礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

限度を超えた抗戦は自暴自棄(クラウゼウイッチ)

2016-04-30 15:54:17 | コラムと名言

◎限度を超えた抗戦は自暴自棄(クラウゼウイッチ)

 この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
 本日は、『永田町一番地』から、四月三〇日の日誌を紹介する(二〇二~二〇七ページ)。なお、『永田町一番地』の日誌は、このあと、五月七日まで飛んでいる。

 四月三十日
 トルーマン大統領は記者団との会見で、公式発表が出来る時が来れば、欧洲戦争の終末を報告するであらうと言明し、一方、チャーチル首相は、今週中に下院で欧洲戦争終結について重要報告を行ひ得るであらう、と声明した。英政府の全閣僚に待機命令が発せられた。
【一行アキ】
 朝日新聞チユーリッヒ特派員は次の如く打電して来た。
 米英ソ三国がヒムラーの降伏申入れを受諾してもしなくても欧洲戦は遅くとも二週間の中〈ウチ〉に終るであらう。従つて、東亜が第二次世界大戦に残された唯一の戦争となるので世界の眼は日本に注がれてゐる。日本は今や孤立してゐるばかりでなく日本の動きは事実上外部からの推測を全く許さないために世界各国の深甚なる関心を呼び起してゐる。日本の動きは米英にとつても中立国にとつても絶対的な謎とされてゐるが、欧洲戦終了後日本が担ふ軍事的重荷が恐ろしく増大するであらうといふ点ではすべて観測が一致してゐる。ぷマーシャル米参謀総長は最近「米国は過去一ケ年の間に、欧洲から太平洋に廻送する大兵員物資の急速輸送計画案を作成した」と言明し、ワシントン発ユー・ピー電は右に関し次の如く報じてゐる。
【一行アキ】
「米国はすでに兵員物資の廻送を開始した。ドイツ軍の抵抗が早く崩壊した結果、この廻送は予想よりも四ケ月早く開始された。特に東亜における基地拡大に必要な重要なる米軍部隊はすでに欧洲を引揚げた。有力な空軍もすでに引揚げ、目下欧洲にある米国の軍需物資の中〈ウチ〉七割も太平洋に廻送されんとしてゐる」
【一行アキ】
 米国から来る情報はすべて米国が太平洋に厖大な増援部隊を送らんとしてゐることのみでなく、米国民が好んで使ふ文句を引用すると「米軍が東京に進軍するまで」出来るだけ早い速度で戦争を遂行せんとしてゐることを確認してゐる。
 この引用文句は決して空想的なものではなく米国が日本の動きを推測することが出来ぬため一層彼等はこれを真の作戦目標としてゐるのである。米国を短期終結を目指す作戦計画は本格的な英国の対日戦参加を阻止せんとする意図に基くのであるが、英国としても東亜における威信と政治経済上の権益を確立するためには軍事的努力を惜まないであらう。だから英国が今後さらに大艦隊を対日戦に参加させることは不可避と見てよい。
【一行アキ】
 では、英艦隊のほかに現在米国が有する艦隊勢力はどの程度かと言ふと、三十日、フオレスタル米海軍長官は右に関し、目下米国の有する海軍勢力は戦艦二十三隻、制式空母二十六隻、護送空母六十五隻、駆逐艦三百八十六隻、護送駆逐艦三百六十八隻、潜水艦二百四十隻であると言明した。
 われわれとしては、英艦隊を含めるとこの数字よりも有力な艦隊がやがて太平洋、東支那海に作戦し来る〈キタル〉ことを期しこれに備へねばならない。日本の負ふべき軍事的負担は恐るべきものとなるであらう。だがこれだけではない。恐らくアジアの歴史に決定的な影響を及ぼすだらうと思はれる新しい軍事的要因がその有力な姿を東亜に現はし始めた。その要因とはソ連の動きである。ソ連の日ソ中立条約不延長の通告は日本にとつて全く新しい軍事情勢を作り出すであらう。
【一行アキ】
 そしてこれは米英軍の太平洋への兵力廻航と満洲に対する脅威増大といふ二点で日本にとつて決定的に不利な情性を齎すであらう。中立国筋では有力な新要因たるソ連を含む米英軍と日本との兵力量の差異は米英ソ三国とドイツの兵力量の差と同じか或はそれ以上と信じてゐる。ドイツは国内全都市と生産施設が完全に潰滅するまで戦つた。しかしながら中立筋の軍事専門家はこの戦争遂行政策を批判するに当つて一様にクラウゼウイッチの有名な次の文句を引用してゐる。
「戦争において勇気と耐久力が如何に高く評価されようと、また勝算少い時でも全力を挙げて勝抜かんとせぬ者はないけれども、抗戦には或る限度がありそれを超えて頑張るのは自暴自棄の行為といはねばならない」ナポレオンでさへ「人がこの世で犯し得る最大の犯罪は生命を彼の指揮と名誉に捧げてゐる人々を故意に殺すことである」といつてゐる。
 六ケ年にわたる欧洲戦で全欧洲人の常識となつた戦争倫理学ともいふべきものを引用してみよう。この見解は欧洲の全軍事専門家が一様に支持してゐるもので大要次の如くである。
「戦時において目的の遂行といふことは勝利を獲得するということと同一ではなく国家社会の最終的保護といふこととも必ずしも合致しない。かくて軍隊の戦闘力を低下せしめ国家の将来を傷ける〈キズツケル〉如き単なる名誉のための戦闘行為は正しくないばかりでなく戦争本来の使命にも悖る〈モトル〉ものである。戦争は一つの主義の下に戦はるべきものであり、勝つても負けてもそれは建設的な性格をもつものでなければならない」
 今や世界の眼は日本と日本国民に向けられてゐる。クエベック会談において故ルーズヴェルト大統領やチャーチル首相が日本を「太平洋の野蛮国」呼ばはりしたのも拘はらず欧洲は明治時代に全世界を驚倒せしめた日本国民の建設的能力及び思考力を高く評価したことを忘れてはゐない。米英が反日宣伝に躍起となり欧洲各国をして日本のこの国際的な面を忘れしめんとしてゐる矢先、鈴木〔貫太郎〕首相が故ルーズヴェルト大統領の政治的手腕を礼賛したとの放送が伝へられたことは欧洲諸国に多大の感銘を与へ、日本国民の最も人間的な面に対する認識を新たにせしめた。その効果は、精神的にも肉体的にも徹底的に疲れ果てた欧洲各国の間に共感を呼び起した。
 然し、米国の東亜に対する主義は英帝国のそれと同様なほ少しも変更されてゐるわけではない。米英両国が対日戦において各自必死になつてゐることは事実で、さらにこれとは別に東亜において新たなしかも決定的な政治的、軍事的要素が生じて来た。即ちソ連の東亜に対する異常なる関心である。この戦争の多面性は対独戦における米英ソ三国の関係が純粋に軍事的であちたといふ特質とは異つた特殊な様相を招来しつつある。
 以上の情勢に鑑みて日本の指導者に今日最も要望される軍事的勢力のみでなく更に加へるに政治的機略と異常なる政治的手腕である。中立筋の観測者達は太平洋戦争の錯綜した多面的な政治的様相は日本の外交政策に或る行動の自由を必ず与へるに相異ないと信じてをり、若し日本の指導者達が偉大なる政治家的叡智をもつて勇敢な構想の下に主導権をとるならば必ずや報いられるところがあるだらうと信じてゐる。
【一行アキ】
 このチユーリッヒ特電はもちろん当局の検閲の結果、紙上掲載が差し止めとなつた。いふまでもなく、欧州戦争を身近かに感得し体験する欧州の中立国スイスにあつては、日本が想像するより遙かに深刻にドイツが敗北した事実を眼の当りにしないわけにいかない。徹底的な破壊とドイツ国内の混乱が、未曽有の惨憺たる戦禍として映じてゐるのであらう。日本はこのドイツの轍を踏むかどうか。

*このブログの人気記事 2016・4・30(5位にきわめて珍しいものが入っています)

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B29約110機が南九州を爆撃(四日連続)

2016-04-29 03:37:56 | コラムと名言

◎B29約110機が南九州を爆撃(四日連続)

 この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
 本日は、『原爆投下は予告されていた』から、四月二九日、三〇日、五月一日の日誌を紹介する(一〇六~一一一ページ)。

 四月二十九日 (日) 晴
 天長節晴天なり。午前七時起床し、東天に向かって遥拝する。雲一つなき日本晴れである。早々に朝食をすませて上番準備をする。本日より二勤なので午前八時に上番する。昨夜十二時に申し送りした田原候補生から、申し受けることとなった。
 天長節式典は、勤務者を除き下番者のみ午前九時に情報室前の広場に集合して皇居遥拝し、天皇陛下の万歳を唱えることになっているそうだ。
 情報室はもちろん自分一人が勤務し、二人の候補生は参列させた。隣りの電気通信室は、かなり多くの勤務者がいた。【中略】
 午後は静かである。今日の偵察機が広東地域に入らなかったために警報は出なかったが、天長節の式典の後、だいぶ外出した組もあったそうだ。
 それにしても、田原は、一勤をやって九時からの式典に出て、今日は三勤なので眠る時間が六時間くらいしかない。そこで早く今朝気づけば、交替時間を二時間ぐらい遅らせてやるんだがと思っていたら、定刻午後四時に上番して来た。事情を聞いてみたが、まったく問題なしというので下番する。
 下番後は田中と共に、二人で円匙【えんぴ】を持って建物の溝を建物の周囲だけだったものを、新たに洗濯する場所まで溝を延長する。今度は雨が降っても、床下がいつも川の状態からまぬがれるだろう。その後、二人で洗濯、入浴、夕食と時間的に気持よく進む。午後八時にはもう真っ暗となる。

 四月三十日 (月) 雨
 午前八時、上番する。下番者田中候補生の報告によると、「勤務上の問題はありません。情報でありますが、前任者田原候補生の申し送りによりますと、昨晩午後十時、ニューディリー放送では昨日(四月二十九日)、米軍B29約百十機が南九州の航空基地を中心に空襲し爆撃したと言っております」と。
 驚いた。四日連続で百機、いな百十機のB29の爆撃。乃木希典〈マレスケ〉大将が作った漢詩の中に爾霊山〈ニレイザン〉という絶句がある。その中に、「鉄血山を覆ひて山形改まる」というのがあるが、この四日間の敵弾が南九州を覆って山彩改まるということになってはいないか。格納庫、滑走路などの被害は相当なもので大変だろう。それにも増して陸海の空軍機は大丈夫だろうか。心配される。
 こちらは今日も雨。暦通りの四月二十日の穀雨〈コクウ〉のころから雨の日が多いように思われる。
 午前十時半ごろ、上山少尉が入って来られた。「変わったことはないか?」と質問されたので、「とくにありません」と答える。自分は逆に沖縄戦線のことが気になっていたので、
「上山少尉殿、沖縄戦線のことが非常に気になります。その後の経過について教えて下さい」というと、
「貴様の知っての通り、四月一日早朝に沖縄本島の中西部に上陸。即日、北・中両飛行場を占領。四月四日には北谷〈チャタン〉、宜野湾の線まで南下する。また仲泊から石川の線まで北進し、沖縄本島を完全に南北に二分する。一方、四月十六日には伊江島に上陸し、日ならずして占領された。わが軍の第三十二軍司令部が首里にあるので、首里を目標に西海岸線沿い、中央山岳線、東海岸線沿いと三つに分げて南下しているようだが、現在はわが軍の抵抗にあって、南下は当初のように進まず、西海岸の牧港〈マキミナト〉から東海岸の南浜〈ミナミハマ〉に通ずる線が敵味方の境界線である。これが現状だ」
「どうもありがとうございました」と、自分は礼を言った。上山少尉は非常に憂鬱な顔をしておられた。
 本当に北のアッツ島、南のガダルカナル島の戦で、わが軍が敗れて以来、その後ずっと劣勢となっているが、ここ沖縄戦で頑張ってくれ。せめて夏まで、いや秋口まで頑張って欲しい。
 正午のNHKニュースでは、政府は原則として官庁の休日全廃を決定すると発表した。無理もない。沖縄県では現に敵と相対し〈アイタイシ〉、内地も毎日空爆を受けている時代だ。当然だ。こちらは今日も一日中雨のために静かだ。

 五月一日 (火) 雨後曇
 朝まだ明けぬうちから、雨の音で起こされる。今朝も昨日に引きつづいての雨。
 午前八時、勤務に上番する。下番者田中候補生の申し送りによると、「昨日午後十時、前任者からの申し送りでありますが、ニューディリー放送があり、米軍は昨日(四月三十日)、B29、P51戦爆連合約二百機で立川、平塚、厚木を空襲し、爆撃銃撃を行なったと放送があり、申し送られております」と。こっちの雨を内地に送りたいような気がする。それにしても米軍は相変わらずの空襲で、内地は大変だろう。
 雨で静かな情報室に突然、午前十時三十分すぎ、ニューディリー放送が流れて来た。
 ――こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信ぜられるべきの情報によりますと、昨四月三十日、ヒトラーはベルリンの首相官邸地下壕の中で自殺を致しました。繰り返し放送致します。…………。――
 数日前、ムッソリーニが処刑されたと聞いたが、今度はヒトラーか。英雄の末路、ともにあわれ。【中略】
 午後一時五十八分ベル。こちら浅間山、浅間山コンドル八羽は二班に分かれ、一班は白雲飛行場を、一班は天河飛行場を空爆中――「了解」浅間山とはもちろん白雲山頂の広東監視所で、壕の中の情報室に丁寧に教えてくれる。
 その途端、ドスーンという大音響と共に壕の天井から砂がばらばら落ちてくる。電灯線は大地震のように左右に動いている。自分は、てっきりこの壕の真上に落ちたのかと思ったら、壕の出口のわれわれの内務班の南側約三十メートルの地点に落ちたと、下番中の田中が報告に来てくれた。直径十メートルくらいの穴ができ、そのすぐ南側の建物(内務班)は丸焼けになっにそうだ。
 白雲飛行場を狙ったのが、それて落ちたのか。あるいは林立するアンテナを見て臭いと思って落としたのがはずれたか。あるいは偶然なのか。
 八機のうちの四機のB29で、これだけ、バタバタしているのだから、昨日の二百機の立川、平塚、厚木はさぞかし大変だろう。【中略】
 午後四時、下番した。下番者集合の声がかかり、約三十名が集合した。高橋少尉の指揮下に入り、焼けた小屋(内務班)の柱の一部などを掘れた穴に埋め、円匙で土を上にかけて元通り平らにする作業にかかる。焼けた小屋は予備の内務班で、中味は何もなく、実質的には損害はなかったようだ。約四十分ぐらいで作業はすべて終わった。久しぶりに汗をかいた。入浴後の夕食はうまかった。

*このブログの人気記事 2016・4・29(9位にかなり珍しいものが入っています)

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日本は最悪の事態に直面すべし(東郷外相)

2016-04-28 03:15:08 | コラムと名言

◎日本は最悪の事態に直面すべし(東郷外相)

 この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
 本日は、『永田町一番地』から、四月二八日、二九日の日誌を紹介する(二〇〇~二〇二ページ)。なお、『永田町一番地』では、四月九日のあと、四月二八日まで、日誌が飛んでいたが、この理由は不明である。

 四月二十八日
 赤軍のベルリン総攻撃が開始されて旬日を出ない今日、突如、サンフランシスコからの放送は、ロイター、ニューヨーク・タイムス、エー・ピーが、それぞれ確かなる筋の情報として、ドイツが米英二国に対し無条件降伏を申し入れたことを伝へた。ついでトルーマン大統領は、ドイツからの申し出を受けたことはない、単にかかる報告を受けたのみである。この報告については直ちにリー参謀総長と協議を遂げ、アイゼンハウアー最高司令官とは長距離電話で打ち合せをした、と声明した。また、チャーチル英首相はその特別声明で、米英ソ三国に対する無条件降伏のみを受諾するであらう、と述べた。
 米英ソの挟撃を受けて、ドイツはつひに崩壊の寸前にある。
【一行アキ】
 東郷〔茂徳〕外相は、最近、外務省々員に対し、新大臣としての訓辞を行つた。その訓辞の要点は、われわれは日本が最悪の事態に直面すべきことを予期しなければならない。この事態に対し最善を尽さねばならぬのはもとよりのことで、自分も外相として全力を傾倒する積りである。思ふに日本が遭遇せる国際情勢は凡てが手遅れとなり、全面的に行き詰つてゐる。これが建設には基礎工事から始めなくてはならない状態である。従つてわれわれとしてもこの際、積極的に活動しなくてはならないもであるから、諸君の一致協力を求める、との意味であつた。

 四月二十九日
 スエーデン国外務省は、同国のヴェルドナドッテ伯がドイツのヒムラ―内相の伝言を米英両国代表に伝達した旨正式発表した。ドイツのイタリー派遣軍は続々投降を開始した。五ケ年半に亘る敢闘にもかかはらずドイツの命運は既に決した。
 ヒトラーの最後の抵抗、全ドイツにおけるゲリラ戦の展開などになほ一縷の望みを矚する〔嘱する〕向〈ムキ〉がないではない。然し、それは単なる気安めである。ドイツに対する仮藉〔仮借〕なき猛攻撃は軍事的なドイツの徹底的敗北を齎し〈モタラシ〉つつある。無条件降伏がヒムラー内相の手で行はれようが、ヒトラー自身の手で仮りに行はれようと、それは今日では問題にならない。欧州戦の終末が冷酷な姿で日本国民の眼前に晒け〈サラケ〉出されようとしてゐる。

*このブログの人気記事 2016・4・28(2・9位に珍しいものが入っています)

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林芙美子の疎開生活(長野県穂波村角間)

2016-04-27 06:38:44 | コラムと名言

◎林芙美子の疎開生活(長野県穂波村角間)

 最近、林芙美子の『婦人の為の日記と随筆』(愛育社、一九四六)という本を読んだ。林芙美子原作の映画は、これまでいくつも見てきたが、よく考えてみると、林芙美子の本というものを読んだ記憶がない。
 この本は、世の婦人に対して、日記をつけ、随筆を書くことをすすめる趣旨の本のようだが、実際は、林芙美子が、自身の「日記と随筆」を披露したものになっている。
 同書のなかから、本日は、「童話の世界」という随筆の一部を紹介してみよう。
 
 童 話 の 世 界
 私は長野県の山の中で二冬を疎開してすごした。そこは下高井郡穂波村〈ホナミムラ〉角間〈カドマ〉といつて、農民相手の小さい温泉村で、戸数は六十戸あまり、主として炭焼きだとか樵夫の多いところである。山のなかの夏の暮しはあわただしく過ぎてゆくけれど、冬になると、やりきれないほど寒さが長くて、朝から晩まで炬燵〈コタツ〉にゐるか炉〈ロ〉のそばにゐるかの所在のない月日を過さなければならない。
 疎開者として割合ながくゐたので、私の部屋借りの小さい炬燵にも村の百姓衆は遊びに来てくれた。この部落には、湯小舎〈ユゴヤ〉が三つあつた。一つは大湯といつて、泊り客たちがはいりにゆくところ、村はずれにある二つの湯小舎は、一つは夏になつて湯びらきをするところで、吹きさらしの囲ひだけの簡単な小舎であり、その次のは角間の村の衆だけがはいりにゆく小舎である。三つとも、温泉といふにはあまりに素朴なところで、文化的なそなへは何もない。旅館は、おそろしく古風な宿屋が五軒ほどあつた。どの宿も自炊の客が多くて、宿から七輪〈シチリン〉を借りて、近所の何処からか炭を求めて来て、それで自炊をするのである。宿は五軒ほどあつた。夏になると、宿の縁側に着物をぬいで全裸で大湯まで歩いてゐる客があつて、かつと陽が照りつけてゐる小さい道を、大湯へ出はいりしてゐるうだつた〔茹だった〕やうな裸の姿をみてゐるのは面白い。
 戦争が終りごろになると、毎日空襲さわぎなので、この山のなかの温泉にも灯火がつくといふことがなく、夜になると暗い湯にはいりに行つた。
 二年ゐる間に、この村では三人のおばあさんが亡くなった。
 この村ではひとが亡くなると、近隣のひとたちが穴掘りにゆき、死者を土葬する習慣だつた。私も土地の習慣にならつてシャベルを借りて穴掘りに行つた。
【中略】
 私は何一つ書く気もしない、ものうい、そのくせ重苦しい気持のなかで「牛」といふ童話のやうなものを書いた。長い冬の間、私の二階へたづねてくれる百姓衆は、いろいろなおもしろい牧歌的な話を持ちこんで来る。
 どの話も狐に化かされた話が多い。
 日本の狐はよつぽど人をだますことが好きとみえて、どのひとの話もだまされた話ばかりである。私は狐物語を書いてみたいと思つた。ジャク・ロンドンのやうなかたちで、長い冬ごもりの間ぢゆう聞かされた一つの筋にまとめて書いてみたいと思つた。この村には角間河といふ大きい河もあつたので、河を背景にした河童の話も相当あつた。狸の話、山鷹の話、鹿が温泉にはいりに来た話、で、自然に私はかうした牧歌的なものに興味を持つやうになり、「蛙県蛙村の蛙どん」といふ童話を書いて村の子供たちに話してきかせた。
 村の子供たちは、私のことを先生と呼んでゐた。村の子供たちは、この蛙県蛙村の蛙どんの話を面白がつてくれて、「先生、もう、ほかの話、何かつくつたけえ?」と責めたてに来る。その次に書いたのが、「鶴の笛」といふ童話だつた。丁度、秋のころで、村にはさゝやかな祭があつたし、私の知りあひのお百姓が笛を上手に吹いたのからヒントを得て書いた。童話を書いてゐると、何ものにも拘束されない自由な思ひがひれき〔披歴〕出来た。読者はほんの五六人の村の子供たちだつたので書く方もなかなか力がはいつた。
 この小さい読者は、時々、塩あんでつくつた大きいおはぎを丼いつぱい持つてきてくれたり、手打ちのうどんを持つてきてくれたりした。私には八十歳になる母と、赤ん坊がゐたので、雪の深い日は、四キロもある隣村へ配給米を取りにゆくことが出来なかつたので、この子供たちがスキで取りに行つてくれたりした。
 村では面白いことに、廻覧板といふものもなかつたし、米、麦、うどん、味噌、醤油以外の配給物といつてはとんとないのだ。
 戦争はだんだん激しくなり、私にはいつ東京に戻れるといふあてもなかつた。戦争のあらゆる障害に対して、この現実を相手にして物を書くといふことは、それ自身罪のやうに思へ、どうしていゝのか支へすらもないみじめな田舎暮しのなかで、私は童話を書くことが唯一の救ひであつた。
 襁褓〈むつき〉を洗ひながら、もう、一年、この率直さの方がいゝのだとも思つた。
私のノートには、「蛙県の蛙村の蛙どん」の話を最初にして、二年の間に七十篇ばかりの動物集がたまつていつた。その動物たちはみんな平和な国をあくがれてゐるものばかりだつたのも、そのころの私のさゝやかな願ひの表現だつたのだらう。
 そのころ、政府の或一人の表現として私たちの眼に焼きついてゐることは、等しからざるを憂ふといふ文句があつたけれども、かんじんの皇族方や、華族、財ばつの階級には誰もふれてゆかないで、只庶民のほんの少しの凸凹〈デコボコ〉な暮しむきだけを責めたてられてゐるやうな押しつけられるやうな云ひかたがあつたものだ。
 貧乏人の一家で、同じ食卓に出てゐるものを、お前の皿は盛りがいゝぞ、俺の皿は盛りがすくないと云ひたてゝ、争ふことばかりさせられて、かんじんの他家のところは目かくしをさせられてゐるやうな小さいいざこざを庶民のこころに成長させる教育といふものが私には何となく腑に落ちなかつた。庶民はいつの間にか、きちやうめんに戦闘帽をかぶり、国民服を着るやうになり、胸には名前をつけて歩くやうになつた。それが楽だからでもあらう。人が一寸でも自分より変つた思想、変つた性格、変つたなりふり、変つた生活をしてゐやうものなら、お互ひに責めあひ、争ふことが目立つてきてゐた。【後略】

*このブログの人気記事 2016・4・27(7位にやや珍しいものが入っています)

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「一百三」ハ百三十ヲ意味ス

2016-04-26 05:14:34 | コラムと名言

◎「一百三」ハ百三十ヲ意味ス

 本日も、『速習 軍用日満支会話』(尚兵館、一九二九)の紹介である。本日は、その第二編「単語」の「一」を紹介する。なお、目次では、「第二編」は「第二篇」となっているが、この本の編者は、あまり、こまかいことにはこだわらなかった人のようである。

 第二編 単語
 本編ニハ同種類ノ単語ニシテ彼是相関連シテ記憶ヲ要スルモノノミヲ掲ゲ、単独的ノモノハ主トシテ会話編ノ所要箇所ニ掲ゲテアル
 一、数  数目【シウムー】
一     一【イー】
二     二【アル】
三     三【サヌ】
四     四【スウー】
五     五【ウー】
六     六【リウ】
七     七【チー】
八     八【パア】
九     九【チウ】
十     十【シー】
十一    十一【シーイー】
十二    十二【シーアル】 
十三    十三【シーサヌ】
十四    十四【シースウー】
十五    十五【シーウー】
十六    十六【シーリウー】
十七    十七【シーチー】
十八    十八【シーパー】
十九    十九【シーチユウ】
二十    二十【アルシー】
二十一   二十一【アルシーイー】
三十    三十【サヌシー】
四十    四十【スウーシー】
五十    五十【ウーシー】
六十    六十【リウシー】
七十    七十【チーシー】
八十    八十【パーシー】
九十    九十【チウシー】
百     一百【イーパーイ】
百一    一百零一【イーパーイリンイー】
 百、千、万等ニハ必ズ「一」ヲ附随スルヲ例トス、又百一、二百五、千五百一等ハ一百零一、二百零五、一千五百零一ノ如ク必ズ欠タル位ニ零ヲ入レテ読ミ書キスルヲ例トス
百三十   一百三十【イーパーイサヌシー】、又ハ一百三【イーパーイサヌ】
「一百三」ハ百三ニアラズシテ百三十ヲ意味ス
一千一   一千零一【イーチエヌリンイー】
「一千零零一」トセズ二ツノ○アル場合デモ「零」一ツデヨイ
三千十三  三千十三【サヌチエヌシーサヌ】
 位数ノ多イ場合デ百位以上ニ零ノアル場合ハ零ヲ用ヒナイコトガ多イ
一万    一万【イーワヌ】
一億    一億【イーイー】
第一    第一【テイイー】
第二    第二【テイアル】
一割    一割【イーチヤン】

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