礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

貴様、臆病下痢か、たるんどる証拠や

2016-05-31 05:20:12 | コラムと名言

◎貴様、臆病下痢か、たるんどる証拠や

 この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
 本日は、『原爆投下は予告されていた』から、五月三一日から六月一日までの日誌を紹介する(一五三~一五七ページ)。なお、『永田町一番地』は、五月一四日のあと、六月四日まで、日誌が飛んでいる。

 五月三十一日 (木) 晴
 午前零時、昨夜の三勤に引きつづいて勤務する。勤務簿に自分の名を書き、三勤中の勤務異常なしと書いて、また上番者として自分の名を書くのはおかしいと思ったが、区切りがついてよいとも思う。【中略】
 午前六時、田中候補生が部屋にやって来た。
「自分は昨夜午後七時のタ食後、八時には寝ましたので、睡眠十時間も取りました。班長殿、休んで下さい」という。自分もようやく疲れたと思ったときなので厚意を受け、正式に上下番の挨拶をして内務班に帰る。
 田原のことが気になっていたが、七時の朝食は一人分が粥と梅干だけで、二人分は普通食、そのうち一人ぶんを情報室に運んでいる。
「いつから粥にしたんか」と聞くと、
「昨日午後四時、田中が勤務が終わってから、班長殿から田原の面倒を見てやれといわれたので、炊事に行って交渉し、昨夜の夕食から粥食にしてくれのであります」という。自分は漠然といったのに過ぎないのに、よく気がついてくれたのに驚いた。
「現状はどうか」と聞くと、「まだ下痢はつづいております。今朝も水のようでした」という。一瞬、赤痢ではと脳裡をかすめるものあって、「とにかく今朝八時になったら、医務室に行って診てもらえ」という。
 午前八時、田原は医務室に行ったところ、
「貴様! 臆病風か臆病下痢か、たるんどる証拠や。ビンタ食らわしたろか」と衛生兵に怒鳴られたそうだ。
 相手が子供で候補生とはいえ二等兵の襟章をつけているので、馬鹿にしたなと思った。よし行ってやったろうかと思ったが、大人げない。もし大事になったら、その衛生兵、問題にしてやろうと思って姿形だけは聞いておいた。そして田原に言った。
「貴様、絶対に治る。神から休養をあたえられたと思って休め。明日には絶対に治る。薬〔征露丸〕の三錠は毎日毎食後、飲めよ」といって自分も横になる。午後三時半、服装を正した。
 午後四時勤務につく。隊長がおられて、「勤務変わったんか」と聞かれるので、「はッそうであります」と答えた。それ以上は質問されなかった。だれが病気だとか何とかいちいち報告する必要はないと思った。
 午後十時、ニューディリー放送を久しぶりで聞く。
 ――こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信ずべき情報によりますと、本日、米軍は沖縄の首里地区を完全に占領しました。また別の信ずべき情報によりますと、マッカーサー米太平洋陸軍総司令官は日本本土上陸作戦を準備するように命令を下しました。繰り返し申しあげます。…………。――
 聞き耳をたてておられた隊長はしばらく沈黙。上山少尉は、
「もし日本本土上陸ありとせば、鹿児島の志布志湾だと思います。なぜならば、すぐ山沿いに陸海軍の飛行場が三つ四つと並んであります。米軍は今年の二月の硫黄島のときも南海岸から上陸し、上陸の翌日は千鳥飛行場を占領、三日間で島の南部を制圧した。比島〔フィリピン〕のときは一月、ルソン島のリンガエン湾上陸に先立ち、昨年十二月、ミンドロ島のサンホセ空港を占領して比島を完全に制空権を得た後、はじめて行動を起こす。飛行場をまず占領することが、彼らの常套手段です」
 隊長は腕を組んだままじっとしておられるようだ。もちろん恐くなって後ろをふりむくこともできない。【後略】

 六月一日 (金) 晴
 昨夜の三勤につづいて勤務。日付変更線も何もないから、いつ新しい日に突入したのかわからない。ただ隣りの部屋が静かになったと思って自分の腕時計を見たら、午前零時五分で、初めて日が変わったことを知る。【中略】
 午前六時、「班長殿、勤務交替します」といって、田中候補生が部屋に入って来た。自分も午後四時からの勤務で疲れも出て来たところなので、正式に勤務交替の挨拶をして下番する。
 午前七時、田原と朝食を共にする。田原は下痢は治ったというが、まだ軟便だという。固い普通の便になるまで勤務は中止だ。完全に治ってから御奉公はできる。今日もう一日休んで、腹を良く温【ぬく】うにして冷やさないようにしてくれといっておいた。【中略】
 午後四時、勤務に上番する。前勤務者田中候補生が異常なしと報告してくれたが、今日はその後も静かで、異常など起こりそうもない。
 午後七時ごろ、上山少尉が部屋に入って来られた。午後九時、NHKのニュースが流れる。
 ――東京都内三十五区の私立病院並びに診療所の経営は、医療営団の管轄下に入ることが六月一日付で発令された。したがって医師・看護婦は現在勤務のまま、六月一日付で現員徴用になった――と放送した。
 午後十時、ニューディリー放送を期待しておられた上山少尉は、ニューディリー放送のないことを確認して十時半、退出された。
 午後十一時半、突然、田原候補生が部屋に入って来た。
「班長殿、固い便が本日午後五時に出ました。完全に治りましたから勤務させて下さい。夕食はしたがって普通食にしました。班長殿、御願いします。ぜひ勤務につかさせて下さい」
 真剣に頼み込むので、午前零時から勤務に着くように指示する。午後十二時、上下番の挨拶を正規にやって下番する。

*このブログの人気記事 2016・5・31

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演劇における芸術性と大衆性の二律背反

2016-05-30 03:57:45 | コラムと名言

◎演劇における芸術性と大衆性の二律背反

 先日、古書展で久保栄の『築地演劇論』(平凡社、一九四八)を買い求めた。
 久保栄(一九〇〇~一九五八)の本というのは、これまで読んだことがなかったと思う。まだ、読みはじめたばかりだが、なかなかおもしろい。
 本日は、第Ⅳ部にある「大衆劇とインテリゲンチア」という文章(初出、一九三七)を紹介してみよう。ここで、久保栄が指摘した演劇における芸術性と大衆性の二律背反という問題は、文学についても、また映画についても指摘できるように思う。

 大衆劇とインテリゲンチア
 本来は、演劇のなかに「大衆劇」といふ特殊なジヤンルがある筈はなく、すぐれた演劇ならば、必ずすぐれた大衆性をもつ筈で、演劇イコール大衆劇でなければならないのでせう。ところが、人々は、演劇の概念を二分して、その一方に、悪くすれば、卑俗とか甘さとか観客への迎合とか、文化的レベルの低さとかいふ連想の件ふ「大衆劇」といふ範畴を考へ、他の一方に高踏的とか純芸術的とかいふ想念のつきまとひやすい――一さあ何といひますか、「純文学」といふ字はあつても「純演劇」といふ字はないやうですが――とにかくさういつた風のもう一つの演劇的範畴を対立させて考へることに慣れてゐるやうです。この卑俗大衆劇に慊らない〈アキタラナイ〉で、高度の大衆劇を想定する人も、やはりそれを純芸術的な演劇とは区別して考へてゐるやうであつて、要するに演劇のなかに「芸術性」と「大衆性」とが二律背反的にそむき合ふといふアイデアの前提のもとに、その両者の統一しがたい統一を考へてゐるといふことになるのではないでせうか。
 この演劇の二元論、それから文学に於ける「純文学」対「大衆文学」の問題――ひろく言つて芸術一般に於ける「芸術性」と「大衆性」との二律背反は、資本主義社会の特徴的な産物だと思うのです。資本主義のシステムが、精神労働と肉体労働を完全に分離したこと、この社会の二つの極【ポール】の中間にインテリゲンチアといふ特殊な社会的集団を生み出したこと、さらに言へば、この社会では演劇の商品化が極端に行はれて、それが現在自由から独占の形態に移つてゐること、今日の勤労民衆が封建期の民衆とは数等ちがふ、さかんな芸術的欲求をもつてゐること等と切り離して、僕は「大衆劇」の問題を考へることが出来ないのです。
 世界の演劇史の上でも、この演劇二元論が体系立つた理論として現れて来るのは、近代劇運動――つまり小市民的インテリゲンチアの演劇運動が実を結んだ以後のことではないでせうか。試みに、徳川封建の町人芸術としての、歌舞伎を思ひうかべて下さい。近松〔門左衛門〕の「曽根崎心中」や「国姓爺合戦〈コクセンヤカッセン〉」は大衆劇で、紀海音〈キ・ノ・カイオン〉の「心中二腹帯〈シンジュウフタツハラオビ〉」や「鬼鹿毛無佐志鐙〈オニカゲムサシアブミ〉」は大衆劇でないとは、誰も言はないでせう。〔鶴屋〕南北の「当穐八幡祭〈デキアキハチマンマツリ〉」や「お染久松色読販〈オソメヒサマツウキナノヨミウリ〉」と、並木五瓶〈ナミキ・ゴヘイ〉の「五大力恋緘〈ゴダイリキコイノフウジメ〉」や「隅田春妓女容性〈スダノハルゲイシャカタギ〉」との間に、大衆劇か否かの境界線をひくことは愚かです。いづれも、町人的芸術性と町人的大衆性とを兼ねそなへた作品だといふことが出来ます。明治以降も、福地桜痴や依田学海が、演劇の質的向上――これは、藩閥イデオロギーによる演劇の「芸術性」と「大衆性」の統一運動です――を考へたとしても、それはどこまでも旧劇の地盤のうへのことであり、自由民権の演劇的反映である壮士芝居、やがて新派劇のレパートリーをみても、そのなかのどれを採り出して、特に大衆劇と銘打つことは出来ないでせう。ところが、文芸協会、自由劇場といふインテリゲンチアの演劇運動が始まつてから、事態は一変します。たとへば島村抱月の芸術座が本興行と大衆興行を分けて行つたりした一例に徴しても判るとほり、このインテリゲンチアの演劇の出現以来、芸術的な演劇と大衆劇とが非常にはつきりと二元的な姿をあらわし始めます。
 つまり、現在の体制では、生産にたづさはる広汎な勤労民衆が文化的教養をうける余裕がなく、直接、生産にたづさはらない遊離した社会的集団――インテリゲンチア――に、知的活動の大部分がゆだねられるといふ仕組になつてゐます。したがつて、高い文化的レベルが社会の一方に片寄つてをり、この知的活動を社会的に代表する教養ある人たちの間から、高度の芸術が、既成芸術に叛逆しながら、先駆的に研究室的に創られ始めます。かうして出来た演劇――新劇――は、広汎な大衆を動員するために、しかも資本主義下の大衆の遅れた文化水準をねらひ撃ちする既成劇壇の演劇とは、どうしても相容れないものであり、したがつて一応孤立的になり、ここに、演劇の「芸術性」と「大衆性」との二律背反が始まつたわけなのです。
 ところが、インテリゲンチアといふ集団も一様でなく、小市民的インテリが中心になつて新劇運動を起したあとに、それより一層すゝんだプログレツシイヴなインテリゲンチヤが現れて、研究室的な演劇に満足せず、ひろく一般勤労民衆の文化水準を高めるために、いはゆる新劇の大衆化を企て、高度の「芸術性」と高度の「大衆性」とを合致させようと努力します。現在は、さういう段階まで来てゐるのです。
 要するに、今日の世の中ほど、社会の文化水準が複難な不均等を示してゐる時はなく、この文化レベルの区々まちまちな社会の各層をほどよく動員しながら、一階の連中にも三階の五十銭客にも満足のゆくやうな「大衆劇」といふものが創り得る筈はないのであつて、以上の極く輪郭的な史的考察から推断しても、今日以後の「新大衆劇」は、文化的に恵まれない勤労大衆に教養の眼をひらき、昨日から今日、今日から明日への社会の移り変りを明示するやうなリアリスチツクな内容をもつたものでなければならないのです。この現代的意義をもつものなら、そのとり扱ふ世界が昔だらうと今だらうと変りはないでせう。髷物結構、現代劇可なりです。
 しかし、大衆の文化的レベルが急速に高まる筈はないので、今後も「新大衆劇」の創造者は、永く「芸術性」と「大衆性」との統一しがたいギヤツプに苦しまなければならないでせう。真に偉大な芸術家のみが、この体制のなかで、立派な「大衆劇」を書き得るでせう。既成劇壇が、さういふ演劇の樹立をめざすならば、よろしく中途半端な作者を排して、厳密にプログレツシイヴなインテリゲンチヤの名に価する人人に、手をさしのべることが先決問題です。  ――一九三七年一月「東宝」――

◎礫川ブログへのアクセス・歴代ベスト25(2016・5・29現在)

1位 16年2月24日 緒方国務相暗殺未遂事件、皇居に空襲
2位 15年10月30日 ディミトロフ、ゲッベルスを訊問する(1933)
3位 16年2月25日 鈴木貫太郎を救った夫人の「霊気術止血法」
4位 14年7月18日 古事記真福寺本の上巻は四十四丁        
5位 15年10月31日 ゲッベルス宣伝相ゲッベルスとディートリヒ新聞長官
6位 15年2月25日 映画『虎の尾を踏む男達』(1945)と東京裁判
7位 16年2月20日 廣瀬久忠書記官長、就任から11日目に辞表
8位 15年8月5日 ワイマール憲法を崩壊させた第48条
9位 15年2月26日 『虎の尾を踏む男達』は、敗戦直後に着想された
10位 13年4月29日 かつてない悪条件の戦争をなぜ始めたか     
11位 13年2月26日 新書判でない岩波新書『日本精神と平和国家』 
12位 15年8月6日 「親独派」木戸幸一のナチス・ドイツ論
13位 16年1月15日 『岩波文庫分類総目録』(1938)を読む
14位 15年8月15日 捨つべき命を拾はれたといふ感じでした
15位 15年3月1日  呉清源と下中彌三郎
16位 16年1月16日 投身から42日、藤村操の死体あがる
17位 14年1月20日 エンソ・オドミ・シロムク・チンカラ     
18位 15年11月1日 日本の新聞統制はナチ政府に指導された(鈴木東民)
19位 13年8月15日 野口英世伝とそれに関わるキーワード   
20位 16年2月16日 1945年2月16日、帝都にグラマン来襲
21位 16年2月14日 護衛憲兵は、なぜ教育総監を避難させなかったのか
22位 16年5月24日 東條英機元首相の処刑と辞世
23位 15年8月9日 映画『ヒトラー』(2004)を観て印象に残ったこと
24位 15年12月5日 井上馨を押し倒し、顔に墨を塗った婦人
25位 13年8月1日  麻生財務相のいう「ナチス憲法」とは何か

*このブログの人気記事 2016・5・30(9位に珍しいものが入っています)

  

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清水幾太郎、「奴隷的翻訳」を批判

2016-05-29 03:02:38 | コラムと名言

◎清水幾太郎、「奴隷的翻訳」を批判

 尾崎光弘さんが、そのブログ「尾崎光弘のコラム 本ときどき小さな旅」で、「訳読」ということを採り上げられていた(今月一四日、二一日)。
 たまたま、清水幾太郎の『常識の名に於いて』(古今書院、一九三七)という本を読んでいて、尾崎さんの右コラムと、問題意識が重なるエッセイを見つけたので、本日は、それを紹介してみたい。

 翻 訳 の 良 心
 最近私はドイツの或る哲学書を邦訳で読み始めたが、数頁と進まぬうちに我慢が出来なくなつて投出してしまつた。古典であるから一応の難解は素より覚悟してゐたし、哲学書の邦訳が一般に読みづらいといふことも心得てはゐたが、今度のはどうも桁はづれである。考へて見ると、それが桁はづれであるのは、他の訳書を夫々〈ソレゾレ〉或る程度まで読み難くしてゐる幾つかの要素が剰す〈アマス〉ところなくこの本の中に含まれてゐるからである。
 試みにこれ等の要素のうち目ぼしいものを拾つて書きとめておくことにしよう。第一に前出の名詞を受ける代名詞が凡べて〈スベテ〉「それ」、「これ」といふ風になつてゐる。これは多くの場合に平気で用ひられる方法であり、当然のことのやうにも考へられるが、日本語には性といふものがないことを思ひ出して見れば、それがどんなに乱暴なやり方であるかは直ぐに判る筈である。ドイツ語の代名詞が何を指してゐるかといふことは大低少しも迷はずにきめることが出来る。性や数が框〈ワク〉を作つてくれるからである。ところが日本語ではさういふ框や軌道がないのである。そこで「それ」は何でも受けることができる。「それ」の正体を掴むために私は何と苦労したことであらうか。――第二には例の関係代名詞で名詞と結びつけられた文章が一々後から前へ帰つて訳されてゐるので「……ところの何々」といふ恐しく長い文章が現れる。ドイツ語では決して訳文のやうな不自然な順序で書かれてゐるのではなく、極めて自然に配列されてゐるのである。原文に一度出る名詞を訳文で二度出すだけの手間をかければ、普通の日本文が生れて来るのである。――第三は訳文を読んでゐると、飛んでもないところに「併し」とか「だが」とか「故に」といふ語が現れて来る。不思議に思つて原文を覗くと、それはこれに該当するドイツ語の位置をそのまま守つてゐるのである。きつとその位置を変へるのが原著者に対する冒?なのであらう。併し独自の配語法を持つ日本語は少しも冒?されてゐないのであらうか。――第四にコンマは必ず読点になり、プンクトは何時も句点になつてゐる。ドイツ語では二つ以上の独立の文章をコンマで切ることがある。それを一々読点で結びつけてゐるのである。而も不幸なことに構文が四分明きに組んであるから読点は一向に目立たない。「……である、……は……」といふ場合に一つの文章が読点で終つてゐるのか、それとも前の文章が後の文章の主語を修飾してゐて一気に読むべきか全く迷はざるを得ない。――これは前に述べたことと関係があるが、第五に日本語の名詞には性がないのに、机を指す代名詞を「彼」と訳したり、学問の場合に「彼女」と呼んだりしてをり、また名詞の複数を現はさうとして、必要もないのに「諸」、「等」、「達」を用ひて「王等」といふ風に訳してゐる。
【中略】
 翻訳にも実証主義があると言へないであらうか。由来実証主義といふものは人間が丁度幼児のやうな心を持つてゐれば、そこに世界の真実を映すことが出来ると信心てゐる立場であつて、幼児の心といふのは積極的な働きを営まずにただ外から来るものを素直に受取る心といふ意味である。中間に立つ自分の影を淡くしようと心がけて、自分といふものの働きに禁止を命ずる翻訳者はこの実証主義を良心としてゐるのであらう。
 けれども凡べての実証主義がさうであるやうに、翻訳の実証主義も根本から誤つてゐる。流れるものに自分の影を落すまいとするには、ただ日本語を用ひながらドイツ語の文法を忠実に守つて見てもそれで出来るのではない。自分といふものの働きを禁じても駄目である。大切なことは自分に最大の働きを命じることであり、自分の影で流れるものを完全に蔽ふことである。著者への尊敬は常に必要である。併し尊敬のみか何が生れて来るであらうか。要求せられてゐるものは尊敬に劣らぬ自信であり自負である。若しそれがないならば翻訳は最初からせぬがよいのである。だが実証主義的な翻訳者も尊敬と共に自負を持つてゐる。ただその尊敬は著者に向けられ、自負は読者に向けられてゐるのである。著者に対しては必要以上の謙譲と読者に対しては必要以上の尊大と。人間は必ず一定量のエティケツトを持合せてゐるのであらうか。
【一行アキ】。
 外国文化の盲目的な崇拝といふ罪を糺されてゐる明治の人々が決してこのやうな実証主義者でもなく、さういふ意味で良心的でもなかつたといふことに注意すべきではないであらうか。彼等は著者に向つて尊敬と同時に十分の自信を示してゐた。彼等は自分の影を流れに落すことを恐れはしなかつた。彼等の眼は著者に向つて注がれると共に読者の上に注がれてゐた。今日のやうなグロテスクな日本語でなく、風格のある本当の日本語で外国の思想が伝へられてゐたのである。それが今日のやうに変じて来たことは、それだけ外国思想に対する理解が深められたことを意味するのであらうか。日本に於ける学問の伝統が鞏固〈キョウコ〉になつたことの現れてあらうか。――或るドイツ人が「日本には奴隷的な翻訳が多い」と言つてゐた。併しこの奴隷的な良心の持ち主は求めに応じて日本の文化が世界に卓越してゐるといふ信仰を告白するのである。我々は良心的翻訳者の功罪を明かにする必要がある。既にその時期が来てゐるのである。 ―(昭和一四・一)―

*このブログの人気記事 2016・5・29(10位に珍しいものが入っています)

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下痢がひどいときは征露丸を七錠

2016-05-28 04:31:34 | コラムと名言

◎下痢がひどいときは征露丸を七錠

 この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
 本日は、『原爆投下は予告されていた』から、五月二八日から三〇日までの日誌を紹介する(一四九~一五三ページ)。なお、『永田町一番地』は、五月一四日のあと、六月四日まで、日誌が飛んでいる。
 
 五月二十八日 (月) 晴
 午前零時、勤務に上番する。下番者田原候補生は、「勤務中以上〔ママ〕ありません。情報としては昨夜午後十時のニューディリー放送でありますが、放送によりますと昨二十七日、米軍B29約二十機、関門海峡並びに下関西部海岸一帯に機雷を投下したと放送致しました。以上であります」
「よしわかった。ご苦労」
 昨日は結局、敵さん、一昨日に偵察した後の爆撃はやらなかったようだ。今日はやって来るだろう。今日はこの間のコースと違って深圳から黄埔の方に来るように思えて仕方がない。ついでに広東だろう。それにしても内地は大変だなあ。山の中に畑を開墾して自給自足とすることだと、内地の人のことを思う。【中略】
 午前七時、当番兵が朝食を持って来てくれる。とうとう午前八時まで何事もない。午前八時、田中候補生に勤務を申し送り下番する。
 内務班に帰ったら、すぐ横になって眠り込んでいた。何時間ぐらいたったのか、「班長殿、空襲です」と田原に起こされた。ドォーン、ドォーンと飛行場がやられている。高射砲弾の炸裂している音も聞こえる。
 壕の中でかすかに聞こえるのとは全然違う。武器を何も持たないで鉄甲をかぶってじっとだけしているのは、落ち着かない。せめて銃でも持って身がまえていると心が落ち着くが、銃はここ全体で十丁しかない。しかも保線班五十名に対し十丁だけで、何組かに分かれて作業中の警戒のために持っているので、対空襲用は何もない。
 この間は珠江沿いの艦船がやられたが、今日の飛行場にはだいぶ落としたように思う。自分の推定では十機は来ているように思う。棕櫚〈シュロ〉の葉で葺いた〈フイタ〉屋根に、この間、保線班がかなり草をおいてくれたので、完全に擬装されたらしい。空襲はほんとに長かった。十分ぐらいはたったろうか。音がなくなったのは、三時すぎだった。【後略】

 五月二十九日 (火) 曇後雨
 午前零時、上番する。下番者田原候補生よりはとくに問題は何もなく報告なし。【中略】
 午前八時、下番する。下番後、横になってすぐ眠り込んだ。眠り込んだ直後から、雨と風は非常に強くなって来た。まず棕櫚の葉の上にこの間、保線班が持って帰ってくれた草の数々が風で全部吹き飛んで、棕櫚の葉で葺いた屋根からぽたぽたと雨濡りがはじまった。横なぐりの風のために、板壁の隙間から水しぶきが寝床を洗うので、とても寝られたものではない。蚊帳もずぶ濡れのままである。
 田原はうまく水を除け、うずくまるようにして建物の角のところでよく眠っている。うすら寒い。こんなときにマラリアにでもなったら、それこそメイファーズ〔没法子=お手上げ〕だ。そのうちに床の濡れていないところにくるまって横になっているうちに、やっと眠った。
 午後四時半ごろ起きる。田中が下番したところで、
「田原、ちょっと顔色が青いです」と報告してくれる。
「今朝、睡眠中、雨水にやられたからだろう」と答える。
 気になるので、自分が行って聞いて見ようかと思ったが、遠慮することだろうと、田中に聞きにやらせる。異常なしとの返事が帰って来る。各人の毛布から衣袴はもちろん略帽、肌着靴下、靴とよくもよくも濡れに濡れた。午後五時ごろから三人分の濡れたものを紐に吊るして乾かす。夜中までにはほとんど乾くだろう。

 五月三十日 (水) 曇
 午前零時、勤務に上番する。下番者田原候補生は、
「昨晩午後十時のニューディリー放送によりますと、昨五月二十九日昼、米軍B29五百機とP51百機、合計六百機の戦爆連合機は横浜を空襲し、銃爆撃を行なっております。さらに沖縄の米軍は、首里城の一角を占領したということであります」
 ところで彼の顔は青い。唇も青く精気少なし。
「おい貴様、体調の悪いのを無理して勤務してたんではないか」と聞く。田原はもそもそしていたが、
「はッ、下痢をしております。昨日の雨で濡れた褌をつけたまま寝ておりまして、腹を冷やしたようで、勤務中、何度も下痢しました」
「薬を飲んだか」「まだ飲んでません」「持ってるか」「持ってません」
「よし、しばらくここに待っておってくれ」といって内務班に帰り、雑嚢【ざつのう】から征露丸と手拭四枚乾いたのを持って来た。
「この薬は征露丸ともクレオソートともいう。通常三錠から五錠だが、下痢がひどいときは七錠くらいに多めに飲んでかまわない。これは昨年一月、内地を出るとき、おれの祖母が頭痛薬のノーシンと、この征露丸を持たしてくれた。入営時点で頭痛薬は取りあげられたが、征露丸は持ってもよいということで、そのまま持って満州から北支、中支、台湾、そして南支は梧州まで旅した薬だから、よく効くからすぐ飲んでくれ。取りあえずすぐ七錠飲んで、毎食後、当分よくなるまで三錠ずつ飲んでくれ。この手拭四枚は腹巻き代わりに腹に巻き、バンドで止めて腹を温めてくれ」といって渡す。
 田原は下番したが、先ほどの報告が気になってならない。【中略】
 静かな夜の勤務の中、一人もの思いに沈む。昼間雨に濡れた衣袴は、午後六時ごろから干したので、充分乾いたと思って着て来た。衣袴はよしとしても、靴下が充分に乾いていなかったのか、編上靴〈ヘンジョウカ〉の中に水分が残っていたのか、足の方から冷たさを感じる。
 午前四時、厠に行って空を見るも、まだ風雲あわただし、今日はもう雨はやんでくれ。午前八時下番、場合によっては三勤の勤務をする必要もあって、すぐ横になって眠る。
 午後三時半、田原に下痢のことを聞くと、「まだ水溶液ばかりです」という。暖こうにしてゆっくり休めと休ませる。
 午後四時上番、下番者田中候補生は、
「班長殿、十六時間勤務は無茶です。自分に少しでも受け持たして下さい」と申し出た。
「貴様たちにはマラリアのときに迷惑をかけている。おれのことより下番したら、田中の面倒を充分見てやってくれ」と頼む。勤務についても、各所からのベルはなし。
 午後七時、NHKのニュースが流れる。
 ――海軍ではあらたに軍令部総長に豊田副武大将が、また海軍総隊司令長官に小沢治三郎中将がそれぞれ昨日付で任ぜられましたと。沖縄の戦況についてはまったく何もいわない。そのほかとして東京都内から長距離乗車に当たって発売駅を制限するとか、細々〈コマゴマ〉言っておいて結局、最寄りの駅で聞けといっている。
 午後十時、ニューディリー放送を心待ちにされていた上山少尉は、放送がないということで情報室を出て行かれた。情報室は今朝の勤務と同様一人になった。

*このブログの人気記事 2016・5・28(8・10位にやや珍しいものが入っています)

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詩歌を高吟し煩悶や懊悩を吹き飛ばせ

2016-05-27 04:12:17 | コラムと名言

◎詩歌を高吟し煩悶や懊悩を吹き飛ばせ

 昨日の続きである。『青年愛誦 ポケット詩歌集』(大日本雄弁会講談社、一九三七)から、本日は、次の三つを紹介してみたい。順に、「大いに詩歌を高吟しま〔せ〕う」、「はしがき」、「ローレライ」である。
「大いに詩歌を高吟しま〔せ〕う」は、表紙見返しにあって、本書の利点を一〇箇条で示しているもの。「はしがき」は、本書の趣旨を、高らかに述べているもの。「ローレライ」は、ドイツ人が愛唱する歌である。「佐藤朔風」はママ。正しくは、「近藤朔風」である。

 大いに詩歌を高吟しま〔せ〕

○肺活量が増し腹力が増大します。
○心気が爽かになり能率が上がります。
○質実剛健の気魄が培はれます。
○煩悶や懊悩が吹つ飛びます。
○音声が美しく、言葉が明瞭になります。
○情藻が豊かに、語彙が豊富になります。
○態度が端正に、人品が高尚になります。
○志士仁人の魂が我が血脈に融け込みます。
○高潔赤誠の大人格が養はれます。
○天地自然の大道に融和渾一〈コンイツ〉します。

 は し が き
 
歌は人生の活力素です。人心に明朗と弾力とを与へるものです。而も、興国の民には健全の歌があり、亡国の民には廃頽の歌があります。
 日本は今躍進の勢【いきほひ】にあります。東洋平和の確立と共に世界を指導し、全人類の福祉を進むることは肇国以来の大理想で、儼然たる皇謨〈コウボ〉の大精神であります。
 この大聖業に参加する吾等は、雄渾なる気魂を練精する為に、大に健全なる詩歌を高吟しようではありませんか。恰も、古来の聖賢が、音楽を以て救世済民の具に善用したやうに。
 この搬子を、野に、山に、携へて、心ゆく許り朗咏愛誦しませう!
 その声が、天地に響き渡り、乾坤【けんこん】に漲り溢るゝ時、躍進日本の真意気【しんいき】は、彌【いや】が上に燃え上ることゝ信じます。

 ロ ー レ ラ イ  佐藤朔風

なじかは知らねど 心わびて
昔の伝説【つたへ】は いとど身に沁みむ
侘【わび】しく暮れゆく ラインの流【ながれ】
入日【いりひ】に山々 赤く映【は】ゆる

美【うるは】し乙女【おとめ】の 巌頭【いはほ】に立ちて
黄金【こがね】の櫛とり 髪の乱れを
梳【と】きつゝくちずさむ 歌の声の
神怪【くすし】き魔力【ちから】に 魂【たま】もまよふ

漕ぎゆく舟人【ふなびと】 歌にあこがれ
岩根【いはね】も見やらず 仰げばやがて
波間に沈むる 人も舟も
神怪き魔唄【まがうた】 唄ふローレライ

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