礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

個人は国家に従属するときにのみ存在しうる(ムッソリーニ)

2016-07-02 02:58:05 | コラムと名言

◎個人は国家に従属するときにのみ存在しうる(ムッソリーニ)

 最近、世界各地で、「ポピュリズム」(大衆主義)の台頭が見られる。民族主義、国家主義、ファシズム、国民社会主義(ナチズム)などは、どうも、ポピュリズムと親和性があるようだ。
 イギリスの国民投票がEU離脱を選択したことについて、中国の新華社通信は、六月二四日、「西側が誇りとしている民主主義の制度が、ポピュリズムや民族主義、極右主義の影響にはまったくもろいことが示された」とコメントしたという。
 新華社通信には言われたくなかったが、指摘そのものは鋭い。
 そんな中、木下半治が一九四一年(昭和一六)に発表した論文「世界政治の潮流」を再読してみた(現代日本政治講座第一巻『現代政治の展開過程』昭和書房、所収)。
 この論文における木下の基本的立場は、「政治の全体主義化といふことは、歴史的・普遍的・世界的動向である」(一一八ページ)というものだと思われる。
 木下論文は、全五節からなるが、その第二節「現代世界政治の理念的基礎」の「1」~「3」で、木下の立場は、ムッソリーニのファシズム理論について解説している。本日は、そのうち、「1」の途中までを紹介してみよう(一二三~一二七ページ)。

 二、現代世界政治の理念的基礎
   1
 右に述べた如き新秩序建設を目標とする現代の世界政治は、いかなる政治原則の上に立つか?
 この点について、吾々は先づファシズムの創建者たるムッソリーニに聞かなければならない。彼は、その著「ファシズムの理論」において、ファシズムの理論的基礎に関し左の諸点を強調してゐる(註一)。
(一) 反個人主義
(二) 反自由主義
(三) 反社会主義
(四) 職能組合主義
(五) 反民主主義
(六) 国民主義
(七) 国家主義
(八) 権威主義
(註一)Mussolini, Le fascisme, Doctrine, Institution 1933, Mussolini, B, Der fascismus, Philosophische, politische und gesellschaftliche Grundlagen, 1933, Editiondéfinitive des oeuvres de Benito Mussolini, TomeⅨ, La doctrine du fascisme etc. 1935
 ムッソリーニは、勿論ファシズムの特徴をこのまゝの形で示してゐるのではなく、筆者が要約したのである。
 即ち、ムッソリーニの説明によれば、ファシズムは個人主義の恣意を排して、国家を第一に置く(これはドイツ流にいへば、全体を重しとすると説明すべきてあらう)。個人はたゞ国家と相調和する限りにおいてのみ、尊重せらるゝに過ぎないのである。国家こそは「歴史的存在としての人間」の意識であり、その普遍的意思である。語を換ふれば、「個人はたゞ国家の内部にあり国家の必要に従属する限りにおいてのみ存在し得るに過ぎないのである(註一)。
(註一)Mussolini, An grand rapport du fascisme, 14 septembre 1929, dans Discours de 1929.
 第二に、ファシズムは古典的な自由主義を否定する。かゝ自由主義は、歴史的にみれば絶対専制主義に対する反動として生誕したのであり、かゝる意味よりすれば、それは一〈ヒトツ〉の歴史的役割を有するものであるが、国家が国民の意識そのもの、その意思そのものになつてより、自由主義はその歴史的役割を果たし了つた〈オワッタ〉のである。自由主義は、個人的利益のために国家を否認するものである。ファシズムは、個人の「真実の実在」としての国家を肯定する。もし自由なるものが現実的人間の属性であり、個人主義的自由主義の考ふる如き抽象的操り人形のそれでないならば、ファシズムは自由を支持する。ファシズムは唯一の尊重すべき自由、即ち国家の自由並びに国家内部における個人の自由を支持する。元来、「自由なる概念は絶対的なものではない。何となれば、人生においては絶対的なるものは何も存しないのであるから。自由は権利ではなく、義務である。…自由なる概念は時と共に刻々変化するのだ。」(註一)。
(註一)Ve anniversaire de la fondation des Faisceaux, 24 mars, 1924.
 第三に、ファシズムは、反社会主義である。ムッソリーニによれば、社会主義は歴史的一段階に過ぎぬ階級闘争なるものを永久不変のものと観念し、諸階級を融合して単一の経済的・道義的実在たらしむるところの国家の統一性を無視する。社会主義の一変種たる階級的サンディカリズムもまたファシズムの否認するところである。

 木下による、ムッソリーニのファシズム理論の紹介は、ここまでで、まだ三分の一程度である。しかし、ここまでを読めば、すでに、いろいろ考えさせられる。
 木下によれば、反個人主義、反自由主義、反社会主義、職能組合主義、反民主主義、国民主義、国家主義、権威主義が、ファシズムの特徴であるという。このうち、職能組合主義(Corporatism)を除けば、この間、日本の与党右派によって導かれてきた政治的潮流とあい通ずるものがある。特に、自由民主党の憲法改正草案には、現憲法にある「個人」という言葉が削られていることに注意したい。そして、こうした反個人主義的、反自由主義的、反民主主義的な政治的潮流は、しばしば、ポピュリズムによって支持され、「民主主義」的な手続きによって確定しがちであることにも注意したい。

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