礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

昭和17年1月における欧文社の学習参考書

2014-03-31 09:03:16 | 日記

◎昭和17年1月における欧文社の学習参考書

 昨日、高円寺の古書展で、林勲編『中等参考書学習辞典類 分類目録』(日本出版配給株式会社、一九四二年一月、非売品)という本を入手した。これは、「昭和一七年一月」の時点において確認できる「中等参考書並ニ学習辞典類」を、発行所別、科目別に分類したものである。編者の林勲は、日本出版配給株式会社調査部長。
 本日は、同書における発行所別分類から、「欧文社」の部を紹介してみよう。なお、旺文社は、同年中に社名を「旺文社」と改め、現在にいたっている。

 欧文社
著訳者      書 名        形 体   頁 数  定 価
保坂弘司    国体の本義精講       B6   396  1.00
欧文社指導部  公民科精講        三六判   307  1.00  
大串兎代夫   臣民の道精講 附 戦陣訓精講 B6  224  0.80
保坂弘司    国文解釈の綜合的研究    B6   895  1.50   
欧文社指導部  国文解釈の綜合整理    三六判   436  1.00 
信定建一    国文単語の綜合整理     B6   400  1.00
千葉千胤    書取必須要語集      三六判   510  1.00
吉田賢抗    孟子全釈           B6   671  2.00
保坂弘司    作文の綜合的研究      B6   474  1.50
保坂弘司    国文法の綜合的研究     B6   660  1.50
欧文社指導部  昭和十六年国漢入試問題集  A5   144  0.30
大和田武紀・保坂弘司  漢文の綜合的研究  B6   488  1.30
欧文社指導部  漢文解釈の綜合整理    三六判   470  1.00
信定建一    漢文要語の綜合整理     B6   412  1.00
手塚一夫    完璧日本歴史        B6   568  1.50
欧文社指導部  国史の要点        三六判   268  0.60 
欧文社指導部  東洋史の要点       三六判   333  0.60
手塚一夫    完璧西洋歴史        B6   518  1.50
手塚一夫    完璧日本地理        B6   510  1.50
欧文社指導部  日本及東亜地理の要点   三六判   260  0.60 
手塚一夫    完璧外国地理        B6   666  2.00
欧文社指導部  外国地理の要点      三六判   248  0.60
赤尾好夫編   英語基本単語塾語集     規外   486  0.50
赤尾好夫編   英語単語熟語の綜合的研究  規外   945  1.50
欧文社指導部  昭和十六年英語入試問題集  A5   113  0.30
赤尾好夫編   英語の綜合的研究     三六判  1029  2.00
須藤謙吉    英文解釈の徹底的研究    B6   380  1.60
原 仙作    英文標準問題精講義    三六判   278  1.00
欧文社指導部  英文解釈の綜合整理    三六判   403  1.00
欧文社指導部  和文英訳の綜合整理     B6   354  1.00
原 仙作    和英標準問題精講      B6   366  1.00
須藤謙吉    和文英訳の徹底的研究    B6   320  1.60
杉浦敏勝    英文法の綜合的研究     B6   488  1.30
欧文社指導部  昭和十六年数学入試問題集  A5   143  0.30
欧文社指導部  完璧数学公式集      三六判   174  0.60
高津 巌    簡明代数学         B6   383  1.30
高津 巌    代数学の綜合的研究同(上巻) B6  366  1.00
高津 巌    代数学の綜合的研究同(下巻) B6  556  1.20
欧文社指導部  代数学の綜合整理     三六判   558  1.00
欧文社指導部  完壁代数問題集       B6   271  0.50
高津 巌    幾何代数融合問題綜合準備  B6   253  0.80
高津 巌    幾何学の綜合的研究     B6   333  1.20
欧文社指導部  幾何学の綜合整理     三六判   517  1.00
欧文社指導部  完壁幾何学問題集     三六判   232  0.50
高橋数一    三角法の綜合的研究     B6   384  1.30
江原広・緒方信助 物理学の徹底的研究    B6   660  2.00
緒方信助    物理学計算問題の要点   三六判   180  0.60
武原熊吉    化学の綜合的研究      B6   420  1.50
澄谷 泉    化学の要点        三六判   187  0.60
欧文社指導部  系統的生物学要点     三六判   111  0.60
波多野知義   生理衛生及鉱物の要点    B6   249  0.60
赤尾好夫    入試突破の対策を語る    B6   601  1.50
欧文社英語部編 完璧エツセンシヤル英和辞典 三六判 1224  3.00
欧文社英語部編 完璧掌中英和辞典     三五判   384  1.50

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ジラード事件公判、傍聴券に3000円の闇値

2014-03-30 03:45:41 | 日記

◎ジラード事件公判、傍聴券に3000円の闇値

 昨日の続きである。池田正映著『群馬県重要犯罪史』(高城書店)から、一九五七年(昭和三二)に起きた「相馬ケ原弾拾い射殺事件」の章を紹介している(今日では「ジラード事件」と呼ばれている事件)。昨日は、同章の〔参考事項〕のうち、「一」から「一九」までをを紹介したが、「一〇」から「一七」まで紹介する。
 これを読んで私は、この事件で使用された手榴弾発射装置(グレネードランチャー)つきの小銃が、副分隊長からの借り物であったこと等を初めて知ったのである。引用にあたって、明らかな誤植は訂正し、数箇所で句点(マル)を補った。

一〇、一方前橋地方裁判所は米国最高裁判所の決定を俟つことなく七月十一日弁護人と打合せの上第一回公判を八月二十六日午前十時から前橋地方裁判所第一号法廷で開くことを決定した。
一一、此の事件は、上記の如く米国でも問題とされた為米陸軍長官代理等の傍聴も予想され前橋地方裁判所がクローズアツプされ裁判所では公判準備の為第一号法廷に裁判官席尋問台傍聴人席の各上部に煽風機合計三基を取りつけたので、この夏以後他の事件関係者迄余徳を蒙ることになつた。
一二、八月二十六日の第一回公判期日には一般傍聴者を三十五名に限り午前八時三十五分締切迄に希望者三百六十二名で抽籤をなし入廷させた。
 此の間群馬県地評社会党群馬連関係者は「米国にへつらう裁判をやるな」とか「日本の司法権を守れ」などというプラカードを立てて気勢をあげていた。
 抽籤に漏れた人達が是が非でもと云う者もあり一枚千五百円乃至三千円でさばくダフ屋も出たと云われた。
一三、内外新聞の取材本部は裁判所付近の商家民家を借り、又裁判所構内にテントが何組となく張られた。
 他方警察は私服制服警官十八名を法廷内外に配置又県警別館に機動隊一個分隊を待機させ裁判所側は東京地裁より警備員七名の応援を求め廷吏及職員の臨時警備員三十名を正門より公判廷周辺に配置し米軍側は県庁前に大型トラツク二台を置いてキヤンプとの応急連絡所にしたのである。
一四 併し他の大事件と同じく特に通訳入りの公判は興味が永続きするものではない為、三日目以後傍聴席も空席を生じ特殊関係者を除き急激に減少し法廷外の警備員も形式丈〈ダケ〉になつて行つた。
一五 被告人が弾拾いに向け発砲したのは坂井なか丈ではないその直前にも西峰の東側斜面から下りて来て薬きようを拾った弾拾いの小野関英治外二名に対してもその身辺をねらって空薬きようを発射した事実があつた。
一六 米軍では空砲の発射は二十ヤード以内では危険としており空薬きようを撃つことを禁止していた。事件後被告人の用いた方法で実験したところ八米から十五米の距離で命中率は九五%だつたし貫通力は七粍〈センチ〉、十九粍板を貫通、二十九耗板には約二十三粍突きささる威力を持つて居たのである。
一七 裁判所は犯情に関し「本件は被告人が武器を不法な目的のために不正な用法で使用し人命失うに致らしめるという重大な結果を招いたものであつて必ずしも犯情軽くないものがある。しかしながら本件の誘因としてこれまで関係当局の努力にもかかわらずタマ拾いの者が立入禁止の警告を冒して演習中の演習場内に立ち入り尊貴であるべき身命を自ら危険な窺地に挺してまで利欲のためあえてタマ拾いに熱中する一方一部のタマ拾いと一部の米兵とが互いに節度を越えて狎れ合つた〈ナレアッタ〉ことなどが考慮され延いては〈ヒイテハ〉本件のようた悪ふざけによる不祥事の発生も予見できないことではないのである。本件当日もまたかかる状況のもとで演習が行われたものでその参加将兵のなかに混入して無秩序に各自思い思いに行動するタマ拾いの側にも非難さるべき一半の責は免れ難くこれを一兵卒に過ぎない思慮の未熟な被告人のみに本件事故の全責任を負わせることは相当でない。また本件演習に当り被告人が支給された小銃がたまたま故障したため副分隊長の某下士官からその携帯の小銃を借り受け、その小銃に通常分隊長や副分隊長のみが所持し兵卒の所持しない手りゆう弾発射装置が装着されたままであつたところからこの武器が被告人をして稚気を起こさせ本件を偶発したものとも認められ被告人がタマ拾いを特に蔑視したとかあるいは被告人が坂井なかの身体に命中するようにねらい射ちしたといシ証拠は何処にもないのであつて被告人にとつて致死の結果はもとより発射薬きようの命中ということがいかに意外のことであつたかは本件発生直後の被告人の周章狼狽ぶりからも容易に推測することができるのである。また合衆国の軍当局においても坂井なかの遺族の将来を案じてその慰しや〔慰藉〕の方法を講じその承諾さえ得れば相当額の金員を直ちに交付できる用意を完了していることが認められる。そして被告人自身も十分に前非を悔い再犯の虞〈オソレ〉もないと思われるから被告人の年令、性行、経歴環境など諸般の情状を考慮し被告人を懲役三年に処し四年間右刑の執行を猶予するを相当とする」と判示している。

 池田正映著『群馬県重要犯罪史』からの引用は以上である。相馬ケ原弾拾い射殺事件(ジラード事件)については、まだ述べることがあるが、明日は話題を変える。

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アメリカ最高裁決定、ジラードを日本の裁判権に服させる

2014-03-29 05:14:51 | 日記

◎アメリカ最高裁決定、ジラードを日本の裁判権に服させる

 昨日の続きである。池田正映著『群馬県重要犯罪史』(高城書店)から、一九五七年(昭和三二)に起きた「相馬ケ原弾拾い射殺事件」の章を紹介している(今日では「ジラード事件」と呼ばれている事件)。昨日は、同章の前半にあたる〔犯罪事実〕を紹介したが(判決文の引用)、本日からは、その後半にあたる〔参考事項〕を紹介したい。これは、「一」から「一七」まで、箇条で書かれているが、本日は、「九」まで紹介する。
 これを読んで私は、この事件がアメリカ本国においても、「大問題」になっていたことを初めて知った。なお、引用にあたって、明らかな誤植は訂正し、数箇所で句点(マル)を補った。

〔参考事項〕一、昭和三十二年一一月一九日判決(懲役三年執行猶予四年)
二、一月三十日午前一時半相馬ケ原演習場で坂井なかが殺されたと高崎警察署に連絡があり同署と群馬県警察本部とで捜査を開始翌三十一日死体解剖で体内より薬きようを発見射殺の疑いが深まつた。
 二月一日岡田三千三県警刑事部長等は目撃者小野関英治を伴い三ケ尻米軍キヤンプを訪ね事件当日の演習参加者の首実験の結果犯人はジラードと判明し同月五日米軍の取調べでジラードが射ったことを自供するに至った。
三、同月七日米軍はジラードは事件当時公務中だつたとの証明書を発行した。
 同月九日警察はジラードを傷害致死罪で書類送検、前橋地検は同月十一日ジラードを現場に出頭させ日本側証人と共に実施検証翌十二日ジラードを地検に出頭させ取調べたが同人は殺意を否認し過失事故を主張した。
四、之より先二月二日群馬選出社会党茜ケ久保代議士は本件を取り上げ政治問題化し同月六日衆議院内閣委員会で報告「米軍は日本人を犬猫のように狙い打ちした」と強調した。
 同月十五日政府は国会で事件を公務外の傷害致死と見ると言明「公務中」を主張する米軍の見解と対立しこの為事件は日米合同委員会刑事特別分科会の交渉に持ち込まれ以後三ケ月間交渉が続けられた。
五、五月十六日日米合同委員会で米国側は裁判権を放棄し日本で裁判することが決つた所、米国では之に反対する声が急に強くなり之に押されたウイルソン国防長官は同月十八日極東軍司令官に「再調査が終るまでジラードの身柄を日本に渡すな」と命令した。この為前橋地検は急に予定を変え同夜遅くジラードを傷害致死で起訴するに至つた。
六、米国では「ジラード引渡禁止命令」とともに五月二十三日ジラードの出身地イリノイ州議会が引渡し反対決議を行うに至つて米本国内の感情的な世論はいやが上にも燃え上つた。その頃日本では社会党基地対策委員会が抗議活動をする等の事があり同月二十九日群馬県議会では社会党議員がジラード引渡し要求決議案を提出自民党議員の反対で否決された。
 米国務省では冷静に事件を検討日米両国及びその他の諸国との関係を考慮した結果強硬派の国務省〔ママ〕を説き伏せ六月四日ジラードを日本側に引渡し日本の裁判に委ねるという決定か国務省国防省の共同声明として発表した。そして翌五日在日米軍は三ケ尻キヤンプ民事部長レーカース大尉を前橋地方裁判所に派遣し早急に訴訟手続を進めることを申入れるに至り裁判権問題は一応解決した。
七、併し一度燃上ってしまった米国内の感情的な世論は容易に消えずその動きに乗つてジラードの実兄ルイス・ジラードはウイルソン国防長官ダレス国務長官、ブラツヤー陸軍長官を相手どりワシントンの連邦地方裁判所に対しジラードの兵役は二月で終了していることを理由に人身保護令状を申請した。
 此の間米国の世論を煽つた〈アオッタ〉のは一部行政協定反対派の議員や愛国団体在郷軍人団などであつたが一般大衆の心には無知から来る外国裁判所に対する不信が根強く横たわつておりこれに「真珠湾を忘れるな」「米軍人の忠誠を日本の狼に売り渡すな」とセンセーシヨナルに呼びかけついに米国最大の話題にまで作り上げてしまつた。
八、而して連邦地方裁判所は六月十八日「ジラードの発砲行為は公務中のものであり従つてその身柄引渡しは米国憲法により保障された基本的人権の侵害である」とし裁判管轄権は米国側にあると決定した為米国政府はこの決定に従うならば日本としての行政協定に止まらず米国政府が他の諸国と締結している条約はすべて危険にさらされる事となりその国際信用は全く失墜する事は明白で全く窮地に陥る事となつた。そこで米国政府は同月二十日最高裁判所に直接上告して連邦地方裁判所の決定を取消すことを求めると共にアイゼンハウアー大統領自身国会議員を招きそれ迄秘密にされていた事件の真相を明らかにして説得するという努力迄払つたのである。かくて七月十一日米国最高裁判所は全員一致で地方裁判所の決定を取消しジラードを日本側の裁判権に服させるという決定をなしたので米国政府は漸く危機を脱した。
九、更に国務省は世論を鎮める為ジラードと一諸にいたニクル三等特技兵の宣誓供述書を発表事件の真相を初めて米国民の前に公表した。それによるとジラードは警備の為に射撃命令は受けていなかったし、なか等に空薬きようを撒いておびき寄せ二回発砲二発目肩に銃をあてゝなかをねらいうちした。又ニクルはジラードから頼まれ一回しか発砲せずそれも銃を腰に構えて射つたと初めうその供述をした事も明白となつたのである。【以下は次回】

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相馬ケ原弾拾い射殺事件、一名「ジラード事件」(1957)

2014-03-28 04:53:07 | 日記

◎相馬ケ原弾拾い射殺事件、一名「ジラード事件」(1957)

 数年前、池田正映著『群馬県重要犯罪史』(高城書店)という本を入手した。この本は、どういうわけか、奥付に発行年月日の記載がない。しかし、一九五七年(昭和三二)に起きた「相馬ケ原弾拾い射殺事件」(一名「ジラード事件」)の判決文(同年一一月)が載っていることなどから、それから、さほど経過していない時期に刊行されたものと思われる。
 今回、この本でジラード事件の判決文というものを初めて読み、この事件の「全貌」を知った。被害者を死にいたらしめたものが、ジラード三等特技兵(判決当時二〇歳)が、手榴弾発射装置(グレネードランチャー)を使って発射した空包小銃弾空薬莢であったことも、はじめて知った次第である。
 以下に、前掲書で池田が引用している判決文(前橋地裁刑事部、昭和三二年一一月一九日)の一部を、そのまま再引用する。ここで池田が引用している判決文は、原本の一部にとどまり、しかも、誤引用と思われる部分が散見される。このコラムでは、あえてそのまま再引用したが、疑問の箇所には、〔ママ〕と注記しておいた。
 なお、インターネット上には、「東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室」が公開している同事件判決もある。こちらは、原本に近いものだが、これにもやはり、誤植(たぶん、スキャナーの読み取りミス)と思われる部分が散見される。

〔犯罪事実〕被告人は一九三五年八月十一日米合衆国〔ママ〕イリノイ州ストリタ市で出生し小学校八年中学校一年の課程を修めた後、一九五三年十一月米合衆国陸軍に志願して服役し日本国と米合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定いわゆる〔ママ〕米合衆国陸軍の一員として一九五四年四月日本国に入国し、北海道駐留部隊勤務を経て同年九月埼玉県大里郡三尻村所在キヤンプウイテイントンに移り以来同キヤンプに駐留し本件当時米合衆国陸軍第一騎兵師団第八騎兵連隊第二大隊F中隊所属の三等特技兵として自動車運転手をつとめその後肩書部隊に転属し現に服役中のものである。
 被告人は昭和三十二年一月三十日群馬県群馬郡相馬村(この村名は本件当時のもので以下の記載も同様である)所在キヤンプウエア演習場(榛名山の東南ろくに位置し面積約七百万坪に及ぶ旧日本陸軍相馬ケ原演習場)で行はれた。〔ママ〕右F中隊所属将兵三十余名による演習に小銃手として参加し、同日午前八時前後頃ごろ同演習場内相馬村大字広駒所属〔ママ〕御岳山(米軍による呼称名はシユライン・ヒル以下括弧中の名称はすべて同趣旨である)附近から小銃および軽機関銃の実包射撃による陣地攻撃演習を開始し、その北西方約一キロメートルの附近にある天神山(チヨコレート、ドロツプ)を経て、その北西方約二百メートルに在る同大字所在物見塚(六五五ヒル、標高約六百五十五メートル)を攻撃し、午前十一時過頃ひとまず午前中の演習を終了し、昼食のため物見塚附近で休憩に入つたのである。
 そもそも日米両当局はかねてより同演習場周辺の要所に立入禁止の標柱および制札を設置するほか演習実施の際にはその周辺の住民に対し、関係機関を通じて演習を行う旨予告するとともに演習当日同演習場周辺など各所から見易い特定の場所に赤旗を掲揚して危険につき演習場内への立入を禁止する旨警告し地元日本国警察当局も演習中一般民衆の立入禁止のため種々の方策を実施しかつ日米両国の関係機関においてしばしば協議を開きその実効をあげるための対策を講じもつて危害の発生を未然に防止するよう努力していたが同演習場が前記の行政協定第二条にいわゆる合衆国軍隊が使用する施設又は区域であるか否かが明らかでないため同演習場内の立入行為そのものをとくに処罰できなかつたことと他方銃弾の空薬きよう〈カラヤッキョウ〉や砲弾の破片などの金属が高価で売れるところ米軍当局がこれら物資の処理に殆んど関心を示さなかつたことからこれを拾得して生計の足しにするなどのため右住民のうち演習場内へ立ち入る者も漸次ふえついには右の警告などをも無視演習実施中にもかかわらず場内へ立ち入りしかもこれら弾拾い〈タマヒロイ〉の増加に伴いその相互間の競争も激化し演習のため行動する将兵につきまとつて拾い集める者も出てくる一方米軍将兵のうちには右弾拾いに対し好意的に多量の空薬きようを与える者もあつて弾拾いに対する日米双方の取締も所期の成果をあげ得ない実状であつた。
 本件の一月三十日におけるF中隊の演習に際してはしんちゆうの小銃弾や軽機関銃弾の空薬きようが拾えるためか演習開始の頃から少なくとも六、七十名に余る弾拾いが前記警告を犯して演習場内に立ち入りある者は演習中の将兵につきまといある者は散兵線の前方に飛出しある者は射撃直後の焼けた軽機関銃の周囲に群がり先を争つて空薬きようの拾得に熱中する余り演習の執行を妨げるとともに将兵ならびに弾拾いの身命に危険を招いたため実包による演習を中止し午後の演習においては空包を使用することにその予定を変更させてしまう程の状況であつた。
 かかる状況の下にF中隊は昼食後午後零時半過頃より演習を再開し部隊をモーホン少尉指揮の一隊とジガンテイ少尉指揮の一隊とに二分し被告人はモーホン少尉の隊に属しまずモーホン少尉指揮の下に御岳山付近に至り同所から行動を開始物見塚東峯およびその周辺に布陣するジガンテイ少尉の隊を攻撃しての攻撃において匍伏前進しあるいは実包〔ママ〕を撃ちながら進撃し物見塚東南ろく付近に到達した。
 午後一時半頃攻撃を終止して将兵一同物見塚東峯に登り続いてジガンテイ少尉の隊が右同様の演習を実施するためモーホン少尉の隊と交代して物見塚を降り御岳山に向かい出発したがその交代にさいしモーホン少尉はじめジガンテイ少尉より物見塚の東西両峯の中間に存する鞍部〈アンブ〉中央付近に存置する軽機関銃一挺およびフイールド、ジヤケツなど数点の管理を引き継いだのである。
 当時モーホン少尉指揮下の将兵は右のような攻撃演習を実施した直後であつてその多くの者はかなり疲労していたため物見塚東峯頂上付近からその東側斜面上にかけてモーホン少尉をはじめ各自思い思いの姿態で休憩をとつていたのであるが同少尉はたまたまその身辺にいた被告人およびビクター・N・ニクル三等特技兵の両名に対し前記軽機関銃などの警備を命じこれがため被告人はニクル三等特技兵とともに右の鞍部に赴き休憩を兼ねながら右軽機関銃などの警備の任に就いたのである。たまたまそのころ物見塚西峯の東側斜面およびその南側ふもと付近に少なくとも数名以上の弾拾いが空薬きようを拾う機会をうかがいながら演習の推移や将兵の挙勤を見守るようにしていたのであるがニクル三等特技兵は右の警備に就くや間もなく身辺に落ちていた銃弾の空薬きようを拾つて右の鞍部南斜側面下方に投げ捨てはじめこの動作を数回繰り返し行なううち被告人は右ニクルをして被告人の所在位置からほど遠くない右の鞍部南側斜面上の個所に空薬きようを投げさせた。前記西峯の東側斜面に待機していた弾拾いに向かつて手招きをしながら声をかけ右の空薬きようが投げ捨てられた個所を指したので弾拾いの一人が右の斜面上から下りその場にかけつけ空薬きようを拾い始めたが同時に右鞍部の西端北側付近からも弾拾いの一人である相馬村大字柏木沢六五四番地の二農業坂井秋吉の妻女なか(明治四十三年八月十三日生)が同所にかけつけ空薬きようを拾得しようとしたところ被告人ジラードは同女に対し鞍部西端附近にあるごうを指さし「ママサンダイジヨウビ、プラス〔ママ〕ステイ」といいもつて同女をして右の壕内に空薬きようが多量にあるから拾つてよい旨を理解させよつて同女をごう内に赴かせたうえ(時に午後一時五十分頃と思われる)所携のMⅠ〈エムワン〉小銃の銃先に装置せる手りゆう弾発射装置に空包小銃弾空薬きよう(長さ約六二・六ミリメートル底部の直径約一一、九ミリメートル)をその開口部を奥にして差し込み空包一発を装てんした上突如同女に向かい「ゲラルヒア」と叫ぶとともに右小銃を携えたまま前記の壕に向い走り寄りもつて同女を威嚇しこれに驚いた坂井なかが壕から這い上りその北西方へ逃げのびようとして走り行くその背後十メートル内外の距離から同女の身辺をねらつて空包を撃ちこの空包のガス圧により前記空薬きようを発射しもつて同女に対し暴行を加えたところ意外にも右空薬きようが同女の左背面第七肋間部に命中しその射入に因つて同女は左背部から下行〈カコウ〉大動脈上部に達する全長約十一センチメートルの盲管射創に基づく大動脈裂創を負わせ右裂創による失血のため即時その場において右坂井なかを落命させたものである。

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日本の農業は最高に発達した園芸(Gartenbau)

2014-03-27 05:13:57 | 日記

◎日本の農業は最高に発達した園芸(Gartenbau)

 昨日の続きである。昨日は、津下剛の論文「外国人の観たる近世の日本農業」のうち、「五、農政観」の前半を紹介した。
 本日は、その後半を紹介する。

 即ち〔ケンプェルは〕坪刈検見が行はれてゐたことを教へてくれてゐる。時代が降るに従つて渡来して来た外国人の観察も段々と正鵠〈セイコク〉に近付いて来る。それは先輩の記録による知識を基として、実地に詳細に見聞するからであらう。勿論中には誤解がないではない。併しそれは無理からぬ事である。我国の実情を我国人並みに或はより以上に知悉することは不可能である。第一に目に写り耳に触れる折すらない種々のことがある。我々は徳川時代の交通制度に於て、助郷〈スケゴウ〉制度が農民に及ぼした悪影響の、数多い例を知つてゐる。このやうな交通補助機関として整備された制度は外国人の筆にはものされなかつた。否そんなことかあつたことすら考へられてゐなかつた。ツンベルグは、「天然の生産品で支払ふことになつてゐる賦税は甚だ重いのであるが」日本の農民は『それでも欧羅巴で自ら土地を所有してゐる百姓に比すれば、その多くはずつと賦役は軽いと云ふべきである。』何故ならば『日本の百姓は費用よりもずつと少い料金で、自分の馬を駅馬に数日間差し立てられることもないし、脱営兵や囚人を近くの城塞に送るために自分の車を徴発されることもない。街道・病院・橋梁・寺院・倉庫を作るために賦役を命ぜられることもない。』その上に『主人とするものはその住む国の国主だけで、外の者はない。人頭税・十分一税その他いろいろの税を徴集すると称して、無数の厭な厄介をかける下役〔課役〕に苦しめられることがない』から、日本の農民は西洋の農民より楽だといふ口吻を洩らしてゐるが、彼の実情に対する認識不足は、一々反駁する必要もない程である。
 ツンベルグは亦田畠の品等と検見に関しても記してゐる。併しそれはケンプェルよりも杜撰〈ズサン〉であり、検地と検見とを混考してゐる。
 米は云ふ迄もなく日本の経済の基礎であつた。それば『数千年の文化は、此注目すべき日本国に於て、農作をば国家経済の基礎となし……臣民の繁栄君主の安康なる、その生活の泉源はこゝより湧きて渇きる〈ツキル〉ことなく』『其第一は米作』であつた。而もそれは『欧羅巴の深奥なる経済学者や政治家の偉い投機的な計画を立てるよりも、ずつと美事な効果を収め』てゐるのである。
 日本の農業は農業として最高に発達したGartenbau〔園芸〕である。堪へ難い労作に苦しみ乍らも数千年来の歴史が作つた農業文他の華である。比類なき土地の経営方法である。其処には屡々天災と苛斂誅求〈カレンチュウキュウ〉による幾多の悲話も起つたが、家族的労作的小農経営の根強さは、こうした試練を克服した。そして比類なき農業立国の基礎が確立されたのである。西洋の畠地文化に対する日本の水田文化、これは地球上に対蹠〈タイセキ〉する二つの農業文化である。

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