礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

都立二中・田代實教諭と「科学技術者動員令」

2014-01-31 05:48:04 | 日記

◎都立二中・田代實教諭と「科学技術者動員令」

 七・八年前、知人から『立川高校の天体望遠鏡物語』(二〇〇四)という冊子をいただいた。都立二中(府立二中の後身)、都立立川高校(都立二中の後身)で、長く理科教師を勤めた田代實教諭の回想録である。そのときは、ザッと目を通しただけだったが、今年になって読み返してみると、非常に貴重な史話に満ちていることがわかった。
 本日は、その中から、大戦末期、田代實教諭が、現職のまま、軍需工場に出向した話、および八王子空襲の話を紹介する。

 そうした不安と、緊張のうちに、昭和十九年四月の新学期となった。二中の五年生は、四月下旬には、勤労動員令を受けた。それで、日野町(現在の日野市)の某時計工場へ入所した。次いで、四年生は、六月十四日に勤労動員令を受けた。それで、東中神〈ヒガシナカガミ〉駅の近くにある、陸軍航空工廠へ、又、四年E組だけは、立川市にある立川飛行機株式会社へ行くことになった。(立川高校、七十周年記念誌の、沿革史に、昭和十九年四月に、五、四学年ともに勤労動員されたとあるのは、誤りであって、四年生は六月からのことである。)
 私は、この頃、四年D組の学級主任であり、物理、化学などの学科を担当させていただいていた。それで、ある日は、航空工廠へ、ある日は、立川飛行機工場へ、又ある日は、学校へ行って、まだ学校に残留している、一、二、三年生の授業を行っていた。学校の教務室に、発表されている、各教員の日程表によって、私は、三ケ所を巡回していたのである。生徒も、教員も昭和十九年の夏休みは、思いもよらぬことであった。
 昭和十九年十一月十四日、私は、勅令第○○号、科学技術者動員令なるいかめしい令状を受理した。それは、現職のまま、公立学校の理科教員、各官庁の技術者の中から、一名づつを動員して最寄りの軍需工場において、兵器の生産に従事せよというのである。私は、生徒と離れて、単独に、立川飛行機株式会社の一員として、入所することになった。この勅令は、時限法令で、六ケ月間というのであった。学校と、生徒とも疎遠になり、天体望遠鏡は、昔のような蜘蛛の巣だらけの、やむなきに至った。一ケ月に一回の俸給日に、学校へ出頭できたのは、せめてもの慰めであった。十二月の俸給日に、ふと、屋上のドームを懐かしげに仰ぎ見ると、真白く輝いていたドームの姿は、哀れにも真黒く塗りかえられていた。二中の校舎が、空襲の目標になるから、ドームを黒色に塗りかえよとの軍の命令であった。
 昭和二十年になって、いよいよ空襲が盛んになって、飛行機工場で私は、二、三回運よく空襲から逃れたりした。そして、生きていた。やがて、時限法令であったので、五月二十一日に、動員は解除になって、二中へ立返つた。二中に残留している生徒は、一、二年生のみであった、青梅町の民家工場を陸軍工場として、使用している所に、働いている三年生の監督に、数回行くこともあった。六月十二日、ついに二年生も動員令によって、南多摩丘陵にある、陸軍火薬工廠へ入所することになつた。(このことは、七十周年記念誌には、記入されていない)
 本土空襲は、益々激しくなった。昼夜の別なく、日本中、何処が安全で、何処が危ないかということはない。無差別空襲を受けで、日本国中焼土となりつつあった。
 八月一日夜、私は、二中の宿直に当てられていた。宿直員は、三人づつ一組になっていたが、その日は一人の先生は何んな理由か学校に来ないので、私と他の先生と二人でその任務につくことになった。火工廠の作業を終えて、仕度してそれから宿直任務へ学校に十七時に着いた。その時立川市が今夜空襲されるかも知れないという、軍情報が、私の耳に入った。不安と緊張とで、落着かなかつた。
 もし、二中の校舎が今夜の空襲によって、破壊されるとすれば、あの屋上の天体望遠鏡ともお別れになってしまうのだと思うと、ひたすら二中の校舎の無事安泰を祈らずにはいられなかった。その夜は、幸いに、立川市の一部だけの空襲を受けただけにとどまり、二中の校舎は無事であった。それにつけても、この夜半八月二日、零時半頃から、八王子市及び隣接の農村に至るまで、B29の大空襲をうけ、焼土となってしまったのである。私は、屋上に佇んで〈タタズンデ〉、盛んに炎上し、紅に染まった八王子の大空を、悲痛な思いで眺めたのであった。三月十日明け方の帝都の大空襲と、あの八王子市の大空襲とは、私が、まざまざと眺めて、忘れることのできない、戦争の悲惨であった。 …続く。
(昭和四八年三月二七日記)

 文中、「陸軍火薬工廠」とあるが、正式名は、「陸軍火工廠多摩火薬製造所」だったようだ。勅令「科学技術者動員令」については未確認。博雅のご教示を乞う。

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縁談の儀、熟考の末、見合する事に相定め候

2014-01-30 07:04:14 | 日記

◎縁談の儀、熟考の末、見合する事に相定め候

 ここ数日、下村海南の「恐ろしいルビつき活字」という文章を紹介してきたが、本日は最終回。これで、全文を紹介したことになる。

 今度は反対に、同じ漢字がまた幾通りにも読まれることが少なくない。日本なら、ヒノモトでも、ニッポンでも、ニホンでも、いづれも日本の事だなとわかるが、次家のやうな漢字は、いづれに読まれるのかわからないことが多い。
 一通  イッツウ ヒトトウリ
 目下  モッカ  メシタ
 工夫  コウフ  クフウ
 変化  ヘンカ  ヘンゲ
 一切  イッサイ ヒトキレ
 間数  マカズ  ケンスウ
 一番  イチバン ヒトツガイ
 見物  ミモノ  ケンブツ
 初日  ハツヒ  ショニチ
 端物  タンモノ ハモノ
 口答  コウトウ クチゴタエ
 人体  ジンタイ ニンテイ
 仮名  カナ   カメイ
 空間  クウカン アキマ
 大家  タイカ  タイケ  オウヤ
 上手  カミテ  ジョウズ ウワテ
 身代  シンダイ ミガワリ ミノシロ
 たとへば、「御勧誘下され候縁談の儀熟考の末、見合する事に相定め候」といふと、ミアハセルことになつたのか、ミアヒすることになつたのかわからない。
 同じ神戸と記した漢字が、
 兵庫県では  コタベ  岐阜県では  ゴウド
 和歌山県では コウド  鳥取県では  カンド
 東京府では  カノト  三重県では  カンベ
 岡山県では  ジンゴ
といふやうに読み分けられる。これでは間違ひやすいのはカナばかりとは言へないのである。

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愛想ヨクスルノモ礼遇、不愛想ニスルノモ冷遇

2014-01-29 06:23:40 | 日記

◎愛想ヨクスルノモ礼遇、不愛想ニスルノモ冷遇

 昨日に続いて、下村海南の「恐ろしいルビつき活字」という文章を紹介する(これが三回目)。昨日、紹介した箇所の次のパラグラフから。

 漢字をやめて、仮名書き、またはローマ字にすると、意味がわからなくなるという非難がある。例へば
 公爵と侯爵と講釈
 私立と市立
 化学と化学
 原価と減価
 工業と興業と鉱業と興行
などは仮名やローマ字では区別がつかない。
 キカンといふ発音する語で主なるものだけでも、
 旗艦、帰艦、貴官、旗竿、汽罐、機関、汽管、帰還、奇観、貴館、貴翰、気管、亀鑑、既刊、飢寒、軌間、器官、期間
などがあり、コウショウと発音する語で主なるものに、
 高尚、交渉、哄笑、行賞、好尚、降将、行商、巧匠、交睫、紅晶、工商、巧笑、厚賞、公称、鉱床、公証、口承、後証、公娼、講頌、洪鐘、行障
など数多くの別がある。イヅミといふ土地の名さへ、
 和泉(大阪府)、泉(栃木県)、井泉(埼玉県)、厳美(岐阜県)、出海(愛媛県)、出水(鹿児島県)
などといろいろに書かれる。
 ある西洋人は日本語を習つて次のやうにいつた。
 男性ノアニワレイケイ(令兄)トイイ、女性ノオクサンモレイケイ(令閨)トユウ。「クサル」コトヲ、フキュウ(腐朽)トイイ、「クサラナイ」コトモ、フキュウ(不朽)トユウ。愛想ヨクスルコトヲ、レイグウ(礼遇)トイイ、不愛想ニスルコトモ、レイグウ(冷遇)トユウ。都ニ帰ルトキ、キキョウ(帰京)トイイ、イナカニ帰ルトキ、キキョウ(帰郷)トユウ。半分ノコトヲイッパン(一半)トイイ、一部分ノコトモイッパン(一斑)トイイ、ゼンタイノコトモイッパン(一般)トユウ。
 しかし、さうした例をひいて苦情をならべたてるなら、電信や電話や会話の時はどうするか。電信、電話では、いちいち文字を書いて見せることは出来ない。字を見られるのは、たた名刺を交換するとか、新聞雑誌に書く時とかだけの話ではないか。それでは旗艦はキカンといばすに、ハタブネと言ひならはせばよい。レイケイだの、フキュウだの、そんな漢語を使はずともアニサンなりオクサンでよく、クサルなりクサラヌといへばよい。さうしなければ、話す時、聞く時に、いつもまぎらはしい混雑を重ねることになるともいへる。【以下は次回】

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テレタイプシェッターという植字機

2014-01-28 05:43:47 | 日記

◎テレタイプシェッターという植字機

 昨日に続いて、下村海南の「恐ろしいルビつき活字」という文章を紹介する。昨日、紹介した箇所の次のパラグラフから。

 ヨーロッパやアメリカでは、ローマ字だけで用が足りるからタイプライターが盛んにつかはれる。日本でもカナのタイプライターがあり、近頃は次第に用ひられるが、まだ一般に漢字を使つてゐるので、邦文タイプライターといふカナのほかに、主な漢字をならべた印字機か多く使はれてゐる。しかし、この機械は無論場所をひろくとる、漢字の数も三千百十二字あり、それでもまだ用は足りない。何分字数が多いだけ、時間を多くとつてゐる。外国ではタイプライターのほかに、リノタイプ、モノタイプ、テレタイプシェッター、インタータイプなど、いろいろの植字機があつて、新聞などもたとへば東京の新聞社で、原稿によりて植字機を押しつつ順々に新活字を組んでゆくと、同時にそれが電信で大阪に通じる、大阪ではまた、その着信した符号に相当する新活字が、機械で自然に順々と組まれてゆく。つまり、東京と大阪と同時に、同じ原稿が活字に組まれてゆく。ところが日本語では、印刷のために特別な時間と手数がかかるばかりか、会話をする時とか、電信や電話のときなどに、漢字の説明、解釈のために余分な時間と手数を貸さねばならない。かうした不便さはひとり新聞ばかりではなく、官署でも陸海軍でも銀行でも会社でも、工場でも商店でも、またわれわれ個人の社交の上でも、いつもつきまとつてゐる大きな不便さである。
 日本人の短い寿命で、かうした不便さを背負つて、国際競争裡〈リ〉に立たねばならないとは、誠に残念なことである。どうしても、一方では寿命を長くすることにつとめると共に、他方ではかうした不便を出来るだけ除くやうにせねばならない。【以下は次回】

 上記に出てくる「リノタイプ」とは、ライノタイプともいう(Linotype)。「テレタイプシェッター」は、調べてみたが、よくわからなかった。なお、「シェッター」というのは、金型関係の用語らしい。

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ルビつき活字を考案した大阪朝日の松田幾之助

2014-01-27 04:26:41 | 日記

◎ルビつき活字を考案した大阪朝日の松田幾之助

 本日も、下村海南『来るべき日本』(第一書房、一九四一年)の中から、「文字と言語」に関わる文章を紹介する。本日紹介するのは、「恐ろしいルビつき活字」という文章だが、これは、かなり長文なので、数回にわけて紹介する。文中、傍点が振られている箇所は、ゴチックで代用する。

 七四 恐ろしいルビつき漢字
 漢字には音があり、訓があり、あてよみが多いから、どうしても出版物などのはいちいちふりがなをつけることになる。新聞を見ると、あの小さな活字の横へ又一層小さいカナがついてゐる。印刷所ではあの振ガナのことをルビといふ。あのルビをいちいちつけることは、一秒一刻を争ふ新聞紙では、大変な手数である。それで、今から約四十年ほど前、日清戦争の頃に、大阪の朝日新聞社の松田幾之助といふ人がはじめからルビの附いた活字を案出した。たとへば、行といふ字にはカウとかギヤウとかユクとかオコナウといふ発音が多いから、さういふルビのついた活字をつくることにした。欧米の出版業者は、A・B・Cのアルファベット二十六文字だけをつくれば沢山である。日本では、それにあたるカナ文字の活字のほかに、数知れない漢字の活字、それもルビつきで、一層種類が増すばかりである。今は日本でも文部省なり新聞社で、常用漢字を大体二千字ほどにきめてある。ふだん最も多く使ふ漢字を二千字ばかり選び、それで用を足して、それ以外の漢字をなるべく使はないやうにしてゐる。しかし、それだけにしても大変なものである。こればかりは外国人も新聞社の植字工場を見ると、眼を丸くして肝を潰す。Wonderful(おどろきますね)を通り越してTerrible(おそろしいですね)といふ。
 だから東京、大阪あたりで、一日十六ページ刷り出してゐる新聞社は、毎日四五十万の活字を使ふが、仮名やローマ字のほかに数知れぬ漢字が交つてゐる。本当なら、組んだ活字の版は印刷し終つて要らなくなると、解版といつて解きほぐし、それぞれもとの活字箱にふり分けて収めるのだが、毎日四五十万の活字を、一つ一つ又もとの活字のケースヘ入れるやうな手数をくりかへしてはゐられない。だから全部皆溶かして〈トカシテ〉しまふ。そして一方では毎日五十万字位づづ新たに活字を鋳造する。そして各ケースに並べてある約千五百万個の活字の不足を補つてゆくのである。【以下は次回】

 

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