ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

カメジロー

2017年09月22日 | ガジ丸通信-音楽・映画

 畑仕事が全然間に合っていないので、休んでいる余裕はないのだが9月19日映画を観に行った。休んでいる余裕はないのに何故映画?かというと、手元に映画の只券が2枚あって、その期限が迫っていたからという理由による。いや、それよりもっと大きな理由がある。「観たい映画があった」という理由。観たい映画は『・・・カメジロー』。
 その日はしかし、映画『・・・カメジロー』の前にもう1本観た。特に観たいと思った映画ではなく、『・・・カメジロー』が始まる時間の少し前には終わるからという理由だけで選んだ『ボブという名の猫』、そういう理由で選んだので、その映画に関する感想は特にない。「麻薬中毒になったら立ち直るのに大変なんだなぁ」といった程度。
 何故、1日に2本も映画を観たか?については、那覇(桜坂劇場がある)に出掛けるのが面倒で、映画の只券2枚は1日で使ってしまおうと思ったから。
     

 さて、本命の『・・・カメジロー』、正確に書くと『米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー』という題、「米軍」には「アメリカ」と振り仮名がふってある。
 『ボブという名の猫』を観終わってエントランスホールに出ると、人がたくさんいる。チケットを買う客がずらっと並んで映画館の外にまで続いている。そして、『・・・カメジロー』を上映する、桜坂劇場では最も大きなホールA(2階にある)へ上がる階段に人がたくさん並んでいる。当初、火曜日(18日)に観に行く予定を立てていたが、『・・・カメジロー』は人気があると噂に聞いていたので、翌日に順延とした。平日でも並ぶほどの客がいる。並んでいる人々を見て気付いた。「あっそうか、カメジローを知っている人は私より年上の人達、既にリタイヤした人達だ、平日も休日も関係無いんだ」と。
 『ボブという名の猫』が終わって『・・・カメジロー』が始まるまでには20分ほどの時間差があって、その間に、近くの公園で一服する予定だったが、それは中止。チケットを買うのに並んで、ホールに入るまでも並んで、ホールAの中へ入る。客はそれでも七分の入り。七分はしかし、桜坂としては珍しい大入り。
 ホールAの入口にチケット確認する係員がいた。若くて美人だ、ということで私は声を掛ける。「今日は平日だから空いているかと思ったら混んでますね」と。
 「はい、お陰さまでありがとうございます。」と彼女は言って、中へ入る私の後に付いてきて、七分入りの中を見回した後、「でも、今日はまだ少ない方です。休日は満席になります。昨日までの連休も満席でした。」とのことであった。

 『米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー』のカメジローは瀬長亀次郎のこと。戦後から沖縄の日本復帰前後にかけて活躍した沖縄の政治家。瀬長亀次郎に私がキャッチフレーズを付けるとしたら「ウチナーンチュが最も愛した政治家」となる。
 「ウチナーンチュが最も愛した政治家」は、亡くなってから15年も経っているだろうか、今でもまだ人気は衰えないようである。入場者数は既に1万人を超えたとのこと。この先10月、11月、あるいは12月までのロングランを予定しているとのこと。ウチナーンチュの人権を守るために不屈の闘志で、非暴力の闘いを続けた政治家。そんなカメジロー(私の祖母は亀さんと呼んでいた)が今でも愛されている。それに私は大いに感動した。もちろん、何度も目頭が熱くなったほど映画にも私は感動し、大満足した。
     

 記:2017.9.22 島乃ガジ丸


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正国民を描く『はだしのゲン』その2

2017年08月18日 | ガジ丸通信-音楽・映画

 先週のガジ丸通信『国のインチキ』の続き、
 西原町立図書館から借りたDVD『はだしのゲン』を、8月6日にその前編、8日に後編を観ての感想。DVD『はだしのゲン』は2007年8月に放送されたフジテレビのドラマで、前後編合わせて約3時間半の間、私は何度も、たぶん、10回以上はナダ(涙)ウルウルさせていた。悲しみの涙ではなく感動の涙。歳取って涙腺は緩んでいるが、歳取って感受性も鈍っているのでナダソーソーまでには至らなかった。
 ただ、ナダウルウルも久々だったので、「ドラマにも良いものがあるんだなぁ」と前編を観終わった時に思った。テレビを家から追い出したのはもう6年以上前だが、それ以前から私はテレビを集中して観ることは少なかった。夜のニュース番組は注視することもあったが、朝の「めざましテレビ」や昼の「笑っていとも」を時計代わりに見ていた程度、ドラマは集中して観ないと意味が判らないので長いこと・・・私が最後に集中して観ていたテレビドラマは確か『ちゅらさん』だ。調べたら2001年の放送だった。
 
 さてさて、個人的感傷に浸ってしまったが、ドラマ『はだしのゲン』のどんなところで私はナダウルウルさせたのかというと、先ずは主人公ゲンの父親、中井貴一演じる大吉の凛とした姿勢、周りから非国民扱いされても信念を曲げることのない姿勢に涙。
 大吉は「戦争はいかん」と公言する、そのため、国のインチキ政策によって洗脳されてしまっている周りの人々から非国民扱いされ、大吉だけでなく家族みんなが様々な迫害を受ける。大吉は警察(憲兵だったかも)に引っ張られ、数日監禁され、そこで殴る蹴るの暴行を受ける。それでも大吉は国のインチキに迎合しない、その姿に涙。
 大吉の長女(中学生くらい)が校長室で服を脱がされ校長と担任教師から暴言を浴びせられる。大吉を非国民呼ばわりする筆頭の町内会長、その息子(小学生)の「財布を盗んだのを見た」という讒言によるもの。それを知った大吉が校長室に押しかけ、町内会長の息子を呼ばせ、彼に本当のことを言うように諭す。すると、息子は「父親にそう言うよう命令された」と白状する。大吉は男の子の頭を撫で許し、そのまま振り返って校長と教師を殴る。「あー、カッコいい、サムライだぜ」と、ここでも私はウルウル。
 大吉と長女とゲンが学校から家に帰る道の途中、急にゲンが走りだし、止まって、振り向いて「お父さん大好き」と叫ぶ。その後、長女も走りだし、止まって、振り向いて「お父さん大好き」と叫ぶ。ここでまたもウルウル。これが家族の姿だと感激。
     

 大吉を非国民呼ばわりする校長、教師、官憲、町内会長、その他の多くの人々、彼らは当時の多数派であり、おそらく当時の普通だ。国によってそのように洗脳されている。ただ1人、隣家のバクさんだけが「戦争を嫌う大吉さんを尊敬している」と言う。
 戦争に反対する大吉のような人を非国民とするのは、謂わば、当時の流行(国の洗脳政策による)だったのかもしれないが、日本国(ここでは政府では無く国土と国民のことを言う)のことを思い、日本国の平和と人々の幸せを願っているという点から見れば、私は大吉こそ正国民だと評価したい。彼こそ正しい日本人であると称えたい。
 私ならどうしているかとも想像してみた。自分と家族(いればの話)が迫害を受けることを考えれば、私は大吉になれない。でも、少なくともバクさんではありたい。
     
 記:2017.8.18 島乃ガジ丸


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国のインチキ『はだしのゲン』

2017年08月11日 | ガジ丸通信-音楽・映画

 今週日曜日(8月6日)、辺野古新基地建設反対の立場にある宜野湾市民フォーラム木曜会、その主催による第6回市民シンポジウムが行われ、私も参加した。今回は「辺野古工事の深刻な問題点」というタイトルの講演で、講師は奥間政則氏。
 「辺野古工事の深刻な問題点」を、私が理解できた限りで言うと、汚濁防止膜に不備があり、このままでは海が汚染されるが、防衛施設局はその指摘を無視したまま工事を続けようとしている。辺野古の埋め立て予定区域は地盤が不安定である、不安定な地盤の上に建設予定の構造物を設置するには設計変更が必要である。辺野古の埋め立て予定区域近辺には断層があり、断層が工事区域内にあると建設はできないが、防衛施設局はその調査をしていない、あるいは、調査をしていてもその結果を公表していない。
 などということだが、いずれにせよ、国は工事を何が何でも強行しようとしているように感じられる。国には目論見がある。「来年の名護市長選、及び沖縄県知事選に国寄りの候補者を立て、現市長、現知事に勝って、設計変更の認可を得れば良い」という考え。逆に言えば、現市長、現知事が負けたら、平和運動家たちはお先真っ暗となる。
     

 講師の奥間政則氏の語ったことで講演内容とは別に私の記憶に残っていることがある。奥間氏は一級土木施工管理技士の資格を持ち、沖縄では大手の土木会社で働いていたが、それを辞めて今、辺野古、高江の基地建設反対運動に関わっている。何故?
 奥間氏の両親はハンセン病患者で、国策により理不尽な差別を受けていた。そういうこともあって、国に対する不信感があり、反対運動に関わっているとのこと。実際に高江の建設現場では工事のインチキを見て、今回は辺野古基地のインチキを指摘している。
 ハンセン病に対する政策のように国は時に間違いを犯す。あるいは、「お国のため」だと言って平民など多少の犠牲を被ってもしょうがないという考えからインチキをする。そのインチキの最たるものが先の大戦。数多くの平民が国のインチキの犠牲となった。

 シンポジウムが行われた8月6日、シンポジウムが終わって、畑仕事に戻って、7時過ぎ家に帰ってシャワーを浴びて、無上の幸せであるビールを飲みながら、私は西原町立図書館から借りたDVD『はだしのゲン』を、その前編を収めた1枚を観た。
 8月6日は72年前広島に原爆が落とされた日。DVDはその数日前に前編、後編の2枚を借りていたが、観るのは広島を意識して8月6日まで待った。
 漫画の『はだしのゲン』を私は知っている。何度か目にして読んだと思う。広島の原爆を題材としている、主人公は小学生の、丸坊主で目が輝いている少年などということは知っているが、しかし、詳しい内容はほとんど知らない。『はだしのゲン』が連載されている頃、私はもう漫画をあまり読まなくなっていた年齢だったと思われる。
 『はだしのゲン』のドラマがあることを、西原町立図書館のDVDコーナーを物色している時に私は初めて知った。DVDの表紙には中井貴一が映っている。であれば、そう古くはない。調べると、2007年8月に放送されたフジテレビのドラマだ。
 ドラマ『はだしのゲン』を観ても、私は国のインチキを強く感じた。中井貴一演じるゲンの父親は「この戦争は間違っている」とはっきり言う。家族や自分が周りから迫害されてもその信念は曲げない。私は久々にナダ(涙)ウルウルしてしまった。
     

 記:2017.8.11 島乃ガジ丸


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肉を喰らわば『ブタがいた教室』

2017年08月04日 | ガジ丸通信-音楽・映画

 今年(2017年)3月6日から一ヶ月半ほど介護施設の運転手というアルバイトをしていた。アルバイトはお年寄り達の送迎で、朝の約1時間半、夕方の約1時間半を拘束された。もちろん、昼間の空いている時間は、私は概ね畑仕事をしていた。
 バイトを始めてから2週間ほどが経った頃、日記を調べると正確には3月18日、その日はバイ先から畑へ行く前に家に寄ってパソコン作業をし、昼飯食って畑へ着いたのは1時過ぎ、駐車場から畑小屋までは30mほどあるが、車を降りてすぐにその存在に気付いた。畑小屋の傍に白い塊があった。私の畑にアヒルが迷い込んでいた。
 私が近付くとアヒルは逃げて行ったが、まだ畑内にはいた。彼(彼女かも)を放っておいて畑作業をし、午後4時にはバイト先へ。バイト先には友人の娘、もうアラサーとなったが今でも可愛いA嬢が職員として働いている。彼女を呼んで、
 「アヒル食べる?」と訊く。
 「何?アヒルって、鳥のアヒル?食べるの?」と逆に訊かれる。
 「もちろん食えるさ。畑にアヒルが迷い込んできたんだ。ここの料理人はアヒルを潰して捌けるかな?誰かできる人がいれば捕まえて持ってくるけど。訊いてみて。」
 それから2、3日経ってA嬢に訊くと、女性職員が20名ほどもいるが誰もアヒルを潰せないし捌けないとのこと。ということで、介護施設でのアヒル鍋は実現しなかった。
 ちなみに念のため、潰(つぶ)すは「食用にするために殺す」(広辞苑)の意で、捌(さば)くは「魚・鳥などを、切り開いて肉・骨などに分ける」(〃)の意。
     

 アヒルを、私も潰せない。いや、やろうと思えばできないことはないと思う。子供の頃に父が鶏を潰すのを見ている。父はそれを専門としているわけではないが、父の世代であれば多くの人が潰し方捌き方を見て知っており、経験しているのであろう。
 父は鶏を風呂場へ持って行き、逆さに吊るして首を切り、血を出して、お湯を沸かし、鶏をタライに入れ、沸騰したお湯をかけ、羽をむしり取った。ほぼ一部始終を私は見ていたが、それを気持ち悪いとはあまり思わず、料理された鶏は美味しく頂いた。
 そういえば高校2年生の頃、私はやっていないが、友人の数人が鶏を自分たちで潰して捌いて食っている。親しい友人の1人に久米島出身の男子がいて、夏休み、親しい友人数人で久米島へキャンプに行った。彼の祖父母が住む家の近くにテントを張って、何泊かした。その時、祖父母から生きた鶏を頂き、少年たちは鶏を潰し捌く経験をした。逞しい少年たちであった。私は部活の合宿があって一足先に帰ってその経験をしていない。

 今年5月、西原町立図書館から借りたDVD『ブタがいた教室』、それを観て、3月のアヒルを潰せる人がいない事件を思い出し、「命を頂くということ」について考えさせられた。スーパーへ行って肉を買う時、その肉が捌かれる前、潰される前の生きていた頃の姿を思い浮かべることはほとんど無い。でも、肉は間違いなく命だったのだ。
 『ブタがいた教室』では結局、自分たちで飼っている豚を潰して食べることはしなかった。子供たちが多くの思いを抱いて、討論しての結論だ。それはそれだけでも良き教育になったのだと思う。「美味しく食べている肉も元は命、それを食べられるのは感謝すべきこと」だと感じたはず。私も反省し、肉を喰らわば感謝も忘れないようにしよう。
     

 記:2017.8.4 島乃ガジ丸


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きれいな引き際

2017年07月21日 | ガジ丸通信-音楽・映画

 「暑いよ~」といくら泣いても嘆いても涼しくはならないのだが、「暑いよ~」と毎日毎日、何度も何度も口から出てしまう。「夏って、こんなに暑かったっけ?」と、今年もまた強く思う。クマゼミの大合唱も始まった。真夏だ、バカ暑い真夏が始まった。

 そんな暑い中の7月11日(火曜日)、桜坂劇場へ映画を観に行った。特に観たい作品は無かったのだが、桜坂劇場の映画招待券が2枚あるので、それを消費しに。
 真夏の糞暑い太陽の下、バスに乗って那覇往復の内、バス停から桜坂劇場まで5分の道程、往復10分、お昼前と午後2時頃というもっとも暑い時間帯に、田舎よりもなお暑いと想像される那覇の街を歩いた。田舎より都会が暑い・・・と思いきや、
 畑にいる時、太陽の下では激しく暑い。太陽の熱が激しく暑い。ところが、那覇の街の空気は暑いが、そこに射す太陽は畑で感じるほどの激しい暑さは無かった。
 いやいやそんなことはないはずと歩きながら考えた。映画館に着く頃には「たぶんそうであろう」という答えが見つかった。クーラーのお陰なのだ。バスの中はクーラーが効いている。それに冷やされた私の体には冷蔵効果が残っていたのだと思われる。クーラーの効いた映画館から出て、久々の那覇の街、あちこち回ってみようとも考えていたが、バス停に着いた時その気は失せていた。冷蔵効果は5分間だけのようだった。

 さて、あまりに糞暑いので前置きが長くなったが、その日観た映画は『人生フルーツ』というドキュメンタリー。大雑把にいえば老夫婦の愛の物語だ。老夫婦の愛の物語といえば最近、調べると2016年11月4日付ガジ丸通信『心を作るもの』で紹介した映画『ふたりの桃源郷』もそうであった。その中で私は「体は食べ物で作られるが、心は食べ物では作られない。心は他者との関わりで作られる。ということを思い知らされた映画でもあった。」と感想を述べている。今回の『人生フルーツ』も概ね同じ感想。
 私は、夫婦とは親子よりも深い絆で結ばれているものと期待している。数年後には高齢者となるのに結婚経験の無い私が言うのも何だが、そうでなければ夫婦の意義が半減するのではないかと思っている。『ふたりの桃源郷』の夫婦にも『人生フルーツ』の夫婦にも深い絆を私は感じた。「いいなぁ、こんな夫婦」と、面倒臭がりやで結婚を避けてきた私であるが、そう思った。しかし、夫婦の深い絆は、喜びも悲しみも共有してきた長い年月が必要なのであろう。そう考えて、若い内に結婚しときゃあ良かったと後悔。
     

 『人生フルーツ』にはもう1つ、別の感想も持った。映画の中で主人公の夫の方の死が描かれているが、その時、「きれいな引き際だなぁー」と思った。妻に幸せを与え続け、自らも幸せであり続け、周囲から感謝され尊敬される仕事を残し、ある日突然、黙ってこの世から去る。「おー、見事!」と声が出そうになる程の引き際であった。
 「きれいな引き際」と書いて、もう1つ思い出した。最近(6月下旬)西原町立図書館から借りて観た映画『蜩ノ記』でも「きれいな引き際」を感じた。主人公は役所広司演じる熟年侍、10年後の切腹が決まっていて、その日まで一所懸命働いている。ついに切腹の日が来て、城へ向かうその姿と、振り向いて家族に向けるその微笑みが素敵。まこときれいな引き際だと感服致してござる。そして、彼を見送る妻も素敵だった。
     

 記:2017.7.21 島乃ガジ丸


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