礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

井上毅を「黒幕役」と見るのは買いかぶりか

2023-07-11 04:22:32 | コラムと名言

◎井上毅を「黒幕役」と見るのは買いかぶりか

 昨日の話の続きである。ボアソナードおよび井上毅と条約改正問題との関わりについて補足する。
 この関わりについて考えるために、まず、大久保泰甫氏の『日本近代法の父 ボアソナアド』(岩波新書、1977)の第4章の「3 条約改正問題」の一部を引用させていただく。

    3 条約改正問題

 明治一二年〔1879〕九月、井上馨は、寺島宗則にかわって外務卿に就任し、同二〇年〔1887〕九月まで、一貫して条約改正の衝にあたり、条約改正試交渉、予議会、準備交渉などを営々と積み重ね、明治一九年〔1886〕五月一日からは、いよいよ条約改正会議を開催する運びとなった。
 この間において、井上馨とその盟友伊藤博文は、欧米列強に条約改正を承認させる方便として「欧化政策」を採用・推進し、西洋建築、洋装、洋食が奨励され、ダンス・パアティ、園遊会、西洋音楽・カルタ・玉突きの会などがさかんに開かれた。そういう風潮を象徴するものが、明治一六年〔1883〕一一月に日比谷に竣工した外人接待用の豪華洋館「鹿鳴館」であり、政府高官、皇族・華族、紳商らは、その夫人・令嬢とともにきらびやかに着飾って相つどい、華やいだ西洋風の社交的雰囲気を盛り上げた。ちょうどこの頃は、松方正義が緊縮財政政策を採用して、国民の多数が不景気に苦しんでいた時期であり、それだけに、政府の浮薄な馬鹿騒ぎは、一層心ある者の眉をひそめさせることになった。
 ところで、肝腎の井上外相による条約改正交渉は、これより先、いわゆる英独案を日本側が承諾して、条約改正会議の議題とすることに同意し、討議を重ねた末、明治二〇年四月二二日までに「裁判管轄条約案」を議了するまでにこぎつけた。その内容は、大略次のとおりである。
 一、この条約批准後二年以内に、日本は、国内を開放し、外国人に対して通商・居住を許し、企業権を与える。同時に、外国人は、身分にかんする事件をのぞき、まったく日本人と同様に、日本裁判所の裁判権に服する。
 二、日本政府は、右の二年以内に、泰西主義およびこの条約にしたがい、裁判所構成法および刑法・治罪法・民法・商法を編纂公布し、条約実施後一年六ヵ月以内に、その公定の英訳文を外国政府に「通知」(remit)する。
 三、外国人が当事者(原告または被告)である事件については、地方裁判所・控訴院・大審院の裁判官の過半数は、外国人をもってあて、また犯罪の予審判事と検察官も、外国人たること。さらに、日本語を公用語とするが、そのほかに、裁判所用の外国語として英語を用い、判決書その他の正文は英語とし、堪能な通訳をおく。
 一見して明らかなように、日本の裁判権回復とは名ばかりで、実は、外国人裁判官の採用を認めた屈辱的な内容であった。しかも第二点の、法典編纂の「通知」というのは、通知を受けた外国政府が「此等法律ハ、十分ニ泰西ノ主義ニ符合セルヤ、且之ニ因テ条約ヲシテ効力ヲ得セシムルニ必要ナル重要ノ条件ノ一ハ実践セラレタルヤ否ヲ鑑査スル」ためのものであることを日本側も了解していたのであり、法典の内容の外国政府による「審査承諾」を意味していた。
 この条約案が合意に達して、正に締結調印されようとした時、強硬な反対論が相次いでおこってきた。それをリイドしたのが、ボワソナアドと谷干城(農商務大臣)の意見書であった。
 ボワソナアドから反対意見を引き出したのは、例によって井上毅であった。当時、かれは、胃と痔の病に苦しみながらも、憲法(および皇室典範、議員法など)の起草整理に忙殺されていたが、ボワソナアドが、親しい日本人に、条約改正案に対する反対を内密で漏らしたことを知り(五月七日付伊藤博文宛書簡)、伊藤の同意を得て、通訳をともない、ボワソナアドを永田町の自宅に訪問した(五月一〇日朝)。
 老博士は、井上に胸襟を関いて語った。誠心誠意で信念を吐露する姿は、このフランス人の真骨頂を示すといえよう。〈142~145ページ〉【以下、略】

「ボワソナアドから反対意見を引き出したのは、例によって井上毅であった。」とある。「例によって」という表現は、井上毅が、この問題の「黒幕役」であったと捉える、大久保泰甫氏の史観を反映するものである。
 井上毅は、当時、憲法草案の起草に没頭しており、この日、ボワソナードに指摘されるまで、条約改正案の問題点に気づいていなかった。そういう人物を「黒幕役」に擬すのは、買いかぶり(過大評価)ではないのか。最初から、条約改正案の問題点に気づき、井上毅を叱咤し、行動に走らせたボワソナードこそ、むしろ「黒幕役」と呼ぶにふさわしかった、と私は思う。明日は、話題を変える。

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1 コメント

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Unknown (takaaki052912)
2023-07-11 05:11:03
礫川さんの、「独学の冒険」「独学文章術」を読み、自分も独学をしていこうと考え、またブログを再開しました。これから頑張っていこうとおもいます。
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