礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

演劇における芸術性と大衆性の二律背反

2016-05-30 03:57:45 | コラムと名言

◎演劇における芸術性と大衆性の二律背反

 先日、古書展で久保栄の『築地演劇論』(平凡社、一九四八)を買い求めた。
 久保栄(一九〇〇~一九五八)の本というのは、これまで読んだことがなかったと思う。まだ、読みはじめたばかりだが、なかなかおもしろい。
 本日は、第Ⅳ部にある「大衆劇とインテリゲンチア」という文章(初出、一九三七)を紹介してみよう。ここで、久保栄が指摘した演劇における芸術性と大衆性の二律背反という問題は、文学についても、また映画についても指摘できるように思う。

 大衆劇とインテリゲンチア
 本来は、演劇のなかに「大衆劇」といふ特殊なジヤンルがある筈はなく、すぐれた演劇ならば、必ずすぐれた大衆性をもつ筈で、演劇イコール大衆劇でなければならないのでせう。ところが、人々は、演劇の概念を二分して、その一方に、悪くすれば、卑俗とか甘さとか観客への迎合とか、文化的レベルの低さとかいふ連想の件ふ「大衆劇」といふ範畴を考へ、他の一方に高踏的とか純芸術的とかいふ想念のつきまとひやすい――一さあ何といひますか、「純文学」といふ字はあつても「純演劇」といふ字はないやうですが――とにかくさういつた風のもう一つの演劇的範畴を対立させて考へることに慣れてゐるやうです。この卑俗大衆劇に慊らない〈アキタラナイ〉で、高度の大衆劇を想定する人も、やはりそれを純芸術的な演劇とは区別して考へてゐるやうであつて、要するに演劇のなかに「芸術性」と「大衆性」とが二律背反的にそむき合ふといふアイデアの前提のもとに、その両者の統一しがたい統一を考へてゐるといふことになるのではないでせうか。
 この演劇の二元論、それから文学に於ける「純文学」対「大衆文学」の問題――ひろく言つて芸術一般に於ける「芸術性」と「大衆性」との二律背反は、資本主義社会の特徴的な産物だと思うのです。資本主義のシステムが、精神労働と肉体労働を完全に分離したこと、この社会の二つの極【ポール】の中間にインテリゲンチアといふ特殊な社会的集団を生み出したこと、さらに言へば、この社会では演劇の商品化が極端に行はれて、それが現在自由から独占の形態に移つてゐること、今日の勤労民衆が封建期の民衆とは数等ちがふ、さかんな芸術的欲求をもつてゐること等と切り離して、僕は「大衆劇」の問題を考へることが出来ないのです。
 世界の演劇史の上でも、この演劇二元論が体系立つた理論として現れて来るのは、近代劇運動――つまり小市民的インテリゲンチアの演劇運動が実を結んだ以後のことではないでせうか。試みに、徳川封建の町人芸術としての、歌舞伎を思ひうかべて下さい。近松〔門左衛門〕の「曽根崎心中」や「国姓爺合戦〈コクセンヤカッセン〉」は大衆劇で、紀海音〈キ・ノ・カイオン〉の「心中二腹帯〈シンジュウフタツハラオビ〉」や「鬼鹿毛無佐志鐙〈オニカゲムサシアブミ〉」は大衆劇でないとは、誰も言はないでせう。〔鶴屋〕南北の「当穐八幡祭〈デキアキハチマンマツリ〉」や「お染久松色読販〈オソメヒサマツウキナノヨミウリ〉」と、並木五瓶〈ナミキ・ゴヘイ〉の「五大力恋緘〈ゴダイリキコイノフウジメ〉」や「隅田春妓女容性〈スダノハルゲイシャカタギ〉」との間に、大衆劇か否かの境界線をひくことは愚かです。いづれも、町人的芸術性と町人的大衆性とを兼ねそなへた作品だといふことが出来ます。明治以降も、福地桜痴や依田学海が、演劇の質的向上――これは、藩閥イデオロギーによる演劇の「芸術性」と「大衆性」の統一運動です――を考へたとしても、それはどこまでも旧劇の地盤のうへのことであり、自由民権の演劇的反映である壮士芝居、やがて新派劇のレパートリーをみても、そのなかのどれを採り出して、特に大衆劇と銘打つことは出来ないでせう。ところが、文芸協会、自由劇場といふインテリゲンチアの演劇運動が始まつてから、事態は一変します。たとへば島村抱月の芸術座が本興行と大衆興行を分けて行つたりした一例に徴しても判るとほり、このインテリゲンチアの演劇の出現以来、芸術的な演劇と大衆劇とが非常にはつきりと二元的な姿をあらわし始めます。
 つまり、現在の体制では、生産にたづさはる広汎な勤労民衆が文化的教養をうける余裕がなく、直接、生産にたづさはらない遊離した社会的集団――インテリゲンチア――に、知的活動の大部分がゆだねられるといふ仕組になつてゐます。したがつて、高い文化的レベルが社会の一方に片寄つてをり、この知的活動を社会的に代表する教養ある人たちの間から、高度の芸術が、既成芸術に叛逆しながら、先駆的に研究室的に創られ始めます。かうして出来た演劇――新劇――は、広汎な大衆を動員するために、しかも資本主義下の大衆の遅れた文化水準をねらひ撃ちする既成劇壇の演劇とは、どうしても相容れないものであり、したがつて一応孤立的になり、ここに、演劇の「芸術性」と「大衆性」との二律背反が始まつたわけなのです。
 ところが、インテリゲンチアといふ集団も一様でなく、小市民的インテリが中心になつて新劇運動を起したあとに、それより一層すゝんだプログレツシイヴなインテリゲンチヤが現れて、研究室的な演劇に満足せず、ひろく一般勤労民衆の文化水準を高めるために、いはゆる新劇の大衆化を企て、高度の「芸術性」と高度の「大衆性」とを合致させようと努力します。現在は、さういう段階まで来てゐるのです。
 要するに、今日の世の中ほど、社会の文化水準が複難な不均等を示してゐる時はなく、この文化レベルの区々まちまちな社会の各層をほどよく動員しながら、一階の連中にも三階の五十銭客にも満足のゆくやうな「大衆劇」といふものが創り得る筈はないのであつて、以上の極く輪郭的な史的考察から推断しても、今日以後の「新大衆劇」は、文化的に恵まれない勤労大衆に教養の眼をひらき、昨日から今日、今日から明日への社会の移り変りを明示するやうなリアリスチツクな内容をもつたものでなければならないのです。この現代的意義をもつものなら、そのとり扱ふ世界が昔だらうと今だらうと変りはないでせう。髷物結構、現代劇可なりです。
 しかし、大衆の文化的レベルが急速に高まる筈はないので、今後も「新大衆劇」の創造者は、永く「芸術性」と「大衆性」との統一しがたいギヤツプに苦しまなければならないでせう。真に偉大な芸術家のみが、この体制のなかで、立派な「大衆劇」を書き得るでせう。既成劇壇が、さういふ演劇の樹立をめざすならば、よろしく中途半端な作者を排して、厳密にプログレツシイヴなインテリゲンチヤの名に価する人人に、手をさしのべることが先決問題です。  ――一九三七年一月「東宝」――

◎礫川ブログへのアクセス・歴代ベスト25(2016・5・29現在)

1位 16年2月24日 緒方国務相暗殺未遂事件、皇居に空襲
2位 15年10月30日 ディミトロフ、ゲッベルスを訊問する(1933)
3位 16年2月25日 鈴木貫太郎を救った夫人の「霊気術止血法」
4位 14年7月18日 古事記真福寺本の上巻は四十四丁        
5位 15年10月31日 ゲッベルス宣伝相ゲッベルスとディートリヒ新聞長官
6位 15年2月25日 映画『虎の尾を踏む男達』(1945)と東京裁判
7位 16年2月20日 廣瀬久忠書記官長、就任から11日目に辞表
8位 15年8月5日 ワイマール憲法を崩壊させた第48条
9位 15年2月26日 『虎の尾を踏む男達』は、敗戦直後に着想された
10位 13年4月29日 かつてない悪条件の戦争をなぜ始めたか     
11位 13年2月26日 新書判でない岩波新書『日本精神と平和国家』 
12位 15年8月6日 「親独派」木戸幸一のナチス・ドイツ論
13位 16年1月15日 『岩波文庫分類総目録』(1938)を読む
14位 15年8月15日 捨つべき命を拾はれたといふ感じでした
15位 15年3月1日  呉清源と下中彌三郎
16位 16年1月16日 投身から42日、藤村操の死体あがる
17位 14年1月20日 エンソ・オドミ・シロムク・チンカラ     
18位 15年11月1日 日本の新聞統制はナチ政府に指導された(鈴木東民)
19位 13年8月15日 野口英世伝とそれに関わるキーワード   
20位 16年2月16日 1945年2月16日、帝都にグラマン来襲
21位 16年2月14日 護衛憲兵は、なぜ教育総監を避難させなかったのか
22位 16年5月24日 東條英機元首相の処刑と辞世
23位 15年8月9日 映画『ヒトラー』(2004)を観て印象に残ったこと
24位 15年12月5日 井上馨を押し倒し、顔に墨を塗った婦人
25位 13年8月1日  麻生財務相のいう「ナチス憲法」とは何か

*このブログの人気記事 2016・5・30(9位に珍しいものが入っています)

  

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