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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「ナチス」の意味とその語源について

2016-07-31 02:56:38 | コラムと名言

◎「ナチス」の意味とその語源について

 新聞報道などによると、七月二六日に起きた「津久井やまゆり園」事件の植松聖容疑者は、本年二月一九日、同園の入倉かおる園長らに対し、「ずっと車いすに縛られて暮らすことが幸せなのか。周りを不幸にする。最近急にそう思うようになった」と語ったという。園長が「ナチスの思想と同じだ」と指摘しても、「そう取られても構わない」と譲らなかったという(容疑者や園長の発言内容は、マスメディアによって微妙に異なっている)。
 このことが報じられるや、各種マスメディア、あるいはネット関係者が、にわかに「ナチス」という言葉を口にしはじめた。おそらく、こうしたことは、二〇一三年七月二九日の麻生太郎副総理(当時)の「ナチス憲法」発言以来のことではないかと思う。
 さて、本日、このコラムで論じたいのは、「津久井やまゆり園」事件でもなければ、「ナチス思想」でもなければ、「ナチス憲法」でもない。
「ナチス」という言葉の意味と、その語源である。「そんなことは、広辞苑を調べればわかる」とおっしゃる方もおられると思うが、そう簡単なものではない。
 広辞苑第五版(電子辞書)で「ナチス」を引くと、「ナチス【Nazis(ドイツ)】/(ナチの複数形)ナチ党の通称」とある。続いて、「ナチ」を引くと、「ナチ【Nazi(ドイツ)】/ドイツで、国民社会主義者(Nationalsozialist)の略称。また、ナチ党員」とある。
 ナチがナチ党員を意味し、これが複数形のナチスになると、ナチ党を意味するという説明は、いかにも、もっともらしいが、はたして本当なのだろうか。
 まず、Nationalsozialistの略称が、なぜ、NatiではなくNaziなのかがわからない。また、NaziあるいはNazisが、本当にドイツ語なのか、当時のドイツ人が、本当にこのNazi、Nazisという「通称」を用いていたのか。このあたりもよくわからない。
 参考までに、ナチ党(ナチス)の正式名称は、国民社会主義ドイツ労働者党(Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei)である。論文などで用いられている、その略称は、NSDAPである(Nazis ではなく)。【この話、続く】

*このブログの人気記事 2016・7・31(8・10位にやや珍しいものが入っています)

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戦災地から連日、三万貫の銅屑を回収

2016-07-30 05:14:41 | コラムと名言

◎戦災地から連日、三万貫の銅屑を回収

 一昨日からの続きである。黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)から、七月三〇日~八月二日の日誌を紹介する(二三九~二四五ページ)。

 七月三十日 (月) 晴
 午前八時、上番のために情報室に入る。下番予定の田原候補生は、
「班長殿、ただ今、敵機コンドル〔B29〕五羽、珠江沿いに東進中です。午前七時四十分、徳慶通過、午前七時五十八分、肇慶通過で、もうそろそろ白土なら来るころですし、三水の珠江沿いならまだ十分くらいあるのですが、どうしましょうか」と、レシーバーをかけたままいう。
「そのほかに申し送りは?」「ありません」という。
「よし、そのままで引き受けた」と変わる。
 午前八時五分ベル。――こちら月山、月山コンドル五羽、浅間山方面に進行中――「了解」自分は珠江沿いという頭で、まだ時間がある、まさか月山の白土の方を通るとは思わなかった。受けて座ってから三分くらいか四分くらいでやって来た。ただちに発信ベルのボタンを押して放送する。「各所! 各所! 月山よりコンドル五羽、浅間山に向かって進行中」――了解――の声続く。【中略】
 午後九時十六分ベル。――こちら富良野岳〈フラノダケ〉、富良野岳コンドル五羽、海岸沿いに西に向かって脱去中――「了解」富良野岳とは斗門である。発信ベルのボタンを押して放送する。「各所! 各所! コンドル五羽、富良野岳より西に向かって脱去脱去」――了解。了解。了解――
 広東に敵機が来て白雲飛行場に来ないのは珍しいことだ。隊長も、
「白雲に来ないと、もの足りないなあ」といわれた。上山中尉は、
「先週、白雲上空で高射砲弾によっておそらく隊長機と思うが撃墜され、残りの機がいっせいに北に進路を変えた件があるが、同じグループではなかったのでは。白雲ば恐いという印象があって避けたのだろう」と。
 朝早くからのお客さんがやって来たので、その後は一段落の形で、隊長も上山中尉も、他の所要のためか情報室から出て行かれた。もちろんその後は、午前、午後を通して来客もなく静かであった。
 午後六時五分、下番する。下番後、田原と二人で、入浴、洗濯、夕食を共にする。
「班長殿、自分が下番してすぐ空襲警報が出たので、鉄甲をかぶっておったんですが、とうとう音がしないんで眠りました。が、やっぱり来たんですか」と聞く。
「ああ、あれは広東には来たんだよ。白雲に来たんでは君が眠れないだろうと思って、白雲を避けて天河飛行場から黄埔の港の方に南下して行ったよ」と答えた。

 七月三十一日 (火) 晴
 午前八時、上番する。下番者田原候補生の報告によると、
「前勤務者田中候補生の申し送りでありますが、昨夜午後十時のニューディリー放送では、昨日(七月三十日)、米海軍航空母艦十数隻は、関東地方南岸に接近し、延べ二千機の艦載機により関東各地を空襲し、銃爆撃を致しました。また昨日(七月三十日)、これとは別の艦隊は清水市を艦砲射撃致しました。以上であります」
「なに、二千機」自分も驚きのあまり声を発した。
 二千機とつづいたら、前後重なって放送できないだろう。放送よりも何よりも防空壕で手を合わせ、無事を祈る老人や女子供のことを思うと、隊長のいわれる通り一日でも早く和平への道を願いたいと、心の中の一部の心が思う。昨日の今日で、ここの敵さんは休み
の模様。
 正午、NHKのニュースが流れる。今日はまず農商省が、どんぐりの食糧化方針により五百万石を目標に、学童らに採取を寄びかけるという。つづいて情報局募集の標語は、「一機作れば一艦沈む。田畑が陣地だ、死守して増産。堪えぬく心、勝ち抜く心」を発表した。
 また、軍需省航空兵器総局は、銅屑〈ドウクズ〉を一貫目三円五十銭で買い上げ、戦災地からは最近、連日三万貫を回収しているという。連日三万貫の銅屑の回収とは、戦災地一帯が広大な範囲であることは事実である。この銅屑とは、家庭内に配電線された銅線をいうのであろう。
 それにしても、爆撃を受けたとか、艦砲射撃をどこがうけたとか一切いわない。ましてや二千機の敵機など全然いわない。本当にどちらが正しいのだろうか。あまりに極端ではないか。午後は午前につづいて静かであった。【後略】

 八月一日 (水) 晴
 午前八時、上番する。下番者田原候補生の報告は、
「前勤務者田中候補生の申し送りでありますが、昨夜午後十時のニューディリー放送によりますと、(一)昨日(七月三十一日)、米空軍は九州各地をB29約二百五十機で空襲し爆撃致しました。(二)昨日(七月三十一日)、米海軍潜水艦隊は北海道苫小牧の工場を艦砲射撃致しました。以上であります」
 このごろ敵機の多少はあっても、毎日のように空襲がつづく。これでもか、これでもかと。苫小牧の工場といえぼ、王子製紙の工場を思いだすのだが、紙が直接戦争とどう関係するというのだろう。とにかく日本の生産設備は、すべて破壊するのが目的らしい。潜水艦隊とはどのくらいの隻数をいうのだろうか。
 午前八時三十分ベル。――こちらは立山、立山コンドル八羽、珠江沿い東進中――「了解」立山とは徳慶である。一昨日やって来たのに、またもうやって来た。ただちに発信ベルのボタンを押して、「各所! 各所! 立山よりコンドル八羽、東進中」力をこめての放送だ。――了解。了解――の声か返って来る。【中略】
 朝の早い暑くならないうちに広東だけ、しかも軍関係の箇所のみをよく調べて、狙った箇所だけ爆撃してさっと帰っていった。
 正午、NHKのニュースでは、陸軍燃料廠が松根油採取に当たって千葉県松丘村および秋元村の両村が二週間で一年分を採取したことに対して両村を表彰し、賞品に地下足袋〈ジカタビ〉を贈ったという。
 午後は静かであった。午後六時五分、下番する。田中、田原の二人とも無事教育訓練終了す。この教育訓練が実際に効果を発揮するような時代の来ないことを祈りたい。この十日間、二人の子と入浴、洗濯、夕食がずっと一緒にできたことは楽しかった。
 二人ともよい子だ。すくすくと延ばしてやりたい。本当に世が世であれば、少なくとも中学が卒業できるまでは勉強第一にさせてやりたいものである。

 八月二日 (木) 晴
 午前八時、上番する。午前九時、突然インド・ニューディリー放送が流れてくる。
 ――こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信ずべき情報によりますと、米英ソ三国で打ち合わせ中のポツダムで、ドイツに関しては統一政権を作らないことが決定し、二ヵ国として分割統治させることになりました。国境線の決定は現段階で未決定で、平和会議に持ちこすこととなりました。繰り返し申しあげます。……。――
 二つのドイツができることになったのだとわかった。親と子が、兄と弟が居住地によって分けられる。そんな馬鹿な無理が通るのか。勝てば官軍で、相手のいうままか。上山中尉のいわれる「敗けるのなら生きてる意味はない」という言葉がしみじみとわかるようだ。
 正午にはNHKニュースが流される。今日は、(一)日本音楽文化協会が解散し、音楽文化職域国民義勇隊が決成され、隊長に山田耕筰氏、副隊長に堀内敬三氏が選任されたという。(二)民俗学者の間で沖縄の文化伝承の動きか活発となり、柳田国男氏の主唱で、書籍や音盤などの収集が進められていると伝えてくる。
 午後も今日は静かである。午後四時、下番する。午後六時の下番を十日間もつづけると、非常に早い感じがする。下番後も時間を持てあまし気味となる。

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選挙戦とスキャンダル報道

2016-07-29 04:29:12 | コラムと名言

◎選挙戦とスキャンダル報道

 映画『市民ケーン』(RKO、一九四一)には、主人公チャールズ・フォスター・ケーン(オーソン・ウェルズ)が州知事選挙に出馬する一幕がある(二五日のコラム参照)。選挙戦の終盤、ケーンの当選がほぼ確実となったところで、新聞にスキャンダルを暴露され、ためにケーンは落選する。
 このときの対立候補は、知事現職のジェームズ・W・ゲティス(レイ・コリンズ)。ケーンのスキャンダルを暴き、それを新聞に報道させたのも、ゲティスであった。
 では、なぜ、ゲティスは、スキャンダルを暴いたのか。理由は明白である。第一に、選挙中、ケーンが選挙戦の間、自分が経営する新聞を使って、ゲティスに対するネガティブ・キャンペーンを繰り返したから。第二に、選挙戦の終盤、ケーンの優勢が決定的になったから。第三に、当選を確信したケーンが、当選した場合、ゲティスを訴追し、在職中の罪を明らかにすると表明したから。第四に、ケーンに愛人がいるという動かぬ証拠を、ゲティスが掴んだから。第五に、ゲティスが持ちかけた「取り引き」に、ケーンが応じなかったからである。
 ゲティスが持ちかけた「取り引き」というのは、ケーンが立候補を降りれば、スキャンダルは暴露しないというものであった。ゲティスは、ケーン夫妻を、愛人の部屋まで呼び出し、この取り引きを持ちかける。つまり、その場には、知事のゲティス、愛人のスーザン(ドロシー・カミンゴア)、ケーン、妻のエミリー(ルース・ウォリック)の四人が揃ったわけである。
 妻のエミリーも、愛人のスーザンも、ケーンに対し、立候補を降りるように説くが、ケーンは、断固としてそれを拒否する。この間の緊迫感は、何度観ても、尋常でないものがある。それにしても、皆、実に演技がうまい。特に、エミリーを演じたルース・ウォリック、ゲティスを演じたレイ・コリンズ。
「取り引き」の話に入る前、愛人の部屋の扉の前で、四人が横一列に並ぶ場面がある。左から順に、ゲティス、スーザン、ケーン、エミリー。カメラは、これを階段の下から見上げる。非常に印象的なシーンである。
 
 ところで、いま戦われている都知事の選挙戦では、有力週刊誌二誌によって、P候補の「スキャンダル」が報じられている。もちろん断定はしないが、その背景に、何らかの「意図」があって、その意図を実行に移せる「主体」が存在していると見るべきであろう。
 都知事の選挙戦は、すでに終盤に入った。ここで生じる可能性があるのは、P候補とは別の、Q候補をターゲットにしたスキャンダル報道である。なぜなら、Q候補は、すでに当選が確実視され、しかも、都議会に対決する姿勢を明確にしているからである。しかし、有力週刊誌の発売日のことなどを考えると、このスキャンダル報道は、不発のままで選挙当日を迎えると見るのが、現実的だろう。

*このブログの人気記事 2016・7・29(7位にやや珍しいものが入っています)

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人類を滅亡させる原子爆弾は「兵器」ではない

2016-07-28 04:05:27 | コラムと名言

◎人類を滅亡させる原子爆弾は「兵器」ではない

 昨日の続きである。黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)から、一九四五年(昭和二〇)七月二八日および二九日の日誌を紹介する(二三七~二三九ページ)。

 七月二十八日 (土) 晴
 午前八時、上番する。下番者田中候補生の報告は、
「田原候補生の申し送りでありますが、昨夜午後十時のニューディリー放送によりますと、(一)英国ではチャーチル内閣が七月二十六日で総辞職をし、七月二十七日、アトリー氏率いる労働党の内閣が成立したという。これは去る七月五日実施の英国総選挙で、労働党が勝利したことによる。(二)昨日(七月二十七日)、米軍戦爆連合約百五十機が北九州各地の都市を空襲し銃爆撃しました。以上であります」
 今日の報告の機数は少ないが、空襲は毎日つづいているような気がする。今日は明日の勤務変更で二勤、三勤の連続勤務である。今日は静かな時間帯がつづく。隊長、上山中尉ともに朝から姿が見えず、午後も来られない。厠に行くのにも声をかける人もない。夜中と同じように大急ぎに走っていって走って帰るようにする以外に方法はない。
 午後四時にたって、上山中尉が入って来られた。
 午後五時、NHKからニュースが流れて来た。本日(七月二十八日)、鈴木〔貫太郎〕内閣総理大臣は記者団に対し、
「帝国政府としては米・英・支三国の共同声明を黙殺すると共に断乎、戦争完遂に邁進するのみと決意をさらに固めた」と、発表した。
 隊長もちょうど入って来られ、聞いておられた。
 隊長「今日のところは上山。貴様の勝ちだな。しかし、どう考えてもおかしい。これは軍部の反対ではない。推測だが中立国で大物はソ連だから、近衛さんで失敗したが、ソ連には正式に大使も駐在しているから、ソ連をして条件付きで和平斡旋を依頼しているのだろう。その回答があるまでの時間稼ぎだろう。もう一つ考えられることは、今までの方針を一挙に覆すことのむずかしさのために国民にああ発表し、一方、十三項目という条件も発表させ、戦争開始時のような世論が、今度は戦争中止の世論を受ける形で受諾するという考え方の二通りが考えられる。が、国内の新聞は完全に統一されているだろうから、前者の方が有力だ。ソ連から何かの連絡を期待していると見たい」
 上山中尉は何もいわず、隊長の話を聞いておられた。
 午後七時をすぎて、自分がまだ勤務しているのを見られた隊長は、
「おい黒木、まただれか病気したんか」と聞かれた。自分は、
「歩兵基礎訓練に二人を参加させるための方法として、日曜日に一勤と三勤を交代させるので、今日に限り自分が連勤します」と答えた。隊長は、「そうか、それはご苦労さん」といわれた。
 午後十時、ニューディリー放送が流れて来た。――こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信ずべき情報に依りますと、本日(七月二十八日)、米軍艦載機約千百機は中部地方、四国地方の二方面に分かれ、かつ四次にわたって空襲し銃爆撃を致しました。繰り返し申しあげます。…………。――
 このアナウンサーは、日本語があまりにもうまい。日本人ではないかと思うと、今まで感じなかったが、無性に腹立たしさを感じた。午後十二時、下番する。

 七月二十九日 (日) 晴
 午前八時、上番する。下番者田原候補生が、「勤務中、異常ありません」と報告する。
 午前八時半ごろ、部屋に入って来られた上山中尉の顔は、非常に硬張【こわば】った顔で、まったく近寄りがたい。恐いほどだ。いろいろ悩んで夜も眠れぬのであろう。今日は日曜日にもかかわらず、部屋の中は何かしらピリピリ張りつめたような気がする。一昨日の無条件降伏の要求から、情報室内の空気が一変した。空襲でもあって敵機の行方を追っている方がずっとよい。その方が仕事に打ち込んでいろいろ考えなくてすむ。ところが来て欲しいと思うときにはこないものだ。もっとも今日は日曜日で、敵さんは月曜にはよく来るが、日曜にはまず来た前例がない。
 午前、午後と静かな時間がつづく。午後四時、上山中尉が出られて何だかホッとする。
 午後六時五分、下番する。田原に、「今日は何を習ったのか」と聞くと、「今日は突撃ばかりでした」という。田中同様に身長も体重も増して逞しくなった。田原と入浴、洗濯、夕食を共にする。田原はじつに器用な子で、洗濯などは非常に早い。早くてしかも上手だ。もっとも今日の俺の洗濯の量は、彼の三倍くらいあったようだが。
 タ食のときに、「班長殿、どうなるんでしょう」と聞く。前日勤務後の記録簿は、かならず目を通しておけと通達しているので、ポツダムの対日要求ば、百も知っているはずで、質問もそのことだと思う。
「おれにはわからん。鈴木総理は三国声明〔ポツダム宣言〕を黙殺されているが、国民にこれ以上の苦痛をかけるべきでないという気持で和平の道に持って行きたいというのが本心だと思う。お偉い方々の中には、和平の道に持ってゆくのに、敗戦は嫌だ、敗戦でもよい、日本の国体が護持されればよいという考え方もあってなかなか大変。今回の無条件降伏というのは、抵抗があるようだ」
「日本の国体護持とは天皇制のことですか」
「そうだ、天皇制のことだ。もう一つ気がかりなのは原子爆弾のことだ。上山中尉殿のお話によると、大変な毒瓦斯以上の兵器で、人類はもちろん動植物はじめあらゆる物を破壊してしまうという原子爆弾が使われないうちにどうせ和平に持ってゆくのなら早くして欲しいもんだ」
「原子爆弾の項目は、自分も読みましたが、隊長殿からもっと偉い人に報告されてるんですか」
「君も読んだと思う六月一日のスチムソン委員会から、大統領に対しての投下勧告のときと七月十五日の原爆実験成功時の二回をはじめ、原爆のニュースのつど、隊長殿から連隊長殿に、さらに上部にと報告されている。とにかくこれたけは避けてもらいたい、こんなのがもし使われるとしたら、その瞬間で戦いは終わりだろう。これは兵器ではない。人類が人類を滅亡させる道具だ」と、えらい口調で自分は話をしている。

*このブログの人気記事 2016・7・28(2・8位に珍しいものが入っています)

 

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原子爆弾の投下だけは避けよ(1945・7・27)

2016-07-27 03:10:05 | コラムと名言

◎原子爆弾の投下だけは避けよ(1945・7・27)

 この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
 本日は、『原爆投下は予告されていた』から、七月二七日の日誌を紹介する(二三四~二三六ページ)。

 七月二十七日 (金) 晴
 午前七時、朝食を食べていると汗が吹き出る。手拭で拭きながらで、本当に朝から暑い日だ。
 午前八時、上番する。下番者田中候補生の報告では、
「前勤務者田原候補生からの申し送りですが、昨夜午後十時のニューディリー放送によりますと、昨日(七月二十六日)、米軍B29三百五十機は松山、徳山、大牟田の三都市を空襲し爆撃をしたと放送がありました」
 四国の松山は軍都、山口県の徳山と九州の大牟田はともに工業都市、平均的に見て百二十機が爆撃を加えたとは、どこもここも焼け野原になっているのではないだろうか。
 ぼんやりそんなことを考えていた。
 突然、午前九時、ニューデイリー放送が流れてくる。
 ――こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信ずべき情報によりますと、先般来、ドイツ国ベルリン市郊外のボツダムで行なわれていた米英支三国合同会議の結果、昨日(七月二十六日)、米国トルーマン、英国チャーチル、支那蒋介石の米英支三国首脳は、日本に対し無条件降伏を要求するポツダム宣言を発表しました。繰り返し申しあげます。…………。――
 隊長は席におられないが、上山中尉は聞いておられる。隊長の寝室には放送は流されているはずだが、隊長がおられたかどうかはわからない。上山中尉から報告されるが、自分としても一字一句、間違いないように記録する。
 間もなく隊長が入ってこられた。簡易略衣袴であるが、きちんとした服装で、珍しく腰に軍刀を着け、長靴〈チョウカ〉を履いておられる。
 隊長「おい上山、聞いたか」
 上山「はッ、聞きました」
 隊長「おれは無条件というのが気にくわんが、天皇制をそのまま残すという条件をつけて、その他は無条件とする交渉すべきではないか」
 上山「そんな虫のよい無条件がありますか」
 隊長「できると思うよ。日本人は皆そう思っているんだから。米国も日本はどんな国であるかよく知っている。その理由は貴様、考えて見ろ。京都、奈良を空襲したということは、一度もおれは聞いてない。ということは、歴史上の残っているものを大事にしようとするのではないかと思う。米国になくて日本にあるのは歴史だ。米国は建国後二百年にも足らず、日本は二千六百年、しかもその間、天皇制が皇統連綿とつづいている。この日本の国体を護持することを条件にすることは当然のことだ」
 上山「無条件降伏とは白旗をあげることです。それだけは絶対にできないです。われわれ軍人が腹を切って死んだ後ならともかく、現状はできません」
 隊長「上山。貴様は現状をどう見ているんだ。毎日毎日、おれたちのいない間に内地には矢弾〈ヤダマ〉が飛んで来ている。そのうえおれたちは帰れない。敵は今度は留守の内地に土足で上がっていこうとしている。女、子供もそれに向かって戦おうとしてる。この間、女十七歳から四十歳と聞いて驚いたが、女、子供まで戦いをさせることはない。本土作戦は絶対にやらしてはならない。この間、近衛さんの訪ソが失敗したが、今度は和平に持ってゆくのによい機会だ。これ以上、内地への爆撃とそれに貴様がくわしく説明してくれた原子爆弾の爆弾投下だけは、絶対に避けねばならないんだ」
 上山「隊長殿。原爆の問題は確かにそうですが、隊長殿の考え方は、失礼ですがおかしいのではないでしょうか。内閣の中に一人、二人の者は隊長殿と同じ考え方をする人もあると思いますが、陸軍大臣はじめ、ほとんどの大臣は反対するのではないでしょうか」
 隊長「いや。今の現状を考えたときに、全大臣みな毎日の爆撃をやめさせるにはどうしたらよいのかを一番に考えているに違いない。陸軍大臣〔阿南惟幾〕も当然、それを考えておられる。逆に陸軍大臣は、この戦さの天王山が比島作戦にあって、沖縄県民を巻き添えにした沖縄作戦をやったことを後悔なさっているのではないかと思う。したがって陸軍大臣としては、ここにいたった責任は取られることと思う」
 上山「責任とは」
 隊長「陛下に対し充分な御奉公のできなかったことと幾多の英霊に対しお詫びをされるであろう。お詫びの方法は、武士として最後の形である切腹という方法をおとりになるだろう」
 上山「自分には、まだ隊長殿のいわれることがよくわかりません。よく考えて見ます」
 われわれ下士官の分際で口を出すことはできない。話がどうなるのか聞き耳を立てていた。
 もし自分の意見を聞かれれば、上山中尉と同意見で、最後までわれわれは戦わさせて欲しい。しかし、日本に制空権、制海権のないのは事実。全員が歩兵となるとしても、小銃からしてない。内地の方も義勇戦闘隊と名前は立派だが、武器はあるのだろうか。中学校の教練で使っていた三八式歩兵銃や騎兵銃は、まだ残っているのだろうか。あったとしても、あれだけでは足りない。
 男十五歳から六十歳、女十七歳から四十歳の国民義勇戦闘隊に編成というが、女は参加させたくない。男の五十、六十の老人もそうだ。隊長のいわれる通り、本土への上陸作戦は避けたければならない。比島作戦が天王山で沖縄作戦はやるべきではなかったといわれたが、そうかも知れない。何だか最初は上山中尉と同意見でありながら、今度は隊長の意見と同じになっている。隊長も黙っておられる。上山中尉も黙って考え込んでおられる。
 午前十一時、珍しく重慶放送が流れ、これも日本に対する無条件降伏を要求するポツダム宣言のことを放送している。隊長の外出禁止令は、時宜的に立派というほかない。
 昨日、南の海岸地帯の船舶が攻撃されたが、今日は敵さん、静かである。隊長は午前中はおられたが、午後は情報室には来られない。上山中尉も同様である。午後六時十分下番。
 田中との入浴、洗濯、夕食も今日で最後である。
 田中には今日の件はいわなかった。要らぬ心配はさせたくない。そのうち上番して記録を見ればわかることだ。
 自分は今日のことが頭の中一杯にあって、きわめて憂欝だ。田中に対して悪いと思ったが仕方がない。

 文中に、「天皇制」という言葉が出てくるが、当時の軍人が、そういう言葉を使ったかどうかは疑問である。この本は、基本的に、あとから「構成」されたものなので、このあたりの不自然さは已むをえないところか。

*このブログの人気記事 2016・7・27(7位に珍しいものが入っています)

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