礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

溝口健二「映画監督の生活と教養」(1940)

2014-06-30 04:01:24 | コラムと名言

◎溝口健二「映画監督の生活と教養」(1940)

 一昨日、神保町の古書展で、大日本映画協会編『映画演出学読本』(大日本映画協会、一九四〇)という本を入手した。全十一課から構成され、それぞれ、当時の映画界を代表するメンバーによって執筆されているが、冒頭の第一課「映画監督の生活と教養」を執筆しているのは、何と、溝口健二監督である。
 溝口健二の文章というものを、これまで読んだことがなかったが、非常に興味深い内容だった。ウィキペディアの「溝口健二」の項を読むと、豊富なエピソードが紹介されている。そのことはよいのだが、本人が語った映画論、映画演出論について、まったく触れていないのはどうしたことか。
 ともかく、本日は、溝口の「映画監督の生活と教養」という文章の一部を紹介しよう。
 この文章は、「1」から「8」までに区切られ、全三〇ページ。本日、紹介するのは、「5」の後半部分である。

 今日日本の映画が技術的には相当発達してゐるにもかかはらず、ヨオロツパで作られる映画と比較する時、日蔭の花の如くおびただしく生彩を欠き、内容空疎な感じを人に与へるのは、その創作過程に於ける、演出家の日常的な生活態度の反映だとみるより他に仕方がない。たとへこのことはひとり演出家一人の責任に帰せらるべき問題ではないとしても、映画の創作過程に於て、常にイニシヤチイブを持つ演出家が、映画の最後の価値を決定する役目を担ふ以上止むを得ないことではないだらうか。
 成る程、技術的には大した遜色はなくとも、設備その他の点では未だ日本の映画界の方が諸外国のそれより甚だしく劣つてゐることは事実であらう。だが盛んなる創作意慾といふものは、或る程度はさうしたものを克服してみせるものでもあるし、十分の用意を以てする時はその不自由も或る程度迄不自由を感じさせないことになり得るものなのだ。
 同じ技術程度で、同じ製作設備の中で、何人かの演出家がほぼ同様なスタツフで仕事をしてゐ乍ら〔イナガラ〕、演出家の持つ技倆に従つて作品の出来、不出来が出来て来るのも、云はば僕達の仕事をしてゐる撮影所の持つ制約を、それぞれの演出家が如何に巧みに自己に合理的に処理し乍ら製作の仕事を運ぶかにかかることが甚だ多い。
 それだとすると日本映画が内容的に高められないと云ふことは何も撮影所の設備の問題に帰せらるべきではなく、より以上演出家の技倆に懸けられる問題でなければならない、と云ふことになる。
 演出家の映画に於て占める地位だとか仕事の範囲に就いては、他の筆者が述べることになつてゐるので、ここでは述べることを差控へるが、演出家が映画の最後の使命〔死命〕を制する、映画の芸術的価値の評価に当つては当面の責任を負ふ一番重要なパートを担ふ、その担ひ手であるといふことだけは是非共強調しておかねばならない。

 【クイズ】「キ」ではじまる難読語・『百家説林 索引』より

1  桔梗  □□□□
2  菊合  □□□□□  
3  象   □□
4  象潟  □□□□ 
5  階   □□□□
6  王余魚 □□□
7  煙管  □□□
8  蓋   □□□□
9  甲乙  □□□□□□□
10 求肥  □□□□

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百家説林に収録されている書目(後半)

2014-06-29 04:59:29 | コラムと名言

◎百家説林に収録されている書目(後半)

 昨日の続きである。『百家説林 索引』(吉川弘文館、一九〇七)の冒頭に置かれている収録書目一覧(アイウエオ順)を紹介している。本日は、その後半。

 収 録 書 目
    書名     著者名   符号   収録巻数
 蒼語随筆  大塚嘉樹  蒼梧   続編上
 准后准三后考 新井白石 准后   正編下
  春波楼筆記 司馬江漢  春波   正編上
  後 言   小説家主人 後言   正編上
  人名考   新井白石  人名   正編下
  松竹問答  松岡辰方  松竹   続編下一
  織錦舎随筆 村田春海  織錦   続編上
 還塊紙料  柳亭種彦  還魂   続編上
 消閑雑記  岡西惟中  消閑   正編上
  関の秋風  松平楽翁  関秋   正編上
  世事百談  山崎美成  世事   正編下
  善庵随筆  朝川善庵  善庵   正編上
  西洋画譚  司馬江漢  西画   続編
 続昆陽漫録 青木昆陽  続昆   正編下
  足薪翁百話 柳亭種彦  足薪   続編下二
 多波礼具佐 雨森芳洲  多波   正編下
 転注説   狩谷棭齋  転注   正編下
  天朝墨談  五十嵐篤好 天朝   続編中
 兎園小読  滝沢 解  兎小   正編下
  独 語   太宰春台  独語   正編上
  鳥おどし  川崎重恭  鳥お   正編下
 難波江   岡本保孝  難江   続編下一
  難後言   不 詳   難後   正編上
  南留別志  萩生徂徠  南留   正編上
  南向茶話  酒井忠昌  南向   続編上
 烹雑の記  滝沢 解  烹雑   続編中
 年山紀聞  安藤為章  年山   続編上
  年々随筆  石原正明  年々   続編下一
  ねさめのすさひ 石川雅望 ねさめ 続編上
 梅園叢書  三浦安貞  梅叢   正編下
  梅園日記  北 慎言  梅日   続編上
  泊洦筆話  清水浜臣  泊々   正編上
  梅窓筆記  橘 梅窓  梅筆   続編下二
 比古婆衣  伴 信友  比古   続編中
 筆のすさび 菅 茶山  茶筆   正編上
  墳墓考   中山信名  墳墓   正編下
 北辺随筆  富士谷御杖 北辺   正編上
  茅窓漫録  茅原 定  茅窓   正編上
  北里十二時 石川雅望  北里   正編上
  庖丁書録  林 羅山  庖丁   続編上
 松の落葉  藤井高尚  松落   続編上  
 都の手ぶり 石川雅望  都手   正編上
 柳庵随筆  栗原信充  柳随   続編下二
  柳亭記   柳亭種彦  柳亭   続編下二
  柳亭筆記  柳亭種彦  柳筆   続編下二
 歴世女粧考 山東京山  歴世   続編中
 我宿草   太田道潅ヵ 我宿   正編下
  和歌世詁  不 詳        正編上 

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百家説林に収録されている書目・アイウエオ順

2014-06-28 05:29:11 | コラムと名言

◎百家説林に収録されている書目・アイウエオ順

『百家説林 索引』(吉川弘文館、一九〇七)の冒頭には、「百家説林」シリーズ(吉川弘文館、一九〇五~一九〇七)に収録されている書目が、アイウエオ順に紹介されている。本日は、これを紹介しよう。書名、著者名の表記は、原文のまま。

  収 録 書 目
    書名     著者名   符号   収録巻数
 遊京漫録  清水浜臣  遊京   正編下
    遊芸園随筆 川路聖謨  遊芸   続編中
  □軒小録  伊藤東涯  □軒   正編上  □=車ヘンに酋
  磯山千鳥  堀 秀成  いそ山  続編中
  〇庭雑考  喜多村信節 〇庭   続編下一  〇=竹カンムリに均
 雨窓閑話  不詳    雨窓   正編上
  雲萍雑志  柳 里恭  雲萍   正編下
 円珠庵雑記 契 冲   円珠   正編上
  燕居雑話  日尾荊山  燕居   正編下一
 奥の細道  松尾桃青  細道   正編上
  鋸屑譚   谷川士清  鋸屑   正編上
  尾花が本  本居宣長       正編上
  大海のはし 富士谷成章 大海   正編下
  太田道灌日記           我宿草の別名
  思 草         思草   尾花が本の別名
カ 家屋雑考  沢田名垂  家屋   正編下
  傍 廂   齋藤彦麿  傍廂   正編上
  仮名世説  太田南畝  仮世   正編上
  閑田耕筆  伴 蒿溪  閑耕   続編下一
  閑田次筆  伴 蒿溪  閑次   続編下一
  閑窓自語  柳原紀光  閑窓   正編下
  河 社   契 冲   河社   続編上
  酣中清話  小島知足  酣中   続編上
 錦所談   山田以文  錦所   続編上
  近世逸人画史 老樗軒  近世   続編中
 蜘蛛の糸巻 山東京伝  蜘糸   正編上
  花月草紙  松平楽翁  花月   正編下
  画譚鶏肋  仲山高陽  画譚   正編下
  訓蒙浅語  太田晴軒  訓浅   正編下
 桂林漫録  桂川中良  桂林   正編上
  玄洞放言  滝沢 解  玄洞   正編上
  下馬のおとなひ 堀 秀成  下馬 続編上
 こがねくさ 石川雅望  小金   正編下
  心の双紙  松平楽翁  心双   正編下
  梧窓漫筆拾遺 太田錦城  梧拾  正編下
  骨董集   山東京伝   骨董  続編中
  金剛談   小林元儁   金剛  正編下
  昆陽漫録  青木昆陽   昆陽  正編下
  後松日記  松岡行義   後松  続編中  【以下は次回】

 昨日のクイズの解答(本日はクイズなし)
1  鬘   かつら
2  鉄漿  かね
3  禿   かぶろ
4  蒲鋒  かまぼこ
5  蚊帳  かや
6  粥杖  かゆづえ
7  枳殻  かきつばた
8  巫   かんなぎ
9  橇   かんじき
10 号衣  かんばん

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戦後に甦った岩波新書旧赤判「発刊の辞」

2014-06-27 03:18:54 | コラムと名言

◎戦後に甦った岩波新書旧赤判「発刊の辞」

 昨日の続きである。岩波新書旧赤判の「発刊の辞」、正確には「岩波新書を刊行するに際して」は、だいたいの傾向として、一九四〇年(昭和一五)までに刊行されたものには載っているが、一九四〇年(昭和一五)以降に刊行されたものには載っていない。
 岩波新書青版が発刊されるのは、一九四六年(昭和二一)の四月である。この青版の巻末には、「岩波新書の再出発に際して」という文章が載っている。
 ということは、一九四一年から一九四六年三月までの間に出た岩波新書には、「岩波新書を刊行するに際して」も載っていなければ、「岩波新書の再出発に際して」も載っていない、すなわち、「刊行の辞」が載っていない状態が続いたということになる。かなり長い間、私は、そのように思い込んでいた。
 ところが、最近、不可思議な事実があることに気づいた。一九四六年三月一五日第二刷発行のA・G・ホール『ナンセン伝』(岩波新書旧赤版85)の巻末には、その巻末(奥付の裏)に、「岩波新書を刊行するに際して」が、載っているのである。「昭和十三年十月靖国神社大祭の日」という日付もそのままである。すなわち、岩波新書「発刊の辞」は、間違いなく、戦後に一度、甦っているのである。この事実を、いったい、どのように解釈すべきなのか。
 この話は、さらに続けなければならないところだが、『ナンセン伝』の二刷以外にも、そうした例があるのかなど、基礎的な調査をおこなう時間が取れないので、いったん話題を変える。

 【クイズ】「カ」ではじまる難読語その2・『百家説林 索引』より

1  鬘   □□□
2  鉄漿  □□
3  禿   □□□
4  蒲鋒  □□□□
5  蚊帳  □□
6  粥杖  □□□□
7  枳殻  □□□□□
8  巫   □□□□
9  橇   □□□□
10 号衣  □□□□

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岩波新書「発刊の辞」(1938)をめぐる謎

2014-06-26 05:28:01 | コラムと名言

◎岩波新書「発刊の辞」(1938)をめぐる謎

 本年五月一二日のコラムで、岩波新書・旧赤判の「発刊の辞」、正確には「岩波新書を刊行するに際して」という文章(1938)を紹介した。
 ところで、この旧赤判の「発刊の辞」は、岩波新書の旧赤版の「すべて」に載っているわけではない。初期のものには載っているが、なぜか途中から、載らなくなってしまう。
 具体的に見てみよう。〇は「発刊の辞」が「載っている」ことを示し、×は「載っていない」ことを示す。

〇小泉 丹『野口英世』   岩波新書43 一九三九年七月初版 
〇安田徳太郎『世紀の狂人』 岩波新書58 一九四〇年三月初版 
〇木村禧八郎『インフレーション』 岩波新書56 一九四〇年五月第二刷 
〇中野好夫『アラビアのロレンス』 岩波新書73 一九四〇年九月初版 
×小泉 丹『常識の科学性』 岩波新書81 一九四一年三月初版 
×笠間杲雄『回教徒』    岩波新書33 一九四一年八月第四刷 
×ゼークト『一軍人の思想』 岩波新書67 一九四一年八月第二刷
×鈴木大拙『続 禅と日本文化』 岩波新書94 一九四二年一〇月初版
×荒川秀俊『戦争と気象』  岩波新書97 一九四四年一月初版 

 だいたいの傾向として、一九四〇年(昭和一五)までに刊行されたものは、「発刊の辞」が載っており、一九四〇年(昭和一五)以降に刊行されたものには、載っていないということが言える。
 それにしても、なぜ「発刊の辞」は、途中から載らなくなったのか。これは、当局からの「指導」があったのか、それとも、岩波書店の側で、この「発刊の辞」は載せないほうがよいとする判断がなされたのか。【この話、続く】

 昨日のクイズの解答(本日はクイズなし)
1  案山子 かかし
2  可可呑 かかのむ
3  柿浸  かきひたし
4  書判  かきはん
5  陽炎  かげろう
6  汗衫  かざみ
7  炊屋  かしきや
8  橿鳥  かしどり
9  膳部  かしわべ
10 帷子  かたびら

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