ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

EPOまどろみ音楽

2007年08月31日 | 通信-音楽・映画

 先週末は旧盆、土曜日がウンケー(迎えという意味のウチナーグチ)、月曜日がウークイ(送りという意味のウチナーグチ)であった。例年ならどちらの場合も、実家へは夕方から顔を出せば済み、昼間は自分の時間であった。掃除したり、散歩したり、畑仕事をしたりなどして過ごせた。今年はしかし、母の入院で、私にもあれこれやることが増え、中日を加えた三日間共に、昼間と夕方の二度ずつ、顔を出した。
 8月に入ってから毎週金土日は母を見舞いに病院へ行っている。金曜日は父の食事作りもある。それだけで、週末の散歩と畑仕事をする時間が無くなってしまった。畑仕事は2ヶ月近くやっていない。部屋の掃除は2週間やっていない。トイレ兼風呂場の掃除、及び台所の掃除は4週間やっていない。

 そんな忙しい中、ウンケーの前日の金曜日、コンサートに出かけた。ライブやコンサートに、私はそう行く方では無い(のかどうか、世のオジサン連中はどの程度そういったものに出かけているのだろうか?)。友部正人や高田渡など我が青春の音楽、及び、最近のお気に入りである鈴木亜紀などのマイナー系はさておいて、少なくとも、自ら進んでポップス系の有名どころのライブやコンサートに出かけたことはこれまで一度も無い。でもその日は、初めて、自ら進んで、テレビにも出る、大ヒット曲もある有名どころの歌手のコンサートに出かけた。場所は桜坂劇場、演者はEPO。

 毎度のことだが、私は開演時間ギリギリに着く。場内は、桜坂劇場に似合わず(失礼)満席に近い。でも、私は席を探さない。席では無く、美人妻Iさんを探す。前日のメールのやり取りで、先に着いた方が席を取っておくことになっていたのだ。彼女は約束通り、前後の中央、左右の中央付近に席を取って、待ってくれていた。
 会場は桜坂劇場である。映画館である。舞台にはスクリーンがある。そのスクリーンに映像が映され、音楽が流れていた。EPOの作品のプロモーションビデオであろうと想像できた。映像には沖縄の景色と沖縄の人々が映し出されていた。後で聞いたところによると、その日リリースされた作品のプロモーションビデオとのこと。その作品は沖縄がテーマになっているとのこと。これもまた、後で知ったのだが、EPOは沖縄が大好きで、ほとんど毎年のように沖縄を訪れているとのことであった。

 ビデオが終わって、いよいよEPOの登場。先週、EPOのことを「元気になる音楽」と書いたが、始まって3曲ばかりはアフリカの音のような、大いなる大地が思い浮かぶような、何か宗教的な、精神性の高そうな音楽であった。
  そのような音楽なので、当然のごとく私は瞼が重くなった。寝た、とまではいかなかったが、まどろんだ。EPOの歌声が流れる中を夢うつつの状態で過ごした。
 有名な『Down Town』、『うふふ』などは確かに「元気になる音楽」であったが、最初の数曲は「まどろみ音楽」だと私は感じた。今の私はその「まどろみ音楽」が好みである。思えば、「元気になる音楽」が好きだった15年か20年前、私は元気が無かった(肉体はずっと元気、心がである)のかもしれない。今の私は心身ともに大元気。「元気になる音楽」は特に必要としていない。「まどろみ音楽」が良い。EPOの「まどろみ音楽」は大地にしっかりと根を張ったような力強さがある。スグレモンだと思う。
          

 記:2007.8.31 島乃ガジ丸


瓦版039 脳汁節

2007年08月24日 | ユクレー瓦版

 ユーナが夏休みで帰ってきているので、その夜のカウンターにはユーナとマナの二人が立ち、我々の、私とケダマンの相手をしてくれた。
 「ユーナ、良い子はもう寝る時間じゃないのか?」とケダマンが意地悪そうに言う。
 「バーカ、私は”良い子”の”良い”でもなければ、”子”でもないよ。もう18歳になったんだぜ。それにまだ、8時をちょっと過ぎたばかりじゃない。チョイ悪娘の私にとっては、夜はこれから始まるのさ。」と顎を突き出して言い返す。
 「何だ、そのチョイ悪って、どこがちょっと悪いんだ?顔か?頭か?」(ケダ)
 「うっ、ケダマンがカッコ良く見える。」(ユーナ)
 「何だそれ?」(ケダ)
 「私、目が悪いみたい。」(ユーナ)
 「あっ、はっ、はっ、はっ、ユーナの勝ちぃ。」(私)
 などと、我々は愉快に時間を過ごしていたのだが、マナは静かであった。失恋の後遺症がまだ残っているみたいである。
 
 そんなところへガジ丸がやってきた。カウンターの私の隣に腰掛けながら、
 「ユーナ、お前、あさって帰る予定を1週間延ばすって言っていたが、次の次の日曜日だと、夏休み最後の日だろう?大丈夫か?」と声をかける。
 「うん、日曜日じゃなくて、その前の金曜日に帰るから大丈夫。」(ユーナ)
 「金曜日って、その日に船は出ないぞ。」(ガジ丸)
 「ケダマンに送ってもらうよ。ねっ?」(ユーナ)
 「聞いてないぞ、俺は、そんな話。」(ケダ)
 「今、聞いたじゃない。お願いね。頼りにしてるよオジサン。」とニッコリ微笑む。可愛い娘にニッコリ微笑まれたんではケダマンも断れない。
 「しょうがねぇなあ。今度の金曜日だな。わかったよ。」(ケダ)

 などと話をしている間も、マナは静かなままである。黙ってお酌をしたり、料理を出したりしている。そんなマナにガジ丸も気付いて、
 「マナ、大丈夫か?あんまり悩むと体に悪いぜ。ほどほどにすれば。」と言う。ガジ丸の言葉に、マナは軽く肯いて、微笑んだ。元気の無い微笑だ。悩みは深いようである。悩みが深い、・・・ってことで、私は先週のことを思い出した。で、訊いた。
 「あっ、そういえば思い出した。先週、シバイサー博士が歌っていたんだけどさ。目から鼻から耳から口から脳汁が出るって、脳汁出しながら歌っていた・・・。」(私)
 「脳汁節ってやつだ。」(ケダ)
 「そう、あれさー、ガジ丸が作ったんだろ?どんな歌なの?」(私)
 「ノウジルブシ?・・・目から鼻から耳から口から?・・・あー、脳汁節か、それなら確かに俺の作った歌だ。でも、シバイサー博士が、何で?」(ガジ丸)
  「あんまり思い悩んでいるマナを見てさ、思い詰めるのは良くないぞって意味で、博士が脳汁節を歌ってあげたんだそうだ。面白そうな歌だったんで、ちゃんと聴いてみたいと思ってね。覚えてる?今、歌える?」(私)
 「うーん、覚えてるっていっても、決まっているのは錆の部分だけで、概ね即興の歌だからな、その錆の部分だけなら今、歌えるぞ。」(ガジ丸)
 「即興って、その時思ってることが歌詞になるってことか?」(ケダ)
 「そういうことだ。ほぼ語りだ。今で言うラップだな。沖縄音楽の節を借用している。タカデーラマンザイ(高平良万歳)だったかな。沖縄には昔からラップがあったというわけだ。まあ、秋田にも秋田音頭って伝統的なラップがあるがな。」(ガジ丸)
 「ガジ丸も、目から鼻から耳から口から脳汁を出しながら歌うの?」(ユーナ)
 「いや、俺はそんな器用なマネはできねぇよ。」(ガジ丸)
 「あー良かった。あれ気味悪いもん。じゃあ、歌ってみて。」(ユーナ)
 「うん、そうだな。最近、教科書から沖縄の集団自決に係わる文章が削除されたっていう問題があっただろ。それを材に、即興でやってみるよ。」(ガジ丸)
     

 というわけで、その後、ガジ丸の脳汁節が一通り歌われた。面白い歌だった。ガジ丸が歌い終わった後、即興の部分にどんな歌詞が入るか、我々も試してみた。いろいろな歌詞ができた。みんなで歌った。楽しかった。
 そんなこんなで夏の夜は賑やかに更けていったのだが、マナは一人、静かなままであった。ガジ丸がトイレに立ったとき、マナに呼び止められて、二人で何やらヒソヒソ話をしていたのを見た。後でガジ丸に訊くと、
 「しばらく休んで、旅に出たい。」と、マナが申し出たということだった。

 記:ゑんちゅ小僧 2007.8.24 →音楽(のうじる節)


晴れたらいいね

2007年08月24日 | 通信-その他・雑感

 何度か書いていると思うが、私の部屋のテレビは室内アンテナで、NHK、NHK教育テレビ、沖縄テレビ(フジテレビ系)、琉球放送(TBS系)、琉球朝日放送(テレビ朝日系)をそれぞれ観る際は、アンテナの位置を動かさないと、それぞれがちゃんと映らない。”ちゃんと映る”は一般的な”ちゃんと”では無い。ウチナーンチュらしく”テーゲーちゃんと”である。最上でも多少は画面がザラザラしている。たまに実家などでテレビを観ることがあるが、「こんなにくっきりしているのか!」と驚いたりする。
 何年も前から現在まで、私の部屋のアンテナは動かしていない。面倒だからである。したがって、多少は画面がザラザラしている程度にちゃんと映るのは、ある一つのチャンネルに限られている。今は沖縄テレビ(フジテレビ系)となっている。
 なので、私はフジテレビのアナウンサーについては多少知っている。他局のアナウンサーでは安住伸一郎を知っているくらいだが、フジテレビなら、書き出すのは面倒なのでやらないが、10人くらいは名前をあげることができる。そんな中でも、若い頃から好感を持っていた女性アナウンサーがいる。益田由美である。

 何ヶ月前だったか忘れたが、ある日曜日、久々に早起きした。まだ午前7時。朝弱い体質が続いていたせいで、もう1年くらい観ていないが、日曜日の朝7時といえば好きな番組をやっている。さっそくテレビをつける。・・・番組が違う。
 日曜日の朝7時のフジテレビと言えば、『晴れたらいいね』では無かったか。私の好きな益田由美が企画し、たびたび出演もしていたアウトドアの番組では無かったか。それが何か、トーク番組のようなものに替わっていた。
 数年前までは老人のように早起きだった私は、『晴れたらいいね』をよく観ていた。アウトドア生活をあれこれ紹介していた番組であった。アウトドアは私も趣味の一つにしている。ところが『晴れたらいいね』、数年前から旅番組のようなものに変質した。たまたまその頃から朝寝坊に体質が変わったこともあって、「元のアウトドアがいいんだがな、旅番組なら別に観なくてもいいか。」ということになっていた。

  『晴れたらいいね』の初期、タイトルバックに流れていた音楽が好きであった。何という題名の曲だったかは覚えていないが、その歌声からして、確か、EPOが歌っていたと思う。インターネットで『晴れたらいいね』のHPを見たが、その情報は無かった。

 私は、昔レコード、今CDを合わせて120~130枚ほどのアルバムを所有しているが、クラシックやジャズ、沖縄民謡などはともかく、日本人歌手のポップス系では、テレビの歌番組に出るような、ヒットチャートの上位に出てくるような歌手のアルバムはほとんど持っていない。私の好みがたまたまそうなっている。
 有名どころの歌をほとんど聴かない私だが、EPOの音楽はちょっと好きである。元気がでる音楽だと思う。『晴れたらいいね』のタイトルバックに流れていた音楽も何か元気の出る歌であった。今日の夜、EPOのライブが桜坂劇場である。聴きに行く。
          

 記:2007.8.24 島乃ガジ丸


発明019 できたてのモヤモヤ

2007年08月17日 | 博士の発明

 珍しく週末、それも暗くなってからシバイサー博士がユクレー屋にやってきた。カウンターのケダマンの隣の、私の隣に腰を下ろしながら、
 「ユーナ、ビールくれ。」と声をかけた。
 「あれ、博士、マナがいないって知ってたんですか?」と訊く。
 「あー、マナは私のところでボーっとしているよ。」
 「ほう、そりゃあまた、何で?」とケダマン。
 「何か随分沈んだ顔をしていたからな、あんまり思い詰めると脳汁が出てしまうぜと脳汁節を歌ってやったんだ。実際に脳汁を出しながらだ。そしたら、余計モヤモヤしてきたと言うもんでな、モヤモヤ吸取り機にかけた。で、今、自分の脳から出たできたてのモヤモヤを眺めながらボーっとしている。これからどうするかを考えているのだろう。」
 「脳汁節って何?」とユーナが訊いたので、博士がここでも歌った。
 「目から鼻から耳から口からん、あね、汁ぬ出(いじ)ん、脳汁ぬ出(いじ)ん・・・(以下略)。」と歌いながら、博士はここでも脳汁を出した。
「うげっ、止めてよ!気持ち悪い。」とユーナは言うが早いか、手に持っていた布巾を博士の顔めがけて投げつけた。その布巾で、目鼻耳口から出た脳汁を拭きながら、
 「えっ、そんなに気持ち悪いか?・・・うーん、そうか、そんじゃあマナも、気分が悪くてボーっとしているのかもしらんなあ。」と博士は言う。しかし脳汁節、私は興味を持った。面白いと思った。ケダマンも私と同感のようで、
 「博士、その歌、博士が作ったのか?面白れぇな。もっと聞かしてくれ。」
 「いや、ガジ丸の作詞作曲だ。私はさっき歌った触りの箇所しか知らない。」
 「どんな内容の歌かは覚えていますか?」(私)
 「うーん、もう何年も前に聴いただけだからなあ、はっきりは覚えていないが、あんまり思い悩むと脳汁が出るって歌だったと思う。詳しくはガジ丸本人に聞いてくれ。」

 などと我々が会話している中を、ユーナが割って入った。
 「いいよもう、そんな気味悪い歌の話は。それよりさ、マナが使ったっていうモヤモヤ吸取り機って何よ。できたてのモヤモヤって何なのさ?」
 それについては私も興味がある。
 「何なんですか博士、モヤモヤ吸取り機って?」とユーナに続けて訊く。
 「思い悩んでいることを脳から吸い出す機械だ。」
 「何の役に立つの、それ?」とユーナは訊くが、聞かなくともマジムン(魔物)の私には大体解る。同じくマジムンであるケダマンも解っているようで、
 「人間の悩みなんてのはな、たいてい大したこたぁ無ぇんだ。死んでしまいたいと思うほどの悩みでもな、客観的に見れば屁みたいなもんなんだ。だからよ、思い悩んでることを吸い出して、それを外から眺めてみようってこった。な、博士。」
 「その通り。」
 「ふーん、そうなんだ。で、吸い出した悩みって、どんな形してるの?」(ユーナ)
 「モヤモヤしている。だから、モヤモヤ吸取り機なんだ。」(博士)

  博士によると、一つの悩みは、たいてい一つのモヤモヤとして出てくる。そのモヤモヤは、たいてい一本の糸がぐちゃぐちゃに絡み合ったようにして出てくる。ぐちゃぐちゃに絡み合ったものを丁寧に解いていけば、その悩みの正体が明白になり、すっきり解決できるのだが、あまりにもぐちゃぐちゃしているので、たいていは解くのを諦める。で、さっぱりきっぱり、思い悩んでいたことを忘れてしまうというわけらしい。
 「じゃ、つまりさ、思い悩むってことはさ、ぐちゃぐちゃに絡み合った糸を解こうとする作業ってことなの?そりゃあちょっと面倒臭そうだね。」(ユーナ)
 「そう、その通り。」(博士)

 などという話題を中心に、ユーナが帰ってきた日、マナがいないままのユクレー屋の夜は更けていったのであった。
     

 記:ゑんちゅ小僧 2007.8.17


他人の汚れたふんどし

2007年08月17日 | 通信-政治・経済

 先の参院議員選挙で自民党が大敗したことに係わるニュースは、参院で与野党逆転、絆創膏大臣の辞任、テロ特措法の継続問題、内閣改造の人事予想など、約二週間(これを書いているのは8月14日)経っても報道番組などの話題となっている。
 それらの報道番組では、自民党大敗の理由について政治家、政治評論家などがあれこれ述べていた。民主党党首の地方行脚が功を奏したという点は、なるほどと思う。他に、これらは世論調査の結果にも出ているが、閣僚の度重なる不規則発言、政治と金の問題、都市と地方の格差拡大なども理由として挙げていた。それらももっともだと思う。

 私はしかし、別の理由を挙げたい。「荒心臓総理が何となく嫌」という理由である。魑魅魍魎(ちみもうりょう)のような人相をしている国会議員が多い中、彼はまともな顔をしており、ハンサムである。若くてスタイルも良く、話し方、所作など全体から受ける雰囲気も申し分ない。イイ男なのだと思う。
 イイ男であっても、その行動が悪ければ人気は落ちる。「こんな男に日本国の舵取りは任せられない」と思う人が増える。で、自民党惨敗となった。

 「荒心臓総理が何となく嫌」の「何となく」は、人によって多少の違いはあろうが、私は、「荒心臓総理の勘違いした強引さが嫌」である。
 「お前が強引に事を進めることができるのは、お前の力ではないだろう。前総理の濃い墨が言葉巧みに国民を操って、前の衆議院選挙で大勝したお陰だろう。お前は他人の汚れたふんどしを借りて、自分は強いなんて勘違いしてるんだぞ。」と思う。

 「他人のふんどしなんか借りるもんかい!」といった性格の母が、概ねそうやって生きてきた母が、この頃は私に少々甘えるようになってきている。「今度いつ来るの?○○買って来て」などと朝早く電話がかかってきたりする。
  入院生活が長く続いている母は、持病の悪化で食事がうまくいかず、体重が減り続け、体力が衰えている。30年間も一人で病気と闘ってきた母であるが、持病の苦痛が酷くなって、体力だけでなく、今では気力も少々萎えてきたみたいだ。そして、そうなってやっと、他人(息子の私を含めた)に少々甘えるようになった。
 ただし、母が甘えるのは状態の酷く悪い時である。そういった時でも母は、傍に座っているだけの私に、「ありがとう」と言うのを忘れない。何か買ってきてあげると、「お金大丈夫ねぇ。郵便局の私の口座からおろしておいで。」などと心配してくれる。
 私は、私のふんどしを毎日洗濯しなければならない。母が使いやすいようにきれいにしておかなければならない。と、チョイ悪オジサンは柄にも無く思うのである。
          

 荒心臓総理殿
 女は戦中戦後の苦しい時代を生き抜いてきたぞ。女は病に倒れてもなお、凛とした生き方をしたいと望んでいるぞ。真に強い女が、ここにいるぞ!・・・爪の垢、要る?

 記:2007.8.17 島乃ガジ丸