセックスする。そんなシーンがさほど重要か?と疑問。
 確かに、セックスは生きる喜びであり、生きる力になり得るかもしれないが、それは欲望の充足という簡単な喜びだ。焼き物の美を知る過程の方が私には興味がある。そういった意味で、私にとってこの作品はつまらない作品という評価になった。

 3本目はショートフィルム集であったが、内容はほとんど覚えていない。作品が何本あったかも忘れた。記憶に残っているのはただ一つ『少年と機関車』のみ。
 機関車に挑む少年は、その心に深い悲しみと強い怒りが秘められていることが、別のシーンから想像できた。「頑張れ、負けるな!」と応援したくなる。ただ、そのラストシーンが私には理解できなかった。惹き込まれた作品だけに理解したかった。
          
          

 記:2012.9.28 島乃ガジ丸


煮付け

2012年09月28日 | 飲食:食べ物(料理)

 煮付けというメニュー

 先日、埼玉の友人Kが遊びに来て、9月9日から14日まで『宮古諸島オヤジ二人旅』を一緒した。初日は宮古島泊り。宮古島に着いたのはお昼前だったので、ホテルに荷物を預け、近くの食堂へ昼飯を食いに行った。Kが選んだ店は普通の食堂。
 そこでKは、その店の(正式な名称は忘れたが)スペシャル宮古ソバを注文した。スペシャルの所以はソバの上に乗っている具材、豚三枚肉(ラフテ風味付け)、ソーキ(豚の骨付きあばら肉)、軟骨ソーキ(同部位の軟骨部分)、足ティビチ(豚足)、カマボコなど。ボリュームたっぷりだ。野菜はほんの少しの刻みネギのみ。
 私は沖縄ソバ(宮古ソバ、八重山ソバ等も含め)が好物では無いので、ソバ専門店では無い食堂に入って沖縄ソバを頼むことはあまり無い。概ねご飯ものを注文する。そして、もしその店にそのメニューがあればたいてい選ぶメニューがある。煮付けと言う。

 沖縄の食堂には倭国では見かけないメニューがいくつもある。ゴーヤーチャンプルー、ナ-ベーラーウブシー、ソーミンタシヤーなどなど、概ね、野菜と島豆腐と豚肉、またはポークランチョンミート(スパムとかチューリップとか)を一緒に炒めたり、炒め煮したもの。テビチ汁、ソーキ汁なども含め、それらは名前からしてウチナーグチ(沖縄口)なので、沖縄独特の野菜を使った沖縄独特の料理だな、と想像できると思う。
 沖縄の食堂にはまた、名前は和語だが「その中身は何?」と疑問に思うであろうメニューもある。例えば「おかず」、「味噌汁」なんてのがある。「おかず?ってご飯の副食になるものはみんなオカズでしょ?」と思うはず。「味噌汁?って、定食頼んだら普通付いて来るあの味噌汁?それが主役のメニューって何?」と思うはず。
 「おかず」や「味噌汁」については、いつか述べることにして、もう一つ、「これの中味はいったい何?」と思うであろうメニューがある。それは「煮付け」。

 「煮付け」、広辞苑に「煮付」の表記で載っている。「煮付けること。また、煮付けたもの。」とある。「煮付ける」とは何ぞや?で広辞苑、「野菜や魚肉などを調味した汁がしみこんで味がつくように煮る。」とのこと。沖縄の「煮付け」もその通り。
 倭国なら、例えば「カレイの煮付」、「鶏肉の煮付」、「ダイコンの煮付」などと材料の名前が前に付くであろうが、沖縄の「煮付け」には材料名が無い。なので、「いったい何の煮付けなの?」と、知らない人は戸惑う。しかし、私のように知っている人は何ら戸惑うことは無い。「肉や野菜を煮付けた料理である」と認識できている。
 どんな肉や野菜を煮付けたのかは店によって違うが、概ねは、豚肉(三枚肉とかソーキとか)、ダイコン、ニンジン、ゴボウ、結び昆布、島豆腐(または揚げ豆腐)、コンニャク、チキアギ(揚げカマボコ)などが入っている。
  味付けは砂糖と醤油が基本。なので、店によって味の差(上手下手は多少ある)はあまり無い。であるが、「どんな肉や野菜を煮付けたのかは店によって違う」ので、この店はどんな具材を煮付けているのであろうかと楽しみある。よって、その店にそのメニューがあればたいてい「煮付け」なるメニューを私は頼んでいる。

 宮古島の、Kが昼食に選んだ普通の食堂で、私が注文した「煮付け」は、これまで私が食べた「煮付け」の中でも断トツに材料の種類が多かった。三枚肉、テビチ、ソーキ、軟骨ソーキという肉類、厚揚げ、ゴボウ、ダイコン、ジャガイモ、ニンジン、ヤマイモ、カボチャ、ピーマン、結び昆布など野菜も豊富。美味しかった。
 

 記:2012.9.28 ガジ丸 →沖縄の飲食目次


人事を尽くさず天罰を受く

2012年09月21日 | 通信-その他・雑感

 沖縄島最接近時には910ヘクトパスカルに達すると予想され、「強さも大きさも過去最大級の台風です、最大級の台風対策をお願いします」とラジオも言っていた台風15号は、最大瞬間風速70mの予報が40m程度に留まり、被害は少なかった。
 「今年は台風の当たり年」と15号の話で前にも書いたが、15号が沖縄島を襲ったのは8月26日、それから3週間が経った9月15~16日にもまた、沖縄島は台風に襲われた。台風16号だ、16号は何と15号を超える勢力、905ヘクトパスカルで最大瞬間風速は75mと予想された。5泊6日の「宮古諸島巡りオヤジ二人旅」から沖縄へ帰ると台風接近中となっていた。沖縄に着いたのは9月14日の4時頃、家に着いたのは5時頃、すぐに宜野湾の畑、金曜日の職場を回って台風対策をする。
 翌日15日、西原の畑へ行き、作成途中で強度がまだ十分でない畑小屋を補強した。板を打ち付けたり、重しを乗せたりなどの補強。

 『人事を尽くして天命を待つ』は「人間として出来るかぎりのことをして、その上は天命に任せて心を労しない。」(広辞苑)のことだが、台風対策で言えば、出来るかぎりの補強をして、あとは「なるようになるさ」と平然としていれば良いとなる。
 畑小屋の補強を終えて、私は確かに、「なるようになるさ」と平然としていた。しかしながら、畑小屋の補強に「人事を尽くした」とは言えなかった。

  畑小屋の左側の柱、中央の柱、右側の柱それぞれの前後にアンカーを設けている。前の柱の手前アンカーから屋根を回して後ろの柱後方のアンカーまでロープを張り、小屋が風圧で浮き上がるのを防ぐためのアンカーだ。台風15号の際に、中央の柱のアンカーにはロープをかけた。その時の小屋はまだ壁板を貼っておらず、受ける風圧もそう強くは無いと予想し、補強ロープも中央の1本で十分と判断した。
 ところが、台風16号がやってくる時の畑小屋は多くの壁板が貼られている。暴風の風圧を強く受けると予想された。畑小屋に板を打ち付けたり、重しを乗せたりの補強をした後、「これで大丈夫かなぁ、不安だなぁ」と思い、右側、左側の柱にもロープをかけようかという考えが頭をよぎった。ロープを買いに行って、2ヶ所にロープをかけ終えるまでには1時間以上かかる。「面倒だなぁ、よし、後は運を天に任せよう」と、人事を尽くさぬまま天命を待つことにし、私は実家の台風対策に向かったのであった。

  台風16号が通り過ぎたのは17日のお昼前、さっそく畑小屋を見に行った。「グワーン」と頭の中で鐘が鳴った。畑小屋の被害は大きかった。右側の柱2本が10センチほど浮き上がっている。そのため、小屋がやや傾いてしまった。これを直すには、柱を埋め込む穴5個所を全て掘り直し、柱を再設置しなければならなかった。
 また、基礎ブロック上に乗せている部分も数センチ浮き上がり、全体が後方に8センチほどずれてしまった。そのため、後方が基礎ブロックからずり落ち、その衝撃で基礎ブロックの4枚が浮いてしまった。これを直すには、小屋を持ち上げ、基礎ブロックを設置し直し、全体を手前にずらさなければならなかった。大仕事となってしまった。
 今朝のニュースで「台風17号が発生」とあった。今度は人事を尽くすつもり。
          
          

 記:2012.9.21 島乃ガジ丸


キャッサバ芋

2012年09月21日 | 飲食:食べ物(材料)

 そこはかと無いジャガイモ

 キャッサバという名の観葉植物があることを私は若い頃から知っていた。タピオカという名の澱粉があることはそれからずっと後、オジサンと呼ばれる歳になってから知った。もっとも、オジサンと呼ばれる歳になってからもう20年ばかりは過ぎているので、タピオカの存在を知ってからもそれくらいの年月は経っている。
  「キャッサバの塊根を磨り潰して採れた澱粉がタピオカである」ことを知ったのはそれよりもまだずっと後だが、それでも、少なくとも10年くらい前には知っている。芋が食えるのであれば、自給自足芋生活を目指している私なら早速畑に植えても良さそうなものだが、「塊根を磨り潰して澱粉を採る」のは面倒そうだと思い、躊躇っていた。

 「タピオカの芋はそのまま煮て食べても美味しい」と、脱サラ農夫の友人Tから聞いたのは去年の初め頃だったか、それからしばらくして叔父からも「タピオカからは澱粉も採れるけど、芋を煮て食べたりもする。」と聞き、「これはぜひ畑に植えなくては」と思ったら、その叔父から「挿し木で簡単に増えるから今度取りに来たらいい、何本か準備しておく」と話はとんとん拍子で、すぐに貰いに行った。去年6月のこと。
  貰った枝を8本ばかり早速挿し木した。それらはすくすく育って大きくなって、その年の12月には地上部が枯れた。キャッサバ芋の掘り時だと思ったが、その頃はたぶん甘藷も採れていて、キャッサバ芋まで消費する余裕が無いと思って、掘らなかった。

 一旦地上部の枯れたキャッサバは、温かくなるとまたすくすく育ち、大きくなって、夏には去年の2倍位に広がった。「今年の冬は食わなきゃ」と思っていたら、8月初めにやってきた台風11号のお陰で、キャッサバの1本が根こそぎ倒れ、その根に芋がいくつも着いていたのを発見し、「食えそうじゃ無ぇか」と、収穫して食った。
 キャッサバ芋は大小合わせて8個ばかり。その半分を煮て食った。形は甘藷(サツマイモのこと)だが、食べると味も食感もホクホクのジャガイモにほとんど近い。食感はジャガイモより少し固め、味はジャガイモよりも無味無臭かもしれない。
 煮たキャッサバ芋、繊維が縦に流れていて、指で縦に割ると簡単にほぐれていく。中央に細いけれどもとても固い繊維が1本走っていて、それは食えないので取り除き、適当な大きさ(フライドポテト位の)にほぐし分けたキャッサバ芋をバターを絡めるようにして炒める。形はバラバラのデコボコだが、これはもう匂い(バターの匂いだが)も味(バターの味だが)もジャガイモのバター炒めと区別できないものであった。

  「ジャガイモよりも無味無臭」と書いたが、そうでは無いかもしれない。どう表現したらいいのか喩えが見つからないのでそう書いた。とにかく癖はほとんど無い。
 後日、残ったキャッサバ芋を蒸して食ってみた。塩などで味を付けなくてもそのまま普通に食えた。なので、何かしらそこはかとない味があるのだと思われる。とはいえ、その日、その蒸したキャッサバ芋のほとんどはマヨネーズを付けて食った。たぶん、塩を付けて食えば日本酒の肴になると思うが、その日の酒はワインだったので。
 
 
 
 
 キャッサバ(cassava):鉢物・野菜
 トウダイグサ科の常緑低木 原産分布はブラジル、中南米 方言名:キーウム
 キャッサバという名前の由来は文献に無く、不明。原産地の言葉かもしれない。学名の属名はManihotと言い、和名の別称としてマニホットとある。
 方言名のキーウムは木の芋という意味。ただ、『沖縄植物野外活用図鑑』は方言名をタピオカとしてあった。タピオカはtapiocaと書き、たぶん英語。地下に大きな塊根ができ、それから採れる澱粉をタピオカという。沖縄では古くから馴染みのある食べ物で、澱粉も塊根もその親であるキャッサバも共にタピオカと呼ぶこともあったのであろう。
 高さは3mほどに留まり、細い葉は涼しげな感じを受ける。で、観葉植物としても利用されるのであるが、しかし何といっても、タピオカ澱粉は大事な食料。サツマイモと並んで、熱帯地方の重要な主食の一つとなっている。そのまま煮て、食える。

 記:2012.8.31 ガジ丸 →沖縄の飲食目次


混沌畑への期待

2012年09月14日 | 通信-環境・自然

 畑のことをウチナーグチ(沖縄口)ではハルと言う。農夫のことはハルサー(畑をする人)で、畑小屋のことはハルヤー(畑の家)となる。
 従姉の別荘は当初、従姉夫婦がのんびり畑仕事をしながら老後の生活を送るために建てられた。したがって、建てた頃は庭の面積の多くを畑が占めていた。畑のある家ということで、その別荘のことをハルヤと名付けた。命名者は従姉でもその夫でも無く、私。その名は別荘が建って一年も経たない内に、従姉夫婦の周囲に広く認識された。
 ハルヤから50mも離れていない場所に私の畑がある。8月に開墾を始めたのでナツヤと名付けた。私の畑と書いたが、土地の持ち主はハルヤの持ち主である従姉の亭主。空き地だった土地を管理する代わりに只で貸して貰っている。

 ナツヤの、コンクリート舗装された駐車場を除く面積は約100坪、そこにはリュウキュウコクタンの高木が17本、その他ゲッキツ、マンゴーなどの樹木が計25本程あり、それらと果樹を植える予定個所を含めた面積が約35坪、バナナが約5坪を占め、枯れ木や刈草置場などに使用している部分が約10坪あり、それから、畑を、もっと大きく言えば土地というものを楽しんで使おうという発想から縦横に園路を設けた。ということで、ナツヤの、畑として使える面積はそれらを差し引いた約30坪ほどなる。

  園路を設けて区画割りされている中、畑の約30坪には少し、そこ以外の約70坪にはたくさんの雑草が生えているが、それらも蔓延っているというほどでは無い。背が高くなり、足元が見えなくなるような雑草、ススキとかセンダングサの類は生えていない。それらは見つけたら除去している。ナツヤは概ねすっきりした畑だと言える。
 それに比べ、従姉夫婦が管理しているハルヤは混沌畑である。その庭にはいろんな種類の植物がほとんど無秩序に多く植えられている。それだけでごちゃごちゃした印象を受けるが、庭にも畑にも雑草が蔓延っていてごちゃごちゃを増している。「もう歳だから動けないのよ、いいのよ雑草はたまに刈るだけで、のんびりでいいのよ。」と仰る。
          

 混沌畑でも、そこからは少量とはいえ毎年何種類かの無農薬野菜や果物が採れる。種を播き、大地と太陽と雨の恵みがあれば、作物は育つようである。
 私のすっきり畑は、甘藷が害虫に酷くやられ、ゴーヤーやモーウイなどの瓜類はウリハムシに、ピーマンやナスはカメムシに、キャベツやカリフラワーなどはモンシロチョウの幼虫に食害されてしまう。カタツムリも多くいていろんな野菜を齧っている。
  そこでふと、思った。すっきりしていると害虫も好物を見つけ易いのではないかと。いろんな植物があると、害虫の天敵となる益虫も住みやすいのではないかと。
 というわけで、私が今、仮に借りている300坪の畑はナツヤ風では無く、ハルヤ風の混沌畑にしようと考えている。いろんな種類の果樹を植え、野菜も一時にいろんな種類が生えているようにする。野菜に太陽の恵みが当たれば良いという考えで、雑草も適当に刈るだけで、いつでもいろんな種類の草が生えているようにする。
 そうやって、実際に無農薬で作物がちゃんと育つかどうか、不安も大きいのだが、楽しみである。いや、無農薬に拘る以上、混沌畑に期待する他無いと考える。
          

 記:2012.9.14 島乃ガジ丸