礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

清水幾太郎にとっての「古典」とは

2014-12-31 14:52:46 | コラムと名言

◎清水幾太郎にとっての「古典」とは

 昨日の続きである。清水幾太郎は、岩波書店編『古典の読み方』〔「岩波文庫創刊二十五年記念」非売品〕(一九五三)の中で、「古典」について語っている。
 昨日、紹介した箇所のみならず、他の個所でも清水は、いろいろと興味深い指摘をしているが、それらの紹介は、来年に回したい。
 ところで、清水幾太郎自身は、何を以て、みずからの「古典」としていたのだろうか。おそらく、フランスの社会学者オーギュスト・コント(一七九八~一八五七)の著作だったのではないだろうか。
 ところが、このコントの著作を、「古典」として親しんでいる日本人が、今いったい、どれだけいるのだろうか。コントの名前を知っている人は多い。思想史上において、彼の果たした役割を承知している人も多い。しかし、実際にどれだけの人が「コント」を読んでいるのか、どれだけの人がコントを読んで感銘しているのか、というと、これは甚だ疑問だと言わざるを得ない。
 かつて石川三四郎訳の『実証哲学』(春秋文庫)を読もうとしたことがあるが、あまりに冗長で、すぐに投げ出した。アナキストの石川三四郎は、決してヒマ人ではなかったと思うが、こうした本を翻訳した石川の根気に驚嘆した。
 清水幾太郎は、古典の中にも、ダレて冗漫なものがあると言っていたが、この『実証哲学』は、そうした冗漫な古典を代表するものだろう。
 中央公論社の「世界の名著」第三六巻『コント/スペンサー』(一九七〇年二月)は、清水幾太郎が責任編集をしている。この本にはさまれている「付録」では、清水幾太郎(当時、二十世紀研究所)と社会学者の高橋徹〈アキラ〉(当時・東京大学助教授)が対談している(対談の日付は、同年一月九日)。
 この対談の最後のほうで、高橋は、「あらゆる学問において、その創始者の名前を忘れかねているような学問は大成しない」というホワイトヘッドの言葉を引いている。これは、今だに、コントやスペンサーを忘れかねている清水幾太郎に対する痛烈な皮肉である。
 二〇歳近く歳下の研究者から、こんなことふうに皮肉られた清水は、「さあ、ちょっと忘れ過ぎているような感じもしますね」と返しているが、特に、激怒したふうはない。オトナと言えばオトナだが、ここで生意気な後輩を一喝できなかったところに、学者としての清水の中途半端さがある。要するに、学者としての信念と自覚に乏しいのである。
 この日、高橋徹から、コントやスペンサーを忘れかねていると皮肉られた清水には、おそらく激怒するだけの気迫がなかったのだと思う。後輩に皮肉られたこと自体が情けなく、それに言い返せなかった自分も情けなかったに違いない。ちなみに、清水幾太郎が右旋回を始めたのは、一九七三年からだという。
 この日、先輩を皮肉った高橋徹も、一〇年ほど前に、すでに鬼籍に入っている。時が流れるのは速い。

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13位 14年8月14日 滝沢馬琴が参照した文献(その2)      
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17位 14年3月29日 アメリカ最高裁決定、ジラードを日本の   
18位 14年12月25日 生方恵一アナウンサーと「ミソラ事件」  
19位 14年3月20日 戦時下に再評価された津下剛の農史研究   
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21位 13年9月14日 なぜ森永太一郎は、落とした手帳に     
22位 12年7月2日  中山太郎と折口信夫           
23位 14年4月14日 光文社版、椋鳩十『山窩小説 鷲の唄』   
24位 14年12月15日 心理学者のレヴィンとコフカはユダヤ系  
25位 14年3月7日  津村秀夫、『カサブランカ』を語る      
26位 14年2月12日 国語伝習所の「講義録」は1891年に終結 
27位 14年2月8日 管絃の書では、「阿宇伊乎衣」        
28位 14年3月5日 「法は治世の一具たるに過ぎず」穂積八束   
29位 14年7月11日 岩波文庫『古事記』再版          
30位 14年4月17日 「蛙葬」の遊びを近ごろの子どもはやらない  

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清水幾太郎の文章術について

2014-12-30 06:32:34 | コラムと名言

◎清水幾太郎の文章術について

 当コラムでは、何度か清水幾太郎という人物を採り上げてきた。どちらかと言えば、否定的な紹介が多かったと思うが、今日は、肯定的に紹介してみたい。
 というのは、岩波書店編『古典の読み方』〔「岩波文庫創刊二十五年記念」非売品〕(一九五三)に、清水幾太郎の「古典」という文章が載っているのだが、これがなかなか読ませるのである。
 一五ページに及ぶ文章のうち、その五分の一弱を紹介してみよう(二七~二九ページ)。

 読者は、新聞や雑誌の一隅で、映画、著書、論文などの批評を読むであらう。さういふ批評の大部分は、映画の場合なら、カメラが暗い、テンポが少し緩いといふ調子、それから、著書や論文の場合だと、後半がダレてゐる、よく纏まり過ぎてゐる、優等生の答案のやうだといふ調子である。つまり、技術的な側面の批評なのである。そして、その半面、当の映画や文章の内容である問題、例へば、戦争や平和の問題、基地経済の問題、植民地的文化の問題、一つ一つ、私たちの胸に突き刺さるやうな問題についての評言は全く見当らない。これ等の問題が重要なのか否か、それが正しく取扱はれてゐるか否か、どういふ実践的帰結を伴ふのか、抑々〈ソモソモ〉批評家自身の意見はどうなのか、これ等の点については一言半句も書いてない。この流儀の批評文が実に多い。そして益々多くなつてゐる。批評家たちの関心は専ら技術的側面に向けられてをり、しかも、稀な例外を除くと、誠に秋霜烈日、ダレてゐる、纏まり過ぎてゐるといふ類〈タグイ〉の評語を総動員して、現代の作品を叩いてゐる。ひどく点が辛い。と同時に、内容への完全な無関心のために、滑稽な話だが、戦争や平和、基地経済、植民地的文化、これ等の問題自身がダレたり、纏まり過ぎたりしてゐるやうになつてしまふ。イヤハヤ。だが、一般に、現代の大問題といふものは、最初は個人の経験の平面に現はれ、次に作品の平面に表現され、これによつて、社会的な規模のものになるのだが、作品の平面に上る途端に、待ち構へてゐる批評家の手にかかつて退治られるとなれば、批評家たちは、私たちの運命に関する問題の提出と解決とを妨げるために存在することになる。実際、技術的批評の用語を操るのが批評家の仕事であるのなら、批評家は、戦争や平和、基地経済、これ等の問題について知識を持たなくても信念を持たなくても、楽に仕事が出来るのである。
 現代の作品に対する批評家たちの冷たい態度、これを逆転させると、古典に対する態度、彼等の温い態度といふことになる。勿論、批評家だけでなく、批評家を代表者とするインテリ全体に見られることであるが、古典に対しては誠に温い態度、といふより、無条件降伏なのだ。一辺倒なのだ。誰が古典を賞讃しないてあらうか。誰が古典を推薦しないであらうか。批評家の真似をして現代の作品を冷たく審いてゐたインテリは、今や、全く別人になる。技術的側面に関する批評の用語は忽ち姿を消してしまふ。批評の余地がないほど完成してゐればこそ、古典なのであらうか。しかし、私などの眼から見ると、ダレて冗漫になつたり、纏まり過ぎて難解になったりしてゐる古典はいくらでもある。けれども、批評家はそんなことは言はぬ。それから、古典の取扱つてゐる内容、これも批評家は尊重する。そこに大きな問題が潜んでゐる。永遠の意義がある、等々。要するに、無条件降伏なのだ。私は、かういふ批評家やインテリに接するたびに、目下の人間に向つては威張りちらしながら、目上の人間にはペコペコする人物のことを思ひ浮べる。何れにしても、古典を賞讃し推薦しておけば無難なのである。その価値は自分が証明しなくても、歴史が証明してくれる。自分が責任を負はなくても、過去が責任を負つてくれる。こんな楽な仕事はなからう。だが、私自身の経験から言へば、賞讃し推薦する人たちが、本当に興味を以て、古典を通読してゐるとは信じられない。時代や伝統の差のために、多くの古典は堅い殻に包まれてゐる。これを噛み破るのには、生きた問題に心を掴まれた人間の、あのガツガツした精神の食欲、鋭くなつた精神の牙、さういふものが要る。この条件はさう簡単に生れるものではないし、権威の前に叩頭するやうな態度とは絶対に相容れない。賞讃し推薦する人々自身、正直な興味を以て古典を読んででゐない場合がかなり多いやうに思はれる。

 文章もうまいし、指摘にも説得力がある。「一言半句も書いてない」という時の「書いてない」は、普通の文筆家なら「書かれてゐない」とするだろうが、こういう表現で、砕けた雰囲気を演出している。このことは、「イヤハヤ。」という挿入、「ペコペコする」といったカタカナ表記についても言える。
「批評家」の常套手段を話題にしながら、「古典」が持つ性格を浮かび上がらせるというやりかたもユニークである。こういう文章が書けた清水は、間違いなく才人だったと思う。【この話、続く】

*このブログの人気記事 2014・12・30

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創業当時の「伊藤書店」(「ブック・イトウ」の前身)

2014-12-29 13:14:56 | コラムと名言

◎創業当時の「伊藤書店」(「ブック・イトウ」の前身)

 本年一〇月二〇日に私は、「創業当時の『伊藤書店』(『古書いとう』の前身)」というコラムを書いた。ところが、その後、そこで大変な勘違いをしていたことに気づいた。「伊藤書店」は、「古書いとう」の前身ではなかったのである。つまり、タイトルからして、間違っていたのである。
 早く、訂正しなければと思いながら、つい怠って、とうとう年末になってしまった。このまま、年を越すわけにもいかないので、以下に、書き直した文章を掲げる。もとの文章のほうは、とりあえず本日、内容に間違いがあったという注記を付し、年明けに替りの文章と差し替えたいと思う。

◎創業当時の「伊藤書店」(「ブック・イトウ」の前身)

 本年一〇月ごろに送られてきた「本の散歩展」通巻46号に、「嗚呼 !! いとうさん」という文章が載っていた。筆者は、「古書りぶろ・りべろ」の川口秀彦氏である。その文章によれば、「古書いとう」の伊藤昭久さんが、本年七月一七日に亡くなられたという。
 伊藤昭久さんと面識はなかったが、「古書いとう」というお店の名前は、もちろん知っていた。川口秀彦氏の文章によれば、伊藤昭久さんには、『チリ交列伝』という著書があるという。その後、この本は、入手した。「チリ交」というのは、「チリ紙交換」の略である。伊藤昭久さんは、古書店を始める以前、チリ紙交換業に従事していたという。
「嗚呼 !! いとうさん」を読んだときに思い出したのは、一九八〇年代の前半に、「伊藤書店」という名前の古書店があったことである。その店の近くに住んでいた古書好きのS氏によると、その店は、故紙回収業者が始めた店だという。興味本位で出かけてみた思い出がある。
 この伊藤書店が、「古書いとう」の前身だったのだろうと思いこみ、本年一〇月二〇日に、「創業当時の『伊藤書店』(『古書いとう』の前身)」と題するコラムを書いた。しかしこれは、完全な勘違いで、「古書いとう」は、創業当時から、「古書いとう」だったのである。この店名には、幻の淡水魚「イトウ」の意味も含まれているらしい。このことは、伊藤昭久さんの『チリ交列伝』を読んで知った。
 ただ、一九八〇年代の前半に、「伊藤書店」という名前の古書店があったことは間違いない。その店は、野猿〈ヤエン〉街道沿いの八王子市東中野(旧・南多摩郡由木〈ユギ〉村東中野)という、およそ都会らしくない場所にあった。従来の古本屋と違って、車での来店を想定しているようだった。道路からやや離れたところに、古い倉庫を転用したかのような店舗があった。道路と店舗の間はムキダシの地面で、ここが駐車スペースになっていた。店内には、あらゆる種類の本が大量に並んでいた。しかし、ひとむかし前の通俗書やベストセラーが中心で、特に珍しいものは発見できなかった。
 その後しばらくして、川崎街道沿いの稲城〈イナギ〉市立病院のちょうど向かい、住所でいえば稲城市大丸〈オオマル〉に、「伊藤書店」という看板を掲げた古書店ができた。入ってみたところ、店内の雰囲気は、東中野の伊藤書店とよく似ていた。おそらく、その支店なのだろうと思った。しかし、この「支店」が営業していた期間は、きわめて短期間であったと記憶する。
 その後、さらに何年かたって、稲城市立病院の向かいから東に数百メートルほど離れた、同じく川崎街道沿いに、「ブック・イトウ」というのができた。すでに、かつての「伊藤書店」の面影はなく、ブックオフに近い品揃えになっていた。
 つまり、かつて私が訪ねた野猿街道の伊藤書店は、「ブック・イトウ」の前身だったのであって、「古書いとう」とは何の関係もなかったのである。また、「ブック・イトウ」と「古書いとう」と間にも、何の関係もない(たぶん)。
 さて、稲城市立病院に近い川崎街道沿いにあった「ブック・イトウ」には、何回か通い、メンバーズ・カードも作った。今、それを取り出してみると、「BOOK ITO GROUP MEMBERS CARD」とあって、「9年10月19日」の発行である。平成九年(一九九七)ということだろう。この時点で、「ブック・イトウ」は、すでに、いくつかの店舗を擁するグループになっている。カードによれば、八王子東中野店・相模原星ヶ丘店・日野豊田店・国分寺南町店・立川西砂〈ニシスナ〉店・稲城大丸店・府中分倍河原〈ブバイガワラ〉店・川崎中野島店・川崎稲田堤〈イナダヅツミ〉店・川崎宮前平〈ミヤマエダイラ〉店・川崎黒川店の十一店舗である。
 その後、京王線の聖蹟桜ヶ丘駅の近くにも、「ブック・イトウ」の支店ができた。この支店は、ビルの一階から三階まで三フロアを占めていて、品揃えもよく、二〇〇五年前後から何度となく通った。かなりの掘り出し物を見つけたこともある。しかし、本年一二月初めに訪れてみると、ビルには、すでに別の店がはいっていた。

*このブログの人気記事 2014・12・29

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本日も、「このブログの人気記事」のみ

2014-12-28 20:41:53 | コラムと名言

◎本日も、「このブログの人気記事」のみ

 本日もまた多忙のため、「このブログの人気記事」のみで、失礼します。申し訳ありません。

*このブログの人気記事 2014・12・28

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本日は、「このブログの人気記事」のみ

2014-12-27 17:12:52 | コラムと名言

◎本日は、「このブログの人気記事」のみ

  本日は多忙のため、「このブログの人気記事」のみで、失礼します。ことによると、明日も、そうなるかもしれません。

*このブログの人気記事 2014・12・27

 

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