礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

このままでは自壊作用を起こして滅亡する(鈴木貫太郎)

2013-04-30 05:52:33 | 日記

◎このままでは自壊作用を起こして滅亡する(鈴木貫太郎)

 鈴木貫太郎『終戦の表情』(労働文化社、一九四六)にある「余の戦争観」という文章の続きを紹介する。三回に分けて紹介したが、本日が最終回。

 だが、普通の戦略戦術を弁へてゐる者だつたら大東亜の全域に渉つて幾百万の軍隊を輸送するためには、海軍が橋をかけねば作戦は遂行出来ないこと位は充分弁へて居つて然るべきであつただろうと思ふ。
 それを軽視したといふことは明らかに綜合的な戦術見透し等が欠けて居り、昨今の司令官が独のクラウゼビツチの戦争論やゼークトの戦術論だけを研究して居て、肝腎の東洋の兵法たる孫子のやうな偉大な戦術の原則論を無視した所にあると思ふ。これは反つて〈カエッテ〉開戦後の米国などの戦術に孫子を充分研究してゐるのではないかと思はれるやうな点が見られた。
 しかも戦争といふものは飽く迄一時期の現象であつて、長期の現象ではないといふことを知らねばならない。この点に関して日本の戦争指導者は、初期に於ては電撃戦を唱へ、三ケ月で大東亜全域を席捲して見せると称してゐながら、太平洋の広さを忘れ、戦争を長期化し、遂には本土決戦を怒号し、一億玉砕に迄引きずつて行かうとしたのである。
 これは、も早戦争とは言へない。戦争とは戦ふべき時機を充分に策定して戦ひ、矛〈ホコ〉を収める時には速か〈スミヤカ〉に収めることが戦争である。この原則を忘れゝれば近代戦争ではなく、それは原始人の闘争にしか過ぎない。
 既に日本が矛を収むべき機会は何度もあつた。それを一時の勝ちに乗じて見喪つて了つた〈ミウシナッテシマッタ〉ことは誠に遺憾なことである。
 以上のやうな種々の角度から、戦争の成行〈ナリユキ〉を眺めて来た余は、この敗北必至の戦争を最後の土壇場〈ドタンバ〉迄持つて行つたのでは、日本は自壊作用を起して、究極は滅亡するより外はないと明らかに見抜いたのである。それ迄に何とか戦争終結の機を掴まねばと余はひそかに心を砕いた。,
 組閣怱々〈ソウソウ〉、先づ全日本の生産状態、軍事基地の設備状態を徹底的に調査させて見た。
 その結果、七、八月頃には重大な危機に直面するといふことを想線するに至つた。この危機の到来する時機に就いては、書記官長にも他の一、二の閣僚にも洩したことがある。だが、その危機打開の方策に就いては誰に語ることも出来なかつた。

今日のクイズ 2013・4・30

◎鈴木貫太郎内閣のときの内閣書記官長は、次のうち誰でしょうか。

1 緒方竹虎  2 迫水久常  3 星野直樹

今日の名言 2013・4・30

◎日本が矛を収むべき機会は何度もあつた

 敗戦時に首相だった鈴木貫太郎が、戦後に述べた言葉。『終戦の表情』(労働文化社、1946)の17ページに出てくる。

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かつてない悪条件の戦争をなぜ始めたか(鈴木貫太郎)

2013-04-29 07:29:57 | 日記

◎かつてない悪条件の戦争をなぜ始めたか(鈴木貫太郎)

 鈴木貫太郎『終戦の表情』(労働文化社、一九四六)に収められている「余の戦争観」という文章の続きである。これは、あと一回で終了の予定。

 由来余は太平洋戦争の勃発を極力避けるべきであることを念願としてゐた。これを海軍の勢力から考へて見ても、ワシントン会議で米英と日本との海軍比率は五・五・三に定められ、これは実際に海軍の実力となつてゐたのだから、三は五に勝つ道理がないことは判り切つてゐた。それを米国だけではなく、英国をも向ふに廻して、一〇対三で戦ほうといふのだから、冷静な頭では到底理解出来ないごとである。
 余は又曾て〈カツテ〉、故山本五十六〈イソロク〉元帥が海軍次官をやつて居つた〈オッタ〉頃、山本君ともこのことを話し合つたことがあるが、山本君も全く余と同意見で、太平洋戦争若し〈モシ〉起らば、日本は必ず今日あること〔敗戦〕を言つて居つたのである。
 しかも日本は工業力、資源等から言つても米国とは比較にならぬ程弱少であり、枢軸国としての独逸には、前世界大戦以来海軍らしい海軍はなくなつてゐる。わづかに潜水艦があるが、それも太平洋に出向いてくる程の数はない。とすれば我方にとつて今度の戦争のやうな条件は世界の戦争の歴史から見ても曾てない程の悪条件といふことになる。
 それを敢て開戦に持つて行つたのは、全く支那事変に於ける失敗を遮二無二〈シャニムニ〉国民にかくして、何とか危地を切り抜けやうとした無謀な計画に外ならないと思へた。だがさうした無謀な戦争を何故始めたか、余は当時、枢密院副議長を務めて居たのであるが、いくら戦争に反対して居ても、その意見を政治的に発動する余地が全く見出せない状態であつた。大体枢密院会議では、国策が憲法に適ふ〈カナウ〉か否かといふことを審議する所であつて、時の政府の政策に対しては嘴〈クチバシ〉を入れることが出来ないやうなことになつてゐた。それに開戦に至る迄の計画は政府部内の秘密計画になつてゐたので、我々は知る由もなかつた。【以下は明日】

 

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鈴木貫太郎「余の戦争観」

2013-04-28 23:15:08 | 日記

◎鈴木貫太郎「余の戦争観」

 昨日に続いて、鈴木貫太郎『終戦の表情』(労働文化社、一九四六)にある文章を紹介する。本日は、「余の戦争観」。ただし、その前半まで。

 余の戦争観
 こゝで余は余の太平洋戦争観を明らかにしで置きたいと思ふ。
 余は前節に述べたやうに日米は戦ふべからずといふ議論を持してゐたものであり、余が大正七年〔一九一八〕桑港〈サンフランシスコ〉で述べた講演の内容は次のやうな意味のものであつた。
「現在日米は盛んに建艦競走をやつて居り、或る論者は日米開戦論などを言ふものがあるが、自分としてはこの両国が戦争をするといふやうなことがあつたら、一寸のことでは収まらないと思ふ。仮りに米国が日本を占領するとしても、日本には数千万の人間が居り一寸手ごたへがありますぞ、この日本人を徹底的に殺すといふやうなことになれば、米国も数十万数百万の犠牲を出さなければいけないことになる。そんな犠牲を払はれて、一体何程の得るものが日本にはあるのだらうか。日本はカリホルニヤ洲一洲のねうちもないものである。又逆に日本がアメリカに上陸したとして、果してロツキー山脈を越えてワシントン、ニユーヨークまで進軍出来ることが出来やうか、それは全く不可能なことだと思ふ。太平洋とは文字通り、安らかな平安の海だ。この太平洋に軍隊輸送の艦を走らすやうなことがあれば、共に天罰を受けるど恩ふ‥‥」(これは勿論日米両国のみが戦ふ場合のことを差して言つたのである。)
 と言ふことを述べ、列席の人々から非常の賛成の意を表されたことがある。【以下は明日】

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鈴木貫太郎はなぜ自決しなかったか

2013-04-27 22:24:12 | 日記

◎鈴木貫太郎はなぜ自決しなかったか

 終戦時、首相の地位にあった鈴木貫太郎に、『終戦の表情』という著書がある。著書といっても、正確には、その談話をまとめたものであり、しかも、六四ページの小冊子に過ぎない。表紙には、「月刊労働文化別冊」とある。一九四六年八月、労働文化社刊で、定価は三円五〇戦である。非常に粗末な冊子だが、内容は意外に充実している。
 本日は、その中から、「生き抜く日本」いう一文を紹介する。

 生 き 抜 く 日 本
 終戦後或る人が余に向つて、「あなたは何故自刃しないのです」と詰問されたことがある。
 その時余ははつきりと「私は死なない」とお答へして置いたが、余が自決せぬと決意をしたのは、命が惜しいのでも何でもない。命を始めから問題にして居ない者にとつては、死といふことは、最も容易な方法で、何でもないことだ。
 余は既に二・二六事件の時に一度は死んで居るのであるから、生きられるだけ生き日本の今後の再建をこの眼で見届けて行きたいと念願してゐる。生死はその人の信念の問題である。昔、支那の或る忠臣が友人に後事を托して殉死した時、次のやうなことを言ふて居るが、全くその述懐の通りである。「自分は易しい方をやる、済まぬが君に難しい方を頼む」と。誰もが殉死し、それで責が済ませるものなら問題はないと思ふ。累積する不名誉が嫌だから死ぬといふ考へ方の人もある。さういふ意味からすれば、余などは最も不名誉なものであらう。降参するといふこんな不名誉なことはない、しかも自分の名誉などといふ小さな問題ではない、陛下の、国家の不名誉を招来したのであるから責任は誠に重い。だがその結果民族が残り、国家が新しく再生することになつたのであるから、この民族の将来に対して余は心から名誉ある国家としての復活を願ひ、余生を傾けて真に国家が健全な肉体になつてゆく迄見守つてゆくのが自己の責任だと痛感してゐる。
 そのため余は半歳に渉る流転の生活を続け、かの八月十五日朝、暴徒の難を逃れてから、或る時はせまい他人の家に仮寝の夢を結び、一週間位で慌しく他へ移転するといふ、去年一二月郷里に落ちつく迄数回に渉り転々と逃避の生活を送つたのである。

 鈴木貫太郎が二・二六事件で、一命を取りとめた話については、昨年一一月三〇日のコラム「鈴木貫太郎を蘇生させた夫人のセイキ術」を参照されたい。

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「宇内ノ大勢」とは、欧米列強を中心とした世界秩序のこと

2013-04-26 20:31:39 | 日記

◎「宇内ノ大勢」とは、欧米列強を中心とした世界秩序のこと

 要するに、シュタインは、日本が世界の国々と交通し、世界の大勢に応ずるならば、東洋において、指導的な地位につけると言っているのである。
「日本人ハ東洋開明ノ義兵ナリ」という言葉だけを見ると、いかにも、シュタインが日本のアジア支配を容認しているかに読めるが、あくまでもこれは、日本が「東洋開明」=東洋の文明化の上で果たしうる役割についての話なのである。
 なお、「世界の大勢」(宇内ノ大勢)とは、言うまでもなく、欧米諸国を中心とした世界秩序のことである。すなわち、日本は、欧米諸国を中心とした世界秩序に従う限りにおいて、「東洋開明ノ義兵」になりうるとしているところに注意したい。
 朝鮮や支那は、「其伝来ノ文物ノミヲ尊テ〈たっとんで〉、他ヲ知ラン事ヲ欲セサル」保守的な姿勢を改めなかったがために、「世界の大勢」から取り残された。一方、日本は、「眼界ヲ広ウシ、進退ヲ人世ノ全局ニ計ラントスル」改新的な姿勢をとることができたがために、「世界の大勢」に加わることができた。
 シュタインが、日本について、そのような評価をおこなってから半世紀のちの一九三〇年代、日本は、「其伝来ノ文物ノミヲ尊テ、他ヲ知ラン事ヲ欲セサル」民族至上主義に立ち、東洋の盟主となることを目指して、欧米列強を敵に回す路線に急旋回していった。さすがのシュタインも、こうした事態は予想していなかったのではないだろうか。

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