礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

魚の腸に石を入れ小麦粉に石粉を混入する

2017-09-20 03:20:04 | コラムと名言

◎魚の腸に石を入れ小麦粉に石粉を混入する

 深谷善三郎編『(昭和十八年二回改正公布)戦時刑事民事特別法裁判所構成法戦時特例解説』(中央社、一九四三)から、「戦時刑事特別法解説」の第一編「総説」を紹介している。本日は、その三回目。本日は、第一編「総説」の、「四」、「五」、「六」、「七」を紹介してみたい。
 
  四、戦時下に於ける一般犯罪情勢(司法省編)
    概 観
 十二月八日宣戦布告ありたる後の一般犯罪の発生情況を概観するに、今次大東亜戦争の重大性を国民が認識せると、緒戦に於ける、陸海軍の赫々たる大戦果に因る国民の安心感とに因り、国内治安は平静を持して居り未だ憂ふべき事態の発生を見ざるは洵に〈マコトニ〉喜ぶべきことなり、然れども戦時下と雖も一般犯罪は依然、各所に発生し、戦争の長期化と戦局の推移如何に因りては、犯罪情勢の悪化も予想せられ須臾〈シュユ〉も油断するを許さざるものあり。

  五、経済事犯の一般情勢(司法次官大森洪太氏説明)
 経済統制の実施以来全国の検事局に於て受理した違反者の数は、昨年〔一九四一〕十月末現在に於て「総計二十七万三千五百人」に上るのであり、昭和十五年度〔一九四〇年度〕に入り統制が全面化せられた頃から急激に増加して居る、最近に於ては受理の員数も大体一箇月一万人前後を見て居るやうな状況である、此の中で、約八割が価格等統制令違反であつて、残りの二割程度の者が生産配給等の物資統制令違反となつて居る。
 更に検事局に於て受理した事件は、大体に於て其の半数の者が起訴せられ他の半数の者が起訴猶予其の他の不起訴処分になつて居る。起訴せられた者の中で実に九割三四分〔九三~九四%〕程度の者が略式手続に依る処理が為されて居り、検事から直接に公判を請求するやうな事件は僅かに五分〔五%〕前後で更に予審を請求した事件は全体の起訴件数の約五厘〔〇・五%〕程度である。
 昭和十六年〔一九四一〕十月末現在に於て統制法令違反として体刑に処せられた者が全体で、三千七百三十八人、此の中で約七割三分程度の者が六月未満の懲役刑に処せられ、七月以上一年以下の刑に処せられた者が二割、更に一年以上の刑に処せられた者は僅かに六分と云ふ程度である。
 次に経済犯罪は最近に於ても悪質化の傾向を辿つて居るが、是は統制が進展すると共に夫れに照応して経済犯罪の方も悪質化しつゝあるのだと言へるかと思ふ。特に繊維、金属、紙類、一般食料品の方面に於ては悪質化の程度が甚だしいやうに考へるのである、又食料品に於ては極端に規格を低下するやふなこともあり、最近に此の規格低下の悪質犯が相当広範囲に発生して居る。
 又今日迄再犯にして起訴せられた者が二千二百三十八人、三犯者にして起訴せられた者が八十七人を数へて居る。
 是等の経済犯罪が、殆ど総ての物資に付て行はれて居るのであるが、最近特に、飲食料品、日用繊維製品等に関すものが多くなり、又地代家賃統制の違反も相当多いやうである。
 経済犯罪の実情に応ずる「司法検察の方針」としては、国防経済の完遂に目標を置いて、法令の精神、物資需給の状況、国民の統制の馴致〈ジュンチ〉、理解の程度を初め、犯罪の主観客観、諸般の事情を考察して、寛厳其の宣しきを得ることに努めつつあるのであるが、悪質犯に付ては之を厳に処断して他戒の目的をも達成せむとして居る状況である。

  六、官公吏の涜職と経済事犯
 国防経済の完遂を期して、統制経済が全面的に強化される際、統制事務の執行に当る行政の官吏公吏の涜職罪〈トクショクザイ〉が多く、違反者側と連携し其の事務も正しく行はないとの風説を聞くのであるが、私利私慾の為にする斯かる不正行為は洵に〈マコトニ〉憎むべく、国防国家体制の為に甚だ遺憾であつて断じて許すことはできないのである。然るに之が取締規定を本法に置かなかつた所以は、官公吏の涜職罪は既に刑法の一部改正に於て厳罰され、監察考査の制度も実施され、又犯行者は極めて厳正に之を検挙糾弾する方針であり、本法制定に際しても慎重に考慮はしたのであるが、元来本法は戦時に直接関連する最少限度の刑法的措置であり、又贈賄罪は二審制なるに対し公務員収賄罪をも二審制とすることの如何をも考慮して、涜職罪の規定は特に之を置かなかつたのである。
 指摘された要点は、『経済統制を利用して不正行為を為す者が実に夥しい、闇は白昼横行する、規格の低下殊に食糧品などは甚だしく之を引下げる、極く卑近な例ではあるが、魚類なども一般家庭には週一回か二回しか配給されず品種も極く限られてゐるが、料理屋なぞでは常に多量の珍味が揃つてゐる、そこに不正のあることは新聞等では明かに書いてゐる。魚の腸〈ハラワタ〉に襤褸〈ボロ〉や石を入れる、味噌を水で割る、小麦粉の中にも三割程度の石粉を混入する、「食糧品の問題」は国民の生活上極めて重要なる影響を持つものであり、今は陸海軍の大戦果に対して国民も苦難を忍んで居るが之が長期に亘れば国民の不安は増大するであらうと思ふ、殊に官公吏の涜職行為の頻発と共に民心に或種の悪影響を及ぼすことは甚大であらう、某省の如きは多数の高等官が現に取調べを受けて居ると聴く、下級警察官吏税務官吏の中には実に多くの涜職行為者を出してをるとのことである、軍部委員からは軍の検察能力を挙げて特に国民の信頼を裏切らないやうにしたいとの率直な声明を得て実に満足する、内務省の責務でもあらうが、司法省としての多くの経済事犯や官公吏の涜職行為等に対する取締上の状況を聞きたい』との趣旨の様である。
 今之を司法検察に関する部分のみについて見れば、確かに検察力が充分に行届いてゐない、洵に申訳がなく遺憾に思つてゐる、示された事例なぞ私共付近でも屡々見聞するのであるが、併し一向挙げられたと云ふことを聞かない、検事当局としては出来る限り努力はしてゐるが、何しろ事犯が多く統計の数字は検事局で受理したものだけであつて実際は非常に多数に上るのであらう、全国的に捜査の手をのばさねばならぬ大規模のものもあり、実に之れが応接に遑〈イトマ〉なき状況である、漸次犯行も証拠湮滅の手段も巧妙になつてくる、今後一層部内を督励して国民の災〈ワザワイ〉を取去り、殊に官紀の紊乱〈ビンラン〉を厳重に取締ることに充分の力を尽したいと期して居る(以上は岩村〔通世〕司法大臣、大森〔洪太〕司法次官、池田刑事局長〔池田克・司法省刑事局長〕、田中陸軍少将等の応答を綜合摘記したものである)。

  七、昭和十八年二次改正に関する説明
「二一頁ノ二、以下」、「三二頁ノ二、以下」に掲ぐ。

 ここまでが、第一編である。
「六」の最後に、「田中陸軍少将」とある。たぶん、田中隆吉陸軍少将(当時、陸軍兵務局長)のことであろう。

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第7条に戦時国政変乱殺人罪を定める

2017-09-19 04:27:26 | コラムと名言

◎第7条に戦時国政変乱殺人罪を定める

 昨日の続きである。深谷善三郎編『(昭和十八年二回改正公布)戦時刑事民事特別法裁判所構成法戦時特例解説』(中央社、一九四三)から、「戦時刑事特別法解説」の第一編「総説」の「三、戦時刑事特別法理由(司法大臣岩村通世氏説明)」の後半部分を紹介してみたい。
 昨日、紹介した部分のあと、改行して次のように続く。

 以下実体規定並に手続規定に関し法の内容に付て其の概要を説明する、実体規定は本法第一章に「罪」と題して一括せられて居り、其の規定した犯罪は何れも戦時下治安を確保し、国防目的を達成する上に於て絶対に其の予防並に鎮圧上必要なりと思料したものであつて、第一条乃至第三条は放火の罪、第四条は猥褻及姦淫の罪、第五条は窃盗及強盜の罪、第六条は恐喝の罪、第七条は国政変乱の目的を以てする殺人の罪、第八条は防空の実施に従事する公務員の職務執行妨害の罪、第九条は騒擾罪〈ソウジョウザイ〉、第十条は公共防空及気象観測妨害の罪、第十一条は公共通信妨害の罪、第十二条は瓦斯〈ガス〉又は電気の公共の利用妨害の罪、第十三条は国防上重要なる生産事業遂行妨害の罪、第十五条は生活必需品の買占〈カイシメ〉売惜〈ウリオシミ〉の罪、第十六条は往来妨害の罪、第十七条は住居侵入の罪、第十八条は飲料水に関する罪に関する規定である。
 而して放火の罪乃至恐喝の罪即ち第一条乃至第六条に規定せられたる犯罪に対しては、「戦時に際し灯火管制中又は敵襲の危険其の他人心に動揺を生ぜしむべき状態ある場合」に於て犯されたる時に限り刑罰を加重することにしたのである。蓋し此の種犯罪は斯かる特殊な状態に於て犯されたるものにあらざる限り刑法の定むる刑罰を以て其予防及鎮圧に十分なりと思料したるが故である、第七条の国政変乱の目的を以てする殺人の罪は刑法所定の殺人罪の特別規定であつて、戦時下殊に斯かる犯罪を防遏〈ボウアツ〉するの必要あるに鑑み〈カンガミ〉、本条を以て之に対し重き刑を規定し、且事を未然に防止するの刑法的措置を講ずることにしたのである、第十条乃至十五条の規定は本法に依り初めて設けられたものであつて、何れも治安の確保及び国防経済完遂の見地よりして欠くべからざる規定と思ふのである、殊に第十五条に規定した業務上不正なる利得を得る目的を以てする生活必需品の買占及び売惜行為の如きは、物資の偏在を招来し、其の配給の円滑を阻害すること甚しき行為であつて、国民生活の安定を期する立場よりしても之が防遏〈ボウアツ〉を期さなければならぬと考へる次第である、是等の規定を通じて、刑罰は刑法の定むる所に比し著しく加重せられて居るが、斯くした理由は、戦時に於ける此の種犯行の鎮圧、予防の為め此の程度の刑罰を以て望む〔ママ〕も亦已むを得ざる所であると思料したるに因るのである。
 手続規定は、本法第二章〔刑事手続〕及び裁判所構成法戦時特例の両者に其の事項の性質に従つて分属せしめられて居る。
 手続規定に関する特例の要点は、結局次の二つの事項に帰著〈キチャク〉する。
 其ノ一は裁判所構成法戦時特例第四条に規定したる特殊の限られたる罪に関する控訴審の省略であり。
 其ノ二は本法第二十八条及第二十九条に規定した上告手続に関する特例である、而して「控訴審の省略」に付いては裁判所構成法戦時特例の説明を参照せられたい、本法「第二十八条及び第二十九条に規定した上告手続に関する特例」は、上告審に於ける書面審理の手続を規定し戦時下に於ける上告審の機能を発揮せしめむとする諏旨に出づるもので、其の他裁判所の証拠調〈シラベ〉の範囲及び判決書の方式等に関する特例は何れも戦時下に於ける刑事手続の的確且迅速の為蓋し已むを得ざる所であつて、裁判所構成法戦時特例と相俟つて戦時刑事法の機能の発揮に遺憾なきことを期した所以〈ユエン〉である。

 戦時刑事特別法は、その第七条第一項で、「戦時ニ際シ国政ヲ変乱スルコトヲ目的トシテ人ヲ殺シタル者ハ死刑又ハ無期ノ懲役若ハ禁錮ニ処ス」、同条第二項で、「前項の未遂罪は之を罰ス」と定めている。
 第一項の罪名を、仮に「戦時国政変乱殺人罪」と呼んでおく(当時、こういう呼称が使われていたかどうかは不明)。
 ちなみに、同書第二編「逐条解説」によれば、一九三〇年(昭和五)から「最近」まで、「国政変乱を目的する殺人事件」によって起訴された者は、佐郷屋留雄〈サゴヤ・トメオ〉(一九三〇年一一月一四日、浜口雄幸〈ハマグチ・オサチ〉首相暗殺未遂事件を起こす)を初めとして、総計一九〇人に及んでいるという。

 
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戦時刑事特別法(1942)が出された理由

2017-09-18 03:23:00 | コラムと名言

◎戦時刑事特別法(1942)が出された理由

 書棚を整理していたところ、深谷善三郎編『(昭和十八年二回改正公布)戦時刑事民事特別法裁判所構成法戦時特例解説』(中央社、一九四三年一一月一四日)という、長いタイトルの本が出てきた。この本は、一九四二年(昭和一七)三月二二日に上梓された初版の「新訂増修」版だという。すなわち、一九四二年(昭和一七)三月に、戦時刑事特別法、戦時民事特別法、および裁判所構成法戦時特例が施行されたが、一九四三年(昭和一八)一一月に、これらの改正公布があった(戦時刑事特別法については、二回目の改正公布)。それに伴う「新版」というわけである。

 読んでみると、戦争という事態が、いかなる犯罪を惹起せしむるのか、それらの犯罪に対し国家が、いかなる対策を取らんとするのか、などのことがわかって参考になる。「平時」であれば、こんな本を手にとる必要もないし、紹介する必要もない。しかし、昨今の情勢を考えると、こういった本も読んでおくのも、決して無駄にはなるまい。
 本日は、同書のうち、「戦時刑事特別法解説」の第一編「総説」の「一」と「二」、そして「三」の前半部分を紹介してみたい。

 戦 時 刑 事 特 別 法 解 説

   第一編 総 説

  一、戦時刑事特別法理由書(司法省編)
 戦時に際し灯火管制中又は人心に動揺を生ぜしむべき状態ある場合其の他戦時下に於ける特に公共の安寧を阻害する等の犯罪の予防及び鎮圧の為め応急措置として刑罰を加重整備し以て治安の確保に資すると共に此等の犯罪に関する事件の迅速なる処理を期する為め裁判所構成法戦時特例と相俟ちて〈アイマチテ〉刑事手続に応急臨時の設くるの必要あり是れ本法案を提出する所以なり。

  二、戦時刑事特別法要綱(政府解説、帝国議会調査部編)
 第一 戦時に際し灯火管制又は敵襲の危険其の他人心に動揺を生ぜしむべき状態ある場合に於て犯したる放火・恐喝等の諸犯罪に対する刑罰を加重すること。
 第二 戦時に際し犯したる騒擾〈ソウジョウ〉、往来妨害、飲料水に関する罪、住居侵入、公共通信妨害、生活必要物資の売惜〈ウリオシミ〉買占〈カイシメ〉、重要産業の運営阻害等の諸犯罪に対する刑罰を加重整備すること。
 第三 其の他判決書の証拠説明の省略を始めとし、刑事手続の簡易迅速を期すべき二、三の付随的規定を設くること。

  三、戦時刑事特別法理由(司法大臣岩村通世〈ミチヨ〉氏説明)
 戦時刑事特別法の制定理由を補充説明する。
 国家の総力を挙げて大東亜戦争の完遂〈カンスイ〉に邁進して居る際国内の治安を確保して、国民に安じて〈ヤスンジテ〉職域奉公の誠を尽さしめると同時に、国防上有害なる影響を与ふる犯罪を芟除〈サンジョ〉する為、有効適切なる方策を樹立することは最も緊要なることと考へられるのである、灯火管制中又は人心に不安動揺を生ぜしむるが如き事態の生じた場合、其の他戦時下一般に於いて、特に社会生活の安全を害し又は国防上有害なる犯罪が頻発するやうなことがあるとすれば、治安上誠に由々しき問題であるのみならず、総力戦の遂行に影響する所も亦尠からざるものあるのである、而して現行の刑法は、主として平時を対象としたる法規であるのみならず、其の制定は内外の情勢が今日と格段の差ある三十有余年前に係り、総力戦下に於ける刑罰法規としては、其の定むる刑罰の程度に於て、将又〈ハタマタ〉其の規定する犯罪の種類に於て、到底不十分なるを免れないのであつて、此の際速かに刑法の定むる犯罪の中、戦時下特に之が予防鎮圧を必要とするものに付いて、其の刑罰を加重すると共に、他面、総力戦の遂行に有害なる影響を及すベき犯罪に関する規定を整備することは、最も緊要にして欠くべからざる措置なりと確信する次第である、併しながら刑罰に関する実体規定と之が実現を任務とする刑事手続とは、恰も〈アタカモ〉車の両輪の如きものであつて、両者相俟つにあらざれば犯罪の予防並に〈ナラビニ〉鎮圧の目的達成を期する上に於て十二分の効果を発揮し得ざるものなることは敢て説明する迄もないのである、如何に刑罰を加重整備しても、犯罪事件の処理が的確且迅速に行はれないとするならば、刑罰は到底其の威力を発揮するに由なく、犯罪の予防鎮圧の目的達成は得て望むべからざる所と考へるのである、従つて刑罰に関する実体法規に於て戦時に相応はしき〈フサワシキ〉応急の措置を講ずる以上、刑事手続法に於ても亦之に照応する応急の措置を講ずることに依りて審判の的確且迅速を図ることは蓋し〈ケダシ〉必要欠くべからざる要務とする所である、即ち本法は、裁判所構成法戦時特例と相俟つて、刑事に関する実体法並に手続法に付き戦時下緊急已む〈ヤム〉べからざる措置を定め、以て総力戦下に適応する刑政の実を挙げむとするものである。【以下、次回】

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木畑壽信氏を偲んで(青木茂雄)

2017-09-17 02:40:43 | コラムと名言

◎木畑壽信氏を偲んで(青木茂雄)

 今月八日に東京・中野区で開かれた「木畑壽信〈キバタ・トシノブ〉氏を偲ぶ会」のことを、当ブログ、九日のコラムに書いた。これを書いたあと、青木茂雄氏にメールし、「偲ぶ会」でのスピーチの際に手にされていた「原稿」を送ってもらえないかとお願いした。青木氏からは、すぐに、了解した旨の返信があったが、「原稿」そのものは、なかなか送られてこなかった。
 昨一六日の未明になって、「木畑壽信氏を偲んで(1)」と題する原稿が送られてきた。一読すると、当日のスピーチの原稿とは、明らかに異なるものでああった。はるかに詳細なものになっている。このあと、まだ、「続き」があるとのことだった。
 とにかく、本日は、この「木畑壽信氏を偲んで(1)」を紹介させていただこう。

木畑壽信氏を偲んで(1) 青木茂雄

 装(よそお)いせよ、おお わが魂よ、
 暗き罪の穴ぐらを去れ。
 明るき光のもとに出できたり、
 主のもとにふさわしき輝きを放ちそめよ。
    ……
聖なる宴の賜物のいかに尊きかな!
 これに比すべきものは、げに見当たらず。
 世がつねに貴しとなすところは、
 空しきあだごとなり。
 ……
(J.S.バッハ作曲『教会カンタータ180番、“装いせよ、おお わが魂よ”』
  より、杉山好訳)

 木畑壽信氏(享年65歳)、文筆家、社会理論学会会員、「変革のアソシエ」事務局。

 「木畑壽信さんを偲ぶ会」が先日都内で行われ、氏の知己が50名ほど集まって、生前の氏を語り合った。私も彼の古い知己のひとりとして短い話をした。その話をきっかけに文章を書いた。生前の木畑氏とその時代を偲ぶよすがとなれば幸いである。

(Ⅰ)『構成する差異』
 私が木畑壽信と最初に出会ったのは、高田馬場駅近くに教室兼事務所を構えた「寺小屋教室」で月1回ほど行われる「寺小屋論」と銘打った小さな報告会の場で、である。注釈が必要である。
 矢掛弘司氏主宰による「寺小屋教室」は、大学闘争の興奮いまだ覚めやらぬ1973年に、清水多吉氏、片岡啓治氏らを講師兼運営委員として迎え、高田馬場駅近くのマンションの一室で市民向けの思想講座として開かれた。今で言えば“カルチャー”の先駆けだが、当時の熱気は違っていた。参加者の平均年齢は20代後半、さながら封鎖中のキャンパスの中で開かれていたであろう「自主講座」の延長のようなものだが、違いは参加者のほとんどが言わゆる社会人であったこと、講師陣は主として学問研究の業績を残している研究者でありいわゆる学者であったこと、である。その意味では「自己否定」や「大学解体」を唱えた潮流とは一線を画していた。
主宰者矢掛氏の目利きもあって、「寺小屋教室」では70年代に先端を行く気鋭の思想研究の紹介が行われた。ひとつが「フランクフルト学派研究」であり、もうひとつがようやく戦後史のタブーの中から解き放たれはじめた日本思想の研究であった。後者の流れとして当時はかなり大胆な企画であった「水戸学・国体論」や「吉田松陰」などがあった。これに「柳田国男」や「安藤昌益」なども加わり、さながら日本思想の百家斉放の感があった。
「われわれの思想をわれわれのの手で」が初期の寺小屋教室のキャッチフレーズであった。 寺小屋教室に会員として参加し、のちに著名人となったのは、政治学者の姜尚中(カン・サンジュン)氏(「フランクフルト学派研究」講座)、思想家・評論家の故小阪修平氏(「ヨーロッパ革命運動史研究」講座)、中世思想研究者の山本ひろ子氏(「水戸学・国体論」講座「吉田松陰」講座など)、明治社会主義研究の山泉進氏(「フランクフルト学派研究」講座)などである。
 私は、1976年にたまたま神保町の古書店に掲示されたポスターで「寺小屋教室」の存在を知り、同じ教員仲間(当時私は東京都下のとある中学校で社会科の教員をしていた)をさそって「明治国家論」なる講座に大枚年間4万円を支払って参加した。同講座には、大濱徹也氏、故前田愛氏、故松本健一氏、坂野潤治氏、などが入れ替わりで登場し講義した。私にとっては初めての分野であり、どの講座からも本当に目を開かされる思いであった。とくに大濱徹也氏からは、明治思想史研究のエキスを教えられた。氏のアドヴァイスもあって、私は1977年のひと夏かけて「堺利彦論」を書き『寺小屋雑誌』4号に発表した。思えば400字詰原稿用紙で20枚以上の文章を書くのは卒論のつたない文章以来のことである。
 講座の終了後には毎回必ずと言ってよいほど、近くの安酒場で談じあった。ブレークする直前の松本健一氏の話も印象深かった。「私は大学を出たあとはまったくあてがなく、ラーメンの屋台で日銭を稼ぐことも考えた。(東大を出て)会社勤めをするのはまだ良い、私が許せなかったのは大学に残ってアカデミズムへの道を進むことだった…」
その寺小屋教室で、1978年ころから、講座の枠を越えて会員の自主研究の発表が月に1回行われるようになった。それが寺小屋論である。マルクスありウェーバーあり、そこに水戸学あり国学あり、柳田国男あり、安藤昌益あり、フランクフルト学派ありフロイトあり、大半が20代後半か30代前半、今にして思うと、どこかから借りてきたようなその議論は、青臭いとは言え、皆若くその熱気は本物だった…。
 寺小屋論は回を重ねるごとに熱気を帯び、やがて公開シンポジウムを2回開催するまでになった。 
 その寺小屋論に颯爽と登場したのが木畑壽信であった。多分、自己紹介は次のような内容のものだったと思う。“ 新宿区自治体労働者の木畑です、新宿区職労の闘いについて報告します。”そして配られたのが分厚い手書きの冊子だった。イラストと言ってもよいその表紙の手書きのタイトルが「構成する差異」であった。
 そこには私の聞いたことのあるようなないような人物(デリダとかフーコーとかフッサールとか)に加えて定番のマルクスやヘーゲル(このあたり遠い記憶に頼っているので不確か)。立て板に水を流すようにまくしたてたあと、会場からの発言に対して木畑いわく。「あなた、ヘーゲルをちゃんと読みましたか?」
 私はこの言葉にガクンと来た。いったいどういう人なのだろう。すごい奴が来た。それが木畑壽信の最初の印象であった(別の日であったと思うが、同様の強烈な印象が小阪修平氏の登場であった。彼の登場は文字通り《ヘーゲル》だった)。
私はその時までにヘーゲルについては『法の哲学』を中公の世界の名著で通読はしていたが、ほかは岩波文庫で『哲学入門』を読んだことがあるくらいで、大著『精神現象学』は河出の樫山欽四郎訳でまったく歯がたたず、数ページで放棄した(その後挑戦する機会が2度あったが、原語で読もうなどという高望みをしたためか、2度とも「自己意識」かその前あたりで挫折した。同書の内容をもとに思想を語る人に対して、私は今でも羨望を禁じ得ない…)。
 もちろん私は今に至るまで、ヘーゲルなど「ちゃんと読んでいない」。しかし、次のフレーズとの出会いから私が影響を受け、私の行動に何らかの痕跡をのこしたことも間違いない。
A「自由とは必然の洞察である。」 ―エンゲルスの『空想から科学へ』の中での引用
B「現実的なものは理性的であり、理性的なものは現実的である。」
思想の伝播とはそういうものであろう。
 さて、木畑壽信がヘーゲルを「ちゃんと読んで」いたかどうかは、その後の彼との付き合いの中からはまったく疑わしい。彼の「神々」はヘーゲルではなく、「デリダ」であり「フーコー」であり、「ソシュール」であり、そして何よりも「吉本隆明」であった。この組み合わせに共通するものは《先進性》であり(彼は後にこの《先進性》を「喫水(きっすい)」というイメージで語った)、こういう言い方が許されれば、「見栄えがして」、「装い(よそおい)」がいがあったのである。
“それは違うだろう”、それが私の木畑壽信に対する最初の意見であった。(つづく)

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尾張地方ではモルモットを「もりもと」と呼ぶ

2017-09-16 03:54:32 | コラムと名言

◎尾張地方ではモルモットを「もりもと」と呼ぶ

 先日、某書店の「二冊百円」の棚から、佐藤一英〈イチエイ〉著『詩集 乏しき木片』(萬里閣、一九四七)を拾い出した。「木片」には、【こは】というルビが振られている。
 佐藤一英(一八九九~一九七九)は、愛知県祖父江町〈ソブエチョウ〉出身の詩人で、弘前市出身の詩人・福士幸次郎(一八八九~一九四六)と交流があった。佐藤一英のことは、よく知らないが、以前、福士幸次郎のことを調べていたときに、しばしば出てきた名前であった。
 さて、『乏しき木片』の一八~一九ページに、「洋鼠」と題した詩がある。洋鼠には、【もりもと】というルビが振られている。

 もりもとは をかしかりけり もりもとは
 かなしかりけり もりもりと 日はひもすがら
 ものかみて 小さきはこを まはりけり

 かがやくくろき ひとみもて われのひとみを
 のぞきては さてうなづきて かけまはり
 かなしきをかしきなかまぞと またのぞきみる

 あと二節あるが、割愛。
 最後に、小さい活字で、次のような「註」がついている。本人による註であろう。

 註 もりもと(尾張の方言)モルモットmarmotの訛〈ナマリ〉

 
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