礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

藤村操青年と「ホレーショの哲学」

2014-12-08 05:55:16 | コラムと名言

◎藤村操青年と「ホレーショの哲学」

 藤村操のいわゆる「巌頭の感」に、「ホレーショの哲学」という言葉が出てくる。この言葉は、シェイクスピアの『ハムレット』に登場する脇役(ハムレットの親友)・ホレーショ(Horatio)に由来するという。以下は、言語郎さんのブログにあった「華厳の滝投身自殺と『ホレーショの哲学』(改訂版)」という記事(二〇〇七・五・二三)からの引用である。

「巌頭乃感」と題した遺書は、滝のかたわらのナラの大木の幹に書かれていた。「人生、曰く不可解」という文言で知られているが、文中に「ホレーショの哲学、ついに何等のオソリティーに価するものぞ」という一節がある。旧制一高の超エリートには及びもつかない凡才ながら、昭和30年代後半に釧路の片田舎の高校生だった私は、青春時代特有のリリシズムからか、この「巌頭乃感」の全文を諳んじていた。だが、「ホレーショの哲学」が長い間分からなかった。
 ホレーショという名の哲学者ないしは学派が実在するのか。なにか参考文献はないものか。ホレーショが、実在した哲学者ではなく、シェークスピアの『ハムレット』の脇役的な登場人物と知ったのは、中年になってからである。
 疑問はしかし、完全には氷解しなかった。『ハムレット』を通読しなおしてみても、ホレーショがどんな哲学――それも読者の一人を厭世自殺させるような人生観――の持ち主なのかさっぱりつかめなかったからだ。該当の原文は、主人公の王子・ハムレットが親友でもある臣下のホレーショに対し
"There are more things in heaven and earth, Horatio. Than are dreamt of in your philosophy"
と語る個所だ(第1幕、第5場)。
 字句通りに訳せば、「ホレーショよ。天と地の間には君の哲学で夢想されるよりはるかに多くのものがあるのだ」となる。つまり"your philosophy"を「君の哲学」=「ホレーショの哲学」と読んでもおかしくないように思える。ところが、これが誤訳というのだから翻訳は一筋縄ではいかない。
 
 言語郎さんの翌日のブログによれば(二〇〇七・五・二四の記事)、この"your philosophy"を、「君の哲学」と訳すのは誤訳で、「例の哲学」、「いわゆる哲学」などと訳すべきだという。
 そうだったのか。ホレーショというのが、ハムレットに登場する人物であることは知っていた。しかし、「ホレーショの哲学」が、誤訳に基づいたものであることは、昨日、言語郎さんのブログに接して、初めて知らされた次第である。それにしても、インターネットというのは、ありがたい。まさに情報の宝庫である。
 さて、以下に再度、言語郎さんのブログから、引用させていただこう(二〇〇七・五・二四の記事)。

 すぐれた翻訳家でもある英文学者の行方昭夫氏も、岩波書店の同時代ライブラリー・シリーズ『英文快読術』の中の「既知の語でも辞書を引く習慣を」と説いた行(くだり)で「ホレーショの哲学」を取り上げ、こう述べている。
[ 藤村青年はyourを「きみの」と解したのであった。この事件は明治36年のことであるから、当時の英和辞書には出ていなかったと思われるけれど、今の辞書なら何でも教えてくれるから、yourを引けば必ず「(通例けなして)いわゆる、かの、例の」と説明されている。 ]

 これによれば、英文学者の行方昭夫〈ナメカタ・アキオ〉さんは、藤村操青年が、ハムレットを原文で読んでいて、その際に、yourを誤訳したと捉えているようである。
 しかし、藤村操青年は、本当に、ハムレットを原文で読んでいたのだろうか。むしろ、"your philosophy"を「君の哲学」(=「ホレーショの哲学」)と誤訳した翻訳書があって、それを読んでいたと見るほうが自然ではないか。
 このように言うのには、ひとつ根拠がある。藤村青年の投身した日の六日前に刊行された『天人論』(朝報社)という本がある。『万朝報』の記者・黒岩涙香(周六)が書いた哲学書である(一昨日のブログ参照)。同書の二八ページに黒岩は、三つの「名言」を引用しているが、その最初にあるのは、次の名言である。

 ホレーショよ、天地には汝が哲学にて夢想し得ざる所の者あり 砂翁のハムレツト

「砂翁」とあるのは、あるいは「沙翁」の誤植か。いずれにしても、シェークスピアのことである。
 さて、黒岩涙香は、この言葉を、誰の翻訳から引いたのだろうか。これは、まだ調べていないが、できれば、博雅のご教示を得たい。いずれにしても、この当時、"your philosophy"を「汝が哲学」というように誤訳した翻訳家がいたことは間違いない。そして、ハムレットのこの台詞が、誤訳されたままで、引用、再引用されていた可能性も、十分に考えられる。あるいは、その誤訳に従って、「ホレーショの哲学」なるものがあるかのような誤解が、藤村操を含む一部の識者に広がっていた可能性もある。
 いずれにしても、藤村操の「巌頭の感」に「ホレーショ」という名前が出てくるのを知って、いちばん驚いたのは黒岩涙香であったに違いない。

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