ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

晴耕雨読は難し

2007年09月28日 | ガジ丸通信-社会・生活

 9月初め、水納島を訪れた。私は二度目の訪問である。一度目は15年前のこと。前回も遊びで、今回も遊び。前回も日帰りで、今回も日帰り。半日の滞在。
 遊びで行って、しかもたった半日で、それで島の暮らしがどういうものかなんて分るはずも無いが、15年前の水納島は好きだった。その頃は観光客もほとんどいなくて、それを目当ての若者向け今風の店なども無くて、のんびりした田舎の雰囲気で、静かな島であった。時間がゆーーーーーったりと流れていた。
 静かにのんびりと暮らすことを、常々私は望んでいる。加齢臭に加え、口臭も発散しているオジサンは今や鼻摘まみ者である。人前に出ることは人迷惑となっている。なので、そういった隠遁生活は、他人のためにも良いことだと思うのである。

 9月の中頃、テレビとステレオが同時に壊れた。そのため丸二日ばかり、テレビを観ない、ラジオも音楽も聴かないという生活を送った。小さなガ、アリ、クモ、ヤモリ以外には同居人のいない部屋なので、テレビとステレオが無ければ、人の声は無い。とても静かである。久々にギターを弾き、歌を歌う。良い時間だと思った。

  15年前、のんびりした田舎、静かな島、ゆったり流れる時間を好きだと思ったが、そこで暮らしたいなどとは思わなかった。たまに訪れるのはいいが、住むとなると退屈するだろうなと感じたからだ。15年前は、私も若く、欲に満ちていたのである。
 今なら、生活できる金があればの話だが、田舎でのんびりと静かに生活し、それを楽しむことができると思う。ただ、テレビは無くてもいいが、これほどパソコンに頼っていると、パソコンは生活に欠かせない。
 テレビとステレオが壊れていた間、ギターを弾いたりもしていたが、多くの時間を、私はパソコン作業に費やしていた。文章を書いたり、写真の整理をしたり、作曲したものをデータ化したり、などである。でも、そういったことが私にとって本当に必要なことなのかと、改めて考えると、それらも”我欲”に違いないのである。人生の達人から見れば、私もまだまだ若造なのである。若造は、もうしばらく若造でいようと思う。
          

  「晴耕雨読」とは、「晴れた日は外に出て耕し、雨の日は家にいて書を読むこと。田園に閑居する自適の生活にいう。」(広辞苑)ということだが、今はまだ若造の私ではあるが、いつかは晴耕雨読の生活をしたいと思っている。などと、言うは易しである。
 6月下旬からこれまで、私は晴耕をやっていない。私の畑は今、見るも無残な姿となっている。常備のニラの他は、雑草の間からナスが1株立っているだけだ。私の畑がそうなっているのは、忙しかったということもあるが、夏の晴耕は厳しいのである。ほんの30分ほどで参る。クラクラする。晴耕雨読、行うは難しである。
          

 記:2007.9.28 島乃ガジ丸

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温暖化の症状2

2007年09月21日 | ガジ丸通信-環境・自然

 8月31日(金曜日)、部屋で朝飯食っていたら、ジーワッ、ジーーーーワッと鳴くクロイワツクツクの声が聞こえた。夏の終わりを告げるセミである。これからしばらくはこのセミの季節である。・・・のだが、去年もそうだったと記憶しているが、今年もまた、私の住む近所のクロイワツクツクはその日一日だけの出現だった。
 思い返せば、7月12日から13日にかけて沖縄島を襲い猛威を振るった台風4号が過ぎ去ってから、セミの声が小さくなったような気がする。8月の後半からはほとんど聞こえなかったように覚えている。去年も確か、セミの消えるのが早かった。セミたちが何を考えているのか知らないが、環境の何がどのように影響しているのか知らないが、これも地球温暖化による症状の一つなのかと思われる。

  子供の頃、しばしば遭遇した夕立が、ここしばらく(10年か、あるいは20年)はずいぶん減ったように感じている。だが、今年の夏はスコールが多かった。朝立、昼立、夕立、晩立などと時間に関係なく降った。それも、にわか雨という言葉の響きから感じられるような雨でなく、熱帯地方のスコールのような激しい雨であった。今までに無いことである。これも地球温暖化による症状の一つなのかと思われる。
          

 地球温暖化は、北極の氷が溶けつつある、ヒマラヤの万年雪が溶けつつある、海水温が上昇しつつあるなどと、着実に進んでいるようであるが、気温そのものの上昇は場所によっていくらか違いがあるようで、ただ一目散に右肩上がりでは無いようだ。
 今年の夏、前半は非常に暑く、後半はそうでもなかった。本当にそうか、気象庁のサイトを見る。夏は梅雨明けから始まるので、6月下旬からの那覇の平均気温。
     6月下 7月上 中   下   8月上 中   下   9月上
 2005年 27.9  29.0  29.1  29.5  29.4  28.9  28.8  28.3
 2006年 29.3  29.5  28.4  29.3  28.8  29.2  29.4  28.9
 2007年 28.9  29.7  28.9  30.2  29.5  28.4  28.4  27.9
 ということであった。非常に暑かった去年と比べても8月上旬までは今年の方が暑い。しかし、8月後半からは今年の方が1度ほど低くなっている。そして、それはその通り、その頃から私は、夜寝る時、一度も扇風機を使っていない。窓を開けていれば涼しい風が部屋の中に流れ込んできて(それでも30度あったが)、夏の割には快適であった。

 私の感覚で言えば、8月30日に秋風が吹いた。以来、明け方にはタオルケットが必要なほどに涼しい日が、週に一日、週に二日、週に三日と増えてきていた。
 ところが、「やったぜ!暑さも終わりだ。これから快適な夜だ。」と思っていたら、台風11号が過ぎてから暑さがまたぶり返した。今週は扇風機を2回使った。
 これからは、例年がこうだからということが当てはまらない季節変化となるかもしれない。これは間違いなく、地球温暖化による症状の一つだろう。

 記:2007.9.21 島乃ガジ丸


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発明020 アリンクリン

2007年09月21日 | ユクレー島:博士の発明

 マナが帰ってきた。約一ヶ月ぶりのことである。マナは元気だった。心のモヤモヤは消えたみたいで、晴れ晴れとした表情をしていた。
 「帰ってきたばかりで疲れてるでしょ、今日は休んでていいよ。客としてそこに座ってなさい。」と優しく言うマミナ先生に、
 「大丈夫だよ、ゆったり、のんびりした旅だったからね、疲れはほとんど無いの。リフレッシュしてさ、すっごい元気なんだよ。」と答え、カウンターに入った。

 ユクレー屋は、昼間は雑貨屋兼喫茶店であり、夕方から飲み屋となる。ケダマンはほぼ毎日、私は週末のみ、飲み屋開店のだいたい1時間前から店に入り、開店前の準備を手伝っている。主に掃除、テーブルのセッティングなどをやっている。マナがやってきたのは我々が掃除をしている最中のことであった。
 我々が掃除をし、テーブルのセッティングをしている間、オバーとマミナとマナは三人で料理とカウンター内の準備をしている。二人でできることを三人でやっているのだ。ずいぶんと余裕があるようで、ずっとユンタク(おしゃべり)している。
 三人のユンタクのほとんどは私の耳にも届く。私に聞こえた限りでは、その内容の多くは、一ヶ月もの間マナがどこで何をしていたかということのようであった。
 それによると、マナの一ヶ月はそのほとんどを、ガジ丸に紹介してもらったユイ姉のところに厄介になっていた。ユイ姉はナハの街で小さな飲み屋をやっており、そこで働かせて貰い、また、ユイ姉のアパートに寝泊りしていたとのこと。

 開店前の準備が終わる。オバーが暖簾をかけ、外の灯がついて、ケダマンと私はカウンター席につく。さっそくビールを頼み、労働後の旨い一杯を腹に入れ、一息ついた後に、カウンターの向こう、目の前に立っているマナに尋ねた。
 「ユイ姉の店にいたんだってね。どんな店?マナは何していたの?」
 「ユクレー屋よりはずっと洒落た感じの飲み屋さんだよ。ジャズバーっていうのかな、ああいうの。小さい店なんだけどね。そうだなあ、ここの三分の一くらいかなあ。ピアノが置いてあって、静かに時間を楽しむ大人の雰囲気の店って感じ。」
 「そのピアノを弾くのがお前の仕事だったのか?」(ケダ)
 「まさか、いや、1回弾いたんだけどさあ、『あんた、下手ねぇ。2、3年はみっちり練習しないと、ここでは演奏できないよ。』ってユイ姉に言われたさあ。私の仕事は料理やお酒を運ぶウェイトレスよ。それから、あんたたちと同じ、掃除よ。」
 「それじゃあ、そこのピアノもここと同じで、ただの飾りなの?」(私)
 「ううん、そこはちゃんとした弾き語りの店だよ。ユイ姉の他にもう一人、若い女の人が一緒に働いていてね、その若い人が時々ジャズを弾いてるの。ユイ姉もジャズをたまに弾くけど、彼女の場合はポップスとか古い歌謡曲の方が多かったな。」とマナは言って、それから何かを思い出したように、ウフオバーに声をかけた。

 「オバー、そういえばさあ、ユイ姉の店って、他の店に比べたらきれいなんだと思うんだけどさあ、ユクレー屋は段違いにきれいだよね。台所なんて不思議なくらいきれいだよね。何か特別な洗剤とか掃除道具を使ってるの?」と訊く。
 「そういわれたらそうだねぇ、私の家の台所も毎日掃除しているんだけど、こんなにきれいって感じはしないねぇ。なんでかねぇ。」とマミナもオバーの顔を見る。
 「あんたたちも使っているから分ると思うけど、道具も洗剤も普通さあ。」とオバーは答える。そう言う通り、確かに台所にある食器洗剤や換気扇用の洗剤は、日本の有名なメーカーである葉王の商品である。スポンジも雑巾も普通のもの。
 「あ、でもねぇ、一つだけ他ではあまり見かけない洗剤があるよー。ゑんちゅとケダマンが使っていた床掃除用の洗剤は他所には無いかもねぇ。」(オバー)
  「おー、それってあれか?」と、さっきまで我々が使っていた洗剤の容器を、ケダマンが掃除道具用の倉庫から取ってきた。その容器にはアリンクリンと書いてある。アリンクリン、そういえば今まで気にも留めなかったが、あまり聞かない名前である。
 「うん、それ。シバイサー博士の発明した洗剤さあ。」(オバー)
 「えっ、それは知らなかった。・・・うん、そうか博士の発明か、さすが博士、優れた洗剤を発明してたんだ。」と私が興奮気味に言うと、オバーは首を振って、
 「何でも洗えるからアリンクリンっていうんだけどね、確かに何にでも使えることは使えるんだけどね、まあ、その意味では優れているかも知れないけどさあ、食器洗いや換気扇洗いなんかは、それ専用の洗剤の方がずっと勝っているさあ。アリンクリン(あれもこれも)って駄洒落だけの発明品だと私は思うさあ。」とのこと。
 「ひつこい汚れにアリンクリン」と得意げに歌う博士に、「役に立っていない」とは言えないので、今は床掃除専用として使っているとのこと。
     

 記:ゑんちゅ小僧 2007.9.21


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温暖化の症状1

2007年09月21日 | ガジ丸通信-環境・自然

 9月9日の日曜日にパソコンのモニターが壊れた。それはテレビ兼用だったので、それ以降、テレビを観ることができなくなった。
 12日(水曜日)の午後、「安部総理が辞めた」ということを社長から聞かされて、夕方のニュースを聞く。画像の無い音声だけのテレビニュースである。音声だけを聞きながら安藤優子の顔を想像する。ちゃんと想像できる。画像の無い音声だけのテレビでもそれなりに楽しめるということを知った。で、翌日は朝からテレビをつける。

 その日、朝のニュースに無かったことが夜のニュースにあった。台風11号が沖縄に向かっているというニュースである。「台風?ずいぶん急だな。」と思う。
 翌日金曜日の朝のニュースでは、「夕方には沖縄本島地方が暴風圏に入るかも」ということであった。「えーっ!そんなに急なのかよ。」と思う。画面に映っているであろう天気図を観て確かめることができないので、「入るかも」の「かも」がどの程度の確立なのか自分で判断することができない。「画面は必要だ」と思う。

 母を見舞いに病院へ行き、電気屋さんに寄って液晶ディスプレイを買い、金曜日の職場には12時過ぎの出勤となった。一通りの台風対策を終えて、従姉の亭主に訊く。
 「台風が近付いているみたいだけど、強いの?」
 「いや、たいした勢力では無い、昼のニュースでは975くらいだったよ。」
 975ヘクトパスカルなら、確かにそうたいした強さでは無い。それでも私の住まいでは、ベランダの簾を下ろしたり、外の鉢物を寝かせたり、畑のナスなどに支柱をしなければならない。4時前には帰る。帰る前にネットで天気図を確認する。
  台風11号、14日14時の時点で960ヘクトパスカルに発達していた。台風は海水温が高いと発達する。沖縄近海は海水温が高い。よって、台風が沖縄へ向かいながら発達するのは普通である。沖縄付近で最大勢力となり、沖縄を過ぎると海水温が低くなるので勢力を落としていく。沖縄が台風銀座と呼ばれるゆえんでもある。
 ところが、台風11号、沖縄を過ぎて朝鮮半島へ向かいながら、なお発達していた。15日9時の時点で、940ヘクトパスカルとなっていた。沖縄の近くで発生し、発達しながら北上し、九州辺りで最大勢力となるような台風がこれから増えるかもしれない。台風銀座という称号は九州に譲渡ということになる。これも地球温暖化の影響である。

 気象庁によると、台風11号が発生したのは13日(木曜日)午後とのこと。発生した場所は南大東島の南南東約390キロとのこと。時速20キロで進んでいるので、南大東島までは1日もかからない場所。沖縄近海で発生した台風である。いずれそのうち、沖縄は熱帯地域となり、九州は亜熱帯地域となるに違いない。
          
 
 記:2007.9.21 島乃ガジ丸


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瓦版041 酒豪の肴

2007年09月14日 | ユクレー島:瓦版

 「今日は土曜日だしさ、ガジ丸も、勝さんも新さんも太郎さんも来るしさ、宴会でもしようか?」とマミナが、カウンターに座っているケダマンと私に向かって言う。
 「土曜日と、ガジ丸、勝さん、新さん、太郎さんが来るのは毎週1回、決まってやってくるじゃないの。毎週、宴会ということになるじゃないの。」と私が応える。
 「いや、まあ、そう言われればそうだけどさ。マナが旅に出てもう一ヶ月くらいになるでしょ。傷心も癒えて、そろそろ戻ってくるでしょ。今日辺りが、私がユクレー屋のカウンターにいる最後の土曜日かなと思ってさ。」
 「おー、そういえば、マナが旅に出てからもう一ヶ月になるか。早ぇもんだな。しかしあいつ、何してるんだろうな一ヶ月も。自殺でもして無ぇかな。」(ケダ)
 「自殺は無いだろうよ。何度もどん底を味わって、それでも生きてきている女なんだからさ、今更、男に振られたくらいで死にはしないよ。」(私)
 「そうだよ。そんな軟な女じゃないよ、マナはさ。」(マミナ)
 「ところでさ、宴会って、俺たちいつも宴会みたいなんだけど、何するの?」(私)
 「そうだね、涼しい風も吹いているしさ、外でやろうか。今夜は月の無い夜だからね、星がきれいだよ。天の川もくっきりだよ。庭にゴザを敷いてさ、勝さんたちにサンシンでも弾いてもらってさ、皆で歌い、踊り明かすなんてのはどう?」(マミナ)
 「外?・・・歌い踊り明かす?・・・って、それ、来週やるじゃない。」(私)
 「あっ、そうか、来週の初めにはもう中秋の名月だね。月見だね。」(マミナ)
 「んだ、いいよ、今日は中で。今から準備するのも面倒臭いしよ。」(ケダ)
 「準備するって、あんた、何準備するつもりだったの?いつもただ座って、飲んで、食べて、歌って踊るだけじゃないの。それとも、今日は料理でもしてみる?」(マミナ)
 「バカ言うんじゃ無ぇ、自慢じゃないが、男子厨房に入らずを頑なに、一生守り続けてきた俺だぜ。料理なんかできるわけ無かろう。」(ケダ)
 「んじゃ、何を準備するんだい?」(私)
 「何って、うーん、例えばだな、料理を運ぶとかだな・・・。」(ケダ)
 「まあ、それはそれは、有難いさあ。そんな機会がきたらお願いね。」(マミナ)

  なんて会話をしているうちに、ガジ丸、ジラースー、勝さん、新さん、太郎さん御一行がやってきた。ジラースーが手に持っている袋をマミナに渡して、
 「マミナ、これ、近所の農家から貰ってきた。ズッキーニとか言ってた。キュウリのような形をしたカボチャのような味の野菜だとよ。知ってる?料理できる?」
 「はいはい、知ってるさあ。料理も任せてちょうだい。」とマミナは言って、
 「あっ、そうだ。今日はさ、みんながあまり食べたことの無い料理をいろいろ作ってあげるよ。私の日頃の酒の肴なんだけどさ。」と続けて、台所へ向かった。

 酒豪マミナの肴とは楽しみである。ケダマンと私もカウンターを離れ、テーブルを二つ合わせて、皆と同じ席に着き、マミナの料理を待った。
 座って5分も経たない内に、
  「ケダ、こっち来て!」とマナが大声でケダマンを呼ぶ。
 「えーっ、なんだい!今座ったばかりだぜ。」と嫌がるケダマンであったが、
 「料理運ぶんだよ!今、その機会が来たんだよ!」と怒鳴られて、渋々、マミナのもとへ行く。さっきの約束が早速果たされることとなった。
 最初の一皿はヒジキのサラダで、前菜とのことであった。それからそう間を空けることなく、ズッキーニのソテー、アーサヒラヤーチー、マーボオクラ豆腐、煮ダイコンなどなどが次々と出てきた。どれも美味しかった。皆の評判も良かった。
     

 「確かに美味いんだが、マミナ、これ全部野菜じゃないか。おめぇ、こんなのばっかり食っていて、何でそんなに太っているんだ?」とケダマンが訊く。「美味い」だけで済ませばいいものを「太っている」なんて要らん事を言う奴、と思ったが、マミナはユーナやマナとは違う。大人である。ケダマンの軽口を軽く右から左へ受け流す。
 「私の体はね、脂肪で丸くなってるんじゃないのさ。私の体には人々からの愛と、人々への愛の、両方の気が充満して、それで丸くなってるのさ。」とニカッと笑う。確かにその通りなのだと思う。マミナの心は深くて広い感じがする。

 皆がマミナの美味しい料理を味わって、幸せになって、ある程度飲んで、さらに幸せになって、愉快な気分になった頃、マミナが言う。
 「ピアノでも弾こうか?ジャズやポップスはできないけど、童謡、唱歌ならたいていのものはできるよ。みんなも知っている曲を弾くからさ、みんなで歌おうよ。」
 ということで、この夜はマミナ先生の伴奏で、皆で懐かしい唱歌、童謡を歌い、愉快な上、幸せな気分に浸りつつ、夜は更けていった。
 ふーけゆくー あーきのよー ・・・歌声が夜空に響き渡った。
     
     
     
     
     

 記:ゑんちゅ小僧 2007.9.14


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