◎小平事件(小平義雄連続暴行殺人事件)研究の重要性
先日、批評社から連絡があり、住所・氏名不詳の読者から、礫川全次に対し、「小平事件」についての執筆を促す内容のハガキが来たとのことで、その文面を読ませていただいた。
小平義雄による一連の暴行殺人事件、いわゆる小平事件については、よほどの年長者か、あるいは戦後の日本犯罪史に関心を持っている人でなければ、イメージが浮かばない人がほとんどではないかと思う。
ウィキペディアの「小平事件」には、次のような要を得た紹介がある。
小平事件(こだいらじけん)は、1945年(昭和20年)から1946年(昭和21年)にかけて、東京とその周辺で発生した連続強姦殺人事件である。
太平洋戦争末期から敗戦直後の東京において、言葉巧みに若い女性に食糧の提供や就職口の斡旋を持ちかけ、山林に誘い出したうえで強姦して殺害するという手口で行われた連続事件である。
初めの強姦・殺人事件から1年以上を経た1946年(昭和21年)8月17日、7人目の被害者女性が遺体となって発見されたが、直前にこの女性と会っていた小平義雄(こだいら よしお。当時41歳)が逮捕され、犯人であると判明した。小平が他の事件への関与も自供したことから、連続強姦殺人事件が発覚した。小平は事件10件について起訴され、3件が無罪、7件が有罪となった。1948年(昭和23年)11月16日、小平に対する死刑判決が確定し、翌年10月に執行された。
私はかつて、『戦後ニッポン犯罪史』(批評社、一九九五)という本の中で、「小平義雄連続暴行殺人事件」というタイトルのもとに、この事件について論じたことがある。
おそらく、このハガキを投函された方は、同書をお読みになられたのであろう。
ハガキの主は、「強盗強姦は日本軍隊にはつきものですよ」という小平の言葉などを引いた上で、次のように述べられている。
こう言っては、戦死した兵士の遺族の方々には申し訳ないが小平の陳述(予審調書)を読むと、“英霊”の中には、小平と同じような蛮行をした兵士も数多くいたと考えるのが自然である。“英霊”になりそこねた小平は、戦後引きおこした事件で、生きたまま捕ったために、その供述(予審調書)は、はからずも中国における日本軍の“三光”を明らかにした点で、“貴重”である。…というわけで、犯罪(事件)ものを多く手がけている礫川全次氏に小平事件についての作品を希望したい。
このハガキを読んで、私は、「小平事件についての作品」は、ぜひ、この未知の読者に書いていただきたいと思った。この方には、お葉書を勝手に紹介させていただいたことのお詫びも、申し上げなければならない。ぜひ再度、連絡をいただきたいと思う。
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