礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

牧野富太郎と「すえ子笹」

2023-07-31 03:08:52 | コラムと名言

◎牧野富太郎と「すえ子笹」

 本日も、牧野富太郎『わが植物愛の記』(河出文庫、2022)の紹介である。本日、紹介するのは、第一部「想い出すままに」の中の、「すえ子笹」という文章である。

   すえ子笹
 昭和三年二月二十三日、わが妻寿衛子は五十五歳で永眠した。病原不明の死だった。病原不明では、治療しようもなかった。世間には他にも同じ病の人もあることと思い、その患部を大学に寄贈しておいた。
 妻が重態のとき、仙台からもって来た笹に新種があったので、私はこれに「スエコザサ」の名を付し、「ササ・スエコヤナ」なる学名を付して、発表し、この名は永久に残ることとなった。この笹は、他の笹とはかなり異なるものである。
 私は、このスエコザサを妻の墓に植えてやろうと思い、庭に移植しておいたが、今ではそれがよく繁茂している。
 妻の墓は、今、下谷谷中の天王寺墓地にあり、その慕碑の表面には、私の詠んだ句が二つ、亡き妻への長【とこ】しなえの感謝として深く深く刻んである。
  家守りし妻の恵みやわが学び
  世の中のあらん限りやスエコ笹
 妻は、今、私の棲んでいる東大泉の家に、ゆくゆくは立派な植物標品館を建て、これを中心に牧野植物園をこしらえてみせるという理想をもって、大いに張り切っていたのであったが、これもとうとう妻のはかない夢として終わってしまった。今の家ができて、喜ぶ間もなく妻はなくなってしまつたからである。
 しかし、私は、いつの日にか、妻の理想が実現できると信じている。
 
「スエコザサ」は、牧野富太郎が、1927年(昭和2)に、仙台市で発見した笹の新種。イネ科アズマザサ属のササ類で、学名は Sasaella ramosa var. suwekoana だという。
 なお、牧野富太郎が遺した約50万点の植物標本は、現在、都立大学の牧野標本館に保管されている(ホームページ「東京都立大学 牧野標本館」)。

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牧野富太郎の「わが初恋」

2023-07-30 01:03:06 | コラムと名言

◎牧野富太郎の「わが初恋」

 このブログを始めたころ、何回か、植物学者・牧野富太郎について書いたことがある。ネタ元は、主として、牧野富太郎『自叙伝』であった。これは、「現代日本記録全集13」(筑摩書房、1970)に収められていたもので、その原本は、『牧野富太郎自叙伝』(長嶋書房、1956)だとあった。
 最近になって、その『自叙伝』を読み直したくなったが、あいにく、「現代日本記録全集13」が見つからない。そこで、昨年7月に出た牧野富太郎『わが植物愛の記』(河出文庫)を手にした。同書の第一部「想い出すままに」には、自伝的な回想文が、いくつも集められている。本日は、その中から、「わが初恋」という文章を紹介してみたい。

  わが初恋
 東京は飯田町の小川小路の道すじに、小沢という小さな菓子屋があった。明治二十一年頃のことで、その頃私は、麹町三番町の若藤宗則という、同郷人の家の二階を借りて住んでいた。私は、この下宿から人力車に乗って九段の坂を下り、今川小路を通って本郷の植物学教室へ通っていた。そのとき、いつもこの菓子屋の前を通った。
 この小さな菓子屋の店先に、ときどき美しい娘が坐っていた。
 私は、酒も、煙草も飲まないが、菓子は大好物であった。そこで、自然と菓子が目についた。そして、この美しい娘を見そめてしまった。
 私は、人力車をとめて、菓子買いにこの店に立寄った。そうこうするうちに、この娘が日増しに好きになった。その頃の娘は今とちがって、知らない男などとは、容易に口もきかないものだった。私は悶々として、恋心を燃やした。
 私が、娘に話しかけようとすると、まっ赤な顔をしてうつむいてしまうのだった。
 こうして、毎日のように菓子屋通いがはじまった。
 その頃、私は神田錦町の石版屋に通って、石版印刷の技術を習っていたが、この石版屋の主人の太田という男に頼みこんで、娘を口説いてもらうことにした。
 石版屋の主人はさっそく、私のこの願いをききいれ、小沢菓子店におもむいて、娘の母親に会ってくれた。
 私は、くびを長くしてその報告を待っていた。
 石版屋のはなしによると、娘の名は寿衛子【すえこ】といい、父は彦根藩主井伊家の家臣で小沢一政といい、維新以後は陸軍の営繕部に勤務していたが、数年前亡くなったということであった。寿衛子はその次女だった。
 寿衛子の父の在命中は、小沢家の邸は、表は飯田町六丁目通りから、裏はお濠【ほり】の土手までつづく広大なもので、生活もゆたかであり、寿衛子も踊りや唄のけいこに毎日を送るなに不自由ない令嬢だったということだった。それが父の死によって、広大な邸宅も人手に渡ることになり、京都生まれの勝気な母は、大勢の子供を細腕一つで養うために、菓子屋を営んでいるという次第だった。
 石版屋の主人の努力によって、この縁談はすらすらとはこび、私たちは結婚した。そして、新居を根岸の村岡家の離れに構えた。明治二十三年のことだった。

 NHKのテレビ小説によって、よく知られるようになったエピソードである。
 この「わが初恋」という文章は、河出文庫版では、2ページ弱である(54~55ページ)。ところが、これに続く「ムジナモ発見物語」という文章は、4ページ強もある(55~59ページ)。これが牧野富太郎の牧野富太郎たる所以であろう。

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ビルマの青年は武器なくして戦ひました(ウー・バー・モウ)

2023-07-29 02:46:09 | コラムと名言

◎ビルマの青年は武器なくして戦ひました(ウー・バー・モウ)

 情報局編『アジアは一つなり』の、「二、各国代表の演説」の部から、「ビルマ国代表 内閣総理大臣ウー・バー・モウ閣下演説(訳)」の章を紹介している。本日は、その五回目(最後)。

  アジアの血こそアジアを我々に
 私がビルマの戦況に付き多くを語り過ぎたとせば、各位の御寛恕を乞ふ次第でありまするが、私が自国の領域内に於て現実に総力戦に従事して居る国民の代表として出て来たものであることを御諒解願ひたいのであります。ビルマ国民が現に第一線的状態の下に生活し居り、其の家庭も、生命も、財産も、其の他人生に価値ありと考へられる総てのものが、日々敵の攻撃に曝され〈サラサレ〉て居ることも御諒解願へることゝ存じます。是即ち私が、忌憚なく申せば胸中に弾丸飛び交ふ火線の心情を抱いて此処に参つた所以であります。ビルマ国民が常に一大闘士であつたことは史上に明かなる所でありまして、現在のビルマ国民も其の祖先の名を辱めぬものなることは私の確言し得る所であります。今より二年前、我がビルマの青年は武器なくして戦ひました。武器を獲る為には先づ敵を斃さねばならなかつたのでありますが、彼等は敢然として之を遣り遂げたのであります。今日ビルマ国に於ける士気は頗る旺盛でありまして、何物と雖も之を破ることは不可能であります。何故ならば総てのビルマ人は己の貴し〈タットシ〉とする総てのものの為に戦ひつゝあることを知悉〈チシツ〉して居るからであります。
 私は東亜の一体たるべきこと、此の戦争を東亜人として俱に〈トモニ〉戦ひ、東亜人として俱に世界を建設すべきことに付いては既に充分に述べ尽しました。我々は此の事業の正しき端緒を本会議に於て開いたのであります。併しながら、我々は単に此の事業を続けて行くのみならず、本日成功裡に開始せられたる此の事業を、大東亜戦争の全作戦地域に及ぼし且将来の平和の為に展開して行かねばならないのであります。換言すれば、東亜共同の運命を綜合計画化して導いて行くべき、恒久的なる東亜中央組織体の存在を必要とするのでありまして、之に依り、始めて我々の結集は現実化し、効果的となり、平時にも戦時にも有力な武器と成るのであります。右組織体が自由にして平等なる大東亜各国を代表するものであることは言を俟たざる所であります。故に途は自ら〈オノズカラ〉明かであり、我々は今其の緒を摑んだ許りでありますが、是から目的に向つて我々の前進が開始される次第であります。一度アジア民族が結集し、統一と指導とを得るときは、常に如何なる世界の涯〈ハテ〉迄も前進し得るものであることは歴史の示す所であります。
 過去に於て、東洋は一再ならず其の敵に対し進軍し、之を滅したのでありますが、唯、アジア人がアジアを忘却したときに限り敵に敗れたのであります。併しながら、今や偉大なる大日本帝国のお蔭に依り、我々は再びアジア人たるの自覚を取戻し、アジアの血を再発見したのでありまして、此のアジアの血こそはアジアを我々の手に恢復せしむるものであります。今こそ我々は示されたる途の最後迄進撃を続けようではありませんか。十億の東亜民族として、新しい世界、我々東亜民族が始めて永遠の自由と繁栄とを獲得し、永往の地を見出すことが出来る新しい世界に向つて進軍しようではありませんか。

 情報局編『アジアは一つなり』の紹介は、とりあえず、ここまでとし、明日は話題を変える。

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ビルマは恐るべき事実に直面しております(ウー・バー・モウ)

2023-07-28 01:36:13 | コラムと名言

◎ビルマは恐るべき事実に直面しております(ウー・バー・モウ)

 情報局編『アジアは一つなり』の、「二、各国代表の演説」の部から、「ビルマ国代表 内閣総理大臣ウー・バー・モウ閣下演説(訳)」の章を紹介している。本日は、その四回目。

  東亜生存のための戦ひ
 扨て〈サテ〉、次に大東亜戦争及び東亜的秩序に付て申し述べたいと存じます。実は此の点に付きましては、代表各位が既に述べられたる所に対し私より附加し得ることは殆んど無いのでありまするが、極めて概念的に申し上げて見たいと思ひます。我々にとつて今次の戦争は絶対絶命のものであります。東亜は此の戦争を勝ち抜き生き永らふるか、然らずんば戦ひ敗れ滅亡するの外なく、他に選ぶべき途は無いのであります。実に東亜と東亜民族にとつては生存其のものの為の戦〈タタカイ〉であり、将来千年に亘る独立、平和並に〈ナラビニ〉繁栄の為の戦であります。
 現実を勇敢に直視して見たら如何なる状態でありませうか。ビルマは現に恐るべき事実に直面して居ります。故に私も率直に申し述べて居るのでありますが、同時に私は茲に代表せらるゝ全東亜各国に代つて述べて居るものと信ずるものであります。若し東亜が一体となり、強力となり、自給自足の境地に到達するに於ては何事も成らざるはなく、十億の東亜民族が結束して立つときは、如何なる戦、如何なる平和をも克ち得る〈カチウル〉のであります。
 東亜の新秩序並に経済に関しては、既に申述べましたる通り、私は議長閣下の明瞭にして議論の余地なき御声明に対し深甚なる謝意を表するものであります。議長閣下は其の独自の勇邁〈ユウマイ〉と決断とを以て、其の根本原則は正義、互恵並に独立及び主権の相互尊重なるべきことを宣言せられましたが、右は誠に明瞭確固たる御言葉であり、東亜憲章、即ち東亜の新秩序の存する限り存続する憲章として、永遠に遺るでありませう。又、是等の諸原則に基礎を置く東亜の新秩序は、巌〈イワオ〉の如く、永久に揺ぐ〈ユラグ〉ことなく存続するでありませう。此の東亜の新世界は、其の安定の為必要とする物質的条件は既に之を具備して居ります。曩に〈サキニ〉申し述べました通り、自然は我等の新世界に対し物質的資源を惜みなく恵んで呉れて居ります。従つて、物質的には我等の世界を、敵に対し安定せる鞏固なるものと為す上に於て、何の欠くところも無いのであります。併しながら右を以て十分なりとは絶対に言ひ得ぬのでありまして、此の物質的結集に加ふるに、理解と寛容とに基き、個は全体の為にして全体は個の為なり、との根本意識を基礎とする精神的結集が無ければならないのであります。即ち、個々の国家主義と並んで、もつと広い意味に於ける国家主義が必要であり、個々の領域的天地と並んで、単一の東洋的天地を必要とするのであります。是は単なる感情乃至言葉ではなく、我々は絶対に之を完遂せねばならず、然らずんば我々は雄図の半〈ナカバ〉にして滅亡するの外は無いのであります。
 以上は現に我々の直面する問題に対する一般的の見解であります。代表各位が強調せられたるが如く、我々各国民は各独自の道を歩み、各〈オノオノ〉独自の軌道を運行し、各自に自彊の途を講ずるの要があり、先づ自国に於て各々善良なる国民たるの資格を備へ、延いて〈ヒイテ〉は善良なるアジア人、善良なる隣人たらざるべからざるのであります。今日迄に私が屡〻述べて居ります通りビルマ国の東亜に貢献する最善の途は強力なるビルマ国を建設することであります。ビルマ国の力は即ち東亜の力なのでありまして、此のことは亦中華民国、タイ国、満洲国及びフイリピン国、並に最後に等しく印度に付いても同様であります。而して東亜の力は是等各国、即ち自由にして平等なる彼等自身の世界に於て躍動し、活動し、且協力する是等各国の個々の力の結集せられたるものでなければならないのであります。
 以上申し述べました東亜の原則を現実に起りつゝある事態に適用して見たいと存じます。私の祖国ビルマ国に付いて述べますれば、御承知の通りビルマは実に大東亜戦争の第一線であります。といふことが如何なる困苦、如何なる恐怖を意味し、如何に柯1C多数の人命及び家庭が喪はれ〈ウシナワレ〉、今日生けるものが明日は既に此の世にあらざる状態を意味するものであることは各位の能く御承知の通りであります。既に申し述べましたる通り、ビルマ国が是等の惨禍に直面して居るのは自国の為のみではなく、全東亜の為であり、共同戦線の一部を防衛することに依り東亜の他の地域の防衛に当つて居るのであります。私はビルマ国が最後迄第一線を守り通すであらうことを確言するものでありますが、同時に私は他の大東亜各国が、現にビルマに行はれつゝある激戦は彼等自身の戦であり、此の戦は一体一家の原則の下に戦はれねばならず、且大東亜の総力を以て戦ひ抜かれねばならないものであることを銘記せられんことを望むものであります。我々は全東亜防衛の為、如何なる国、如何なる戦線に於ても運用し得る如く、全戦力及び全資源を結集せねばならないのでありまして、換言すれば東亜が一体なるが如く、其の努力、経済及び企画も一体でなければならず、而も物質的にも精神的にも一体であることを要するのであります。万一自己の為に孤立主義を採るものあらば、それは最大の裏切り行為と申すべく、我々を滅亡に導くものに外ならないのでありますが、何よりも先づ彼等孤立主義者自身が破滅に陥ることでありませう。繰返し申し述べますれば、ビルマは今後も東亜の第一線たるべく、我々はアジア人として、アジアの為に、此の戦争を戦ひ抜く決心を有して居ります。と同時に他の東亜各国も之に倣はれることを当然期待するものであります。【以下、次回】

※本日、朝8時前、初めてクマゼミの声を聞いた。

*このブログの人気記事 2023・7・28(9位になぜかドリームC70、10位になぜか伊藤博文)

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自由なる印度なくして自由なるアジアなし(ウー・バー・モウ)

2023-07-27 00:03:22 | コラムと名言

◎自由なる印度なくして自由なるアジアなし(ウー・バー・モウ)

 情報局編『アジアは一つなり』の、「二、各国代表の演説」の部から、「ビルマ国代表 内閣総理大臣ウー・バー・モウ閣下演説(訳)」の章を紹介している。本日は、その三回目。

  アジアは一つ
 私が既に申し述べました東洋を全然変貌致しました種々の事件は、日本無くしては到底起り得なかつたものであります。我々多くの者が長い間彷ひ〈サマヨイ〉、救を求め得なかつた荒野から我々を救出してくれたのは東洋の指導国家日本であります。全東亜は日本に負ふ所実に多大であり、私は全東亜が欣然として日本に対して大いに報いる所のあることに付きましては完全なる確信を有するものであります。
 私は敢て申します、本日の会合は誠に意義深き行事であります。議長閣の述べられましたるが如く、我々は正義、平等、互恵に基き、他を生かしむることに依り我も亦生くといふ大原則の下に新しい世界を創造しつゝあるのであります。有らゆる見地から見まして、東亜はそれ自体一箇の世界を成して居るものであります。即ち物質的には自給自足、否寧ろ溢るゝ許りに豊かであり、戦略的には不敗にして如何なる敵をも撃摧〈ゲキサイ〉出来、精神的には完成せられたる「一」であり、自ら別天地を形成して居ります。然るに我々アジア人は幾世紀もの長い間、以上の事実を忘却して居つたが為に、多大の損失を蒙つたのであります。即ち其の結果アジア人は遂にアジアを喪失するに至つたのであります。今や、日本のお蔭を以て我々は以上の事実に気がつき、之に依つて行動を開始した次第でありますから、アジア人は必ずやアジアを恢復するに相違なく、此の簡単なる真理の中にアジアの全運命が横たはつて居るのであります。
 私は此の教訓を非常に高価なる代価を払つて体得した国から参つた者として所見を述べて居るのであります。多数の国家国民も此の教訓を得る為に苦い目に遭つて来ました。ビルマに付いて申しますれば、我々は慈悲も正義心もない敵に対して代価を払つたのみならず、有らゆる形式に於て、死と破壊との代価を払つて居る次第であります。僅〈ワズカ〉に一千六百万人のビルマ人が独力で国家として生れ出づる為に闘争したときは、常に失敗に終りました。何代にも亘つて我々の愛国者は奮起し、民衆を率ゐ、打倒英国に邁進したのでありますが、我々はアジアの一部に過ぎないこと、一千六百万の人間が為し得ないことも十億のアジア人が団結するならば容易に成就し得ること、是等の基礎的事実を認識するに至らなかつたが為に我々の敵に対する有らゆる反抗は仮借する所なく蹂躙〈ジュウリン〉されたのであります。斯くて今から二十年前に起つた全国的叛乱の際には、ビルマの村々は焼き払はれ、婦女子は虐殺され、志士は或は投獄され、或は絞殺され、又は追放されたのであります。併しながら、此の叛乱は敗北に終つたとはいへ、此の火焔、アジアの火焔はビルマ人全部の心中に燃え続けたのでありまして、反英運動は次から次へと繰返へされ、此のやうにして闘争は続けられたのであります。而して遂に、今日漸く〈ヨウヤク〉にして遂に、我々の力は千六百万のビルマ人の力のみでなくして、十億の東亜人の力である日が到来したのであります。即ち東亜が強力である限りビルマは強力であり不敗である日が到来したのであります。
 以上私は東亜を全体として所見を申し述べて参りましたが、実は東亜は今尚全体として纏まるに至つては居らないのであります。我々は東亜圏が尚不完全であり、此処彼処〈ココカシコ〉に間隙〈カンゲキ〉のあることを認めざるを得ないのであります。それは特に印度を意味して斯く申し上げるのであります。何人〈ナンピト〉と雖も印度を除外して東洋を考へることは出来ず、此の点に付きましては別に理由を申し述べる必要は無いと思ひます。是迄私は屡〻自由なるなくして自由なるビルマなしと申して参りましたが、今日私は一歩を進めまして、自由なる印度なくして自由なるアジアなしと率直に断言致すものであります。
 印度はアジアに於ける反アジア侵略の武器庫であり、宝庫であり、足場であります。故に侵略者を印度から、此の無尽蔵の宝物を有し、資源を有し、人力物力を有する印度から、放逐しなければならないのであります。我々は是等の印度の資源を敵の手から奪ひ取らねばならないのであります。是即ち私が印度の独立はアジアの独立に欠くべからざる要素であり、印度の闘争は実にアジアの闘争であり、我々の闘争であり、我々の戦争であると断定する私の所見に閣下各位が御同感であること信する所以であります。
 私は、必ずや、スバス・チヤンドラ・ボース氏が、私の所言が些〈イササカ〉の誇張もない文字通りのものであり、而も絶対的信念を以て申し述べて居ることを御認めになるものと信じて疑ひません。【以下、次回】

今日の名言 2023・7・27

◎他を生かしむることに依り我も亦生く

 ビルマ国首相ウー・バー・モウが、大東亜会議における演説の中で紹介した言葉。上記コラム参照。出所は不明だが、こういう言葉を、さりげなく引用できたバー・モウが、高い教養の持ち主であったことは間違いない。

*このブログの人気記事 2023・7・27

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