礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

岩波文庫旧版『代表的日本人』(鈴木俊郎訳)について

2013-10-31 08:23:02 | 日記

◎岩波文庫旧版『代表的日本人』(鈴木俊郎訳)について

 内村鑑三の『代表的日本人』(警醒社、一九〇八)は英文で執筆されたものだが、その岩波文庫版には、戦中の一九四一年(昭和一六)に出た鈴木俊郎〈トシロウ〉訳の旧版と、戦後の一九九五年に出た鈴木範久〈ノリヒサ〉訳の新版とがある。
 訳文は、当然、鈴木範久訳の新版のほうが読みやすい。それでは、鈴木俊郎訳の旧版は、今日すでに、本としての役割を終えているのかというと、必ずしもそうは言えない。
 それは、巻末にある鈴木俊郎氏の「解説」が、十分に読み応えがあり、またそれ自体、資料的価値を有するものだからである。
 この鈴木俊郎氏の「解説」は、一九四一年の七月に執筆されたものである。したがってそれは、当時の戦時色から完全に自由ではないし、また戦前の日本に特有の発想も見出せる。しかし、内村鑑三自身が、戦前に言論活動をおこなった人物なのであり、また、かつては日清戦争を支持するなど、つねに時局に関心を持っていた人物なのである。つまり、鈴木俊郎氏が戦中の一九四一年に書いた「解説」にこそ、リアリティがあると捉えることもできるのである。
 本日は、鈴木俊郎氏の「解説」の一部を引いて、そのあたりの「リアリティ」を確認してみたいと思う。なお、鈴木俊郎氏が内村鑑三の文章に施した傍点は、ゴシックで代用した。

 著者は、「菊花薫る」といふ短文に於て、斯う〈コウ〉書いてゐる、――
 英文『代表的日本人』の改版が出ました、英文の読める方には読んで戴きたくあります、日本文で言ひ兼ねる事を欧文を以て言ふことが出来ます、日本を世界に向つて紹介し、日本人を西洋人に対して弁護するには、如何しても欧文を以てしなければなりません、私は一生の事業の一〈ヒトツ〉として此事を為し得た事を感謝します、私の貴ぶ者は二つのJ〈ジェー〉であります、其一〈ソノヒトツ〉はJesus(イエス)であります、其他の者はJapan(日本)であります、本書は第二のJ〈ジェー〉に対して私の義務の幾分かを尽くしたものであります(傍点、解説者)
と(大正十年一九二一年十一月)。
「日本を世界に向つて紹介し、日本人を西洋人に対して弁護する」ことは、著者の「一生の事業の一」であつた。著者は本書を書いて「此事を為し得た事を感謝し」た。併し、世界に向つて紹介せらるべき日本は、十分な国民的性格を有するものでなければならない。世界に接触して忽ち其〈ソレ〉に征服せられ、「自己のものと称する何等特殊のものなき無形体」となるが如きものであつてはならない。また西洋人に対して弁護せらるべき日本人は、「西洋の智慧」によつて自己の精神を奪はれざる純粋な日本人でなければならない。著者は日本の精神的遺産を尊重するとともに、日本人の精神的独立を尊重した、日本人としての「自己防衛の本能」は著者に於て特に強烈であつた。そして著者の如き過敏なる性格に於て、この「本能」ば容易に西洋的勢力に対する抗議と攻撃に転じたのである。我等は本書を読んで、著書のいはゆる日本の紹介、日本人の弁護が、しばしば世界への抗議、西洋人の攻撃と並んでゐるのに驚くが、それは著者にとりては極めて自然なことであつたと考へられる。

 内村鑑三の言論に、日本人としての「自己防衛の本能」を読み取ろうと努めているあたり、いかにも日米開戦直前の空気を感じさせる。しかし、内村鑑三について、そうした「読み取り方」をすることは、必ずしも間違いだとは言えないと考える。【この話、続く】

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新宿中村屋の創業者・相馬愛蔵の正価主義

2013-10-30 05:06:53 | 日記

◎新宿中村屋の創業者・相馬愛蔵の正価主義

 昨日の続きである。森永製菓の正価主義は、一九三八年(昭和一三)の時点で崩れようとしていたが、当時、これを批判していたのが、新宿中村屋の相馬愛蔵であった。
 つまり、相馬愛蔵は、森永太一郎以上に徹底した正価主義者であり、森永の「崩し売り」を批判すると同時に、みずからはなお、正価販売の方針を貫いていた。
 昨日、『一商人として』の一部を引用したが、本日引用するのは、それに続く部分である。

 ちょうどその頃、佐久間ドロップで会社が設立されて、製品が宜しかったので私の店でも取引し、販売に尽力した。
 ところがある日お客から意外な叱言を受けた。
『このドロップは○○(森永製品の輸送を中止された店)では一斤四十銭で売っているのに、貴店で五十銭取るとは怪しからぬ。』
 調べて見ると仕入原価が四十二銭、五十銭の売価は不当ではないのだが、他に同じ製品を四十銭で売る店があるとは不思議なことであった。そこで○○百貨店を調べると正しく四十銭に違いない。問屋に照会したところ問屋の仕入原価が四十銭、問屋も驚いて会社〔佐久間ドロップ〕に厳談に及ぶと、会社の言い分は、
『○○百貨店は毎日六百罐(七斤入り)を現金取引ですから特別待遇です。』
 これでは商業道徳も何もあったものではない、私は直ちに佐久間ドロップの販売を中止した。問屋も会社との取引を拒絶した。ここまで来ると会社もさすがに其の非を覚ったのであろう、○○百貨店の安売も間もなく中止されたのであった。
 さてまた森永のことに帰るが、社長森永氏が中村屋を訪問せられた際、私は二十年前、氏が某百貨店に示された毅然たる態度〔昨日のコラム参照〕を称讃し、お互いに商売はかくありたいものだというと、氏は撫然として、『その後同業者もいくつか出来まして、競争と自衛上から、今日では売くずし販売も前のように強くは抑えることが出来なくなりました』と答えられた。そこに自から〈オノズカラ〉会社の苦心も窺われるのであるが、景品付き販売や温泉招待や、やむを得ず行われるらしいこの競争によって無益に失われる莫大な費用を製品の向上に向けられたたら、販売者にとっても購買者にとってもどれ程幸いであろう。私は自分が正価販売をして、確実な商法の喜びを知ると共に、森永明治の二大会社初め他の同業者にも切にこれを勧めるものである。

 これによって、森永太一郎と相馬愛蔵との間に、交流があったことが確認できるのである。なお、この両者は、洋風の食品を製造販売していたこと、および、クリスチャンとしての商業道徳を持っていたことという二点において、共通性がある。

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森永ミルクキャラメルの「崩し売り」について

2013-10-29 05:34:07 | 日記

◎森永ミルクキャラメルの「崩し売り」について

 一〇月二三日のコラムで、森永製菓の「正札主義」について述べた。その後、この記事に関して、補足しておくべき事実に気づいた。
 新宿・中村屋の創業者である相馬愛蔵(一八七〇~一九五四)に、『一商人として』(一九三八、岩波書店)という自伝がある。相馬愛蔵は、森永太一郎と交流があり、同書の中で、森永太一郎やその商売について触れている。
 本日は、森永製品の「定価」について述べている部分を引用してみる。ただし引用は、杉浦民平編『ひとすじの道』(筑摩書房「現代記録全集」13、一九七〇)から。

 現在森永の定価十銭のキャラメルが八銭で売られ、明治の小型キャラメルが三箇十銭で売られているのは周知の事実だが、信用ある大会社の製品がこんなに売りくずされているのを見るのは誠に遺憾である。
 世間ではこれを単に小売店の馬鹿競争と見ているようだが、私に言わせれば両会社の責任である。会社自身が互いの競争意識に引ずられて、一時に多量の仕入をする者には割戻し、福引、温泉案内などの景品を付ける。従って必要以上に多量に仕入れた商品は、それだけ格安に捌く〈サバク〉ことが出来るのみでなく、ついには投売〈ナゲウリ〉もするようになる。この順序が解っているから両会社も市中の乱売者を取締ることが出来ない。森永も明治も市内目抜きの場所にそれぞれ堂堂たる構えで売店を出しているが、喫茶の方は別として、ここに来て会社の製品を買う客の意外に少いのは、この定価以下の崩し売りが会社自身の売店では出来ないからであって、会社自身の不見識な商策から直営店の繁昌が望まれないことは、皮肉といおうか笑止といおうか、会社でも確かに困った問題であろう。
 嘗て〈カツテ〉森永が独占的地位を占めていた大正の初め頃、某百貨店が森永の製品を定価の一割引で売出したことがあった。
 その時森永では直ちにその百貨店に抗議して、全国幾十万の菓子店の迷惑であるとて譲らず、ついに商品の輸送を停止してしまったことがある。百貨店側では自分の方の利得を犠牲にして客に奉仕するのに製造会社の干渉は受けないという言い分であったが、さすがに権威ある森永は、そんな商業道徳を無視するものの手でわが製品を売ってもらおうとは思わぬ、絶対にお断りするといって、二年間も頑張り通したのであった。

 ここで、相馬愛蔵のいう「現在」とは、一九三八年(昭和一三)ころを指している。
 結論的に言えば、森永は、大正初年には、その「正札主義」の方針を貫こうとしており、そうすることも可能だったが、一九三八年の「現在」においては、その方針を貫くことは、かなり難しかくなっていたということである。【この話、続く】

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「読書子に寄す」岩波茂雄署名は、『新訓万葉集上巻』から

2013-10-28 04:15:48 | 日記

◎「読書子に寄す」岩波茂雄署名は、『新訓万葉集上巻』から

 一〇月二二日のコラムでは、岩波文庫の巻末にある「読書子に寄す 岩波文庫発刊に際して」を、初期の形で復元しておいた。
 この時、いつまでが「初期」の形(岩波書店署名)で、いつから「現在」の形(岩波茂雄署名)になったのかに言及しておいてもよかったのだが、あまりにもマニアックな考証なので遠慮しておいた。しかし、せっかく調べてみたので、以下、それを書き留めておく。
 結論的に言えば、「初期」の形になっている岩波文庫は、一九二七年(昭和二)八月一〇日発売の『国富論 上巻』までであり、同年九月五日発売の『新訓万葉集 上巻』から、「現在」の形に変わった。文章の一部に改訂がなされたのも、これと同時である。
 この『新訓万葉集 上巻』の段階では、なお、見開き二ページの形を保っていたが、間もなくこれが一ページに圧縮されるようになり、さらに戦後のある時期からは、現代仮名遣いで表記されるようになった。
 これを簡単にまとめれば、以下のようになる。

・「読書子に寄す 岩波文庫発刊に際して」岩波書店 1927・7・10~8・10
・「読書子に寄す 岩波文庫発刊に際して」岩波茂雄 1927・9・5~
・同、「一ページ」バージョン           1927・9・15(?)~
・同、「現代仮名遣い」バージョン         ?

 いつから「一ページ」バージョンに変わったのかは、ハッキリしない。一九二七年(昭和二)九月一五日発行の『科学と仮説』の第二刷では、すでに「一ページ」バージョンのものが掲載されている(国会図書館で確認)。ただし、同書の第一刷(九月五日発行)が、どうなっているかは未確認。
 なお、手元にある同年一〇月一日発行の『綱島梁川集』を見ると、まだ「見開き」バージョンのままになっている。つまり、ある時期からすべて「一ページ」バージョンに変わったというわけでもないようだ。
 いつから「現代仮名遣い」バージョンに変わったのかについては、まだ調べていない。

 

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『ことわざの話』抜刷本の正誤表と柳田國男のモラル

2013-10-27 06:01:09 | 日記

◎『ことわざの話』抜刷本の正誤表と柳田國男のモラル

 昨日の続きである。
 柳田國男の『ことわざの話』別刷本(アルス、一九三〇)の巻頭にある正誤表は、以下の通りである。

 正誤表        ●          〇

176頁 末行    小きな        小さな
179頁 末行    からつたら      かららつたら
180頁 3行    淵の塩        淵に塩
181頁 末行    いさめたり      いぢめたり
183頁 9行    紺屋の        紺屋に
184頁 3行    鳰の         鳩の
同    5行    夜路の早い      夜道に早い
190頁 9行    坊主の        坊主に
同   10行    按摩の        按摩に
193頁 4行    そんかこと      そんなこと
同   11行    兎をくひつく     兎もくいつく 
194頁 2行    そこらでは      ところでは
同    4行    なりました。     なりましたが
196頁 9行    さかな        うを
199頁 7行    今では        今でも
202頁 6行    「見たやうな」と   「見たやうな」を
204頁10行    ものが        ものを
214頁 9行    さかひ        いさかひ
226頁11行    いつごほり      いとごほり
229頁 初行    相手でばかり     相手ばかり
239頁10行    直つて人       直ってん
240頁 6行    をりをり       (除く)
242頁 初行    小僧が        小僧で
243頁10行    古風に        古風な
245頁 4行    してゐる       してある
同    7行    言語大辞典      諺語大辞典
248頁 末行    聞えたので      聞えたからで   

 今、この正誤表についての詳しい分析はしないが、およそ次のようなことがいえる。
・別刷本の正誤訂正の数は、中学生全集所収「ことわざの話」における正誤訂正の数よりずっと多い。
・別刷本の正誤訂正のうち、中学生全集で直っているのは三つのみ。
・別刷本の正誤訂正が、そのまま中学生全集の正誤訂正に引き継がれているものが七つ。
・別刷本で正誤訂正の指示があり、中学生全集ではその指示がないものも多い(重大な誤りにもかかわらず、訂正の指示さえないものがある)。
・別刷本の正誤訂正の指示と、中学生全集の正誤訂正の指示が異なるものがある。

 要するに、柳田國男は、中学生全集『なぞとことわざ』を編む際に、『ことわざの話』別刷本の正誤表のことを忘失しており、しかも、中学生全集『なぞとことわざ』が刊行された後も、別刷本の正誤表を参照していなかったということである。
 これは、「神経を疑う」どころの問題ではない。物書きとしての誠意やモラルが問われる問題だと思う。まずは、出版社に対して、そして何よりも、「児童」と「中学生」に対して。

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